盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)
☆営業時間:9時~18時  定休日:第二、第四土曜、日曜、祝日

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ8,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

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「わかってもらえない」苦しみについて


「親に気持ちを理解してもらえない」 「自分の苦しみを誰にもわかってもらえない」。こういう思いの裏には、依存や被害者意識が隠れています。

誰かにわかってもらえないと、自分は不幸せ、というのは、自分がいい状態になるか、悪い状態になるかは、他の人次第である、ということ。 自分の幸せを他者にゆだねている、すなわち依存状態ですね。依存は被害者意識と表裏一体なので、依存が強い人ほど、あの人のせいで自分は不幸、と人のせいにしやすくなります。

そもそも、親であれ、友達であれ、配偶者であれ、自分の気持ちを隅々まで正確にわかってくれる人なんで、自分以外にいません。逆に、自分が、自分の親や、友達や、配偶者の痛みを、いつも正確に余すことなくわかってあげられるかというと、そんなことはないはずです。

自分の苦しみは、人にわかってもらえないのが当たり前。わかってもらおうなんて、望まないほうが、むしろ自立的でいいと思います。

人の痛みというのは聖域であり、個人的なものです。ほかの人が入ってきて、隅々まで覗いて、好きに変えたりするなんて、できないし、されたくもないでしょう。自分しか、本当には理解できないし、手を加えて変えたりできない領域なのです。

加えて、「誰もわかってくれない」という思いは、自分と他者を分離する意識を生み出し、孤独感を強めてしまいます。「私だけが不幸」「なんで私だけ」という気持にもつながり、辛さを深めてしまうことにもなります。

痛みというのは、個人的なものである一方で、普遍的なものでもあります。

自分が他の人の痛みや苦しみを知らないだけで、本当は、どんな人にも、それぞれ、固有の痛みや苦しみ、悲しみがあるものです。それはもう、人混みで石を投げたら当たるくらい、自分のように辛い思いをしたことがある人はいるものです。生きるということは、素晴らしいことでありうる一方、本質的に辛いものですから。

だから、一人ではない、みんな、同胞です。

誰にも理解されなくても、自分が、自分の痛みや苦しみを理解し、適切に扱うことができれば、最終的にはその苦しみを溶解し、変容することが可能です。それができる人は、同胞の苦しみに対しても、自然に慰めを与えられるようになるもでしょう。

情報量より、いかに心にフィットするか

カウンセリング中、こちらが話したことを、真面目に、逐一メモするクライアントさんがいらっしゃいますが、そういう人に限って、なかなか進展がないことが多いです。

そういう方は頭で考えるタイプで、思考が多すぎるところに問題があったりします。

情報を逃すまいとして逐一書くのでしょうが、そうすると、書くことに意識が行くので、内容が思考の浅いところにしか入っていきません。頭の表面のほうには情報があふれているけれど、心の奥まで入っていかないんですね。

大事なのは、一から十まで情報を逃さないでキャッチすることではなく、その中で、一つでも二つでもいいから、自分の中にフィットするもの、心に響くものがあるかどうか、なのです。

心に響かないと、何も変わらないのです。

ああ、そうか、と腑に落ちて納得することが、10のうち、1つでもあれば、あとの9は忘れても大丈夫なくらいです。

頭だけで考えていると、いずれ限界が来て、物事がうまくいかなくなります。自分自身、苦しくなるでしょうし、だんだんには抑うつや不安、無気力などを感じるようになり、最終的に心が病んでしまいます。

心で感じて、そこから言動を起こすようにしたほうが、人間関係でも仕事でも、ずっとうまく行くようになります。

マインド(思考)とハート(心、フィーリング)のどちらが大切かというと、後者です。

マインドは、何が正解か不正解か考えたり、安全とか利益の為に社会や他者の価値基準に合わせようとしたり、理屈や損得をもとに、言動を起こそうとします。

ハートは、理屈抜きにして、直観的に、どうしたらいいかを指し示します。自分がうれしいか、気持ちが明るく、楽になるか、それとも、暗く、重苦しくなるか、感覚を基準にして動くことを、直観的に行動すると言います。それは、一人一人、同じ人であっても、その瞬間瞬間で異なるものです。社会が作ったお仕着せの基準や、他の人の基準に従っていると、自分に一番ちょうどいいものとはずれ、自分が心地よく、楽に、幸福になれる道筋とはぐれて、迷ってしまいます。

思考が多い人は、情報はたくさん集めるけど、感じることをせず、自分の基準に照らし合わせて取捨選択することができないので、多すぎる情報の中で、迷路に入り込んで、頭が混乱し、心が不安で落ち着かない状態になりがちです。

今は、いろんな情報があふれている時代で、マインドが優勢で、ハートが薄くなりがちですね。でも、情報って、本当はそんなにたくさんいらないものです。ハートがちゃんと働いていると、探さなくても、本当に必要な情報はひとりでにやってきます。

自分の心に感覚的にフィットするかどうか。幸せになるために、どうかこれを大切にしてください。

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

みなさまにとって、光ある、明るい1年になりますよう、お祈り申し上げます。

年末年始期間の休業のお知らせ

今年も1年ありがとうございました。

セラピールーム・ハミングバードは、12月31日から1月3日まで完全休業とさせていただきます。

その間にいただいたお問い合わせやご予約ご希望のメール等につきましては、4日以降にお返事させていただきますので、よろしくお願いいたします。

1月のご予約可能日は、 今日現在のところ、 6日(木)11時以降、15日(土)の11時~、14時~、15時~、18日(月)の午前・午後、20日(木)11時以降となっております。

通常、1~3週間先まで仕事のスケジュールが埋まっていることが多く、ご希望に沿えないことがあり、ご迷惑をおかけしております。申し訳ありませんが、上記の空きも順次埋まっていく可能性がありますので、カウンセリングのご希望があれば、お早めにご連絡くださいますようお願いいたします。

みなさまが、穏やかで心休まる年末年始をお過ごしになられますよう、お祈り申し上げます。

森を見ず、木を見る

あれもこれもやることがあって、圧倒され、気持ちが焦り、頭が混乱しているときの対処方法です。

「木を見て森を見ず」という諺がありますが、その逆のことをする。

木を見て、森を見ないようにするのです。

やるべきことが多い時、全体を見てしまうと、圧倒されます。森の木を全部切れといわれると、無理、できない、どうじよう、となりますよね。

でも、目の前の一本の木に集中して切る、と思えば、負担に感じる度合いがずっと少なくなります。

どのみち、人がいっぺんに全部の木を切ることなんてできないわけで、できるのは、一度に一本の木を切ることだけです。

それを一本一本やっていくと、気づけば、いつか森の木を全部切り終えているはず。

同じ結果に行きつくにしても、全体を見ては圧倒され、終始、焦りや不安を抱きながら終えるのと、目の前の一つにだけ集中してやり終えるのとでは、消耗の度合いが全く異なります。

一つのことに集中しているとき、脳は他のことに意識を向けなくなります。


計算式を2つ同時に解くことはできないですよね。 同時に2つ以上のこと集中することは、脳のしくみ的不可能だからです。

目の前のこと一つだけに集中すると、他のことに「気を取られる」(=エネルギーを奪われる)ことがなくなるので、精神的な消耗も必要最低限に抑えられます。

集中すると、エネルギーの焦点を一点に抑えて、大きな力を注ぐことが可能になします。太陽の光を普通に紙に当てても燃えないけど、虫眼鏡で太陽の光を集めれば、エネルギーが凝縮されるので、発火するのと同じです。

山積みの仕事であっても、しょせん、一度に一つずつしか片付けることができない。

その時、全体を見ないで、目の前の一つに集中すれば、エネルギーを拡散させて無駄に消耗することなく、より楽に、よりよく、終わらせることができるのです。

考えすぎないこと

先日、アクセプタンスアンドコミットメントセラピー(ACT=アクト)という療法に関するセミナーを受けました。アメリカのセミナーで、オンラインで受けたのですが、色々と役立つことが学べてよかったと思います。

その中で、興味深いと思った言葉があります。

「思考する頭(マインド)は、あなたを幸せにするためにあるのではない。頭は、あなたを危険から守るためにある。」

頭は、思考し、できごとをカテゴリー分けしてレッテルを貼り、過去を分析したデータに基づき未来を予期し、他と比較して判断や評価し、どうやったらいいか方法を見つけ出して、あなたを危険から守ろうとします。

けれども、思考はあくまでも思考にすぎません。その人が頭の中で考えたことにすぎない。「思考を現実と捉えてしまうと、絶え間なく解釈する思考に翻弄され、逃れられなくなってしまいます。」というのです。

例えば、「私は何をやってもダメな人間だ」という思考を持っているとします。それは一つの考えに過ぎず、現実ではありません。

そもそも、何をやってもダメな人間というのは、この世に存在しません。昔、やることなすことうまくいかない人が主人公で、色々なトラブルにあうコメディー映画を見たことがありますが、そんな人がもし現実にいたら、後世に伝えらるくらい有名になって、ドキュメンタリー映画が一本できるでしょう。それくらいありえないということ。

本当は、うまくいっていることもたくさんあるけれど、それは頭の中でスルーして、うまくいかないことばかりを頭が捉えている。偏った見方の癖から自分はダメな人間だと結論付けている。その作業を思考が行っているにすぎません。

よく考えさえすればうまくいくというのは、幻想です。考えすぎると思考の迷路に入り込んで、現実が見えなくなるものです。また、思考が多い人のほうが不安が強く、心身共に疲れやすくなります。

ちなみに、冒頭で述べたACTという療法では、いいか悪いか、正しいか間違っているかを目標にするのではなく、自分が幸せかどうかを目標にしています。

いいか悪いか、正しいか間違ってるかは、人によって違うし、同じ人であっても状況や時期によって変わってくる。要するに、あてにならないものです。正誤・善悪は、思考の判断によるもので、間違いうるもの、誤りやすいものです。

でも、幸せかどうか、というのは、(思考が得意とする)理屈ではなく、感覚的なもの。これは間違わないのです。どんなにこの人といたら幸せになれるよ、この人は賢いし、お金持ちだし、社会的地位も高いし(これらは思考がいい悪いで判断しがちな外的条件です)といわれても、一緒にいて自分が幸せだと感じられなかったら、それがその人にとって、間違いない答えです。感覚は、本来、自分をだまして違う風に感じさせることはできないのです。感覚は、自分の中の叡智と直接つながっているものだからです。

ですから、考えすぎないこと、思考に偏りすぎないことは、とても大切です。もちろん、何も考えないで生きることはできないし、考えなしに感情の赴くまま、衝動的に生きたほうがいいということではありません。ただ、現代人はどちらかというと思考に偏りすぎている人が多く、それで不幸せになっている人が多い印象があります。

ACTでは、ディフュージョン といって、あれこれ考えて、思考の迷路にはまっているとき、思考から抜けだす方法を、いろいろと提案してます。(「フュージョン=融合」は、思考が頭にくっついて一体化している状態。ディフュージョンとは、くっついている思考をはがして、自分から分離させるという意味です。)

例えば、戦場で戦いが起こっている、或いは、サッカー場で、敵と味方が入り乱れて、右往左往して戦っているとします。その中にいたら、巻き込まれてハラハラドキドキし、心が休まらないでしょう。けれども、もし、山の上から戦場を見下ろす、或いは、50m上からサッカー場を見下ろすとします。そうすると、今、自分は、ああでもないこうでもないと、頭の中でグルグル考えていたな、と思考していた頭の状態自体を、 一歩離れて客観的に見ることになります。その状態になったとたん、戦いの場で翻弄されていたときより、もっと楽で、平和な心の状態にシフトします。

現実で起こっている問題自体(=現状)は変わっていなくても、いったん思考を離れるだけで、不安が減り、より穏やかな心の状態でいることが可能になるということです。今すぐ解決できない問題は、解決しようと考えあぐねるより、未解決のまま、こうやっていったん離れたほうが建設的です。

「変えられないことは、変えようとしないで、ありのまま潔くすっぱり受け入れる」というのは、ACTにおいても、弁証法的行動療法(DBT)など、他の心理療法においても重視している、心の健康維持のためのポイントです。

「未解決でも、今日のところはそのままでいい」と、いい意味であきらめると、頭はそれを解決すべき問題と見なして格闘するのをやめるので、心には平和が訪れます。こうすれば、例え今、1000万円の借金があったとしても、今、この瞬間、心安らかに、おいしくお茶を飲むことが可能になります。

生きていると、今すぐ解決できない問題にたくさん出会います。考えて解決すべきか、執着しないで今は手放し、考えるのをやめるときかの識別は重要です。

人の思考の多くは無駄だといわれています。多くの人にとって、思考にとらわれるのをやめ、考えることをもっと減らしたほうが、メリットが大きいように思います。

自分の中を他者で埋めないこと

カウンセリングをしていると、時折、その方自身ではない、別のものが入っていて、支配されてしまっていると感じることがあります。

といっても、別に誰かに乗り移られているという意味ではなく(解離性人格障害で、実際そういう方もいらっしゃいますが、この場合はそうではなく)、他人の考えとか意図とか欲求とか、そういったものがたくさん中にあって、本人自身の意思があまりない印象を受けるということ。

ひどい場合には、あんまりにも多くの人がいて、ごちゃごちゃ雑多なものがひしめき合っていているようにみえる方もいらっしゃいます。そういう方は、とても混乱していて、苦しそうに見えます。

そういう方たちは、何かを聞いたとき、よく、「わからない」と返事をされます。

自分以外のものでいっぱいなので、自分がどう感じるか、何を思うかがわからなくなっているのです。自分の意思がなくなってしまっています。

自分の中が空っぽだと、他のものが入ってきやすくなるので、操作されやすくなるのですが、多くの場合、この状態にある方は、何らかの事情で自分の中を空っぽにして、人の思い通りになることで自分を守ってきたようなところがあると思います。

このあたりは、解離性人格障害(多重人格)の方と同じですね。参考までに、解離性人格障害の女性の大多数は幼少期に性的虐待を受けたというデータがあります。自分の気持ちや思い、ニーズなんかを感じていたら辛くてやってられないような現実があれば、自分を明け渡して空っぽにし、他の人格に支配してもらって、現実に対処してもらったほうが楽なわけです。無力な子供の時には、生き延びるために必要なサバイバルスキルなのです。

今の時代は、インターネットなどを通じて、色々な人の影響を受けやすい時代です。SNSを通じて非常に多くの人と、どちらかというと思考だけのレベルで交わることをしやすいように思います。(昔だったら、実際に対面で合って、互いを肌で感じる交流が主流ですし、交流の数も限られていました)。ゆえに消化不良の交流が過剰で、自分以外の雑音がごちゃごちゃスペースを埋めてしまっている人が多いようです。

自分の中のスペースを埋めて、考える暇をなくするということは、自分の感情と向き合うのを回避するためには効果的な方法です。依存は多くの場合、これが隠れた目的です。それが買い物依存であれ、誰かとの関係への依存であれ、飲酒を含む薬物への依存であれ、食べ物への依存であれ、不快な感情から気をそらすための手段として功を奏しているわけです。

けれども、本当は、自分以外のもので自分を見えなくして、自分とのつながりを断ち切ってしまうことほどしんどいことはありません。一見、楽かもしれないけど、本当は誰にとってもそれは不自然だし、苦しいことなのです。自分にとって何が幸せか、どうしたら幸せになるかを知っているのは、他者ではなく自分自身です。自分とつながっていなければ、自分の人生の舵を取って正しい方向に進むことは不可能です。

実際は、自分自身とつながることは、怖いことではなく、とても安心できて、心地がいいものです。ずっと避けていた感情があれば、自分を感じたときにそれが浮上してきて、一時的に圧倒されるかもしれません。けれどもそれはあくまでも一時的なものです。切り離されていた自分の感情を感じることは、必要な癒しのプロセスです。必ず、過ぎ去って、その後には穏やかで平和な感覚がやってきます。

他者の思いや気持ちに支配されるのではなく、自分自身が何を思い、何を感じているか、ちゃんと感じられ、わかるようになれば、自分の軸がしっかりしてきて、自分という存在が力強く安定してくるようになります。そうなると、色々なことに振り回されやすい不安定な人ではなくなり、好きなように人生を創っていけるようになります。

そういう風に内面が変った方は、ぼんやりした顔ではなく、焦点のあった輝きのある目つき、明るく力強い表情になるので、見ていてわかります。

では、どうやったら自分とつながれるのでしょうか。そのためには、最初は少しの間でもいいから、静かに、自分一人でいる場所と時間を作ること。その時、頭を働かせないで、感じることです。自分の身体がどんな感覚なのか、気持ちはどんな状態なのか。呼吸は浅いのか深いのか。体に力が入っているなら、どの辺に一番力を入れていたか。今、自分の中にある感情は、不安か、苛立ちか、恥か、自分を責める気持ちか、その複数が混ざったものなのか。思考ではなく、感覚に身をゆだねることが大切です。いい、悪いで判断しないで、ただ感じて認めてあげると、それらの感覚は、もし不快なものであれば、だんだん緩やかに穏やかになっていくでしょう。

この辺は、マインドフルネスのスキルですね。詳しく知りたければ、今は本がたくさん出ているので、興味がある方は見てみてください。(個人的には、ティク・ナット・ハンの本がおすすめです。)

無気力の原因

鬱状態の時によくあるような、 意欲がわかない、何もする気が起きないといった 慢性的な無気力には、必ず原因があるはずです。

そもそも、人は健全な状態であれば、あれがしたい、これがしたいという興味や意欲が自然にわくものです。子供がいろいろなことに生き生きと興味を示し、やってみたがるのと同じですね。

無気力に陥っているということは、だいたい、心身のエネルギーを使いすぎて枯渇しているか、使わな過ぎて停滞しているか。いずれかだと思います。

例えば、肉体を酷使し、疲れているのに体のサインを無視して頑張り続けたら、いつか必ず燃え尽きて、これ以上何もしたくなくなるでしょう。それは、このまま活力を消費したら病気になるため、強制的にストップがかかった状態であり、肉体の叡智の計らいです。

また、意思に反してやりたくないことないことばかりしたり、言いたいことを我慢し続けたり、自然な感情を無理やり押さえつけて閉じ込めたりしていると、心のエネルギーは低下します。人の悪口を聞かされていると気持ちが下がるように、無意識に自分の悪口を言い続け、 不当な自責感を抱きやすい人も、心のスタミナが足りない人になってしまいます。

自己犠牲的に人の為に尽くし、人のニーズは満たすけれど自分のニーズは顧みない人をよくお見かけしますが、これではやはりエネルギーのアンバランスが蓄積し、 いつか燃え尽きて鬱状態になるでしょう。

これもまた、よくあるケースですが、自分の心が望んでいるからではなく、人に嫌われないよう、社会ではみ出さないよう、自己防衛の為に周囲に合わせて生きていると、長い間にはエネルギーが枯渇し、意欲がわかなくなります。 このような自分の自然な心に対する無理強いは、恐れにフォーカスしているときに起こりがちですが、結局のところ自らの創造性を枯渇させてしまいます。そうなると、本来誰にでも備わっている何かを生み出す力が発揮われなくなるので、何かをしようという気にもなれなくなります。

これに対して、自分の心に沿った言葉や行動、感情を押さえつけずありのまま認めて受け入れること、心が喜ぶ選択など、自分を慈しみ、大切にする行為は、エネルギーを増やし、意欲をアップさせます。

心を縛るのではなく、自由に解き放って、心の方向に従っていると、創造性がのびやかに発揮されますので、結果として、環境が自分にフィットするように整い、自分にとって一番いい方向に人生が展開していきやすくなります。

一方で、十分なエネルギーがあるのにそれを使わないでいると、出口を失った未消化のエネルギーが自分の中でくすぶり、古くなってと滞るため、どんより重苦しく感じられるようになります。 体が元気なのに、恐れや不安ゆえにいつまでも引きこもって活動しなければ、心身の代謝が悪くなり、元気を失って無気力になります。 自分の中にあるエネルギーはちょうどよく使うことで巡り、新たに湧いてくるものです。1日働いてほどよく疲れれば、夜寝て朝回復し、また元気に1日を始められるというわけです。

自分の中に発生した思いや感情があるのに、表現したり、認めずに抑えてしまう行為もまた、未消化のエネルギーを生むので、心身の停滞を起こし、無気力な抑うつ状態を引き起こしやすくなるものです。相手に伝える、伝えないは別として、安全に表現し(それが相手を傷つけるような思いであれば、日記に書く、当事者ではなく第三者に話すなどが安全な方法の例ですね)、自分の気持ちを否定せずありのまま受け入れるなどすれば、内側でくすぶらず、自分の外に解放されていきます。そうすると新しい思いや感情が入ってくる余地が生まれます。

こうして代謝が起こると、エネルギーはスムーズに流れ、心身ともに病気になりにくくなります。

もし無気力でやる気がない状態が続いていたら、そこには自分の心や体からのメッセージが含まれているはずです。何かがうまくまわっておらず、修正を必要としているということ。自分自身と対話してみて、何が原因か、振り返ってみてはいかがでしょうか。

信じることの大切さ

最近、カウンセリングに、幼少期、壮絶な生い立ちだった方がよくいらっしゃいます。

そういう人たちを見ていて思うのは、その経験があっても、なお、人を信じる気持ちが少しでも持てるかどうかで、違いが出てくるということ。

人によってひどく傷つけられた人が、人を信じにくくなることは自然なことだと思います。

それが傷つかないよう身を守ることにもなるので。

だけど、人間不信が強く、人も世界も自分からすべて締め出してしまうと、そこに救いはありません。そういう人を助けるのは非常に困難です。人を信じられないという人は、結局のところ、自分も信じられない人が多い。

思いやりのある、誠実な人はきっといる、いつかそういう人に出会いたい、と思うだけでも、全然、救いようがあります。そのすき間から光が入っていって、広がっていけるから。違う言い方をすると、その人の奥に埋もれている光が、その隙間から出てこられるのです。

実際のところ、世界は真っ黒ではなく、真っ白でもない。黒も白も混在している(正確には、黒よりのグレーか白よりのグレー)。同じ人が、時と場合によって、白っぽくなったり黒っぽくなったりもする。みんな、いろいろな経験をしてもまれながら、だんだん白く純化してくのを目指しているのがこの世界です。

今日も、辛い目にあいつづけて、もう信じられない、でも信じたい、という人と、お話をしていたのですが、その人の顔に少しずつ光がさして、最初と最後とでは光の度合いが変ったのが印象的でした。この人は、これからの人生を、今までとは違う、明るいものにしていくことができるだろうと思えた次第です。

傾聴だけではよくならない

以前、傾聴のカウンセリングに500万円費やしたけど、よくならなかったという方にお会いしたことがあります。

時々、何十年も前のことを、少しも衰えない感情の熱で、昨日のことように話す方がいらっしゃいます。

吐き出して、受けとめてもらえ、共感してもらったら、その場ではすっきりするかもしれないけど、また、その感情が戻ってきて、吐き出さなければならなくなる。

その繰り返しを、何十年もしている。

こういう場合は、聞いてもらうことによって、一時的に慰めを得るかもしれないけど、作用はごく表面的なものであり、本当に癒しが起こっているわけではありません。

その人が、その感情を再現し、強化してしまっている、大元の意識を変えなければ、いつまでたっても同じ繰り返しになってしまいます。

大元の意識こそが、その人の感情の製造機なので、それを変えないとどうにもならない。

大元の意識は、思い癖という形で表に現れやすいです。

ちなみに、人のせいにしていると、永遠に続きますね。

大事なのは、本人が変わることなんだけど、人のせいにしていると、自分は変わろうとしないので。

あと、寂しいから話を聞いてもらいたい、とか、褒めたり、認めたりしてもらいたいとかいう理由だと、カウンセラーに限らず、他の人との関係であっても、一時の慰めだけで、問題は未解決のまま、繰り返されます。依存できる人がいると、やっぱり自分の問題を自分でどうにかするということをしなくてすむので。

ただ、未解決のまま、その場にとどまって足踏みをしている状態だと、レコードの溝をなぞるみたいにして、意識の中で溝を深めてしまうわけで、長く繰り返せば繰り返すほど、修復が困難になります。

不可能ではないですけど。

なので、傾聴だけでは人は変わらない場合が多々あります。(自分で気づけて変われる人はいますが、そういう人は、そもそも、傾聴もあまり必要ではない気がします。)

色々なやり方で(どんなやり方で、どう変えていくことが必要かは、その人によるので、一概にいえません)、その意識状態をいかに変えるか、がポイントになってくると思います。

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