コミュニケーションがうまくいかない人は、頭で考えてしゃべっていることが多いかもしれません。
例えば、「今日はいい天気だなあ」と、まず、心に感じて思ったとき、「今日はいい天気ですね」、と口にするのと、何か話をしないと気まずいし、天気の話でもしておこうか、と思って同じ言葉を口にするのとでは、違いがあります。前者は、心と言葉にギャップがないけれど、後者は、本当にそう感じたのではなく、頭で打算してしゃべっています。だから、心を伴っていない、形だけの言葉になってしまうわけです。
コミュニケーションは、意思伝達と訳せますが、本来、人がコミュニケーションをとるときは、言葉以前に、心で生まれた感覚的なものが先行して、それを言葉という形をつけて外に現わすという作業をするものです。
例えば、嫌です、という言葉を口にする前には、不快感が最初に心に生まれているはず。あれ、いいよね、という言葉を口にする前には、ぱっと明るい、高揚するような感覚がまず生まれているはずです。
心の感覚を純粋に言葉にして伝えると、言葉は一種のエネルギーを帯びるので、相手によく伝わり、相手にも影響を及ぼしやすいものです。
けれども、打算や下心があって、本当は思っていないのに言うと、それは中身のない形骸化された言葉に過ぎず、生き生きしたエネルギーを持ちません。
例えば、こういえば、相手によく思われるかな、嫌われないかな、とか、こういったらかっこよく聞こえるかな、とか。あるいは、なにも思いつかないけど、その場しのぎに何か言っておこうとか。そういうのが、打算や下心です。「うまく話そう」という思いもそうです。そうすると、かえってうまく話せないという逆説的な結果が生まれやすいです。
心を伴わない頭で考えた言葉は、生きたエネルギーを伴わないので、周囲にインパクトを与えず、与えたとしてもその場限りで、真の反響を生み出しません。(ロボットと会話するより、生の人間が会話するほうが、充実感を得られるのとも、同じような原理だと思います。)
だから、「よく思われるように、嫌われないように」という意図とは裏腹に、よく思われるという効果も持たないのです。効果があったとしても、一時的で、数秒後にはすぐに相手の意識から消えてしまいます。
加えて、自分の心に沿った言葉を表現しないということは、自分の心を尊ばないという行為になり、心にない言葉を言えばいうほど、自尊心は損なわれていくでしょう。自尊心が低いと、自分を好きだと思えなくなりますし、人にも好かれなくなっていきます。
では、心に思っていることを、なんでもかんでも口にするのがいいかというと、もちろんそうではありません。例えば、「あなたのこと、嫌い」と、本心をそのまま言葉にしたら誰かを傷つける場合、自分の心はそれを相手に伝えることを欲しているかというと、欲していないはずです。それをしたら、自分が嫌な気持ちになるはず。その気持ちを相手に伝達しないほうが、自分の心は安らぐはずです。それなら、言わないことが、自分の心を尊ぶことになりますね。
思考ではなく、心に従ったコミュニケーション、自分の心に嘘をつかないコミュニケーションを心がけていると、まず楽になるし、不思議と、人間関係も心地よいものになっていくので、心がけてみてください。