自分の欲求や不安に
すべてのエネルギーを投入し執着しても
ただストレスと消耗を生み出すだけだ
我執を緩めれば
内なる智慧の扉を開くことができる
(「心の治癒力-チベット仏教の叡智」トゥルクンドゥップ著 永沢哲訳 地湧社)
これは、チベット仏教のお坊さんの言葉ですが、とても大事な真実を含んでいると思います。個人的には、この言葉を心で感じると、気持ちが楽で自由に、かつ、穏やかになります。
何か一つのことに執着し続けるのは、それが例えポジティブなことであっても、心にとっては健全ではありません。
すべてのものは変化し続けるのが自然の姿であり、その流れに逆らって、1つのことに固執続けると、感情エネルギーも滞り、色々なことがうまくいかなくなってしまいます。
例えば、何かを成し遂げた喜びであっても、いつまでもこだわりつづけたら、過去の栄光にしがみつく人になってしまい、周囲から置き去りにされてしまいます。
また、不安なあまり、一つのことが気になって、それしか考えられなくなる状態も、一種の執着です。こうなると、視野が狭くなり、自分をよい方向に導いてくれる智恵がでてきにくくなります。
比ゆ的に言うならば、不安という黒い雲が心を覆い隠し、遮ってしまうので、外から入ってくる光が届かなくなっている状態。つまり、感とかインスピレーションが入ってきにくく、健全な判断力も鈍ってしまっている状態です。
そして、誰もが感じるように、不安や怒りの対象に執着すると、とてもエネルギーを消耗させられます。
体のエネルギーと心のエネルギーにバランスも乱れるので、体は疲れているのに、目がさえて眠れなくなったりもします。
肝心なのは、そういった状態を作り出して、自分自身を苦しめているのは、他でもない自分自身だということ。
自分からしがみつくことをやめて、手放せば、楽になれる。
わかっていても、実際には言うは易し、行うは難し、ですよね。お坊さんが修業の内容にするくらいのことだから、誰でもそれを実行するのが難しいと思う場合はあるのだと思います。
だけど、欲求や不安から、しばらくの間だけでも心を離すことができれば、そこに必要な空間(スペース)が入って、心が穏やかな時にのみアクセスできる自分の内側にある叡智の声が 、聞こえてくるものだと思います。