盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幸せの作り方

丁寧に、優しく、心をこめてすると起こる、気分の変化

もし、なんとなく気分がふさいでいて、面白くない日々が続いていたら、やってみてほしいことがあります。

それは、日常のささいなことでいいので、何かをするとき、丁寧に、優しくする、ということ。

例えば、ドアや扉の開け閉めも、乱暴にするのではなくて、優しく閉める。玄関の靴を靴箱にしまうときも、丁寧に、優しくしまう、など。物に触れる時、動かす時に、丁寧に、優しく、を心掛けてみてください。

料理をしたり、誰かに何かを渡したり、伝えたりするときは、いい加減な気持ちやぞんざいな態度ではなく、丁寧に心を込めてやるよう、心がけてみてください。

それだけで、低調だった気分が上がるはずです。

なぜかというと、丁寧に、優しく、心を込めて何かをすると、自分の波動が上がるからです。

ざっくりいうと、人はもちろん、すべてのものや事象、目に見えない思念も、すべて、細かい粒子の集まりでできています。細かい粒子は振動していて、その振動数が遅ければ、波動が低くなり、早ければ高くなります。何かをするとき、乱暴に扱ったり、いやいやしたりすると、遅く振動して低い波動になりますし、優しく、丁寧に、心を込めてすると、振動数が高まって、エネルギーレベルがアップもアップします。

自分が高い波動を出し始めると、接する人の波動も引き上げることができるので、結果的に、周囲の人の自分に対する反応もよくなったりもしますね。

意識するだけで、いつでも、どこでもできる、自分の気分を改善する方法なので、ぜひ、やってみてください。

未来を変える

今の自分を作っているのは、過去の自分の在り方です。過去の選択、起こった出来事への反応や対応のしかた、持った感情や思考の結果が、今の自分の心身の状態や、人間関係を含む、自分を取り巻く環境を作っています。

わかりやすい例でいうと、過去に暴飲暴食をし続けていると、現在、胃や肝臓が悪く、脂肪の多い、疲れやすい体になりますよね。

過去に、人に対して、思いやり深く、誠実な態度で接し続けてきたら、現在、快いやり取りができて、何かあったときは進んで助けたいと思ってくれる人が近くにいる、充実した人間関係ができているはずです。

過去に、恨みや妬み、不安などの感情を多く抱き続けたり、ずるい考えや、傲慢な考えをいだいたりし続けていると、知らず知らずに心は重く濁り、必ず表情がけがれてきます。こういう人は、健全な人であれば避けたくなり、同じように不健全な思考や感情を持っている人が寄ってきやすくなるので、取り巻く人間関係も、いい人がいなくて、嫌な人ばかり、ということになります。

人相にはその人の生き様が出ます。普段、何を考え、感じて生きているか、顔に染みついて隠しようもなく出てしまいます。ただし、一時的に怒っているとか、不安に駆られているとかではなく、長年、持つことが習慣になっている思考や感情のパターンが、人相を作ります。行動や選択も、一度の行動や選択ではなく、繰り返されるパターンが、その人の状態や環境を少しずつ作り上げていきます。

だから、こんな人生、嫌だ、変えたい、と思ったら、今から、普段、自分が抱きがちな感情や思考、やりがちな行動や選択、出来事が起こったときや人と関わるときの反応パターンに気づくことが大拙です。それを変えることを、今から始めれば、未来を変えることが可能だからです。

これは、いつ始めても遅いということはありません。自分の現実は自分が創造できるものであり、それは誰しもに与えられた特権なのですから。

情報を減らす

現代社会では、色々な情報があふれかえっています。知らず知らずのうちに、頭に情報が渦巻いて、処理が追い付かないまま渋滞しており、心もその分揺れ動いて、不安定になっている人が多いように思います。

物がたくさんあふれている家では、「印鑑どこだっけ」と、いざ、大事なものを探そうと思っても、雑多なものに紛れて、見つけづらくなります。それと同じで、情報があふれかえっていると、自分の中に、本当に必要なものを見つけようと思っても、目に入らなくなります。

本当は自分のここに気づいて、今までの在り方を変えたら幸せになれる、というポイントがあって、そのお知らせサインを自分の心や体の叡智が発していても、いつも雑音でうるさい場所では、か細い繊細な声が聞こえないがごとく、聞きとれなくなります。

静かに自分と向き合って、自分が発している本当の声を聞き取るのが恐ろしくて仕方がないがために、一人にならなくてすむよう、いつも誰かと一緒にいて、ずっとしゃべり続けていなければならない、依存症の人が時々いらっしゃいます。

こういう人は、おのずと共依存関係を形成してしまうがために、パートナーとの関係も、いずれうまくいかなくなるのですが、そうなると、即座に次のパートナーを見つけて、同じことをしてしまいがちです。結果として、問題が未解決のまま、問題から目をそらすために、対象を変えて依存し続ける繰り返しになってしまいます。未解決の問題が、平行線のままだとまだいいのですが、こうして負のループを繰り返すと、目を背けているうちに問題は蓄積し、どんどん大きくなるものです。そうなると、もっと強力に自分の声を遮断しなければならず、ますます依存傾向が深まってしまうということになります。

不安が強い人は、情報を求めて安心しようとする傾向が強くなりますが、心の中にある恐れが吸引力となって、同じ性質のものに引かれてしまうため、不安な情報ばかり探してしまい、内面の不安を強めてしまうという結果を作り出します。世の中には、もっと気持ちが明るくなったり、元気をもらえたりする情報もたくさんあるのですが、不安が強い人は、そういう情報とは自分の心との親和性がないので目に入らず、調べれば調べるほど、不安になっていくのです。

生きていくのに必要な情報は、実はそんなに多くなく、探しにいかなくても不思議と自然に入ってくるものです。

私が昔、メキシコにいた頃は、まだメキシコではインターネットがさほど普及しておらず、インターネットカフェに行って、お金を払わなければ、アクセスできませんでした。当時は、スマホどころかガラケーを持っているメキシコ人も少なく、テレビがない家もさほど珍しくなかったと思います。私は途中から中古のテレビを買いましたが、新聞を読むわけでもなく、情報はそんなに入って来ない環境に住んでいました。一人で暮らしていましたが、今、思えば、情報がない生活は、静かで、快適でした。時々、真夜中に「コケコッコー」と盛大に時を作る近所のニワトリには辟易しましたが、朝は庭の木をつつくキツツキの音で目が覚め、気持ちがよかったです。

そんな生活でも、必要(?)なニュースは、階下に住む大家さんが、階段の下から叫んで、教えてくれていて、なんとかなっていました。ダイアナ妃が亡くなったときには、「イギリスの王女さまが死んだよ!」と叫ぶので、たぶん、エリザベス女王が亡くなったんだろう、ダイアナ妃はまだなくなる年じゃないものな、と聞き流していました。小渕総理が亡くなった時も、数か月知らないままでしたが、メキシコに住む生活では、知らなくても全く差支えありませんでした。ある時は、日本から来た観光客の人に、「日本のニュース、何かありませんか。こっちに住んでいると、何もわからなくて」と聞いてみたところ、「アンディ・フグが死にました」といわれ、アンディ・フグが誰か知らなかった私は、たぶん、珍しい種類のフグが水族館かどこかで死んだんだろうと思っていました。

いずれにしても、メキシコにいた頃は、情報が少ないのに、むしろ、少ないがゆえに、色々なことを感じ、たくさんの人と交流しながら、生き生きと暮らせていたように思います。

一つの情報を処理するために、脳の神経細胞は、シナプス(神経細胞同士をつなぐ接合物)を介して、超高速で何百万もの電気信号をやり取りします。近年は、ただでさえ、情報を多く取り入れている上に、大人も子供も長時間、スマホゲームをするので、脳は過剰な刺激で疲弊し、休まることがあまりありません。交感神経が活性化しすぎるので、不眠症の人も増えるでしょう。当然、心にもいい影響があるわけがなく、自然とつながることによって活性化されるはずの感覚は劣化し、情緒に乏しい人が多くなってきているように思います。とても懸念される風潮だと思います。

かつて、不安がとても強く、鬱症状もひどい、20代前半のクライアントさんがいらっしゃいました。この人は、同じ年代の人たちがするように、SNSをしたりネットを見たりしていましたが、ある時、情報に触れることが自分の症状を悪化させていると気づき、自発的に情報断捨離を決行しました。その結果、ほんの1~2週間で、以前よりも不安が減り、心が安定したのでした。その上、自分への気づきがあって、精神的にも進化されていました。

放っておいたら情報が自分の中にあふれかえってしまう、情報が多すぎる今の社会では、情報断捨離することは、健全な心を維持するために、とても役立つことだと思います。

エネルギーを強めるものと弱めるもの

私たちのエネルギーは、私たちが摂取する食べ物や飲み物、接する人や身を置く場所、私たちが抱く思考や感情によって、増えたり減ったりします。私たちのエネルギー、すなわち「氣」が損なわれずに十分あれば、人は「元気」でいられます。今回は、私たちの氣を増やして強化するもの、減らして弱体化するものについて、お話したいと思います。

まず、食べ物や飲み物でいうと、添加物がたくさん入った加工食品はエネルギーを低下させます。肉や脂っこいものも、消化に多くのエネルギーを要するので、体に負担がかかります。江戸時代の飛脚は、当時の日本に肉を食べる習慣がなかったため、豆製品からたんぱく質を摂っていました。ある時、飛脚に肉を食べてから走らせたら、体が重くて走れなかった、という話を聞いたことがあります。

カフェインを含む飲みものも、大量に摂取すると、不安になりやすくなったり、イライラしやすなったりして、精神の不安定さを引き起こします。アメリカでカウンセリングをしていたころ、不安が強く、小さなことが気になるクライアントさんがいて、聞けば毎日2リットルのコーラを飲んでいるというので、カフェインが少ない飲み物に置き換えるようにいったところ、それだけで不安感が減少しました。また、統合失調症で幻覚に煩わされているクライアントさんも、コーラの大量摂取を減らしただけで、幻覚の症状が落ち着いたことがありました。

電子レンジで調理したものも、食べ物のエネルギーを損なうと思います。同じ料理でも、火で調理したものと、レンチンしたものでは、数字の上での栄養素が同じであっても、エネルギーの質が変わってくるように感じます。冷凍食品や缶詰、冷蔵庫に長く入っていて古くなったものも、新鮮な食べ物に比べて、生命エネルギーが激減します。

エネルギーを増やすものは、新鮮な野菜や果物、豆類、全粒穀物など。とれたてで新鮮なものほど、生命エネルギーが豊富で、私たちを元気にします。個人的には、海の近くの町で、とれたての魚を使った海鮮丼を食べたときなど、ぱっと目の前が明るくなるように意識が澄み渡り、身体が元気になります。スーパーでパック詰めされたお刺身にはそこまでの効果は感じられません。メキシコに住んでいた時は、新鮮な果物をその場でジュースに絞ってくれる屋台があって、それを飲むととてもおいしく、エネルギーが高まりました。当時のメキシコは、まだ加工食品があまりなくて、あっても高価で手に入りづらかったので、新鮮な材料を使って、ちゃんと手間ひまかけて調理して食べることが多く、そのせいもあって、貧しい人が多くても、割合、心身ともに丈夫で健康な人が多かったように思います。

ただし、今までの食生活をいきなり大きく変えることは、ストレスを生み、かえって心身の負担になりますので、お勧めはしません。変えたいと思うなら、少しずつ変えること、また、悪いものをやめることより、まず、いいものを増やしていくことされる方がいいと思います。体にいいものを取り入れていくと、自然に悪いものを食べたくなくなるという変化が起きやすいからです。

日々、接する人によっても、私たちは力を得たり奪われたりします。エネルギーを吸い取るタイプの人は、例えば、依存的な人、支配的でコントロールしてくる人、自分ばかり話して、相手の話を聞かない自己中心的な人、承認欲求が強い人、ネガティブ思考で、不平不満や悪口が多い人などです。一緒に過ごした後、疲れたと感じるなら、エネルギーを奪われているということなので、やむを得ない場合を除いて、一緒にいないほうがいいでしょう。どうしても関わねばならない場合は、心の中で一線を引くことが大切です。

逆に、その人と話したら、楽しい、癒される、勇気づけられる、と感じる場合は、その人の高いエネルギーをもらって、元気になっているということです。人は、目には見えなくても、お互いにエネルギー交換をしているのです。もし、元気をもらっているなと感じたら、こちらもお返しをしたいですね。一方的にもらう依存的な関係だと、いい人が離れていき、長続きしにくいものです。ギブアンドテイクのバランスが取れている方が、安定し、関りは永続します。

人と同様、私たちは、場所ともエネルギー交換を行っています。だから、癒されたり、元気になるような場所に時々行って、エネルギーを補充することは、大事ですよね。海や山など、自然が豊かな場所へいくと、誰でも気分がよくなると思います。水辺や植物が多いところは、いい「氣」があふれていて、浄化力があるので、人は皆、それを無意識に感じるのでしょう。海や山が近くになくても、緑の多い公園に行ったり、庭がある人は庭いじりをしたり、ない人でも観葉植物を置いたりすることが、幾分、代わりになります。神社やお寺は、清浄な氣があふれ、浄化力が強い場所なので、そういう場所に興味があり、敬虔な気持ちで訪れることができるなら、時々行かれるといいと思います(訪れる人の純粋な信仰心は、その場所を清めて、神様や仏様を喜ばせ、神様のパワーをアップさせます。これも一種のエネルギー交換ですね。)

私たちの思考や感情も、私たちのエネルギーを高めたり、低下させたりします。もののとらえ方が厳格だったり、偏狭で、歪んでいたりすると、ネガティブ思考をいだきやすくなり、必要以上にネガティブな感情(本来、感情にポジティブもネガティブもないと思いますが、今は便宜上、この言葉を使います)を感じやすくなります。怒り、自責(自分に対する怒りですね)、恥、無力感、哀しみ、絶望などの感情は、心を重く、硬く、暗くさせます。体も重く、硬くなり、免疫も下がります。とらえ方が柔軟で、視野が広いと、おのずとポジティブ思考になり、同じ出来事を経験しても、ダメージを受けにくくなります。喜び、愛しさ、勇気、達成感など、自分自身のエネルギーを高める感情をいだくことも多くなります。

いかがでしたか。今回は、自分のエネルギーを強めるものと弱めるものについて、書いてみました。自分の元氣(もともと持っている、いい氣)を、増やすも減らすも自分次第です。できることを意識して、強くて健康な心や体を手に入れたいものですね。

過去と未来が同時によくなる方法

過去と未来を同時によくする方法があります。

それは、自分の現在をよくすることです。

現在の自分を、幸せで、満ち足りた気分にしてあげれば、過去も未来も、自然に、悲観的な目でみることができなくなります。

心が満ち足りた状態で未来を見たら、前途が明るく見え、不安な未来は描きにくくなりますよね。

また、過去にたくさん苦しい体験をしたとしても、今が幸せなら、過去の苦しみと同調しなくなり、「あの体験があったから、今の自分がある」等、前向きな視点を持つことが容易になります。

今の自分がよく変われば、過去と未来を見る目がよく変わる。見る目が変わる=過去と未来が変わるということ。

結局、過去も未来も、私たちの頭の中でしか存在しない概念であり、実際に私たちが体験するのは、いつでも、「今、ここ」。現在の連続体があるだけです。現在を支点として、過去、未来を眺めている状態なので、支点である現在の意識状態を変えれば、過去も未来も、いっぺんに変わるというわけです。

そもそも、出来事自体はニュートラルで、それを体験する人が、それぞれの視点によって、いい、悪いを決定しています。例えば、「過去にとても嫌な思いをした」、「未来に嫌な用事がある」、どちらも、今の自分の心境がよりよくなり、視点が高くなれば、より肯定的にとらえられるようになります。

だから、今、ここが大切なんですね。過去に何があろうが、未来に何が待っていようが、現在の心の状態を上げてあげることが肝心。そうすれば、過去も未来も、今までとは違って、よりよく認識することができるということです。

マザーテレサの言葉 :思考が現実を作る

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

パターン化された思考が、いかに自分を取り巻く現実を作っていくかを、よく示している言葉です。

思考って、自分の目の前に起きる出来事=体験を、どう捉えるか、で生まれるものだと思います。

捉え方の癖って人によってあるんですよね。いいようにとらえれば、ポジティブな思考になりやすいし、悪くとらえてばかりいると、ネガティブ思考の人になります。

自分の捉え方の癖に気づくことが、まず第一歩。気づいたら、変えることはできますから。

ちなみに、性格は、思考や行動が集積して作られていくものです。だから、思考や行動を変えて行けば、性格も変わっていきます。

習慣とというのは、反復された行動に他なりません。今までとは違う、新しい行動を意識的にとるようにしたり、自他ともに傷つけるような言葉をやめて、よりよい言葉を使うように心がけたりし、それを繰り返せば、運命も変わっていくということですね。

自分が放ったものが自分を取り巻く現実を形作るというのは、量子物理学で証明される事実です。それが思考であれ、言葉であれ、行動であれ、自分が瞬間瞬間に放つものは、自分が住み、体験する世界を形成する材料になってしまうんですよね。

だからといって、無理にポジティブ思考にしようとするのは、逆効果。こう考えなきゃいけない、と思うと、言葉づらがポジティブだったとしても、苦しみの念が放たれてしまいます。言葉よりは、言葉に伴う念の方が真実であり、物事を左右する力を持つものです。

~すべき、~してはいけない、というべき思考は、苦しみの現実を作る元なのです。「こうなったらいいな」、「こうなったら幸せだな」という思いを放つようにした方がいいと思います。

「自分には価値がない」を解決する方法

「自分には価値がない」という思いが強い人は、無意識のうちに、その信念をもとにして言動を起こすので、うまくいかないことが多くなります。

例えば、価値を上げるために躍起になり、過剰に努力して、心身を疲弊させてしまいがちです。こういう人は、なんでもやりすぎてしまうので、空回りしやすく、頑張っているのにうまくいかない現実を作り出します。承認欲求をもとに人と関わったり、仕事や勉強を頑張ったりするので、人間関係では無意識にマウントを取ろうとして嫌がられるか、あるいは人に気に入られようとして、なんとなく煙たがられたりします。頑張りすぎや気疲れで、病気や鬱になったりする傾向があり、たとえ業績を上げたとしても、それで気分が上がるのは一時的。慢性的に満たされない、ということが起こります。

または、「自分なんか、いいことに値しない」という自己卑下が根底にあるので、周囲から差し出された好意を受け取らなかったり、いい機会があっても手を伸ばさなかったりするかもしれません。その結果、人が嫌になり離れて行って(だって、せっかく差し出したプレゼントをいらないと返されたら、あげたほうも悲しくなりますよね)孤独になったりします。いい機会を受け取らず、自分にはこの程度がふさわしいと、低いものを自分にあてがって、不本意な状況を自分で作り出し続けながら、「やっぱり、こうなる。どうせ自分なんか」と、自己卑下を強めるパターンを繰り返す人もいます。

そもそも、自分に価値があることを疑っていない、健全な自尊心を持つ人は、自分に価値があるとかないとか、考えません。自分の価値を意識すること自体がないのです。例えば、目や鼻や口があるのが当たり前だと思っていたら、自分に目や鼻や口があるとかないとか、取り立てて意識しないですよね。

人が、自分に価値があるかないか、どんなに考えたとしても、そこには思考の偏りが入り込みます。なので、真に正当な評価を下すことは不可能なのです。

同じ人でも、気分がいいときは自分に価値がある気がするでしょうし、誰かに嫌なことを言われて落ち込んでいるときには、価値がない気がするでしょう。テストでいい点を取って褒められたときは価値がある気がするけれども、悪い点を取ったら価値が下がった気がする。

また、自分で価値がないと思っても、他人は、「この人すごいな、この人みたいになりたい」、と思っているかもしれないし、逆に、自分は価値があるすごい人間だと思っていても、他の人にはそう思われていないということもありますよね。

人に価値を下そうと思ったら、人によって、気分によって、状況によって、違う価値判断になってしまう。ということは、その価値判断は、絶対的ではないということ。誰かに対して、絶対的に正しい価値判断なんて、下しようがないということなのです。

それなのに、自分に価値があるとかないとか、悶々と考えるだけ、無駄だと思いませんか。

それでは、どうやったら、「自分に価値がない」という思いを消すことができるのでしょうか。ポイントは、「ノンジャッジメント」です。

ノンジャッジメントとは、いい・悪い、正しい・間違っているで価値判断を下すのをやめることをいいます。

人は、多くの場合、無意識に、思考の中で、自分や他者に対し「いい、悪い」「正しい、間違っている」というジャッジ(裁き)を下しています。ジャッジすると、人の心は波立ち、平和はかき乱されます。自分に対しても、人に対しても、ジャッジするのをやめれば、思考は鎮まり、心は中立で穏やかな状態になるのです。

「自分に価値があるとかないとか、どうでもいい。だって、考えたって、どうせ正しい答えは得られないんだから、考えるだけ無駄。自分が存在していることに、いいも悪いもない、自分はただ存在している、それだけ。生きているから生きている。」そういう風に思うと、価値がないと悩んでいる人は、葛藤が鎮まり、心が平和になるはずです。

自分の価値をあげようと躍起になって何かしたり、自分のいいところを探そうとするより、そのほうが効果的だと思います。

人と会って疲れるなら

人と会うと疲れるという人は、どこかで余計に力を使ってしまっているのだと思います。自分のエネルギーを過剰に消耗してしまう心の癖に気づいて、修正することができれば、人と会っても疲れなくなるはずです。

例えば、人に嫌われたくない、よく見られたいという思いが強いと、気を張ってしまい、ありのままの自分よりも背伸びしようとする分、疲れてしまいます。普通に1km歩くより、つま先立ちで1km歩いた方が消耗するのと同じです。人にどう思われるかをあまり意識しない人と比べたら、一日が終わった時点で、疲れ具合が全然違うということになります。

また、人は自分を傷つけるもの、攻撃してくるもの、自分をだまし、自分から奪うもの等の信じこみがあると、そうされないように周りに防御壁を作り出してしまい、やっぱりとても疲れます。壁を作ると、一見、人と距離が取れて安全に思えるかもしれませんが、同時に、人と関わることで得られる優しさや温かさ、楽しさ、喜びなどの愛の要素も入って来られなくなります。愛は最大のエネルギー源であり、心の傷を癒してくれる薬でもあるので、結局、心の傷は満たされず、孤独とみじめさ、不幸せ感を覚える結果に至ります。

それに、壁を作り続けることは、無意識にやっているにしても、不自然な力を使うことになり、疲れるのです。「敵に囲まれて暮らしている」のが、そうでない生活と比べて疲れるのは、明白ですよね。本当は、多くの場合、自分の頭がそう思いこんでいるだけで、敵なんていないのです。自分が敵とみなしている人たちが、良くも悪くもそこまで自分に関心を抱いていないとしたら(他の人は私たちが思うほど、私たちのことを気にしていませんからね)、気を張って生きているのは、骨折り損のくたびれ儲けです。Tシャツを着た人が普通に歩いている通りで、一人、重い鎧に身を固めて、刀に手をかけ、戦々恐々として暮らしていないかどうか、もしそうなら、そんな無駄に疲れることを続けたいかどうか、自分の心に聞いてみてましょう。

同様に、周囲の人を心の中で批判しがちな人も、やっぱり疲れます。悪口や否定的な念は、心身を重く硬くし、流れを停滞させる力をもっています。体が重いと、同じことをするにも多くの気力を使い、疲れますよね。無意識に周囲の人を否定的にとらえる癖がある場合は、ネガティブな思考の解釈やおしゃべりに気づいて、それをなくしていくだけで、楽になっていくはずです。その際、悪口を止めようとするのでなく、(無理にせき止めてもあとからあとからやってこようとするだけなので)悪口を言いたくなる自分の心の苦しみに気づいてあげ、「何が辛いの?」と優しく聞いてあげたほうが効果的でしょう。幸せな人は人の悪口をいいたくならないし、いいたくなるとうことは、自分の中に何らかの不幸せや満たされていない思いがあるはずです。それに気づいて優しく包み込むイメージをするだけで、心が楽になって、自然に人を悪く思う気持ちが消えていく可能性があります。

それから、エネルギーを吸い取る人とばかり関わってしまうパターンが自分の中に形成されてしまっている人もいます。例えば、威圧的に支配しようとしてくる人や、承認欲求が強く、マウントを取ろうとしてくる人、愚痴や不平不満ばかり言ってくる人、人の話を聞かず自分の話ばかりしてくる人、夜中でも構わず電話をかけてきて相談してくる人などは、自分自身でエネルギーを生み出すことができない(と信じている)ために、人からエネルギーを補給して自分を満たそうとします。そういう人とばかりご縁ができてしまうというなら、自分の中にそういう人をひきつけ、関わってしまう何かが必ずあります。恐らく、自己価値観の低さから、粗末に扱う心の癖があると、エネルギー吸血鬼さんタイプの人と絡んでしまいやすくなりますね。なぜなら、エネルギー吸血鬼さんタイプの人も、同じように自己否定や自己不信が根底にあるので、類は友を呼んでしまうんですね。

一番疲れないのは、不必要に人目を気にせず、自然体であることです。同じ人に気を遣うにしても、「自分がよく思われるために」というエゴが動機になっていると疲れます。逆に、自分を意識せず、人が心地よくあるようにという無私の思いやりがモチベーションになっている場合は疲れません。ただし、自分も大事にし、自分が苦しんでいるのに、人のために尽くすという自己犠牲がない場合は、です。(自己犠牲は自他のバランスが崩れている状態なので、持続しません。疲れてしまって、行き詰まる結果になります。)

欠点があっても、失敗しても自分を許し、何があってもなくても自分を慈しみ、自分を信じることができるくらい、自分をおおらかに扱うことができたら、人目を気にすることはなく、自然体でいることが容易になります。人と接していても疲れなくなり、疲れる人との関わりもなくなっていきますよ。

空間と同調して穏やかな心を取り戻す

生きていると、日々、色々なことがあります。毎日、起こる出来事、入ってくる情報、出会う人との関わりなどに反応して、私たちの思考は忙しく働き、様々な感情が沸き起こって、心が右往左往してしまいがちですよね。

そういう時、その場に居ながらにして、日常の雑事を離れ、穏やかでニュートラルな心を取り戻す方法があります。やり方は簡単で、要するに、意識を向けるところを変えるだけなのですが、その方法をお伝えする前に、予備知識として知っておいていただきたいことがあります。なぜ、このやり方で心が落ち着くか、そのしくみを知っておくと役に立つと思うので、量子力学のお話なのでちょっと難しいかもしれませんが、しばらくおつきあいください。

私たちの周りには固体、液体、気体で色々なものがありますよね。家、木、人、動物、川、雨、煙など、目に見えるものもあれば、空気、電波、音など、目に見えないものもあります。私たちの思考や感情も目に見えないけれど、それがあることを疑う人はいないでしょう。

これらの有形無形の全てもものの、すべての源になっているものが、素粒子です。私たちの体も、思考も、感情も、全部素粒子でできています。

この素粒子は、地球上のどこにでもあり、地球だけではなく、宇宙のあらゆる場所に満ちています。すでにあるものだけなく、まだ形をとっていない、これから何かになる可能性を秘めている素粒子が、目にはみえなくても、あらゆる場所に漂っています。

この、すべての創造のもとになっている素粒子が満ちている場を、空間をいいます。あらゆるものがここから生まれ、ここに還っていく、すべてのエネルギーの源が、ここに在ります。(本当は、量子力学の観点から言うと、空間というものも存在しないのですが、時間も空間も存在しない量子の世界は、私たちの慣れ親しんだ認識から飛躍しすぎていて混乱するので、ここでは空間としておきます。)

例えば、建物は空間を壁や屋根で仕切ったものですよね。建物が建つ前にも空間は存在していますし、建物がなくなった後にも、空間は存在しています。始まりも終わりもなく、常に、今、ここにあります。

この空間に意識を合わせることが、心を穏やかにするコツなのです。ここに同調すると、私たちは、源のエネルギーにアクセスし、狭い領域の「我」から抜け出て、本来あるべき状態にシフトします。

日々の出来事で揺れ動く、大波小波に揺られる木の葉のような状態は、私たちの本来の姿ではありません。心の奥深く、潜在意識の奥底にある、私たちの本質は、深い海の底のように、静かで穏やかです。

それでは、ここで、具体的に、空間に意識を合わせる方法をお伝えしましょう。

基本的にはどこにいてもできるのですが、慣れないうちは、静かな場所で、目を閉じて行う方が、効果を実感しやすいと思います。まず、自分がいる周りの空間を意識します。難しく考えすぎなくても大丈夫。部屋の中にいたら、部屋の中に壁に仕切られた空間があるな、ぐらいに思ったらいいと思います。

それができたら、だんだんと、感じ取る空間を広げていきます。壁で仕切られていても、壁を取った向こうには空間が広がっていると考えてください。部屋の大きさから、数十メートル四方、数百メートル四方へと、意識する範囲を広げてみていってください。気持ちが落ち着く効果が現れたら、そこでやめてもいいし、もっと意識を広げて、町全体、国、地球上のあらゆる場所に空間が広がっているとイメージしてみてもよいでしょう。

もし、屋外でするなら、天気のいい日に、空を見ながら、同じように空間に意識を合わせて、感じることをしてみたらいいと思います。

これだけで、自分を創っているもとにして、すべての根源であるエネルギーと同調し、気持ちが静かでフラットな状態になりやすいはずです。

最後に、ちょっと余談ですが、思考の現実化がどういうものか、量子力学的な説明をしてみたいと思います。

有形無形すべてのものを作っている素粒子は、先にお伝えした通り、あらゆるものになる可能性を秘めて空間に漂っているのですが、意図をもって眺めると、その通りに配列するという性質を持っています。可能性にすぎないときは波の形なのですが、誰かが「こうなる」「こうにちがいない」と思ってみると、波から粒になって、その思考の通りに現れる、というもの。

だから、世の中は悪い人ばかりだと思うと、悪い人ばかりが目の前に現れるし、自分は運がいいと思うと、そういう現実が形を取って目の前に現れます。恐れを抱いて観察すると、恐れているものが形をとってしまうし、愛を持って眺めると、愛が形をとって自分の現実に現れます。恐れていることより、願っていることを常日頃からイメージすることが、いかに大切か、ということです。

また、量子力学にいうと、思考も感情も素粒子でできたエネルギーで、似た波長をもつものと引き合ってくっつき、強化されるという性質があります。例えば、いつもネガティブな思考や感情を発していると、その思考や感情の素粒子は、ポジティブな思考や感情のエネルギーを発している人はスルーして、同じようにネガティブ・エネルギーを発している人の素粒子とくっつきます。なので、ネガティブな人は、自分と同じようにネガティブな人と関わりができてしまいやすいというわけですね。どこへいってもネガティブな人とばかり出会うという人は、環境を変えるより、自分の思考や感情を変えたほうがいいというわけです。

量子力学の話は、今までの人間の常識とはかけ離れているので、理解するのが難しいのですが、奥が深くて面白いと思います。でも、もし、背景にある仕組みが難しかったら、そこは飛ばしても構いません。空間を意識するというコツだけ実践すればいいと思います。よかったら試してみてくださいね。

過去と未来をよりよくする方法

すでに起こってしまった過去のできごとをよりよく変え、まだ起こっていない未来をよりよく作る秘訣があります。

それは、現在をよりよく変えることです。

過去に起こったこと自体は、時間をさかのぼって戻って変えることはできませんが、過去に対するとらえ方を変えることは可能です。結局、過去に起こったことが、よいか悪いかは、今、自分がその出来事を、いいととらえているか悪いととらえているかによるものです。どう見るかが100%なんですよね。つまり、悪いことだったとみなすのをやめれば、悪い過去ではなくなるということです。そして、それができるのは、いつでも今、現在なのです。

できごと自体はいつもニュートラル。それをどうとらえるかが、その人を取り巻く現実を作るものです。

では、どうやって過去の捉え方を、「悪い」から「いい」に変えたらいいでしょうか。

一つのやり方としては、「そこから何を学んだか」「この体験にどんな意味があるのだろう」と自問することです。どんなにいやな体験でも、探せば、自分の人生をよりよくするための学びが見つかるものです。学びにフォーカスすれば、それが苦しかったとしても、ただの苦しみではなく、建設的な苦しみとなり、いやな体験が、これからの人生で、きれいな花を咲かせるための肥やしになります。また、どんな辛いことでも、そこに意味があれば耐えやすくなるというのは、ナチスドイツ下で3年間強制収容所にとらわれていた、ユダヤ人精神科医の、ヴィクトール・フランクルが身をもって証明したところです。

過去を悪いものととらえるもう一つのコツは、すでに起こったことに、抗うのをやめること。こうあってはならなかった、どうして自分だけこんな目に、という思いは、すでにそうあるものと勝ち目のない争いをしていることになり、葛藤と苦しみ、無益な消耗を生み出すばかりです。その体験に対するネガティブな思いはさらに強化されて、自分の中にこびりつくでしょう。抵抗をやめ、力を抜いて、ありのまま受け入れると、過去の辛かった感情や思いは、もっと早く通り過ぎて行きます。

さらにつけ加えるなら、もし現在、幸せなら、辛い過去を思い出すことも少なくなるはずです。なので、今、この瞬間を心地よく、幸せを感じるようにしていくといいと思います。

今、この瞬間、幸せを感じるというのは、余計な思考に邪魔されなければ、本当は誰にでもできることです。

例え、1000万円の借金があったとしても、今どうしようもないなら、その問題にふけって格闘するのをやめて、目の前にある美しい夕日をうっとり見ることを自分に許可します。そうすれば、その瞬間は、その人は、1000万円あるなしに関わらず、幸福感を味えます。

幸せというのは、いつでも今しか感じられません。3分後に幸せになることはできません。(多くの人が気づかないうちにやっていることですが)今、過去のもう起こってしまったことや、まだ起こってもいない未来を案じて、今を台無しにすることをやめれば、もっと今、幸せを感じることができるのです。

今に最善を尽くし、今を充実させていけば、過去をネガティブにみることも自然に減っていくでしょうが、同じことが、未来をよりよくする秘訣にもなります。

結局、人がなにかを体験できるのは今、現在という時制でしかなく、よって、何かを動かしたり、変化を加えたりすることも、今しかできません。現在に集中して、最善をを尽くせば、未来は必ず、そうしなかったときより、よくなります。

例えば、今、おいしい食事が目の前にあるのに、1000万円の借金のことを考えてて食べていたら、おいしさを感じないまま、気づいたらお皿が空になっているでしょう。せっかく、一流の料理人が心を込めて、いい材料を集めて作った料理であっても無駄になり、自分の身になって、自分の人生に、たとえ少しかもしれないけれども、よい変化を及ぼすという機会を逃してしまいます。

この時、もし、今日のところはどう逆立ちしても返せない借金のことは横に置いておいて、目の前のごちそうに集中したら、もっと目でごちそうのいろどりを楽しみ、おいしく味わえるでしょう。そうしたら、その間は心地よいひと時となり、リラックスさせたり、幸福感を感じさせたりする脳内神経物質がたくさん出て、心や体が、一時でも元気になるでしょう。集中力が増すから、仕事がはかどり、おいしいものを食べて機嫌もよりよくなるでしょうから、人ともにこやかに接することができ、必要な情報が入ってきて、借金を返すためのよい方法にもつながるかもしれません。夜も、ずっと思い悩んでいるよりは、ぐっすり眠れるようになるでしょう。

こうして、今、ここに集中してフルに体験し、最善を尽くす選択をすることで、少し先の未来がよくなるということ。これを続ければ、ドミノ倒し的に未来がよくなっていきます。もちろん、借金を返すため、問題解決のために、今、現在、できることがあれば、他に気を取られたりせず、それに集中して最善を尽くすことが、よりよい未来を作る選択になります。

過去も未来も、実は実態はなく、人の頭の中にある架空の概念にすぎません。実態があるのは今、現在だけなんですよね。人間の集合意識には、過去、現在、未来という時系列の認識が埋め込まれているから、この辺は、なかなか理解するのが難しいところではありますよね。

今回は、今をよいもので満たしていくことが、過去と未来をよりよく変えるカギになるというお話でした。