盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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2020年

年末年始のお休みについて

今年も1年、ありがとうございました。

12月30日から1月3日までの間は、完全休業させていただきます。

つきましては、カウンセリングのご予約等のお返事は、4日以降にさせていただきますので、ご了承のほど、お願いいたします。

また、1月の前半はスケジュールが込み合っておりまして、今日現在での最短のご予約可能日は14日(木)になります。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

皆さんにとって、来年が光り輝く1年になりますように。

よいお年をお迎えください。

頭じゃなくて心でしゃべる

コミュニケーションがうまくいかない人は、頭で考えてしゃべっていることが多いかもしれません。

例えば、「今日はいい天気だなあ」と、まず、心に感じて思ったとき、「今日はいい天気ですね」、と口にするのと、何か話をしないと気まずいし、天気の話でもしておこうか、と思って同じ言葉を口にするのとでは、違いがあります。前者は、心と言葉にギャップがないけれど、後者は、本当にそう感じたのではなく、頭で打算してしゃべっています。だから、心を伴っていない、形だけの言葉になってしまうわけです。

コミュニケーションは、意思伝達と訳せますが、本来、人がコミュニケーションをとるときは、言葉以前に、心で生まれた感覚的なものが先行して、それを言葉という形をつけて外に現わすという作業をするものです。

例えば、嫌です、という言葉を口にする前には、不快感が最初に心に生まれているはず。あれ、いいよね、という言葉を口にする前には、ぱっと明るい、高揚するような感覚がまず生まれているはずです。

心の感覚を純粋に言葉にして伝えると、言葉は一種のエネルギーを帯びるので、相手によく伝わり、相手にも影響を及ぼしやすいものです。

けれども、打算や下心があって、本当は思っていないのに言うと、それは中身のない形骸化された言葉に過ぎず、生き生きしたエネルギーを持ちません。

例えば、こういえば、相手によく思われるかな、嫌われないかな、とか、こういったらかっこよく聞こえるかな、とか。あるいは、なにも思いつかないけど、その場しのぎに何か言っておこうとか。そういうのが、打算や下心です。「うまく話そう」という思いもそうです。そうすると、かえってうまく話せないという逆説的な結果が生まれやすいです。

心を伴わない頭で考えた言葉は、生きたエネルギーを伴わないので、周囲にインパクトを与えず、与えたとしてもその場限りで、真の反響を生み出しません。(ロボットと会話するより、生の人間が会話するほうが、充実感を得られるのとも、同じような原理だと思います。)

だから、「よく思われるように、嫌われないように」という意図とは裏腹に、よく思われるという効果も持たないのです。効果があったとしても、一時的で、数秒後にはすぐに相手の意識から消えてしまいます。

加えて、自分の心に沿った言葉を表現しないということは、自分の心を尊ばないという行為になり、心にない言葉を言えばいうほど、自尊心は損なわれていくでしょう。自尊心が低いと、自分を好きだと思えなくなりますし、人にも好かれなくなっていきます。

では、心に思っていることを、なんでもかんでも口にするのがいいかというと、もちろんそうではありません。例えば、「あなたのこと、嫌い」と、本心をそのまま言葉にしたら誰かを傷つける場合、自分の心はそれを相手に伝えることを欲しているかというと、欲していないはずです。それをしたら、自分が嫌な気持ちになるはず。その気持ちを相手に伝達しないほうが、自分の心は安らぐはずです。それなら、言わないことが、自分の心を尊ぶことになりますね。

思考ではなく、心に従ったコミュニケーション、自分の心に嘘をつかないコミュニケーションを心がけていると、まず楽になるし、不思議と、人間関係も心地よいものになっていくので、心がけてみてください。

1日の意図を設定する

現代社会では、多くの人があわただしい日々を送っています。そんな中、1日をただ流されて過ごすと、つい、感情的にもコントロールがきかず、色々なできごとがあるたびに翻弄されて、心が上下しやすくなりますね。

感情にコントロールされるのではなく、感情をコントロールしたいものです。

その助けになる1つのやり方として、朝、起きたとき、その日をどう過ごすかを、意識的に決めることをお勧めします。

例えば、

「今日1日は、心穏やかに保とう」

「人に対して、優しく、忍耐強く接しよう」

「物事のいい面を見るようにしよう」

「勇気をもって、怖いものから逃げないようにしよう」

など。

ほんの一瞬でもいいので、1日の始まりに、こういう風に過ごそうと心に思うだけで、本当にそうなりやすくなります。この時、ただ、漠然と思うというより、それを心に刻みつけるのがポイントです。できれば、1分、いや、30秒でもいいので、静かに座って集中するといいでしょう。潜在意識に浸透しやすくなります。

もちろん、これをしたからといって、1日中、完全に心を穏やかに保てたり、人に優しくなれたりはしないかもしれません。ところどころ、心が乱れたり、苛立ったりすることがあるのは、当たり前です。それでもいいのです。完ぺきである必要はなく、完ぺきを目指さないことは、心が健全であるためのとても秘訣です。

ただ、完ぺきにできなかったとしても、なんとなく1日を始めるよりは、こうなりたいという意図を設定するだけで、自分自身が手綱を握って自分の心や態度の方向性をコントロールしやすくなります。

たとえ、突発的な出来事があったとしても、それに対して、自分がどう反応するか、能動的に自分を定めることで、よりよい1日にすることができるようになるでしょう。

誰かや何かのせいでは不幸にはならない

私たちは、何か出来事があったから、不幸になることはありません。

よく、出来事のあと、何年も何十年もひきずって、その後の人生が狂ってしまったと思っている人がいますが、

「あの時、あの人に裏切られたから」「騙されたから」「いじめられたから」

幸せになれないのではなく、正確には、「あの人に裏切られた」「騙された」「いじめられた」時の感情をひきずっているから幸せだと感じられないだけなのです。

なぜひきずっているかというと、「あの人のせいでこうなった」 と、相手を責める思考を反復することで、被害者意識を形成してしまっているから。

あるいは、「あのことさえなければ、自分は今、もっと幸せなのに」「なんで自分がこんな目に合わなきゃいけないんだ」「私を傷つけた相手は、のほほんと暮らしているのに、なんで自分はみじめなままなのだ。なんて理不尽だ」等、起こった出来事を受容せず、現実に抵抗しつづけている、または、他者と比較してみじめさを覚えているから。

これらはいずれも、過去の辛い出来事から抜け出せなくなり、人生を地獄のまま持続させる考え方です。

感情面でいうと、出来事によって生じた怒りや悲しみ、失望、恥などの感情にふたをしたり、感じないようにほかのことで紛らわせたりし続けると、その感情は持続して悪化します。

これらのことをしなければ、どんな出来事が起きようが、それに付随する感情や思考はやがて消えていき、痛みは癒えて、過去のものになっていきます。

人の現実は、出来事そのものよりも、「出来事に対して、自分がどう反応するか」によって作られていきます。反応の仕方は、その人によって違います。

出来事そのものはニュートラルなのです。

同じようにつらい出来事が起こっても、それを乗り越えて幸せになる人と、いつまでもそこでひっかかったまま、否定的な思考を繰り返し刻み付け、同じ感情を持ち続けて悪化し、結果、みじめな時間を長くもってしまう人がいるのは、出来事をどう捉えて消化していくかが、人によって異なるから。

そういう意味で、誰かや、なにかによって自分が不幸になることはないといえます。(かといって、他人を責め続けるのと同様、自分を責め続けるのも不毛です。どこにベクトルが向いていようが、責めるというエネルギーを出しているのは同じであり、そこには委縮と行き詰まりこそあれ、発展はありません。)

自分を含め、誰かのせい、何かのせいにするのをやめれば、辛い出来事のところで足踏みをしている状態に進展が生まれます。そうすれば経験した痛みは、無駄な痛みではなく、成長の糧へと昇華し、人生は必ずよりよく変わっていきます。

怒りの対処法の奥義

アンガーマネジメントの具体的な方法は、色々いわれていますよね。

10秒数えるとか、その場を離れるとか、深呼吸するとか、そういう方法も一時的に怒りからくる衝動的な反応を回避するためには有効だと思います。

でも、そのやり方では、一時しのぎにしかならず、怒りが戻ってくる可能性があります。

本質的に怒りを鎮めるために有効なのは、怒りを引き起こした(と自分が思っている=本当は相手が引き起こしたのではなく、自分自身が怒りで反応しただけ)相手ではなく、自分の心の中に生じた怒りに目を向けること。

私たちがやりがちなのは、相手を物理的または心理的に追いかけ、相手を責めたり、悪口や不平不満を並べたりして、いかに相手が悪いか、間違っているかに焦点を当てることです。

でも、それは怒りを増して、悪化させる方法にほかならないんですよね。これを続けると、被害者意識が根付き、怒りが恨みに変わり、下手をすると、何年も何十年も、過ぎた出来事に付着した自分の感情にさいなまれ、苦しまねばならなくなる場合もあります。

本当は、相手を追うのをやめ、自分の心の中に入っていき、自分の怒りを認識するいこと。さらには、怒りの後ろに隠れている痛みを見てあげることが大切なのです。

「ああ、自分は腹が立っているんだな。傷ついたんだな。心が悲鳴をあげて、思わず相手を攻撃しようとしている。無理もないな。すごく嫌な体験をしたな。」

といった具合に、自分の心の状態を感じ取り、理解してあげる。

ただそれだけで、怒りはものの数分、いや、数十秒で、さっきよりも落ち着いて、気持ちがおだやかになります。

自分の感情に気づいて、しばらくの間、ただ感じてあげると、その感情は消えていくようにできています。(その際、その感情をいい悪い、正しい間違っているで判断しないこと、無理に変えようとしないことがポイント)。

怒りだけではなく、すべての感情は、気づいて観てあげると消えていきます。

怒りを感じたときは、外側ではなく、内側に意識を向けること。

これが、アンガーマネージメントの奥義です。

生命力を半減させるもの

感情を抑圧すると、例えていうなら、自分というエネルギーシステムに、電流が半分しか流れないみたいになります。

生命力が半減するといったいメージ(厳密によると、少し減るのか、半分減るのか、半分以上減るのかは、その人の状態によります)。

そうなると、フルに生きていないということになります。

生き生き物事を感じられないだろうし、気持ちも鈍くなるし、体も重くなる。

かつ、抑圧という不自然なことをしつづけるのには、潜在的にものすごく力を使うので、しんどいし、疲れる。

慢性的に疲れやすくなるでしょう。

本当は、気持ちは外に出ていきたいもの。

感じることを許せば、解き放たれる。

無理に止めてしまわなければ、電流のように心と体を駆け巡り、伝達したいことを伝えた後に、感情は出ていき、消滅してしまいます。

そうなると、私たちは再び、楽に、軽くなり、生命力はフルに回転しつづけるものです。

ポジティブサイコロジー

人間の脳は、太古の昔から、ポジティブなことよりネガティブなことをより多く捉え、長く記憶するようにできています。これは、人間がまだ原始的な生活を送ってきた頃、危険を察知し、記憶に刻み、未来の危険から身を守るよう学習することが役に立っていたからなのです。

けれども、昔のように生存を脅かされるような危険が少ない現代では、ネガティブなことにばかりフォーカスする脳は、必要がないばかりか、不幸せな精神状態を作り出し、鬱や不安の温床にもなりかねません。

ネガティブなことを多く考える脳の状態を変えるには、ポジティブなことにも焦点を当てるよう、意識的な訓練が必要である、という概念に基づいて作られたのが、ポシティブサイコロジーという療法です。

今日は、ポジティブサイコロジーの中でも、比較的よく知られているエクササイズを1つご紹介しましょう。

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エクササイズ:「3つのいいできごと」日記

少なくとも2週間の間、毎晩、寝る前に、その日に起こったよかったことを思い浮かべて、3つ書き出してください。

どういう風にそれが起こったのかをよく思い出してください。また、どうしてそれが起こったか、その出来事に自分がどう貢献したかも考えてください。同僚が缶コーヒーをおごってくれた、友達が久しぶりに連絡をくれた、車で運転中、誰かが道を譲ってくれた、誰かの親切を目撃したなど。大きなできごとでも、ささいなできごとでも結構です。

例)今日起こったいいこと

できごと(1):

今日は仕事に集中して頑張れた。特にミスもなく、1日の終わりには快い疲れと達成感を得られた。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

昨夜、スマホをだらだら見ないで早く寝たおかげで、頭がすっきりして集中力を保てた。

できごと(2):

夕飯に、自分の好きな生姜焼きとアボガドのサラダが出て、おいしく食べた。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

前回、生姜焼きやアボガドのサラダが出た時、奥さんに、「これ、おいしい。ありがとう。」「また食べたい。」と、好きだという意思表示と感謝の気持ちを伝えた。

できごと(3):

 今日は天気がよくて、空がきれいだった。

どうしてそれが起こったか・自分がどう貢献したか:

心配なごとにふけるのをやめて、天気に気づき、空を見る時間を持った。


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そのできごとがなぜ起こったか、それにに自分がどう貢献したかを考えることは、そのできごとの要因をはっきりさせ、よいことは自分の力で起こすことができる、人生を自分でコントロールし、幸せな現実を作っていけるという認識を促し、そのような行動の動機づけになります。

そのできごとを思い起こして、自分の幸運や目にした親切を、じっくり味わってください。その時の感情を思い起こし、感覚に刻むことで、セロトニン(気分の落ち着きに関係する)やドーパミン(幸福感に関係する)が増えるなどのよい変化が脳内の神経物質に起こり、また、ポジティブ思考が起こりやすくなるよう、脳内の神経回路(正確には、脳神経をつなぐ神経節細胞)がつながっていきます。これを繰り返すことで、ポジティブ思考になりやすい脳に変化していきます。



参考文献:

Knnedy, A: Positive Psychology: Exercises for building happiness-Part 1. Retrieved from https://www.alustforlife.com/tools/mental-health-positive-psychology-excercises-for-happiness-part-1

19 Positive psychology Exercises To Do With Clients or Studentshttps:// positivepsychology.com/positive-psychology-exercises/


自分を愛すると、どうなるか

多くの人は、自己愛の欠如によって、色々な問題を作り出しています。

自分がイヤ、好きになれない、という人は、結構多いです。

ありのままの自分ではダメだと思っているので、「できる人の仮面」、「強い人の仮面」、「弱くて無力な人の仮面」、「自己犠牲的に世話をする人の仮面」など、無意識に色々な仮面をかぶって身を守ろうとしています。

その仮面があれば、批判されたり攻撃されたりしないで済む、誰かが手を差し伸べてくれる、自分は価値あるものとして存在していていいなど、心の奥深いところにニーズがあるわけですが、仮面をかぶり続けるということは、やはり本当の自分として生きていないことであり、疲れるものです。演じている自分を基盤に対人関係が構築されるので、疲れるだけで、かえって、心からの喜びとはかけ離れた現実が引き寄せられるでしょう。

では、どうやって自分を好きになったらいいのでしょうか。そもそも、自分を愛するって、どういうことでしょうか。

健全な自己愛を持っているということは、自分がいい、好き、優れていると、積極的に感じる状態とは違います。それではただのナルシストであり、自我が強く、不安定な自己になります。

健全な自己愛とは、自分自身を無条件に愛するということであり、無条件の愛とは、失敗しようが成功しようが、立派な行いをしようがしまいが、醜いことを考えようが考えまいが、何ができてもできなくても、あらゆる欠点を含めて、どんな自分でも大きな懐で受け入れるということです。ありのままの自分をまるごと受け入れるということです。

慈悲深い神様や仏様の視点では、悪人はきらい、善人は好きというのはないでしょう。神様や仏様なら、どんな人であろうと、苦しんでほしくないし、幸せになってほしい、退歩すれば悲しいし、成長すればうれしい、というスタンスだと思います。そういう目線で自分を見て、自分のすべてを受け入れるということです。

そういう風に自分をとらえることができた場合、何が起こるかというと、自我が消滅していくんですね。他者に対して仮面をかぶって、自分じゃない自分を演じなくてもよくなり、人目が気にならなくなります。だって、どんなふうに思われても、自分の価値、重要度は変らないと感じるので、気にする必要がなくなりますから。自分を丸ごと受け入れてあげると、深いところで、自分自身が心からホッとして安心するんですよね。そして心が安定していきます。

仮面をかぶらなくてよいということは、自分の本心とズレがない、嘘偽りのない言動をするようになることにつながり、結果として疲れにくくなります。自分をよく見せようとして、自己防衛の為に、自分の本質とズレた言動を常日頃からしていると、余計なエネルギーを消耗するので疲れるわけです。かつ、自分の本質とズレると、必ずどこかで虚しさを覚えるはずで、スッキリしない不快な気分を味わう羽目になります。

自分が本心に従って正直に生きるようになると、他の誰かとか、社会など、外のものが基準ではなくなります。そうなると、自然にふるまえるようになるので、「自分」を意識しなくなるんですね。自分以外の誰かや何かが基準になっている場合、その基準から見た自分という対比が起こるので、「自分」対「人」、「自分」対「社会」という意識状態になり、自意識が芽生えるわけです。それがなくなっていくということです。

それなので、健全な自己愛を持つと、自我(エゴ)がなくなり、余計なエネルギーの消耗がなくなって、自然体の人になっていきます。雑念や葛藤も少なくなっていくはずです。「大勢の人が違う意見でも構わない。自分としてはこう思う。」「自分がしたいからこれをする。」と自然に思えるようになります。自分という概念(自意識)が少なくなっていくというのは、一見、相反するようですが、つまるところ、「自分が、自分が」と周囲にアピールしたり、「自分なんか」と卑屈になったりすることがなくなっていくということです。

マザーテレサとか、宮澤賢治とか、シュバイツァーとか、ナイチンゲールなど、高尚な人格を持つに至った人は、健全な自己愛があり、自我意識が少ない状態にあります。ほめられてもけなされても気にしない、他者や外界に振り回ない人たちですね。こういう状態にあると、自分の希望通りに、この世界で自己実現できるようになっていくのだと思います。

即席自信アップ法

自信を増やすための、簡易的で即効性のあるやり方をご紹介します。

それは、丹田(おへその下)を意識し、ここに力を入れること。

そうすると、自然に姿勢がよくなり、体が安定します。

姿勢がよくなると、体を流れているエネルギーの通りもよくなります。

自信にあふれている人で、しおれた野菜みたいに前かがみになってうなだれる人はいないと思います。

自信があって堂々としている人は、姿勢よく、胸を張ります。

丹田を意識して力をいれると、自信があって堂々としている人の身体のポジションになるわけです。

こうして、形から入ることで、気持ちも変化させることも可能です。

インドには、ムードラといって、指でいろいろな形をつくることで、心身のエネルギーを変えるやり方が伝わっています。仏様の手印ですね。

普段から自分を信じて、前向きでいるためには、その人が標準にしている意識状態を変えていく必要であり、もちろん、それは、一時、姿勢を変えるだけで達成できるものではありません。

けれども、丹田に力を入れるだけで、例え一時であっても、瞬間的に気が下がって、エネルギー強化されます(気が上がっているときは、不安になりやすいく、気が下にあるほうが、重心が下がり、安定します)。それに従い、不安な状態から、落ち着いた強い状態に心身が変化するのを、多くの人は、多少なりとも実感できると思います。

歩くときも、(最初のうちだけでも。ずっとでは疲れるでしょうから)丹田を意識しながら歩くと、視点が以前よりポジティブになり、世界が変わって見えると思います。よかったら試してみてください。

内側にあるエネルギーの源泉

先日カウンセリングしたクライアントさんの話です。

個人情報になるので詳細は書きませんが、この方はとてもまじめな方で、何をするにも、間違ってはいけない、こうあらねばならないと厳格に自分を律して生きてこられました。

そうなると、人は、できないことにフォーカスしがちになるので、自分はダメだ、という強い自己否定感や自責感、なんでほかの人みたいにうまくできないんだろうという劣等感を強く持ってしまいがちになります。

この類の人は結構多いのですが、カウンセリングをしていてこういうクライアントさんたちを前にすると、私の脳裏には、がんじがらめに縛り付けられて、本来の自己が萎縮し、息ができないような苦しくて窮屈な状態のイメージが浮かびます。がんじがらめに縛り付けているのはほかならぬ自分自身なので、それを緩めてあげればいいのになあと思います。

この類の人たちは、押しなべて呼吸が浅く、不安を抱きがちです。常に体を固くして呼吸も酸欠状態なので、血流が滞り、頭痛や肩こりに悩まされる人も多いです。

先日のクライアントさんもその通りで、体にあちこち痛みを抱え、体調がすぐれないことが常でした。

ところがある日、この方は、本人曰く「不思議な体験」をしました。

ずっとあれこれ心配しては将来を憂い、自分はダメだと思って毎日を過ごしていたこの方は、体調が悪くて寝込んだ数日間、思い切って情報断捨離をしたのだそうです。不安に駆られて情報をどんどん追求し、怒涛の情報に翻弄されてさらに不安になるという行為をやめるために、あえてやってみたのだそうです。

そうすると、今まで何年も忘れていた、昔好きだったジャンルの本と再会し、夢中になってそれを寝床で読んだのだそうです。そうすると、ワーッと湧き上がるように歓喜があふれ、体は辛いが心が満たされ、幸せを感じるという体験をしたといいます。

いったんそうなると、昔大好きだった音楽がラジオから流れてきて、懐かしさに舞い上がったり、子供の頃絵を描くのが大すきで、夢中で描いていたことなどを思い出したりして、心地いい体験の連鎖が起こったそうです。

結果として、いままで面倒だと感じてやる気にならなかった家の片付けなどにも、手をつけられるようになったのだそうです。

このクライアントさんは、こうあらねばならぬ、そうでなければお前はダメだ、という、いわば「既存の基準ではかられた正しさを自らに強制する意識」が非常に強かったために、自分はこれが好き、これがうれしい、これが楽しいという、自発的な心地よい喜びをシャットアウトして生きてこられました。

自分の自然な心に反して無理強いすると、心は苦しくなり、連動して体も苦しくなります。エネルギーも枯渇します。少ないエネルギーでしようとすると、力を振り絞らなければならなくなり、とても疲れます。動くのが面倒になりますよね。なので、外から強いられた「こうあるべき、あらねばなぬ」で生きていると、最終的には気力不足で、本当にやったほうがいいことでも億劫に感じたり、やる気が起こらなくなって、できなくなります。

一方で、ただ無条件に好き!楽しい!と思える何かは、心を潤わせ、掘り当てた泉のように内面からエネルギーで満たします。そうなると、気力が充実し、心に張りができるので、やる気が起こるし、免疫もあがって体も元気になります。そうなると、同じことでもさほど疲れを感じず、さくさくできるようになります。より活動的になれるというわけです。

やりたいことばかりやっていて、義務を怠るのはよくないでしょうが、義務ばかりでやりたいことを禁じていると、人の創造性(なにかを新しいことを作り出す力)は枯渇します。

画家や作曲家などのアーティストや、作家などが、売れることを目指し、損得を考えて作品を作るときは、外の基準で自分を強いているのと同じことが起ります。自分の内面の喜びの源泉にアクセスしていないので、純粋な創造性が発揮されません。人工的、作為的になってしまうために、売れたとしても、すぐ飽きられてしまい、心を打って長く後世に残るような作品にはなりません。

無条件にこうしたい、これが好きで夢中になれる、という、子供が感じるような純粋な喜びは、自分の中にお金で買いがたい、豊かで美しいエネルギーをたくさん生み出すものです。ストイックに禁じないで、大切にしてあげるといいと思います。