盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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自分軸を発動させる言葉

以上は、ディーバック・チョプラ博士の「ゆだねるということ(下)」(住友進訳 サンマーク文庫)から抜粋したスートラ(「第三のスートラ」)です。

スートラとは、意味を持つマントラのことで、このスートラは何千年もの間、サンスクリット語で受け継がれてきたものだそうです。

この第三のスートラは、自分軸を強くするのに非常に効果的だと思い、ご紹介しました。

多くの人は他人軸です。他人軸になると、おのずとネガティブ思考になりやすくなります。自分の幸不幸は人次第、環境次第になるので、不安定になりやすく、疲弊しやすくなります。他人軸の人は、人にどう思われるかを気にし、「人に嫌われないよう、認められるように」を指針にします。また、他人軸は被害者意識を生み出すので、自分の感情の乱れを人や環境のせいにし、自分を振り返って改善していくことが難しくなります。結果として負のスパイラルから抜け出せなくなくなるので、人生もうまくいかなくなります。

被害者意識を持っていると、どこに行っても自分に危害を加えてくる人に出会います。なぜなら、被害者意識は、「自分は人に攻撃される。それは必ず起こる」という信念を無意識に周囲に投影し、自分自身で、世界がそう見えるようにしてしまうからです。同じ原理で、人は本質的に優しいものだと信じている人は、どこに行っても優しい人に出会うことになります。

本当は、自分の周りにある人や環境はみな、自分の意識を映し出す鏡にすぎません。この真理に気づいた人は、自分が住んでいる世界を変容させるカギを手に入れたようなものです。自分の意識を変えさえすれば、すべてが変わるからです。「地獄極楽は胸三寸にあり」ということわざの通り、自分の住む世界が変わるのです。

では、自分の意識をどうやって変えたらいいのでしょうか。その方法の一つがアファメーションです。

アファメーションは「自分自身に向かってする宣言」という意味ですが、特定の文句を唱えて、その言葉の意味に意識を集中させることは、自分の内在する力を引き出す効果をもたらします。サンスクリット語のスートラは、言葉の音の響き自体に力があります。インドの古典のリグ・ヴェーダは、サンスクリット語の詩編を集めた聖典ですが、正確な発音で詩を唱えると、天候をも変えることもできると聞いたことがあります。ここでご紹介したスートラは日本語に翻訳されたものですが、アファメーションとしての作用だけでも十分、自分を内側から変える力を持っています。

特定の言葉に思いを集中させると、それが意思となり、物事を形作ったり変えたりするエネルギーが生まれます。エネルギーは意図する方向に流れるので、こういう風になりたいという意思を持つと、その通りになっていきやすいのです。

例えば、「私は自分の中心を保ち、まったく動揺していない」という思いに集中すると、本当に自分のエネルギーがバランスよく中心に集まり(これをセンタリングといいます)、自分の中がさっきより穏やかに静かになったと感じるようになります。

自分以外の他者を動かすことは、その人自身の意思もあるので、いつも思い通りになるとは限りませんね。それどころか、他人の意思に干渉して操作することになりかねず、相手に不快感を与えるのみならず、自分の内部にもひずみを生じさせる可能性があるので、気をつけなければいけません。けれども、自分自身に関する限り、自分はこうだという意思をもち、その意思に集中するだけで、本当は自由に、意のままに変えることができるのです。

この第三のスートラを全部唱える必要はなくて、どれかピンとくるもの、心がひかれるものがあれば、一つでも二つでもいいので、それを選んで唱えればいいと思います。(腑に落ちない言葉を唱えても効果は期待できないので、逆にピンとこない言葉はスルーした方がいいでしょう。)一人になれる環境でしばらく心を落ち着かせた後、唱えると効果的ですし、紙に書いて、時々眺めてもいいでしょう。

このスートラを意識するようになれば、だんだんと自分軸ができて、土台がしっかりしてくるので、揺るがなくなっていくのが感じられるかと思います。自分軸になると、無駄なエネルギーの流失がなくなって、疲れにくくなるし、人間関係もスムーズにいくようになるので、幸福度もおのずと増していきますよ。

自分を強める力と弱める力

力には、二種類あります。

パワー(power)とフォース(force)。この二種類の、どちらの力に意識がつながっているかによって、人は、強くもなり、弱くもなります。

このことを、キネシオロジー(筋肉反射テスト)を用いた膨大な量の実験に基づき、体系的に説いたのが、デヴィッド・ホーキング博士です。

キネシオロジーでテストすると、有害な物質にさらされた体は、筋肉が瞬時に弱まるという反応が起きます。

例えば、低血糖症の患者が砂糖を口に含むと、三角筋が弱まる反応を示すそうです。

ホーキング博士は、自らの講演中、1000人の聴衆を相手に、こんな実験をしました。1000人中、500人に人工甘味料を入れた封筒を配り、残りの500人には有機ビタミンCが入った封筒を配りました。2人一組でキネシオロジーテストをしてみたところ、全員が、人工甘味料には弱い反応、ビタミンCには強い反応を示しました。

特筆すべきは、被験者が、封筒に何が入っているか知らなかったとしても、有害なものには弱い反応、いいものには強い反応を示すということ。体はそれ自体、叡智を持っているからです。

ホーキング博士は、被験者に特定の思考や感情をもたらす記憶や状況を思い浮かべてもらい、キネシオロジーを使って、膨大な数と頻度のテストを行いました。その結果、怒りや失望、嫉妬、落ち込み、罪悪感や恐怖に対しては、例外なく筋肉が弱くなり、愛する人や楽しいことを思い浮かべると、誰もが強い反応を起こすことがわかりました。

また、物質をイメージするだけで、実際にその物質に触れていなくても、実物に触れているかのような反応が起こることも判明しました。例えば、殺虫剤を使って育てられたリンゴと、有機栽培されたリンゴを掲げて、それぞれに焦点を合わせて見るというテストする実験をしたところ、殺虫剤のリンゴでは弱い反応、有機栽培では強い反応が起こりました。見る人は、どちらがどっちのリンゴか知らされていなかったにも関わらず、即座に、全員にこの反応が起こったのでした。

この手法を用いて実験を重ね、ホーキング博士は、下記の表を作りました。

「意識のマップ 」と名付けられたこの表で、200の勇気から上がパワー、175のプライドから下がフォースになります。

神の視点人生の視点レベルログ感情プロセス
Self(大なる自己Self)is(存在そのもの)悟り700-1000表現不可能純粋な意識
存在する全て完全平和600至福啓蒙
ワンネス完成喜び540静穏(神)変身
愛のある恩恵500崇敬啓示
英知有意義理性400理解抽象
慈悲深い調和受容350許し超越
奮い立たせる希望意欲310楽天的意図
権能を与える満足中立250信頼開放
許認実行可能勇気200肯定強化
無関心要求プライド175嘲笑慢心
執念深い敵対怒り150憎しみ攻撃
否定失望欲望125切望奴隷化
刑罰怯える恐怖100不安内気
軽蔑悲劇深い悲しみ75後悔落胆
避難絶望無気力50絶望放棄
復讐心罪悪感30批判破壊
嫌悪悲惨20屈辱排除

引用元:「パワーかフォースか」デヴィッド・R・ホーキンズ著 ヘハン・デラヴィ&愛知ソニア訳         ナチュラルスピリット社 p.372

端的に言うと、人の意識状態が、200以上(パワー)につながっていると、その人の生命力は強まり、健康になりますし、200より下の低い状態(フォース)につながっていると、その人は弱体化し、免疫も弱まるので健康を害しやすくなるということです。

フォース(force)は「強いる」という意味合いを含みますが、他者を支配して自分が上に立つことで得たり、誰かと競争して勝つことで得たりする力は、フォースです。自分が弱いふりをして、他者から憐れみをひきつけて獲得する力も、誰かを操作して得るという意味合いで、フォースになります。お金や社会的地位、依存するものから得られる一時的な快楽、他者からの賞賛や承認で得られる一時的な高揚感も、すべてフォースの類です。

フォースは持続せず、すぐに消えてしまうはかないものなので、常に外から供給しつづけなければなりません。どんなに外から補っても決して満たされることがなく、すぐに空虚な気持ちになり、「もっと欲しい、もっと、もっと」と、尽きぬ欲望をかきたてます。本当に自分を強化する力ではないので、力を得ているはずなのに、疲労感を得やすいのも特徴です。

パワーは、人から奪い取ることで得られる力、フォースと違って、すでに自分に内在する力です。パワーは人間の気高さや慈愛とつながっています。例えば見返りを期待せずに行う利他的な行為や、悪口を言われても動じず、報復することなく許す寛大さなどは、その人にパワーをもたらします。これらは、その行為をした人自身にも肯定的な気分や強化された身体感覚をもたらしますが、周囲の人も、その人のパワーから漂う威厳や高貴な雰囲気を感じ取るため、心から賞賛したくなったり、感化されて自分もより高い状態に引き上げられやすくなります。

パワーは、自分の中に内在する力とつながった状態であり、他者を必要としません。いつでも得られるし、永続性があります。例えば、100年前に書かれた書物であっても、パワーがあふれる人が書いた本は、読む人に感銘を与え、心を強くさせる作用がありますね。

同じ行為をするにしても、その人の意図が、パワーとフォース、どちらかにつながっているかによって、結果が違ってきます。

褒められたい、認めたいと思ってする善行は、フォースに動機づけられるので、人の尊敬を得ることがなく、かえって褒められたり認められたりしないものです。自分にポジティブな力を与えることもできません。

フォースの状態を抜け出せない人は、残念ながら、環境を変えたとてしても、同じ辛い状況を繰り返しつくりだしてしまいます。

私は予言者ではなく、透視能力があるわけでもありませんが、多くの人を見てきて、パワーにつながっている人は、この人はどこに行っても成功するし、幸せになっていけるな、と確信がもてますし、実際そうなっています。カウンセリングで劇的に変化し、症状がなくなり、人生が好転する人を何人も見てきましたが、思えば、その人たちはパワーにつながることができた人です。

多くの人が、常にパワーの意識状態を保っているわけではなく、フォースの領域に行ったり、パワーの領域に上がったりを繰り返していると思います。人生には日々色々なことが起こり、人との関わりの中で、色々な感情を抱くものですから、それは当たり前ですよね。そんな日々の暮らしの中で、パワーの意識を増やしていくことを心がけることは、自分を成長させることであり、人によい影響を与えて世界をよくしていくことにもつながり、生きている意味があることだなと思います。

滝行初体験

そういえば、1月に、滝行を初体験しました(書こうと思って、忘れていた)。

滝に打たれて修行というのを、いつかやってみたかったので、楽しみにしていたのですが、なにぶん、1月の寒い最中。

冷え性で、誰もしもやけになっていない室内で、一人、15分くらいでしもやけができる、雪女を通り越して氷女といわれる(手足が氷のように冷たいので)この私が、寒冷地でも一番寒い時期に、滝に打たれても無事なのかどうか。

それを検証するのも、楽しみでした。

滝行は、所属している極真会館の空手道場で、毎年恒例で行っている寒稽古に、初参加させていただいたのですが、その日の1~2週間前から、その日が命日になった私のお墓に、空手の先生が手を合わせている場面が頭にちらつきました(脳内で、当日ショック死する設定になっていた)。

異常に冷え性な自分の体を、精神の力でどのくらいコントロールできるか、試してみたかったこと、滝行が及ぼす効果を実感してみたかったことで、怖いという気持ちよりも、好奇心でワクワクする気持ちが強かったです。

それで当日どうだったか。

思いのほか、全然大丈夫でした。

今年の冬は暖冬で、雪が少ないとはいえ、まだ少し雪が積もって、溶けていなかったので、当日の気温は、0度か、それより少し上だったように記憶していますが、雪の上で軽く稽古して、体を温め、気合が入ったことで、寒さをあまり感じず、とても楽しかったです。何なら、もっと長く入って、もっと滝に打たれたかったのに、もう上がるのか?と心残りでした。

このとき、一人ではなく、先生や先輩方、道場生の皆さんと一緒だったことも、気持ちが強く保てた要因の一つだったと思います。

集団のエネルギーというのがあって、大勢の人がポジティブな気持ちを放って同じ場にあつまれば、その場に強い肯定的なエネルギーが生まれ、そこにいる人たちに影響を及ぼします。(負の気持ちも同様に、集団ではくっつきあって強化されることが起こってしまいます。)

寒中稽古の直後は、体が硬直して、なかなか思うように動かなかったのですが、心身とも爽快になりました。

付け加えるなら、この時、もし、嫌だな~、寒いのに何でやらなきゃいけないんだろう、早く終わらないかなと思いながら水に入ったとしたら、たぶん、もっと寒く感じたと思います。私は滝行にあたって、喜びをもって前向きな気持ちで臨むことができたので(なにぶん、好奇心が強いもので)、精神が肉体を統御する力が大いに発揮されたように思いました。

来年もぜひ、参加したいと思います。

Just A Game

最近知って、好きになったNulbarichの、Just A Gameという曲。

辛いことがあったとき聞いたら、心が癒されて軽くなるような、優しい曲で、お勧めです。

「困難があるかもしれないけど、大丈夫、きっと乗り越えられるよ、これは、ちょっとした試練、ただのゲームかもしれないよ」、という歌詞です。

インドの宗教(古代哲学)に、この世のすべてのできごとは神様の戯れである、私たちは、ひとつの神様(=宇宙)から分かれた存在で、もともとの姿を忘れて、絶え間ないゲームを繰り返している、という概念があります。

それを踏まえて聞くと、奥が深いな、と思える歌詞。

どんな出来事も、自分が進化して、神様(のように尊い、忘れていた本来の自分)に戻っていくための、お試しという、インドの古代の教えは、叡智をはらんでいる真理だと思います。

Nulbarichというグループ、優しく励まされたり、癒されたりするような、結構深い歌詞を、耳に心地いいメロディーに乗せて歌う、いいアーティストだなと思っていたら、今年で活動休止の予定らしいです。

残念ですね。

お問い合わせフォーム修正済み

以前、お問い合わせフォームからメールが届きにくくなっていた問題は、修正し、解決いたしました。

ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

お問い合わせいただいて、返事がない場合

お問い合わせフォームからお申込みいただいた際、2~3日たってもこちらからのお返事がない場合、届いていない可能性があるので、お電話いただければ助かります。

お電話は仕事中で出られないことが多いのですが、その場合は、留守電にメッセージを入れていただければ、折り返しさせていただきます。

最近、メールしたけれども返事がないというお客様が何人かいらして、現在、原因を究明中です。

お手数おかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

お勧めの本

最近読んだ、お勧めの本をご紹介します。

「今日、誰のために生きる?」アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語 ひすいこたろう×SHOGEN著 廣済堂出版

著者のショーゲンさんが、幸せな人ばかりいるアフリカの小さな村に行き、1年半ほど人々と一緒に暮らし、そこで見聞きしたことをどうしてもみんなに伝えたいと思い、書かれた本です。

この村の人たちは、心を大切にしています。現代の日本の社会とは全然違い、目から鱗のことばかり。日々、すごいカルチャーショックです。

でも、それは、太古の昔、縄文時代の日本では、当たり前に行われていたことでした。

例えば、ショーゲンさんは、最初の頃、しょっちゅう部族会議に呼び出されて、問題を指摘されます。「お前はなんでそんなにゆとりがないのか」。

この村の人たちは心のゆとりをとても大切にしています。仕事が途中でも、時間が来たら潔くやめて、家に帰る。家族との時間が大切だから。

一人の子が、流れ星が見たいというと、大人たちも全員で一緒に流れ星を探しに行きます。

また、ショーゲンさんは、一緒に食事していても、お前は心がそこににないと指摘をされます。マインドフルでなく、マインドレスになっているということですね。

この村では、言葉を大切にします。心から言葉を話すことがどんなに大切なことか、知っています。 だから、相手を抱きしめるように話せといいます。 心がこもっていない言葉を話せば、小さな子供にもそれを感じ取られて、指摘されてしまいます。

この村の人たちは、感謝を伝えることを、とてもよくします。何かで恩恵を受けたら、それを与えてくれた人のところに行って、まっすぐそれを伝えるようにと言います。

失敗を悪いこと、してはいけない、とする概念がありません。失敗した人には、「かわいいね、人間らしいね」といいます。人は年を経るごとに、完璧になるのではなく、人間らしくなるといいます。

人に対して「信じているよ」とよくいいます。誰かが、こうしようと思うというと、「あなたがそうできることを信じているよ」と伝える習慣があります。

この村の人たちは、自分を大切にすることを、子供のころから自然に学びます。この村の人たちはみんな親切で人助けをよくするので、それにならってショーゲンさんが人助けをしようとすると、「お前を見ているとハラハラする」と言います。人に与える時は、自分の盃がいっぱいになって、そのあふれた分を人に与えなさいと諭されます。自分の心が満たされていないのに与えようとすると、自己犠牲になり、心に苦しみが生じます。苦しさが周りにも伝わるので、ハラハラするわけです。

叡智があふれていて、でもわかりやすく、易しい言葉で書いてある本です。変に小難しい心理系の本より、よほど役に立つと思います。

真理って、本当はシンプルなものです。

人は賢く進化すればするほど、ある意味、子供のようになっていきます。子供じみるのではなく、大人になる過程で身に着けた余計なものがなくなって、子供のように純粋になっていくということ。この村の人たちがそうであるように。

幸せであるためには、幸せを感じる心を持てばいいわけで、幸せを感じる心を持つためには、心にゆとりがなければいけません。何かを感じるには、感じるためのスペースが必要です。

現代社会では、利益をあげたり、競争して相手より上に優位にたったり、成功したりすることに必死で、その奮闘によって生じた膨大なストレスを紛らわすために、頭を忙しく埋めて、心から目をそらすことをしていますね。こんな状態で、幸せを感じることができるはずはありません。

色々、大事なことに気づかせてくれる本なので、一度、読んでみてはいかがでしょうか。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって、実りある、喜びの多い一年になりますように。

また、能登半島震災の被災者の方々に、お見舞い申し上げます。一日も早く、救いと癒しがもたらされて、平和な日常に戻ることができますよう、お祈り申し上げます。

今年もお世話になりました。

2023年もあとわずかですね。

今年も1年、大変お世話になりました。

年末年始はお休みさせていただきます。

お電話やメール、お問い合わせフォームからいただいたご連絡は、4日以降のお返事になりますので、ご了承ください。

また、2024年のセッションの空きは、今のところ、6日(土)以降となってております。よろしくお願いいたします。

それでは、皆さま、どうぞ、よいお年をお迎えください。

人生のような曲

ブラームスの間奏曲、Op.118-2。

この曲を聴くと、大学院を出て、カウンセラーという職業に初めてつくために、ミネソタ州からニューメキシコ州を目指して、車を走らせていた時のことを思い出します。

距離にして2000キロ以上を、3日ほどかけてドライブし、4つの州を越えて、ようやく、これから住むニューメキシコ州が見えてきたとき、これから始まる仕事で、どうか大勢の人の役に立てますように、一人でも多くの人の苦しみを救うことができますようにと、祈りを込めながら、大好きなブラームスのこの曲を聴いて、決意を新たにしていました。

人生の苦しみを美しく昇華させたようなこの曲は、深い癒しと慰めをもたらすように感じます。

ブラームスは、あまり多くの人に語らなかったようですが、よく、霊感に打たれて曲を作っていたそうで、この曲もその一つなんだろうと思います。大いなる力の働きが、辛い思いをしている人たちの助けとなるよう、ブラームスを通じて、顕現している曲。ベートーヴェンもそうですが、多くの天才は、一種の依り代のようなところがあるなと思います。