盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)
☆営業時間:9時~18時  定休日:第二、第四土曜、日曜、祝日

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ8,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

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料金改定のお知らせ

セラピールーム.・ハミングバードでは、2013年より約12年間、専門性の高いカウンセリング・サービスを比較的リーズナブルな料金で提供してまいりましたが、2025年4月1日より、メニュー&料金のページの通り、カウンセリング料金を改定させていただくことになりました。

今後とも、訪れてくださるクライアント様に最善が起こるよう、1回1回心を込めてカウンセリングをさせていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

※現在、4回または6回コースご利用中のお客様におかれましては、差額の追加料金は発生いたしません。

※現在単発で継続されている方を含め、2024年1月1日以降にセッションを受けられた方は、6月30日までの3か月間は、旧料金のまま据え置きとさせていただきます。

よろしくお願いいたします。<(_ _)>

頭を空っぽにするコツ

家に帰っても、仕事のことを考えてしまうという方はいっしゃいますか?

それって、心が休まらないですよね。  

今、目の前に仕事があるならともかく、明日、職場に行かないとどうしようもない問題について考え続けるのは、エアーで仕事をしているようなもの。

脳は現実と想像の区別をつけません。仕事のことを考えるだけで、本当に仕事をしていると勘違いした脳が体に指令を出し、アドレナリンやコルチゾールというストレス物質を体内に作り出して、心と体を「頑張るモード」にしてしまいます。結果として、疲れるけど、何もはかどっていないということが起きます。なんだか、とてももったいないですね。

どうせなら、お休みの日は仕事のことを考えずにゆっくり休んで、消耗したエネルギーを回復したほうが、いざ出勤したときは、より冴えた頭で、元気に働けます。

そのためにも、考えるのをやめて、頭をからっぽにする時間を持つことは、とても大切なのです。

そうはいっても、「考えたくなくても考えてしまう。どうやって考えるのをやめたらいいのかわからない」、という人、多いかもしれません。

今日は、そんなとき、どうしたらいいのか、というお話です。

皆さんは、ブルース・リーの「don’t think,feel」というセリフを知っていますか?「考えるな、感じろ」という意味ですが、これは奥が深い名言だと思います。

感じることに集中すると、考えなくなり、 やがて頭が無になっていきます。頭が無になると、心が穏やかで平和になります。

(これは余談ですが、そうなると、自分の中のとても賢い部分、すべてを見通せるスーパーコンピューターである潜在意識につながりやすくなります。潜在意識につながると、一生懸命頭で考えるより、ずっとよい方法を、「ひらめき」という形で、瞬時に、苦労なく、見つけやすくなります。体的にも、そのほうが余分な力が抜けて、楽に、最大の力を発揮できることを、ブルース・リーは知っていたんですね。)

では、ここで、感じる練習として、試しに、1~2分でいいので、次のうち、どれかをやってみてください。

  • 今、周りにある音を3種類、聞き分けてみてください。そのうちで、一番耳に心地いい音を選んで、しばらく耳を傾けてみてください。
  • 今、目に入るものを3種類選んで、その形や色を観察してみてください。地球を訪れた宇宙人が、初めて見るものを興味深く観察するみたいに、眺めてみてください。
  • 呼吸に意識を向けてください。息を吸ったときと吐いた時に、空気が鼻の裏側を通る感覚を、丁寧に心地よく味わってください。
  • 呼吸するときに、自分の胸やおなかがどんな風に動くか、じっくり観察してみてください。

いかがでしょうか。これをやっている間は、「観察モード」になり、感覚に集中するので、自然にあまり考えなくなるのが実感できましたか?

「何かについて考える」という思考モードのときは、人は頭の中で、ものごとを分析したり、自分なりに解釈したり、「いい・悪い」で判断したりしようとします。その結果、脳が働いて疲れるのはもちろん、自分の思考がいろいろな感情を作り出してしまい、心が波立ちやすくなります。

これに対して、観察モードになって、感じることに専念すると、頭の判断がやむので、脳が休まり、ニュートラルな視点になり、結果的に心が穏やかな状態になりやすいのです。

この1~4のエクササイズは、ネガティブなことを考え続けて疲れてしまうとき、思考を断ち切って自分をリセットするためにも使える、簡単な方法なので、よかったらやってみてくださいね。

過去と未来をよりよくする方法

すでに起こってしまった過去のできごとをよりよく変え、まだ起こっていない未来をよりよく作る秘訣があります。

それは、現在をよりよく変えることです。

過去に起こったこと自体は、時間をさかのぼって戻って変えることはできませんが、過去に対するとらえ方を変えることは可能です。結局、過去に起こったことが、よいか悪いかは、今、自分がその出来事を、いいととらえているか悪いととらえているかによるものです。どう見るかが100%なんですよね。つまり、悪いことだったとみなすのをやめれば、悪い過去ではなくなるということです。そして、それができるのは、いつでも今、現在なのです。

できごと自体はいつもニュートラル。それをどうとらえるかが、その人を取り巻く現実を作るものです。

では、どうやって過去の捉え方を、「悪い」から「いい」に変えたらいいでしょうか。

一つのやり方としては、「そこから何を学んだか」「この体験にどんな意味があるのだろう」と自問することです。どんなにいやな体験でも、探せば、自分の人生をよりよくするための学びが見つかるものです。学びにフォーカスすれば、それが苦しかったとしても、ただの苦しみではなく、建設的な苦しみとなり、いやな体験が、これからの人生で、きれいな花を咲かせるための肥やしになります。また、どんな辛いことでも、そこに意味があれば耐えやすくなるというのは、ナチスドイツ下で3年間強制収容所にとらわれていた、ユダヤ人精神科医の、ヴィクトール・フランクルが身をもって証明したところです。

過去を悪いものととらえるもう一つのコツは、すでに起こったことに、抗うのをやめること。こうあってはならなかった、どうして自分だけこんな目に、という思いは、すでにそうあるものと勝ち目のない争いをしていることになり、葛藤と苦しみ、無益な消耗を生み出すばかりです。その体験に対するネガティブな思いはさらに強化されて、自分の中にこびりつくでしょう。抵抗をやめ、力を抜いて、ありのまま受け入れると、過去の辛かった感情や思いは、もっと早く通り過ぎて行きます。

さらにつけ加えるなら、もし現在、幸せなら、辛い過去を思い出すことも少なくなるはずです。なので、今、この瞬間を心地よく、幸せを感じるようにしていくといいと思います。

今、この瞬間、幸せを感じるというのは、余計な思考に邪魔されなければ、本当は誰にでもできることです。

例え、1000万円の借金があったとしても、今どうしようもないなら、その問題にふけって格闘するのをやめて、目の前にある美しい夕日をうっとり見ることを自分に許可します。そうすれば、その瞬間は、その人は、1000万円あるなしに関わらず、幸福感を味えます。

幸せというのは、いつでも今しか感じられません。3分後に幸せになることはできません。(多くの人が気づかないうちにやっていることですが)今、過去のもう起こってしまったことや、まだ起こってもいない未来を案じて、今を台無しにすることをやめれば、もっと今、幸せを感じることができるのです。

今に最善を尽くし、今を充実させていけば、過去をネガティブにみることも自然に減っていくでしょうが、同じことが、未来をよりよくする秘訣にもなります。

結局、人がなにかを体験できるのは今、現在という時制でしかなく、よって、何かを動かしたり、変化を加えたりすることも、今しかできません。現在に集中して、最善をを尽くせば、未来は必ず、そうしなかったときより、よくなります。

例えば、今、おいしい食事が目の前にあるのに、1000万円の借金のことを考えてて食べていたら、おいしさを感じないまま、気づいたらお皿が空になっているでしょう。せっかく、一流の料理人が心を込めて、いい材料を集めて作った料理であっても無駄になり、自分の身になって、自分の人生に、たとえ少しかもしれないけれども、よい変化を及ぼすという機会を逃してしまいます。

この時、もし、今日のところはどう逆立ちしても返せない借金のことは横に置いておいて、目の前のごちそうに集中したら、もっと目でごちそうのいろどりを楽しみ、おいしく味わえるでしょう。そうしたら、その間は心地よいひと時となり、リラックスさせたり、幸福感を感じさせたりする脳内神経物質がたくさん出て、心や体が、一時でも元気になるでしょう。集中力が増すから、仕事がはかどり、おいしいものを食べて機嫌もよりよくなるでしょうから、人ともにこやかに接することができ、必要な情報が入ってきて、借金を返すためのよい方法にもつながるかもしれません。夜も、ずっと思い悩んでいるよりは、ぐっすり眠れるようになるでしょう。

こうして、今、ここに集中してフルに体験し、最善を尽くす選択をすることで、少し先の未来がよくなるということ。これを続ければ、ドミノ倒し的に未来がよくなっていきます。もちろん、借金を返すため、問題解決のために、今、現在、できることがあれば、他に気を取られたりせず、それに集中して最善を尽くすことが、よりよい未来を作る選択になります。

過去も未来も、実は実態はなく、人の頭の中にある架空の概念にすぎません。実態があるのは今、現在だけなんですよね。人間の集合意識には、過去、現在、未来という時系列の認識が埋め込まれているから、この辺は、なかなか理解するのが難しいところではありますよね。

今回は、今をよいもので満たしていくことが、過去と未来をよりよく変えるカギになるというお話でした。

謹賀新年

2025年が、みなさんにとって、光があふれる年になりますように。

本年もよろしくお願いいたします。

今年も1年ありがとうございました

今年も1年、あっという間でした。

たまにしか更新できないブログですが、来年も自分のペースで続けていきたいと思います。

今年最後に、一つ、幸せに生きる秘訣を書こうと思います。

私たちの身に起こるできごと自体は、ニュートラルで、いい・悪いはないです。

体験するできごとをどうとらえるかが、私たちの現実を形作っていくということ。

もっと具体的にいうと、私たちの体や心の在り方も形作っていきます。

例えば、人は悪いものだ、誰も信じられないと思っている人は、誰かの不機嫌や間違い、失礼なふるまいを被害妄想的に悪く解釈しがちになります。結果として、疑いや怒り、虚しさを感じやすくなり、身体はいつもこわばり、内臓もストレスを受けるので、身体の不調が出やすくなります。暗かったり、不機嫌そうだったりの表情が染みつくので、人は遠ざかっていき、孤独になります。近づいてくるのは、自分と同じように満たされていない人だけで、そういう人に肩をぶつけられて「おら、どこに目つけとるんじゃ」といわれるのが関の山。人は悪いものだという信念がますます強まり、負のループが起こるでしょう。

一方で、人の本質は優しくて、美しいものだと信じている人は、誰かの不機嫌や間違い、失礼な振舞いも、「たまたまだったのかな」「きっと何か辛いことがあったんだろうな」「人間だから色々あるよね」等、寛大に解釈し、すぐに許して忘れるでしょう。嫌なことが頭や心に残らず、クリアな状態を保ちやすいので、身体もストレスを受けにくくなります。顔つきも柔和になるので、よい人が集まってきやすくなります。何かあっても、助けてくれる人が現れ、運もよくなっていきます。

そうはいっても、生きていたら、誰でもしんどいことに時々遭遇しますし、しんどいことは誰でも嫌ですよね。

そういうときは、運命や境遇、周りの人を恨んだり、自分を責めたりするのではなくて、これが自分にとってなんの学びになるのか、このことで自分がどう成長できるかを考えたらいいと思います。

英語に、「レモンをレモネードにする」ということわざがあります。レモンはすっぱくておいしくないけど、レモネードにすればおいしくなる。辛い経験から、有益なもの生み出すという意味です。転んでもただでは起きないということ。

私が中学の頃、親友と、なにかしんどいことがあるたびに、「試練や~」と言って笑い飛ばしていました。何かしんどいことは、自分を鍛える修行だと、大人になっても、よく思っていました。重い石を持って坂道を上がれと言われたら、しんどくてただ嫌なだけだけど、それが足腰や体幹を鍛えて、筋力をアップするためになるなら、自分のためになるから、気分的にもっと前向きになりやすいですよね。

余談ですが、私と前述の親友は、二人とも関西なので、どんな話にもオチをつけないと気が済まず、人が多い東京の駅のホームで、親友が職場でパワハラにあった、聞くも涙話すも涙(?)の苦労話をしていたときには、そばにいた人が吹き出して、笑いの連鎖がおこったことがありました。「ごめんなさいね、どうしても我慢できなくて。ほんとに大変ねえ」という言葉と裏腹に、吹き出した人は爆笑していました。東京の人には関西人の辛い話は漫才に聞こえるようです。嫌なことを面白可笑しく話して、辛いことの中にユーモアを見つけるというのは、嫌なことの邪気を抜いて、軽くする作用がありますね。

さて、ハミングバードは来年6日からの営業となります。

ご予約等のメールのお返事は、6日以降となりますので、ご了承くださいませ。

みなさま、どうぞ、よい年末年始をお過ごしください。

心に響く曲

Creedの、この、With Arms Wide Openという曲は、昔、アメリカに住んでいた頃に流行っていました。

まだ、カウンセラーの仕事に就くどころか、この道もまだ目指していなかった頃のことです。

カーラジオから流れてきたこの曲の、歌詞とメロディー、気持ちを込めた歌い方が、心に流れ込んできて、この歌を作った人の心情が、ありありと理解でき、いいなと思った記憶があります。

このヴォーカルの人(Scott Strappという名前だそうです。この曲は好きだけど、このバンドのファンというわけではないので、今、調べて初めて知りました。)は、この曲を、自分の子供が生まれるときに書いたのでしょう。

歌詞を要約すると、

「その知らせを聞いて、喜びの涙が頬を伝った。

僕の人生は変わる

陽の光の下で、大きく両手を広げて、君を迎えよう。

ようこそ、ここへ。

君にあらゆることを教えよう。

君に愛を教えよう。

僕たちは畏敬の念に打たれて立っていた。

僕たちは命を生み出した。

たった一つだけ、願うことがある。

どうか、自分のようでありませんように。

どうか息子には、人生は自分の手の中にあること、大きく両手を広げて世界を歓迎すればいいということが、理解できますように。」

ということが書いてあります。

愛にあふれた曲で、いいなと思います。

特に、この「自分みたいにならないように」というところに、自分のように過ちを犯し、辛い思いをしないように、という意味合いを感じます。この人の傷つきと、無条件の愛が、この部分に込められています。

ヴォーカルのスコットは、その後、何度も自殺未遂を起こしたり、暴力沙汰で訴えられたりと、波乱の人生を送り、最終的に双極性障害と診断されます。

一度、死のうとしたとき、息子の写真を見て、思いとどまったということです。

色々葛藤しながら、自分を持て余しているような生き方をしてきた人という印象を受けますが、この歌を聞く限り、内面の奥底に、非常に純粋で、優しい心を持っている人なんだろうと思います。

仕事で心掛けていること

カウンセリングのお仕事をする際に、ささやかながら、できるだけ心がけていることが2つあります。

1つ目は、カウンセリングに入る前に、気持ちを落ち着かせて、自分をニュートラルにすること。

例えば、カウンセリングの直前まで、スマホやテレビや、関係ない本を見てほかの情報を入れるということはしないようにしています。外部からの影響は、自分の中に不協和音というか、けがれというか、そういうものを作り出してしまう可能性があるからです。もちろん、個人的な出来事で心を乱したり、というのも、ないようにしておきます。何か突発的な出来事が起こるのは防げませんが、それで心を乱すかどうかは自分次第です。例え、感情的になるようなことがあったとしても、いったん横に置き、切り替えて、自分の中を静かで曇りない状態に整えるスキルは、この仕事をするためには、とても必要だと思います。

2つ目は、カウンセリングに入る前、「このクライアントさんのためにお役にたてますように」と、祈ることです。

神社とか教会で祈りをささげるようなたいそうな祈りではありません。場合によっては、相談が立て込んでいて、ほとんど合間に時間がないこともあり、そういう場合は、クライアントさんをお部屋に誘導しながら、ちらっと思うだけ、ということもよくあります。でも、クライアントさんがよりハッピーになるための媒体に、自分がなれますように、という意図を持つことは、この仕事では、とても大切です。意図すれば、その方向にエネルギーが動きますから。

というか、どんな仕事でも、自分が働くことで、人や社会がより幸せになるように、という奉仕の気持ちを持つことは、仕事がうまくいくための重要な秘訣だと思います。そういう意図をもって仕事をしていれば、不思議なことに(本当は量子力学の仕組みをしれば、不思議じゃないんですけど)食べ物やさんだったら、食べ物がおいしくなるし、大工さんだったら、丈夫で住み心地のいい家ができるし、学校の先生だったら、生徒が勉強を好きになって、成績が上がる、ということが、本当に起こります(そういう仕事の担い手を、私はたくさん目撃してきました)。

「はたらく=傍を楽にする」という言葉を聞いたことがありますが、それは真理だと思います。

自分軸を発動させる言葉

以上は、ディーバック・チョプラ博士の「ゆだねるということ(下)」(住友進訳 サンマーク文庫)から抜粋したスートラ(「第三のスートラ」)です。

スートラとは、意味を持つマントラのことで、このスートラは何千年もの間、サンスクリット語で受け継がれてきたものだそうです。

この第三のスートラは、自分軸を強くするのに非常に効果的だと思い、ご紹介しました。

多くの人は他人軸です。他人軸になると、おのずとネガティブ思考になりやすくなります。自分の幸不幸は人次第、環境次第になるので、不安定になりやすく、疲弊しやすくなります。他人軸の人は、人にどう思われるかを気にし、「人に嫌われないよう、認められるように」を指針にします。また、他人軸は被害者意識を生み出すので、自分の感情の乱れを人や環境のせいにし、自分を振り返って改善していくことが難しくなります。結果として負のスパイラルから抜け出せなくなくなるので、人生もうまくいかなくなります。

被害者意識を持っていると、どこに行っても自分に危害を加えてくる人に出会います。なぜなら、被害者意識は、「自分は人に攻撃される。それは必ず起こる」という信念を無意識に周囲に投影し、自分自身で、世界がそう見えるようにしてしまうからです。同じ原理で、人は本質的に優しいものだと信じている人は、どこに行っても優しい人に出会うことになります。

本当は、自分の周りにある人や環境はみな、自分の意識を映し出す鏡にすぎません。この真理に気づいた人は、自分が住んでいる世界を変容させるカギを手に入れたようなものです。自分の意識を変えさえすれば、すべてが変わるからです。「地獄極楽は胸三寸にあり」ということわざの通り、自分の住む世界が変わるのです。

では、自分の意識をどうやって変えたらいいのでしょうか。その方法の一つがアファメーションです。

アファメーションは「自分自身に向かってする宣言」という意味ですが、特定の文句を唱えて、その言葉の意味に意識を集中させることは、自分の内在する力を引き出す効果をもたらします。サンスクリット語のスートラは、言葉の音の響き自体に力があります。インドの古典のリグ・ヴェーダは、サンスクリット語の詩編を集めた聖典ですが、正確な発音で詩を唱えると、天候をも変えることもできると聞いたことがあります。ここでご紹介したスートラは日本語に翻訳されたものですが、アファメーションとしての作用だけでも十分、自分を内側から変える力を持っています。

特定の言葉に思いを集中させると、それが意思となり、物事を形作ったり変えたりするエネルギーが生まれます。エネルギーは意図する方向に流れるので、こういう風になりたいという意思を持つと、その通りになっていきやすいのです。

例えば、「私は自分の中心を保ち、まったく動揺していない」という思いに集中すると、本当に自分のエネルギーがバランスよく中心に集まり(これをセンタリングといいます)、自分の中がさっきより穏やかに静かになったと感じるようになります。

自分以外の他者を動かすことは、その人自身の意思もあるので、いつも思い通りになるとは限りませんね。それどころか、他人の意思に干渉して操作することになりかねず、相手に不快感を与えるのみならず、自分の内部にもひずみを生じさせる可能性があるので、気をつけなければいけません。けれども、自分自身に関する限り、自分はこうだという意思をもち、その意思に集中するだけで、本当は自由に、意のままに変えることができるのです。

この第三のスートラを全部唱える必要はなくて、どれかピンとくるもの、心がひかれるものがあれば、一つでも二つでもいいので、それを選んで唱えればいいと思います。(腑に落ちない言葉を唱えても効果は期待できないので、逆にピンとこない言葉はスルーした方がいいでしょう。)一人になれる環境でしばらく心を落ち着かせた後、唱えると効果的ですし、紙に書いて、時々眺めてもいいでしょう。

このスートラを意識するようになれば、だんだんと自分軸ができて、土台がしっかりしてくるので、揺るがなくなっていくのが感じられるかと思います。自分軸になると、無駄なエネルギーの流失がなくなって、疲れにくくなるし、人間関係もスムーズにいくようになるので、幸福度もおのずと増していきますよ。

自分を強める力と弱める力

力には、二種類あります。

パワー(power)とフォース(force)。この二種類の、どちらの力に意識がつながっているかによって、人は、強くもなり、弱くもなります。

このことを、キネシオロジー(筋肉反射テスト)を用いた膨大な量の実験に基づき、体系的に説いたのが、デヴィッド・ホーキング博士です。

キネシオロジーでテストすると、有害な物質にさらされた体は、筋肉が瞬時に弱まるという反応が起きます。

例えば、低血糖症の患者が砂糖を口に含むと、三角筋が弱まる反応を示すそうです。

ホーキング博士は、自らの講演中、1000人の聴衆を相手に、こんな実験をしました。1000人中、500人に人工甘味料を入れた封筒を配り、残りの500人には有機ビタミンCが入った封筒を配りました。2人一組でキネシオロジーテストをしてみたところ、全員が、人工甘味料には弱い反応、ビタミンCには強い反応を示しました。

特筆すべきは、被験者が、封筒に何が入っているか知らなかったとしても、有害なものには弱い反応、いいものには強い反応を示すということ。体はそれ自体、叡智を持っているからです。

ホーキング博士は、被験者に特定の思考や感情をもたらす記憶や状況を思い浮かべてもらい、キネシオロジーを使って、膨大な数と頻度のテストを行いました。その結果、怒りや失望、嫉妬、落ち込み、罪悪感や恐怖に対しては、例外なく筋肉が弱くなり、愛する人や楽しいことを思い浮かべると、誰もが強い反応を起こすことがわかりました。

また、物質をイメージするだけで、実際にその物質に触れていなくても、実物に触れているかのような反応が起こることも判明しました。例えば、殺虫剤を使って育てられたリンゴと、有機栽培されたリンゴを掲げて、それぞれに焦点を合わせて見るというテストする実験をしたところ、殺虫剤のリンゴでは弱い反応、有機栽培では強い反応が起こりました。見る人は、どちらがどっちのリンゴか知らされていなかったにも関わらず、即座に、全員にこの反応が起こったのでした。

この手法を用いて実験を重ね、ホーキング博士は、下記の表を作りました。

「意識のマップ 」と名付けられたこの表で、200の勇気から上がパワー、175のプライドから下がフォースになります。

神の視点人生の視点レベルログ感情プロセス
Self(大なる自己Self)is(存在そのもの)悟り700-1000表現不可能純粋な意識
存在する全て完全平和600至福啓蒙
ワンネス完成喜び540静穏(神)変身
愛のある恩恵500崇敬啓示
英知有意義理性400理解抽象
慈悲深い調和受容350許し超越
奮い立たせる希望意欲310楽天的意図
権能を与える満足中立250信頼開放
許認実行可能勇気200肯定強化
無関心要求プライド175嘲笑慢心
執念深い敵対怒り150憎しみ攻撃
否定失望欲望125切望奴隷化
刑罰怯える恐怖100不安内気
軽蔑悲劇深い悲しみ75後悔落胆
避難絶望無気力50絶望放棄
復讐心罪悪感30批判破壊
嫌悪悲惨20屈辱排除

引用元:「パワーかフォースか」デヴィッド・R・ホーキンズ著 ヘハン・デラヴィ&愛知ソニア訳         ナチュラルスピリット社 p.372

端的に言うと、人の意識状態が、200以上(パワー)につながっていると、その人の生命力は強まり、健康になりますし、200より下の低い状態(フォース)につながっていると、その人は弱体化し、免疫も弱まるので健康を害しやすくなるということです。

フォース(force)は「強いる」という意味合いを含みますが、他者を支配して自分が上に立つことで得たり、誰かと競争して勝つことで得たりする力は、フォースです。自分が弱いふりをして、他者から憐れみをひきつけて獲得する力も、誰かを操作して得るという意味合いで、フォースになります。お金や社会的地位、依存するものから得られる一時的な快楽、他者からの賞賛や承認で得られる一時的な高揚感も、すべてフォースの類です。

フォースは持続せず、すぐに消えてしまうはかないものなので、常に外から供給しつづけなければなりません。どんなに外から補っても決して満たされることがなく、すぐに空虚な気持ちになり、「もっと欲しい、もっと、もっと」と、尽きぬ欲望をかきたてます。本当に自分を強化する力ではないので、力を得ているはずなのに、疲労感を得やすいのも特徴です。

パワーは、人から奪い取ることで得られる力、フォースと違って、すでに自分に内在する力です。パワーは人間の気高さや慈愛とつながっています。例えば見返りを期待せずに行う利他的な行為や、悪口を言われても動じず、報復することなく許す寛大さなどは、その人にパワーをもたらします。これらは、その行為をした人自身にも肯定的な気分や強化された身体感覚をもたらしますが、周囲の人も、その人のパワーから漂う威厳や高貴な雰囲気を感じ取るため、心から賞賛したくなったり、感化されて自分もより高い状態に引き上げられやすくなります。

パワーは、自分の中に内在する力とつながった状態であり、他者を必要としません。いつでも得られるし、永続性があります。例えば、100年前に書かれた書物であっても、パワーがあふれる人が書いた本は、読む人に感銘を与え、心を強くさせる作用がありますね。

同じ行為をするにしても、その人の意図が、パワーとフォース、どちらかにつながっているかによって、結果が違ってきます。

褒められたい、認めたいと思ってする善行は、フォースに動機づけられるので、人の尊敬を得ることがなく、かえって褒められたり認められたりしないものです。自分にポジティブな力を与えることもできません。

フォースの状態を抜け出せない人は、残念ながら、環境を変えたとてしても、同じ辛い状況を繰り返しつくりだしてしまいます。

私は予言者ではなく、透視能力があるわけでもありませんが、多くの人を見てきて、パワーにつながっている人は、この人はどこに行っても成功するし、幸せになっていけるな、と確信がもてますし、実際そうなっています。カウンセリングで劇的に変化し、症状がなくなり、人生が好転する人を何人も見てきましたが、思えば、その人たちはパワーにつながることができた人です。

多くの人が、常にパワーの意識状態を保っているわけではなく、フォースの領域に行ったり、パワーの領域に上がったりを繰り返していると思います。人生には日々色々なことが起こり、人との関わりの中で、色々な感情を抱くものですから、それは当たり前ですよね。そんな日々の暮らしの中で、パワーの意識を増やしていくことを心がけることは、自分を成長させることであり、人によい影響を与えて世界をよくしていくことにもつながり、生きている意味があることだなと思います。

滝行初体験

そういえば、1月に、滝行を初体験しました(書こうと思って、忘れていた)。

滝に打たれて修行というのを、いつかやってみたかったので、楽しみにしていたのですが、なにぶん、1月の寒い最中。

冷え性で、誰もしもやけになっていない室内で、一人、15分くらいでしもやけができる、雪女を通り越して氷女といわれる(手足が氷のように冷たいので)この私が、寒冷地でも一番寒い時期に、滝に打たれても無事なのかどうか。

それを検証するのも、楽しみでした。

滝行は、所属している極真会館の空手道場で、毎年恒例で行っている寒稽古に、初参加させていただいたのですが、その日の1~2週間前から、その日が命日になった私のお墓に、空手の先生が手を合わせている場面が頭にちらつきました(脳内で、当日ショック死する設定になっていた)。

異常に冷え性な自分の体を、精神の力でどのくらいコントロールできるか、試してみたかったこと、滝行が及ぼす効果を実感してみたかったことで、怖いという気持ちよりも、好奇心でワクワクする気持ちが強かったです。

それで当日どうだったか。

思いのほか、全然大丈夫でした。

今年の冬は暖冬で、雪が少ないとはいえ、まだ少し雪が積もって、溶けていなかったので、当日の気温は、0度か、それより少し上だったように記憶していますが、雪の上で軽く稽古して、体を温め、気合が入ったことで、寒さをあまり感じず、とても楽しかったです。何なら、もっと長く入って、もっと滝に打たれたかったのに、もう上がるのか?と心残りでした。

このとき、一人ではなく、先生や先輩方、道場生の皆さんと一緒だったことも、気持ちが強く保てた要因の一つだったと思います。

集団のエネルギーというのがあって、大勢の人がポジティブな気持ちを放って同じ場にあつまれば、その場に強い肯定的なエネルギーが生まれ、そこにいる人たちに影響を及ぼします。(負の気持ちも同様に、集団ではくっつきあって強化されることが起こってしまいます。)

寒中稽古の直後は、体が硬直して、なかなか思うように動かなかったのですが、心身とも爽快になりました。

付け加えるなら、この時、もし、嫌だな~、寒いのに何でやらなきゃいけないんだろう、早く終わらないかなと思いながら水に入ったとしたら、たぶん、もっと寒く感じたと思います。私は滝行にあたって、喜びをもって前向きな気持ちで臨むことができたので(なにぶん、好奇心が強いもので)、精神が肉体を統御する力が大いに発揮されたように思いました。

来年もぜひ、参加したいと思います。

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