盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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10月

悲嘆のセミナーに参加して

9月の後半、アメリカのオレゴン州ポートランドで行われたセミナーに参加してきました。

2日連続のトラウマ解消のセミナーと、1日だけの悲嘆のセミナー、計2つ受講しました。

トラウマ解消のほうは、主にニューロフィードバックというコンピューター機器を使って脳の状態を変えるという手法についてで、いかにニューロフィードバックが素晴らしいかという話はたくさんあったのですが、肝心の、どうやってニューロフィードバックを使うかというのはなかったし(それについてはまた別にセミナーを受講しなければならないらしい)、ソフトを購入して機器を用意するだけでかなり莫大な費用がかかるようで、実際的ではないなと思いました。でも、経験豊富な心理療法セラピストがプレゼンターだったので、内容はそれなりに興味深かったです。このプレゼンターは、DBT(弁証法的行動療法)を編み出したマーシャ・リナハンと古くからの友人で、「昨夜もマーシャと電話して話したんだけど」などと言っていたのが、個人的には面白かったです。DBTは、境界線パーソナリティ障害の画期的な治療法として今でも盛んに使われており、私のセラピーにも取り入れて、とても役に立っていたので、マーシャの個人的な話が聞けたことはよかったです。

一方、悲嘆のセミナーのほうは、文句なしに興味深く、一流のセミナーで、とても感銘を受けました。プレゼンターは悲嘆の第一人者であるデビッド・カッセラー(David Kesseler)という人で、アメリカでは悲嘆の専門家としてテレビにもよく出演している人のようです。悲嘆の5段階のプロセスを提唱した、故エリザベス・キューブラー・ロスとも友達で、キューブラー・ロスが亡くなるのを看取ったそうです。

この人の何に感銘したかというと、まず、初めの印象から、とてもいい人だという感じを受けました。明るくて穏やかで優しく、ユーモアのセンスもあって話も面白い人というのが、最初の10分くらいでもう伝わってきました。最初、私を含め50人前後の受講者一人一人にマイクをまわして、自己紹介や、このセミナーを受講する理由を話させたのですが、その中で、自分自身が誰か大切な存在を亡くして、喪失を経験しているので、という人が何人かいました。それを聞くと、デビッドは必ず、「その人の名前は?」と聞きます。中には、犬やネコなどペットを亡くしたという人もあったのですが、そういう場合でも、「その子はなんていう名前ですか?」と聞きました。そして、皆の自己紹介が終わると、デビッドは言いました。「亡くなった人やペットの名前を言葉にしただけで、部屋の雰囲気が変わったのに気づきましたか?」亡くなった人を、ただ、名無しの状態で話すよりも、固有名詞を言葉にしたほうが、ずっと故人のイメージが形をとって具体的なものになり、その人に尊厳を与え、大切なものとして敬う雰囲気になる。だから自分は必ず亡くなった人の名前を聞くのだと言うのです。なるほど、素晴らしいなと思いました。

デビッド・カッセラーは、自分自身、強烈な喪失を体験した人です。彼は13歳の時、腎臓系の重病で緊急病棟に入れられた母親を見舞うために、父親と一緒に病院を訪ねた経験があります。その時、緊急病棟に入れるのは14歳以上と決められており、会えたとしても2時間に一度、一回5分という時間制限が設けられていました。看護師によっては子供のデビッドの心情を考えて面会を許可してくれる人もいたそうですが、中には規則は規則だといって、今日明日の命かもしれない母親に一目会うことも許さない看護師もいたそうです。父親は病院の前のホテルに宿泊するお金を持っておらず、デビッドと父親は、何日も病院のロビー寝泊りしていました。そんなある晩、その病院で火事が起こりました。その火事は普通の火事ではなく、銃を持った犯人の無差別大量殺人による火事だったそうで、結果として母親は亡くなり、デビッドは、専門用語でいうところの複雑性悲嘆に苦しむことになりました。自分の体験を意味のあるものにしようと、悲しみや苦しみを乗り越えて、デビッドは喪失や悲嘆の専門家になり、たくさんの本を書き、多くの人を救うに至ったのでした。

デビッドの講義でポイントなることの1つは、「喪失による痛みは避けられるものではなく、取り除くべきものでもない。しかし、喪失による苦しみは避けられる」というのものです。大切な人に先立たれて悲しむというのは、古今東西、あらゆるところで起こってきたこと。私たちの祖先から脈々と受け継がれてきた力が私たちには内在しており、私たちの心や体はそれに耐えられるように作られている。でも、喪失による苦しみは、私たちが頭(マインド)の中で作り出すものである。その喪失に関してマインドが何を話すかによる。「死んだのは自分のせいだ」「こんな死に方をさせるべきじゃなかった」などとマインドが私たちに話しかけると、苦しみが生じる。そのマインドのおしゃべりは変えることができるというのが、デビッドの主張です。

デビッド自身、悲嘆の苦しみに役に立ったのが、手紙を書くことだったそうです。亡くなったお母さんに対してのみならず、母親自身の立場から、また、父親、瀕死の母親に会わせてくれなかった看護師など、関りになる人たちの一人一人の心情になって手紙を書くことで、その人たちの立場を理解することができ、デビッドの苦しみはだいぶ救われたと話していました。おそらく、デビッドは、かつて看護師に対する恨みや怒りに長く苛まれ、苦しみを強めたのだと思いますが、「許し」に対する重要性も抗議のなかで説いていました。許すことは、過去の呪縛から解放され、嫌な人とのつながりを断ち切り、苦しみから逃れることであり、自分の中に平和を取り戻すこと。相手を罰するために自分の心の平和を犠牲にするのは、割に合わないことだと話していました。

デビッドは、マザーテレサが亡くなる1年前、会って話をしたそうです。その時、デビッドは、インドで多くの死に瀕した人を看取ってきたマザーテレサに、こんな質問をしたそうです。「悲嘆している人を助けるために、一番大事なことはなんですか。」マザーテレサは、(デビッド曰く)この人バカじゃないの、というような目つきをして、「その人に対する心からの愛をもってそばにいること。それだけです。」と答えたそうです。

デビッド自身、思いやりが深く、そばにいると慰められるタイプの人だと思いますが、彼のその存在から放つ癒しは、他者の苦しみに対する理解からくるものであり、それは、彼自身の苦しみによって心の深いところに培われたものだと感じました。

アメリカ旅行はハードスケジュールで肉体的には大変でしたが、素晴らしいセミナーに参加できて、オレゴンに住んでいる大学院時代の親友とも旧交を温められ、とても有意義なものになりました。行ってよかったなと思います。

 

オレゴンの森。