盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)
☆営業時間:9時~18時  定休日:第二、第四土曜、日曜、祝日

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ8,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

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マザーテレサの言葉 :思考が現実を作る

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

パターン化された思考が、いかに自分を取り巻く現実を作っていくかを、よく示している言葉です。

思考って、自分の目の前に起きる出来事=体験を、どう捉えるか、で生まれるものだと思います。

捉え方の癖って人によってあるんですよね。いいようにとらえれば、ポジティブな思考になりやすいし、悪くとらえてばかりいると、ネガティブ思考の人になります。

自分の捉え方の癖に気づくことが、まず第一歩。気づいたら、変えることはできますから。

ちなみに、性格は、思考や行動が集積して作られていくものです。だから、思考や行動を変えて行けば、性格も変わっていきます。

習慣とというのは、反復された行動に他なりません。今までとは違う、新しい行動を意識的にとるようにしたり、自他ともに傷つけるような言葉をやめて、よりよい言葉を使うように心がけたりし、それを繰り返せば、運命も変わっていくということですね。

自分が放ったものが自分を取り巻く現実を形作るというのは、量子物理学で証明される事実です。それが思考であれ、言葉であれ、行動であれ、自分が瞬間瞬間に放つものは、自分が住み、体験する世界を形成する材料になってしまうんですよね。

だからといって、無理にポジティブ思考にしようとするのは、逆効果。こう考えなきゃいけない、と思うと、言葉づらがポジティブだったとしても、苦しみの念が放たれてしまいます。言葉よりは、言葉に伴う念の方が真実であり、物事を左右する力を持つものです。

~すべき、~してはいけない、というべき思考は、苦しみの現実を作る元なのです。「こうなったらいいな」、「こうなったら幸せだな」という思いを放つようにした方がいいと思います。

氣の流れをよくする

先日、某温泉に行って、日帰り入浴してきました。

でも、申し訳ないのですが、正直いって、その入浴施設、なんだか、癒されないのですよね。有名な温泉郷にある施設の一つで、泉質はいいのですが、居心地が悪いのです。すごく混んでいるわけでもないのに、なぜでしょうか。

そのわけは、建物の材質と構造にあると思いました。

綺麗な色で塗ってあるとはいえ、コンクリートでできていて、窓が一つもなく、天井が高いのです。天井の方に大きく空気孔が空いているから、息苦しさはないし、コンクリートだから外が暑くても中は涼しいし、その辺はいいのですが、四方をコンクリートで囲まれていると、氣の流れが遮られることを、改めて実感しました。

もし、窓でもあって、外に木の生えた庭でもあったら、視覚を通して氣の交流が起こるから、全然違っていたでしょう。

昔、ある映画でみた、刑務所の中のシーンを思い出しました。その刑務所は、重い罪を犯した受刑者が長年入っているところで、建物にはほとんど窓がなく、唯一、空が見える小さい窓があります。そこから青空を見るのには、順番待ちがあって、何週間に一回か回ってくるだけです。そこで、外を見ることに飢えている受刑者たちの間で、順番を奪い合うための殴り合いが始まるという、本筋とはあまり関係のないワンシーンが、今でも印象に残っています(何の映画だったか、タイトルも本筋は忘れてしまいましたが)。

この時、受刑者たちが欲していたのは、窓から見える青空ですが、それはとりもなおさず、清らかな氣のことだったのだと思います。

実際、アメリカにいたとき、州で一番大きな刑務所でカウンセラーの求人募集があったので、ちょっと興味があって応募したことがあったのですが、面接に行って刑務所を見学し、やっぱりやめよう、と辞退しました。その一番大きな理由が、コンクリートでできた大きな刑務所の建物に窓が一つもなく、太陽光が入って来なくて、1日中、昼か夜かわからないような場所だったから、でした。ここに毎日いたら、(受刑者と接することより、建物の構造的に)心身に悪そうだと思ったのです。

刑務所にあまり窓がないのは、逃亡できないようにするためだと思いますが、これでは、ただでさえ、心の闇を抱えている受刑者は、一層心が荒んで、更生から遠ざかってしまうかも、と思います。

コンクリートで囲まれた建物や場所は、氣の流れを遮ります。駅の地下道なんかもそうですね。物理的な穢れ(地下道の排水路のちょっとした汚水とか、カビとか)や、目に見えない穢れ(人の念とか)もたまりやすくなります。大きな窓があって、絶えず新鮮な空気が流れ込んで循環したり、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出してくれる植物(やはりエネルギーの循環を促してくれる)が十分あったなら、穢れはたまりにくいでしょう。コンクリートでなく、木でできた建物も、やはり、氣の流れが遮られにくいように感じます。

個人的には、色々な人が泊まる割に、冷暖房完備で窓を開けることが少ないホテルなんかも、氣がよどんでいて、居心地の悪さを感じます。なので、開けていいなら、まず窓を少しでも開けて、空気を入れ替えるようにしています。

もし、鬱状態の方がいらっしゃったら、何かをする気持ちになりにくくなると思いますが(鬱はそもそも気持ちが淀んで流れが悪くなっている状態ですから、そうなってしまう)、毎朝、窓を開けて、空気を入れ替えたり、太陽の光(特に朝日)を入れたりするだけでも、少し気持ちが晴れると思います。

または、氣がいい場所に行って、しばらくそこにいるのも、お勧めです。自然の多い場所とか、神社を参拝するのもいいですね。

意識的に、自分の氣をよくすることを、心がけたいものですね。

罪悪感と恥の違い

罪悪感は、自分が違った行為をしてしまった、または、正しいことをしそこなったと思うときに感じるものです。罪悪感を覚える人は、通常、その行為を修正しようとするか、殻に閉じこもるか、どちらかをしたくなります。

通常、罪悪感は、「本来、自分がありたいという姿と違っているよ。自分の理想の道からそれちゃっているよ」と教えてくれる感情であり、本来の道に戻るよう、行為の修正を促す働きがあります。罪悪感を覚えるのは、健全な証拠であり、罪悪感は役立つ感情でもあり得るということです。

(ただし、生い立ちの過程で認知に何らかの歪みができた場合、不当な罪悪感を覚えることがあります。幸せになってはいけないと思い、いいものを受け取ることに罪悪感を覚えるなどがこれに当てはまります。その場合、罪悪感は役に立たないばかりか、足を引っ張るものなので、手放した方がいいです。この場合の処方箋は、罪悪感を覚えても、それをし続けて、慣れるということです。罪悪感を覚えながらも、与えられるものを受け取り、幸せを許す、それを何度も繰り返す、ということをすれば、罪悪感はだんだん薄れて消えていきます。)

これに対して、恥は、自分という存在自体を、悪い、間違っていると認識するとき、感じる感情です。自分のしたことではなく、自分そのものを悪いとみなしているわけです。なので、恥を覚えている人は、通常、殻に閉じこもり、人から自分を切り離し、孤立しようとします。

大事なのは、どんな感情も、その人自身ではないということ。「その人=恥」ではないのです。いかなる思考も、感覚も、その人自身ではなく、その人が一時的に持って、体験しているものに過ぎません。自分というのは、自分がもつどんな感情、思考、感覚よりも、大きな存在なのです。

なので、「自分は何をやってもダメだ」「人に受け入れない、恥ずかしい存在だ」と思ったり、感じたりしたとしても、そしてそれがどんなにリアルに感じられたとしても、それは、自分がその時に握っている、一時的に訪れてはいても、やがて移り行く思考や感情のひとつにすぎないということを理解してください。どんな体験も、自分の存在そのものではないということを理解し、それと自分を同一化してしまわないことが大切です。

トラウマ解消にかかる時間

カウンセリングを受けた際、トラウマが解消するまでにどのくらいの時間がかかるかは、人それぞれです。

一般的に、トラウマが深く、その人の心にトラウマが内在していた時間が長いほど、解消するまでに時間がかかるというのは確かにいえるかもしれません。ただし、これはあくまでも大まかな傾向にすぎず、そうでない多々見受けられます。

例えば、同じようないじめにあった人でも、比較的早く立ち直り、心に負の痕跡を残さない人もいるし、いつまでも傷がいえない人もいます。起こった出来事自体よりも、その後、その出来事をどう捉えるかも、トラウマに発展させるかどうかのポイントになります。例えば、容易に人を許せる人、こんな人ばかりじゃない、世の中にはきっといい人もいると思える、人を信じる心を捨てずにいられる人、自分が辛かったから自分は絶対人をいじめないでおこうと思う、利他的な心の強い人は、傷の風化も早いように思います。一方で、頻繁にされたことを思い出して、「あいつのせいでこうなった」と恨みを募らせていれば、10年たっても傷はいえず、むしろ深まってしまいます。

ちなみに、自分の不幸は人のせい、または、自分がすべて悪いからこうなった、という、人を責める思いは、心の傷を深め、精神的な成長の歩みを止めてしまいます。自責・他責の念は、負の体験のまま、心を足止めしてしまう効果があるので、持たないほうがいいし、持ってしまっていたら早めに手放した方がいいです。

アメリカでカウンセリングをしていた時、深刻なトラウマを抱えた人を、数多く治療していました。アメリカは犯罪大国で、殺人や自死、虐待やネグレクトも多く、レイプや近親相姦も多発しています。そんな中、多重のトラウマを抱えていながら、劇的によくなった人も、何人もいらっしゃいました。

マギーさん(仮名)は当時50代の女性でした。彼女は、小学生だったある日、遠足に行って帰宅したら、竜巻で家が崩壊しており、母親が亡くなり、父親も半身不随になっていました(父親は自暴自棄の数年を過ごした後、ケガがもとで亡くなりました)。育ててくれる人がいなくなったマギーさんは、親戚をたらいまわしにされました。親戚の集まりでは、聞こえよがしに迷惑がられ、自分の押し付け合いをされ、深く傷ついたそうです。その後、引き取られた遠縁の女性には性的虐待を受け、10代後半では見知らぬ人にレイプされて、20代の頃はやけになり、色々な男性と派手に遊び歩いたといっていました。そんなことで心が癒えるはずもなく、やがて重症のうつ病に陥り、何度か自殺未遂もしています。後に、ようやくいい男性と巡り会って、生涯の伴侶を得た彼女ですが、私が担当した時は、慢性的な鬱状態が治ってはいませんでした。

マギーさんは、もともと、とても心優しく誠実な人柄で、イマジネーションも豊かな人でした。また、何十年もかけ、紆余曲折を経て、トラウマ解消の土壌ができていたのもあったと思います。もし、解消するまでの準備ができていなかったら、私に今までの辛かった過去を詳しく話すこともできなかったでしょうから。彼女の場合は、数回のカウンセリングの後、とある、自分を癒すイメージングをしてみるように誘導したら、一回で、今までの痛みの大浄化がワーッと起こりました。それ以降、彼女はそれを家でもするようになりました。セルフヒーリングの結果、マギーさんは長いトンネルを抜け出たかのように180度変わり、過去に煩わされなくなり、幸せを感じられるようになりました。

このように、何かのきっかけで、大きな転換が起きる人もまれにいますが、多くの人は徐々に良くなっていくコースをたどります。

やはりアメリカでカウンセリングをしていた時のクライアントさんだった、ショーンさん(仮名)は、子供の時に、男性から性的虐待を受けました。女性でも幼少期の性的虐待は深い心の傷になりますが、男性の場合、恐怖はもちろん、恥の気持ちも痛烈で、長い間、誰にも言えないまま、大人になるケースが多いです。ショーンさんは、当時、30代で、結婚して子供もいました。料理が好きで、料理人を職業とし、女優のシャロン・ストーンに料理を提供してことがある、飛行機でくるんだ、と言っていたので、きっと腕のいいコックさんだったのでしょう。けれども、彼は長年、鬱と不安に苛まれていて、職場を転々としていました。どこに雇われても、些細なことで、男性の上司に対して強い怒りを抱いてしまい、トラブルを起こしてしまうのです。無力だった幼少期に、年上の男性から有無を言わさず乱暴された過去から、男性のコントロールに対する嫌悪感や反発心が非常に強かったのでした。

ショーンさんの場合は、はじめは、トラウマになっている過去の話をすると、沸き上がる憤怒で顔を赤くし、汗をかくほどでしたが、カウンセリングを重ねるうちにだんだんとそれも収まってきて、穏やかになってきました。はじめのうちは、人に対する警戒心が強くて、スーパーで人とすれ違うだけでも怒りと不安を覚えるほどでしたが、それもなくなり、ずいぶん、生きやすくなったといっていました。彼の場合は、そうなるまでに、1年もかからなかったでしょうか。

同様に、ジェーンさん(仮名)も、幼少期の性的虐待を何十年も引きずり、人を信じずに、過剰に警戒して壁を作り、怒りを抱いていてた人でした。彼女は、何年もの間、別のカウンセラーが担当した後に、私のところに来ました。鬱と不安の症状が強く、仕事はしておらず、生活は福祉に頼って引きこもりがちの人でした。スーパーに行くと、並んでいるだけで、周りの人が自分を見て嘲笑っているような気がして、腹が立つといい、男性に繰り返し性暴力を振るわれたために男嫌いで、レズビアンでした。最初のうちは、私に対しても警戒心をいだいていた様子がありましたが、少しずつ心を開いてくれ、強烈だったフラッシュバックも和らいでいきました。彼女はユーモアのセンスがあり、面白い人でもあったので、そこから話を切り込んで信頼関係を築くこともできたと思います。

ジェーンさんは、ホイットニー・ニューストンが大好きで、私がアメリカの職場を退職して、日本に帰る時、大事にしていたホイットニーのCDの歌詞カードにメッセージを書いて、プレゼントしてくれました。

ちょっとたどたどしい字で、「Take care of my woman Chika. Thanks for all your help and you are the only one that was able to get me out of my anger! And so grateful ‘cause now I’m not so angry. God bless you. I’m gonna miss you. 」と書いてあります。(ざっと訳すと、「助けてくれてありがとう、あなたは私を怒りから救ってくれたたった一人の人です!もうあんまり怒らなくなったので、とても感謝しています。神のご加護がありますように。いなくなって寂しいです」とあります。最後に本名で署名がしてありますが、マスキングしました。)

アメリカで働いてたのは15年くらい前ですが、このCDを久しぶりに見つけて、ジェーンさんのことを思い出し、元気にしているかなと懐かしく思い出しました。彼女は、性的虐待のトラウマ以外にも、お母さんに愛されていないというトラウマがありました。最初のトラウマが薄れてきたら、次の心の痛みが浮上してきました。こちらのトラウマも、最初のトラウマに負けず劣らず深いもので、痛くてなかなか口にすることができないほどの痛烈な記憶がありました。それは彼女の現在に、母親との不健全な距離感として影響していましたが、そちらの方も徐々に正常化していき、生きづらさは解消していきました。

ジェーンさんの場合は、2~3年かかってよくなっていき、最終的には鬱や不安の症状がほぼなくなっていたように記憶しています。

ジェーンさん以外にも、アメリカでは、壮絶な過去にさいなまれた人たちと数多く関わってきて、今でも忘れられない人たちが多くいますが、今頃どうしているかな、幸せだったらいいなと思います。

このように、トラウマから回復する時間や過程は人によって違いますが、一つ、付け加えるとすれば、アメリカは麻薬が円満していて、心の痛みを消すためにドラッグを使っていたクライアントさんがほとんどだったので、心の回復もその分時間がかかったと思います。日本のクライアントさんはそうでない分、回復が早く、何年もかからない人が多いように思います。ただ、日本では、カウンセリングに保険が効かないので、経済的に恵まれていない人であっても、気軽に何度も受けられるアメリカと違い、よくなるまで、ある程度の期間続けるのが、費用面で難しいと思います。日本でも、早く、アメリカみたいに、国の補助や保険制度が整って、専門的な心理療法へのアクセスが容易になればいいですね。

「自分には価値がない」を解決する方法

「自分には価値がない」という思いが強い人は、無意識のうちに、その信念をもとにして言動を起こすので、うまくいかないことが多くなります。

例えば、価値を上げるために躍起になり、過剰に努力して、心身を疲弊させてしまいがちです。こういう人は、なんでもやりすぎてしまうので、空回りしやすく、頑張っているのにうまくいかない現実を作り出します。承認欲求をもとに人と関わったり、仕事や勉強を頑張ったりするので、人間関係では無意識にマウントを取ろうとして嫌がられるか、あるいは人に気に入られようとして、なんとなく煙たがられたりします。頑張りすぎや気疲れで、病気や鬱になったりする傾向があり、たとえ業績を上げたとしても、それで気分が上がるのは一時的。慢性的に満たされない、ということが起こります。

または、「自分なんか、いいことに値しない」という自己卑下が根底にあるので、周囲から差し出された好意を受け取らなかったり、いい機会があっても手を伸ばさなかったりするかもしれません。その結果、人が嫌になり離れて行って(だって、せっかく差し出したプレゼントをいらないと返されたら、あげたほうも悲しくなりますよね)孤独になったりします。いい機会を受け取らず、自分にはこの程度がふさわしいと、低いものを自分にあてがって、不本意な状況を自分で作り出し続けながら、「やっぱり、こうなる。どうせ自分なんか」と、自己卑下を強めるパターンを繰り返す人もいます。

そもそも、自分に価値があることを疑っていない、健全な自尊心を持つ人は、自分に価値があるとかないとか、考えません。自分の価値を意識すること自体がないのです。例えば、目や鼻や口があるのが当たり前だと思っていたら、自分に目や鼻や口があるとかないとか、取り立てて意識しないですよね。

人が、自分に価値があるかないか、どんなに考えたとしても、そこには思考の偏りが入り込みます。なので、真に正当な評価を下すことは不可能なのです。

同じ人でも、気分がいいときは自分に価値がある気がするでしょうし、誰かに嫌なことを言われて落ち込んでいるときには、価値がない気がするでしょう。テストでいい点を取って褒められたときは価値がある気がするけれども、悪い点を取ったら価値が下がった気がする。

また、自分で価値がないと思っても、他人は、「この人すごいな、この人みたいになりたい」、と思っているかもしれないし、逆に、自分は価値があるすごい人間だと思っていても、他の人にはそう思われていないということもありますよね。

人に価値を下そうと思ったら、人によって、気分によって、状況によって、違う価値判断になってしまう。ということは、その価値判断は、絶対的ではないということ。誰かに対して、絶対的に正しい価値判断なんて、下しようがないということなのです。

それなのに、自分に価値があるとかないとか、悶々と考えるだけ、無駄だと思いませんか。

それでは、どうやったら、「自分に価値がない」という思いを消すことができるのでしょうか。ポイントは、「ノンジャッジメント」です。

ノンジャッジメントとは、いい・悪い、正しい・間違っているで価値判断を下すのをやめることをいいます。

人は、多くの場合、無意識に、思考の中で、自分や他者に対し「いい、悪い」「正しい、間違っている」というジャッジ(裁き)を下しています。ジャッジすると、人の心は波立ち、平和はかき乱されます。自分に対しても、人に対しても、ジャッジするのをやめれば、思考は鎮まり、心は中立で穏やかな状態になるのです。

「自分に価値があるとかないとか、どうでもいい。だって、考えたって、どうせ正しい答えは得られないんだから、考えるだけ無駄。自分が存在していることに、いいも悪いもない、自分はただ存在している、それだけ。生きているから生きている。」そういう風に思うと、価値がないと悩んでいる人は、葛藤が鎮まり、心が平和になるはずです。

自分の価値をあげようと躍起になって何かしたり、自分のいいところを探そうとするより、そのほうが効果的だと思います。

人と会って疲れるなら

人と会うと疲れるという人は、どこかで余計に力を使ってしまっているのだと思います。自分のエネルギーを過剰に消耗してしまう心の癖に気づいて、修正することができれば、人と会っても疲れなくなるはずです。

例えば、人に嫌われたくない、よく見られたいという思いが強いと、気を張ってしまい、ありのままの自分よりも背伸びしようとする分、疲れてしまいます。普通に1km歩くより、つま先立ちで1km歩いた方が消耗するのと同じです。人にどう思われるかをあまり意識しない人と比べたら、一日が終わった時点で、疲れ具合が全然違うということになります。

また、人は自分を傷つけるもの、攻撃してくるもの、自分をだまし、自分から奪うもの等の信じこみがあると、そうされないように周りに防御壁を作り出してしまい、やっぱりとても疲れます。壁を作ると、一見、人と距離が取れて安全に思えるかもしれませんが、同時に、人と関わることで得られる優しさや温かさ、楽しさ、喜びなどの愛の要素も入って来られなくなります。愛は最大のエネルギー源であり、心の傷を癒してくれる薬でもあるので、結局、心の傷は満たされず、孤独とみじめさ、不幸せ感を覚える結果に至ります。

それに、壁を作り続けることは、無意識にやっているにしても、不自然な力を使うことになり、疲れるのです。「敵に囲まれて暮らしている」のが、そうでない生活と比べて疲れるのは、明白ですよね。本当は、多くの場合、自分の頭がそう思いこんでいるだけで、敵なんていないのです。自分が敵とみなしている人たちが、良くも悪くもそこまで自分に関心を抱いていないとしたら(他の人は私たちが思うほど、私たちのことを気にしていませんからね)、気を張って生きているのは、骨折り損のくたびれ儲けです。Tシャツを着た人が普通に歩いている通りで、一人、重い鎧に身を固めて、刀に手をかけ、戦々恐々として暮らしていないかどうか、もしそうなら、そんな無駄に疲れることを続けたいかどうか、自分の心に聞いてみてましょう。

同様に、周囲の人を心の中で批判しがちな人も、やっぱり疲れます。悪口や否定的な念は、心身を重く硬くし、流れを停滞させる力をもっています。体が重いと、同じことをするにも多くの気力を使い、疲れますよね。無意識に周囲の人を否定的にとらえる癖がある場合は、ネガティブな思考の解釈やおしゃべりに気づいて、それをなくしていくだけで、楽になっていくはずです。その際、悪口を止めようとするのでなく、(無理にせき止めてもあとからあとからやってこようとするだけなので)悪口を言いたくなる自分の心の苦しみに気づいてあげ、「何が辛いの?」と優しく聞いてあげたほうが効果的でしょう。幸せな人は人の悪口をいいたくならないし、いいたくなるとうことは、自分の中に何らかの不幸せや満たされていない思いがあるはずです。それに気づいて優しく包み込むイメージをするだけで、心が楽になって、自然に人を悪く思う気持ちが消えていく可能性があります。

それから、エネルギーを吸い取る人とばかり関わってしまうパターンが自分の中に形成されてしまっている人もいます。例えば、威圧的に支配しようとしてくる人や、承認欲求が強く、マウントを取ろうとしてくる人、愚痴や不平不満ばかり言ってくる人、人の話を聞かず自分の話ばかりしてくる人、夜中でも構わず電話をかけてきて相談してくる人などは、自分自身でエネルギーを生み出すことができない(と信じている)ために、人からエネルギーを補給して自分を満たそうとします。そういう人とばかりご縁ができてしまうというなら、自分の中にそういう人をひきつけ、関わってしまう何かが必ずあります。恐らく、自己価値観の低さから、粗末に扱う心の癖があると、エネルギー吸血鬼さんタイプの人と絡んでしまいやすくなりますね。なぜなら、エネルギー吸血鬼さんタイプの人も、同じように自己否定や自己不信が根底にあるので、類は友を呼んでしまうんですね。

一番疲れないのは、不必要に人目を気にせず、自然体であることです。同じ人に気を遣うにしても、「自分がよく思われるために」というエゴが動機になっていると疲れます。逆に、自分を意識せず、人が心地よくあるようにという無私の思いやりがモチベーションになっている場合は疲れません。ただし、自分も大事にし、自分が苦しんでいるのに、人のために尽くすという自己犠牲がない場合は、です。(自己犠牲は自他のバランスが崩れている状態なので、持続しません。疲れてしまって、行き詰まる結果になります。)

欠点があっても、失敗しても自分を許し、何があってもなくても自分を慈しみ、自分を信じることができるくらい、自分をおおらかに扱うことができたら、人目を気にすることはなく、自然体でいることが容易になります。人と接していても疲れなくなり、疲れる人との関わりもなくなっていきますよ。

空間と同調して穏やかな心を取り戻す

生きていると、日々、色々なことがあります。毎日、起こる出来事、入ってくる情報、出会う人との関わりなどに反応して、私たちの思考は忙しく働き、様々な感情が沸き起こって、心が右往左往してしまいがちですよね。

そういう時、その場に居ながらにして、日常の雑事を離れ、穏やかでニュートラルな心を取り戻す方法があります。やり方は簡単で、要するに、意識を向けるところを変えるだけなのですが、その方法をお伝えする前に、予備知識として知っておいていただきたいことがあります。なぜ、このやり方で心が落ち着くか、そのしくみを知っておくと役に立つと思うので、量子力学のお話なのでちょっと難しいかもしれませんが、しばらくおつきあいください。

私たちの周りには固体、液体、気体で色々なものがありますよね。家、木、人、動物、川、雨、煙など、目に見えるものもあれば、空気、電波、音など、目に見えないものもあります。私たちの思考や感情も目に見えないけれど、それがあることを疑う人はいないでしょう。

これらの有形無形の全てもものの、すべての源になっているものが、素粒子です。私たちの体も、思考も、感情も、全部素粒子でできています。

この素粒子は、地球上のどこにでもあり、地球だけではなく、宇宙のあらゆる場所に満ちています。すでにあるものだけなく、まだ形をとっていない、これから何かになる可能性を秘めている素粒子が、目にはみえなくても、あらゆる場所に漂っています。

この、すべての創造のもとになっている素粒子が満ちている場を、空間をいいます。あらゆるものがここから生まれ、ここに還っていく、すべてのエネルギーの源が、ここに在ります。(本当は、量子力学の観点から言うと、空間というものも存在しないのですが、時間も空間も存在しない量子の世界は、私たちの慣れ親しんだ認識から飛躍しすぎていて混乱するので、ここでは空間としておきます。)

例えば、建物は空間を壁や屋根で仕切ったものですよね。建物が建つ前にも空間は存在していますし、建物がなくなった後にも、空間は存在しています。始まりも終わりもなく、常に、今、ここにあります。

この空間に意識を合わせることが、心を穏やかにするコツなのです。ここに同調すると、私たちは、源のエネルギーにアクセスし、狭い領域の「我」から抜け出て、本来あるべき状態にシフトします。

日々の出来事で揺れ動く、大波小波に揺られる木の葉のような状態は、私たちの本来の姿ではありません。心の奥深く、潜在意識の奥底にある、私たちの本質は、深い海の底のように、静かで穏やかです。

それでは、ここで、具体的に、空間に意識を合わせる方法をお伝えしましょう。

基本的にはどこにいてもできるのですが、慣れないうちは、静かな場所で、目を閉じて行う方が、効果を実感しやすいと思います。まず、自分がいる周りの空間を意識します。難しく考えすぎなくても大丈夫。部屋の中にいたら、部屋の中に壁に仕切られた空間があるな、ぐらいに思ったらいいと思います。

それができたら、だんだんと、感じ取る空間を広げていきます。壁で仕切られていても、壁を取った向こうには空間が広がっていると考えてください。部屋の大きさから、数十メートル四方、数百メートル四方へと、意識する範囲を広げてみていってください。気持ちが落ち着く効果が現れたら、そこでやめてもいいし、もっと意識を広げて、町全体、国、地球上のあらゆる場所に空間が広がっているとイメージしてみてもよいでしょう。

もし、屋外でするなら、天気のいい日に、空を見ながら、同じように空間に意識を合わせて、感じることをしてみたらいいと思います。

これだけで、自分を創っているもとにして、すべての根源であるエネルギーと同調し、気持ちが静かでフラットな状態になりやすいはずです。

最後に、ちょっと余談ですが、思考の現実化がどういうものか、量子力学的な説明をしてみたいと思います。

有形無形すべてのものを作っている素粒子は、先にお伝えした通り、あらゆるものになる可能性を秘めて空間に漂っているのですが、意図をもって眺めると、その通りに配列するという性質を持っています。可能性にすぎないときは波の形なのですが、誰かが「こうなる」「こうにちがいない」と思ってみると、波から粒になって、その思考の通りに現れる、というもの。

だから、世の中は悪い人ばかりだと思うと、悪い人ばかりが目の前に現れるし、自分は運がいいと思うと、そういう現実が形を取って目の前に現れます。恐れを抱いて観察すると、恐れているものが形をとってしまうし、愛を持って眺めると、愛が形をとって自分の現実に現れます。恐れていることより、願っていることを常日頃からイメージすることが、いかに大切か、ということです。

また、量子力学にいうと、思考も感情も素粒子でできたエネルギーで、似た波長をもつものと引き合ってくっつき、強化されるという性質があります。例えば、いつもネガティブな思考や感情を発していると、その思考や感情の素粒子は、ポジティブな思考や感情のエネルギーを発している人はスルーして、同じようにネガティブ・エネルギーを発している人の素粒子とくっつきます。なので、ネガティブな人は、自分と同じようにネガティブな人と関わりができてしまいやすいというわけですね。どこへいってもネガティブな人とばかり出会うという人は、環境を変えるより、自分の思考や感情を変えたほうがいいというわけです。

量子力学の話は、今までの人間の常識とはかけ離れているので、理解するのが難しいのですが、奥が深くて面白いと思います。でも、もし、背景にある仕組みが難しかったら、そこは飛ばしても構いません。空間を意識するというコツだけ実践すればいいと思います。よかったら試してみてくださいね。

料金改定のお知らせ

セラピールーム.・ハミングバードでは、2013年より約12年間、専門性の高いカウンセリング・サービスを比較的リーズナブルな料金で提供してまいりましたが、2025年4月1日より、メニュー&料金のページの通り、カウンセリング料金を改定させていただくことになりました。

今後とも、訪れてくださるクライアント様に最善が起こるよう、1回1回心を込めてカウンセリングをさせていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

※現在、4回または6回コースご利用中のお客様におかれましては、差額の追加料金は発生いたしません。

※現在単発で継続されている方を含め、2024年1月1日以降にセッションを受けられた方は、6月30日までの3か月間は、旧料金のまま据え置きとさせていただきます。

よろしくお願いいたします。<(_ _)>

頭を空っぽにするコツ

家に帰っても、仕事のことを考えてしまうという方はいっしゃいますか?

それって、心が休まらないですよね。  

今、目の前に仕事があるならともかく、明日、職場に行かないとどうしようもない問題について考え続けるのは、エアーで仕事をしているようなもの。

脳は現実と想像の区別をつけません。仕事のことを考えるだけで、本当に仕事をしていると勘違いした脳が体に指令を出し、アドレナリンやコルチゾールというストレス物質を体内に作り出して、心と体を「頑張るモード」にしてしまいます。結果として、疲れるけど、何もはかどっていないということが起きます。なんだか、とてももったいないですね。

どうせなら、お休みの日は仕事のことを考えずにゆっくり休んで、消耗したエネルギーを回復したほうが、いざ出勤したときは、より冴えた頭で、元気に働けます。

そのためにも、考えるのをやめて、頭をからっぽにする時間を持つことは、とても大切なのです。

そうはいっても、「考えたくなくても考えてしまう。どうやって考えるのをやめたらいいのかわからない」、という人、多いかもしれません。

今日は、そんなとき、どうしたらいいのか、というお話です。

皆さんは、ブルース・リーの「don’t think,feel」というセリフを知っていますか?「考えるな、感じろ」という意味ですが、これは奥が深い名言だと思います。

感じることに集中すると、考えなくなり、 やがて頭が無になっていきます。頭が無になると、心が穏やかで平和になります。

(これは余談ですが、そうなると、自分の中のとても賢い部分、すべてを見通せるスーパーコンピューターである潜在意識につながりやすくなります。潜在意識につながると、一生懸命頭で考えるより、ずっとよい方法を、「ひらめき」という形で、瞬時に、苦労なく、見つけやすくなります。体的にも、そのほうが余分な力が抜けて、楽に、最大の力を発揮できることを、ブルース・リーは知っていたんですね。)

では、ここで、感じる練習として、試しに、1~2分でいいので、次のうち、どれかをやってみてください。

  • 今、周りにある音を3種類、聞き分けてみてください。そのうちで、一番耳に心地いい音を選んで、しばらく耳を傾けてみてください。
  • 今、目に入るものを3種類選んで、その形や色を観察してみてください。地球を訪れた宇宙人が、初めて見るものを興味深く観察するみたいに、眺めてみてください。
  • 呼吸に意識を向けてください。息を吸ったときと吐いた時に、空気が鼻の裏側を通る感覚を、丁寧に心地よく味わってください。
  • 呼吸するときに、自分の胸やおなかがどんな風に動くか、じっくり観察してみてください。

いかがでしょうか。これをやっている間は、「観察モード」になり、感覚に集中するので、自然にあまり考えなくなるのが実感できましたか?

「何かについて考える」という思考モードのときは、人は頭の中で、ものごとを分析したり、自分なりに解釈したり、「いい・悪い」で判断したりしようとします。その結果、脳が働いて疲れるのはもちろん、自分の思考がいろいろな感情を作り出してしまい、心が波立ちやすくなります。

これに対して、観察モードになって、感じることに専念すると、頭の判断がやむので、脳が休まり、ニュートラルな視点になり、結果的に心が穏やかな状態になりやすいのです。

この1~4のエクササイズは、ネガティブなことを考え続けて疲れてしまうとき、思考を断ち切って自分をリセットするためにも使える、簡単な方法なので、よかったらやってみてくださいね。

過去と未来をよりよくする方法

すでに起こってしまった過去のできごとをよりよく変え、まだ起こっていない未来をよりよく作る秘訣があります。

それは、現在をよりよく変えることです。

過去に起こったこと自体は、時間をさかのぼって戻って変えることはできませんが、過去に対するとらえ方を変えることは可能です。結局、過去に起こったことが、よいか悪いかは、今、自分がその出来事を、いいととらえているか悪いととらえているかによるものです。どう見るかが100%なんですよね。つまり、悪いことだったとみなすのをやめれば、悪い過去ではなくなるということです。そして、それができるのは、いつでも今、現在なのです。

できごと自体はいつもニュートラル。それをどうとらえるかが、その人を取り巻く現実を作るものです。

では、どうやって過去の捉え方を、「悪い」から「いい」に変えたらいいでしょうか。

一つのやり方としては、「そこから何を学んだか」「この体験にどんな意味があるのだろう」と自問することです。どんなにいやな体験でも、探せば、自分の人生をよりよくするための学びが見つかるものです。学びにフォーカスすれば、それが苦しかったとしても、ただの苦しみではなく、建設的な苦しみとなり、いやな体験が、これからの人生で、きれいな花を咲かせるための肥やしになります。また、どんな辛いことでも、そこに意味があれば耐えやすくなるというのは、ナチスドイツ下で3年間強制収容所にとらわれていた、ユダヤ人精神科医の、ヴィクトール・フランクルが身をもって証明したところです。

過去を悪いものととらえるもう一つのコツは、すでに起こったことに、抗うのをやめること。こうあってはならなかった、どうして自分だけこんな目に、という思いは、すでにそうあるものと勝ち目のない争いをしていることになり、葛藤と苦しみ、無益な消耗を生み出すばかりです。その体験に対するネガティブな思いはさらに強化されて、自分の中にこびりつくでしょう。抵抗をやめ、力を抜いて、ありのまま受け入れると、過去の辛かった感情や思いは、もっと早く通り過ぎて行きます。

さらにつけ加えるなら、もし現在、幸せなら、辛い過去を思い出すことも少なくなるはずです。なので、今、この瞬間を心地よく、幸せを感じるようにしていくといいと思います。

今、この瞬間、幸せを感じるというのは、余計な思考に邪魔されなければ、本当は誰にでもできることです。

例え、1000万円の借金があったとしても、今どうしようもないなら、その問題にふけって格闘するのをやめて、目の前にある美しい夕日をうっとり見ることを自分に許可します。そうすれば、その瞬間は、その人は、1000万円あるなしに関わらず、幸福感を味えます。

幸せというのは、いつでも今しか感じられません。3分後に幸せになることはできません。(多くの人が気づかないうちにやっていることですが)今、過去のもう起こってしまったことや、まだ起こってもいない未来を案じて、今を台無しにすることをやめれば、もっと今、幸せを感じることができるのです。

今に最善を尽くし、今を充実させていけば、過去をネガティブにみることも自然に減っていくでしょうが、同じことが、未来をよりよくする秘訣にもなります。

結局、人がなにかを体験できるのは今、現在という時制でしかなく、よって、何かを動かしたり、変化を加えたりすることも、今しかできません。現在に集中して、最善をを尽くせば、未来は必ず、そうしなかったときより、よくなります。

例えば、今、おいしい食事が目の前にあるのに、1000万円の借金のことを考えてて食べていたら、おいしさを感じないまま、気づいたらお皿が空になっているでしょう。せっかく、一流の料理人が心を込めて、いい材料を集めて作った料理であっても無駄になり、自分の身になって、自分の人生に、たとえ少しかもしれないけれども、よい変化を及ぼすという機会を逃してしまいます。

この時、もし、今日のところはどう逆立ちしても返せない借金のことは横に置いておいて、目の前のごちそうに集中したら、もっと目でごちそうのいろどりを楽しみ、おいしく味わえるでしょう。そうしたら、その間は心地よいひと時となり、リラックスさせたり、幸福感を感じさせたりする脳内神経物質がたくさん出て、心や体が、一時でも元気になるでしょう。集中力が増すから、仕事がはかどり、おいしいものを食べて機嫌もよりよくなるでしょうから、人ともにこやかに接することができ、必要な情報が入ってきて、借金を返すためのよい方法にもつながるかもしれません。夜も、ずっと思い悩んでいるよりは、ぐっすり眠れるようになるでしょう。

こうして、今、ここに集中してフルに体験し、最善を尽くす選択をすることで、少し先の未来がよくなるということ。これを続ければ、ドミノ倒し的に未来がよくなっていきます。もちろん、借金を返すため、問題解決のために、今、現在、できることがあれば、他に気を取られたりせず、それに集中して最善を尽くすことが、よりよい未来を作る選択になります。

過去も未来も、実は実態はなく、人の頭の中にある架空の概念にすぎません。実態があるのは今、現在だけなんですよね。人間の集合意識には、過去、現在、未来という時系列の認識が埋め込まれているから、この辺は、なかなか理解するのが難しいところではありますよね。

今回は、今をよいもので満たしていくことが、過去と未来をよりよく変えるカギになるというお話でした。

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