盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

解離性障害について(その2)

(その1の続きです。)解離性障害がどういう仕組みで起こるか、それをお話する前に、特に解離性人格障害(多重人格)については、その存在自体を疑う専門家も中にはいる、という点に触れておきたいと思います。

サイコセラピストの中には、解離性人格障害はクライアントの狂言で、実際にはありえないとする人たちがいます。(アメリカにいたときの私の上司の一人がそうでした。)私は、狂言である場合も中にはあるけれど、実際に起こる現象だと考えています。

狂言が疑われるケースとしては、私が担当していたある同性愛者(レズビアン)のクライアントさんを思い出します。この人はもともとは女性で、夫も子供もいるのですが、性の不一致があり、女性であることが嫌でしかたがありませんでした。夫のことも友達としてしか見られず、でも離婚する勇気もなく、インターネットで女性のパートナーを探しては、家出と浮気を繰り返していました。

彼女(彼と呼ぶべきか迷うのですが、一応ここでは彼女と呼ぶことにします)は子供のころに性的虐待を受けていて、自分も子供を虐待する恐れがあるから育てたくないと言い、自分の子供は夫の両親に預けっぱなしでした。性の不一致と同性愛(この二つは必ずしも同時に起きるとは限りません)のことは、周囲の目を恐れて、夫以外には内緒にしていました。

彼女は、自分には別の人格があって、それはマイク(仮名)という男性だと言っていました。そして、マイクは自分の理想のタイプで、マイクになっているときの自分が大好きだ、というのでした。マイクになっているときは自分で気づくのだそうで、セッション中も時々、「あ、今、マイクになった。」「今のはマイクがしゃべった」というのですが、正直なところ、彼女とマイクの人格の差が私にはよくわかりませんでした。

彼女は強迫的な不安感からか、セッション中、いつも、言葉を差し挟む余地もないほど、ひっきりなしにしゃべり続けていて、表情は明るくニコニコと終始笑顔でした。ただ話を聴いてもらえば満足という感じで、彼女自身、治療的介入を望んでいるようには思えなかったのですが、それでも、セッションには毎回欠かさずやってくるのでした。

この人の場合、マイクという別の人格は、実際に存在するのではなく、どちらかというと、単なる強い憧れ(思い込み)なのではないかと、今振り返っても思います。本当に解離性人格障害を持つ人は、記憶の欠落や意識の希薄さを伴うため自分の症状に気づかなかったり、症状を恥ずかしいと感じて隠そうとしたり、症状に悩まされて喜びではなく苦しみを訴える傾向が強いようです。

このクライアントさんから受けたのは、自分の問題と向き合うことを恐れ、強い不安感を抱きながらも、それを隠して偽っているゆえに、アイデンティティがとっ散らかって収拾がつかなくなってしまっている、という印象でした。「無理をしている」という感じがどこかするので、話を聴いていてとても疲れるし、彼女自身も、本当は消耗して疲れ切っていたのではないかと思います。恐怖心を克服して、もっと自分に正直に生きれば楽になったのでしょうが、その時の彼女はまだ、怖さが勝っていて、内面を見つめなおしたり、変容を望んだりする段階まで来ていなかったのだと思います。

狂言や思い込みのケースはさておいて、ほんとうの解離性人格障害(多重人格)は、ひどい虐待を受けた人(特に子供)が、対処できないような痛みを逃れるために、別の人格を作り出し、身代わりにその人格を現実に向き合わせる、一種の防衛手段である、というのが、教科書的な説明になるかと思います。

実際、性的虐待を受けていたある幼ない女の子は、毎日虐待されることが嫌で嫌で仕方なかったので、自分以外の誰かほかの女の子がそれを受けるのだと強く想像しているうちに、本当にその女の子が自分の中に現れ、その間の記憶がなくなった、という話をしています。

想像が創造をもたらし、別の人格を呼び寄せるということは、実際に起こりうることだと私は思います。

スピリチュアルな観点から見ると、多重人格をはじめ、現実感喪失、離人症、記憶の欠落といった一連の症状は、精神的な衝撃により、体と魂にズレが生じ、体と意識の結びつきが希薄になった状態であると説明できます。

例えば事故を起こして意識不明になったときは、意識が体を認識していない状態、意識が体を離れてしまっている状態です。この状態を、私たちは実は毎晩のように経験しています。寝ている時や夢を見ている時、私たちの意識は自分の肉体を感覚器官を通じて認識することはありません。

精神的にひどくショックを受けたときも、事故を起こしたときと同様、意識(魂)がどこかに行ってしまって、体から離れてしまい、その状態が、解離障害を引き起こすというのが、私の個人的な見解です。

魂が体からズレてしまったとき、意識と体の結びつきが、希薄ではあるけれどまだつながっている場合、感覚器官から受け取るシグナルが弱くなるので、自分の体が自分ではないように思われたり、生き生きした現実感を感じにくくなる状態が起こります。けれども、まだ意識がつながっているので、かろうじて自分をコントロールする力は残っています。

けれども、もし、ズレがひどくて、意識が体からほぼ完全に飛び出してしまった場合、自分をコントロールする司令官がいなくなり、肉体は主がいない空き家のようになってしまうので、まったく別の人格が入り込んでしまうということが起こりうるのだと思います。誰かに憑依されているようにみえる重度の解離性人格障害は、この状態だといえます。実際、最新の精神医学手引書であるDSM-5は、解離性人格障害の診断基準の1つを「文化によっては憑依経験と表現される」としています。

(すみません、今回も終わりませんでした(^_^;)。またまた長くなってしまうので、その3に続きます。)

 

 

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解離性障害について(その1)

多重人格というのを聞いたことがある人は多いと思います。

突然人格が変わり、別人みたいにしゃべったりふるまったりし、ひどい場合はその間の記憶が全くないという、ジギルとハイドみたいな症状は、この多重人格、正確には解離性人格障害(Dissociative Identity Disorder)に該当します。

ここまで顕著なケースは比較的まれですが、たとえば、子供のころ虐待を受けた記憶が欠如しているとか、辛い目にあった子供のころのことをまったく覚えていないとか、いじめにあっていた小学校時代の記憶がところどころないという人は、割合たくさんいらっしゃいます。これは解離性健忘(Dissociative Amnesia)と言われる精神障害の症状に当てはまります。

解離性人格障害や解離性健忘を含めた精神障害のカテゴリーは、解離性障害(Dissociative Disorder)と呼ばれて、他には離人性/現実感喪失性障害(Depersonalization /Derealization Disorder )などがあります。(※Derealization Disorderの日本語名は、私が勝手につけたものです。これは昨年から新たに病名として加わったもので、まだ正式な日本語訳が広まっていないようです。)

ちなみに、離人性/現実感喪失性障害の主な症状は、自分が自分ではないように感じたり、自分の体にいないように感じる、または、周りの様子が非現実的に感じられたり、かすみがかかったように感じられたりすることです。これらの症状は、何かとてもショックな出来事があったときには、誰にでも起こりうるもので、精神障害と診断されるほどではない一過性の症状なら、約50%の成人が経験しているといわれています。

これらの解離性障害に該当する深刻なケースは、アメリカのサイコセラピーの現場では、しばしばみられました。

解離性人格障害で症状が重いクライアントさんだと、日によってアクセントや容姿、筆跡まで変わったりします。

50代の白人女性で、ある時は黒人訛りで話し、ある時はたどたどしい口調で、7歳くらいの女の子みたいにしゃべる。またある時は、どっと老け込んで、お婆さんみたいな外見になり、車いすでやってくる、といった人がいました。

この人は、別の人格になっているときは記憶がなくなってしまい、例えば私のオフィスに入ってきたとき、注射の綿が腕にテープで貼られていたので、

「病院に寄ってきたの?」

と聞くと、

「なんだ、これ?なんでこんなものが腕についているの!?」

と、自分の腕を見て驚く。病院はすぐ隣の建物で、彼女が注射したのは、おそらく30分以内だったのに、その記憶がないのです。

厄介なのは、こういう人たちは、別の人格になって記憶がない間に、時々、危ないことや後でトラブルになるようなことをしてしまうということです。

彼女の場合は、漂白剤を飲んで自殺を図り、緊急病棟に運ばれたのですが、たまたまその時オンコールで処置診断のために駆け付けた私に、

「また、やっちゃった。覚えてない。」

と笑うのでした。

彼女が別の人格になるトリガー(引き金)となるのは、鬱や不安を伴うストレスを引き起こす出来事で、漂白剤を飲んだときは、彼女が慕っていたお兄さんが殺された一周忌の日でした。

もう一人、私が受け持っていた男性のクライアントさんで、解離性人格障害の人は、別の人格になっているときに、職場の上司の留守番電話に、ひどいののしりのメッセージを残して、せっかく得た職場を失ったということがありました。

何かあったとき、彼は、私にも、いわゆるfxxxワードを使って、「お前のところにはもう二度といかない」というメールを送ってきたことがありました。

それに関して彼に聞いてみると、

「え、それ、オレが書いたの?全然、覚えていないんだ。そんなこと、人もあろうに、あなたに書くわけがない。きっと別の人格の時に書いたんだ。」

と、びっくり仰天し、ひどく申し訳ながりました。

その様子を見て、私は本当に彼は覚えていないのだと思いました。彼は私に対しては、いつもリスペクトを表し、礼儀正しく接してくれていたので、そんな悪態をついた言い方をすることは、そもそも考えにくいことでした。

この二人のクライアントさんを含め、多くの解離性人格障害の患者さんは、身体的・性的虐待を受けた過去があります。欧米では、この精神障害を持つ人の約9割が、幼児期に虐待やネグレクトを受けているという、統計があります。

(長くなるので、つづく。その2では、解離性障害をどう理解するか、どうやって改善に導いたらいいか、私なりの考えを書こうと思います。)

 

 

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DSM-5では、解離性障害を

症状がよくならない人

今までの経験上、症状がよくならない人の特徴を、思いつくままに書いてみます。

 

①人のせいにする人

 

自分の不幸を人のせいにする人は、まず確実によくなりません。

確かに、誰かが何かをしたために、その人の状況が誘発されたのかもしれないけれど、かといって、その人を非難しているばかりでは、よい変化は起こりません。

たとえば、誰かに騙されて、一文無しになったとして、何もせず、ソファに座って、毎日だました人に悪態をついてののしっているだけでは、状況が好転しないでしょう。犯人が人生の責任を取ってくれるわけではないので、立ち上がって、自分の人生を立て直す以外ない。

自分は犠牲者だとみなす、被害者意識が強い人、自己憐憫に浸っている人も、同様です。犠牲者だと思っているということは、自分が状況をコントロールする力があるという現実を否定し、自分は無力であると言っているのと同じだからです。

誰がほかの人がしたにせよ、自分の人生に起こったことは、やっぱり自分で責任を取るしかないのです。言い方を変えれば、自分の人生を本当に変えられるのは、人生の主人公である自分だけである。誰がなにをしようと、自分次第で自分の人生は変えられる、ということです。

 

②問題に直面するのを怖がって避け続ける人

 

特に深刻なトラウマを受けた人で、何年も何十年も、怖さのあまり、自分の心と向き合うのを避け続けている人は、心の問題は悪化の一途をたどります。そして、多くの人は、心の症状だけではなく、最終的に体の症状にも苦しむようになります。

怖いものというのは、避ければ避けるほど、もっと怖くなるもの。最終的に、目をそらせて気を紛らわすために、ドラッグやアルコール、その他のさまざまな依存症に陥る人も多いです。そうなると、問題がさらに複雑化して根深くなるので心の傷を回復することは、何年もかかってしまうことがよくあります。

心の問題は、いつかは直面しなければならないもの。準備ができていないうちに傷を暴くことはよくないのですが、早く対処したほうがいいというのは、やはり言えると思います。

 

 

③頑張る方向が間違っている人

 

よくなろうと一生懸命努力しているのだけど、その方向性が間違っている人は、疲れるだけでよくならないと思います。

例えば、愛からではなく依存から、自己犠牲を払って尽くしたり、自尊心を踏みにじられてもパートナーと一緒にいようとする人。喜びのためではなく、不安を埋めるために、無理をして何かを頑張り続けた挙句、達成感よりも虚しさを味わってしまう人など。

こういう場合、骨折り損のくたびれ儲けどころか、心の状態を悪化させることになってしまうので、それを防ぐためにも、自分の苦しみの原因が本当はどこにあって、どういうふうに対処したらいいか、見極めることはとても大切だと思います。

 

 

④薬に依存しすぎる人

 

うつ病や抗不安剤などの向精神薬に頼りすぎて、それ以外何もしない人は、私の見てきた中では、よくなった人があまりいませんでした。

私が以前診ていたクライアントさんで、自己評価がとても低く、なんでも悲観的・否定的な見方をする人がいました。この人は慢性的なうつを患っており、精神科医による薬物療法と、サイコセラピストによる心理療法の両方を受けていたのですが、彼女はSSRI系のある薬にとてもよく反応し、これを飲むとうつがウソのようによくなると言って、あまり心理療法のセッションには来ませんでした。

薬で症状が抑えられているうちはおかったのですが、彼女の鬱は何年にもわたる長期的なもので、やがて経済的に薬を買いつづけることが難しくなり、それまで飲んでいた薬をより安価なジェネリックの薬に替えた途端に、鬱がもどってきしまいました。

抗鬱剤にできることは、概して、体の痛みどめと同様、脳内の神経伝達物質の量や働きを操作して鈍らせ、あまり感情的な刺激を感じなくすること。うつを引き起こしている心的な原因を取り除くことではありません。加えて、薬で神経伝達物質を操作する習慣がつくと、薬が体内にある状態が正常になっていまいます。脳内の神経伝達物質は、感情反応や外からの刺激によって増減するもの。気持ちを自分でコントロールする力を身に付ければ、神経伝達物質のバランスも調整できていくはずですが、薬に依存してしまうと、自分で自然に操作する力を失ってしまう、つまり、自分で自分をコントロールする力を失う、ことになってしまう。薬は一般に腎臓や肝臓にダメージを与えるので、東洋医学でいうところの生命力をつかさどる器官からエネルギーが奪われることにより、活力を喪失してしまうことも重要な副作用です。これらの理由から、よほどの症状で場合でない限り、薬にだけ頼り続けるのは、私は疑問を感じます。

上述のクライアントさんとても共依存的な傾向にあり、元夫に虐待をうけていた過去があったのですが、その辺を含めて、彼女の鬱を引き起こし、人生に障害をもたらしているものの考え方や行動の癖をなんとかしなければ、やはり根本的な改善には至らないかったと思います。

ちなみに、アメリカでは、心理療法がとても盛んで、私が勤めていた職場では、クライアントは薬をもらいにくるだけではなく、投薬治療と並行して、必ず心理療法も受けなければならないことになっていました。職場には1人の精神科医と、私を含めて4~5人の心理療法士、3~4人の(日本でいうところの)ソーシャルワーカーその他の専門スタッフがいて、手厚くサービスを受けられるシステムが整っていました。費用の点でも、保険が適用になる上、州政府の補助もあって、お金が払えない人はただ同然で専門的治療を受けることができたので、精神障害をもつクライアントさんたちにとっては、恵まれた環境だったと思います。

日本の精神医療ももっと整備されて、より多くの人が、安い費用で高品質な治療的サービスを受けられるようになっていけばいいなと思います。

 

 

 

 

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罪悪感について

罪悪感というのは、一時的に持つ分には、自省して今後の行動を改正するのに役立つ感情だと思います。でも、長い間持ち続けると、心をむしばみ、自尊心を喪失させ、気持ちを萎縮させて、前に進むことを足止めしてしまう、有害な感情になってしまうものだと思います。

罪悪感を長年持ち続けた人というと、すぐに頭に思い浮かぶクライアントさんが2人ほどいるのですが、2人とも、とても自尊心が低く、恐怖心が強く、極度の鬱状態にある人たちでした。

一人は、若いころの性的虐待を期に、ゲイになってしまい、そのことを周囲に隠しつづけてきた50代の男性。彼は厳格なクリスチャンだったため、同性愛が罪だと信じ込んでいて、そのことが彼の罪悪感と羞恥心に拍車をかけていました。

同性愛であるとか異性愛であるという性的指向は、自分のアイデンティティの一部なので、それを恥じたり、隠したりするということは、非常にストレスになります。例えば、自分が日本人であるということに罪悪感を感じ、隠して生きなければならないと想像してみてください。自分を作り上げている個性の一部を否定するということが、いかに不自然で苦痛を生じるものであるか、わかると思います。

彼は、30年以上も自分のアイデンティティに罪悪感を抱き続けた結果、深刻なうつとアルコール依存、パニック障害を発症して、家から一歩も出られないところまで精神状態が悪化してしまいました。外に出て誰かに行き会うと、その人が自分を見ている気がします。周囲の人たちに心の中を見透かされているのではないか、みんなが自分のことを話しているのではないかと、常に恐怖におびえ、仕事に行くこともできなくなり、ささいな物音にも、文字通り飛び上がって、ガタガタ震えるようになってしまいました。

この人は、30年間にわたって心の中に押さえつけてきた罪悪感が、根強い恐怖感に変わってしまっていたため、症状がひどく悪化していたのでした。自分の性的指向をそのまま受け入れて、罪悪感を手放すことが、症状の改善のためには必須だったのですが、彼の宗教観がそれを容易には許さず、さらに、日々の大量飲酒で自分と向き合うことを避けていたため、進展はないとはいわないけれど、遅々してなかなか思うようには進みませんでした。

もう一人は、幼いころに、夫と別れた母親に恋人代わりにされ、性的虐待を受けていた40代の男性です。彼は、まだ子供のときに、母親の倒錯した愛情にひどく混乱させられ、心に深い傷を負ったため、その記憶を抑圧して、顕在意識から抹殺するという選択を取っていました。なので、私がカウンセリングを始めて1年くらいは、5歳くらいのときに、なにかひどいことがあったという以外は、思い出すことができず、子供のころはとても不幸だったけれど、具体的なことは覚えていないというばかりでした。

この男性の症状は、アルコール依存(以前は種々のドラッグ依存)、解離性人格障害、うつ病、パニック障害でした。非常に自尊心が低く、自己破壊的で、破滅的な行動を起こしては、自分の人生に不幸の種を作り出していました。特に女性関係において、彼は自分の破壊的衝動を抑えることができず、自分を傷つけるような危険な相手を選んでは、みじめな結末を迎えるということを繰り返していました。

彼は、子供のころの自分と向き合うことを非常に恐れていたのですが、1年以上セッションを重ねてから、ようやく性的虐待の記憶の断片を思い出して、少し語れるようになりました。それを聞いてはじめて、彼の自嘲的で自己破壊的な傾向の幾分かが、母親の性的虐待による近親相姦という、強い自責の念から来ていたことがわかりました。

彼の中には、傷ついた5歳の男の子のまま成長を止めてしまった部分がどこかにあって、辛い記憶を打ち明けて号泣したときの彼は、40歳の大人ではなく、幼い子供そのものでした。とてもシニカルで、人に対しても辛辣なところがある人でしたが、根は優しい人だったので、この人のインナーチャイルドが癒され、罪悪感を手放すことができたら、生まれ変わることができるだろうと思います。

このように、長い間心に抱え込んだ罪悪感は、心をむしばみ、凍結してしまうものです。

罪悪感にさいなまれているなら、はやめに対処して、心から解放してあげることが大切だと思います。

 

 

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「今、ここ」と過去、どっちが大切か

よく言われるように、現在、すなわち、「今、ここ」に生きることは、いちばん効率がよく、かつ、心の健康のためにも、最善な生き方です。

未来はまだ来ていないので、どうにかすることはできず、どうにもできないことをどうにかしようと思うと、気を病むばかりです。それよりも、実際に動いて変えられる唯一の時制である現在に意識を集中し、今できることをやったり、楽しめることを楽しんだほうが、無駄がない。

それに、現在において、最善を尽くし、最良の選択をすれば、おのずと未来もいい方向に変わっていきます。

同様に、もう過ぎてしまった過去のできごとも、変えようがありません。変えようがないことで腹を立てたり悔んだりしても、精神エネルギーを無駄に消耗するだけで、建設的ではありません。一番いいのは、過去の失敗を学びに変えて、現在をよりよくする糧として生かし、あとは忘れることでしょう。

実際、心理療法の中には、過去のことは一切取り合わず、現在だけを重視するやりかたもあります。

確かに、過去は過去と割り切って、忘れてしまえるのならいいのでしょうが、ただ、人間、なかなか、そううまくはいきません。

私は、過去に経験した強い思いがいまだに現在に影響しているのなら、過去に戻ってまだ癒えていない傷を癒やすことは大切だし、また、必要であると考えています。

実のところ、過去とか未来というのは存在せず、人間が生きている、すなわち、経験することが可能な時制というのは、常に現在しかないともいえます。

人生のある時点で、人が強い感情的な経験をした際、それが極度に不快だった場合、意識の中で薄れることができずに、常に今に影響しつづけてしまいます。そういった意味で、起こったことは過去であっても、その経験のもつエネルギーを感じているのは、現在であるということになります。いわば、過去と現在がつながってしまっている状態になるわけです。

特に、痛すぎて感じたくないと思い、無意識の中に閉じ込めてしまった場合、その痛みは一時的にはなくなったように感じれるかもしれませんが、実のところ、閉じ込めている分、より強烈になってしまいます。閉じ込められた感情というのは、必ず解放を求めて外に出ようとするものであり、長く閉じ込めておけばおくほど、もがいて暴れるものだからです。

閉じ込めたまま、「今、ここ」に生きようとしても、繰り返し、潜在意識の下にある未浄化の感情は、

「ここにいるよ。こっちを見てよ。ここから出してよ。」

とサインを送ってくるものなので、そのたび、過去に引き戻されてしまいます。

原因のわからないパニックアタックとか、全般性不安障害、強迫観念症、繰り返し起こるうつ症状などは、無理やり押し込めて忘れようとした痛みの無言の訴えであることが多いように思います。

こういう理由で、現在に直結した過去の感情が残っている場合は、過去にさかのぼって対面し、閉じ込められたものを解放してあげることが、心の回復への早道だと、私は思います。

 

 

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犯罪者のカウンセリング

先日、何かの記事で、被害者を守るため、ストーカー加害者には、カウンセリングで矯正を施すべきだとあったので、アメリカにおける犯罪者のカウンセリングについて、少し書いてみたいと思います。

アメリカでは、犯罪を犯した人に、強制的にサイコセラピーを受けさせるのは、もはや常識です。私が勤めていたコミュニティのカウンセリング施設にも、他のクライアントさんにまじって、判決待ちの人や執行猶予中の人がたくさん、半強制的にカウンセリングを受けに来ていました。

判決待ちの人は、強制ではないのですが、カウンセリングに通っているといえば判決に有利になると、弁護士に勧められて、やってくる人が多い。執行猶予中の人は、必要な心の治療を受けることが、実刑を免れ、無事に釈放されるための条件になるので、イヤイヤながらでも、真面目にやってくる人が多かったです。

あとは、服役中の人が刑務所(その町に刑務所はなかあったので、正確には拘置所)から、自発的にカウンセリングを受けたくて、看守に連れられて、手錠をかけられたままやってくることも、よくありました。

言うまでもないことですが、心から受けたいと思って受けるのではなく、刑を免れるために、いやいや受けるカウンセリングは、やる方もやりにくく、また、効果が出にくいものです。基本的に、サイコセラピーを使っても、本人が変わりたいと思わなければ、なかなか変わらないものです。本人に問題の自覚がなく、自分や今の生活を変えたいと思わないのであれば、それを無理やり外から変えることはできません。

そういえば、依存症の人など、自分を変えたいという意思のない人をやる気にさせて、変化を促す方法として、唯一、Motivational Interviewing(動機づけ面接)という療法が考案されていますね。これは、使いこなすのがどちらかというと難しい療法ですが、うまく使えばとても効果的な方法だと思います。

私もアメリカでは多くの犯罪者の方をカウンセリングしてきましたが、今回の話に関連して、印象に残っているのが、ある若い男の子のケースでした。

私が最初に彼に会ったのは、彼が18歳のころ。スーパーからラジオを万引きして執行猶予になり、カウンセリングに連れられてきました。

その時の印象は、「とても礼儀の正しい、ロボットのような子」でした。そつがなく、クールな印象なのですが、人間らしい感情がまったく感じられない。カウンセリングに来たのも、実刑を逃れるために仕方なく来た、でも、心の中を見せる気はまったくない、ただ、そつなくこなして終わらせよう、と思っているのが、ありありと伝わってきました。こういう風に、自分から「変わらない」と決めている子は、こちらとしてもどうしようもなく、また、初犯で、犯した罪が大したものではなかったので、カウンセリングも数回のセッションで終わり、彼は無事、釈放されたのでした。

その後、数年たって、私はもう一度、彼に会う機会がありました。その時、私はたまたま、オンコール・セラピストとして、通常勤務に加え、緊急対応も受け持っていたので、

「予約はないけれど、どうしても今すぐ、誰かと話したい」

といって、ロビーで待っている彼を、再び自分のセッションルームに招き入れたのでした。

たったの数年で、彼は見違えるように変わっていました。表情は気落ちして悲しそうなのですが、以前のロボット的なところが消えて、普通の人間になっていました。

彼はその時20歳そこそこだったのですが、彼女との間に子供が生まれたのだそうです。そして、子供のためにいい父親になりたい願っているのですが、最近、気持ちが落ち込んで、仕方がないのだと、涙を浮かべていました。

彼は、父親がおらず、母親に育てられたのだそうです。彼は自分が父親に捨てられたと信じていて、父親の愛情を求める気持ちと、拒絶され捨てられた痛みとの間で、苦しんでいるようでした。

以前は心に壁があったので近づけなかったのですが、今回は彼の心が開いているので、心の中に入っていき、彼の痛みを理解して、その癒やしのためにサポートしていくことが可能な状態なのでした。

「君、前、私が会ったときと、ずいぶん、変わったね。ずっと人間らしく、よくなったね。」

と、ありのままをいうと、彼は

「あのころは、感情を抑圧していたんだ。あのころは、もう何もかもどうでもいいと思っていたから。」

と答えました。

愛情のゆえに傷ついて苦しんでいる今のほうが、以前の、感情を捨てたロボットのような彼より、ずっと魅力的だと思いました。

人は誰でも、痛みを感じたとき、それを癒やしてよくなりたいと思うものです。痛いのは誰でもいやですが、だからといって必ずしも悪いものではなく、よりよい変化を促すための、大切なきっかけになってくれるものだと、つくづく思います。

 

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意識化を助けるツール

潜在意識はとても賢くて、どうしたらその人が心の健康を取り戻して、幸せになっていけるか、よく知っています。

特に意識してやっていたわけではありませんが、考えてみると、私にとって、カウンセリングとは、どうやってその人を導いたらいいか私自身が考えて決めるものではなく(そういうセッションをすると、まずうまくいくことはありません)、クライアントさんの潜在意識の部分に聞くというか、クライアントさんの潜在意識の部分はどう言っているかを感じ取り、それを引き出していくという作業だという気がします。

前回の記事に書いた、レベッカさん(仮名)が、何十年も口にできなかった母親の問題について、彼女の潜在意識を意識化させるのに役立ったツールは、「絵」でした。

レベッカさんは、母親のことがトラウマになっていて、心の傷がとて深かったので、間接的にして、安全な距離を取れるよう、

「これは、レベッカさんじゃなくて、ロレッタさんという、架空の女性の話だと思ってください。」

と、仮の人物を設定しました。

ロレッタさんは、レベッカさんと偶然にも似たような状況で母親との関係に悩んでいることにして、

「ロレッタさんとお母さんの間に、壁があります。どのくらいの厚さで、どのくらいの高さの壁か、描いてみてください。」

と、マジックを渡し、ホワイトボードに、お母さんとロレッタさん、そして、その間にある壁を自由に描いてもらいました。

レベッカさんは、とても高くて分厚い壁を、「ロレッタさん」と母親の間に描きました。

「この絵のロレッタさんは、どんな気持ちでいると思いますか。」

「壁を越えて、向こう側に行きたい気もするけど、怖くて近づけない。」

「どうやったら壁を越えられるでしょう。想像力を働かせて、どんな方法でもいいから、考えてみてください。」

「壁は乗り越えられない。」

「今は乗り越えられないんですね。では、この絵に続きがあるとしたら、どうなると思いますか。」

「ロレッタは、あきらめて、回れ右して、壁から離れていってしまう。」

レベッカさんは、交通事故の後遺症で、認知プロセスが人よりも遅く、言葉でやりとりするよりも、こうやって絵で表現するほうが効果的だったのですが、彼女自身、このやり方は気に入ったようで、特に、自分ではなく、ロレッタさんという架空の人物の話にしたことを面白がり、積極的にワークに取り組みました。

この絵を描いてから、数回、お母さんとの問題に関してセッションを重ねていううち、彼女は、だんだん、拒絶されることを恐れずに、お母さんに率直な気持ちを表現し、自由に行動できるようになってきました。

そこでまた、あるセッションで、同じように、ロレッタさんとお母さんと壁の絵を描いてもらいました。

そのとき彼女が描いたのは、ずっと低くて小さくなった壁と、壁に以前よりずっと接近しているロレッタさんの絵でした。

「この間とずいぶん変わりましたね。では、ロレッタさんはこの壁を、どうやって乗り越えられるでしょう。」

「乗り越えなくていい。このままでいい。これがちょうどいい距離だから。」

こう言ったときのレベッカさんは、ほぼ、何十年もつづいた鬱その他の症状から回復しており、彼女の心の中にあった、目にみえない母親からの支配から、自由になってたのでした。

人によって、どんなツールが合うかは違いますが、適切に使えば、絵というのは、心の中の目に見えないものを本人にわかるように指し示す、とてもパワフルなツールになると思います。

 

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痛みと向き合って鬱を治す

アメリカでサイコセラピストをしていた頃のクライアントさんに、かれこれ20年ほど、重度のうつ病を患っている50代の女性がいました。仮にレベッカさんとします。

レベッカさんは、とてもユーモラスで、ちょっと男っぽい女性でしたが、幼いころに家族の知人の男性に繰り返し性的虐待を受けており、それがトラウマの一つになっていました。

レベッカさんの症状には、うつに加え、社会不安障害、マリファナ依存、2度の交通事故の後遺症からくる頭痛と、高次機能障害による記憶力の低下や、認知機能の低下がありました。

レベッカさんは、私が担当する以前から、もう何年もセラピーに通っており、精神科医から処方された向精神薬も飲み続けていましたが、症状に目立った変化はなく、現状維持がせいぜいのようでした。

彼女は、以前担当したセラピストと相性が悪くて、セラピストというものに不信感を抱いており、私が担当した当初、すぐには心を開いてくれませんでしたが、だんだんに気を許してくれるようになりました。とてもユーモラスな人だったので、よくセッション中も、冗談を言っては、笑いあうようになりました。

そうしてレベッカさんは、性的虐待のトラウマについては、ずいぶん話をしてくれるようになり、少しずつですが、症状も軽減してきたようでした。彼女の頭痛は、交通事故の後遺症からくる可能性もありましたが、おそらく、40年近く抱き続けてきた加害者への強い怒りがそれを誘発していたようで、もうとっくに亡くなってしまっていた加害者の男に対する怒りが解放されて和らぐにつれるにつれ、ひどい頭の痛みに悩まされることも少なくなってきました。

けれども、その時点では根本的な精神症状の回復には至らず、社会不安障害は相変わらずで、うつの症状も、まだよくなったり悪くなったりを繰り返していました。

そうして、1~2年ほどセラピーを続けた頃、レベッカさんは、

「まだ、あんたに話していないことがある。このことは今まで誰にも言っていない。」

と、初めて打ち明けてくれました。

「でも、まだ言えない。」

ああ、そうか、たぶん、これがうつが治らない原因だろうなと、その時思ったのですが、私はレベッカさんに無理に聞き出すことは一切せず、彼女が言いたくなった時、言ってもらえたらいいから、自分のペースを尊重するように、といいました。

「言いたいんだけど、口ではいえない。すごく悲しい話だから。でも、あんたに効いてもらいたい。だから、手紙に書いてくる。」

そうはいっても、レベッカさんは

「書こうと思ったけど、思い出すのも辛くて、やっぱり書けなかった。」

と、何週間も、手紙を書くのを伸ばし延ばしにしていました。

けれども、ある日、レベッカさんは、ついに自分で書いた手紙を持って、セッションにやってきました。

「文章を書くのは苦手で、綴りも間違いだらけだけど。」

と渡された手紙には、子供のころ、交通事故にあった自分を心配して看病する父親に嫉妬した母親が、レベッカさんにつめたく当たったこと、母親に愛されようと痛む体を引きずって頑張っても、無視され拒絶されたこと、ヒッチハイクをして、家出をしたことが、たどたどしい字でつづられていました。

私が手紙を読んでいる間、レベッカさんは、室内なのにサングラスをかけていました。彼女はセッションでは一度も泣いたことがなかったのですが、この手紙を書いてから、はじめて涙を流したのでした。

レベッカさんと母親との関係は、その当時から今まで、こじれたままで、それが彼女にとって、レイプされたことよりも辛い出来事でした。母親に対する愛情と憎しみの狭間で、レベッカさんは長い間葛藤に苦しんでいたのですが、その痛みが表出したことにより、劇的な変化が現れ、その後、彼女がすべての症状において急速な回復をみせるまでに、そう時間はかかりませんでした。

もちろん、ただ痛みが表出しただけでは、不十分なのですが、その後のセッションで、母親との関係についてフォーカスし、レベッカさんの気持ちを整理することができたので、彼女の母親に対する態度も変化し、結果として、母親との関係も無理のない形に変わっていきました。

そうするうちに、気づいたら、社会不安障害もよくなっていて、今まで人目を恐れて買い物に行くことがほとんどできなかったのが、自然にできるようになり、うつの症状もなくなっていました。

「うつがなくなった。こんな日がくるとは思わなかった。」 

と喜ぶレベッカさんでしたが、彼女が勇気を振り絞って、何十年も閉じ込めていた強烈な心の痛みと向き合わなかったら、彼女の精神症状の回復もありえなかったと思います。

私が仕事をやめて帰国するとき、レベッカさんは

「これ、私が大事にしていたCD。あんたにあげるよ。」

と、大好きなホイットニー・ヒューストンのCDをプレゼントしてくれました。それは、レベッカさんが若いころ、アルコール依存症に苦しんでいた時、助けになった曲が入っているCDでした。

今でも私のCDラックの中に、レベッカさんの思い出と一緒にしまってあります。

 

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不安になりやすい人

前回、うつになりやすい人について書いたので、今回は、不安になりやすい人について、考えてみたいと思います。

過去とのネガティブなつながりが強い人がうつになりやすいとすると、不安障害は、未来とのネガティブなつながりを構築しやすい人がなりやすいといえます。

つまり、まだ起こっていない事柄に対し、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と、あれこれ心配して、否定的な形で未来志向型になりやすい人。

それから、完璧主義で、こうならなければならない、ああならなければならない、そうでなければ耐えがたいという人も、不安や葛藤を抱えやすいでしょう。うつと同様、融通が利かない人は、ストレスを受けやすい。なぜならば、思い通りにならないことは、生きているといくらでもあるのですが、融通が利かない人は、自分のやり方で物事がすすまないとき、いちいち、欲求不満を感じることになりますから。逆に、「まあいいか、思ってたのとちょっと違うけど」と、アバウトに捉えて、執着心がない人は、不安になりにくいでしょう。

また、思考過多な人は、不安になりやすい傾向にあります。つまり、なんでも頭で考えすぎる人、全体的なエネルギーが、頭に偏りすぎていて、感覚にあまり行かない人ですね。強い不安を内面に抱えている人で、よく、早口でひっきりなしにしゃべる人がいますが、あれは、頭の方もひっきりなしに動いている、思考が活性化しすぎている状態だと思います。

思考というのは、時々休止して、間があるほうが、気持ちも穏やかに保てるものです。時々考えるのをやめて、空の雲を眺めたり(視覚)、何も考えずに音楽を聴いて没頭したり(聴覚)、ゆっくりとお茶を味わったり(味覚)、その他、嗅覚や触覚など、五感を通じて感覚に意識を向けることは、過剰なエネルギーを頭から体にエネルギーを下ろすことになるので、不安を鎮めるのに役立つと思います。

基本的なことですが、呼吸に意識を向けて、深くゆっくり呼吸をすることも、不安を軽減するのにとても効果があります。不安なときは、呼吸が浅くなり、古いいらなくなった「氣」が出ていけなくなり、新しい「氣」があまり入ってこれない状態になります。息を吐ききって、体の中にたまった不安の感情エネルギーを、古い酸素とともに吐き出し、大きく息を吸って新鮮な酸素をできるだけ体内に取り入れるだけでも、不安がだんだんと収まって、気持ちが落ち着いてくるはずです。よかったら試してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

うつになりやすい人

どんな人が、うつになりやすいか。

よく言われるのは、真面目で、責任感が強い人。細かいことを気にする人、あたりでしょうか。

それもそうなのですが、私が思うのは、融通が利かない人。

こうでなければいけない、という、こだわりが強く、柔軟な考えができない人は、うつになったり、怒りを持ったり、不安になったりしやすいと思います。

それから、以前も書いたのですが、感情を抑圧しがちな人は、うつになりやすいでしょう。

もう少し深くとらえるならば、うつというのは、感情エネルギーが滞って流れていない状態だと思います。

過去に執着している人が、うつになりやすいのは、過去に執着する=過去の感情を手放さず、自分の中に滞らせたままにしている、ということだからだと思います。

長年、うつに苦しんでいる人の中に、よく、10年前の感情を昨日のことのように鮮明に思い出し、激怒したり、悲しんだりする人がいます。

これは、本来、流れているはずの感情エネルギーが滞って、古い感情と結びついたままになっているために起こる現象だと思います。

あるいは、思い出すことができなくても、痛い感情を、抑圧して無意識に閉じ込めてしまっているがゆえに、うつになる人もよくあります。

本来の感情の性質を表す四大元素の「水」のように、一点に執着することなく、柔軟性があり、感情が滞りなく流れている人は、うつになりにくいと思います。

 

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