盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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05月

シャスタの風景

2011年、まだアメリカにいたころ訪れた、マウント・シャスタ。オレゴン州とカルフォルニア州の境目にあります。

 

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クリスタル・ガイザーという水がありますが、あれはこの山の源泉の水なんですよね。山の上からみた景色。

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頂上付近の、水の輝き。

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シャスタ山の近くには森がたくさんあって、とても生命力にあふれています。

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空気が全然違います。このあたりの森には、天然のアロマである、植物のかぐわしい香りが漂っています。市販のどんな精油にもかなわない、いい香りでした。

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秋に訪れたのですが、紅葉も色鮮やかでした。

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森の中には滝がいくつもあり、マイナスイオンいっぱいです。

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訪れた日の初日は、ずっと太陽の周りに輪がみられました。

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2日めは、太陽の両端に、虹がみられました。

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sun dogという現象です。(日本語ではなんていうのかな。)

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インディアンの聖地なる湖。森の奥深くにあるので、訪れる人もほとんどなく、とても静かです。

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シャスタは、私が大好きなパワースポットの1つです。今までに2回行っていますが、とても清らかで精妙な氣であふれていて、まさに次元が違う、という感じをいつも受けます。

また、いつか訪れたい場所です。  

                                                                                                                                            (Chika)

 

思考と直感

私の高校時代、古典の先生が、

「テストで、最初に書いた答えと、書きなおした答えと、どっちが合っているか迷ったら、たいてい、最初の答えが合っているもんや。」

と言ったことがありました。

そのときは、

「そういうものかな。でも、どうしてだろう。」

と、不思議に思ったものでしたが、今なら、それがどうしてか、わかる気がします。

その先生は、お寺のお坊さんと高校教師の仕事を兼任していて、お経を読みなれているせいか、一本調子の声で、眠くなるような、恐ろしく退屈な授業をする人でしたが、なかなか鋭いことをいう人だったなあと、今は思います。

どうしてか。

なぜなら、最初に書いた答えは、直感によるもので、書きなおした答えは、思考によるものだから。

そして、いつでも、思考より、直感に従うほうが、誤りのないものだから。

正しい答えを知っているのは、頭ではなく、感覚なのです。

英語で直感のことをgut feelingというのですが、gutというのは内臓とか、はらわたという意味があります。肚の位置には太陽神経叢という神経のかたまりがあり、ここは、ヨガでいうところの、第三チャクラ(ソーラープレクサス)というエネルギーセンターに当たります。

自分を益するものか否かのYes、 Noを、私たちの直感は、このエネルギーセンターを通じて教えてくれることが多いんですね。

直感というのは、潜在意識につながっており、潜在意識というのは、顕在するものしかとらえられない私たちの思考よりも、もっとずっと包括的な視野を持ち、比較にならないくらい賢明なものなのです。

なので、頭でせっせと分析して考えるよりも、直感に従ったほうが、正しい方角に導かれるわけです。

ただし、現代人は、たいてい思考過多で、頭を使いすぎる傾向にあり、感じるということをあまりしていないので、感覚が鈍っている場合が多い。なので、直感の声を聞き分けることが、なかなかできない人が多いのだと思います。

直感の声というのは、ある程度リラックスしているとき、頭のおしゃべりが静まっているときに、聞こえてきやすいものです。あわただしく時間に追われ、緊張したり不安に駆られたりすることの多い生活を送り、いつもあれこれ考えて頭を働かせて、外からの情報で頭をいっぱいにしていると、自分を導いてくれるgut feeling、肚のあたりの感覚に気づくことができなくなってしまいます。

直感のサインを無視していると、結果、流れに乗ることができず、自分の人生を複雑で面倒なものにしてしまいます。ちゃんと道しるべを見て、正しい道を行っておけば、もっと楽にスムーズに行けたのに、違う道を行ってしまったがために。行き止まりや工事中がたくさんある面倒な道を迷いながら行き、さんざん遠回りして消耗してしまう、という感じでしょうか。

そうならないためにも、1日1回、わずかな時間でもいいので、思考を鎮めて頭を空っぽにし、心を落ち着かせる時間を持つようにすること、普段から、自分の体の感覚や、周りの景色や音などに意識を向け、「感じる」訓練をしておくことは、有益で大切なことなんじゃないかと思います。                                                                                                                                                (Chika)

 

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育みたいもう一つの「生きる力」

「生きる力」を考える時に、「人は、一人では生きていけない。」という言葉を思い浮かべます。全くその通りで、身体的にも、精神的にも、経済的にも、社会的にも、本当に多くの方々に支えられて生きていると実感します。

誰でも、一度くらいは、一人で解決できない不安や困り事を抱えた経験があると思います。そのような時、皆さんは、どうされますか。 おそらく、誰かに協力を願うなどの手段を講じると思います。

でも、それができないとしたら、どうなるでしょう。

一人でその思いを抱えてしまい、その事ばかりを考えるようになります。それは、とても苦しい状態で、心のエネルギーを奪い取り、時に、孤独すら覚えさせる事もあるでしょう。

逆に、勇気を持って、誰かに話すと、心の中に溜まっていた重い思いが、少しずつ抜けていき、軽くなっていきます。

苦しい時に、Helpを発信する力。それが、もう一つの「生きる力」です。

「◯◯で困っているの。手伝って欲しい。」「◯◯に悩んでいるの。話を聞いて欲しい。」など、自分の困っている事を誰かに伝える力。

この力を育てるには、どうしたら良いのでしょう。 自分の困っている事を誰かに伝えるという行為は、勇気がいることです。「困った時は、ちゃんと言うのよ!」と、時ある毎に、言い聞かせても育つものではありません。

まず、その力を育てる前提として、基本的信頼が育っていなければなりません。

赤ちゃんが泣くと、お母さんは、おっぱいやミルクをあげたり、おむつを変えたり、寝かせつけたりしますね。基本的信頼は、このような中で育つものです。

「お母さんは、困った時、助けてくれる人だ。安心できるなあ。」といった感覚です。

そして、もう一つ、ありのままの自分を受け入れられる体験が必要です。

子どもですから、よく叱られるような行動をしてしまいます。これが頻繁だと、大人側も、つい、頭ごなしに叱ったりしますね。

社会的に認められない行動は、許してはいけませんが、抱く感情に良い悪いはありません。抱いた感情を受け止め、その感情を言葉にして、子どもに返してあげましょう。

「そうかあ、悔しかったのね。」など。

そうすれば、子どもは、「◯◯で、僕は悔しかったけど、お母さんは、わかってくれた!」と思うでしょう。

逆に、感情を受け止めずに、行動だけを叱ると、親としては、行動のみを叱ったつもりでも、子どもは、その感情を抱いた自分をも、いけないものと勘違いする場合があります。

「悔しいと感じた僕は、悪い子。」と。

同じ叱られるにしても、感情を受け止めてもらうと、気持ちが落ち着いて、前向きな気持ちが生まれます。その前向きな気持ちが、誰かにHeipを発信する勇気につながります。

「Helpを発信する力」と、前回、お話しました「ありのままに感じ、ありのままに表現する力」

難しいと感じる方も多いと思いますが、少し意識して、日々を過ごしてみてはいかがでしょうか。

                                  (佐々木智恵)

 

後悔や自責の念の処理法

みなさんは、自分が過去に犯した失敗や間違いを、自分にとって権威のある誰かに、延々と責められたらどんな気持ちになりますか。

もし、ことあるごとにそのことを掘り起こされて、くどくどと何年も責められたら、自分の精神状態は、どうなってしまうと思いますか。

恐らく、抑うつ状態になり、精神エネルギーは低下して、新しい行動を起こす気力もなくなってしまうのではないでしょうか。

後悔や自責の念にさいなまれるというのは、これを、自分で自分にしてしまっている状態です。自分自身に対して発する言葉というのは、場合によっては、ほかの誰の言葉よりも権威を持っていますから。

過去に犯した過ちについて、いつまでも自分を責め続けると、心を落ち込ませてエネルギーを奪い、自分を害してしまいます。

それならば、どうしたらいいのでしょう。

もう終わったことを延々と思い煩うかわりに、数分間だけ、思い切って自分のしたこととじっくり向き合う濃い時間を持ちます。そして、よくよく反省し、もう二度とこんなことはしないと、肝に銘じます。そして、十分反省したなら、潔く自分を許してあげ、後はもう手放して、気持ちを切り替えます。

もちろん、修正できる状況であれば、修正する。相手がいて、謝罪できる状況であれば、謝罪するのがいいと思いますが、この場合、相手の立場も考えて、自分勝手な気持ちの押し付けにならないように気を付ける必要があると思います。

もし、直接謝罪するのが適切でない場合、あるいは、もうそれができない場合は、心の中でいいので、心の底から謝ります。

後悔や自責の念からくる苦い思いは、それらをする原動力として利用したほうが、建設的だと思います。あなたがいつまでも自分を責め続けて、自分のエネルギーを低下させることは、自分自身のみならず、この世界にとっても、望ましいことではありませんから。

あなたが元気でいれば、周りの人にもよりよいものを与えることが可能でしょうし、その分、この世界を元気にすることができます。この世に生きているものは、皆、つながって、影響し合っているので。

結局のところ、もう同じようなことで後悔しないように、方向転換し、これからの自分の言動を変える契機になるのであれば、犯したその過ちは、決して無駄ではなかったと思います。

                                                                                                        (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

                                                                                                                                                                                                               

 

                                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                            

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる力って何だろう

「生きる力を育てましょう。」という言葉をよく耳にします。

「生きる力」とは何でしょう。

    今の子どもたちを見ていると、周りに合わせないといけない、秀でてはならない、目立ってもいけない、そんな空気が流れているように見えます。見ていて、苦しそう。

 本当の自分は何処にあるのでしょう。自分の感情や感覚が後回しになっていて、こんな風に感じる人間がいてもいいじゃないか、という空気が感じられないような気がします。

 いつも、周りの空気を一生懸命、読んでいる。それについて来れない者は、置いていかれる、異質なものとして、いじめの対象になったりします。全てがそうと言う訳ではありませんが、そんな空気が流れているように見えて気にかかります。

    何が気にかかるかと言えば、他者の感情を読み取る事が優先されて、自分の感情や感覚に鈍感になってしまうのではないかと言う事です。

 自分の感情や感覚に気づくことは、自分の命を守る力だと思います。この力が育っていないと、何となく感じる生きづらさから脱することができず、知らないうちに、心のエネルギーが減っていってしまうのです。

 自分は、今、嬉しいのか、楽しいのか、悲しいのか、辛いのか、腹を立てているのか、イライラしているのか‥‥それを感じることは大切なことです。

 感じることに良い悪いはありません。自分が感じていることは、素直に受け入れていいのです。それを受け入れることをしなければ、自分の心と向き合うことはできません。

    本来、子どもは、ありのままに感じ、ありのままに表現する力を持っているはず。いつから、その力に蓋をするようになるのでしょう。気づくと、親子の会話は、親「何でそう思うの?」子「そう思うから。」親「何が嫌なの?」子「嫌だから。」こんな会話の繰り返し。そんなことはありませんか?

    ありのままに感じ、ありのままに表現する力は、お母さんのお腹にいる時から、発揮されています。

 お母さんがリラックスしていると、お腹の赤ちゃんもゆったりしています。お母さんが高揚していると、動きが活発になったりします。

 誕生の瞬間は、大声で泣きます。今まで、暗くて温かくて、気持ちの良いお母さんの子宮の中にいたのに、突然、明るく眩しく刺激的な空間が現れて、びっくりしているのです。でも、お母さんの胸に抱かれて、お腹の中にいた時から聞き慣れているお母さんの声を聞くと、泣き止み、気持ち良さそうなお顔になりますね。

 どの赤ちゃんも素晴らしく、輝くばかりの生きる力を持って生まれてきます。その素晴らしい輝きを失わないように、見守っていけたらと切に願います。                                         

                                            (佐々木 智恵)

佐々木智恵先生のご紹介

このたび、セラピールーム・ハミングバードに、新しいスタッフを迎えることになりました。

上級心理カウンセラー(日本能力開発推進協会認定資格)の佐々木智恵(ともえ)先生です。

智恵先生は、29年間、保健師として、数多くの親御さんの相談業務に携わり、特に、乳幼児期の子供の発達相談を専門として受け持ってきました。その傍らで、子供の発達に悩む親御さんとお子さんのグループのファシリテーター役を、5年間、務めました。

プライベートでは、2人の女の子のお母さんです。

母子関係の悩み、子育ての不安、子供の発達の悩みを専門分野とされており、今後、ブログにも、お役に立てるような関連記事を書いていただけることになりました。

これまでの記事は、すべて、私、Chikaが書いてきましたが、今後、智恵先生の記事は、ピンク色で色分けさせていただきます。(私の記事は、これまで通り、グレーです。)

よろしくお願いいたします。m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐怖を克服する方法

恐怖症や、PTSD、強迫観念症などの、不安障害の症状を克服する方法の1つとして、露出療法(exposure therapy)があります。

これは、簡単にいうと、恐れを抱いている対象に、少しずつ接することで、慣れていくというものです。

イメージの中で接する場合もあれば、実際にそのものを見たり、その場所に行ったりするやり方もあります。その際、怖いものにただ接するだけではなく、恐怖心を和らげ、心を強くするようなスキルを学んで用いながら行うほうが、効果が高まります。

暴露療法の詳細は専門的な話になるのでこれ以上はここでは書きませんが、この療法の論理の要になっているのは、要するに、「慣れれば、怖くなくなる。」ということ。裏を返せば、これは、怖いものは、逃げたり避けたりすれば、ますます怖くなる、という人の心理があります。

例えば、もしあなたが、クモが嫌いだとします。そして、部屋の中にいる1匹のクモと、いやでも同居しなければならないとします。

もしクモを怖がって、何があってもみないようにして、避けて暮らしたとすると、あなたはそのために常にびくびくして、膨大な精神エネルギーを使い、大変なストレスにさらされることになります。

さらに、見ないようにすればするほど、避ければ避けるほど、あなたの心の中で、クモは実物以上に大きくなり、強大な恐ろしい化け物と化すでしょう。

避ければ、恐怖は自分の中で増大する。言い方を変えれば、逃げることにより、恐怖の対象に、自分を力を与え、より強力にしてしまうということです。これは、PTSDの症状に苦しむ人によく見られることです。

反対に、あなたが逃げることをやめて腹をくくり、毎日少しずつ、クモを眺める訓練をするとしましょう。

最初は怖くて仕方なかったクモでも、毎日30秒ずつ見るようにすれば、おそらく一週間もすれば、耐えがたかった30秒が少し忍びやすくなるでしょう。次の一週間は、毎日、1分ずつ。こうやって、少しずつ時間を延ばしていけば、恐怖は少しずつ和らぎ、だんだん平気になっていく。

少なくとも、避けないで直視することによって、クモは実物大のままであり、頭の中で膨れ上がって化け物になることはないでしょう。

以前、私がアメリカで担当していたクライアントさんに、大変過酷な少女時代を送った人がいました。

彼女は当時50代でしたが、子供のころ、叔母夫婦のもとに里親に出され、そこで数年間にわたり、精神的・性的・身体的虐待を受けて育ちました。毎日、メイド代わりにこき使われ、叔父には日常的にレイプされ、言うことを聞かなければ激しい暴力を受ける、という救いのない日々を送りました。彼女の額には、今でも、テーブルに頭を叩きつけられたときの傷が残っています。

そのうちに叔父が亡くなり、彼女はその家を出て、まだ10代半ばにならないうちに、一人で生活するようになりました。

その後しばらくして未婚の母となり、何人かの子供をもうけた彼女は、PTSDと重度の鬱に苦しむようになり、アルコールに溺れるようになりました。長年、薬物療法と心理療法の治療を受け続けましたがよくならず、私が会ったときは5回目の自殺未遂の直後でした。

彼女は、毎日のように性的虐待を加えた叔父を、いまだに憎み、もうとっくに亡くなっているのにも関わらず、今なお彼を恐れていました。

彼女はその時、フラッシュバックや悪夢というPTSD特有の症状に悩まされていたので、私はPTSDが起こる原因を説明して、加害者の男から逃げるのをやめるように言いました。彼はもうこの世にはおらず、何の危害も及ぼすことはできないのだから、怖がる必要はないいことを伝え、彼のイメージが頭に浮かんだら、今まで言えなかった言いたいことをなんでも、思い切って、面と向かって言ってやるよう、提案してみました。

そうして数回のセッションを重ねた後、彼女は夢を見ました。

夢の中で、彼女は加害者の叔父に追いかけられ、必死で逃げていました。叔父が追いついて、足をつかもうとしたその時、彼女は夢の中で、ピストルを手にして、彼を撃ち殺したのだそうです。

「あいつをこの手でやっつけた!」

と私に報告する彼女の顔は、自信にあふれて輝いていました。

以来、不思議なことに、彼女はフラッシュバックにも悪夢にも悩まされなくなり、PTSDの症状はぱったりと消えてなくなりました。うつもすっかり回復して、自殺願望は全くなくなり、子供たちを守り育てる、とても強い女性になりました。

もちろん、ケース・バイ・ケースで、すべてのケースがこのように劇的に変化するとは限りません。

それでも、彼女の例は、逃げるのをやめて対峙すれば、恐怖を克服することが可能であるということ、そして、どんなに壮絶な過去を経験したとしても、それを乗り越える強さを人は持っているということ、この2つを、私たちに確かに教えてくれていると思います。

 

 

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欲求や不安に執着しない

自分の欲求や不安に

すべてのエネルギーを投入し執着しても

ただストレスと消耗を生み出すだけだ

我執を緩めれば

内なる智慧の扉を開くことができる

(「心の治癒力-チベット仏教の叡智」トゥルクンドゥップ著 永沢哲訳 地湧社)

 

これは、チベット仏教のお坊さんの言葉ですが、とても大事な真実を含んでいると思います。個人的には、この言葉を心で感じると、気持ちが楽で自由に、かつ、穏やかになります。

何か一つのことに執着し続けるのは、それが例えポジティブなことであっても、心にとっては健全ではありません。

すべてのものは変化し続けるのが自然の姿であり、その流れに逆らって、1つのことに固執続けると、感情エネルギーも滞り、色々なことがうまくいかなくなってしまいます。

例えば、何かを成し遂げた喜びであっても、いつまでもこだわりつづけたら、過去の栄光にしがみつく人になってしまい、周囲から置き去りにされてしまいます。

また、不安なあまり、一つのことが気になって、それしか考えられなくなる状態も、一種の執着です。こうなると、視野が狭くなり、自分をよい方向に導いてくれる智恵がでてきにくくなります。

比ゆ的に言うならば、不安という黒い雲が心を覆い隠し、遮ってしまうので、外から入ってくる光が届かなくなっている状態。つまり、感とかインスピレーションが入ってきにくく、健全な判断力も鈍ってしまっている状態です。

そして、誰もが感じるように、不安や怒りの対象に執着すると、とてもエネルギーを消耗させられます。

体のエネルギーと心のエネルギーにバランスも乱れるので、体は疲れているのに、目がさえて眠れなくなったりもします。

肝心なのは、そういった状態を作り出して、自分自身を苦しめているのは、他でもない自分自身だということ。

自分からしがみつくことをやめて、手放せば、楽になれる。

わかっていても、実際には言うは易し、行うは難し、ですよね。お坊さんが修業の内容にするくらいのことだから、誰でもそれを実行するのが難しいと思う場合はあるのだと思います。

だけど、欲求や不安から、しばらくの間だけでも心を離すことができれば、そこに必要な空間(スペース)が入って、心が穏やかな時にのみアクセスできる自分の内側にある叡智の声が 、聞こえてくるものだと思います。

 

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ネコの里親募集 in 岩手

知人が、ネコの里親を募集しています。 

岩手沿岸部の保健所で、危うく処分されるところを保護された、母親ネコとその子供たちです。ずっと里親を募集していますが、もうかれこれ1年たってしまいました。 

母ネコ・りんちゃん、娘ネコ・タビーちゃんとハートちゃんです。 

家族として迎えてくださる、心優しい方を探しています。 

お問い合わせはチラシ内の連絡先まで。 

知人のブログのリンクも貼っておきます。→

 

楽に生きる方法

楽に生きるためには、闘うことをやめればいいのだと思います。

今の世の中、無駄に何かと闘っている人が、とても多いと思います。

時間とか、ノルマとか、成績や業績を上げようと必死になる、自分をよく見せようと奮闘する、少なくとも今はまだ変えられない状況を、なんとか変えようともがく、等。

今の「文明社会」では、競争を奨励し、人を打ち負かして自分が抜きんでることを良しとしています。社会全体のシステムや風潮がそうなっており、その概念は子供のころから植えつけられます。

このやり方で、確かに物質的には豊かな社会が、ある程度は実現するかもしれません。けれどもその反面、常になにかと闘うよう追い立てられているので、ストレスは甚大で、気持ちにゆとりがなくなり、殺伐とした世の中になるのは、見ての通りでしょう。

また、人と比較して優劣を決める思考が定着するので、人と人とのつながりが希薄になって分離してしまうことになります。人の心が互いに分離すると、方向性がバラバラになるため、例えば社会全体に益するような取決めを決議しようとしても、なかなかまとまらず、進化しにくい世界になってしまいます。

勝ち負けの裏には、負けて悔しいとかみじめな思いをしている人が必ずいます。

やはり、誰かの否定的な思いとか不幸の上に成り立つ成功というのは長続きせず、究極的には本当の幸せをもたらしてはくれないのだと思います。

その闘いは本当に自分にとって意味があるか。自分を益しているか。本当にその闘いをしたいか。

これを心に聞いてみて、答えがノーだったら、肩の力を抜いて、思い切って闘うことをやめ、ありのままの自然な自分に戻ってみる。

これができれば、気持ちが自由になり、もっと楽に生きられるようになると思います。

 

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