自分に起きた不幸を、他人や環境のせいにして、被害者意識をもってしまうと、そこから前に進むことはできず、癒しのプロセスも起きません。
アメリカで働いていた時、7年も8年も足しげくカウンセリングに通ってくる割に、症状は全く変わらず、回復の兆しはないというクライアントさんがかなりいらっしゃいました。
そういう人たちの担当になってみて実感したのは、セッションが周りに対する非難や愚痴に終始する人の心の問題は、何年通っても100%よくならないということ。
自分の問題を人のせいにすることを、専門用語でexternalization of blame(非難の外化)といいますが、これは、自分の問題の本質を見ず、別の方向を見てしまっているということなんですよね。なので、どうしても問題の解決には至らない。
問題の原因も解決へのカギも、外側ではなく、いつも自分の内側にあります。
自分の心の問題というのは、たとえ状況的には他者によって引き起こされたように見えても、やはり自分の中に原因があります。
人は自分の持つ感情に責任を持たなければなりません。どんな感情を持つかというのは、人に強制されるものではなく、実をいうと、自分自身の選択だからです。
例えば、「お金を盗まれた」という単純な例でみてみましょう。
もちろん、盗んだ人が悪いのは当たり前ですが、それで怒りや恨み、人間不信を抱き、人生が不幸に感じられるようになったとすると、そういう精神状況を作り出したのは、盗んだ泥棒ではなく、自分自身なのです。
「お金を盗まれた」という状況に対して、どういうリアクションをとるか。怒りや恨みや失望を抱き続けて心を害してしまうか、それともそうならないかは、自分の選択であり、自分次第なのです。
自分に原因がある、というと、厳しく聞こえるかもしれませんが、だからといって、今こうなったのは自分が悪いと、自分を責める必要はありません。これは、いいとか悪いとかいう問題ではなく、あくまでも原因がどこにあるか、ただ、それだけのことです。原因を知ることは、問題の解決に役立つので、大切なのです。
自分の中に原因があると知ることは、実はとても素晴らしいことです。
なぜならそれは、
「自分の人生は、他人や周りの状況に制限されたり左右されるものではなく、自分次第である」
「もし今の人生の状態が気に入らなければ、それを自由に創り変えることができる、そしてそれを実現するパワーは自分の中にある」
ということに他ならないからです。
よく言われるように、他人は変えられませんが、自分は自分の意思で変えられるということです。
ただし、自由には必ず責任が伴いますから、原因を自分の中に見つけ、対処していくというこは、自分の人生に責任を持たなければならない、ということでもあります。でも、本当に意義のある人生を送りたいならば、この責任は避けて通ることはできません。
自分に起きた問題を誰かのせいにして、自分のもつパワーを他人に明け渡してしまうと、結局のところ、無力感(文字通り、自分にはパワーがないという感覚)を引き起こすことになります。無力感は、鬱につながります。
また、被害者という不毛な役割を演じると、今抱えている問題の中にはまり込んで動けなくなり、人生を停滞させてしまいます。
それよりも、自分の人生に責任を持って、自分で自由にコントロールできる唯一の存在である、自分自身をコントロールし、変えていったほうが、確実に、建設的で幸せな結果を引き寄せることができる、ということです。