盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

共依存のルーツ

共依存については、以前、何回かに分けてお伝えしましたが、興味がある方が多いようなので、もう少し掘り下げてご紹介したいと思います。

発達心理学の権威であるフロイトやエリクソンは、愛され慈しまれて育った子供は、精神的に健康な大人として成長しやすくなり、逆に、ネグレクトや虐待を受けたり、必要なものを与えられないで育った子供は、大人になってから、機能不全な対人関係を築く傾向が強くなると主張しています。条件付きの愛(conditional love)を受けて成長した子供は、心理的・精神的に問題を抱える傾向にあるということです。

幼児期の子供というのは、周囲の環境に敏感で、とても影響されやすいものです。愛情豊かな両親に守られ、安心して育った子供は、精神的に準備が整った状態で成人期を迎えることができます。一方、子供の心理的、身体的な必要を満たすことができない、または、満たそうとは思わない両親のもとで育った子供は、成人期でつまずく確率が、とても高くなります。

夫婦間の暴力、ネグレクト、親のアルコール依存、性的・身体的虐待といった、有害で危険な環境に適応することを強いられた子供は、多くの場合、自己評価、自我、自分に対する観念が損なわれ、成人してから、心理的なスキルや能力に問題を持つようになります。

子供が親の子育てをまねて、自分が育てられたように自分の子供を育てるというのは、自然な人の摂理です。なので、よほど抵抗して変化を起こさない限り、機能不全な家庭環境というのは、代々続き、悪循環を形成します。

家族システムの理論を提唱したアメリカの精神科医、ボーウェンは、変化というのは、どの家族にとってもストレスになるが、機能不全の家族にとっては、とりわけ不快であり、例えそれが子供のためによいものであっても、脅威とみなされることがある、と言っています。

機能不全の家族の影響から逃れることができない子供は、親の機能不全な性質を自分に取り込み、自分と一体化させてしまいます。そして、人を満足させることで他者に同調するか、もしくは他者を強制(コントロール)して自分に同調させるようになっていきます。

こうして、変化に抵抗する家族は、自分たちの感情的な機能を、次世代に継承していくことになります。

(以上の参考文献:Rosenberg, R. (2013).  The Human Magnet Syndrome: Why We Love People Who Hurt Us. Eau Claire, WI.  PESI Publishing & Media.)

虐待された子供が、親になって自分の子供を虐待する、というのはよく言われており、実際、カウンセリングの現場でも、それは非常に多く見かけることです。虐待的な親にならなかったとしても、共依存関係に陥り、不健全な家庭を再現することによって、子供に有害な環境を継承することは、とても多いです。

けれども、重要なのは、すべての人がそうなるわけではない、ということです。機能不全の家庭環境に育った人が、屈せずにその悪影響を克服し乗り越えた場合、順境に育った人以上に深くて優れた資質を帯びるようになる、そして、自分の子供にとって理想的な親になり、他の人や社会全体に対しても祝福となるような、大きな影響力を持つことができるようになることが多い、というのも、事実です。

悪循環を繰り返すか、それとも断ち切るかの分かれ目は、本人が自分の傾向に気づいてそれを意識し、受けた傷を癒して、一見ネガティブな体験を、反面教師として、よりよい人生を創造するために生かせるかどうか、ということだと思います。

「一見ネガティブ」と書きましたが、どんな体験であっても、その体験自体はニュートラルなんですよね。それを不幸とみなすかどうかは、自分次第なのです。そこには自分の人生に役立て、もっと幸せになるための資源が必ず隠されています。この点で、すべての逆境は、例外なく試金石であり、自分の中に眠る輝きを引き出すきっかけを与えてくれる、チャンスなのだと思います。

 

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過食症について

神経性大食症、いわゆる過食症(Bulimia Nervosa)は、摂食障害というカテゴリーに分類される精神疾患です。

コントロールが効かずにドカ食いしてしまい、そのあと、太らないように何らかの浄化行動(のどに指を突っ込んで吐く、下剤を使う、過度な運動を行う等)を行う、というのが、主な症状になります。

過食・嘔吐は、中毒性が高い行為です。つまり、やめられずに繰り返してしまう傾向があるということ。吐くことにより、脳は飢餓モードになり、さらに食べ物を欲するようになってしまうのです。

これを改善するコツとしては、きっぱりやめようという意思の力だけに頼るよりは、自分をうまくだましてやらないようにもっていく。浄化行動の衝動は一時的なので、気を紛らわせて時間を稼げば、次第に収まります。

下記に、過食と、主な浄化行動である嘔吐の頻度を減らす具体的な方法を、簡単にまとめてみましたので、興味がある方は参考にしていただければと思います。

<過食頻度を減らす方法>

  • ジャンクフードではなく、良質の食べ物を摂取する
  • 吐いたら、脳が飢餓モードになり、また食べたくなることを思い出す。
  • ゆっくり食べて、よく味わう。(五感をフルに使ってゆっくり食べると効果的。)
  • 食事中、休憩を入れて、より満腹感を感じられるように工夫する。
  • 過食してしまいそうな食べ物を、目につくところや手の届くところに置かない。
  • デザートは、後で食べたかったら食べてもいいからと体に言い聞かせ、まずは別のものから食べる。

 

<嘔吐頻度を減らす方法>

  • 吐いて浄化したい衝動を、気を紛らわせて遅らせ、引き延ばす。
  • 今回の嘔吐衝動を抑えられたら、再び吐く可能性が少なくなることを思い起こす。
  • 呼吸法を試す。
  • 誰かと一緒にいるようにする。
  • 信頼できる人に、自分がしようとしていることを打ち明ける。

 

下記のようなアファメーションを唱えてもいいでしょう。

  • 今日だけは、私は、お腹がすいたときにだけ食べます。
  • 今日だけは、私は、食べ物がどんな味がするか、どんな気持ちにさせてくれるかを、意識しながら食べます。
  • 今日だけは、私は、好きなもの、かつ、食べて気分がよくなるものを選んで食べます。
  • 今日だけは、私は、楽しんで体を動かす方法を見つけて実践します。
  • 今日だけは、私は、自分の体に優しくし、愛と敬意をもって扱います。

                   参考資料:Guisinger, S. (2013) Eating Disorders & Obesity; Help Clients Take Back Their Lives (live seminar)

 

この、「今日だけは~」というのは、AA(Alcoholics Anonymous=アルコール依存症の自助グループ)で唱えるアファメーションと共通しています。依存症の人が行動を変えようとする際、これからずっと~する、と思ってしまうと、プレッシャーが大きくて耐え切れなくなってしまい、続かないことが多いんですよね。なので、明日以降のことはわからないけれど、今日一日だけは、と毎日誓ったほうが、効果が高いのです。

個人的には、摂食障害というのは、やはり、潜在している何らかの大きな不安感が原因している症状だと思います。

なので、行動療法的に食べたり吐いたりする異常行動を矯正するだけでは十分ではなく、最終的には、心の奥底にある不安(おそらくは、存在に対する不安、安全や帰属意識の欠如に関係する)をつきとめて癒やしていく必要があると思います。 

 

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未来の自分からのメッセージ

アメリカ社会は、日本に比べても、子供のネグレクトや虐待がとても多いです。そのため必然的に、里親制度を含めた子供を保護するためのシステムが、日本よりも発達しています。

私の担当したクライアントさんの中にも、里親を転々とした人が結構いましたが、その中で、19歳の女の子のジェニー(仮名)は、とても印象に残っているクライアントさんの一人です。

ジェニーの母親は、ひどい薬物依存で、ジェニーは虐待とネグレクトを受けて育ちました。

母親に首の骨が折れかけるほど殴られたり、明け方まで行方不明になった母親を探しに行ったり、母親の代わりにストリートで麻薬を売ったりして、大変な毎日を送った挙句、ジェニーは州政府の施設に保護され、里親に出されました。

13か所だったか、数多くの里親のところを転々としていた十代半ばくらいまで、彼女は、いつも激しい怒りをあらわにし暴力的だったと、自分を振り返ります。

私が出会ったときは、ジェニーは、すでに荒れた時代は通り過ぎて、怒りの方はもう落ち着いていたのですが、現在の里親との間にトラブルがあり、希死念慮をはらむ重度のうつに苦しんでいました。彼女を引き取った両親が、とてもしつけに厳しくて異常に細かい人たちだったのです。

彼女は、きれいな目をした、素直で純粋な心を持った子でした。自由で創造的な心を持った彼女は、新しい両親が大好きだったのですが、いちいち、理不尽なことで怒鳴られることに閉口し、怒りも感じて、でも、愛する人たちを傷つけたくない思いと板挟みになり、とても苦しんでいました。

また、虐待やネグレクトを受けて育った子供には珍しくないことですが、ジェニーは自己評価がとても低く、自分は醜くてスタイルもよくないから、きっとどんな男性にも愛されないだろうと思い込んでいました。

ある日、カウンセリングに来たジェニーは、こういいました。

「この間、自分が元気になるように、録音テープに自分の声を吹き込んでみた。」

「なんて吹き込んだの?」

と聞くと、

「未来の自分から、今の自分にメッセージを吹き込んだの。」

といいます。

聞けば、その内容は、

「ジェニー、毎日、よく頑張ってるね。おまえには、ゆくゆく、ちゃんと彼氏ができるから、心配しなくても大丈夫だよ。家のことも、だんだんよくなっていくよ。」

という、励ましのメッセージでした。

素晴らしいことを考えつくなあ、と感心したのを覚えています。

さらに素晴らしかったのは、そのメッセージを吹き込んでから1年もしないうちに、本当にそれが現実になっていったことでした。

数か月のちには、自分を理解してくれ、心から大切にしてくれる彼氏ができました。里親の両親に関しても、厳格すぎるしつけが目に余ったので、ジェニーに了承を得た上でこちらから話をし、また、ジェニー自身も努力して両親の理解を得られるようにした結果、少しずつよい方向に変わっていきました。

もともと、彼女の魂には、人として、とても優れた素質が垣間見えており、壁にぶつかっても自分で運命を切り開き、困難を克服して伸びていくだけの強さが備わっていました。

その上で、希望にあふれた未来からのメッセージを、現在の自分自身に送るということは、単に自分を励ますというだけではなく、潜在意識に「自分の未来はこうなる」と宣言して、その未来を実際に創造するためのキュー(合図、指示)となったのだと思います。

その後、ジェニーのうつは回復し、彼女は夢だった仕事へ向けて勉強するために大学に入って、私の知る限り、幸せな生活を送っています。

 

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依存と支配

依存と支配って、セットになっているのだと思います。

依存するから、支配される。

対象が人でも物でもそう。

アルコールに依存すると、アルコールに支配されてしまう。理性を持って決断をすることができなくなり、人生を自分でコントロールする力を失っていく。

薬物も同じ。

誰かに依存することも同じ。

誰かに自分の傷をいやしてもらおうとしたり、人に認めてもらわないと自分の存在価値を確認できなかったりすると、結局、人に自分を支配する力を与えてしまうことになる。

癒してくれる誰かや、自分の存在価値を認めてくれる誰かが、自分の人生において大きな影響力を持ってしまうことになり、コントロールされやすくなってしまうのです。

そうなると、自分の自由意思で自分の人生を創っていくという、人間に与えられた大切な特権を享受することができなくなってしまいます。

自分以外のものに支配され、コントロールされて、怒りを感じることができる人はまだ健全です。怒りを感じることができない人は、無力感を感じることになるので、鬱状態になっていくと思う。

そうならないためにどうすればいいか。

自分が何を感じ、欲しているか、ちゃんと認識できるだけの自己理解と、不安を克服して自分の足でちゃんと立つだけの強さ(自立心)、不完全なままの自分を受け入れて愛し、自分の価値を認め、リスペクトする気持ち(自尊心)を持つこと。

そうすれば、依存して支配されることなく、自分の人生を生きていくことができると思います。

 

 

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悪夢について

夢というのは潜在意識がつかさどるものです。

顕在意識で見たくないので、潜在意識に押し込めてしまったものが、夢で解放されるということはあると思います。

本来、表出されて解放されなければならないのに、本人がそれを拒否する場合、潜在意識は媒体として夢を使うというわけです。

PTSDの悪夢などはこれに当たると思います。潜在意識が癒しのためにやむなくとった妥協策といえるかもしれません。

アメリカに、ある男性のクライアントさんがいました。彼は、酒乱の父親による、自分と母親への暴力、幼児期の性的虐待、親友の自殺現場の目撃等、何重ものトラウマを経験し、躁うつ病、妄想性障害等、重度の精神障害を何十年にもわたって患っていました。

この人が心の痛みへの恐怖のあまり、トラウマの感情体験を抑圧しているのは明らかでした。彼は、セッションで過去のできごとについて話すときは淡々とよどみなく話すのですが、催眠療法士と提携し(私自身は催眠療法はやらないので)治療のために退行催眠をかけてもらうと、身もだえして苦悶の表情を浮かべ、過去を見ることを拒否するのでした。

彼はある時、とある聖地に一週間の巡礼の旅に出かけました。バックパックを背負い、徒歩で、テントに寝泊まりしながら、ひたすら歩き続けて聖地に赴いたのでした。途中で、色々な人に出会って助けられたり、不思議な経験をしたりするうちに、色々な感情が放出して、時々わけもなく涙が出ることもあったそうです。彼はバックパックにノートを一冊忍ばせて、自分の気持ちを見つめては、心に感じたことを日記に書きとめながら、旅をしました。

旅から帰った直後から、この男性は、何か月にもわたって、毎日のように、奇妙な夢を見るようになりました。いつも同じ夢で、体の中から、銀色の虫がたくさん出てくるという夢でした。

彼の精神状態は、旅に出る前と後では、大きく変化していました。うつ状態が軽減し、気分はより穏やかに安定していました。おそらく、日常を離れ、ただひたすら歩くという作業が、一種の瞑想として意識をクリアにする効果を及ぼし、かつ、色々な感情が湧き出るままに感じながら、自分と向き合う時間を持ったことで、気持ちが純化されたようでした。

奇妙な夢の正確な意味はわかりませんが、おそらく夢の中で今まで長年にわたって潜在意識に溜めこんだネガティブなものが解放され、浄化作用が起きたのではないかと思います。

ただ、悪夢で不要物が放出されたからといって、それだけで彼の症状が急に全快したということはありませんでした。セッションを何度も重ねるうちに、全体的には徐々に良くはなっていきましたが、やはり不安定になったり、鬱状態に戻ったりすることはよくありました。夢だけに頼らず、恐怖によるブロックを外して、過去と向き合うことが、やはり彼の癒しのプロセスには必要だったのだと思います。

特に精神障害があるわけではなく、悪夢をよく見るという人は、日ごろから、潜在意識にネガティブなものをため込まないよう心掛けたほうがいいと思います。

例えば、ニュースやゲームなどで残酷なシーンを見たり、インターネットで人の悪口が並べたてられているページを閲覧するのを控えて、不愉快なものに意識を集中する時間を減らす。一方で、心が落ち着く光景を見たり、心地よい音楽を聴いたり、優しい気持ちになれるものに触れたりする時間を多く持つ。こうして、潜在意識に、日ごろから心地よいものをたくさんインプットして貯金しておくことは、悪夢を減らすだけではなく、起きている時の気分を全体的に上向きにするのにも役立つように思います。

また、寝る前にゲームをしたり、ネットサーフィンをして、あふれる情報を処理させることにより、脳を酷使させるのも、眠りを浅くして、不愉快な明晰夢を見やすくするようです。寝る数時間前は、できれば頭を休めて、ゆったりと過ごすことをおすすめします。

 

 

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解離性障害について(その3)

(その2のつづきです。)解離性障害の症状は、一時的に、現実の辛さや痛みから逃避する自己防衛の手段となり、特に子供時代は、この症状に助けられて、なんとか生き延びることができたという人もいると思います。

反面、解離という逃避手段は、長い目で見ると、生きる上で様々な障害をもたらします。

まず、解離して体と魂がズレている状態だと、意識が100%肉体の中にないので、五感を通じて得られる信号が脳に伝わりにくくなります。そうなると、生き生きとした感覚を得ることができないので、生きる喜びも感じられなくなります。

また、そのとき体験すべき痛みの感情を棚上げにし、潜在意識に無理に押し込めてしまうので、伸ばし延ばしにした分、後で大変になります。抑圧された痛みが表出するとき、より強烈に感じなければならず、処理するのが困難になるからです。 平たく言うと、後でツケが回ってくるということです。

そして、その1で書いた、自分のしたことを覚えていないクライアントさんのように、記憶の欠落を伴うほどのひどい解離の場合、自分自身を放棄して、別の存在に明け渡してしまう=自分の人生を自分でコントロールすることを放棄する、という無責任な状態になります。その結果、人間関係や社会的機能に支障をきたしたとしても、別の人格は責任を取ってくれません。結局は自分で後始末をするしかなく、最終的に、自分の人生がより混乱し苦痛が増えてしまうことになります。

実際、非常に辛かった過去のことを、あまり記憶していないという人は、後にうつ病や不安障害その他の精神障害を発症する人が多く、いつか、フタをしてやり過ごした過去に立ち戻って癒やさなければ、前に進めなくなるというときがくるようです。

では、解離障害はどうやって治したらいいのでしょうか。

私の考えでは、解離障害はたいていトラウマが原因で起こるものなので、トラウマを癒やすということ大前提です。これはある程度時間がかかるので、クライアントのペースを尊重しながら、人それぞれに合ったやり方で行います。

それと同時に、もっと即効性のある処置方法として、解離して体からズレてしまいがちな意識を、自分の意思で肉体に戻す方法を実践してもらいます。これは一つだけではなく、いくつかあります。

例えば、基本的なのは呼吸法。呼吸というのは、体と魂をつなぎとめておく大切なツールです。呼吸に意識を向けている間は、人の意識は肉体の中にとどまっています。なので、深くゆったり呼吸してもらい、息を吸ったり吐いたりするとき、鼻孔やのどの奥を空気が通るのを感じ、呼吸に意識を集中する。こうするだけでも、解離を防ぐことができます。

あとは、五感のどれかに意識を集中するという方法も、よく試してもらいます。人は五感を通じて現実を認識するので、意識を肉体に戻し、現実にとどめておくには、意識的に五感を感じるということが有効な手段となります。例えば、ストレスを感じて、魂と肉体のつながりがゆるくなり、意識が希薄になりかけているクライアントさんには、彼女が好きなペパーミントの香りのオイルを渡して、その香りを深く吸い込み、意識を集中してもらう。あるいは、彼女が好きな音楽をかけ、目を閉じて音に集中してもらう。そうすると、解離しかけた意識を現実に戻すことが可能です。

禅から発生したマインドフルネスという手法があって、これは意識を「今、ここ」に置くというやり方なのですが、マインドフルネスは、心理療法でも、鬱や不安、境界線パーソナリティ障害等に使われています。このマインドフルネスは、解離障害にもとても効果的な手法だと思います。例えば、一歩一歩、足の裏が地面にふれる感覚を感じながらゆっくり歩く(マインドフルウォーキング)とか、香や味、色、においまで意識しながら食べる、等、五感をフルに使い、「今、ここ」にフォーカスして日常の所作を行うことは、意識を肉体にしっかりつなぎとめ、現実に根差して生きることにつながり、解離傾向を改善するのに大いに役立ちます。

魂と肉体がしっかりつながっていて、意識が肉体に100%在る状態であるときは、意識がクリアになり、見えるものが色鮮やかに映る、安定した感じがする、活力ややる気が増して、思ったことをすぐに行動に移せるようになる、等の現象が起きてきます。これはいわゆるグラウンディングできている(地に足がついている)状態です。上記にあげた方法は、すべて、グラウンディングを促すためのスキルです。

トラウマの癒しとグラウンディングの実践、この2つの同時進行が、解離性障害を改善するカギになると、私は思います。解離しないで生きていられるようになると、生きる喜びをより強く感じることも可能になり、自分で自分の人生をコントロールして、より幸せに生きることも可能になるのだと思います。

 

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解離性障害について(その2)

(その1の続きです。)解離性障害がどういう仕組みで起こるか、それをお話する前に、特に解離性人格障害(多重人格)については、その存在自体を疑う専門家も中にはいる、という点に触れておきたいと思います。

サイコセラピストの中には、解離性人格障害はクライアントの狂言で、実際にはありえないとする人たちがいます。(アメリカにいたときの私の上司の一人がそうでした。)私は、狂言である場合も中にはあるけれど、実際に起こる現象だと考えています。

狂言が疑われるケースとしては、私が担当していたある同性愛者(レズビアン)のクライアントさんを思い出します。この人はもともとは女性で、夫も子供もいるのですが、性の不一致があり、女性であることが嫌でしかたがありませんでした。夫のことも友達としてしか見られず、でも離婚する勇気もなく、インターネットで女性のパートナーを探しては、家出と浮気を繰り返していました。

彼女(彼と呼ぶべきか迷うのですが、一応ここでは彼女と呼ぶことにします)は子供のころに性的虐待を受けていて、自分も子供を虐待する恐れがあるから育てたくないと言い、自分の子供は夫の両親に預けっぱなしでした。性の不一致と同性愛(この二つは必ずしも同時に起きるとは限りません)のことは、周囲の目を恐れて、夫以外には内緒にしていました。

彼女は、自分には別の人格があって、それはマイク(仮名)という男性だと言っていました。そして、マイクは自分の理想のタイプで、マイクになっているときの自分が大好きだ、というのでした。マイクになっているときは自分で気づくのだそうで、セッション中も時々、「あ、今、マイクになった。」「今のはマイクがしゃべった」というのですが、正直なところ、彼女とマイクの人格の差が私にはよくわかりませんでした。

彼女は強迫的な不安感からか、セッション中、いつも、言葉を差し挟む余地もないほど、ひっきりなしにしゃべり続けていて、表情は明るくニコニコと終始笑顔でした。ただ話を聴いてもらえば満足という感じで、彼女自身、治療的介入を望んでいるようには思えなかったのですが、それでも、セッションには毎回欠かさずやってくるのでした。

この人の場合、マイクという別の人格は、実際に存在するのではなく、どちらかというと、単なる強い憧れ(思い込み)なのではないかと、今振り返っても思います。本当に解離性人格障害を持つ人は、記憶の欠落や意識の希薄さを伴うため自分の症状に気づかなかったり、症状を恥ずかしいと感じて隠そうとしたり、症状に悩まされて喜びではなく苦しみを訴える傾向が強いようです。

このクライアントさんから受けたのは、自分の問題と向き合うことを恐れ、強い不安感を抱きながらも、それを隠して偽っているゆえに、アイデンティティがとっ散らかって収拾がつかなくなってしまっている、という印象でした。「無理をしている」という感じがどこかするので、話を聴いていてとても疲れるし、彼女自身も、本当は消耗して疲れ切っていたのではないかと思います。恐怖心を克服して、もっと自分に正直に生きれば楽になったのでしょうが、その時の彼女はまだ、怖さが勝っていて、内面を見つめなおしたり、変容を望んだりする段階まで来ていなかったのだと思います。

狂言や思い込みのケースはさておいて、ほんとうの解離性人格障害(多重人格)は、ひどい虐待を受けた人(特に子供)が、対処できないような痛みを逃れるために、別の人格を作り出し、身代わりにその人格を現実に向き合わせる、一種の防衛手段である、というのが、教科書的な説明になるかと思います。

実際、性的虐待を受けていたある幼ない女の子は、毎日虐待されることが嫌で嫌で仕方なかったので、自分以外の誰かほかの女の子がそれを受けるのだと強く想像しているうちに、本当にその女の子が自分の中に現れ、その間の記憶がなくなった、という話をしています。

想像が創造をもたらし、別の人格を呼び寄せるということは、実際に起こりうることだと私は思います。

スピリチュアルな観点から見ると、多重人格をはじめ、現実感喪失、離人症、記憶の欠落といった一連の症状は、精神的な衝撃により、体と魂にズレが生じ、体と意識の結びつきが希薄になった状態であると説明できます。

例えば事故を起こして意識不明になったときは、意識が体を認識していない状態、意識が体を離れてしまっている状態です。この状態を、私たちは実は毎晩のように経験しています。寝ている時や夢を見ている時、私たちの意識は自分の肉体を感覚器官を通じて認識することはありません。

精神的にひどくショックを受けたときも、事故を起こしたときと同様、意識(魂)がどこかに行ってしまって、体から離れてしまい、その状態が、解離障害を引き起こすというのが、私の個人的な見解です。

魂が体からズレてしまったとき、意識と体の結びつきが、希薄ではあるけれどまだつながっている場合、感覚器官から受け取るシグナルが弱くなるので、自分の体が自分ではないように思われたり、生き生きした現実感を感じにくくなる状態が起こります。けれども、まだ意識がつながっているので、かろうじて自分をコントロールする力は残っています。

けれども、もし、ズレがひどくて、意識が体からほぼ完全に飛び出してしまった場合、自分をコントロールする司令官がいなくなり、肉体は主がいない空き家のようになってしまうので、まったく別の人格が入り込んでしまうということが起こりうるのだと思います。誰かに憑依されているようにみえる重度の解離性人格障害は、この状態だといえます。実際、最新の精神医学手引書であるDSM-5は、解離性人格障害の診断基準の1つを「文化によっては憑依経験と表現される」としています。

(すみません、今回も終わりませんでした(^_^;)。またまた長くなってしまうので、その3に続きます。)

 

 

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解離性障害について(その1)

多重人格というのを聞いたことがある人は多いと思います。

突然人格が変わり、別人みたいにしゃべったりふるまったりし、ひどい場合はその間の記憶が全くないという、ジギルとハイドみたいな症状は、この多重人格、正確には解離性人格障害(Dissociative Identity Disorder)に該当します。

ここまで顕著なケースは比較的まれですが、たとえば、子供のころ虐待を受けた記憶が欠如しているとか、辛い目にあった子供のころのことをまったく覚えていないとか、いじめにあっていた小学校時代の記憶がところどころないという人は、割合たくさんいらっしゃいます。これは解離性健忘(Dissociative Amnesia)と言われる精神障害の症状に当てはまります。

解離性人格障害や解離性健忘を含めた精神障害のカテゴリーは、解離性障害(Dissociative Disorder)と呼ばれて、他には離人性/現実感喪失性障害(Depersonalization /Derealization Disorder )などがあります。(※Derealization Disorderの日本語名は、私が勝手につけたものです。これは昨年から新たに病名として加わったもので、まだ正式な日本語訳が広まっていないようです。)

ちなみに、離人性/現実感喪失性障害の主な症状は、自分が自分ではないように感じたり、自分の体にいないように感じる、または、周りの様子が非現実的に感じられたり、かすみがかかったように感じられたりすることです。これらの症状は、何かとてもショックな出来事があったときには、誰にでも起こりうるもので、精神障害と診断されるほどではない一過性の症状なら、約50%の成人が経験しているといわれています。

これらの解離性障害に該当する深刻なケースは、アメリカのサイコセラピーの現場では、しばしばみられました。

解離性人格障害で症状が重いクライアントさんだと、日によってアクセントや容姿、筆跡まで変わったりします。

50代の白人女性で、ある時は黒人訛りで話し、ある時はたどたどしい口調で、7歳くらいの女の子みたいにしゃべる。またある時は、どっと老け込んで、お婆さんみたいな外見になり、車いすでやってくる、といった人がいました。

この人は、別の人格になっているときは記憶がなくなってしまい、例えば私のオフィスに入ってきたとき、注射の綿が腕にテープで貼られていたので、

「病院に寄ってきたの?」

と聞くと、

「なんだ、これ?なんでこんなものが腕についているの!?」

と、自分の腕を見て驚く。病院はすぐ隣の建物で、彼女が注射したのは、おそらく30分以内だったのに、その記憶がないのです。

厄介なのは、こういう人たちは、別の人格になって記憶がない間に、時々、危ないことや後でトラブルになるようなことをしてしまうということです。

彼女の場合は、漂白剤を飲んで自殺を図り、緊急病棟に運ばれたのですが、たまたまその時オンコールで処置診断のために駆け付けた私に、

「また、やっちゃった。覚えてない。」

と笑うのでした。

彼女が別の人格になるトリガー(引き金)となるのは、鬱や不安を伴うストレスを引き起こす出来事で、漂白剤を飲んだときは、彼女が慕っていたお兄さんが殺された一周忌の日でした。

もう一人、私が受け持っていた男性のクライアントさんで、解離性人格障害の人は、別の人格になっているときに、職場の上司の留守番電話に、ひどいののしりのメッセージを残して、せっかく得た職場を失ったということがありました。

何かあったとき、彼は、私にも、いわゆるfxxxワードを使って、「お前のところにはもう二度といかない」というメールを送ってきたことがありました。

それに関して彼に聞いてみると、

「え、それ、オレが書いたの?全然、覚えていないんだ。そんなこと、人もあろうに、あなたに書くわけがない。きっと別の人格の時に書いたんだ。」

と、びっくり仰天し、ひどく申し訳ながりました。

その様子を見て、私は本当に彼は覚えていないのだと思いました。彼は私に対しては、いつもリスペクトを表し、礼儀正しく接してくれていたので、そんな悪態をついた言い方をすることは、そもそも考えにくいことでした。

この二人のクライアントさんを含め、多くの解離性人格障害の患者さんは、身体的・性的虐待を受けた過去があります。欧米では、この精神障害を持つ人の約9割が、幼児期に虐待やネグレクトを受けているという、統計があります。

(長くなるので、つづく。その2では、解離性障害をどう理解するか、どうやって改善に導いたらいいか、私なりの考えを書こうと思います。)

 

 

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DSM-5では、解離性障害を

症状がよくならない人

今までの経験上、症状がよくならない人の特徴を、思いつくままに書いてみます。

 

①人のせいにする人

 

自分の不幸を人のせいにする人は、まず確実によくなりません。

確かに、誰かが何かをしたために、その人の状況が誘発されたのかもしれないけれど、かといって、その人を非難しているばかりでは、よい変化は起こりません。

たとえば、誰かに騙されて、一文無しになったとして、何もせず、ソファに座って、毎日だました人に悪態をついてののしっているだけでは、状況が好転しないでしょう。犯人が人生の責任を取ってくれるわけではないので、立ち上がって、自分の人生を立て直す以外ない。

自分は犠牲者だとみなす、被害者意識が強い人、自己憐憫に浸っている人も、同様です。犠牲者だと思っているということは、自分が状況をコントロールする力があるという現実を否定し、自分は無力であると言っているのと同じだからです。

誰がほかの人がしたにせよ、自分の人生に起こったことは、やっぱり自分で責任を取るしかないのです。言い方を変えれば、自分の人生を本当に変えられるのは、人生の主人公である自分だけである。誰がなにをしようと、自分次第で自分の人生は変えられる、ということです。

 

②問題に直面するのを怖がって避け続ける人

 

特に深刻なトラウマを受けた人で、何年も何十年も、怖さのあまり、自分の心と向き合うのを避け続けている人は、心の問題は悪化の一途をたどります。そして、多くの人は、心の症状だけではなく、最終的に体の症状にも苦しむようになります。

怖いものというのは、避ければ避けるほど、もっと怖くなるもの。最終的に、目をそらせて気を紛らわすために、ドラッグやアルコール、その他のさまざまな依存症に陥る人も多いです。そうなると、問題がさらに複雑化して根深くなるので心の傷を回復することは、何年もかかってしまうことがよくあります。

心の問題は、いつかは直面しなければならないもの。準備ができていないうちに傷を暴くことはよくないのですが、早く対処したほうがいいというのは、やはり言えると思います。

 

 

③頑張る方向が間違っている人

 

よくなろうと一生懸命努力しているのだけど、その方向性が間違っている人は、疲れるだけでよくならないと思います。

例えば、愛からではなく依存から、自己犠牲を払って尽くしたり、自尊心を踏みにじられてもパートナーと一緒にいようとする人。喜びのためではなく、不安を埋めるために、無理をして何かを頑張り続けた挙句、達成感よりも虚しさを味わってしまう人など。

こういう場合、骨折り損のくたびれ儲けどころか、心の状態を悪化させることになってしまうので、それを防ぐためにも、自分の苦しみの原因が本当はどこにあって、どういうふうに対処したらいいか、見極めることはとても大切だと思います。

 

 

④薬に依存しすぎる人

 

うつ病や抗不安剤などの向精神薬に頼りすぎて、それ以外何もしない人は、私の見てきた中では、よくなった人があまりいませんでした。

私が以前診ていたクライアントさんで、自己評価がとても低く、なんでも悲観的・否定的な見方をする人がいました。この人は慢性的なうつを患っており、精神科医による薬物療法と、サイコセラピストによる心理療法の両方を受けていたのですが、彼女はSSRI系のある薬にとてもよく反応し、これを飲むとうつがウソのようによくなると言って、あまり心理療法のセッションには来ませんでした。

薬で症状が抑えられているうちはおかったのですが、彼女の鬱は何年にもわたる長期的なもので、やがて経済的に薬を買いつづけることが難しくなり、それまで飲んでいた薬をより安価なジェネリックの薬に替えた途端に、鬱がもどってきしまいました。

抗鬱剤にできることは、概して、体の痛みどめと同様、脳内の神経伝達物質の量や働きを操作して鈍らせ、あまり感情的な刺激を感じなくすること。うつを引き起こしている心的な原因を取り除くことではありません。加えて、薬で神経伝達物質を操作する習慣がつくと、薬が体内にある状態が正常になっていまいます。脳内の神経伝達物質は、感情反応や外からの刺激によって増減するもの。気持ちを自分でコントロールする力を身に付ければ、神経伝達物質のバランスも調整できていくはずですが、薬に依存してしまうと、自分で自然に操作する力を失ってしまう、つまり、自分で自分をコントロールする力を失う、ことになってしまう。薬は一般に腎臓や肝臓にダメージを与えるので、東洋医学でいうところの生命力をつかさどる器官からエネルギーが奪われることにより、活力を喪失してしまうことも重要な副作用です。これらの理由から、よほどの症状で場合でない限り、薬にだけ頼り続けるのは、私は疑問を感じます。

上述のクライアントさんとても共依存的な傾向にあり、元夫に虐待をうけていた過去があったのですが、その辺を含めて、彼女の鬱を引き起こし、人生に障害をもたらしているものの考え方や行動の癖をなんとかしなければ、やはり根本的な改善には至らないかったと思います。

ちなみに、アメリカでは、心理療法がとても盛んで、私が勤めていた職場では、クライアントは薬をもらいにくるだけではなく、投薬治療と並行して、必ず心理療法も受けなければならないことになっていました。職場には1人の精神科医と、私を含めて4~5人の心理療法士、3~4人の(日本でいうところの)ソーシャルワーカーその他の専門スタッフがいて、手厚くサービスを受けられるシステムが整っていました。費用の点でも、保険が適用になる上、州政府の補助もあって、お金が払えない人はただ同然で専門的治療を受けることができたので、精神障害をもつクライアントさんたちにとっては、恵まれた環境だったと思います。

日本の精神医療ももっと整備されて、より多くの人が、安い費用で高品質な治療的サービスを受けられるようになっていけばいいなと思います。

 

 

 

 

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罪悪感について

罪悪感というのは、一時的に持つ分には、自省して今後の行動を改正するのに役立つ感情だと思います。でも、長い間持ち続けると、心をむしばみ、自尊心を喪失させ、気持ちを萎縮させて、前に進むことを足止めしてしまう、有害な感情になってしまうものだと思います。

罪悪感を長年持ち続けた人というと、すぐに頭に思い浮かぶクライアントさんが2人ほどいるのですが、2人とも、とても自尊心が低く、恐怖心が強く、極度の鬱状態にある人たちでした。

一人は、若いころの性的虐待を期に、ゲイになってしまい、そのことを周囲に隠しつづけてきた50代の男性。彼は厳格なクリスチャンだったため、同性愛が罪だと信じ込んでいて、そのことが彼の罪悪感と羞恥心に拍車をかけていました。

同性愛であるとか異性愛であるという性的指向は、自分のアイデンティティの一部なので、それを恥じたり、隠したりするということは、非常にストレスになります。例えば、自分が日本人であるということに罪悪感を感じ、隠して生きなければならないと想像してみてください。自分を作り上げている個性の一部を否定するということが、いかに不自然で苦痛を生じるものであるか、わかると思います。

彼は、30年以上も自分のアイデンティティに罪悪感を抱き続けた結果、深刻なうつとアルコール依存、パニック障害を発症して、家から一歩も出られないところまで精神状態が悪化してしまいました。外に出て誰かに行き会うと、その人が自分を見ている気がします。周囲の人たちに心の中を見透かされているのではないか、みんなが自分のことを話しているのではないかと、常に恐怖におびえ、仕事に行くこともできなくなり、ささいな物音にも、文字通り飛び上がって、ガタガタ震えるようになってしまいました。

この人は、30年間にわたって心の中に押さえつけてきた罪悪感が、根強い恐怖感に変わってしまっていたため、症状がひどく悪化していたのでした。自分の性的指向をそのまま受け入れて、罪悪感を手放すことが、症状の改善のためには必須だったのですが、彼の宗教観がそれを容易には許さず、さらに、日々の大量飲酒で自分と向き合うことを避けていたため、進展はないとはいわないけれど、遅々してなかなか思うようには進みませんでした。

もう一人は、幼いころに、夫と別れた母親に恋人代わりにされ、性的虐待を受けていた40代の男性です。彼は、まだ子供のときに、母親の倒錯した愛情にひどく混乱させられ、心に深い傷を負ったため、その記憶を抑圧して、顕在意識から抹殺するという選択を取っていました。なので、私がカウンセリングを始めて1年くらいは、5歳くらいのときに、なにかひどいことがあったという以外は、思い出すことができず、子供のころはとても不幸だったけれど、具体的なことは覚えていないというばかりでした。

この男性の症状は、アルコール依存(以前は種々のドラッグ依存)、解離性人格障害、うつ病、パニック障害でした。非常に自尊心が低く、自己破壊的で、破滅的な行動を起こしては、自分の人生に不幸の種を作り出していました。特に女性関係において、彼は自分の破壊的衝動を抑えることができず、自分を傷つけるような危険な相手を選んでは、みじめな結末を迎えるということを繰り返していました。

彼は、子供のころの自分と向き合うことを非常に恐れていたのですが、1年以上セッションを重ねてから、ようやく性的虐待の記憶の断片を思い出して、少し語れるようになりました。それを聞いてはじめて、彼の自嘲的で自己破壊的な傾向の幾分かが、母親の性的虐待による近親相姦という、強い自責の念から来ていたことがわかりました。

彼の中には、傷ついた5歳の男の子のまま成長を止めてしまった部分がどこかにあって、辛い記憶を打ち明けて号泣したときの彼は、40歳の大人ではなく、幼い子供そのものでした。とてもシニカルで、人に対しても辛辣なところがある人でしたが、根は優しい人だったので、この人のインナーチャイルドが癒され、罪悪感を手放すことができたら、生まれ変わることができるだろうと思います。

このように、長い間心に抱え込んだ罪悪感は、心をむしばみ、凍結してしまうものです。

罪悪感にさいなまれているなら、はやめに対処して、心から解放してあげることが大切だと思います。

 

 

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