今、昔、愛読していた、エリザベス・キューブラー・ロスの「『死ぬ瞬間』と死後の生(鈴木 晶訳 中公文庫)」という本をを、また読み返しています。
この道を志す前にすでに読んでいた本だったと思いますが、最初に買ったのがいつだったか、もはや覚えていません。多分、20代のころだったかもしれません。
久々に読んで、セラピストとして大切なことを思い出させてくれる本だなあと、改めて色々気づきを得ています。
キューブラー・ロスは、スイスの精神科医ですが、エイズ患者をはじめ、多くの末期患者の治療に携わった人です。死を恐ろしいものとみなし、もっぱら延命治療を目的とする現代医療に疑問を抱き、死はさなぎが蝶になるかのごとく魂が肉体から解放されるプロセスであるとして、臨死体験、死後の世界や輪廻転生を肯定した医師です。5段階の死の受容プロセスのセオリーを提唱した人でもあります。
キューブラー・ロスがアメリカの精神病棟でインターンをしていたときのエピソードで、病棟に何十年も閉じ込められていた統合失調症の患者たち(昔なので、本の中ではまだ精神分裂症という言葉が使われています)を、社会に出られるまでに回復させた話があります。アメリカでも、当時は、統合失調症の患者を閉鎖病棟に閉じ込めて薬漬けにするのがスタンダードだった時代です。ちなみに、アメリカで診断される統合失調症は、日本のそれとは違って、普通にコミュニケーションが取れないような、認知や行動に明らかな異常がみられる患者さんにつけられる診断名です。日本では、簡単に統合失調症と診断してしまう傾向が強いようで、妄想や幻覚、認知や行動の異常といった陽性症状がなく、うつ病に似た陰性症状のみの人、また、心の乱れによる一時的な被害妄想や幻覚、認知や行動の異常を呈しているけれど、普段は特に異常なく意思の疎通を図れる人も、統合失調症にされています。アメリカでは、その程度では、統合失調症という、一生継続しうる重い精神病の診断を下すことはありません。というか、本来の診断基準では、そういう症状は統合失調症には該当しません。
話がそれましたが、本から抜粋します。
2年後、治療の見込みがないと思われていた分裂症患者たちの、じつに94%を退院させることができました。生活保護を受ける者としてではなく、ニューヨークでちゃんと自活できる人びととしてです。私はこのことを誇りに思っています。
患者たちが私にくれた最高の贈り物は、薬や電気ショック療法や医学を越えた何かがあるということを教えてくれたことです。つまり、真の愛と配慮があれば、本当の意味で人を救うことができる、それも大勢の人を救うくとができるということです。
私はここで、知識は役に立つけれど、知識だけでは誰も救うことができないと申し上げたいのです。たんに頭だけではなく、心と魂を使わなくては、一人の人間だって救えません。私が患者たちとの触れ合いのなかで学んだのは、慢性的な分裂病患者であれ、いちじるしく知恵の発達の子供であれ、死の床にある患者であれ、すべての人には目的があるということです。誰でも、あなたから学びあなたに助けられるだけでなく、じつはあなたの先生になることだってあるのです。
キューブラー・ロスは、苦しんでいる患者の使う、象徴言語に耳を傾けることが大切で、この象徴言語は世界共通であるといっています。患者を心からケアし、こちらの心を開いて、誠実に接するなら、患者は象徴言語を使い、患者自身何が起こっているか教えてくれる、ということです。
私がセラピーをするうえで、一番大切だと思うのは、知識ではなく、クライアントさんに対する心構え、そして直観です。それがあれば、クライアント自身が、こちらがどう助ければいいか、何をすれば教えてくれるように思うからです。なので、この本のこのくだりには、とても共感しました。カウンセリングの理論とか、セオリーとかいった机上の知識は、役に立つことはありますし、スキルとして使いもしますが、それだけにこだわって分析的になると、直観の邪魔をします。今の日本の精神医学や臨床心理の教育は、少し知識や技術に偏りすぎている気がします。なんとか療法という、精神療法のセオリーに患者さんを当てはめて治療しようとすると、頭で治療することになり、まずうまくいきません。まずは固定観念を捨てて、患者さんの発するものを、直観的にまるごと受け取れば、そこから、必要な道筋が生まれます。クライアントさんの中から自然に出てきたものに対処する手段の一つとして、その時に必要な療法を使うことは、確かに役に立ちます。私は、精神療法のセラピストは、一つの療法だけではなく、必要に応じ、複数の療法を使い分けられるようでならないと考えています。この療法はこういう状況には使えるが、この症状にはあまり役に立たない、この人には使えるが、この人には向いていない、ということが多々あり、多くの引き出しを持っていたほうが、その人や状況に応じたより効果的なセラピーができるからです。
また話がそれてしまいましたが、キューブラー・ロスはこういう内容のことも言っています。
「社会の真の殺人者は、抑圧されたマイナス感情だ。」
本の中で、キューブラー・ロスが、若いころ、第二次世界大戦でユダヤ人が虐殺されたマイネダクを訪れた際、強制収容所跡で、一人の少女に出会った話が書かれています。その少女は、祖父母や両親、兄弟姉妹を全員殺されて、一人生き残ったのですが、その場から立ち去ろうとせず、そこにとどまっていたのでした。そんな恐ろしいところで何をしているのかとキューブラー・ロスが問うと、少女は答えたそうです。以下、再び本から抜粋します。
「強制収容所にいた最後の数週間、私はこう誓ったの。かならず生き延びて、ナチスと強制収容所の恐ろしさを世界中の人々に訴えようって。やがて解放軍がやってきて、その人たちを見たとき、私はこう思った。『いや、いけない。もしそんなことをしたら、ヒットラーと同じことになってしまう。』だって、私がしようとしていたことは、マイナスの感情と憎しみの種を世界中にもっと蒔くこと以外の何物でもないでしょ。私は考えたの。人は背負いきれないほどの重荷を課されることはない。私たちはけっしてひとりぼっちじゃない。マイネダクの悲劇と悪夢をちゃんと見極めれば、それを過去のものにすることができるのだ。そうだ、このことを心から信じることさえできれば、そして、誰か一人でもいいから、その人の心から悪感情や憎しみや復讐心を取りのぞいて、その人を、人を愛し、人に奉仕し、人の世話をするような人間に変えることができたとしたら、それはとてもやりがいのあることだし、私も生きていたかいがある。そんなふうに考えたの。」
マイナス感情はもっぱらマイナス感情を養分として成長し、やがてガンのように繁殖していくものです。でも私たちには、自分の身におきたことを、悲しくて恐ろしい出来事としてそっくり受け入れるという選択肢もあります。それはすでに通り過ぎてしまった過去のものであり、自分にはもう変えられないのだと納得する道です。マイネダクで出会った症状はその選択肢を選んだのです。
最近、ニュースでみる、悲惨な事件は、一人の人の心の中にある、処理しきれていない否定的感情から起こります。それがメディアで放送されたり、本や漫画で出版されると、それに刺激を受け、同様の感情が心の奥底にくすぶっている人たちがそれに反応します。そして、心の底に閉じ込められていた感情は、闇のエネルギーを糧にして増強され、外へと表現されて、それが連鎖していきます。一人の人の心が救うことは、社会を救うことにもなります。また、自分自身が、痛みを感じたとき、それに反応して、闇を選択するか、光を選択するかは、それによって社会全体が変わりうるほど、大事なことだということです。
個人的には、この本を読んでいると、初心に帰ることができる気がします。(私は、キューブラー・ロスのように多くを成し遂げていないので、偉そうなことはいえませんが。)どの本があっているかは、好みがあり、その人の価値観によるところが大きく、一概におすすめできるものでもないのですが、医者や看護師、カウンセラーなど、対人援助職に携わる方、それを目指す方は、読んでみられたら面白いかもしれないと思います。