盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)
☆営業時間:9時~18時  定休日:第二、第四土曜、日曜、祝日

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ8,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

ブログ

お勧めの本

最近読んだ、お勧めの本をご紹介します。

「今日、誰のために生きる?」アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語 ひすいこたろう×SHOGEN著 廣済堂出版

著者のショーゲンさんが、幸せな人ばかりいるアフリカの小さな村に行き、1年半ほど人々と一緒に暮らし、そこで見聞きしたことをどうしてもみんなに伝えたいと思い、書かれた本です。

この村の人たちは、心を大切にしています。現代の日本の社会とは全然違い、目から鱗のことばかり。日々、すごいカルチャーショックです。

でも、それは、太古の昔、縄文時代の日本では、当たり前に行われていたことでした。

例えば、ショーゲンさんは、最初の頃、しょっちゅう部族会議に呼び出されて、問題を指摘されます。「お前はなんでそんなにゆとりがないのか」。

この村の人たちは心のゆとりをとても大切にしています。仕事が途中でも、時間が来たら潔くやめて、家に帰る。家族との時間が大切だから。

一人の子が、流れ星が見たいというと、大人たちも全員で一緒に流れ星を探しに行きます。

また、ショーゲンさんは、一緒に食事していても、お前は心がそこににないと指摘をされます。マインドフルでなく、マインドレスになっているということですね。

この村では、言葉を大切にします。心から言葉を話すことがどんなに大切なことか、知っています。 だから、相手を抱きしめるように話せといいます。 心がこもっていない言葉を話せば、小さな子供にもそれを感じ取られて、指摘されてしまいます。

この村の人たちは、感謝を伝えることを、とてもよくします。何かで恩恵を受けたら、それを与えてくれた人のところに行って、まっすぐそれを伝えるようにと言います。

失敗を悪いこと、してはいけない、とする概念がありません。失敗した人には、「かわいいね、人間らしいね」といいます。人は年を経るごとに、完璧になるのではなく、人間らしくなるといいます。

人に対して「信じているよ」とよくいいます。誰かが、こうしようと思うというと、「あなたがそうできることを信じているよ」と伝える習慣があります。

この村の人たちは、自分を大切にすることを、子供のころから自然に学びます。この村の人たちはみんな親切で人助けをよくするので、それにならってショーゲンさんが人助けをしようとすると、「お前を見ているとハラハラする」と言います。人に与える時は、自分の盃がいっぱいになって、そのあふれた分を人に与えなさいと諭されます。自分の心が満たされていないのに与えようとすると、自己犠牲になり、心に苦しみが生じます。苦しさが周りにも伝わるので、ハラハラするわけです。

叡智があふれていて、でもわかりやすく、易しい言葉で書いてある本です。変に小難しい心理系の本より、よほど役に立つと思います。

真理って、本当はシンプルなものです。

人は賢く進化すればするほど、ある意味、子供のようになっていきます。子供じみるのではなく、大人になる過程で身に着けた余計なものがなくなって、子供のように純粋になっていくということ。この村の人たちがそうであるように。

幸せであるためには、幸せを感じる心を持てばいいわけで、幸せを感じる心を持つためには、心にゆとりがなければいけません。何かを感じるには、感じるためのスペースが必要です。

現代社会では、利益をあげたり、競争して相手より上に優位にたったり、成功したりすることに必死で、その奮闘によって生じた膨大なストレスを紛らわすために、頭を忙しく埋めて、心から目をそらすことをしていますね。こんな状態で、幸せを感じることができるはずはありません。

色々、大事なことに気づかせてくれる本なので、一度、読んでみてはいかがでしょうか。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって、実りある、喜びの多い一年になりますように。

また、能登半島震災の被災者の方々に、お見舞い申し上げます。一日も早く、救いと癒しがもたらされて、平和な日常に戻ることができますよう、お祈り申し上げます。

今年もお世話になりました。

2023年もあとわずかですね。

今年も1年、大変お世話になりました。

年末年始はお休みさせていただきます。

お電話やメール、お問い合わせフォームからいただいたご連絡は、4日以降のお返事になりますので、ご了承ください。

また、2024年のセッションの空きは、今のところ、6日(土)以降となってております。よろしくお願いいたします。

それでは、皆さま、どうぞ、よいお年をお迎えください。

人生のような曲

ブラームスの間奏曲、Op.118-2。

この曲を聴くと、大学院を出て、カウンセラーという職業に初めてつくために、ミネソタ州からニューメキシコ州を目指して、車を走らせていた時のことを思い出します。

距離にして2000キロ以上を、3日ほどかけてドライブし、4つの州を越えて、ようやく、これから住むニューメキシコ州が見えてきたとき、これから始まる仕事で、どうか大勢の人の役に立てますように、一人でも多くの人の苦しみを救うことができますようにと、祈りを込めながら、大好きなブラームスのこの曲を聴いて、決意を新たにしていました。

人生の苦しみを美しく昇華させたようなこの曲は、深い癒しと慰めをもたらすように感じます。

ブラームスは、あまり多くの人に語らなかったようですが、よく、霊感に打たれて曲を作っていたそうで、この曲もその一つなんだろうと思います。大いなる力の働きが、辛い思いをしている人たちの助けとなるよう、ブラームスを通じて、顕現している曲。ベートーヴェンもそうですが、多くの天才は、一種の依り代のようなところがあるなと思います。

カウンセラーになった理由

たまに、「先生は、どうしてカウンセラーになったんですか」と聞かれることがあります。

私にとって、心に痛みを抱えている人たちと関わり、苦しみを喜び変えるお手伝いをすることは、それ以外の職業はあり得ないライフワークであり、ごく自然に導かれたことでした。

思えば、今まで生きてきた道のところどころに、そうなるような導きがあって、どうあってもこの仕事に到達するように、人生が仕組まれていたと思います。

私が、人生というものが、そもそも、辛く苦しいものであるということを知ったのは、子供の頃でした。そして、今、考えると、これは幸いだったと思うのですが、子供心に壮絶な心の苦しみを抱えている自分を理解し、助けてくれる大人は、周囲に誰もおらず、世界に一人ぼっちのような孤独感をたくさん味わいました。

それにより、私は、誰にも頼ることなく、自分で工夫をして、自分の心をなんとかして救うということを強いられ、何年もかかって、それができるようになっていきました。

自分以外に自分を救える人はいない、そしてそれができるようになるのは、最強であるということを、身をもって知ることができたこと、また、自分の苦しい体験によって、人の苦しみが手に取るようにわかる、共感力を身に着けることができたことは、恩恵に他なりませんでした。

だから、私は自分の生い立ちを振り返って、不幸だったとは思っていません。すでに過去の苦しみを浄化しているので、特に辛い感情がよみがえることはなく、ただ、大変有意義だった、必然の体験だったと思うだけです。

辛いことがたくさんある=不幸とは限りません。どんな体験も、裏を返せばギフト(=贈り物)なのです。

学校時代は文系、特に英語が得意だったので(理数系は全然ダメでしたが)、英語に力を入れている大学に進学して、アメリカ文化を専攻し、アメリカインディアンの文化や悲惨な侵略の歴史に興味を持ちました。

日本の大学を卒業後は、就職する道を選ばず、アルバイトをして貯めたお金を元に語学留学し、そのうち機会に恵まれてアメリカの大学に編入して、社会学と文化人類学を専攻。特に、社会の底辺で生きる人たちの苦しみ、社会の不平等さに強い関心を抱きました。

アメリカの大学を卒業後はいったん日本で働いた後、メキシコのユカタン州でマヤ族の人たちの間で暮らし、またアメリカに戻って、ご縁あってインディアンの居留地に住みました。

そこでは、文化をめちゃくちゃに破壊されて心を壊された先住民たちの悲惨な現状を目の当たりにしました。親は子供をネグレクトし、子供は小学高学年から麻薬やアルコール依存になり、子供を含めた住人の確か7割がアルコール依存。子供は十代になるかならないか犯罪を犯すようになる。事故(飲酒運転、冬に酔っぱらって道で凍死もよくある)、殺人(喧嘩、酔っぱらったインディアンが白人に殺されることもよくある)、自殺、麻薬やアルコールの乱用などにより、平均寿命は50代。これが、アメリカ先住民の実態でした。オーストラリアのアボリジニーや、カナダのエスキモーなどの先住民も、同様だと聞いています。

カウンセラーになりたいという思いは、それまでにも往々にして頭に浮かんだことがあったのですが、本当になろうと強く決心したのは、アメリカインディアンの人たちの間で暮らし、その悲惨で、希望のない生活を、肌で知ったからでした。この人たちの中で暮らすことは、自分も引きずり落されて鬱になりそうになる。だけど、どうせここにいるなら、自分はそうならずに、自分にできる 最善のことをしよう。この人たちを助けるために、大学院にいって、勉強をして、カウンセラーになるしかない。そう思ったのでした。

そうはいっても、最初のうちは、大学院に合格するだろうか、お金は続くだろうか、大学院の勉強についていけるだろうか、文化が違うのに、アメリカ人をカウンセリングしてやっていけるだろうか等、いろいろな不安や自信のなさがありました。

けれども、決めた道を進むうち、不思議なことに、すべての問題はクリアされ、やってみたら心配することはなかった、ということが次々起こり、気がついたら今に至っています。

大学院の勉強は、とても大変でしたが(何しろものすごい量の課題)、自分が興味がある分野なので、中学や高校や、大学での勉強さえも比較にならないくらい面白くて、スポンジのように脳が吸収して、身に着けることができたように思います。

大学院卒業後は、インターンを経て、アメリカのコミュニティのカウンセリング機関に就職し、日々、壮絶なケースのカウンセリングに追われました。

麻薬、アルコール、性的・精神的・身体的虐待・近親相姦は、日常茶飯事。自殺や殺人も珍しくない町で、何重ものトラウマで精神を病んでいる人たちが訪れ、私たちカウンセラーのスケジュールは毎日いっぱいでした。それでも、クライアントさんたちと関わることは喜びで(なぜなら、ほとんど例外なく、誰もが心の奥底はピュアで、光の性質を持っていましたから)、特に、何十年も苦しんできた人たちの苦しみが癒されたときは、何物にも代えがたい喜びをもたらしてくれました。

諸事情で、そんなアメリカ生活を切り上げて、帰国することになったのが、2011年、震災の年。日本語でカウンセリングやったことないけど、アメリカの資格で、日本で、職業としてカウンセリングをやっていけるだろうか、と不安に思ったのもつかの間。今でも、大好きなこの仕事を続けていけているのは、とてもありがたく、幸せなことだと思っています。

これからも、体が動く限り、私にとって、自己実現の最たる形である、この仕事を続け、自分ができる範囲内ではありますが、世界がよくなるお手伝いを続けていけたらと願っています。

人とつながることで得られるもの

人とのつながりが希薄だと、エネルギー不足になる可能性があります。

私たちは、人と交流することにより、自分と相手との間にエネルギー交換を行います。

否定的な関りは、ストレスや痛みをもたらして、エネルギーの低下を生み出しますが、愛ある温かい交流は喜びや幸福感をもたらし、エネルギーを活性化して輝かせ、生き生きさせます。

私たちは、人と関わることで、エネルギーを奪ったり奪われたり、お互いに与えあって、高めあったりもします。

誰かと一緒に過ごした後、気分が低下し、疲れを感じたときは、相手にエネルギーを奪われた、もしくはこちらがエネルギーを与えすぎたということです。

一緒に過ごした後、気分がよくなったり、元気になったと感じる場合は、相手からエネルギーをもらったということでしょう。その際、相手も同様に気分がよくなり、元気になったと感じるなら、お互いに与えあって、高めあったということ。

過去の傷つき体験から、周りはみんな敵だとみなして心を閉ざしたり、壁を作ることで自己防衛モードになったりすると、他者との交流によるエネルギーの供給が少なくなり、エネルギー不足から、抑うつ感や、イライラを感じやすくなることがよくあります。

人と関わることは生きていると避けられず、必須な要素です。そして、本当は、誰かを元気づけて幸せにしたり、自分を元気で幸せにする、とても素晴らしいことでありうるのです。

関りを避けるよりは、試行錯誤しながらでも、否定的な関りを減らし、肯定的な関りを心がける術を磨いていくことが大切だと思います。


感情が有害物質化するとき

感情は、いわば神経回路を走る電気信号であり、必要なものです。

脳は感情の信号をキャッチして体に指令を出します。例えば、恐怖を感じたら、体の筋肉を収縮させ、心拍数を上げ、呼吸を止めて、戦うか逃げるか、いずれにせよ、早く動けるように準備をします。(戦うか逃げるか以外に、フリーズするという第三の反応もありますが、ここでは便宜上省きます。)

感情の生み出すエネルギーは、行動への駆り立てにもなります。例えば、恐怖と同様、怒りも、自分を傷つけるものから身を守るための行動を促し、不当な扱いを受けたとき、立ち上がってノーというためのエネルギ―源になります。

感情のもう一つの役割は、意思伝達です。感情が巡ると表情にそれが現れ、言葉より早く、相手に思いを伝達します。相手がどう思っているか、 表情筋やしぐさが、無意識のうちに、 言葉よりも正確に伝えます。

日々の出来事や、頭の中で考えたことの結果の反応として、感情が沸き上がるのは自然なことであり、体にエネルギーを巡らせることになります。

感情を感じないように抑圧したり、感情の信号を必要以上の向精神薬などで遮断すると、流れが澱んで停滞し、濁った状態になり、感覚としては、鈍い、無気力な感じがするようになります。

感情を巡らせることは、生き生きと精力的に生きるためには必須なのです。

感情そのものは、このように、人にとって必要不可欠であり、有益になりうるものです。感情に いい、悪いはありません。 怒りや恥、恐れ、自責の念など、不快な感情であっても意味があって起こるもの、私たちに何かを教えてくれる大切なサインです。

ただし、感情が有害物質と化して、心身をむしばむことがあります。

それは、感情が長く留められたときです。

怒りや恥、恐れ、自責の念などの、いわゆる「ネガティブな感情」(本当は感情にネガティブもポジティブもないのですが)は、早めに手放すことができれば、有害物質にはならないのですが、ずっととどめていると、心が病むことはもちろん、体にも影響が出てきます。

以前、アメリカでカウンセラーとして働いていた時、強烈なトラウマを何十年も抱えて生きてきた人が、毎日のようにオフィスを訪れてきたのですが、こういう人たちは、若くてもあちこちに痛みがあったり、病気になったりする人が非常に多かったのが印象的でした。

その中に、子供のころに性的虐待を受けた30代の男性がいました。この人は、痛みのあまりにそれを誰にも言えず、ずっとアルコールで痛みを抑え込んで生きてきたのですが、その代償として、非常に怒りっぽい性格になっていました。些細なことで激情に駆られ、しょっちゅう喧嘩していたので、対人関係でも問題がつきず、警察のお世話になることもたびたびでした。彼はとても体格がよく、強そうな肉体の持ち主でしたが、見かけに反して体のあちこちに痛みが出ていて、スーパーで買い物をするときも、電動車椅子を借りて移動していました(アメリカには貸し出し用の車椅子があるのが普通でした)。この人が、幼少期の性的虐待のいきさつを私に初めて打ち明けたとき、何十年にもわたってせき止めていた感情が、一気にあふれ出し、号泣して、いつまでも泣き止まなかったのを、今でも覚えています。感情が突破口を見出し、解放されたことで、この人の気持ちはその後少し楽になり、穏やかになりはしましたが、何十年も抑圧され、とどめられた感情は、原初に形成されたより何倍も厄介なものになり、癒すのも困難になるので、その後もなかなか一筋縄ではいきませんでした。

この男性に限らず、長年留められた感情が、細胞レベルで体をむしばんでいると思われるケースは、たくさんありました。

ここまで深刻なケースでなく、日常で嫌な思いをしたときであっても、感情のサインを認め、受け取ったら、できれば早めに切り替えることをお勧めします。

感情は、認めて感じきったら、役割を終えて自然に消えていきます。なので、感じてあげることは大事なのですが、思考による解釈で感情を強めてしまう場合があり、その点は要注意です。

誰かと関わって、嫌な気持ちになったとき、その気持ちだけ、理屈抜きで感じてあげれば早く終わり、切り替えもそんなに時間がかからずにできるのですが、

「どうしてこんなことになったんだろう」

「あの人が悪い。あの人のせいでこうなった」

「私が悪いからこうなった」

「私はなんてついていないんだろう。みんなは幸せそうなのに。きっと不幸の星のもとに生まれてきたんだ」

等、思考を使って分析や解釈、いい悪いの判断をしたりすると、もともとの感情を強化して、自分の中に根付かせてしまいます。根付いた感情は時間がたつほどに有害化します。

時々、「あいつのせいで不幸になった」「あの出来事さえなかったら」あるいは「またこうなったらどうしよう」「きっとこうなるにちがいない」と、起こった出来事を取り出しては、 延々考え続けてエネルギーを与えることで、何十年も恨みや恐れを持続させている人がいます。

思考による反復は、何度も往復して強く轍を刻み込むようなもので、自分の中に刻印を作ってしまいます。それによって害をこうむるのは自分自身にほかなりません。

なので、そうならないよう、「つらかったな」「悲しかったな」「腹が立ったな」と自分の感情を優しく認め、受け止めてあげたら、あとは頭で考えて変に定着させないこと。自分や誰かの悪口を頭の中で言っているのに気づいたら、意識的にもっと快いものを見たり、聞いたり、考えたりして、切り替えることが大切ですね。

ちなみに、普段から、美しいものを見る癖をつけると、潜在意識の中のストックが増えて、切り替えが早くなるのでお勧めですよ。

マウントを取ってくる人がいるとき

マウントを取ってくる人がいて、嫌だと感じる時、知っていてほしいことがあります。

マウントを取ってくる人が気になるということは、自分の心の奥にもマウントを取りたいという気持ちがあるということ。

もしそうでなければ、マウントを取られることに、不快感を覚えないはずです。

例えば、

「私は大卒だからね。」

と言われて、高卒の人が、

「嫌味な人だな。高卒より上だっていいたいんだろ。」

と思ったとしますね。

その人が、高卒より大卒のほうがいい、学歴が高いほうがいいという価値観があり、相手と勝ち負けを競う気持ちがあって初めて、悔しい、腹立たしいという感情が生まれます。

もし、高卒でも大卒でも、人としてどちらが上も下もないし、相手と競争して勝ちたいという気持ちがそもそもないという場合、相手の言葉に不快感を覚えないはず。もっとニュートラルな気持で、「へえ。そうなんですね。」とスルーできるはずです。

マウントを取られて嫌だという気持ちの裏には、劣等感を感じさせられて腹立たしいという気持ちがあるはずですし、劣等感の裏には、相手より上に行きたい、優越感を感じたいという気持ちがあるはずです。

もう何十年も前に見たものですが、今でも忘れられずに記憶に残っている、テレビのドッキリのシーンがあります。

その方は、ごく普通のサラリーマン風の、50代くらいの男性で、飲み屋さんで一人で飲んでおられました。

そこに、仕掛け人が現れ、その方のテーブルの前にいきなり座るなやいなや、勝手にその人のお酒を、自分のおちょこについで、飲み始めました。

普通は、そんなことをされたら、誰でも腹がたつのではないでしょうか。

けれども、その男性は、一瞬驚いた顔をしたものの、何も言わず、すぐに自分の徳利を手に取り、仕掛け人のおちょこに、もっとお酒を注いであげたのでした。

それは感動の光景で、モニターを見ていたタレントさんたちも、みんな驚き、感心し、温かく、心洗われるような、しんみりした雰囲気があたりを包んだのでした。

このドッキリを仕掛けられた男性は、「自分が、自分が」というエゴが少ない、とても清らかな心の持ち主だったのでしょう。

相手と自分の隔たりがなく、競い合う気持ちもない。怒らせてやろうという意図に対して、穏やかで優しい気持ちが返ってくると、ぶつかり合いは生まれることがなく、ストレスが生じる余地もありません。

もし、相手がマウントを取ろうとしても、「ああ、あなたは私より先に行きたいのですね。かまいませんよ。お先にどうぞ。」という気持ちで応じるなら、相手に腹が立ったり、それが悩みになるということはないはずなのです。

マウントを取られて悔しい思いが多いなら、自分の奥に潜んでいる、相手と同質の気持ち、優越感を得たいという思いに気づいてあげください。そして、「戦って、勝って、証明しなくても大丈夫だよ。負けても存在価値は減ったりしないよ。」と自分に優しく声をかけてあげてみてはどうでしょうか。

「秘密の花園」に学ぶ、魔法の使い方

「秘密の花園」(バーネット作 「山内玲子」岩波少年文庫)という本があります。子供向けのお話ですが、大人にとっても、幸せに生きるための大切な真実を説いている内容だと思うので、今回はこのお話を、少しご紹介したいと思います。

簡単にいうと、こんなストーリーです。

インドで育った、お金持ちだけどわがままで、いつも不機嫌な、心身ともに不健康な女の子、メアリは、孤児になり、母国イギリスのお金持ちの叔父さんのお屋敷に引き取られました。イギリスの自然や、貧しいけれど健全な召使のマーサ、その弟のディコンとの触れ合いを通して、メアリはだんだん変わっていきます。

メアリを引き取った叔父さんは、強い心の痛みゆえに長年心を閉ざしている偏屈ものでした。この叔父さんにはコリンという一人息子がいるのですが、物質的な豊かさをあてがうばかりで、息子を世間の目から隠し、部屋に閉じ込めたきり、会おうとしません。当然ながら、このコリンも、心身ともに病んでいきます。

メアリは、いとこであるコリンと、ふとしたことから出会い、心を通わせるようになります。

メアリとコリンは、どちらも身勝手で、人を見下すような態度の、不愉快な子供だったのですが、それは優しさを知らない孤独な境遇ゆえであり、気高く、賢明で、心優しいディコンと、その母親である、聖母のようなスーザン、すべての人を癒し、健全にせずにはいられない自然を通して、180度変わっていきます。

そして、最後に、コリンは、父親の、暗闇に閉じ込められていた心を開き、光を入れて、祝福を与える存在となるというお話です。

コリンが心身を病んでいったのは、父親に「この子は自分のようにせむしになる。長く生きられない。」と信じられ、召使たちが自分についてそう話すのを聞いて育ち、自分で強くそう信じるようになったからでした。コリンは人目を避けて、寝て暮らすようになり、不安にさいなまれ、みじめで癇癪もちの男の子になってしまいます。本当はどこにも悪いところがないのに、体が弱くなり、歩けなくなって、心身ともに病んでいってしまったのです。

そんなある日、コリンはメアリに、はっきりと「あなたはせむしじゃない」と否定され、自己憐憫をやめるように言われます。それ以降、コリンはだんだんと変わっていきます。

物語の終盤に、コリンが、どうやって健康な心と体を自分で再生していったか、描かれている部分があるので、ここに抜粋し、引用します。

❝「メアリがこの庭を見つけたとき、庭はほとんど死んだように見えました。」コリンは演説を続けました。「ところが、なにかが土のなかからいろいろなものを押し出して、無から、ものを作り出したのです。(中略)名前がわからないので、それを魔法と呼びます。(中略)庭に出るようになってから、ときどき木々のあいだを通して、空を見上げしたが、ふしぎな幸せな気分になりました。なにかがぼくの胸のなかで押し上げたり引っ張ったりして、呼吸を早めているような感じでした。魔法はいつも押したり引いたりして、無から何かをつくりだします。すべてのものは魔法からつくられます。(中略)この庭の魔法はぼくを立たせてくれ、ぼくが大人になるまで生きられることを教えてくれました。」❞

❝「これから、その魔法を少し手に入れて、ぼくのなかに取り入れ、ぼくを押したり引いたりして強くさせるという実験をしてみようと思います。(中略)ぼくが初めて立とうとしたとき、メアリはできるかぎりの早口で『がんばって!がんばって!』と唱えました。そしてぼくは立つことができたのです。もちろん同時にぼくも努力しなければならなかったけど、メアリの魔法が助けてくれました―それからディコンの魔法もです。毎朝、毎晩、それから昼間も覚えている限り、ぼくは『魔法がぼくのなかにある!魔法がぼくを癒してくれる!ぼくはディコンのように強くなる、ディコンのように強くなる!』とくりかえし唱えることにします。」❞

こうして、メアリたちに会うまでは歩くことさえできなかったコリンは、メアリやディコンの応援を力にし、自分の中に強い意図を持つことで、自分の心や体を癒し、強化していきます。

「自分はこうなる」という意図は、良くも悪くも、自分自身や、自分を取り巻く現実を創造していきます。ほかの人たちの意図が、自分の意図に共鳴すると、さらにそれを強める働きがあります。スポーツの選手が試合しているときに、応援の声が力になるといっているのは、文字通り、そうなっているのです。

コリンは、はじめは、悪い方向に魔法を使っていました。周囲の刷り込みを受けて、自分は長く生きられないと、何百回、何千回と、意図してしまい、実際に体が弱っていきました。意図は反復することで強化され、パワーを増幅するものです。

自然の法則である、創造の魔法の力に気づいたコリンは、いい方向にその魔法を使うよう、「実験」を行いました。これによって、コリンは見違えるように健康になり、強く、幸せな少年になりました。

一人の人の状態は、接触を持つ周りの人にも影響を及ぼすので、コリンの変化は病んだ父親にも幸せな変化をもたらすに至りました。

アファメーションが潜在意識に影響を及ぼし、現実を変えていくという、創造性の魔法を、とてもよく表しているお話だと思うので、興味がある方は、「秘密の花園」を一度読んでみてはいかがでしょうか。

セルフコンパッション:自分に優しくする方法

セルフコンパッションという心理的な方法があります。

直訳すると、「自分に慈愛を向ける」。

自分のことを好きになれず、したがって大切に扱うことが難しく、毎日を生きづらく、困難なものにしている方が時々いらっしゃいます。自分に優しくする=甘やかす、または、利己的な行為だと勘違いしている方もいらっしゃいますね。

本当は正反対です。慈愛を向ける、優しくする対象に、自分を含めないと、ほかの人に対しても、慈愛を向けたり、優しくすることは不可能なのです。自分が苦しいのに無理をして人に尽くしたら、いずれ相手に我慢が伝わって、相手も苦しくなるでしょう。自分が穏やかで明るい気分でいたら、人に親切にするのは容易ですし、たとえ何もしなくても、ただいるだけで周囲にいる人も心地がよい気分になります。

ちなみに、私たちの左脳は、自分と他人を区別しますが、右脳は自他を区別をしません。左脳が麻痺して、右脳だけの感覚を経験した、脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士によると、右脳マインドにおいては、自他の境界線がありません。存在するすべてはつながって影響しあい、世界を一緒に創造しているという認識になり、自分と世界が一体化するように感じられるそうです(「奇跡の脳」ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫)。そう考えると、自分に向けた辛辣な行為が、自分と関わりのある周りの人、ひいてはこの世界にネガティブな影響を及ぼし、自分に向けた優しさは、周囲にもいい影響を及ぼし、世界を優しく変えるための、小さくとも確実な一助になるということが、イメージしやすいのではないでしょうか。

さて、今回は、簡単だけどパワフルなセルフコンパッションの方法を、一つご紹介します。アメリカの精神科医、Jonah Paquette博士の、Putting Positive Psychology into Practiceというセミナーで習った方法です。

まず、今、ストレスに感じているものを、一つ、思い起こしてください。ストレスな状況を頭に思い描いて、どんな感覚がするか、感じてください。それができたら、自分に向けて、こう言ってください。

1.今は、苦しいときだ。

2.苦しみは、人生の一部だ。

3.どうか私が自分に優しくできますように。

この後、先ほど覚えた、自分の苦しみの感覚が、どう変化するか、感じてみてください。

この方法では、まず、自分が苦しいということを、見ないふりをしたりしないで、直視し、受け入れるということをします。感情は、否定したり変えたりするより、認めて受け入れることで、消えていくようにできているからです。

次に、苦しみは自分だけではない、すべての人が人生で味わうものであり、人類に共通のものだという認識を起こします。「つらいのは自分だけ」「ほかの人はみんな幸せそうなのに、なんで自分がこんな目に」という見方をすると、苦しみは強まりますが、自分だけじゃない、みんな仲間だ、という思いは、苦しみを和らげます。

最後に、つらい思いをしている自分に、自分が優しくできますように、という慈愛の祈りを向けます。つらいとき、誰かが親身になって、心から優しい言葉をかけてくれたとき、つらい気持ちが和らぐ経験をした人は多いと思います。このように、慈悲の心には、痛みを和らげる働きがあります。目には見えなくても、思いにはパワーあるということです。

セルフコンパッションの手法はほかにもあるので、機会があったら、またご紹介できればと思います。

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