盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)
☆営業時間:9時~18時  定休日:第二、第四土曜、日曜、祝日

ブログ

怒りの対処法の奥義

アンガーマネジメントの具体的な方法は、色々いわれていますよね。

10秒数えるとか、その場を離れるとか、深呼吸するとか、そういう方法も一時的に怒りからくる衝動的な反応を回避するためには有効だと思います。

でも、そのやり方では、一時しのぎにしかならず、怒りが戻ってくる可能性があります。

本質的に怒りを鎮めるために有効なのは、怒りを引き起こした(と自分が思っている=本当は相手が引き起こしたのではなく、自分自身が怒りで反応しただけ)相手ではなく、自分の心の中に生じた怒りに目を向けること。

私たちがやりがちなのは、相手を物理的または心理的に追いかけ、相手を責めたり、悪口や不平不満を並べたりして、いかに相手が悪いか、間違っているかに焦点を当てることです。

でも、それは怒りを増して、悪化させる方法にほかならないんですよね。これを続けると、被害者意識が根付き、怒りが恨みに変わり、下手をすると、何年も何十年も、過ぎた出来事に付着した自分の感情にさいなまれ、苦しまねばならなくなる場合もあります。

本当は、相手を追うのをやめ、自分の心の中に入っていき、自分の怒りを認識するいこと。さらには、怒りの後ろに隠れている痛みを見てあげることが大切なのです。

「ああ、自分は腹が立っているんだな。傷ついたんだな。心が悲鳴をあげて、思わず相手を攻撃しようとしている。無理もないな。すごく嫌な体験をしたな。」

といった具合に、自分の心の状態を感じ取り、理解してあげる。

ただそれだけで、怒りはものの数分、いや、数十秒で、さっきよりも落ち着いて、気持ちがおだやかになります。

自分の感情に気づいて、しばらくの間、ただ感じてあげると、その感情は消えていくようにできています。(その際、その感情をいい悪い、正しい間違っているで判断しないこと、無理に変えようとしないことがポイント)。

怒りだけではなく、すべての感情は、気づいて観てあげると消えていきます。

怒りを感じたときは、外側ではなく、内側に意識を向けること。

これが、アンガーマネージメントの奥義です。

生命力を半減させるもの

感情を抑圧すると、例えていうなら、自分というエネルギーシステムに、電流が半分しか流れないみたいになります。

生命力が半減するといったいメージ(厳密によると、少し減るのか、半分減るのか、半分以上減るのかは、その人の状態によります)。

そうなると、フルに生きていないということになります。

生き生き物事を感じられないだろうし、気持ちも鈍くなるし、体も重くなる。

かつ、抑圧という不自然なことをしつづけるのには、潜在的にものすごく力を使うので、しんどいし、疲れる。

慢性的に疲れやすくなるでしょう。

本当は、気持ちは外に出ていきたいもの。

感じることを許せば、解き放たれる。

無理に止めてしまわなければ、電流のように心と体を駆け巡り、伝達したいことを伝えた後に、感情は出ていき、消滅してしまいます。

そうなると、私たちは再び、楽に、軽くなり、生命力はフルに回転しつづけるものです。

ポジティブサイコロジー

人間の脳は、太古の昔から、ポジティブなことよりネガティブなことをより多く捉え、長く記憶するようにできています。これは、人間がまだ原始的な生活を送ってきた頃、危険を察知し、記憶に刻み、未来の危険から身を守るよう学習することが役に立っていたからなのです。

けれども、昔のように生存を脅かされるような危険が少ない現代では、ネガティブなことにばかりフォーカスする脳は、必要がないばかりか、不幸せな精神状態を作り出し、鬱や不安の温床にもなりかねません。

ネガティブなことを多く考える脳の状態を変えるには、ポジティブなことにも焦点を当てるよう、意識的な訓練が必要である、という概念に基づいて作られたのが、ポシティブサイコロジーという療法です。

今日は、ポジティブサイコロジーの中でも、比較的よく知られているエクササイズを1つご紹介しましょう。

...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡


エクササイズ:「3つのいいできごと」日記

少なくとも2週間の間、毎晩、寝る前に、その日に起こったよかったことを思い浮かべて、3つ書き出してください。

どういう風にそれが起こったのかをよく思い出してください。また、どうしてそれが起こったか、その出来事に自分がどう貢献したかも考えてください。同僚が缶コーヒーをおごってくれた、友達が久しぶりに連絡をくれた、車で運転中、誰かが道を譲ってくれた、誰かの親切を目撃したなど。大きなできごとでも、ささいなできごとでも結構です。

例)今日起こったいいこと

できごと(1):

今日は仕事に集中して頑張れた。特にミスもなく、1日の終わりには快い疲れと達成感を得られた。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

昨夜、スマホをだらだら見ないで早く寝たおかげで、頭がすっきりして集中力を保てた。

できごと(2):

夕飯に、自分の好きな生姜焼きとアボガドのサラダが出て、おいしく食べた。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

前回、生姜焼きやアボガドのサラダが出た時、奥さんに、「これ、おいしい。ありがとう。」「また食べたい。」と、好きだという意思表示と感謝の気持ちを伝えた。

できごと(3):

 今日は天気がよくて、空がきれいだった。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

心配なごとにふけるのをやめて、天気に気づき、空を見る時間を持った。


...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡...☆彡


そのできごとがなぜ起こったか、それにに自分がどう貢献したかを考えることは、そのできごとの要因をはっきりさせ、よいことは自分の力で起こすことができる、人生を自分でコントロールし、幸せな現実を作っていけるという認識を促し、そのような行動の動機づけになります。

そのできごとを思い起こして、自分の幸運や目にした親切を、じっくり味わってください。その時の感情を思い起こし、感覚に刻むことで、セロトニン(気分の落ち着きに関係する)やドーパミン(幸福感に関係する)が増えるなどのよい変化が脳内の神経物質に起こり、また、ポジティブ思考が起こりやすくなるよう、脳内の神経回路(正確には、脳神経をつなぐ神経節細胞)がつながっていきます。これを繰り返すことで、ポジティブ思考になりやすい脳に変化していきます。



参考文献:

Knnedy, A: Positive Psychology: Exercises for building happiness-Part 1. Retrieved from https://www.alustforlife.com/tools/mental-health-positive-psychology-excercises-for-happiness-part-1

19 Positive psychology Exercises To Do With Clients or Studentshttps:// positivepsychology.com/positive-psychology-exercises/


自分を愛すると、どうなるか

多くの人は、自己愛の欠如によって、色々な問題を作り出しています。

自分がイヤ、好きになれない、という人は、結構多いです。

ありのままの自分ではダメだと思っているので、「できる人の仮面」、「強い人の仮面」、「弱くて無力な人の仮面」、「自己犠牲的に世話をする人の仮面」など、無意識に色々な仮面をかぶって身を守ろうとしています。

その仮面があれば、批判されたり攻撃されたりしないで済む、誰かが手を差し伸べてくれる、自分は価値あるものとして存在していていいなど、心の奥深いところにニーズがあるわけですが、仮面をかぶり続けるということは、やはり本当の自分として生きていないことであり、疲れるものです。演じている自分を基盤に対人関係が構築されるので、疲れるだけで、かえって、心からの喜びとはかけ離れた現実が引き寄せられるでしょう。

では、どうやって自分を好きになったらいいのでしょうか。そもそも、自分を愛するって、どういうことでしょうか。

健全な自己愛を持っているということは、自分がいい、好き、優れていると、積極的に感じる状態とは違います。それではただのナルシストであり、自我が強く、不安定な自己になります。

健全な自己愛とは、自分自身を無条件に愛するということであり、無条件の愛とは、失敗しようが成功しようが、立派な行いをしようがしまいが、醜いことを考えようが考えまいが、何ができてもできなくても、あらゆる欠点を含めて、どんな自分でも大きな懐で受け入れるということです。ありのままの自分をまるごと受け入れるということです。

慈悲深い神様や仏様の視点では、悪人はきらい、善人は好きというのはないでしょう。神様や仏様なら、どんな人であろうと、苦しんでほしくないし、幸せになってほしい、退歩すれば悲しいし、成長すればうれしい、というスタンスだと思います。そういう目線で自分を見て、自分のすべてを受け入れるということです。

そういう風に自分をとらえることができた場合、何が起こるかというと、自我が消滅していくんですね。他者に対して仮面をかぶって、自分じゃない自分を演じなくてもよくなり、人目が気にならなくなります。だって、どんなふうに思われても、自分の価値、重要度は変らないと感じるので、気にする必要がなくなりますから。自分を丸ごと受け入れてあげると、深いところで、自分自身が心からホッとして安心するんですよね。そして心が安定していきます。

仮面をかぶらなくてよいということは、自分の本心とズレがない、嘘偽りのない言動をするようになることにつながり、結果として疲れにくくなります。自分をよく見せようとして、自己防衛の為に、自分の本質とズレた言動を常日頃からしていると、余計なエネルギーを消耗するので疲れるわけです。かつ、自分の本質とズレると、必ずどこかで虚しさを覚えるはずで、スッキリしない不快な気分を味わう羽目になります。

自分が本心に従って正直に生きるようになると、他の誰かとか、社会など、外のものが基準ではなくなります。そうなると、自然にふるまえるようになるので、「自分」を意識しなくなるんですね。自分以外の誰かや何かが基準になっている場合、その基準から見た自分という対比が起こるので、「自分」対「人」、「自分」対「社会」という意識状態になり、自意識が芽生えるわけです。それがなくなっていくということです。

それなので、健全な自己愛を持つと、自我(エゴ)がなくなり、余計なエネルギーの消耗がなくなって、自然体の人になっていきます。雑念や葛藤も少なくなっていくはずです。「大勢の人が違う意見でも構わない。自分としてはこう思う。」「自分がしたいからこれをする。」と自然に思えるようになります。自分という概念(自意識)が少なくなっていくというのは、一見、相反するようですが、つまるところ、「自分が、自分が」と周囲にアピールしたり、「自分なんか」と卑屈になったりすることがなくなっていくということです。

マザーテレサとか、宮澤賢治とか、シュバイツァーとか、ナイチンゲールなど、高尚な人格を持つに至った人は、健全な自己愛があり、自我意識が少ない状態にあります。ほめられてもけなされても気にしない、他者や外界に振り回ない人たちですね。こういう状態にあると、自分の希望通りに、この世界で自己実現できるようになっていくのだと思います。

即席自信アップ法

自信を増やすための、簡易的で即効性のあるやり方をご紹介します。

それは、丹田(おへその下)を意識し、ここに力を入れること。

そうすると、自然に姿勢がよくなり、体が安定します。

姿勢がよくなると、体を流れているエネルギーの通りもよくなります。

自信にあふれている人で、しおれた野菜みたいに前かがみになってうなだれる人はいないと思います。

自信があって堂々としている人は、姿勢よく、胸を張ります。

丹田を意識して力をいれると、自信があって堂々としている人の身体のポジションになるわけです。

こうして、形から入ることで、気持ちも変化させることも可能です。

インドには、ムードラといって、指でいろいろな形をつくることで、心身のエネルギーを変えるやり方が伝わっています。仏様の手印ですね。

普段から自分を信じて、前向きでいるためには、その人が標準にしている意識状態を変えていく必要であり、もちろん、それは、一時、姿勢を変えるだけで達成できるものではありません。

けれども、丹田に力を入れるだけで、例え一時であっても、瞬間的に気が下がって、エネルギー強化されます(気が上がっているときは、不安になりやすいく、気が下にあるほうが、重心が下がり、安定します)。それに従い、不安な状態から、落ち着いた強い状態に心身が変化するのを、多くの人は、多少なりとも実感できると思います。

歩くときも、(最初のうちだけでも。ずっとでは疲れるでしょうから)丹田を意識しながら歩くと、視点が以前よりポジティブになり、世界が変わって見えると思います。よかったら試してみてください。

内側にあるエネルギーの源泉

先日カウンセリングしたクライアントさんの話です。

個人情報になるので詳細は書きませんが、この方はとてもまじめな方で、何をするにも、間違ってはいけない、こうあらねばならないと厳格に自分を律して生きてこられました。

そうなると、人は、できないことにフォーカスしがちになるので、自分はダメだ、という強い自己否定感や自責感、なんでほかの人みたいにうまくできないんだろうという劣等感を強く持ってしまいがちになります。

この類の人は結構多いのですが、カウンセリングをしていてこういうクライアントさんたちを前にすると、私の脳裏には、がんじがらめに縛り付けられて、本来の自己が萎縮し、息ができないような苦しくて窮屈な状態のイメージが浮かびます。がんじがらめに縛り付けているのはほかならぬ自分自身なので、それを緩めてあげればいいのになあと思います。

この類の人たちは、押しなべて呼吸が浅く、不安を抱きがちです。常に体を固くして呼吸も酸欠状態なので、血流が滞り、頭痛や肩こりに悩まされる人も多いです。

先日のクライアントさんもその通りで、体にあちこち痛みを抱え、体調がすぐれないことが常でした。

ところがある日、この方は、本人曰く「不思議な体験」をしました。

ずっとあれこれ心配しては将来を憂い、自分はダメだと思って毎日を過ごしていたこの方は、体調が悪くて寝込んだ数日間、思い切って情報断捨離をしたのだそうです。不安に駆られて情報をどんどん追求し、怒涛の情報に翻弄されてさらに不安になるという行為をやめるために、あえてやってみたのだそうです。

そうすると、今まで何年も忘れていた、昔好きだったジャンルの本と再会し、夢中になってそれを寝床で読んだのだそうです。そうすると、ワーッと湧き上がるように歓喜があふれ、体は辛いが心が満たされ、幸せを感じるという体験をしたといいます。

いったんそうなると、昔大好きだった音楽がラジオから流れてきて、懐かしさに舞い上がったり、子供の頃絵を描くのが大すきで、夢中で描いていたことなどを思い出したりして、心地いい体験の連鎖が起こったそうです。

結果として、いままで面倒だと感じてやる気にならなかった家の片付けなどにも、手をつけられるようになったのだそうです。

このクライアントさんは、こうあらねばならぬ、そうでなければお前はダメだ、という、いわば「既存の基準ではかられた正しさを自らに強制する意識」が非常に強かったために、自分はこれが好き、これがうれしい、これが楽しいという、自発的な心地よい喜びをシャットアウトして生きてこられました。

自分の自然な心に反して無理強いすると、心は苦しくなり、連動して体も苦しくなります。エネルギーも枯渇します。少ないエネルギーでしようとすると、力を振り絞らなければならなくなり、とても疲れます。動くのが面倒になりますよね。なので、外から強いられた「こうあるべき、あらねばなぬ」で生きていると、最終的には気力不足で、本当にやったほうがいいことでも億劫に感じたり、やる気が起こらなくなって、できなくなります。

一方で、ただ無条件に好き!楽しい!と思える何かは、心を潤わせ、掘り当てた泉のように内面からエネルギーで満たします。そうなると、気力が充実し、心に張りができるので、やる気が起こるし、免疫もあがって体も元気になります。そうなると、同じことでもさほど疲れを感じず、さくさくできるようになります。より活動的になれるというわけです。

やりたいことばかりやっていて、義務を怠るのはよくないでしょうが、義務ばかりでやりたいことを禁じていると、人の創造性(なにかを新しいことを作り出す力)は枯渇します。

画家や作曲家などのアーティストや、作家などが、売れることを目指し、損得を考えて作品を作るときは、外の基準で自分を強いているのと同じことが起ります。自分の内面の喜びの源泉にアクセスしていないので、純粋な創造性が発揮されません。人工的、作為的になってしまうために、売れたとしても、すぐ飽きられてしまい、心を打って長く後世に残るような作品にはなりません。

無条件にこうしたい、これが好きで夢中になれる、という、子供が感じるような純粋な喜びは、自分の中にお金で買いがたい、豊かで美しいエネルギーをたくさん生み出すものです。ストイックに禁じないで、大切にしてあげるといいと思います。

「気が強い」と悪いものをはねのける

「気が強い」と、邪気をはねのけ、悪いものに影響されにくいです。怒られても悪口を言われてもあまり引きずらずに立ち直れるし、いじめのターゲットにもなりにくい。病気にもかかりにくいと思います。

一般的には、負けん気が強くてアグレッシブな人を、気が強い人というのだと思いますが、ここでいう気の強さは、攻撃的という意味ではありません。

攻撃的な強さを感じさせる人は、エゴが肥大している(inflated ego)が多く、どちらかというと、実際よりも大きく見せようとしているけれど、中身はつまっていない、風船が膨らむような大きさを示している人が多い気がします。ネコが背中を逆立て、しっぽを太くして、実際より大きくしようとしているのと同じですね。人は、本当は自分に自信がないとき、力にまかせて相手を支配することで、自分を強くみせようとすることがありますが、これはほんとうの「気」の強さではありません。

優越感を持ちたいがために威張ったり、業績やステータスにこだわったりする人は、裏を返せば劣等感が強くて自信がない人が多いです。そういう人は、業績や社会的地位、お金、人からの賞賛など、本当は危うくもろい自我を補強しようとしてしがみついているものがなくなったとき、どうしていいかわからなくなり、とても不安定になります。ちなみに、執着しているこれらの対象は、いつかはなくなるもの、いつなくなるかわからないもの。それを本能的に知っているから、よけいに執着し、よけいに増やそうとして躍起になり、追い続けるのでしょうが、これらはのものどんなに追いかけてもきりがなく、心が休まらないばかりでしょう。

本当の意味で気が強い人は、風船ではなく、中身まで詰まっている感じがする人です。外のもので自分の軽さをうめようとするのではなく、身がある人。そういう人は、攻撃的とは無縁で、むしろ穏やかで落ち着いているように見えます。等身大の自分に満足しているので、劣等感がなく、したがって優越感を求めて何かをする必要性もない。人と比較しない。腹がすわっていてブレないので、他者や周りの状況に左右されない安定感があります。「自分を持っている」といういい方もできるでしょう。お金があってもなくても、仕事がうまくいっているときも、いっていないときも、人に褒められてもけなされても、そんなに気にしないので、影響を受けにくい。悪いものが自分の中に入ってきてかき乱すということが少ないほうが、損なわれない思考力や判断力で、置かれた状況の最善を選ぶことができるでしょう。

この類の人には、尊厳が備わり、侮りがたい雰囲気を自然に醸し出すので、自然に、いじめられたり悪口をいわれたりすることもなくなっていきます。また、その人が本来持っている魅力が出て磁石のように人を引き付けるので、威張っていなくても人に尊敬されたり好かれたりするでしょう。

このような氣(精神的なエネルギー)の強さがあると、ストレスを受けにくく、免疫も下がりにくいので、病気にもなりにくいです。過去の嫌なことをくどくど考えて、怒りや恨みや後悔をいつまでも手放さない、まだ起こっていない悪いことを考えて色々心配するなどの行為は、非常に免疫を下げます。また、肉体も早く老化します。そういう人の多くは、まだ若いのに白髪になったり、なにかと体に痛みを覚えたりしやすくなります。

コロナウィルスで世界が大変容している今、本当の氣の強さがあるかどうかは、不安に翻弄されるか、心身共に安定した状態で、変化に適応していけるかのポイントになってくるのではないかと思います。


アメリカ西部の風景

たまには趣向を変えて、アメリカから帰国する直前、2011年の冬に、アメリカ西部を1週間ほど旅した時の光景を、いくつかご紹介します。

大好きな場所のひとつ、モニュメントバレー。ユタ州とアリゾナ州にまたがる砂漠の岩山地帯です。

とても静かで落ち着くところです。いつまでも見ていたくなる光景で、アメリカに住んでいる間に、何度も訪れました。たしか、ここで、ネイティブアメリカンのハーブでできたハーブティーを注文して飲んでいました。。

アリゾナの砂漠地帯には、恐竜の骨や足跡が残っているところがあります。足跡は思ったより小さかったです。

昔、ネイティブアメリカンが住んでいた遺跡です。メサベルデという国立公園になっています。ここもとても静かで、いつまでもいたくなる場所でした。

これがメサベルデです。風の音だけが聞こえるような静かな場所でした。

アリゾナ州には、バリンジャークレーターという、直径1.2キロもの巨大なクレーターがあります。大きすぎてカメラに収まりきりません。

この旅の途中で、ハミングバードの形の雲に出会いました。セラピールーム・ハミングバードの名前は、ここから取ったものです。

カウンセリングを有効にするもの

先日、クライアントさんに、どうやれば有効なカウンセリングができるのか?といった趣旨の質問をされました。

「こんなことができるのは、やっぱり技術や知識があるからなんですか?」

と。

その方は、とても素直で反応が早い方で、そのせいもあって、セッション開始時と、終了時では、気分がまったく変わり、打って変わって元気になって帰られたのですが、帰られる間際にその質問を受けました。その時は、正直、なんて答えようか、戸惑ってしまいました。

技術や知識が最重要でないことは確かです。それが全く必要ないとは言わないし、あったほうがいいのだろうけど、技術や知識だけではいいカウンセリングはできないというのが、私の考えです。

確かに、私はアメリカの大学院で心理セラピーを学び、その後もいまだに多くの専門的なセミナーに参加して、知識を増やし、スキルアップを図るよう心掛けてはいますが(なぜなら、そうしないと2年ごとに更新されるアメリカのカウンセラー免許を維持できないシステムになっているので)それだけではありません。それに、知識や技術の面でいうと、私にはまだ学ぶことはたくさんあり、十分あるとは思っていません。

ただ、頭だけの知識だけが下手にたくさんあったとしても、それを心に落とし込んでいないと、真理にならず、現実では役に立たないと思います。かえって表面的なセッションに終始してしまい、クライアントさんの心の深いところまで変えることはできなかったり、知識が邪魔をして、ほんとうにクライアントさんが必要としていることを見誤ったりすると思います。

例えば、認知行動療法の知識があっても、それが効果的なクライアントさんとそうでないクライアントさんがあり、また、同じクライアントさんでも、それが必要な場合とそうでない場合があります。それはその人と対したときに、感覚でわかります。だけど、特に日本では、例えば、ここでは認知行動療法を使うという前提が先にあって、どんな人にも、どんな場合にも、それを当てはめようと、頭で考えた治療を行うことが多い気がします。日本は精神医療が発展途上なので、まだいろんな療法を使いこなせる専門家が少ないというのもあるのでしょうが、本当に効果的なカウンセリングは、なんとか療法といったセオリーを越えたところにあると私は思います。

私がセッションをするときは、この症状だからこの療法を使おうとか、このスキルを使おうとか、あらかじめ準備することはいっさいありません。そんなふうに頭で分析してセッションに臨んでも、実際にクライアントさんと対面してその方の心の状態や問題を感じ取ったときに、それがあてはまることがほぼ皆無であることを、経験上わかっているからです。例えそのナントカ療法が有効なクライアントさんであっても、実際に目の前にその方が座ると、その方が、今、その場で欲しているのはそれではないことが大変多いです。

セッション前に、頭を動かして準備をする代わりに、私が心がけているのは、自分を空っぽにすることです。可能であれば、少なくとも数分前までにはほかのことをやめて、思考を静めて心を落ち着け、自分をニュートラルな状態にします。

クライアントさんとセッション中には、何をしているかというと、割と近年になって気づいたのですが、いわば、クライアントさんの周りに漂っている見えない情報を感じ取って読み取る、という作業を、ほぼ無意識にいつもやっている気がします。多分、いわゆるオーラを読み取るというのに近いのだと思いますが、私は霊能者ではないので、読み取る情報がスピリチュアルなものではなく、感情とか思考とか、或いは意識状態、心の状態などに限られてはいるのですが。

それから、もうひとつ秘訣があるとしたら、わりと頻繁に、祈りに似た念を向けながらカウンセリングをします。セッションが始まる前や、特に難しい局面にはセッションの最中であっても、目の前の方にとって最善が起こりますよう、幸せになられますようにと、祈るような意図を持つようにしています。

最近、インドの有名なアーユルヴェーダ医に治療してもらった人の話をマンガで読んだのですが、その時、そのお医者さんが、1日の始まりに、まず、アーユルヴェーダ神様に祈りをささげてから治療を始めるというのを見て、なるほど、やっぱりそうか、意図って大事なんだと思ったことがあります(私は、治療者として、まだまだその高名なお医者さんの足元にも及ばないので、自分と同じだなんておこがましいことは言うつもりはないのですが。)

私がすべてのクライアントさんに効果的なセッションができているとは限りませんが(そうなりたいですが)、ただ、あえて言うなら、上記に書いたようなことが、私の場合は、知識やスキルそのものよりも、カウンセリングに重要な役割を果たしているような気がします。


虚ろな人が増えたわけ

近年、虚ろな人が増えた気がします。

虚ろというのは、体に意識がちゃんと入っていないというか、肚が座っていないというか、グラウンディングができていなくてフワフワしているというか、100%現実を生きていない感じの人です。

多分、もっと昔は、そういう人は少なかったと思います。

洗濯を洗濯板でやって、薪をたいてお風呂をわかしたり、ご飯を炊いたりしていた時代は、肉体をフルに使って、現実的な生き方をしなければやっていけなかっただろうから、意識の薄い虚ろな人は必然的に少なくなります。

でも、機械が人の代わりに働いてくれて、ネットやゲームなどの、バーチャルな世界が蔓延する世の中では、肉体は現実にあっても、ただそこにあるだけ、五感で地に足をつけて現実を感じることなく、意識だけがどこかに行ってしまう機会が、圧倒的に多いわけですね。

添加物が多く、冷凍や缶詰などで、生気が抜けたような食べ物、自然に沿っていない(季節を無視したような)、生命力が大幅に減った食べ物も、氣が抜けたような状態の人が増える一因だと思います。

虚ろな人は、生活力が少ないので(生活力旺盛の反対ですね)、仕事やお金もうまくまわりにくいし、望みが現実化しにくいです。見た目も、薄いというか、表情に乏しくて(生き生きしているの反対です)空っぽな印象を受けます。

中には、幼少期からとてもつらい人生を送ってきたゆえに、虚ろになった人もいます。意識が現実から逃げていなければ、とてもじゃないけど生きていけなかったために、無意識に現実から意識の焦点をずらすことが習慣になってしまっているんですね。それは自分が壊れないように守ってくれる手段(サバイバルスキル)でもあるのですが、長期的に使い続けると、利益より不利益のほうが大きくなります。現実を生きていないので、生き生きとした楽しみや喜びが感じらない、欝々とした人になりますし、集中力や記憶力も減るので、ひどい場合は仕事や生活に差し支えるようになります。

虚ろな意識状態を改善し、生命力をアップさせるやり方はいろいろあると思います。

例えば、食べ物だと、添加物が少ない、新鮮な季節のものを食べること。一つ一つのことを、ゆっくり、丁寧に、意識しながら行うこと。例えば、よく味わって食べたり飲んだりする。人とおしゃべりするときは、頭でほかのことを考えながらではなく、目の前の人にちゃんと意識を合わせ、耳を傾ける。ネコをなでるときは、柔らかい温かい感触を感じながら、心をこめてなでる。外を歩くときは、風の感触や空気の香り、鳥のさえずりや川の流れの音、空の雲や咲いている花の色、太陽の光から受ける感触を感じながら歩く。

丹田に力を入れたり、下半身を意識するだけでも、氣が下がってグラウンディングするので、意識ははっきりします。(氣が上がっていると、不安になりやすく、また、心が不安定になりやすいです。)古来からある武道はそういう心身のエネルギーの使い方をよく研究しているので、興味があれば、なにか習ってみるのもいいかもしれません。

どれも一度や二度試すだけでは焼け石に水で、日々、地道に変えていくことで効果が得られると思います。