盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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2014年

恐怖を克服する方法

恐怖症や、PTSD、強迫観念症などの、不安障害の症状を克服する方法の1つとして、露出療法(exposure therapy)があります。

これは、簡単にいうと、恐れを抱いている対象に、少しずつ接することで、慣れていくというものです。

イメージの中で接する場合もあれば、実際にそのものを見たり、その場所に行ったりするやり方もあります。その際、怖いものにただ接するだけではなく、恐怖心を和らげ、心を強くするようなスキルを学んで用いながら行うほうが、効果が高まります。

暴露療法の詳細は専門的な話になるのでこれ以上はここでは書きませんが、この療法の論理の要になっているのは、要するに、「慣れれば、怖くなくなる。」ということ。裏を返せば、これは、怖いものは、逃げたり避けたりすれば、ますます怖くなる、という人の心理があります。

例えば、もしあなたが、クモが嫌いだとします。そして、部屋の中にいる1匹のクモと、いやでも同居しなければならないとします。

もしクモを怖がって、何があってもみないようにして、避けて暮らしたとすると、あなたはそのために常にびくびくして、膨大な精神エネルギーを使い、大変なストレスにさらされることになります。

さらに、見ないようにすればするほど、避ければ避けるほど、あなたの心の中で、クモは実物以上に大きくなり、強大な恐ろしい化け物と化すでしょう。

避ければ、恐怖は自分の中で増大する。言い方を変えれば、逃げることにより、恐怖の対象に、自分を力を与え、より強力にしてしまうということです。これは、PTSDの症状に苦しむ人によく見られることです。

反対に、あなたが逃げることをやめて腹をくくり、毎日少しずつ、クモを眺める訓練をするとしましょう。

最初は怖くて仕方なかったクモでも、毎日30秒ずつ見るようにすれば、おそらく一週間もすれば、耐えがたかった30秒が少し忍びやすくなるでしょう。次の一週間は、毎日、1分ずつ。こうやって、少しずつ時間を延ばしていけば、恐怖は少しずつ和らぎ、だんだん平気になっていく。

少なくとも、避けないで直視することによって、クモは実物大のままであり、頭の中で膨れ上がって化け物になることはないでしょう。

以前、私がアメリカで担当していたクライアントさんに、大変過酷な少女時代を送った人がいました。

彼女は当時50代でしたが、子供のころ、叔母夫婦のもとに里親に出され、そこで数年間にわたり、精神的・性的・身体的虐待を受けて育ちました。毎日、メイド代わりにこき使われ、叔父には日常的にレイプされ、言うことを聞かなければ激しい暴力を受ける、という救いのない日々を送りました。彼女の額には、今でも、テーブルに頭を叩きつけられたときの傷が残っています。

そのうちに叔父が亡くなり、彼女はその家を出て、まだ10代半ばにならないうちに、一人で生活するようになりました。

その後しばらくして未婚の母となり、何人かの子供をもうけた彼女は、PTSDと重度の鬱に苦しむようになり、アルコールに溺れるようになりました。長年、薬物療法と心理療法の治療を受け続けましたがよくならず、私が会ったときは5回目の自殺未遂の直後でした。

彼女は、毎日のように性的虐待を加えた叔父を、いまだに憎み、もうとっくに亡くなっているのにも関わらず、今なお彼を恐れていました。

彼女はその時、フラッシュバックや悪夢というPTSD特有の症状に悩まされていたので、私はPTSDが起こる原因を説明して、加害者の男から逃げるのをやめるように言いました。彼はもうこの世にはおらず、何の危害も及ぼすことはできないのだから、怖がる必要はないいことを伝え、彼のイメージが頭に浮かんだら、今まで言えなかった言いたいことをなんでも、思い切って、面と向かって言ってやるよう、提案してみました。

そうして数回のセッションを重ねた後、彼女は夢を見ました。

夢の中で、彼女は加害者の叔父に追いかけられ、必死で逃げていました。叔父が追いついて、足をつかもうとしたその時、彼女は夢の中で、ピストルを手にして、彼を撃ち殺したのだそうです。

「あいつをこの手でやっつけた!」

と私に報告する彼女の顔は、自信にあふれて輝いていました。

以来、不思議なことに、彼女はフラッシュバックにも悪夢にも悩まされなくなり、PTSDの症状はぱったりと消えてなくなりました。うつもすっかり回復して、自殺願望は全くなくなり、子供たちを守り育てる、とても強い女性になりました。

もちろん、ケース・バイ・ケースで、すべてのケースがこのように劇的に変化するとは限りません。

それでも、彼女の例は、逃げるのをやめて対峙すれば、恐怖を克服することが可能であるということ、そして、どんなに壮絶な過去を経験したとしても、それを乗り越える強さを人は持っているということ、この2つを、私たちに確かに教えてくれていると思います。

 

 

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欲求や不安に執着しない

自分の欲求や不安に

すべてのエネルギーを投入し執着しても

ただストレスと消耗を生み出すだけだ

我執を緩めれば

内なる智慧の扉を開くことができる

(「心の治癒力-チベット仏教の叡智」トゥルクンドゥップ著 永沢哲訳 地湧社)

 

これは、チベット仏教のお坊さんの言葉ですが、とても大事な真実を含んでいると思います。個人的には、この言葉を心で感じると、気持ちが楽で自由に、かつ、穏やかになります。

何か一つのことに執着し続けるのは、それが例えポジティブなことであっても、心にとっては健全ではありません。

すべてのものは変化し続けるのが自然の姿であり、その流れに逆らって、1つのことに固執続けると、感情エネルギーも滞り、色々なことがうまくいかなくなってしまいます。

例えば、何かを成し遂げた喜びであっても、いつまでもこだわりつづけたら、過去の栄光にしがみつく人になってしまい、周囲から置き去りにされてしまいます。

また、不安なあまり、一つのことが気になって、それしか考えられなくなる状態も、一種の執着です。こうなると、視野が狭くなり、自分をよい方向に導いてくれる智恵がでてきにくくなります。

比ゆ的に言うならば、不安という黒い雲が心を覆い隠し、遮ってしまうので、外から入ってくる光が届かなくなっている状態。つまり、感とかインスピレーションが入ってきにくく、健全な判断力も鈍ってしまっている状態です。

そして、誰もが感じるように、不安や怒りの対象に執着すると、とてもエネルギーを消耗させられます。

体のエネルギーと心のエネルギーにバランスも乱れるので、体は疲れているのに、目がさえて眠れなくなったりもします。

肝心なのは、そういった状態を作り出して、自分自身を苦しめているのは、他でもない自分自身だということ。

自分からしがみつくことをやめて、手放せば、楽になれる。

わかっていても、実際には言うは易し、行うは難し、ですよね。お坊さんが修業の内容にするくらいのことだから、誰でもそれを実行するのが難しいと思う場合はあるのだと思います。

だけど、欲求や不安から、しばらくの間だけでも心を離すことができれば、そこに必要な空間(スペース)が入って、心が穏やかな時にのみアクセスできる自分の内側にある叡智の声が 、聞こえてくるものだと思います。

 

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ネコの里親募集 in 岩手

知人が、ネコの里親を募集しています。 

岩手沿岸部の保健所で、危うく処分されるところを保護された、母親ネコとその子供たちです。ずっと里親を募集していますが、もうかれこれ1年たってしまいました。 

母ネコ・りんちゃん、娘ネコ・タビーちゃんとハートちゃんです。 

家族として迎えてくださる、心優しい方を探しています。 

お問い合わせはチラシ内の連絡先まで。 

知人のブログのリンクも貼っておきます。→

 

楽に生きる方法

楽に生きるためには、闘うことをやめればいいのだと思います。

今の世の中、無駄に何かと闘っている人が、とても多いと思います。

時間とか、ノルマとか、成績や業績を上げようと必死になる、自分をよく見せようと奮闘する、少なくとも今はまだ変えられない状況を、なんとか変えようともがく、等。

今の「文明社会」では、競争を奨励し、人を打ち負かして自分が抜きんでることを良しとしています。社会全体のシステムや風潮がそうなっており、その概念は子供のころから植えつけられます。

このやり方で、確かに物質的には豊かな社会が、ある程度は実現するかもしれません。けれどもその反面、常になにかと闘うよう追い立てられているので、ストレスは甚大で、気持ちにゆとりがなくなり、殺伐とした世の中になるのは、見ての通りでしょう。

また、人と比較して優劣を決める思考が定着するので、人と人とのつながりが希薄になって分離してしまうことになります。人の心が互いに分離すると、方向性がバラバラになるため、例えば社会全体に益するような取決めを決議しようとしても、なかなかまとまらず、進化しにくい世界になってしまいます。

勝ち負けの裏には、負けて悔しいとかみじめな思いをしている人が必ずいます。

やはり、誰かの否定的な思いとか不幸の上に成り立つ成功というのは長続きせず、究極的には本当の幸せをもたらしてはくれないのだと思います。

その闘いは本当に自分にとって意味があるか。自分を益しているか。本当にその闘いをしたいか。

これを心に聞いてみて、答えがノーだったら、肩の力を抜いて、思い切って闘うことをやめ、ありのままの自然な自分に戻ってみる。

これができれば、気持ちが自由になり、もっと楽に生きられるようになると思います。

 

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春の癒しを取り入れる

春は、自然の癒やしのエネルギーが増す季節だと思います。

春には、新芽が吹いて、花が咲き、草木がどんどん伸びます。つまり、生命力が活性化され、力強く躍動しているということ。

目には見えなかもしれないけれど、活性化された生命エネルギーを感じることは、誰でもできるのではないでしょうか。

私たちが、花が咲き乱れて草木が芽吹いている場所にいると、気分がリフレッシュするとか、元気をもらえるとか感じるのは、この自然界の生命エネルギーを取り入れて、エネルギー補給をしているからなのだと思います。

気持ちが落ち込んでいたり、なんとなく元気が出ない時、この春の自然界のきれいで力強い生命エネルギーを意識的に取りこむことは、心身のエネルギーを活性化させる、とても効果的な方法だと思います。

具体的には、天気がいい時に、自然がたくさんあるところにいって、息を吸うとき、吸気とともに、植物のパワーが体の中に入って、体の隅々まで行きわたるのを、イメージすること。イメージをしながら意識して取りいれることにより、自分のエネルギーを高める効果が格段にアップします。

美しいものを見るとき、私たちの生命エネルギーは強化されます。

なので、きれいな花とか、光り輝く空など、美しいと思えるものを見たときも、同様に、その美しさを自分の中に吸い込むイメージをすることをお勧めします。

ただし、落ち込みや不安感、怒りなどがあまりに強いときは、自分のエネルギー回路がまわりから遮断されていしまう状態になりがちで、周りのいいエネルギーが入ってきにくくなります。

なので、美しいものを見ても、美しいと感じにくくなったりするんですね。

こういう時は、やはり、原因となっている感情をまず自分の中から出してきれいにするという作業が、先に必要になってくると思います。すでに何かがたまっていっぱいになっている入れ物に、新しくものを入れようとしても、先にスペースを作らないと入っていかないのと同じです。

体や心が元気になるために、いいもの、必要なものを取り入れて、悪いもの、いらなくなったものは、出すというのが、心身のエネルギーのバランスを取り、いい状態に保つための、基本です。

落ち込みや不安や怒りなどが、深いところに根差している場合は、解消するためにそれなりのワークを必要としますが、もし軽くて浅い場合は、吐き出す息とともに、それが自分の中から出て行ってしまうところを想像するだけでも、効果がある場合があります。

その際、その感情に色をつけて、それが煙になって出ていくのをイメージしてもいいと思います。

色々工夫をして、ぜひ、春にしか得られない、この特別の癒やしのパワーを活用してみてください。

 

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祈りと心配の源泉

アメリカにいたころのあるクライアントさんの話です。

彼女はまだ20歳そこそこでしたが、お母さんのことをひどく心配して、不安にさいなまれていました。

心配になるのも無理はなく、彼女のお母さんは、重度の麻薬依存症で、もう心身ともにボロボロ、最後に見かけたときには、見る影もなくやつれ果てていたのだそうです。

最後に見かけたとき、と書いたのは、彼女はお母さんにもう何年も会っていなかったからです。虐待とネグレクトを繰り返した母親から引き離され、里親に出されたこのクライアントさんは、その後の母親の消息すら知りませんでした。

彼女は、自分を辛い目に合わせた母親に対して、複雑な感情を抱いてはいましたが、恨んではおらず、やはり心の奥では愛しており、とても心配していました。

彼女の心配は、心に重くのしかかり、彼女の鬱の症状を悪化させていたので、なんとかする必要がありました。なんとかするといっても、実際、不安を取り除くために、今、どこにいるかもわからない母親に対して、彼女が直接できることは何もありません。

なので私は、不安という負の感情エネルギーを、祈りというポジティブなエネルギーに変えてみたらどうか、と彼女に提案しました。

不安というのは、「こうなったらどうしよう」という想念。「お母さんが麻薬で身を滅ぼしていたらどうしよう」という思いは、気持ちをかき乱して重くするだけで、建設的な働きはしません。でも、彼女の不安な思いは、もとはといえば母親への愛情から発生しているものなので、前向きなエネルギーに転換することが可能なのです。そのためには、これをこうなってほしいという願い・祈り・アファメーションの形に変えてあげること。

「お母さんが大変なことになっていたらどうしよう」と思うより、「お母さんが大丈夫でありますように」「お母さんが麻薬依存を乗り越えて、強く生きられますように」と思ったほうがずっと建設的です。そうすることにおり、心を蝕んで侵食するような想念が、希望とか守護の想念に、質が変わるので。

実際、彼女はこの提案をすぐに受け入れ、さっそく数分間、どこにいるかもわからない母親のために、集中して祈りました。目を開けたとき、彼女の顔は数分前よりずっと明るくなっていました。

「今の、お母さんに伝わったと思う。」

という彼女の表情から、不安の影はもう消えていました。

私自身は、何の宗教にも属していませんが、自分のため、誰かのために、強く願ったり祈ったことは、見えないレベルでそれなりの影響を及ぼすと考えています。

でも、それが実際そうかどうかは置いておいて、心理的にみても、同じ愛情という源泉から出たものであるなら、心配よりは祈りの形にして表現したほうが、心にとっていいということは、確かだと思います。

 

 

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パーソナリティ障害(人格障害)の治療について

パーソナリティ障害(人格障害)は10種類ほどあり、精神疾患の中では治療が難しいとされています。

その大きな理由としては、本人に自覚がない、もしくは治したいという動機に乏しいということがあげられます。

パーソナリティ障害は、どちらかというと、本人よりも周りの人が違和感を感じて、なんとかしてほしいと思うケースの方が多いです。

人は自分が変わりたいと思わない限り変われないものなので、基本的に心理療法は、クライアント本人が治したい、変えたいと思わない限り、適用が難しいものです。加えて、周りの人がこうしてほしいと思う症状を、心理療法を使って本人の了承なく無理に変えさせようとするのは、人を操作することになり、倫理に反する場合もあります。

治療が難しいケースのわかりやすい例が、犯罪者に多い、反社会性パーソナリティ障害です。平気で法律を破ったり人をだましたりする、衝動的で攻撃的である、などの行動的な特徴が診断基準にあげられますが、本人は罪の意識に乏しいので、自分から心理療法を受けて治療したいということは、まずありません。なので、反社会性パーソナリティの人がサイコセラピーを受ける場合は、たいてい、何かやって捕まってから、弁護士とか保護観察官、裁判官の命令で連れてこられることになります。

けれども、刑を免れるためという便宜上の理由で、表面的におとなしくセラピーを受けて、改心したふりをしても、心の底から本人が変わりたいと思わないのであれば、本質的には何も変わらず、症状はそのままでしょう。

例外なのは、境界線パーソナリティ障害で、この精神疾患の症状は本人がとても苦しいので、自発的に心理療法の治療に来られる方は多いです。そして、自殺未遂や自傷行為を繰り返し、命の危険に及ぶ場合もあるので、心理療法による治療研究もよくされています。

実際、境界線パーソナリティ障害の治療法としては、DBT(Dialectical Behavioral Thearpy=弁証法的行動療法)という、効果的な療法が開発されており、私も主にグループセラピーで使っていましたが、時間と労力を惜しまなければ、境界線パーソナリティだけではなく、双極性障害やPTSDにも効果が期待できる、優れた療法だと実感しました。

それでは、境界線以外のパーソナリティ障害の人は、セラピーの施しようがないのかというと、そんなことはありません。

私がいたアメリカの職場は、基本的にどんな症状の人であっても絶対に必ず断らず受け入れる入れる、というスタンスで、かつ、アメリカは重症の精神疾患の患者でも、精神病院ではなく、コミュニティのメンタルヘルスで治療するシステムになっていたので、色々なパーソナリティ障害の人がたくさんいました。

パーソナリティ障害と診断されるクライアントさんは、ほとんどの場合、それだけではなくて、うつ、PTSD、双極性障害の、感情障害や不安障害等、複数の診断名を同時に持っています。なので、辛いとか、困っているという本人の自覚症状のある疾患をターゲットにして、セラピーを行うわけです。

これは個人的な意見ですが、パーソナリティ障害と、並行して発症している他の精神疾患とでは、おおもとになっている原因が同じ場合が少なくなく、他の精神疾患が深いところからよくなれば、パーソナリティ障害の症状も緩和することがあるように思います。

例えば、境界線パーソナリティは「認めてもらえなかった」という幼少時の不承認の体験が根底にある場合が多いといわれています。そのトラウマを癒やしていくにつれ、不安やうつの症状とともに、パーソナリティ障害の症状も収まっていくことは実際あると思います。

自己愛性パーソナリティ障害の人で、並行してうつやPTSD、双極性障害と診断されている人は珍しくなく、この疾患の特徴である膨張したエゴの裏には、自尊心の低さが隠れていると言われることがあります。その場合、虚勢を張って過剰に防衛的にならなければならないほど自尊心が傷ついた体験があるなら、それを探り当てて癒やしていくことにより、併発している鬱や不安が回復するといういこともありえます。

いずれにしても、パーソナリティ障害単独の治療は、境界線以外はまだ難しくて発展途上であることは確かでしょう。また、パーソナリティ障害の診断は、診断する側の主観に左右されることが多く、信頼性の点で議論の余地があるということも、ここに付け加えておきます。

 

 

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似顔絵

アメリカで働いていた頃、クライアントさんが書いてくれた似顔絵。

 

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ちなみに彼は、元麻薬密売人でした。なぜ「元」かというと、捕まってしまったので、もうその仕事はもうできなくなったから。

捕まったから、セラピーに連れられてきた、というわけです。執行猶予中か仮釈放か忘れたけど、そんな身分のお方でした。

麻薬の密売はてっとり早く大金が手に入るので、いい商売らしいです。(お勧めはしませんが(^_^.)。)

私が住んでいた町は、小さく貧しいコミュニティで、めぼしい産業もなかったので、住民の就職率は低く、失業率もとても高かったです。生活保護を受けている人も大変多くて、日本の比ではありませんでした。アメリカって、貧富の差が激しい国だなと、つくづく思います。経済的その他の事情で、大学進学率はもちろん、高校を無事卒業する人も、その町では少なかったです。中卒も多かったし、小学校しか出ていない人もちらほらいたような。

何もない砂漠の町で、他にすることがないからとか、ひどい家庭環境の苦境を紛らわすためにとか、親代わりにギャングに養われ、そこで自然と麻薬を覚えてとか、色々な手段で早くから麻薬に手を染め、食べていくために麻薬密売をする人も、あまり珍しくなかったです。

…ていうか、どうでもいいけど、この似顔絵…。どうよ、と悲しいツッコミを入れたくなります。

自称絵が得意という彼に描いてもっている間は、期待で胸を膨らませていたのですが、出来上がりを見て、

「そうか、こんなにブサイクやったんや、自分。」

と、現実を見た気がしたひとときでした。(-_-;)

 

これは、当時の仕事風景。

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アメリカは心理療法がとても進んでいるので、アメリカでカウンセラーをしていると、とても勉強になります。質の高いセミナーを受ける機会もたくさんあるし、職場でも本格的な心理カウンセリングをどんどん使って薬を使わない治療行為ができるし。

そういう意味では、多忙を極めて身を削るような、大変な職場でしたが、戻りたいなあ、と懐かしく思うことがたまにあります。

お知らせ:心理学セミナー in 盛岡

ここでお知らせです。

盛岡でセミナーを開催いたします。

色々なことが気になってなかなかリラックスできない、気づいたら体がいつも緊張している、といった、慢性的な不安をテーマに、その気質的要因と、改善方法について、お話いたします。実際に不安症状がある方でなくても、なんとなく心理学に興味がある方、どなたでもご参加いただけます。最後にリラクセーションを体感していただくエクササイズも用意しております。

内容は割合本格的ですが、わかりやすくお話しますので、初心者でもOK!ふるってご参加ください。

 

日時: 5月31日(土)

AM: 10:00-12:00

場所: 盛岡市中央公民館(愛宕町)

内容: 心理学講座「慢性的な不安の原因と解消法」

参加費用: 500円

定員: 12名ほど

 

お問い合わせ・お申込みは、本ホームページのお問い合わせフォームよりお願いします。(定員に限りがありますので、お早めにどうぞ。)

 

 

共依存の依存パターン(3)

以前に書いた共依存のしくみ(4)(http://therapyroom-hummingbird.com/?p=906参照)でも少し触れたのですが、最後に、共依存になりやすい人の特徴をもう一度、詳しく見てみましょう。

  • 自尊心が低い
  • 自分が必要とされることや、自分の欲求が少ないことによって、自己価値や自尊心が支えられている。
  • 提案や要求、不適当な命令に、過剰に従う。
  • 他の人の問題や困難、必要に際しては一生懸命になる一方で、自分のそれは無視する。
  • あらゆる人のために、あらゆることをしようとして、自分のニーズがおろそかになる。
  • 人の問題を解決する術に長けているが、自分の問題を解決することができない、または解決しようという気になれない。
  • 常に人を喜ばせようとして、手助けする機会を待ち構えている。
  • 頼まれたら嫌といえない。
  • 頼まれごとを断る際、罪悪感を感じて困難を覚える。
  • 大切な人たちとの関係において、なんでも引き受けすぎることが多い。
  • 不可能な、または過剰なスケジュールを立ててしまう
  • 欲しいもの、必要なことを要求することができない。
  • 助けを求めることは、利己的で厚かましいことだと思う。
  • 自分の感情を突き止めて、感じることが難しい。
  • 非現実的、非合理的な期待に、すすんで応えようとする。
  • 意見の不一致や衝突を怖がったり、避けたりする。
  • 無力で、有害なものから自分の身を守ることができないと感じる。身勝手な人たちに、容易に操られたり、搾取されたりする。
  • 意地悪されたり、虐待されたりしたとき、しっかり境界線を張ることができない。
  • 自分を無視する人たちを、操作したりコントロールしたりしようとする。
  • 助けになろうといて、人に親切を押し付ける。
  • 仕事上の付き合いと個人的な付き合いを混同する。

 

それでは、健全な関係性というのは、どういうものでしょうか。

Hazan とShaverは、健全な親子の関係は、健全な大人同士の恋愛関係と類似しているという仮説を唱えました(Hazan, C. & Shaver, P. (1987). Romantic love conceptualized as an attachment process.  Journal of Personality and Social Psychology, 52(3), 511-524)。彼らによると、深い感情的な絆で結ばれた親子には、下記のような特徴がみられるということです。

  • お互いに、相手がそばにいて反応を示してくれていると、安心する。
  • 親密な身体的接触を、お互いにしあう。
  • 相手が手に届かないところにいるとき、お互いに不安になる。
  • お互いに、発見を共有する。
  • お互いに、相手に魅かれ、関心を抱く。
  • お互いに、”赤ちゃん言葉”を発し合う。

(参考文献:Rosenberg, R. (2013).  The Human Magnet Syndrome: Why We Love People Who Hurt Us. Eau Claire, WI.  PESI Publishing & Media.)

 

共依存の人が、対人関係において、自分という存在が小さくなりすぎて、相互のバランスが崩れてしまっているのに比べて、健全で親密な関係は、お互いの愛情のバランスが取れていて調和している、というのが大きな違いだと思います。

確かアメリカの研究機関で行われた実験だったと記憶していますが、深く愛し合っている二人の男女を、向いあわせに立たせ、二人のオーラを測定すると、ハートチャクラ(心臓のあたりに位置する、主に精神的な愛のエネルギーを司るセンター)から、それぞれの周りに大きな円を描いているエネルギーが合わさって、ちょうどハート型に見えたのだそうです。

二人の互いに向けた愛のエネルギーのバランスが取れているからハート型になるのであって、どちらかが大きくすぎて、どちらかが小さすぎると、ちゃんとしたハートの形にはなりませんよね。

相手に対するリスペクトに欠けた、一方的な強い思いは、愛ではなく、執着です。

自分に対するリスペクトに欠けた、相手への強い思いも、やっぱり、本当の愛ではないと思います。それは、自己愛の欠乏を補って埋めるための、代替的な擬似愛に過ぎず、やっぱり、根底には執着があります。

大いなる宇宙から見たら、自分という存在も、相手も、同等に尊い存在です。両方とも、大切に扱われなければならないもの。両者のうち一方だけを、もう一方のために犠牲にして成り立つ関係というのは、この宇宙の理念に反しているので、長続きはしません。ひずみが生じて、長い間には耐えきれなくなり、必ずいつか、修正を余儀なくされるものです。

結局のところ、本物の愛に根差し、自己と他者の双方を尊重した、調和のとれた関係だけが、長くつづくようにできているのだと思います。

 

 

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