盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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2014年

共依存の依存パターン(2)

Co-Dependence Anonymous(無名の共依存者たち)という自助グループが分類した、5種類の共依存パターンを、次にご紹介します。

 

否認パターン

  • 私は、本当の気持ちを控えめに表現したり、変えたり、否定したりします。
  • 私は、自分のことを、完全に利己心のない、他人のために尽くす人間だと思っています。

自尊心欠如パターン

  • 私は、決断が苦手です。
  • 私は、あらゆるものを裁き、態度や言葉も厳しく、ものごとが決して十分ではないと考えます。
  • 私は、承認や賞賛や贈り物を受け取ることを、恥ずかしいと感じます。
  • 私は、他の人に自分の欲求や願望を満たしてもらうよう、頼むことがありません。
  • 私は、他の人が自分の考えや気持ちや行動を認めてくれることに、価値を置いています。
  • 私は、自分が愛すべき人間、または価値ある人間だとは思いません。

従順パターン

  • 私は、他の人の拒絶や怒りを避けるために、自分の価値や尊厳を犠牲にします。
  • 私は、他の人の気持ちにとても敏感で、それと同じように感じてしまいます。
  • 私は、非常に忠実で、有害な状況にあまりにも長く身を置いてしまいます。
  • 私は、他の人の意見を、自分の意見よりも尊重し、異なる意見や自分の気持ちを表現することを恐れます。
  • 私は、自分の興味や楽しみをわきに置いて、他の人が欲していることをしてあげます。

コントロールパターン

  • 私は、たいていの他の人は、自分の面倒を見ることができないと考えています。
  • 私は、他の人が、どう考える「べき」で、「ほんとうは」どう感じているかを、説いてきかせようと試みます。
  • 私は、他の人が自分の助けを受け入れてくれないと、腹を立てます。
  • 私は、乞われなくても、遠慮なく他の人に助言を与えたり方向性を示してあげたりします。
  • 私は、自分が気にかけている人に、惜しみなくものをあげたり、何かしてあげたりします。
  • 私は、他の人と関係を築く際、”必要とされる”ことが必須です。

回避パターン

  • 私は、他の人が自分を拒絶したり、辱めたり、怒りを抱くよう、しむけます。
  • 私は、他の人が思ったり、言ったり、したりすることを、厳しく裁きます。
  • 私は、距離を保つために、感情的、身体的、性的な親密性を避けます。
  • 私は、親密な関係を避けるために、人や場所やものに依存します。
  • 私は、衝突や対立を避けるために、間接的または曖昧なコミュニケーションの取り方をします。
  • 私は、自分の弱さを感じないように、感情や欲求を抑えます。
  • 私は、感情表現は、弱さの表れだと信じています。
  • 私は、感謝の気持ちを抑制します。

(参考文献:Rosenberg, R. (2013).  The Human Magnet Syndrome: Why We Love People Who Hurt Us. Eau Claire, WI.  PESI Publishing & Media.)

 

いかがでしたか。この中に、当てはまりそうなパターンがあったでしょうか。

共依存というのは、色々な視点から見ることができると思いますが、ごく大雑把にいうと、「アンバランス」というキーワードでくくることができると思います。

自分と他者との関係において、自分の存在にくらべ、他の人の存在が大きくなりすぎている。ギブ・アンド・テイクのバランスが崩れていて、与えすぎ・受け取りすぎ、の関係になってしまっている。自分と他者との間に、健全な境界線が引けておらず、他者の境界線に侵入して、相手が欲する以上に与えてしまう、など。

自分と他者とは、それぞれ、両方とも尊重する必要があり、どちらかを犠牲にしてどちらかに価値を置きすぎると、関係性のバランスが崩れて長い間にはひずみが大きくなり、必ずうまくいかなくなります。

そもそも、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんてものは、決して長続きはしません。それは、そもそもこの世界が、自分と相手と両方とも満たされることによってのみ、調和が保たれるようにできているからだと思います。

(今回の共依存シリーズ、次が最終回の予定です。)

 

 

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共依存の依存パターン(1)

前記事に続いて、共依存の特徴を詳しく見ていきます。

共依存の人は、しばしば、感情操作タイプのパートナーをコントロールしようと執着し、中毒的なパターンを形成します。(感情操作タイプの詳細については過去記事:http://therapyroom-hummingbird.com/?p=741を参照してください。)

コントロールできない誰かをコントロールしようと躍起になるという強迫観念的な衝動は、共依存の人を、まるで車輪の中で回り続けるハムスターのように、一歩も前に進ませないという不毛なパターンに陥れ、怒り・欲求不満・恨みというスタート地点にとどまらせます。

得られないものを求めようとする共依存の人の試みは、度重なる人間関係での失敗を通して、結局のところ自分は他者に対して無力なのだと、痛感させるに至ります。

感情操作タイプの人を変えようとして躍起になり、失敗して、嫌な気持ちを味わうという悪循環の中で、共依存の人は次第に疲れ切ってしまいます。そして、結果的に、慈しまれたい、感謝されたい、認めてもらいたい、という願望を、あきらめてしまうことになります。

こうして、感情操作タイプのパートナーが、いつか自分が望むものを与えてくれるだろうと、あんなにも自己犠牲的に、忍耐強く、待ちこがれていた信念は、やがて怒りと恨みへと形を変えていきます。

パートナーがいつかお酒をやめてくれるだろう、浮気をやめてくれるだろう、愛情や優しさを示してくれる日が来るだろう、という期待が実らないと気づいた共依存の人は、直接的な、あるいは、受け身の攻撃へと身を転じ、不屈の相手を積極的にコントロールしようとし始めます。

 (参考文献:Rosenberg, R. (2013).  The Human Magnet Syndrome: Why We Love People Who Hurt Us. Eau Claire, WI.  PESI Publishing & Media.)

 

ここまでみてみると、共依存を依存パターンに駆り立てている原因が明らかになってきます。つまり、慈しみ、評価、承認を、自分自身ではなく、相手に求めようとしているということです。これが共依存が依存であるゆえんです。

その裏には、自己愛の欠如・自己肯定感の欠如といった、欠乏感があり、ゆえに、共依存の人は、おしなべて自尊心が低いという図式になるのです。

自分の中にないと感じているから、相手から与えてもらおうとし、それが自分にとって、とても必要なものだと本能的に知っているので、必死になって相手に執着する、というわけです。

けれども、自己愛、自己肯定感というのは、本来、自分の中に見出すべきであり、相手から得ることで補おうとする試みは、必ず失敗に終わります。

自己愛というのは、人間が存在する上でとても大切な要素であり、非常に強いパワーの源になります。逆に、自己愛の欠如というのは、あらゆる心の問題の源になります。

臨床の現場で、感情障害、不安障害、人格障害等、深刻な精神疾患を抱えているクライアントさんを診ていると、その根底に自己愛の欠如がある、自分に対する愛情不足がある、というケースが非常に多いことは、とても印象的です。

次回は、共依存のいくつかの種類をご紹介したいと思います。

 

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共依存のルーツ

共依存については、以前、何回かに分けてお伝えしましたが、興味がある方が多いようなので、もう少し掘り下げてご紹介したいと思います。

発達心理学の権威であるフロイトやエリクソンは、愛され慈しまれて育った子供は、精神的に健康な大人として成長しやすくなり、逆に、ネグレクトや虐待を受けたり、必要なものを与えられないで育った子供は、大人になってから、機能不全な対人関係を築く傾向が強くなると主張しています。条件付きの愛(conditional love)を受けて成長した子供は、心理的・精神的に問題を抱える傾向にあるということです。

幼児期の子供というのは、周囲の環境に敏感で、とても影響されやすいものです。愛情豊かな両親に守られ、安心して育った子供は、精神的に準備が整った状態で成人期を迎えることができます。一方、子供の心理的、身体的な必要を満たすことができない、または、満たそうとは思わない両親のもとで育った子供は、成人期でつまずく確率が、とても高くなります。

夫婦間の暴力、ネグレクト、親のアルコール依存、性的・身体的虐待といった、有害で危険な環境に適応することを強いられた子供は、多くの場合、自己評価、自我、自分に対する観念が損なわれ、成人してから、心理的なスキルや能力に問題を持つようになります。

子供が親の子育てをまねて、自分が育てられたように自分の子供を育てるというのは、自然な人の摂理です。なので、よほど抵抗して変化を起こさない限り、機能不全な家庭環境というのは、代々続き、悪循環を形成します。

家族システムの理論を提唱したアメリカの精神科医、ボーウェンは、変化というのは、どの家族にとってもストレスになるが、機能不全の家族にとっては、とりわけ不快であり、例えそれが子供のためによいものであっても、脅威とみなされることがある、と言っています。

機能不全の家族の影響から逃れることができない子供は、親の機能不全な性質を自分に取り込み、自分と一体化させてしまいます。そして、人を満足させることで他者に同調するか、もしくは他者を強制(コントロール)して自分に同調させるようになっていきます。

こうして、変化に抵抗する家族は、自分たちの感情的な機能を、次世代に継承していくことになります。

(以上の参考文献:Rosenberg, R. (2013).  The Human Magnet Syndrome: Why We Love People Who Hurt Us. Eau Claire, WI.  PESI Publishing & Media.)

虐待された子供が、親になって自分の子供を虐待する、というのはよく言われており、実際、カウンセリングの現場でも、それは非常に多く見かけることです。虐待的な親にならなかったとしても、共依存関係に陥り、不健全な家庭を再現することによって、子供に有害な環境を継承することは、とても多いです。

けれども、重要なのは、すべての人がそうなるわけではない、ということです。機能不全の家庭環境に育った人が、屈せずにその悪影響を克服し乗り越えた場合、順境に育った人以上に深くて優れた資質を帯びるようになる、そして、自分の子供にとって理想的な親になり、他の人や社会全体に対しても祝福となるような、大きな影響力を持つことができるようになることが多い、というのも、事実です。

悪循環を繰り返すか、それとも断ち切るかの分かれ目は、本人が自分の傾向に気づいてそれを意識し、受けた傷を癒して、一見ネガティブな体験を、反面教師として、よりよい人生を創造するために生かせるかどうか、ということだと思います。

「一見ネガティブ」と書きましたが、どんな体験であっても、その体験自体はニュートラルなんですよね。それを不幸とみなすかどうかは、自分次第なのです。そこには自分の人生に役立て、もっと幸せになるための資源が必ず隠されています。この点で、すべての逆境は、例外なく試金石であり、自分の中に眠る輝きを引き出すきっかけを与えてくれる、チャンスなのだと思います。

 

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過食症について

神経性大食症、いわゆる過食症(Bulimia Nervosa)は、摂食障害というカテゴリーに分類される精神疾患です。

コントロールが効かずにドカ食いしてしまい、そのあと、太らないように何らかの浄化行動(のどに指を突っ込んで吐く、下剤を使う、過度な運動を行う等)を行う、というのが、主な症状になります。

過食・嘔吐は、中毒性が高い行為です。つまり、やめられずに繰り返してしまう傾向があるということ。吐くことにより、脳は飢餓モードになり、さらに食べ物を欲するようになってしまうのです。

これを改善するコツとしては、きっぱりやめようという意思の力だけに頼るよりは、自分をうまくだましてやらないようにもっていく。浄化行動の衝動は一時的なので、気を紛らわせて時間を稼げば、次第に収まります。

下記に、過食と、主な浄化行動である嘔吐の頻度を減らす具体的な方法を、簡単にまとめてみましたので、興味がある方は参考にしていただければと思います。

<過食頻度を減らす方法>

  • ジャンクフードではなく、良質の食べ物を摂取する
  • 吐いたら、脳が飢餓モードになり、また食べたくなることを思い出す。
  • ゆっくり食べて、よく味わう。(五感をフルに使ってゆっくり食べると効果的。)
  • 食事中、休憩を入れて、より満腹感を感じられるように工夫する。
  • 過食してしまいそうな食べ物を、目につくところや手の届くところに置かない。
  • デザートは、後で食べたかったら食べてもいいからと体に言い聞かせ、まずは別のものから食べる。

 

<嘔吐頻度を減らす方法>

  • 吐いて浄化したい衝動を、気を紛らわせて遅らせ、引き延ばす。
  • 今回の嘔吐衝動を抑えられたら、再び吐く可能性が少なくなることを思い起こす。
  • 呼吸法を試す。
  • 誰かと一緒にいるようにする。
  • 信頼できる人に、自分がしようとしていることを打ち明ける。

 

下記のようなアファメーションを唱えてもいいでしょう。

  • 今日だけは、私は、お腹がすいたときにだけ食べます。
  • 今日だけは、私は、食べ物がどんな味がするか、どんな気持ちにさせてくれるかを、意識しながら食べます。
  • 今日だけは、私は、好きなもの、かつ、食べて気分がよくなるものを選んで食べます。
  • 今日だけは、私は、楽しんで体を動かす方法を見つけて実践します。
  • 今日だけは、私は、自分の体に優しくし、愛と敬意をもって扱います。

                   参考資料:Guisinger, S. (2013) Eating Disorders & Obesity; Help Clients Take Back Their Lives (live seminar)

 

この、「今日だけは~」というのは、AA(Alcoholics Anonymous=アルコール依存症の自助グループ)で唱えるアファメーションと共通しています。依存症の人が行動を変えようとする際、これからずっと~する、と思ってしまうと、プレッシャーが大きくて耐え切れなくなってしまい、続かないことが多いんですよね。なので、明日以降のことはわからないけれど、今日一日だけは、と毎日誓ったほうが、効果が高いのです。

個人的には、摂食障害というのは、やはり、潜在している何らかの大きな不安感が原因している症状だと思います。

なので、行動療法的に食べたり吐いたりする異常行動を矯正するだけでは十分ではなく、最終的には、心の奥底にある不安(おそらくは、存在に対する不安、安全や帰属意識の欠如に関係する)をつきとめて癒やしていく必要があると思います。 

 

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原因は自分の中にある

自分に起きた不幸を、他人や環境のせいにして、被害者意識をもってしまうと、そこから前に進むことはできず、癒しのプロセスも起きません。

アメリカで働いていた時、7年も8年も足しげくカウンセリングに通ってくる割に、症状は全く変わらず、回復の兆しはないというクライアントさんがかなりいらっしゃいました。

そういう人たちの担当になってみて実感したのは、セッションが周りに対する非難や愚痴に終始する人の心の問題は、何年通っても100%よくならないということ。

自分の問題を人のせいにすることを、専門用語でexternalization of blame(非難の外化)といいますが、これは、自分の問題の本質を見ず、別の方向を見てしまっているということなんですよね。なので、どうしても問題の解決には至らない。

問題の原因も解決へのカギも、外側ではなく、いつも自分の内側にあります。

自分の心の問題というのは、たとえ状況的には他者によって引き起こされたように見えても、やはり自分の中に原因があります。

人は自分の持つ感情に責任を持たなければなりません。どんな感情を持つかというのは、人に強制されるものではなく、実をいうと、自分自身の選択だからです。

例えば、「お金を盗まれた」という単純な例でみてみましょう。

もちろん、盗んだ人が悪いのは当たり前ですが、それで怒りや恨み、人間不信を抱き、人生が不幸に感じられるようになったとすると、そういう精神状況を作り出したのは、盗んだ泥棒ではなく、自分自身なのです。

「お金を盗まれた」という状況に対して、どういうリアクションをとるか。怒りや恨みや失望を抱き続けて心を害してしまうか、それともそうならないかは、自分の選択であり、自分次第なのです。

自分に原因がある、というと、厳しく聞こえるかもしれませんが、だからといって、今こうなったのは自分が悪いと、自分を責める必要はありません。これは、いいとか悪いとかいう問題ではなく、あくまでも原因がどこにあるか、ただ、それだけのことです。原因を知ることは、問題の解決に役立つので、大切なのです。

自分の中に原因があると知ることは、実はとても素晴らしいことです。

なぜならそれは、

「自分の人生は、他人や周りの状況に制限されたり左右されるものではなく、自分次第である」

「もし今の人生の状態が気に入らなければ、それを自由に創り変えることができる、そしてそれを実現するパワーは自分の中にある」

ということに他ならないからです。

よく言われるように、他人は変えられませんが、自分は自分の意思で変えられるということです。

ただし、自由には必ず責任が伴いますから、原因を自分の中に見つけ、対処していくというこは、自分の人生に責任を持たなければならない、ということでもあります。でも、本当に意義のある人生を送りたいならば、この責任は避けて通ることはできません。

自分に起きた問題を誰かのせいにして、自分のもつパワーを他人に明け渡してしまうと、結局のところ、無力感(文字通り、自分にはパワーがないという感覚)を引き起こすことになります。無力感は、鬱につながります。

また、被害者という不毛な役割を演じると、今抱えている問題の中にはまり込んで動けなくなり、人生を停滞させてしまいます。

それよりも、自分の人生に責任を持って、自分で自由にコントロールできる唯一の存在である、自分自身をコントロールし、変えていったほうが、確実に、建設的で幸せな結果を引き寄せることができる、ということです。

 

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人の評価が気になるとき

人にどう思われるか気になって萎縮してしまう人が、よくいます。

周りの人がみんな、自分のことを批判の目で見ているんじゃないかと、気になってしまう。

ひどい場合だと、スーパーに買い物にも行けなくなり、引きこもりになる人もいます。

こういう人たちを見ていると、問題なのは、人の評価ではなくて、実は自己評価であることが多いようです。

自分に対する評価がとても低い。だからそれを周りに投影し、周囲の人の評価を恐れるのです。

実際、本当に雄弁で、影響力があるのは、人が自分をどう評価するかではなく、自分が自分をどう評価するか、だと思います。

仮に、100人の人に口々に賞賛されたとしても、もし自分自身が自分を認めておらず、自己否定しているのであれば、その賞賛は耳に入らず、その人の自己評価は低いままでしょう。

反対に、100人の人にけなされて、否定されたとしても、もし自分に恥じるところがなく、自分で自分を認めてあげることができるなら、自信を失わずにいられます。

本来、人の評価というのは、無責任なものです。ごく限られた一部だけを見て、勝手にあれこれいう。でも、自分のことを一番よく知っているのは、自分自身です。

人の評価に振り回されて一喜一憂するよりも、自分自身に恥じることのないように生きて、それさえクリアしていれば、後は堂々としているほうが、よほどエネルギーの無駄がないと、私は思います。

 

 

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一瞬が一日を変える

一瞬が一日を変える

一日が一生を変える

一つの人生が世界を変える

 

3,4年前、まだアメリカで働いていた頃、「これ、Chikaが好きそうだと思って取っておいた」と言って、同僚がくれたしおりに書いてあった言葉です。

うん、確かに好きかも。

一瞬一瞬、最善を選択して生きることの大切さを思い出させてくれる言葉です。

 

 

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注意をそらすための世界

最近、ふと思ったのですが、世の中、テクノロジーが発達して便利になっているのに、昔よりも忙しく、時間がないように思われるのはなぜでしょうか。

昔は洗濯板で洗濯をし、かまどの火を起こしてご飯をたいて、井戸の水を汲みに行っていたのでしょうから、確かに毎日忙しく、大変だったでしょう。でもおそらく、今よりももっと、人々が現実に根差して生きることができていたと思います。

今は、洗濯機が洗濯をし、炊飯器がご飯を炊いてくれ、水道をひねったら水が出るので、時間も労力も短縮できているはずですが、現実を生きている人が少ないと思います。

つまり、生活が便利になった分、お金もかかるので、仕事に追われて、我に返って考える暇がない。余暇があれば、テレビやインターネットを見たり、ゲームに没頭したりして、今ある現実にいない。

今の社会は、現実から注意をそらすためには、恰好の場所だなあと思います。

現実から注意がそらされていると、今、自分の中に起こっていることに気づくことができません。

人間には、自分の魂が望む幸せな方向へと向かわせる、羅針盤が備わっています。自分の体が感じている感覚や、内面に起こっている感情は、幸せな方向に進むために、いつも信号を出して導こうとしています。(心や体の痛みも、実はこの信号なのです。)

けれども、息つく暇もなく仕事に追われたり、バーチュアルな世界に没頭していたりすると、それに気づくことができません。

そういう生活を続けていると、心や体が悲鳴をあげていても気づくことができないので、結果として、自分が心の底からは望んでいない方向に、人生が逸れていってしまうのは、まず確実でしょう。

自分の内側に起こっていることや、自分の生きている現実から目を背ける方法は、昔から、お酒や麻薬、女遊び、ギャンブル、買い物依存等、他にもたくさんありますが、近年の文明社会の在り方は、まさに気をそらすための手段の宝庫のようです。

そんな世間の風潮に流されないで、目の前にある雲や星を眺めてホッとしたり、テレビやパソコンを切って静かな時間を持ち、内観して自分に帰る時間を、毎日少しでも確保することは、とても大切だと思います。

 

 

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心の安らぎを得るための祈り

神よ 

変えられないものを受け入れるために必要な心の静かさを

変えられるものを変えるために必要な勇気を

変えられるものと変えられないものとを識別するために必要な叡智を

我に与えたまえ

 

God, grant me the serenity 

To accept the things I cannot change; 

The courage to change the things that I can; 

And the wisdom to know the difference.

 

これはSerenity Prayerという、有名な祈りです。

作者は諸説ありますが、ニーバーというアメリカの神学者が作ったという説が有力です。

AA(Alcoholics Anonymous=アルコール依存の人たちの自助グループ)の12段階のプログラムという依存症克服プログラムの中でよく使われている詩です。

今、現在、状況を変える手立てがあるのなら、勇気をもってそれをやってみること。

今、現在、なすすべがなく、状況を変えることができないなら、その状況を思い切って受け入れること。

これさえできれば、人の心は波立つことがなく、安らかな状態を保つことができます。

不安というのはたいてい、今、この瞬間どうしようもない、未来のことを思い煩うことによって生じます。

今、この瞬間だけに目を向けて、現在できることに最善を尽くし、後のことはその時が来るまであまり考えずに生きる。この技術をマインドフルネス(mindfulness)といって、禅の思想の基本にもなっています。(アメリカでは、マインドフルネスは、心理療法の一環として、不安障害やうつの治療にも使われています。)

マインドフルな生き方をすれば、生きることはずっと悩み少ない、シンプルなものになり、かつ、無駄なエネルギーの消費を抑えられるので、楽で効率のよい生き方ができるようになると思います。

 

 

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未来の自分からのメッセージ

アメリカ社会は、日本に比べても、子供のネグレクトや虐待がとても多いです。そのため必然的に、里親制度を含めた子供を保護するためのシステムが、日本よりも発達しています。

私の担当したクライアントさんの中にも、里親を転々とした人が結構いましたが、その中で、19歳の女の子のジェニー(仮名)は、とても印象に残っているクライアントさんの一人です。

ジェニーの母親は、ひどい薬物依存で、ジェニーは虐待とネグレクトを受けて育ちました。

母親に首の骨が折れかけるほど殴られたり、明け方まで行方不明になった母親を探しに行ったり、母親の代わりにストリートで麻薬を売ったりして、大変な毎日を送った挙句、ジェニーは州政府の施設に保護され、里親に出されました。

13か所だったか、数多くの里親のところを転々としていた十代半ばくらいまで、彼女は、いつも激しい怒りをあらわにし暴力的だったと、自分を振り返ります。

私が出会ったときは、ジェニーは、すでに荒れた時代は通り過ぎて、怒りの方はもう落ち着いていたのですが、現在の里親との間にトラブルがあり、希死念慮をはらむ重度のうつに苦しんでいました。彼女を引き取った両親が、とてもしつけに厳しくて異常に細かい人たちだったのです。

彼女は、きれいな目をした、素直で純粋な心を持った子でした。自由で創造的な心を持った彼女は、新しい両親が大好きだったのですが、いちいち、理不尽なことで怒鳴られることに閉口し、怒りも感じて、でも、愛する人たちを傷つけたくない思いと板挟みになり、とても苦しんでいました。

また、虐待やネグレクトを受けて育った子供には珍しくないことですが、ジェニーは自己評価がとても低く、自分は醜くてスタイルもよくないから、きっとどんな男性にも愛されないだろうと思い込んでいました。

ある日、カウンセリングに来たジェニーは、こういいました。

「この間、自分が元気になるように、録音テープに自分の声を吹き込んでみた。」

「なんて吹き込んだの?」

と聞くと、

「未来の自分から、今の自分にメッセージを吹き込んだの。」

といいます。

聞けば、その内容は、

「ジェニー、毎日、よく頑張ってるね。おまえには、ゆくゆく、ちゃんと彼氏ができるから、心配しなくても大丈夫だよ。家のことも、だんだんよくなっていくよ。」

という、励ましのメッセージでした。

素晴らしいことを考えつくなあ、と感心したのを覚えています。

さらに素晴らしかったのは、そのメッセージを吹き込んでから1年もしないうちに、本当にそれが現実になっていったことでした。

数か月のちには、自分を理解してくれ、心から大切にしてくれる彼氏ができました。里親の両親に関しても、厳格すぎるしつけが目に余ったので、ジェニーに了承を得た上でこちらから話をし、また、ジェニー自身も努力して両親の理解を得られるようにした結果、少しずつよい方向に変わっていきました。

もともと、彼女の魂には、人として、とても優れた素質が垣間見えており、壁にぶつかっても自分で運命を切り開き、困難を克服して伸びていくだけの強さが備わっていました。

その上で、希望にあふれた未来からのメッセージを、現在の自分自身に送るということは、単に自分を励ますというだけではなく、潜在意識に「自分の未来はこうなる」と宣言して、その未来を実際に創造するためのキュー(合図、指示)となったのだと思います。

その後、ジェニーのうつは回復し、彼女は夢だった仕事へ向けて勉強するために大学に入って、私の知る限り、幸せな生活を送っています。

 

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