先日カウンセリングしたクライアントさんの話です。
個人情報になるので詳細は書きませんが、この方はとてもまじめな方で、何をするにも、間違ってはいけない、こうあらねばならないと厳格に自分を律して生きてこられました。
そうなると、人は、できないことにフォーカスしがちになるので、自分はダメだ、という強い自己否定感や自責感、なんでほかの人みたいにうまくできないんだろうという劣等感を強く持ってしまいがちになります。
この類の人は結構多いのですが、カウンセリングをしていてこういうクライアントさんたちを前にすると、私の脳裏には、がんじがらめに縛り付けられて、本来の自己が萎縮し、息ができないような苦しくて窮屈な状態のイメージが浮かびます。がんじがらめに縛り付けているのはほかならぬ自分自身なので、それを緩めてあげればいいのになあと思います。
この類の人たちは、押しなべて呼吸が浅く、不安を抱きがちです。常に体を固くして呼吸も酸欠状態なので、血流が滞り、頭痛や肩こりに悩まされる人も多いです。
先日のクライアントさんもその通りで、体にあちこち痛みを抱え、体調がすぐれないことが常でした。
ところがある日、この方は、本人曰く「不思議な体験」をしました。
ずっとあれこれ心配しては将来を憂い、自分はダメだと思って毎日を過ごしていたこの方は、体調が悪くて寝込んだ数日間、思い切って情報断捨離をしたのだそうです。不安に駆られて情報をどんどん追求し、怒涛の情報に翻弄されてさらに不安になるという行為をやめるために、あえてやってみたのだそうです。
そうすると、今まで何年も忘れていた、昔好きだったジャンルの本と再会し、夢中になってそれを寝床で読んだのだそうです。そうすると、ワーッと湧き上がるように歓喜があふれ、体は辛いが心が満たされ、幸せを感じるという体験をしたといいます。
いったんそうなると、昔大好きだった音楽がラジオから流れてきて、懐かしさに舞い上がったり、子供の頃絵を描くのが大すきで、夢中で描いていたことなどを思い出したりして、心地いい体験の連鎖が起こったそうです。
結果として、いままで面倒だと感じてやる気にならなかった家の片付けなどにも、手をつけられるようになったのだそうです。
このクライアントさんは、こうあらねばならぬ、そうでなければお前はダメだ、という、いわば「既存の基準ではかられた正しさを自らに強制する意識」が非常に強かったために、自分はこれが好き、これがうれしい、これが楽しいという、自発的な心地よい喜びをシャットアウトして生きてこられました。
自分の自然な心に反して無理強いすると、心は苦しくなり、連動して体も苦しくなります。エネルギーも枯渇します。少ないエネルギーでしようとすると、力を振り絞らなければならなくなり、とても疲れます。動くのが面倒になりますよね。なので、外から強いられた「こうあるべき、あらねばなぬ」で生きていると、最終的には気力不足で、本当にやったほうがいいことでも億劫に感じたり、やる気が起こらなくなって、できなくなります。
一方で、ただ無条件に好き!楽しい!と思える何かは、心を潤わせ、掘り当てた泉のように内面からエネルギーで満たします。そうなると、気力が充実し、心に張りができるので、やる気が起こるし、免疫もあがって体も元気になります。そうなると、同じことでもさほど疲れを感じず、さくさくできるようになります。より活動的になれるというわけです。
やりたいことばかりやっていて、義務を怠るのはよくないでしょうが、義務ばかりでやりたいことを禁じていると、人の創造性(なにかを新しいことを作り出す力)は枯渇します。
画家や作曲家などのアーティストや、作家などが、売れることを目指し、損得を考えて作品を作るときは、外の基準で自分を強いているのと同じことが起ります。自分の内面の喜びの源泉にアクセスしていないので、純粋な創造性が発揮されません。人工的、作為的になってしまうために、売れたとしても、すぐ飽きられてしまい、心を打って長く後世に残るような作品にはなりません。
無条件にこうしたい、これが好きで夢中になれる、という、子供が感じるような純粋な喜びは、自分の中にお金で買いがたい、豊かで美しいエネルギーをたくさん生み出すものです。ストイックに禁じないで、大切にしてあげるといいと思います。