盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幸せの作り方

エネルギーを強めるものと弱めるもの

私たちのエネルギーは、私たちが摂取する食べ物や飲み物、接する人や身を置く場所、私たちが抱く思考や感情によって、増えたり減ったりします。私たちのエネルギー、すなわち「氣」が損なわれずに十分あれば、人は「元気」でいられます。今回は、私たちの氣を増やして強化するもの、減らして弱体化するものについて、お話したいと思います。

まず、食べ物や飲み物でいうと、添加物がたくさん入った加工食品はエネルギーを低下させます。肉や脂っこいものも、消化に多くのエネルギーを要するので、体に負担がかかります。江戸時代の飛脚は、当時の日本に肉を食べる習慣がなかったため、豆製品からたんぱく質を摂っていました。ある時、飛脚に肉を食べてから走らせたら、体が重くて走れなかった、という話を聞いたことがあります。

カフェインを含む飲みものも、大量に摂取すると、不安になりやすくなったり、イライラしやすなったりして、精神の不安定さを引き起こします。アメリカでカウンセリングをしていたころ、不安が強く、小さなことが気になるクライアントさんがいて、聞けば毎日2リットルのコーラを飲んでいるというので、カフェインが少ない飲み物に置き換えるようにいったところ、それだけで不安感が減少しました。また、統合失調症で幻覚に煩わされているクライアントさんも、コーラの大量摂取を減らしただけで、幻覚の症状が落ち着いたことがありました。

電子レンジで調理したものも、食べ物のエネルギーを損なうと思います。同じ料理でも、火で調理したものと、レンチンしたものでは、数字の上での栄養素が同じであっても、エネルギーの質が変わってくるように感じます。冷凍食品や缶詰、冷蔵庫に長く入っていて古くなったものも、新鮮な食べ物に比べて、生命エネルギーが激減します。

エネルギーを増やすものは、新鮮な野菜や果物、豆類、全粒穀物など。とれたてで新鮮なものほど、生命エネルギーが豊富で、私たちを元気にします。個人的には、海の近くの町で、とれたての魚を使った海鮮丼を食べたときなど、ぱっと目の前が明るくなるように意識が澄み渡り、身体が元気になります。スーパーでパック詰めされたお刺身にはそこまでの効果は感じられません。メキシコに住んでいた時は、新鮮な果物をその場でジュースに絞ってくれる屋台があって、それを飲むととてもおいしく、エネルギーが高まりました。当時のメキシコは、まだ加工食品があまりなくて、あっても高価で手に入りづらかったので、新鮮な材料を使って、ちゃんと手間ひまかけて調理して食べることが多く、そのせいもあって、貧しい人が多くても、割合、心身ともに丈夫で健康な人が多かったように思います。

ただし、今までの食生活をいきなり大きく変えることは、ストレスを生み、かえって心身の負担になりますので、お勧めはしません。変えたいと思うなら、少しずつ変えること、また、悪いものをやめることより、まず、いいものを増やしていくことされる方がいいと思います。体にいいものを取り入れていくと、自然に悪いものを食べたくなくなるという変化が起きやすいからです。

日々、接する人によっても、私たちは力を得たり奪われたりします。エネルギーを吸い取るタイプの人は、例えば、依存的な人、支配的でコントロールしてくる人、自分ばかり話して、相手の話を聞かない自己中心的な人、承認欲求が強い人、ネガティブ思考で、不平不満や悪口が多い人などです。一緒に過ごした後、疲れたと感じるなら、エネルギーを奪われているということなので、やむを得ない場合を除いて、一緒にいないほうがいいでしょう。どうしても関わねばならない場合は、心の中で一線を引くことが大切です。

逆に、その人と話したら、楽しい、癒される、勇気づけられる、と感じる場合は、その人の高いエネルギーをもらって、元気になっているということです。人は、目には見えなくても、お互いにエネルギー交換をしているのです。もし、元気をもらっているなと感じたら、こちらもお返しをしたいですね。一方的にもらう依存的な関係だと、いい人が離れていき、長続きしにくいものです。ギブアンドテイクのバランスが取れている方が、安定し、関りは永続します。

人と同様、私たちは、場所ともエネルギー交換を行っています。だから、癒されたり、元気になるような場所に時々行って、エネルギーを補充することは、大事ですよね。海や山など、自然が豊かな場所へいくと、誰でも気分がよくなると思います。水辺や植物が多いところは、いい「氣」があふれていて、浄化力があるので、人は皆、それを無意識に感じるのでしょう。海や山が近くになくても、緑の多い公園に行ったり、庭がある人は庭いじりをしたり、ない人でも観葉植物を置いたりすることが、幾分、代わりになります。神社やお寺は、清浄な氣があふれ、浄化力が強い場所なので、そういう場所に興味があり、敬虔な気持ちで訪れることができるなら、時々行かれるといいと思います(訪れる人の純粋な信仰心は、その場所を清めて、神様や仏様を喜ばせ、神様のパワーをアップさせます。これも一種のエネルギー交換ですね。)

私たちの思考や感情も、私たちのエネルギーを高めたり、低下させたりします。もののとらえ方が厳格だったり、偏狭で、歪んでいたりすると、ネガティブ思考をいだきやすくなり、必要以上にネガティブな感情(本来、感情にポジティブもネガティブもないと思いますが、今は便宜上、この言葉を使います)を感じやすくなります。怒り、自責(自分に対する怒りですね)、恥、無力感、哀しみ、絶望などの感情は、心を重く、硬く、暗くさせます。体も重く、硬くなり、免疫も下がります。とらえ方が柔軟で、視野が広いと、おのずとポジティブ思考になり、同じ出来事を経験しても、ダメージを受けにくくなります。喜び、愛しさ、勇気、達成感など、自分自身のエネルギーを高める感情をいだくことも多くなります。

いかがでしたか。今回は、自分のエネルギーを強めるものと弱めるものについて、書いてみました。自分の元氣(もともと持っている、いい氣)を、増やすも減らすも自分次第です。できることを意識して、強くて健康な心や体を手に入れたいものですね。

過去と未来が同時によくなる方法

過去と未来を同時によくする方法があります。

それは、自分の現在をよくすることです。

現在の自分を、幸せで、満ち足りた気分にしてあげれば、過去も未来も、自然に、悲観的な目でみることができなくなります。

心が満ち足りた状態で未来を見たら、前途が明るく見え、不安な未来は描きにくくなりますよね。

また、過去にたくさん苦しい体験をしたとしても、今が幸せなら、過去の苦しみと同調しなくなり、「あの体験があったから、今の自分がある」等、前向きな視点を持つことが容易になります。

今の自分がよく変われば、過去と未来を見る目がよく変わる。見る目が変わる=過去と未来が変わるということ。

結局、過去も未来も、私たちの頭の中でしか存在しない概念であり、実際に私たちが体験するのは、いつでも、「今、ここ」。現在の連続体があるだけです。現在を支点として、過去、未来を眺めている状態なので、支点である現在の意識状態を変えれば、過去も未来も、いっぺんに変わるというわけです。

そもそも、出来事自体はニュートラルで、それを体験する人が、それぞれの視点によって、いい、悪いを決定しています。例えば、「過去にとても嫌な思いをした」、「未来に嫌な用事がある」、どちらも、今の自分の心境がよりよくなり、視点が高くなれば、より肯定的にとらえられるようになります。

だから、今、ここが大切なんですね。過去に何があろうが、未来に何が待っていようが、現在の心の状態を上げてあげることが肝心。そうすれば、過去も未来も、今までとは違って、よりよく認識することができるということです。

マザーテレサの言葉 :思考が現実を作る

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

パターン化された思考が、いかに自分を取り巻く現実を作っていくかを、よく示している言葉です。

思考って、自分の目の前に起きる出来事=体験を、どう捉えるか、で生まれるものだと思います。

捉え方の癖って人によってあるんですよね。いいようにとらえれば、ポジティブな思考になりやすいし、悪くとらえてばかりいると、ネガティブ思考の人になります。

自分の捉え方の癖に気づくことが、まず第一歩。気づいたら、変えることはできますから。

ちなみに、性格は、思考や行動が集積して作られていくものです。だから、思考や行動を変えて行けば、性格も変わっていきます。

習慣とというのは、反復された行動に他なりません。今までとは違う、新しい行動を意識的にとるようにしたり、自他ともに傷つけるような言葉をやめて、よりよい言葉を使うように心がけたりし、それを繰り返せば、運命も変わっていくということですね。

自分が放ったものが自分を取り巻く現実を形作るというのは、量子物理学で証明される事実です。それが思考であれ、言葉であれ、行動であれ、自分が瞬間瞬間に放つものは、自分が住み、体験する世界を形成する材料になってしまうんですよね。

だからといって、無理にポジティブ思考にしようとするのは、逆効果。こう考えなきゃいけない、と思うと、言葉づらがポジティブだったとしても、苦しみの念が放たれてしまいます。言葉よりは、言葉に伴う念の方が真実であり、物事を左右する力を持つものです。

~すべき、~してはいけない、というべき思考は、苦しみの現実を作る元なのです。「こうなったらいいな」、「こうなったら幸せだな」という思いを放つようにした方がいいと思います。

「自分には価値がない」を解決する方法

「自分には価値がない」という思いが強い人は、無意識のうちに、その信念をもとにして言動を起こすので、うまくいかないことが多くなります。

例えば、価値を上げるために躍起になり、過剰に努力して、心身を疲弊させてしまいがちです。こういう人は、なんでもやりすぎてしまうので、空回りしやすく、頑張っているのにうまくいかない現実を作り出します。承認欲求をもとに人と関わったり、仕事や勉強を頑張ったりするので、人間関係では無意識にマウントを取ろうとして嫌がられるか、あるいは人に気に入られようとして、なんとなく煙たがられたりします。頑張りすぎや気疲れで、病気や鬱になったりする傾向があり、たとえ業績を上げたとしても、それで気分が上がるのは一時的。慢性的に満たされない、ということが起こります。

または、「自分なんか、いいことに値しない」という自己卑下が根底にあるので、周囲から差し出された好意を受け取らなかったり、いい機会があっても手を伸ばさなかったりするかもしれません。その結果、人が嫌になり離れて行って(だって、せっかく差し出したプレゼントをいらないと返されたら、あげたほうも悲しくなりますよね)孤独になったりします。いい機会を受け取らず、自分にはこの程度がふさわしいと、低いものを自分にあてがって、不本意な状況を自分で作り出し続けながら、「やっぱり、こうなる。どうせ自分なんか」と、自己卑下を強めるパターンを繰り返す人もいます。

そもそも、自分に価値があることを疑っていない、健全な自尊心を持つ人は、自分に価値があるとかないとか、考えません。自分の価値を意識すること自体がないのです。例えば、目や鼻や口があるのが当たり前だと思っていたら、自分に目や鼻や口があるとかないとか、取り立てて意識しないですよね。

人が、自分に価値があるかないか、どんなに考えたとしても、そこには思考の偏りが入り込みます。なので、真に正当な評価を下すことは不可能なのです。

同じ人でも、気分がいいときは自分に価値がある気がするでしょうし、誰かに嫌なことを言われて落ち込んでいるときには、価値がない気がするでしょう。テストでいい点を取って褒められたときは価値がある気がするけれども、悪い点を取ったら価値が下がった気がする。

また、自分で価値がないと思っても、他人は、「この人すごいな、この人みたいになりたい」、と思っているかもしれないし、逆に、自分は価値があるすごい人間だと思っていても、他の人にはそう思われていないということもありますよね。

人に価値を下そうと思ったら、人によって、気分によって、状況によって、違う価値判断になってしまう。ということは、その価値判断は、絶対的ではないということ。誰かに対して、絶対的に正しい価値判断なんて、下しようがないということなのです。

それなのに、自分に価値があるとかないとか、悶々と考えるだけ、無駄だと思いませんか。

それでは、どうやったら、「自分に価値がない」という思いを消すことができるのでしょうか。ポイントは、「ノンジャッジメント」です。

ノンジャッジメントとは、いい・悪い、正しい・間違っているで価値判断を下すのをやめることをいいます。

人は、多くの場合、無意識に、思考の中で、自分や他者に対し「いい、悪い」「正しい、間違っている」というジャッジ(裁き)を下しています。ジャッジすると、人の心は波立ち、平和はかき乱されます。自分に対しても、人に対しても、ジャッジするのをやめれば、思考は鎮まり、心は中立で穏やかな状態になるのです。

「自分に価値があるとかないとか、どうでもいい。だって、考えたって、どうせ正しい答えは得られないんだから、考えるだけ無駄。自分が存在していることに、いいも悪いもない、自分はただ存在している、それだけ。生きているから生きている。」そういう風に思うと、価値がないと悩んでいる人は、葛藤が鎮まり、心が平和になるはずです。

自分の価値をあげようと躍起になって何かしたり、自分のいいところを探そうとするより、そのほうが効果的だと思います。

人と会って疲れるなら

人と会うと疲れるという人は、どこかで余計に力を使ってしまっているのだと思います。自分のエネルギーを過剰に消耗してしまう心の癖に気づいて、修正することができれば、人と会っても疲れなくなるはずです。

例えば、人に嫌われたくない、よく見られたいという思いが強いと、気を張ってしまい、ありのままの自分よりも背伸びしようとする分、疲れてしまいます。普通に1km歩くより、つま先立ちで1km歩いた方が消耗するのと同じです。人にどう思われるかをあまり意識しない人と比べたら、一日が終わった時点で、疲れ具合が全然違うということになります。

また、人は自分を傷つけるもの、攻撃してくるもの、自分をだまし、自分から奪うもの等の信じこみがあると、そうされないように周りに防御壁を作り出してしまい、やっぱりとても疲れます。壁を作ると、一見、人と距離が取れて安全に思えるかもしれませんが、同時に、人と関わることで得られる優しさや温かさ、楽しさ、喜びなどの愛の要素も入って来られなくなります。愛は最大のエネルギー源であり、心の傷を癒してくれる薬でもあるので、結局、心の傷は満たされず、孤独とみじめさ、不幸せ感を覚える結果に至ります。

それに、壁を作り続けることは、無意識にやっているにしても、不自然な力を使うことになり、疲れるのです。「敵に囲まれて暮らしている」のが、そうでない生活と比べて疲れるのは、明白ですよね。本当は、多くの場合、自分の頭がそう思いこんでいるだけで、敵なんていないのです。自分が敵とみなしている人たちが、良くも悪くもそこまで自分に関心を抱いていないとしたら(他の人は私たちが思うほど、私たちのことを気にしていませんからね)、気を張って生きているのは、骨折り損のくたびれ儲けです。Tシャツを着た人が普通に歩いている通りで、一人、重い鎧に身を固めて、刀に手をかけ、戦々恐々として暮らしていないかどうか、もしそうなら、そんな無駄に疲れることを続けたいかどうか、自分の心に聞いてみてましょう。

同様に、周囲の人を心の中で批判しがちな人も、やっぱり疲れます。悪口や否定的な念は、心身を重く硬くし、流れを停滞させる力をもっています。体が重いと、同じことをするにも多くの気力を使い、疲れますよね。無意識に周囲の人を否定的にとらえる癖がある場合は、ネガティブな思考の解釈やおしゃべりに気づいて、それをなくしていくだけで、楽になっていくはずです。その際、悪口を止めようとするのでなく、(無理にせき止めてもあとからあとからやってこようとするだけなので)悪口を言いたくなる自分の心の苦しみに気づいてあげ、「何が辛いの?」と優しく聞いてあげたほうが効果的でしょう。幸せな人は人の悪口をいいたくならないし、いいたくなるとうことは、自分の中に何らかの不幸せや満たされていない思いがあるはずです。それに気づいて優しく包み込むイメージをするだけで、心が楽になって、自然に人を悪く思う気持ちが消えていく可能性があります。

それから、エネルギーを吸い取る人とばかり関わってしまうパターンが自分の中に形成されてしまっている人もいます。例えば、威圧的に支配しようとしてくる人や、承認欲求が強く、マウントを取ろうとしてくる人、愚痴や不平不満ばかり言ってくる人、人の話を聞かず自分の話ばかりしてくる人、夜中でも構わず電話をかけてきて相談してくる人などは、自分自身でエネルギーを生み出すことができない(と信じている)ために、人からエネルギーを補給して自分を満たそうとします。そういう人とばかりご縁ができてしまうというなら、自分の中にそういう人をひきつけ、関わってしまう何かが必ずあります。恐らく、自己価値観の低さから、粗末に扱う心の癖があると、エネルギー吸血鬼さんタイプの人と絡んでしまいやすくなりますね。なぜなら、エネルギー吸血鬼さんタイプの人も、同じように自己否定や自己不信が根底にあるので、類は友を呼んでしまうんですね。

一番疲れないのは、不必要に人目を気にせず、自然体であることです。同じ人に気を遣うにしても、「自分がよく思われるために」というエゴが動機になっていると疲れます。逆に、自分を意識せず、人が心地よくあるようにという無私の思いやりがモチベーションになっている場合は疲れません。ただし、自分も大事にし、自分が苦しんでいるのに、人のために尽くすという自己犠牲がない場合は、です。(自己犠牲は自他のバランスが崩れている状態なので、持続しません。疲れてしまって、行き詰まる結果になります。)

欠点があっても、失敗しても自分を許し、何があってもなくても自分を慈しみ、自分を信じることができるくらい、自分をおおらかに扱うことができたら、人目を気にすることはなく、自然体でいることが容易になります。人と接していても疲れなくなり、疲れる人との関わりもなくなっていきますよ。

空間と同調して穏やかな心を取り戻す

生きていると、日々、色々なことがあります。毎日、起こる出来事、入ってくる情報、出会う人との関わりなどに反応して、私たちの思考は忙しく働き、様々な感情が沸き起こって、心が右往左往してしまいがちですよね。

そういう時、その場に居ながらにして、日常の雑事を離れ、穏やかでニュートラルな心を取り戻す方法があります。やり方は簡単で、要するに、意識を向けるところを変えるだけなのですが、その方法をお伝えする前に、予備知識として知っておいていただきたいことがあります。なぜ、このやり方で心が落ち着くか、そのしくみを知っておくと役に立つと思うので、量子力学のお話なのでちょっと難しいかもしれませんが、しばらくおつきあいください。

私たちの周りには固体、液体、気体で色々なものがありますよね。家、木、人、動物、川、雨、煙など、目に見えるものもあれば、空気、電波、音など、目に見えないものもあります。私たちの思考や感情も目に見えないけれど、それがあることを疑う人はいないでしょう。

これらの有形無形の全てもものの、すべての源になっているものが、素粒子です。私たちの体も、思考も、感情も、全部素粒子でできています。

この素粒子は、地球上のどこにでもあり、地球だけではなく、宇宙のあらゆる場所に満ちています。すでにあるものだけなく、まだ形をとっていない、これから何かになる可能性を秘めている素粒子が、目にはみえなくても、あらゆる場所に漂っています。

この、すべての創造のもとになっている素粒子が満ちている場を、空間をいいます。あらゆるものがここから生まれ、ここに還っていく、すべてのエネルギーの源が、ここに在ります。(本当は、量子力学の観点から言うと、空間というものも存在しないのですが、時間も空間も存在しない量子の世界は、私たちの慣れ親しんだ認識から飛躍しすぎていて混乱するので、ここでは空間としておきます。)

例えば、建物は空間を壁や屋根で仕切ったものですよね。建物が建つ前にも空間は存在していますし、建物がなくなった後にも、空間は存在しています。始まりも終わりもなく、常に、今、ここにあります。

この空間に意識を合わせることが、心を穏やかにするコツなのです。ここに同調すると、私たちは、源のエネルギーにアクセスし、狭い領域の「我」から抜け出て、本来あるべき状態にシフトします。

日々の出来事で揺れ動く、大波小波に揺られる木の葉のような状態は、私たちの本来の姿ではありません。心の奥深く、潜在意識の奥底にある、私たちの本質は、深い海の底のように、静かで穏やかです。

それでは、ここで、具体的に、空間に意識を合わせる方法をお伝えしましょう。

基本的にはどこにいてもできるのですが、慣れないうちは、静かな場所で、目を閉じて行う方が、効果を実感しやすいと思います。まず、自分がいる周りの空間を意識します。難しく考えすぎなくても大丈夫。部屋の中にいたら、部屋の中に壁に仕切られた空間があるな、ぐらいに思ったらいいと思います。

それができたら、だんだんと、感じ取る空間を広げていきます。壁で仕切られていても、壁を取った向こうには空間が広がっていると考えてください。部屋の大きさから、数十メートル四方、数百メートル四方へと、意識する範囲を広げてみていってください。気持ちが落ち着く効果が現れたら、そこでやめてもいいし、もっと意識を広げて、町全体、国、地球上のあらゆる場所に空間が広がっているとイメージしてみてもよいでしょう。

もし、屋外でするなら、天気のいい日に、空を見ながら、同じように空間に意識を合わせて、感じることをしてみたらいいと思います。

これだけで、自分を創っているもとにして、すべての根源であるエネルギーと同調し、気持ちが静かでフラットな状態になりやすいはずです。

最後に、ちょっと余談ですが、思考の現実化がどういうものか、量子力学的な説明をしてみたいと思います。

有形無形すべてのものを作っている素粒子は、先にお伝えした通り、あらゆるものになる可能性を秘めて空間に漂っているのですが、意図をもって眺めると、その通りに配列するという性質を持っています。可能性にすぎないときは波の形なのですが、誰かが「こうなる」「こうにちがいない」と思ってみると、波から粒になって、その思考の通りに現れる、というもの。

だから、世の中は悪い人ばかりだと思うと、悪い人ばかりが目の前に現れるし、自分は運がいいと思うと、そういう現実が形を取って目の前に現れます。恐れを抱いて観察すると、恐れているものが形をとってしまうし、愛を持って眺めると、愛が形をとって自分の現実に現れます。恐れていることより、願っていることを常日頃からイメージすることが、いかに大切か、ということです。

また、量子力学にいうと、思考も感情も素粒子でできたエネルギーで、似た波長をもつものと引き合ってくっつき、強化されるという性質があります。例えば、いつもネガティブな思考や感情を発していると、その思考や感情の素粒子は、ポジティブな思考や感情のエネルギーを発している人はスルーして、同じようにネガティブ・エネルギーを発している人の素粒子とくっつきます。なので、ネガティブな人は、自分と同じようにネガティブな人と関わりができてしまいやすいというわけですね。どこへいってもネガティブな人とばかり出会うという人は、環境を変えるより、自分の思考や感情を変えたほうがいいというわけです。

量子力学の話は、今までの人間の常識とはかけ離れているので、理解するのが難しいのですが、奥が深くて面白いと思います。でも、もし、背景にある仕組みが難しかったら、そこは飛ばしても構いません。空間を意識するというコツだけ実践すればいいと思います。よかったら試してみてくださいね。

過去と未来をよりよくする方法

すでに起こってしまった過去のできごとをよりよく変え、まだ起こっていない未来をよりよく作る秘訣があります。

それは、現在をよりよく変えることです。

過去に起こったこと自体は、時間をさかのぼって戻って変えることはできませんが、過去に対するとらえ方を変えることは可能です。結局、過去に起こったことが、よいか悪いかは、今、自分がその出来事を、いいととらえているか悪いととらえているかによるものです。どう見るかが100%なんですよね。つまり、悪いことだったとみなすのをやめれば、悪い過去ではなくなるということです。そして、それができるのは、いつでも今、現在なのです。

できごと自体はいつもニュートラル。それをどうとらえるかが、その人を取り巻く現実を作るものです。

では、どうやって過去の捉え方を、「悪い」から「いい」に変えたらいいでしょうか。

一つのやり方としては、「そこから何を学んだか」「この体験にどんな意味があるのだろう」と自問することです。どんなにいやな体験でも、探せば、自分の人生をよりよくするための学びが見つかるものです。学びにフォーカスすれば、それが苦しかったとしても、ただの苦しみではなく、建設的な苦しみとなり、いやな体験が、これからの人生で、きれいな花を咲かせるための肥やしになります。また、どんな辛いことでも、そこに意味があれば耐えやすくなるというのは、ナチスドイツ下で3年間強制収容所にとらわれていた、ユダヤ人精神科医の、ヴィクトール・フランクルが身をもって証明したところです。

過去を悪いものととらえるもう一つのコツは、すでに起こったことに、抗うのをやめること。こうあってはならなかった、どうして自分だけこんな目に、という思いは、すでにそうあるものと勝ち目のない争いをしていることになり、葛藤と苦しみ、無益な消耗を生み出すばかりです。その体験に対するネガティブな思いはさらに強化されて、自分の中にこびりつくでしょう。抵抗をやめ、力を抜いて、ありのまま受け入れると、過去の辛かった感情や思いは、もっと早く通り過ぎて行きます。

さらにつけ加えるなら、もし現在、幸せなら、辛い過去を思い出すことも少なくなるはずです。なので、今、この瞬間を心地よく、幸せを感じるようにしていくといいと思います。

今、この瞬間、幸せを感じるというのは、余計な思考に邪魔されなければ、本当は誰にでもできることです。

例え、1000万円の借金があったとしても、今どうしようもないなら、その問題にふけって格闘するのをやめて、目の前にある美しい夕日をうっとり見ることを自分に許可します。そうすれば、その瞬間は、その人は、1000万円あるなしに関わらず、幸福感を味えます。

幸せというのは、いつでも今しか感じられません。3分後に幸せになることはできません。(多くの人が気づかないうちにやっていることですが)今、過去のもう起こってしまったことや、まだ起こってもいない未来を案じて、今を台無しにすることをやめれば、もっと今、幸せを感じることができるのです。

今に最善を尽くし、今を充実させていけば、過去をネガティブにみることも自然に減っていくでしょうが、同じことが、未来をよりよくする秘訣にもなります。

結局、人がなにかを体験できるのは今、現在という時制でしかなく、よって、何かを動かしたり、変化を加えたりすることも、今しかできません。現在に集中して、最善をを尽くせば、未来は必ず、そうしなかったときより、よくなります。

例えば、今、おいしい食事が目の前にあるのに、1000万円の借金のことを考えてて食べていたら、おいしさを感じないまま、気づいたらお皿が空になっているでしょう。せっかく、一流の料理人が心を込めて、いい材料を集めて作った料理であっても無駄になり、自分の身になって、自分の人生に、たとえ少しかもしれないけれども、よい変化を及ぼすという機会を逃してしまいます。

この時、もし、今日のところはどう逆立ちしても返せない借金のことは横に置いておいて、目の前のごちそうに集中したら、もっと目でごちそうのいろどりを楽しみ、おいしく味わえるでしょう。そうしたら、その間は心地よいひと時となり、リラックスさせたり、幸福感を感じさせたりする脳内神経物質がたくさん出て、心や体が、一時でも元気になるでしょう。集中力が増すから、仕事がはかどり、おいしいものを食べて機嫌もよりよくなるでしょうから、人ともにこやかに接することができ、必要な情報が入ってきて、借金を返すためのよい方法にもつながるかもしれません。夜も、ずっと思い悩んでいるよりは、ぐっすり眠れるようになるでしょう。

こうして、今、ここに集中してフルに体験し、最善を尽くす選択をすることで、少し先の未来がよくなるということ。これを続ければ、ドミノ倒し的に未来がよくなっていきます。もちろん、借金を返すため、問題解決のために、今、現在、できることがあれば、他に気を取られたりせず、それに集中して最善を尽くすことが、よりよい未来を作る選択になります。

過去も未来も、実は実態はなく、人の頭の中にある架空の概念にすぎません。実態があるのは今、現在だけなんですよね。人間の集合意識には、過去、現在、未来という時系列の認識が埋め込まれているから、この辺は、なかなか理解するのが難しいところではありますよね。

今回は、今をよいもので満たしていくことが、過去と未来をよりよく変えるカギになるというお話でした。

今年も1年ありがとうございました

今年も1年、あっという間でした。

たまにしか更新できないブログですが、来年も自分のペースで続けていきたいと思います。

今年最後に、一つ、幸せに生きる秘訣を書こうと思います。

私たちの身に起こるできごと自体は、ニュートラルで、いい・悪いはないです。

体験するできごとをどうとらえるかが、私たちの現実を形作っていくということ。

もっと具体的にいうと、私たちの体や心の在り方も形作っていきます。

例えば、人は悪いものだ、誰も信じられないと思っている人は、誰かの不機嫌や間違い、失礼なふるまいを被害妄想的に悪く解釈しがちになります。結果として、疑いや怒り、虚しさを感じやすくなり、身体はいつもこわばり、内臓もストレスを受けるので、身体の不調が出やすくなります。暗かったり、不機嫌そうだったりの表情が染みつくので、人は遠ざかっていき、孤独になります。近づいてくるのは、自分と同じように満たされていない人だけで、そういう人に肩をぶつけられて「おら、どこに目つけとるんじゃ」といわれるのが関の山。人は悪いものだという信念がますます強まり、負のループが起こるでしょう。

一方で、人の本質は優しくて、美しいものだと信じている人は、誰かの不機嫌や間違い、失礼な振舞いも、「たまたまだったのかな」「きっと何か辛いことがあったんだろうな」「人間だから色々あるよね」等、寛大に解釈し、すぐに許して忘れるでしょう。嫌なことが頭や心に残らず、クリアな状態を保ちやすいので、身体もストレスを受けにくくなります。顔つきも柔和になるので、よい人が集まってきやすくなります。何かあっても、助けてくれる人が現れ、運もよくなっていきます。

そうはいっても、生きていたら、誰でもしんどいことに時々遭遇しますし、しんどいことは誰でも嫌ですよね。

そういうときは、運命や境遇、周りの人を恨んだり、自分を責めたりするのではなくて、これが自分にとってなんの学びになるのか、このことで自分がどう成長できるかを考えたらいいと思います。

英語に、「レモンをレモネードにする」ということわざがあります。レモンはすっぱくておいしくないけど、レモネードにすればおいしくなる。辛い経験から、有益なもの生み出すという意味です。転んでもただでは起きないということ。

私が中学の頃、親友と、なにかしんどいことがあるたびに、「試練や~」と言って笑い飛ばしていました。何かしんどいことは、自分を鍛える修行だと、大人になっても、よく思っていました。重い石を持って坂道を上がれと言われたら、しんどくてただ嫌なだけだけど、それが足腰や体幹を鍛えて、筋力をアップするためになるなら、自分のためになるから、気分的にもっと前向きになりやすいですよね。

余談ですが、私と前述の親友は、二人とも関西なので、どんな話にもオチをつけないと気が済まず、人が多い東京の駅のホームで、親友が職場でパワハラにあった、聞くも涙話すも涙(?)の苦労話をしていたときには、そばにいた人が吹き出して、笑いの連鎖がおこったことがありました。「ごめんなさいね、どうしても我慢できなくて。ほんとに大変ねえ」という言葉と裏腹に、吹き出した人は爆笑していました。東京の人には関西人の辛い話は漫才に聞こえるようです。嫌なことを面白可笑しく話して、辛いことの中にユーモアを見つけるというのは、嫌なことの邪気を抜いて、軽くする作用がありますね。

さて、ハミングバードは来年6日からの営業となります。

ご予約等のメールのお返事は、6日以降となりますので、ご了承くださいませ。

みなさま、どうぞ、よい年末年始をお過ごしください。

仕事で心掛けていること

カウンセリングのお仕事をする際に、ささやかながら、できるだけ心がけていることが2つあります。

1つ目は、カウンセリングに入る前に、気持ちを落ち着かせて、自分をニュートラルにすること。

例えば、カウンセリングの直前まで、スマホやテレビや、関係ない本を見てほかの情報を入れるということはしないようにしています。外部からの影響は、自分の中に不協和音というか、けがれというか、そういうものを作り出してしまう可能性があるからです。もちろん、個人的な出来事で心を乱したり、というのも、ないようにしておきます。何か突発的な出来事が起こるのは防げませんが、それで心を乱すかどうかは自分次第です。例え、感情的になるようなことがあったとしても、いったん横に置き、切り替えて、自分の中を静かで曇りない状態に整えるスキルは、この仕事をするためには、とても必要だと思います。

2つ目は、カウンセリングに入る前、「このクライアントさんのためにお役にたてますように」と、祈ることです。

神社とか教会で祈りをささげるようなたいそうな祈りではありません。場合によっては、相談が立て込んでいて、ほとんど合間に時間がないこともあり、そういう場合は、クライアントさんをお部屋に誘導しながら、ちらっと思うだけ、ということもよくあります。でも、クライアントさんがよりハッピーになるための媒体に、自分がなれますように、という意図を持つことは、この仕事では、とても大切です。意図すれば、その方向にエネルギーが動きますから。

というか、どんな仕事でも、自分が働くことで、人や社会がより幸せになるように、という奉仕の気持ちを持つことは、仕事がうまくいくための重要な秘訣だと思います。そういう意図をもって仕事をしていれば、不思議なことに(本当は量子力学の仕組みをしれば、不思議じゃないんですけど)食べ物やさんだったら、食べ物がおいしくなるし、大工さんだったら、丈夫で住み心地のいい家ができるし、学校の先生だったら、生徒が勉強を好きになって、成績が上がる、ということが、本当に起こります(そういう仕事の担い手を、私はたくさん目撃してきました)。

「はたらく=傍を楽にする」という言葉を聞いたことがありますが、それは真理だと思います。

自分軸を発動させる言葉

以上は、ディーバック・チョプラ博士の「ゆだねるということ(下)」(住友進訳 サンマーク文庫)から抜粋したスートラ(「第三のスートラ」)です。

スートラとは、意味を持つマントラのことで、このスートラは何千年もの間、サンスクリット語で受け継がれてきたものだそうです。

この第三のスートラは、自分軸を強くするのに非常に効果的だと思い、ご紹介しました。

多くの人は他人軸です。他人軸になると、おのずとネガティブ思考になりやすくなります。自分の幸不幸は人次第、環境次第になるので、不安定になりやすく、疲弊しやすくなります。他人軸の人は、人にどう思われるかを気にし、「人に嫌われないよう、認められるように」を指針にします。また、他人軸は被害者意識を生み出すので、自分の感情の乱れを人や環境のせいにし、自分を振り返って改善していくことが難しくなります。結果として負のスパイラルから抜け出せなくなくなるので、人生もうまくいかなくなります。

被害者意識を持っていると、どこに行っても自分に危害を加えてくる人に出会います。なぜなら、被害者意識は、「自分は人に攻撃される。それは必ず起こる」という信念を無意識に周囲に投影し、自分自身で、世界がそう見えるようにしてしまうからです。同じ原理で、人は本質的に優しいものだと信じている人は、どこに行っても優しい人に出会うことになります。

本当は、自分の周りにある人や環境はみな、自分の意識を映し出す鏡にすぎません。この真理に気づいた人は、自分が住んでいる世界を変容させるカギを手に入れたようなものです。自分の意識を変えさえすれば、すべてが変わるからです。「地獄極楽は胸三寸にあり」ということわざの通り、自分の住む世界が変わるのです。

では、自分の意識をどうやって変えたらいいのでしょうか。その方法の一つがアファメーションです。

アファメーションは「自分自身に向かってする宣言」という意味ですが、特定の文句を唱えて、その言葉の意味に意識を集中させることは、自分の内在する力を引き出す効果をもたらします。サンスクリット語のスートラは、言葉の音の響き自体に力があります。インドの古典のリグ・ヴェーダは、サンスクリット語の詩編を集めた聖典ですが、正確な発音で詩を唱えると、天候をも変えることもできると聞いたことがあります。ここでご紹介したスートラは日本語に翻訳されたものですが、アファメーションとしての作用だけでも十分、自分を内側から変える力を持っています。

特定の言葉に思いを集中させると、それが意思となり、物事を形作ったり変えたりするエネルギーが生まれます。エネルギーは意図する方向に流れるので、こういう風になりたいという意思を持つと、その通りになっていきやすいのです。

例えば、「私は自分の中心を保ち、まったく動揺していない」という思いに集中すると、本当に自分のエネルギーがバランスよく中心に集まり(これをセンタリングといいます)、自分の中がさっきより穏やかに静かになったと感じるようになります。

自分以外の他者を動かすことは、その人自身の意思もあるので、いつも思い通りになるとは限りませんね。それどころか、他人の意思に干渉して操作することになりかねず、相手に不快感を与えるのみならず、自分の内部にもひずみを生じさせる可能性があるので、気をつけなければいけません。けれども、自分自身に関する限り、自分はこうだという意思をもち、その意思に集中するだけで、本当は自由に、意のままに変えることができるのです。

この第三のスートラを全部唱える必要はなくて、どれかピンとくるもの、心がひかれるものがあれば、一つでも二つでもいいので、それを選んで唱えればいいと思います。(腑に落ちない言葉を唱えても効果は期待できないので、逆にピンとこない言葉はスルーした方がいいでしょう。)一人になれる環境でしばらく心を落ち着かせた後、唱えると効果的ですし、紙に書いて、時々眺めてもいいでしょう。

このスートラを意識するようになれば、だんだんと自分軸ができて、土台がしっかりしてくるので、揺るがなくなっていくのが感じられるかと思います。自分軸になると、無駄なエネルギーの流失がなくなって、疲れにくくなるし、人間関係もスムーズにいくようになるので、幸福度もおのずと増していきますよ。