盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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エネルギーを強めるものと弱めるもの

私たちのエネルギーは、私たちが摂取する食べ物や飲み物、接する人や身を置く場所、私たちが抱く思考や感情によって、増えたり減ったりします。私たちのエネルギー、すなわち「氣」が損なわれずに十分あれば、人は「元気」でいられます。今回は、私たちの氣を増やして強化するもの、減らして弱体化するものについて、お話したいと思います。

まず、食べ物や飲み物でいうと、添加物がたくさん入った加工食品はエネルギーを低下させます。肉や脂っこいものも、消化に多くのエネルギーを要するので、体に負担がかかります。江戸時代の飛脚は、当時の日本に肉を食べる習慣がなかったため、豆製品からたんぱく質を摂っていました。ある時、飛脚に肉を食べてから走らせたら、体が重くて走れなかった、という話を聞いたことがあります。

カフェインを含む飲みものも、大量に摂取すると、不安になりやすくなったり、イライラしやすなったりして、精神の不安定さを引き起こします。アメリカでカウンセリングをしていたころ、不安が強く、小さなことが気になるクライアントさんがいて、聞けば毎日2リットルのコーラを飲んでいるというので、カフェインが少ない飲み物に置き換えるようにいったところ、それだけで不安感が減少しました。また、統合失調症で幻覚に煩わされているクライアントさんも、コーラの大量摂取を減らしただけで、幻覚の症状が落ち着いたことがありました。

電子レンジで調理したものも、食べ物のエネルギーを損なうと思います。同じ料理でも、火で調理したものと、レンチンしたものでは、数字の上での栄養素が同じであっても、エネルギーの質が変わってくるように感じます。冷凍食品や缶詰、冷蔵庫に長く入っていて古くなったものも、新鮮な食べ物に比べて、生命エネルギーが激減します。

エネルギーを増やすものは、新鮮な野菜や果物、豆類、全粒穀物など。とれたてで新鮮なものほど、生命エネルギーが豊富で、私たちを元気にします。個人的には、海の近くの町で、とれたての魚を使った海鮮丼を食べたときなど、ぱっと目の前が明るくなるように意識が澄み渡り、身体が元気になります。スーパーでパック詰めされたお刺身にはそこまでの効果は感じられません。メキシコに住んでいた時は、新鮮な果物をその場でジュースに絞ってくれる屋台があって、それを飲むととてもおいしく、エネルギーが高まりました。当時のメキシコは、まだ加工食品があまりなくて、あっても高価で手に入りづらかったので、新鮮な材料を使って、ちゃんと手間ひまかけて調理して食べることが多く、そのせいもあって、貧しい人が多くても、割合、心身ともに丈夫で健康な人が多かったように思います。

ただし、今までの食生活をいきなり大きく変えることは、ストレスを生み、かえって心身の負担になりますので、お勧めはしません。変えたいと思うなら、少しずつ変えること、また、悪いものをやめることより、まず、いいものを増やしていくことされる方がいいと思います。体にいいものを取り入れていくと、自然に悪いものを食べたくなくなるという変化が起きやすいからです。

日々、接する人によっても、私たちは力を得たり奪われたりします。エネルギーを吸い取るタイプの人は、例えば、依存的な人、支配的でコントロールしてくる人、自分ばかり話して、相手の話を聞かない自己中心的な人、承認欲求が強い人、ネガティブ思考で、不平不満や悪口が多い人などです。一緒に過ごした後、疲れたと感じるなら、エネルギーを奪われているということなので、やむを得ない場合を除いて、一緒にいないほうがいいでしょう。どうしても関わねばならない場合は、心の中で一線を引くことが大切です。

逆に、その人と話したら、楽しい、癒される、勇気づけられる、と感じる場合は、その人の高いエネルギーをもらって、元気になっているということです。人は、目には見えなくても、お互いにエネルギー交換をしているのです。もし、元気をもらっているなと感じたら、こちらもお返しをしたいですね。一方的にもらう依存的な関係だと、いい人が離れていき、長続きしにくいものです。ギブアンドテイクのバランスが取れている方が、安定し、関りは永続します。

人と同様、私たちは、場所ともエネルギー交換を行っています。だから、癒されたり、元気になるような場所に時々行って、エネルギーを補充することは、大事ですよね。海や山など、自然が豊かな場所へいくと、誰でも気分がよくなると思います。水辺や植物が多いところは、いい「氣」があふれていて、浄化力があるので、人は皆、それを無意識に感じるのでしょう。海や山が近くになくても、緑の多い公園に行ったり、庭がある人は庭いじりをしたり、ない人でも観葉植物を置いたりすることが、幾分、代わりになります。神社やお寺は、清浄な氣があふれ、浄化力が強い場所なので、そういう場所に興味があり、敬虔な気持ちで訪れることができるなら、時々行かれるといいと思います(訪れる人の純粋な信仰心は、その場所を清めて、神様や仏様を喜ばせ、神様のパワーをアップさせます。これも一種のエネルギー交換ですね。)

私たちの思考や感情も、私たちのエネルギーを高めたり、低下させたりします。もののとらえ方が厳格だったり、偏狭で、歪んでいたりすると、ネガティブ思考をいだきやすくなり、必要以上にネガティブな感情(本来、感情にポジティブもネガティブもないと思いますが、今は便宜上、この言葉を使います)を感じやすくなります。怒り、自責(自分に対する怒りですね)、恥、無力感、哀しみ、絶望などの感情は、心を重く、硬く、暗くさせます。体も重く、硬くなり、免疫も下がります。とらえ方が柔軟で、視野が広いと、おのずとポジティブ思考になり、同じ出来事を経験しても、ダメージを受けにくくなります。喜び、愛しさ、勇気、達成感など、自分自身のエネルギーを高める感情をいだくことも多くなります。

いかがでしたか。今回は、自分のエネルギーを強めるものと弱めるものについて、書いてみました。自分の元氣(もともと持っている、いい氣)を、増やすも減らすも自分次第です。できることを意識して、強くて健康な心や体を手に入れたいものですね。

健全な遊び

最近、メキシコに住んでいた頃のことをふと思い出し、しみじみ、思ったことがあります。

メキシコには20代の終わりから30代の初めにかけて、4年ほど住んでいました。メキシコ人はとてもフレンドリーで温かい人種なので、現地に友達もたくさんできて、馴染んで暮らしていました。

そんな中、メキシコ人の友達と遊んでいたことを思い返してみると、メキシコ人の遊び方って、とても健全だったなあと思うのです。

例えば、友達夫婦やその親戚、友人たちと集まって遊んだときのこと。地面に丸や線を書いて、日本でいうところのケンケン・パーみたいなことをやりました。メキシコにもこういう遊びがあるんだと思いつつ、みんな、当時の私と同じ20代後半くらいなのに、いい大人が真剣にケンケン・パーをするとは、メキシコ人て純真だなあと思いました。その時、サンダルを履いていたので、サンダルが壊れないか、心配になりながら、ジャンプしていたのを覚えています。

それから、当時、私はジムに通っていたのですが、そこで知らない20代くらいの女の子たち2人に、おずおずと声を掛けられたことがありました。

「私たち、集まって、クイズを出し合って楽しむ会をやっているんだけど、あなたも来ないかと思って」

これまた、ピュアな遊びをやってるなあ、と思いましたが、あまりクイズに興味がなかったので、これはお断りして、行きませんでした。

また、あるとき、レストランのボーイをやっていた顔見知りの男の子(20代前半くらい?)に招待されて、彼の家に、お昼をごちそうになりに行ったことがありました。彼は、近くの村から通っていて、おばあちゃんやお姉さん、甥や姪など、大家族で住んでいました。お店もほとんどない、のんびりした村で、休みの日とか、仕事が終わった後、何をして過ごすの?と聞いたら、みんなでサッカーをしている、と答えました。

今、思えば、メキシコ人たちは、みんなで集まり、顔を合わせて、健全な関りを持つような遊びをしていました。昔の日本もそうだったのだと思います。メキシコ人には鬱の人が少ないといいますが、こういう素朴な社会の在り方は、とても心にいいと思います。

今の日本は、子供はもちろん、大人でも、スマホのゲームに夢中になっている人が多く、人とのコミュニケーションも、ネットの世界の中だけということも、ままあるようです。こういう遊び方や人との関わり方は、脳に過剰な刺激が行き、思考が乱れるし、心も栄養失調になって偏るような気がします。

直に人と会って話したり、一緒に何かしたり、体を動かしたりすることは、人が健全な心を保つために、とても大切だと思います。機械の中のバーチャルな世界に浸って自然から離れすぎるのは、心身のエネルギー不足やエネルギーの乱れを招く原因になります。

いわゆる「発展途上国」(むしろ「先進国」の方が遅れをとっていることも多々あると思うので、この呼び方もどうかと思いますが)の在り方から学べることは、たくさんあると思います。

過去と未来が同時によくなる方法

過去と未来を同時によくする方法があります。

それは、自分の現在をよくすることです。

現在の自分を、幸せで、満ち足りた気分にしてあげれば、過去も未来も、自然に、悲観的な目でみることができなくなります。

心が満ち足りた状態で未来を見たら、前途が明るく見え、不安な未来は描きにくくなりますよね。

また、過去にたくさん苦しい体験をしたとしても、今が幸せなら、過去の苦しみと同調しなくなり、「あの体験があったから、今の自分がある」等、前向きな視点を持つことが容易になります。

今の自分がよく変われば、過去と未来を見る目がよく変わる。見る目が変わる=過去と未来が変わるということ。

結局、過去も未来も、私たちの頭の中でしか存在しない概念であり、実際に私たちが体験するのは、いつでも、「今、ここ」。現在の連続体があるだけです。現在を支点として、過去、未来を眺めている状態なので、支点である現在の意識状態を変えれば、過去も未来も、いっぺんに変わるというわけです。

そもそも、出来事自体はニュートラルで、それを体験する人が、それぞれの視点によって、いい、悪いを決定しています。例えば、「過去にとても嫌な思いをした」、「未来に嫌な用事がある」、どちらも、今の自分の心境がよりよくなり、視点が高くなれば、より肯定的にとらえられるようになります。

だから、今、ここが大切なんですね。過去に何があろうが、未来に何が待っていようが、現在の心の状態を上げてあげることが肝心。そうすれば、過去も未来も、今までとは違って、よりよく認識することができるということです。

カウンセリングの手法について

最近、日本でも、認知行動療法が定着してきていて、認知行動療法を使ったカウンセリングの提供をする医療機関やカウンセリング会社が増えてきているように思います。

私が日本に帰ってきたばかりの頃は、まだ、認知行動療法さえもさほどよく知られておらず、大学院を出た臨床心理士の同僚に、特段、心理療法は習っていない、日本のカウンセリングは傾聴がメインだよ、と聞かされて、びっくりした記憶があります。

認知行動療法が編み出されたのは1950~1960代で、心理療法としては、アメリカの大学院では必ず習う、基本中の基本であり、個人的には、古典的な手法だと思っています。認知行動療法が効果的だというエビデンスは多くありますが、その後、フォローアップで継続的な効果を調べたら、効果は一時的で、後になって、だんだん薄れていき、元に戻っていくという研究データがあって、なるほどな、と思ったことがあります。

現在は、認知行動療法を基盤として、より発展した、第3ウェーブといわれている療法が数多く編み出されています。DBT(弁証法的行動療法)や、ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)、マインドフルネスは、私が比較的よくカウンセリングに取り入れている療法ですが、これらも第3ウェーブに入ります。

どの療法にも、長所と短所があって、これですべての症状が必ずよくなる、という万能の療法はありません。どの療法を使ったら効果がでやすいかは、その人の症状によって、また、気質や認知の度合いによっても変わってきます。

例えば、認知行動療法は、比較的浅い、日常的なストレスを解消するにはとても効果的だと思いますが、深く刻まれた感情的なトラウマを解消するには届きにいです。思考や行動を変えることで感情を変えるという理念が認知行動療法の基盤になっているのですが、視点を変えて考え方を変えるというのは、強い感情に圧倒されているときは、できにくいものです。そういう時は、その感情にのまれないで観察しつつ味わうという、マインドフルネスとか、自分の感情と向き合って対話することに長けている、ゲシュタルト療法の方が、効果がでやすいと思います。

そもそも、心理療法という、人が頭で考えて体系づけたものに合わせて、人の心を当てはめるというのは、無理があると思います。その人の心に合わせて、やり方を調節する方が、自然なのではないでしょうか。

こういうわけで、カウンセリングの手法を限定することに抵抗を覚えるため、私は、直観に従って、その人の状態や資質を見極めて、合うと思われるやり方をひっぱってくることをしています。

マザーテレサの言葉 :思考が現実を作る

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

パターン化された思考が、いかに自分を取り巻く現実を作っていくかを、よく示している言葉です。

思考って、自分の目の前に起きる出来事=体験を、どう捉えるか、で生まれるものだと思います。

捉え方の癖って人によってあるんですよね。いいようにとらえれば、ポジティブな思考になりやすいし、悪くとらえてばかりいると、ネガティブ思考の人になります。

自分の捉え方の癖に気づくことが、まず第一歩。気づいたら、変えることはできますから。

ちなみに、性格は、思考や行動が集積して作られていくものです。だから、思考や行動を変えて行けば、性格も変わっていきます。

習慣とというのは、反復された行動に他なりません。今までとは違う、新しい行動を意識的にとるようにしたり、自他ともに傷つけるような言葉をやめて、よりよい言葉を使うように心がけたりし、それを繰り返せば、運命も変わっていくということですね。

自分が放ったものが自分を取り巻く現実を形作るというのは、量子物理学で証明される事実です。それが思考であれ、言葉であれ、行動であれ、自分が瞬間瞬間に放つものは、自分が住み、体験する世界を形成する材料になってしまうんですよね。

だからといって、無理にポジティブ思考にしようとするのは、逆効果。こう考えなきゃいけない、と思うと、言葉づらがポジティブだったとしても、苦しみの念が放たれてしまいます。言葉よりは、言葉に伴う念の方が真実であり、物事を左右する力を持つものです。

~すべき、~してはいけない、というべき思考は、苦しみの現実を作る元なのです。「こうなったらいいな」、「こうなったら幸せだな」という思いを放つようにした方がいいと思います。