盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

「今、ここ」と過去、どっちが大切か

よく言われるように、現在、すなわち、「今、ここ」に生きることは、いちばん効率がよく、かつ、心の健康のためにも、最善な生き方です。

未来はまだ来ていないので、どうにかすることはできず、どうにもできないことをどうにかしようと思うと、気を病むばかりです。それよりも、実際に動いて変えられる唯一の時制である現在に意識を集中し、今できることをやったり、楽しめることを楽しんだほうが、無駄がない。

それに、現在において、最善を尽くし、最良の選択をすれば、おのずと未来もいい方向に変わっていきます。

同様に、もう過ぎてしまった過去のできごとも、変えようがありません。変えようがないことで腹を立てたり悔んだりしても、精神エネルギーを無駄に消耗するだけで、建設的ではありません。一番いいのは、過去の失敗を学びに変えて、現在をよりよくする糧として生かし、あとは忘れることでしょう。

実際、心理療法の中には、過去のことは一切取り合わず、現在だけを重視するやりかたもあります。

確かに、過去は過去と割り切って、忘れてしまえるのならいいのでしょうが、ただ、人間、なかなか、そううまくはいきません。

私は、過去に経験した強い思いがいまだに現在に影響しているのなら、過去に戻ってまだ癒えていない傷を癒やすことは大切だし、また、必要であると考えています。

実のところ、過去とか未来というのは存在せず、人間が生きている、すなわち、経験することが可能な時制というのは、常に現在しかないともいえます。

人生のある時点で、人が強い感情的な経験をした際、それが極度に不快だった場合、意識の中で薄れることができずに、常に今に影響しつづけてしまいます。そういった意味で、起こったことは過去であっても、その経験のもつエネルギーを感じているのは、現在であるということになります。いわば、過去と現在がつながってしまっている状態になるわけです。

特に、痛すぎて感じたくないと思い、無意識の中に閉じ込めてしまった場合、その痛みは一時的にはなくなったように感じれるかもしれませんが、実のところ、閉じ込めている分、より強烈になってしまいます。閉じ込められた感情というのは、必ず解放を求めて外に出ようとするものであり、長く閉じ込めておけばおくほど、もがいて暴れるものだからです。

閉じ込めたまま、「今、ここ」に生きようとしても、繰り返し、潜在意識の下にある未浄化の感情は、

「ここにいるよ。こっちを見てよ。ここから出してよ。」

とサインを送ってくるものなので、そのたび、過去に引き戻されてしまいます。

原因のわからないパニックアタックとか、全般性不安障害、強迫観念症、繰り返し起こるうつ症状などは、無理やり押し込めて忘れようとした痛みの無言の訴えであることが多いように思います。

こういう理由で、現在に直結した過去の感情が残っている場合は、過去にさかのぼって対面し、閉じ込められたものを解放してあげることが、心の回復への早道だと、私は思います。

 

 

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犯罪者のカウンセリング

先日、何かの記事で、被害者を守るため、ストーカー加害者には、カウンセリングで矯正を施すべきだとあったので、アメリカにおける犯罪者のカウンセリングについて、少し書いてみたいと思います。

アメリカでは、犯罪を犯した人に、強制的にサイコセラピーを受けさせるのは、もはや常識です。私が勤めていたコミュニティのカウンセリング施設にも、他のクライアントさんにまじって、判決待ちの人や執行猶予中の人がたくさん、半強制的にカウンセリングを受けに来ていました。

判決待ちの人は、強制ではないのですが、カウンセリングに通っているといえば判決に有利になると、弁護士に勧められて、やってくる人が多い。執行猶予中の人は、必要な心の治療を受けることが、実刑を免れ、無事に釈放されるための条件になるので、イヤイヤながらでも、真面目にやってくる人が多かったです。

あとは、服役中の人が刑務所(その町に刑務所はなかあったので、正確には拘置所)から、自発的にカウンセリングを受けたくて、看守に連れられて、手錠をかけられたままやってくることも、よくありました。

言うまでもないことですが、心から受けたいと思って受けるのではなく、刑を免れるために、いやいや受けるカウンセリングは、やる方もやりにくく、また、効果が出にくいものです。基本的に、サイコセラピーを使っても、本人が変わりたいと思わなければ、なかなか変わらないものです。本人に問題の自覚がなく、自分や今の生活を変えたいと思わないのであれば、それを無理やり外から変えることはできません。

そういえば、依存症の人など、自分を変えたいという意思のない人をやる気にさせて、変化を促す方法として、唯一、Motivational Interviewing(動機づけ面接)という療法が考案されていますね。これは、使いこなすのがどちらかというと難しい療法ですが、うまく使えばとても効果的な方法だと思います。

私もアメリカでは多くの犯罪者の方をカウンセリングしてきましたが、今回の話に関連して、印象に残っているのが、ある若い男の子のケースでした。

私が最初に彼に会ったのは、彼が18歳のころ。スーパーからラジオを万引きして執行猶予になり、カウンセリングに連れられてきました。

その時の印象は、「とても礼儀の正しい、ロボットのような子」でした。そつがなく、クールな印象なのですが、人間らしい感情がまったく感じられない。カウンセリングに来たのも、実刑を逃れるために仕方なく来た、でも、心の中を見せる気はまったくない、ただ、そつなくこなして終わらせよう、と思っているのが、ありありと伝わってきました。こういう風に、自分から「変わらない」と決めている子は、こちらとしてもどうしようもなく、また、初犯で、犯した罪が大したものではなかったので、カウンセリングも数回のセッションで終わり、彼は無事、釈放されたのでした。

その後、数年たって、私はもう一度、彼に会う機会がありました。その時、私はたまたま、オンコール・セラピストとして、通常勤務に加え、緊急対応も受け持っていたので、

「予約はないけれど、どうしても今すぐ、誰かと話したい」

といって、ロビーで待っている彼を、再び自分のセッションルームに招き入れたのでした。

たったの数年で、彼は見違えるように変わっていました。表情は気落ちして悲しそうなのですが、以前のロボット的なところが消えて、普通の人間になっていました。

彼はその時20歳そこそこだったのですが、彼女との間に子供が生まれたのだそうです。そして、子供のためにいい父親になりたい願っているのですが、最近、気持ちが落ち込んで、仕方がないのだと、涙を浮かべていました。

彼は、父親がおらず、母親に育てられたのだそうです。彼は自分が父親に捨てられたと信じていて、父親の愛情を求める気持ちと、拒絶され捨てられた痛みとの間で、苦しんでいるようでした。

以前は心に壁があったので近づけなかったのですが、今回は彼の心が開いているので、心の中に入っていき、彼の痛みを理解して、その癒やしのためにサポートしていくことが可能な状態なのでした。

「君、前、私が会ったときと、ずいぶん、変わったね。ずっと人間らしく、よくなったね。」

と、ありのままをいうと、彼は

「あのころは、感情を抑圧していたんだ。あのころは、もう何もかもどうでもいいと思っていたから。」

と答えました。

愛情のゆえに傷ついて苦しんでいる今のほうが、以前の、感情を捨てたロボットのような彼より、ずっと魅力的だと思いました。

人は誰でも、痛みを感じたとき、それを癒やしてよくなりたいと思うものです。痛いのは誰でもいやですが、だからといって必ずしも悪いものではなく、よりよい変化を促すための、大切なきっかけになってくれるものだと、つくづく思います。

 

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意識化を助けるツール

潜在意識はとても賢くて、どうしたらその人が心の健康を取り戻して、幸せになっていけるか、よく知っています。

特に意識してやっていたわけではありませんが、考えてみると、私にとって、カウンセリングとは、どうやってその人を導いたらいいか私自身が考えて決めるものではなく(そういうセッションをすると、まずうまくいくことはありません)、クライアントさんの潜在意識の部分に聞くというか、クライアントさんの潜在意識の部分はどう言っているかを感じ取り、それを引き出していくという作業だという気がします。

前回の記事に書いた、レベッカさん(仮名)が、何十年も口にできなかった母親の問題について、彼女の潜在意識を意識化させるのに役立ったツールは、「絵」でした。

レベッカさんは、母親のことがトラウマになっていて、心の傷がとて深かったので、間接的にして、安全な距離を取れるよう、

「これは、レベッカさんじゃなくて、ロレッタさんという、架空の女性の話だと思ってください。」

と、仮の人物を設定しました。

ロレッタさんは、レベッカさんと偶然にも似たような状況で母親との関係に悩んでいることにして、

「ロレッタさんとお母さんの間に、壁があります。どのくらいの厚さで、どのくらいの高さの壁か、描いてみてください。」

と、マジックを渡し、ホワイトボードに、お母さんとロレッタさん、そして、その間にある壁を自由に描いてもらいました。

レベッカさんは、とても高くて分厚い壁を、「ロレッタさん」と母親の間に描きました。

「この絵のロレッタさんは、どんな気持ちでいると思いますか。」

「壁を越えて、向こう側に行きたい気もするけど、怖くて近づけない。」

「どうやったら壁を越えられるでしょう。想像力を働かせて、どんな方法でもいいから、考えてみてください。」

「壁は乗り越えられない。」

「今は乗り越えられないんですね。では、この絵に続きがあるとしたら、どうなると思いますか。」

「ロレッタは、あきらめて、回れ右して、壁から離れていってしまう。」

レベッカさんは、交通事故の後遺症で、認知プロセスが人よりも遅く、言葉でやりとりするよりも、こうやって絵で表現するほうが効果的だったのですが、彼女自身、このやり方は気に入ったようで、特に、自分ではなく、ロレッタさんという架空の人物の話にしたことを面白がり、積極的にワークに取り組みました。

この絵を描いてから、数回、お母さんとの問題に関してセッションを重ねていううち、彼女は、だんだん、拒絶されることを恐れずに、お母さんに率直な気持ちを表現し、自由に行動できるようになってきました。

そこでまた、あるセッションで、同じように、ロレッタさんとお母さんと壁の絵を描いてもらいました。

そのとき彼女が描いたのは、ずっと低くて小さくなった壁と、壁に以前よりずっと接近しているロレッタさんの絵でした。

「この間とずいぶん変わりましたね。では、ロレッタさんはこの壁を、どうやって乗り越えられるでしょう。」

「乗り越えなくていい。このままでいい。これがちょうどいい距離だから。」

こう言ったときのレベッカさんは、ほぼ、何十年もつづいた鬱その他の症状から回復しており、彼女の心の中にあった、目にみえない母親からの支配から、自由になってたのでした。

人によって、どんなツールが合うかは違いますが、適切に使えば、絵というのは、心の中の目に見えないものを本人にわかるように指し示す、とてもパワフルなツールになると思います。

 

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痛みと向き合って鬱を治す

アメリカでサイコセラピストをしていた頃のクライアントさんに、かれこれ20年ほど、重度のうつ病を患っている50代の女性がいました。仮にレベッカさんとします。

レベッカさんは、とてもユーモラスで、ちょっと男っぽい女性でしたが、幼いころに家族の知人の男性に繰り返し性的虐待を受けており、それがトラウマの一つになっていました。

レベッカさんの症状には、うつに加え、社会不安障害、マリファナ依存、2度の交通事故の後遺症からくる頭痛と、高次機能障害による記憶力の低下や、認知機能の低下がありました。

レベッカさんは、私が担当する以前から、もう何年もセラピーに通っており、精神科医から処方された向精神薬も飲み続けていましたが、症状に目立った変化はなく、現状維持がせいぜいのようでした。

彼女は、以前担当したセラピストと相性が悪くて、セラピストというものに不信感を抱いており、私が担当した当初、すぐには心を開いてくれませんでしたが、だんだんに気を許してくれるようになりました。とてもユーモラスな人だったので、よくセッション中も、冗談を言っては、笑いあうようになりました。

そうしてレベッカさんは、性的虐待のトラウマについては、ずいぶん話をしてくれるようになり、少しずつですが、症状も軽減してきたようでした。彼女の頭痛は、交通事故の後遺症からくる可能性もありましたが、おそらく、40年近く抱き続けてきた加害者への強い怒りがそれを誘発していたようで、もうとっくに亡くなってしまっていた加害者の男に対する怒りが解放されて和らぐにつれるにつれ、ひどい頭の痛みに悩まされることも少なくなってきました。

けれども、その時点では根本的な精神症状の回復には至らず、社会不安障害は相変わらずで、うつの症状も、まだよくなったり悪くなったりを繰り返していました。

そうして、1~2年ほどセラピーを続けた頃、レベッカさんは、

「まだ、あんたに話していないことがある。このことは今まで誰にも言っていない。」

と、初めて打ち明けてくれました。

「でも、まだ言えない。」

ああ、そうか、たぶん、これがうつが治らない原因だろうなと、その時思ったのですが、私はレベッカさんに無理に聞き出すことは一切せず、彼女が言いたくなった時、言ってもらえたらいいから、自分のペースを尊重するように、といいました。

「言いたいんだけど、口ではいえない。すごく悲しい話だから。でも、あんたに効いてもらいたい。だから、手紙に書いてくる。」

そうはいっても、レベッカさんは

「書こうと思ったけど、思い出すのも辛くて、やっぱり書けなかった。」

と、何週間も、手紙を書くのを伸ばし延ばしにしていました。

けれども、ある日、レベッカさんは、ついに自分で書いた手紙を持って、セッションにやってきました。

「文章を書くのは苦手で、綴りも間違いだらけだけど。」

と渡された手紙には、子供のころ、交通事故にあった自分を心配して看病する父親に嫉妬した母親が、レベッカさんにつめたく当たったこと、母親に愛されようと痛む体を引きずって頑張っても、無視され拒絶されたこと、ヒッチハイクをして、家出をしたことが、たどたどしい字でつづられていました。

私が手紙を読んでいる間、レベッカさんは、室内なのにサングラスをかけていました。彼女はセッションでは一度も泣いたことがなかったのですが、この手紙を書いてから、はじめて涙を流したのでした。

レベッカさんと母親との関係は、その当時から今まで、こじれたままで、それが彼女にとって、レイプされたことよりも辛い出来事でした。母親に対する愛情と憎しみの狭間で、レベッカさんは長い間葛藤に苦しんでいたのですが、その痛みが表出したことにより、劇的な変化が現れ、その後、彼女がすべての症状において急速な回復をみせるまでに、そう時間はかかりませんでした。

もちろん、ただ痛みが表出しただけでは、不十分なのですが、その後のセッションで、母親との関係についてフォーカスし、レベッカさんの気持ちを整理することができたので、彼女の母親に対する態度も変化し、結果として、母親との関係も無理のない形に変わっていきました。

そうするうちに、気づいたら、社会不安障害もよくなっていて、今まで人目を恐れて買い物に行くことがほとんどできなかったのが、自然にできるようになり、うつの症状もなくなっていました。

「うつがなくなった。こんな日がくるとは思わなかった。」 

と喜ぶレベッカさんでしたが、彼女が勇気を振り絞って、何十年も閉じ込めていた強烈な心の痛みと向き合わなかったら、彼女の精神症状の回復もありえなかったと思います。

私が仕事をやめて帰国するとき、レベッカさんは

「これ、私が大事にしていたCD。あんたにあげるよ。」

と、大好きなホイットニー・ヒューストンのCDをプレゼントしてくれました。それは、レベッカさんが若いころ、アルコール依存症に苦しんでいた時、助けになった曲が入っているCDでした。

今でも私のCDラックの中に、レベッカさんの思い出と一緒にしまってあります。

 

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不安になりやすい人

前回、うつになりやすい人について書いたので、今回は、不安になりやすい人について、考えてみたいと思います。

過去とのネガティブなつながりが強い人がうつになりやすいとすると、不安障害は、未来とのネガティブなつながりを構築しやすい人がなりやすいといえます。

つまり、まだ起こっていない事柄に対し、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と、あれこれ心配して、否定的な形で未来志向型になりやすい人。

それから、完璧主義で、こうならなければならない、ああならなければならない、そうでなければ耐えがたいという人も、不安や葛藤を抱えやすいでしょう。うつと同様、融通が利かない人は、ストレスを受けやすい。なぜならば、思い通りにならないことは、生きているといくらでもあるのですが、融通が利かない人は、自分のやり方で物事がすすまないとき、いちいち、欲求不満を感じることになりますから。逆に、「まあいいか、思ってたのとちょっと違うけど」と、アバウトに捉えて、執着心がない人は、不安になりにくいでしょう。

また、思考過多な人は、不安になりやすい傾向にあります。つまり、なんでも頭で考えすぎる人、全体的なエネルギーが、頭に偏りすぎていて、感覚にあまり行かない人ですね。強い不安を内面に抱えている人で、よく、早口でひっきりなしにしゃべる人がいますが、あれは、頭の方もひっきりなしに動いている、思考が活性化しすぎている状態だと思います。

思考というのは、時々休止して、間があるほうが、気持ちも穏やかに保てるものです。時々考えるのをやめて、空の雲を眺めたり(視覚)、何も考えずに音楽を聴いて没頭したり(聴覚)、ゆっくりとお茶を味わったり(味覚)、その他、嗅覚や触覚など、五感を通じて感覚に意識を向けることは、過剰なエネルギーを頭から体にエネルギーを下ろすことになるので、不安を鎮めるのに役立つと思います。

基本的なことですが、呼吸に意識を向けて、深くゆっくり呼吸をすることも、不安を軽減するのにとても効果があります。不安なときは、呼吸が浅くなり、古いいらなくなった「氣」が出ていけなくなり、新しい「氣」があまり入ってこれない状態になります。息を吐ききって、体の中にたまった不安の感情エネルギーを、古い酸素とともに吐き出し、大きく息を吸って新鮮な酸素をできるだけ体内に取り入れるだけでも、不安がだんだんと収まって、気持ちが落ち着いてくるはずです。よかったら試してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

うつになりやすい人

どんな人が、うつになりやすいか。

よく言われるのは、真面目で、責任感が強い人。細かいことを気にする人、あたりでしょうか。

それもそうなのですが、私が思うのは、融通が利かない人。

こうでなければいけない、という、こだわりが強く、柔軟な考えができない人は、うつになったり、怒りを持ったり、不安になったりしやすいと思います。

それから、以前も書いたのですが、感情を抑圧しがちな人は、うつになりやすいでしょう。

もう少し深くとらえるならば、うつというのは、感情エネルギーが滞って流れていない状態だと思います。

過去に執着している人が、うつになりやすいのは、過去に執着する=過去の感情を手放さず、自分の中に滞らせたままにしている、ということだからだと思います。

長年、うつに苦しんでいる人の中に、よく、10年前の感情を昨日のことのように鮮明に思い出し、激怒したり、悲しんだりする人がいます。

これは、本来、流れているはずの感情エネルギーが滞って、古い感情と結びついたままになっているために起こる現象だと思います。

あるいは、思い出すことができなくても、痛い感情を、抑圧して無意識に閉じ込めてしまっているがゆえに、うつになる人もよくあります。

本来の感情の性質を表す四大元素の「水」のように、一点に執着することなく、柔軟性があり、感情が滞りなく流れている人は、うつになりにくいと思います。

 

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共依存から抜け出すために。

これまで、Ross Rosenbergの説に基づいて、共依存タイプと感情操作タイプがどうやってお互いに魅かれ合い、共依存関係を築くにいたるか、それそれのタイプの特徴や、生い立ちを含めて詳しくみてきました。

最初に書いたように、私は彼のセオリーが何から何まで100%現実に当てはまるとは思いません。例えば、両親とも感情操作タイプで、ひどい虐待を受けて育った子供でも、自分が共依存や感情操作に陥ることなく、強くて優しい心を持って健全に育つ人は、実際いますし、感情操作タイプの親に適応できず反抗しつづけても、自己愛的・利己的にはならず、なぜか共依存タイプに育つ子供もいます。

けれども、だいたいの傾向としては、Ross Rosernbergのセオリーはあたっていると思うし、共依存のしくみを、とてもうまく説明していると思います。

 

では、共依存に陥った場、どうやってそこから抜け出したらいいのでしょうか。

Melody BeattieはCo-Dependent No More Cryという著書の中でこういっています。

1.他の人の心配で頭をいっぱいにすることをやめる

2.他の人をコントロールする必要性を手放し、その人に対し、自分で自分の人生の責任を取る力があると思えるだけの敬意をもつ

3.自分が過去にやり残した仕事(unfinished business)や、自分の中の傷つきやすく満たされない子供を含めて、自分のケアをする。

4.自分の欲求を伝えたり、やりたくないことにノーということを含め、コミュニケーション能力をアップする

5.必要な場合は、愛する人に怒りを感じたり表現したりする許可を自分に与える

6.霊性(スピリチュアリティ)を磨く

 

これは、1から6まで、すべてその通りだと思います。

共依存に陥るということは、他者の中に未解決の自分の問題を映し出しているということだと思います。あの人を放っておけない、なんとか助けたいと躍起になってしまう場合、自分の中に、救い出すことがまだできていない痛みや苦しみがないかどうか、自分の内面に潜って調べてみる必要があるかもしれません。

特に、共依存に苦しむ人は、必ずと言っていいほど、自尊心がとても低いので、自分を受け入れて、好きになること、自分の価値を認めることをしてあげればいいと思います。あなたが世話を焼いている人と同じだけの価値が、自分にもあるということを、認識することは、とても大切だと思います。

もう一つ、強調したいのは、一方が犠牲になって、もう一方がいい思いをするという関係は、決して長くは続かないということです。

共依存タイプは、自分は我慢をしてでも相手を救いたいという思いが強いものですが、そのような関係は、自分が苦しいだけではなく、相手にも、本当の幸せをもたらすことはできません。一方のフラストレーションは、必ずもう一方にも伝わり、お互いの関係がぎくしゃくしたり、怒りを招いたり、ということが起こるでしょう。

長くいい関係を続けたければ、win-lose(一方が勝って、一方が負ける)のではなく、両者とも満足できるような、win-win  relationship(両方とも勝つ関係)、自分も、相手も、両方とも持ちつ持たれつで、同じように幸せを感じられる関係を築くことが、必須だと思います。

 

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共依存関係のしくみ(5)

(4)のつづきです。今回は、自己中心的とされる感情操作タイプが、どうやって形成されるのか、その子供時代の起源について、書きます。

●片親が感情操作タイプで、もう一方の親が共依存タイプの家庭に育った場合。

  • 共依存タイプの親は、感情操作タイプの親が与えるダメージから、子供を守りたいと思っても、それを実行するだけの力がない。
  • それでも、両親とも感情操作タイプの家庭よりは、まし

●両親とも感情操作タイプの家庭に育った場合

  • 環境に適応できる子供は、将来、共依存タイプになる
  • 適応しない/できない子供は、将来、感情操作タイプになる
  • 不適応な子供に、親に、「頑固」「厄介」等のレッテルを貼り、無視したり虐待したりして、処罰する
  • 親は、子供のネガティブな反応に、自分の恥を投影し、子供が悪いといって、怒りを爆発させる
  • 子供は、いつ、感情操作タイプの親の怒りや無関心を呼び起こすかと、びくびくしながら、安全でない環境で育つ
  • 子供は、常に、親に対しする憎しみや怒りを感じて生きる
  • 結果として、子供は、親になつかず、大人を信用せず、利己的で敵意に満ちた世界観を形成する
  • 人の好意や、受容、無条件の愛に触れる機会がなく育った場合、その子供は、心を閉ざし、自分は愛されるべき人間であるという望みを捨てる
  • 「本来、自分は無価値で、世界は安全な場所ではなく、頼れるものは自分以外にない。」ということを環境から学ぶ
  • 批判、ネグレクト、虐待が、日常の規範
  • 愛されない存在であるという思いが、恥、不信感、満たされない思い、自信喪失、怒りを根付かせる
  • この恥の気持ちは、直視できないほど耐えがたいので、無意識の中に押し込められ、否認という鉄の壁に阻まれてしまう
  • これが、自己愛的な感情操作タイプの人が、自分から助けを求めることをせず、セラピーの成果も出にくい所以である。

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共依存関係のしくみ(4)

(3)のつづきです。

共依存タイプは感情操作タイプに「病みつき」になる。

  • 自己中心的で依存症になりやすく有害なタイプに強くひかれる
  • 仕事や家事育児全部ひとりでこなすなど、非現実的な期待に応えようと頑張る
  • 制御不能な人を、強迫観念的に制御しようとする。
  • 攻撃的で、利己主義、人を利用しようとする感情操作タイプの性癖を、なんとか変えようと奮闘し、その結果、痛い目に合う。

共依存タイプは、虐待された過去を持つ場合がある

  • 精神的、性的、身体的な虐待に耐えてしまう
  • 自分や他の人が虐待された際、無力感を覚え、自他ともに守ることができない
  • 虐待者から離れられない、または離れたがらない
  • 無条件の愛が、有害な行為を増長させる
  • 「家庭が崩壊しないように」「一人ぼっちになりたくないから」「”愛する人”を失いたくないから」などの理由で、自分や人を犠牲にする

共依存タイプは(感情操作タイプも)、境界線があいまいである

  • あなたは私のもの、私はあなたのもの
  • 他者との間に一線がひけない
  • 自分がだれだか、わからない
  • 人の境界線も尊重できない
  • 好意を押し付ける
  • 人の役割を奪ってしまう
  • 自分の個人的な情報を相手にすんなり教えすぎる

共依存タイプは、人を喜ばせようとする

  • いつも、助ける機会をうかがっている
  • 頼まれたらいやと言えない
  • 断る=相手をがっかりさせる。相手をがっかりさせると悪いので、断れない。(容易に罪悪感を感じる)
  • すべての対人関係において、頑張りすぎる

(次回は、どんな家庭環境が感情操作タイプを作り出すか、書きたいと思います。)

 

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境界線パーソナリティ障害

共依存関係のしくみについては、いったんお休みして、気分を変えて、今回は境界線パーソナリティ障害(Borderline Personlaity Disorder)についてのお話です。

境界線パーソナリティ障害の人の特徴は、

  • 感情の起伏が極端に激しい
  • 非常に繊細で、ささいなことで極度に傷つく
  • 見捨てられ不安がとても強く、なんとしてでも捨てられることを避けようとし、その結果、愛する人を傷つける
  • 自己破壊的な行動に走る
  • 衝動的で、自傷行為や自殺未遂を繰り返す
  • 承認欲求が強い
  • 自己のアイデンティティの観念があまりない
  • 飽きやすく、いつも虚しさを感じている
  • 不安定な恋愛関係を繰り返す

等。

有名人では、マリリン・モンローや太宰治が境界線パーソナリティ障害だったといわれています。

境界線パーソナリティ障害の人たちは、だいたい、子供時代、自分を認めてもらえない、とか、承認してもらえなかった過去があります。例えば、親に常に否定されつづけたとか、捨てられたとか、無視されたとか、そういう経験ですね。なので、承認してもらえないとか、見捨てられることに対して、過剰に感情的に反応し、なんとしてでもそれを避けようとするようです。

パーソナリティ障害を持つ人は、概して自覚症状が乏しいので、なかなか治療を受けにこないという点が一つ、さらに、セラピーを受けても、突然来なくなったりして、継続的治療がしにくいという点があり、治療が難しいとされています。

が、パーソナリティ障害の中でも、境界線パーソナリティの人は、とにかく精神的に辛いという自覚症状があり、また、自殺未遂を繰り返すなど、命にかかわる場合も多いので、効果のある治療法が求められていました。

そんな中で、比較的最近ですが、マーシャ・リネハン博士によって、弁証論的行動療法(Dialectical Behavioral Therapy、略してDBT)という、境界線パーソナリティをターゲットにした効果的な療法が開発されたことは、画期的でした。

このDBTという療法は、かなり内容が多岐にわたるので、使いこなせるようになるまでは、相当な専門的な訓練が必要だと思うのですが、私はラッキーなことに、インターン時代にこれを学ぶ機会に恵まれました。そして、その後勤めていたカウンセリング・エイジェンシーで、グループのファイシリテーターとして、現場で実践していました(DBTは、個人セッションより、グループ形態のほうが効果的とされています。)その結果、この療法が、境界線パーソナリティだけでなく、PTSDや、双極性障害など、重度の精神障害を持つ人たちにも、概してとても効果的であることを実感しました。多くのクライアントさんたちが、このグループに来ることを心のよりどころにし、目覚ましい症状の改善をみた人も、少なからずいらっしゃいました。

ところで、一つ興味深かったのが、このDBTという療法を開発したマーシャ・リネハン博士自身、境界線パーソナリティ障害だったということです。彼女は、それを2年前に公けにしました。自分が苦しんだ症状というのは、それにちゃんと向き合って乗り越えられたとき、どうやって対処すればいいか身を持ってわかるようになり、同じ症状を持った人を、共感力を持って助けられるようになります。この人は、見事に自分の痛みを昇華して、強みに変え、世界に貢献しているなあと、つくづく思います。

私がリネハン博士を知ったのは、まだ大学院時代、教育用のビデオの中ででしたが、リネハン博士は、自分の感情的なクライアントさんたちに、とてもシビアに接していたのが印象的でした。

「もう、私死ぬ」

と泣き叫ぶクライアントさんたちに、

「ああ、そう?」

みたいな、冷たいくらいきっぱりした対応だったのを覚えています。(これを読んでいるカウンセラーやセラピストの皆さんは、真似をしないでください。(;一_一)こういう対応が有効的にできるようになるまでは、熟練が必要ですから。)

このリネハン博士は、仏教に帰依したことでも知られており、DBTの中には、禅の思想から取り入れられたマインドフルネスという項目があります。

その結果、DBTは、西洋的な技術と東洋的な技術を融合させたセラピーになっています。