盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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罪悪感と恥の違い

罪悪感は、自分が違った行為をしてしまった、または、正しいことをしそこなったと思うときに感じるものです。罪悪感を覚える人は、通常、その行為を修正しようとするか、殻に閉じこもるか、どちらかをしたくなります。

通常、罪悪感は、「本来、自分がありたいという姿と違っているよ。自分の理想の道からそれちゃっているよ」と教えてくれる感情であり、本来の道に戻るよう、行為の修正を促す働きがあります。罪悪感を覚えるのは、健全な証拠であり、罪悪感は役立つ感情でもあり得るということです。

(ただし、生い立ちの過程で認知に何らかの歪みができた場合、不当な罪悪感を覚えることがあります。幸せになってはいけないと思い、いいものを受け取ることに罪悪感を覚えるなどがこれに当てはまります。その場合、罪悪感は役に立たないばかりか、足を引っ張るものなので、手放した方がいいです。この場合の処方箋は、罪悪感を覚えても、それをし続けて、慣れるということです。罪悪感を覚えながらも、与えられるものを受け取り、幸せを許す、それを何度も繰り返す、ということをすれば、罪悪感はだんだん薄れて消えていきます。)

これに対して、恥は、自分という存在自体を、悪い、間違っていると認識するとき、感じる感情です。自分のしたことではなく、自分そのものを悪いとみなしているわけです。なので、恥を覚えている人は、通常、殻に閉じこもり、人から自分を切り離し、孤立しようとします。

大事なのは、どんな感情も、その人自身ではないということ。「その人=恥」ではないのです。いかなる思考も、感覚も、その人自身ではなく、その人が一時的に持って、体験しているものに過ぎません。自分というのは、自分がもつどんな感情、思考、感覚よりも、大きな存在なのです。

なので、「自分は何をやってもダメだ」「人に受け入れない、恥ずかしい存在だ」と思ったり、感じたりしたとしても、そしてそれがどんなにリアルに感じられたとしても、それは、自分がその時に握っている、一時的に訪れてはいても、やがて移り行く思考や感情のひとつにすぎないということを理解してください。どんな体験も、自分の存在そのものではないということを理解し、それと自分を同一化してしまわないことが大切です。

トラウマ解消にかかる時間

カウンセリングを受けた際、トラウマが解消するまでにどのくらいの時間がかかるかは、人それぞれです。

一般的に、トラウマが深く、その人の心にトラウマが内在していた時間が長いほど、解消するまでに時間がかかるというのは確かにいえるかもしれません。ただし、これはあくまでも大まかな傾向にすぎず、そうでない多々見受けられます。

例えば、同じようないじめにあった人でも、比較的早く立ち直り、心に負の痕跡を残さない人もいるし、いつまでも傷がいえない人もいます。起こった出来事自体よりも、その後、その出来事をどう捉えるかも、トラウマに発展させるかどうかのポイントになります。例えば、容易に人を許せる人、こんな人ばかりじゃない、世の中にはきっといい人もいると思える、人を信じる心を捨てずにいられる人、自分が辛かったから自分は絶対人をいじめないでおこうと思う、利他的な心の強い人は、傷の風化も早いように思います。一方で、頻繁にされたことを思い出して、「あいつのせいでこうなった」と恨みを募らせていれば、10年たっても傷はいえず、むしろ深まってしまいます。

ちなみに、自分の不幸は人のせい、または、自分がすべて悪いからこうなった、という、人を責める思いは、心の傷を深め、精神的な成長の歩みを止めてしまいます。自責・他責の念は、負の体験のまま、心を足止めしてしまう効果があるので、持たないほうがいいし、持ってしまっていたら早めに手放した方がいいです。

アメリカでカウンセリングをしていた時、深刻なトラウマを抱えた人を、数多く治療していました。アメリカは犯罪大国で、殺人や自死、虐待やネグレクトも多く、レイプや近親相姦も多発しています。そんな中、多重のトラウマを抱えていながら、劇的によくなった人も、何人もいらっしゃいました。

マギーさん(仮名)は当時50代の女性でした。彼女は、小学生だったある日、遠足に行って帰宅したら、竜巻で家が崩壊しており、母親が亡くなり、父親も半身不随になっていました(父親は自暴自棄の数年を過ごした後、ケガがもとで亡くなりました)。育ててくれる人がいなくなったマギーさんは、親戚をたらいまわしにされました。親戚の集まりでは、聞こえよがしに迷惑がられ、自分の押し付け合いをされ、深く傷ついたそうです。その後、引き取られた遠縁の女性には性的虐待を受け、10代後半では見知らぬ人にレイプされて、20代の頃はやけになり、色々な男性と派手に遊び歩いたといっていました。そんなことで心が癒えるはずもなく、やがて重症のうつ病に陥り、何度か自殺未遂もしています。後に、ようやくいい男性と巡り会って、生涯の伴侶を得た彼女ですが、私が担当した時は、慢性的な鬱状態が治ってはいませんでした。

マギーさんは、もともと、とても心優しく誠実な人柄で、イマジネーションも豊かな人でした。また、何十年もかけ、紆余曲折を経て、トラウマ解消の土壌ができていたのもあったと思います。もし、解消するまでの準備ができていなかったら、私に今までの辛かった過去を詳しく話すこともできなかったでしょうから。彼女の場合は、数回のカウンセリングの後、とある、自分を癒すイメージングをしてみるように誘導したら、一回で、今までの痛みの大浄化がワーッと起こりました。それ以降、彼女はそれを家でもするようになりました。セルフヒーリングの結果、マギーさんは長いトンネルを抜け出たかのように180度変わり、過去に煩わされなくなり、幸せを感じられるようになりました。

このように、何かのきっかけで、大きな転換が起きる人もまれにいますが、多くの人は徐々に良くなっていくコースをたどります。

やはりアメリカでカウンセリングをしていた時のクライアントさんだった、ショーンさん(仮名)は、子供の時に、男性から性的虐待を受けました。女性でも幼少期の性的虐待は深い心の傷になりますが、男性の場合、恐怖はもちろん、恥の気持ちも痛烈で、長い間、誰にも言えないまま、大人になるケースが多いです。ショーンさんは、当時、30代で、結婚して子供もいました。料理が好きで、料理人を職業とし、女優のシャロン・ストーンに料理を提供してことがある、飛行機でくるんだ、と言っていたので、きっと腕のいいコックさんだったのでしょう。けれども、彼は長年、鬱と不安に苛まれていて、職場を転々としていました。どこに雇われても、些細なことで、男性の上司に対して強い怒りを抱いてしまい、トラブルを起こしてしまうのです。無力だった幼少期に、年上の男性から有無を言わさず乱暴された過去から、男性のコントロールに対する嫌悪感や反発心が非常に強かったのでした。

ショーンさんの場合は、はじめは、トラウマになっている過去の話をすると、沸き上がる憤怒で顔を赤くし、汗をかくほどでしたが、カウンセリングを重ねるうちにだんだんとそれも収まってきて、穏やかになってきました。はじめのうちは、人に対する警戒心が強くて、スーパーで人とすれ違うだけでも怒りと不安を覚えるほどでしたが、それもなくなり、ずいぶん、生きやすくなったといっていました。彼の場合は、そうなるまでに、1年もかからなかったでしょうか。

同様に、ジェーンさん(仮名)も、幼少期の性的虐待を何十年も引きずり、人を信じずに、過剰に警戒して壁を作り、怒りを抱いていてた人でした。彼女は、何年もの間、別のカウンセラーが担当した後に、私のところに来ました。鬱と不安の症状が強く、仕事はしておらず、生活は福祉に頼って引きこもりがちの人でした。スーパーに行くと、並んでいるだけで、周りの人が自分を見て嘲笑っているような気がして、腹が立つといい、男性に繰り返し性暴力を振るわれたために男嫌いで、レズビアンでした。最初のうちは、私に対しても警戒心をいだいていた様子がありましたが、少しずつ心を開いてくれ、強烈だったフラッシュバックも和らいでいきました。彼女はユーモアのセンスがあり、面白い人でもあったので、そこから話を切り込んで信頼関係を築くこともできたと思います。

ジェーンさんは、ホイットニー・ニューストンが大好きで、私がアメリカの職場を退職して、日本に帰る時、大事にしていたホイットニーのCDの歌詞カードにメッセージを書いて、プレゼントしてくれました。

ちょっとたどたどしい字で、「Take care of my woman Chika. Thanks for all your help and you are the only one that was able to get me out of my anger! And so grateful ‘cause now I’m not so angry. God bless you. I’m gonna miss you. 」と書いてあります。(ざっと訳すと、「助けてくれてありがとう、あなたは私を怒りから救ってくれたたった一人の人です!もうあんまり怒らなくなったので、とても感謝しています。神のご加護がありますように。いなくなって寂しいです」とあります。最後に本名で署名がしてありますが、マスキングしました。)

アメリカで働いてたのは15年くらい前ですが、このCDを久しぶりに見つけて、ジェーンさんのことを思い出し、元気にしているかなと懐かしく思い出しました。彼女は、性的虐待のトラウマ以外にも、お母さんに愛されていないというトラウマがありました。最初のトラウマが薄れてきたら、次の心の痛みが浮上してきました。こちらのトラウマも、最初のトラウマに負けず劣らず深いもので、痛くてなかなか口にすることができないほどの痛烈な記憶がありました。それは彼女の現在に、母親との不健全な距離感として影響していましたが、そちらの方も徐々に正常化していき、生きづらさは解消していきました。

ジェーンさんの場合は、2~3年かかってよくなっていき、最終的には鬱や不安の症状がほぼなくなっていたように記憶しています。

ジェーンさん以外にも、アメリカでは、壮絶な過去にさいなまれた人たちと数多く関わってきて、今でも忘れられない人たちが多くいますが、今頃どうしているかな、幸せだったらいいなと思います。

このように、トラウマから回復する時間や過程は人によって違いますが、一つ、付け加えるとすれば、アメリカは麻薬が円満していて、心の痛みを消すためにドラッグを使っていたクライアントさんがほとんどだったので、心の回復もその分時間がかかったと思います。日本のクライアントさんはそうでない分、回復が早く、何年もかからない人が多いように思います。ただ、日本では、カウンセリングに保険が効かないので、経済的に恵まれていない人であっても、気軽に何度も受けられるアメリカと違い、よくなるまで、ある程度の期間続けるのが、費用面で難しいと思います。日本でも、早く、アメリカみたいに、国の補助や保険制度が整って、専門的な心理療法へのアクセスが容易になればいいですね。

「自分には価値がない」を解決する方法

「自分には価値がない」という思いが強い人は、無意識のうちに、その信念をもとにして言動を起こすので、うまくいかないことが多くなります。

例えば、価値を上げるために躍起になり、過剰に努力して、心身を疲弊させてしまいがちです。こういう人は、なんでもやりすぎてしまうので、空回りしやすく、頑張っているのにうまくいかない現実を作り出します。承認欲求をもとに人と関わったり、仕事や勉強を頑張ったりするので、人間関係では無意識にマウントを取ろうとして嫌がられるか、あるいは人に気に入られようとして、なんとなく煙たがられたりします。頑張りすぎや気疲れで、病気や鬱になったりする傾向があり、たとえ業績を上げたとしても、それで気分が上がるのは一時的。慢性的に満たされない、ということが起こります。

または、「自分なんか、いいことに値しない」という自己卑下が根底にあるので、周囲から差し出された好意を受け取らなかったり、いい機会があっても手を伸ばさなかったりするかもしれません。その結果、人が嫌になり離れて行って(だって、せっかく差し出したプレゼントをいらないと返されたら、あげたほうも悲しくなりますよね)孤独になったりします。いい機会を受け取らず、自分にはこの程度がふさわしいと、低いものを自分にあてがって、不本意な状況を自分で作り出し続けながら、「やっぱり、こうなる。どうせ自分なんか」と、自己卑下を強めるパターンを繰り返す人もいます。

そもそも、自分に価値があることを疑っていない、健全な自尊心を持つ人は、自分に価値があるとかないとか、考えません。自分の価値を意識すること自体がないのです。例えば、目や鼻や口があるのが当たり前だと思っていたら、自分に目や鼻や口があるとかないとか、取り立てて意識しないですよね。

人が、自分に価値があるかないか、どんなに考えたとしても、そこには思考の偏りが入り込みます。なので、真に正当な評価を下すことは不可能なのです。

同じ人でも、気分がいいときは自分に価値がある気がするでしょうし、誰かに嫌なことを言われて落ち込んでいるときには、価値がない気がするでしょう。テストでいい点を取って褒められたときは価値がある気がするけれども、悪い点を取ったら価値が下がった気がする。

また、自分で価値がないと思っても、他人は、「この人すごいな、この人みたいになりたい」、と思っているかもしれないし、逆に、自分は価値があるすごい人間だと思っていても、他の人にはそう思われていないということもありますよね。

人に価値を下そうと思ったら、人によって、気分によって、状況によって、違う価値判断になってしまう。ということは、その価値判断は、絶対的ではないということ。誰かに対して、絶対的に正しい価値判断なんて、下しようがないということなのです。

それなのに、自分に価値があるとかないとか、悶々と考えるだけ、無駄だと思いませんか。

それでは、どうやったら、「自分に価値がない」という思いを消すことができるのでしょうか。ポイントは、「ノンジャッジメント」です。

ノンジャッジメントとは、いい・悪い、正しい・間違っているで価値判断を下すのをやめることをいいます。

人は、多くの場合、無意識に、思考の中で、自分や他者に対し「いい、悪い」「正しい、間違っている」というジャッジ(裁き)を下しています。ジャッジすると、人の心は波立ち、平和はかき乱されます。自分に対しても、人に対しても、ジャッジするのをやめれば、思考は鎮まり、心は中立で穏やかな状態になるのです。

「自分に価値があるとかないとか、どうでもいい。だって、考えたって、どうせ正しい答えは得られないんだから、考えるだけ無駄。自分が存在していることに、いいも悪いもない、自分はただ存在している、それだけ。生きているから生きている。」そういう風に思うと、価値がないと悩んでいる人は、葛藤が鎮まり、心が平和になるはずです。

自分の価値をあげようと躍起になって何かしたり、自分のいいところを探そうとするより、そのほうが効果的だと思います。

人と会って疲れるなら

人と会うと疲れるという人は、どこかで余計に力を使ってしまっているのだと思います。自分のエネルギーを過剰に消耗してしまう心の癖に気づいて、修正することができれば、人と会っても疲れなくなるはずです。

例えば、人に嫌われたくない、よく見られたいという思いが強いと、気を張ってしまい、ありのままの自分よりも背伸びしようとする分、疲れてしまいます。普通に1km歩くより、つま先立ちで1km歩いた方が消耗するのと同じです。人にどう思われるかをあまり意識しない人と比べたら、一日が終わった時点で、疲れ具合が全然違うということになります。

また、人は自分を傷つけるもの、攻撃してくるもの、自分をだまし、自分から奪うもの等の信じこみがあると、そうされないように周りに防御壁を作り出してしまい、やっぱりとても疲れます。壁を作ると、一見、人と距離が取れて安全に思えるかもしれませんが、同時に、人と関わることで得られる優しさや温かさ、楽しさ、喜びなどの愛の要素も入って来られなくなります。愛は最大のエネルギー源であり、心の傷を癒してくれる薬でもあるので、結局、心の傷は満たされず、孤独とみじめさ、不幸せ感を覚える結果に至ります。

それに、壁を作り続けることは、無意識にやっているにしても、不自然な力を使うことになり、疲れるのです。「敵に囲まれて暮らしている」のが、そうでない生活と比べて疲れるのは、明白ですよね。本当は、多くの場合、自分の頭がそう思いこんでいるだけで、敵なんていないのです。自分が敵とみなしている人たちが、良くも悪くもそこまで自分に関心を抱いていないとしたら(他の人は私たちが思うほど、私たちのことを気にしていませんからね)、気を張って生きているのは、骨折り損のくたびれ儲けです。Tシャツを着た人が普通に歩いている通りで、一人、重い鎧に身を固めて、刀に手をかけ、戦々恐々として暮らしていないかどうか、もしそうなら、そんな無駄に疲れることを続けたいかどうか、自分の心に聞いてみてましょう。

同様に、周囲の人を心の中で批判しがちな人も、やっぱり疲れます。悪口や否定的な念は、心身を重く硬くし、流れを停滞させる力をもっています。体が重いと、同じことをするにも多くの気力を使い、疲れますよね。無意識に周囲の人を否定的にとらえる癖がある場合は、ネガティブな思考の解釈やおしゃべりに気づいて、それをなくしていくだけで、楽になっていくはずです。その際、悪口を止めようとするのでなく、(無理にせき止めてもあとからあとからやってこようとするだけなので)悪口を言いたくなる自分の心の苦しみに気づいてあげ、「何が辛いの?」と優しく聞いてあげたほうが効果的でしょう。幸せな人は人の悪口をいいたくならないし、いいたくなるとうことは、自分の中に何らかの不幸せや満たされていない思いがあるはずです。それに気づいて優しく包み込むイメージをするだけで、心が楽になって、自然に人を悪く思う気持ちが消えていく可能性があります。

それから、エネルギーを吸い取る人とばかり関わってしまうパターンが自分の中に形成されてしまっている人もいます。例えば、威圧的に支配しようとしてくる人や、承認欲求が強く、マウントを取ろうとしてくる人、愚痴や不平不満ばかり言ってくる人、人の話を聞かず自分の話ばかりしてくる人、夜中でも構わず電話をかけてきて相談してくる人などは、自分自身でエネルギーを生み出すことができない(と信じている)ために、人からエネルギーを補給して自分を満たそうとします。そういう人とばかりご縁ができてしまうというなら、自分の中にそういう人をひきつけ、関わってしまう何かが必ずあります。恐らく、自己価値観の低さから、粗末に扱う心の癖があると、エネルギー吸血鬼さんタイプの人と絡んでしまいやすくなりますね。なぜなら、エネルギー吸血鬼さんタイプの人も、同じように自己否定や自己不信が根底にあるので、類は友を呼んでしまうんですね。

一番疲れないのは、不必要に人目を気にせず、自然体であることです。同じ人に気を遣うにしても、「自分がよく思われるために」というエゴが動機になっていると疲れます。逆に、自分を意識せず、人が心地よくあるようにという無私の思いやりがモチベーションになっている場合は疲れません。ただし、自分も大事にし、自分が苦しんでいるのに、人のために尽くすという自己犠牲がない場合は、です。(自己犠牲は自他のバランスが崩れている状態なので、持続しません。疲れてしまって、行き詰まる結果になります。)

欠点があっても、失敗しても自分を許し、何があってもなくても自分を慈しみ、自分を信じることができるくらい、自分をおおらかに扱うことができたら、人目を気にすることはなく、自然体でいることが容易になります。人と接していても疲れなくなり、疲れる人との関わりもなくなっていきますよ。

空間と同調して穏やかな心を取り戻す

生きていると、日々、色々なことがあります。毎日、起こる出来事、入ってくる情報、出会う人との関わりなどに反応して、私たちの思考は忙しく働き、様々な感情が沸き起こって、心が右往左往してしまいがちですよね。

そういう時、その場に居ながらにして、日常の雑事を離れ、穏やかでニュートラルな心を取り戻す方法があります。やり方は簡単で、要するに、意識を向けるところを変えるだけなのですが、その方法をお伝えする前に、予備知識として知っておいていただきたいことがあります。なぜ、このやり方で心が落ち着くか、そのしくみを知っておくと役に立つと思うので、量子力学のお話なのでちょっと難しいかもしれませんが、しばらくおつきあいください。

私たちの周りには固体、液体、気体で色々なものがありますよね。家、木、人、動物、川、雨、煙など、目に見えるものもあれば、空気、電波、音など、目に見えないものもあります。私たちの思考や感情も目に見えないけれど、それがあることを疑う人はいないでしょう。

これらの有形無形の全てもものの、すべての源になっているものが、素粒子です。私たちの体も、思考も、感情も、全部素粒子でできています。

この素粒子は、地球上のどこにでもあり、地球だけではなく、宇宙のあらゆる場所に満ちています。すでにあるものだけなく、まだ形をとっていない、これから何かになる可能性を秘めている素粒子が、目にはみえなくても、あらゆる場所に漂っています。

この、すべての創造のもとになっている素粒子が満ちている場を、空間をいいます。あらゆるものがここから生まれ、ここに還っていく、すべてのエネルギーの源が、ここに在ります。(本当は、量子力学の観点から言うと、空間というものも存在しないのですが、時間も空間も存在しない量子の世界は、私たちの慣れ親しんだ認識から飛躍しすぎていて混乱するので、ここでは空間としておきます。)

例えば、建物は空間を壁や屋根で仕切ったものですよね。建物が建つ前にも空間は存在していますし、建物がなくなった後にも、空間は存在しています。始まりも終わりもなく、常に、今、ここにあります。

この空間に意識を合わせることが、心を穏やかにするコツなのです。ここに同調すると、私たちは、源のエネルギーにアクセスし、狭い領域の「我」から抜け出て、本来あるべき状態にシフトします。

日々の出来事で揺れ動く、大波小波に揺られる木の葉のような状態は、私たちの本来の姿ではありません。心の奥深く、潜在意識の奥底にある、私たちの本質は、深い海の底のように、静かで穏やかです。

それでは、ここで、具体的に、空間に意識を合わせる方法をお伝えしましょう。

基本的にはどこにいてもできるのですが、慣れないうちは、静かな場所で、目を閉じて行う方が、効果を実感しやすいと思います。まず、自分がいる周りの空間を意識します。難しく考えすぎなくても大丈夫。部屋の中にいたら、部屋の中に壁に仕切られた空間があるな、ぐらいに思ったらいいと思います。

それができたら、だんだんと、感じ取る空間を広げていきます。壁で仕切られていても、壁を取った向こうには空間が広がっていると考えてください。部屋の大きさから、数十メートル四方、数百メートル四方へと、意識する範囲を広げてみていってください。気持ちが落ち着く効果が現れたら、そこでやめてもいいし、もっと意識を広げて、町全体、国、地球上のあらゆる場所に空間が広がっているとイメージしてみてもよいでしょう。

もし、屋外でするなら、天気のいい日に、空を見ながら、同じように空間に意識を合わせて、感じることをしてみたらいいと思います。

これだけで、自分を創っているもとにして、すべての根源であるエネルギーと同調し、気持ちが静かでフラットな状態になりやすいはずです。

最後に、ちょっと余談ですが、思考の現実化がどういうものか、量子力学的な説明をしてみたいと思います。

有形無形すべてのものを作っている素粒子は、先にお伝えした通り、あらゆるものになる可能性を秘めて空間に漂っているのですが、意図をもって眺めると、その通りに配列するという性質を持っています。可能性にすぎないときは波の形なのですが、誰かが「こうなる」「こうにちがいない」と思ってみると、波から粒になって、その思考の通りに現れる、というもの。

だから、世の中は悪い人ばかりだと思うと、悪い人ばかりが目の前に現れるし、自分は運がいいと思うと、そういう現実が形を取って目の前に現れます。恐れを抱いて観察すると、恐れているものが形をとってしまうし、愛を持って眺めると、愛が形をとって自分の現実に現れます。恐れていることより、願っていることを常日頃からイメージすることが、いかに大切か、ということです。

また、量子力学にいうと、思考も感情も素粒子でできたエネルギーで、似た波長をもつものと引き合ってくっつき、強化されるという性質があります。例えば、いつもネガティブな思考や感情を発していると、その思考や感情の素粒子は、ポジティブな思考や感情のエネルギーを発している人はスルーして、同じようにネガティブ・エネルギーを発している人の素粒子とくっつきます。なので、ネガティブな人は、自分と同じようにネガティブな人と関わりができてしまいやすいというわけですね。どこへいってもネガティブな人とばかり出会うという人は、環境を変えるより、自分の思考や感情を変えたほうがいいというわけです。

量子力学の話は、今までの人間の常識とはかけ離れているので、理解するのが難しいのですが、奥が深くて面白いと思います。でも、もし、背景にある仕組みが難しかったら、そこは飛ばしても構いません。空間を意識するというコツだけ実践すればいいと思います。よかったら試してみてくださいね。