盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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3つの危機反応とトラウマ

危険が差し迫ったとき、私たちの身体は、頭で考えるより先に、ストレス・ホルモンである、アドレナリンとコルチゾールを分泌します。この働きによって、心臓は血液をたくさん分泌するためにドキドキと早く打ち、酸素をたくさん体に取り入れようとして呼吸も早くなり、体の筋肉はぎゅっと収縮して固くなります。つまり、次の瞬間、体が素早く動いて、戦うか逃げるかして、危険から逃れるための準備を、身体が自動的にしてくれるわけで、これを「戦うか、逃げるか反応(fight or flight response)」といいます。このとき、私たちの意識は脅威を与える源に最大限に集中し、それ以外の情報はシャットダウンします。

戦うか逃げるか反応が起きている時は、理性や社会性を司る新しい脳が働かなくなり、動物的な古い脳が活性化します。なので、誰かと愛想よくしゃべったり、笑いあったりといった、社交的な関わりはできなくなります。

心身が強い脅威に脅かされ、トラウマが残ると、危険が過ぎ去った後でも、体がこの危機モードになったままの状態になります。そうなると、人は、自分の周りを取り巻くあらゆるものに危険を見つけ出そうとして、常に目を凝らします。そして、敏感すぎる火災警報装置のように、どんな無害な環境にでも、誤作動を起こして、過剰に反応します。

先ほども触れたように、この状態では、古い脳が優勢であり、社交性や共感力を司る新しい脳が不活発なので、人との交流も上手くいかなくなります。人との関わりを楽しむためには、安全や安心を感じ、心を許すことが必要なのですが、常に見えない危険にさらされている(と脳が認識している)状態では、周りの人々=敵である、という意識がどこかにあるので、心に防御壁を張り巡らせてしまうことになります。こうなると、当然、人と深いレベルでつながることができなくなり、対人関係にも支障をきたしてしまいがちになります。

ここまで、戦うか逃げるか反応について書いてきましたが、実は、危険にさらされたときの反応は、戦うか逃げるか以外に、もう1つあります。

それが、「凍りつく」という3つめの反応です。

歩いている虫を手で触ったとき、びっくりした虫がひっくり返って、死んだようになり、しばらく動かなくなるのを見たことがあるでしょうか。あの反応が「凍りつく」です。あの状態は、死んだふりをしているのではなく、本当に体が硬直して、意識を失っているのだそうで、死んだと思わせて敵をやり過ごすためだとか、余計なエネルギーを消耗しないで済むための省エネモードだとか、死の痛みを感じさせないために起こるとか、言われています。

ただし、虫や動物なら、ひとたび危険が去ると、凍りついた状態から比較的すぐに立ち直って、何事もなかったようにまた活動できるのですが、人間はなかなかそうはいきません。

この「凍りつく」という反応が起こるとき、人は絶望感に襲われ、無気力になります。

脅威を与えるものと戦ったり逃げたりして、自分でなんとか身の安全を取り戻すことができるなら、まだ、自力で状況を打破できるというので、人は通常、無力感には囚われません。そもそも、戦うか逃げるか反応は、エネルギーが活性化されるので、一時的にパワーがみなぎった状態です。絶望や無気力とは正反対の状態です。

けれども、もしどうやっても恐ろしい危険から逃れることができないと判断すると、人は戦うことも逃げることもあきらめて、何もしなくなります。この時、意識は、痛みを感じたくないあまり、外からの感覚を遮断し、外界と関わることをやめてしまいます。つまり、解離を起こすわけです。これは日常的に虐待された子供が、よく取る手段です。体は現実世界から逃げることができないので、意識だけ体から離れてしまうのです。

この状態にある人は、痛みも感じにくい代わりに、喜びや幸せを感じることもできなくなり、鬱状態に陥りやすくなります。現実を感じないよう、感覚を制限しているということは、五感を通して、「今、ここ」にあるものをフルに味わい、楽しむことができないということであり、生き生きと生きることができない、ということを意味するからです。

さて、ここまで、危険に際しての3つの反応、「戦うか、逃げるか、凍りつくか」ついて書いてきましたが、これらの反応を起こしている時、脳がどのような状態になるかを明らかにした、興味深い実験があります。

この実験は、カナダで87台を巻き込む大規模な交通事故に遭遇し、悲劇的な状況をなすすべもなく目撃したのちに助け出された、一組の夫婦に対して、同意のもとに行われました。この夫婦に、事故の光景を思い浮かべてもらい、その間の脳の状態を調べたのですが、結果として、彼らの脳波はそれぞれ、とても顕著な様相を示していることがわかりました。

今に生きることできず、生を楽しむことができない、という点においては、フラッシュバックに苦しみ、戦うか逃げるか反応にとどまってしまっている人も同じということなのです。フラッシュバックそのものが、現在から過去への解離現象だからです。 

これに対して、妻の方の脳は、全体的に不活発で、どこも動いていない、文字通り真っ白な状態。つまり、意識が体から解離して、離人症を起こしてしまっていました。妻の方は、幼いころのトラウマを、いつも解離して逃避することでやり過ごす癖があったため、古いパターンを繰り返していたのでした。

ちなみに、この夫婦は、後に適切なセラピーを受けて、お二人ともトラウマを克服されたそうです。

以上からもわかるとおり、トラウマというのは、「出来事そのもの」ではなく、「出来事によって引き起こされた身体反応がもたらした知覚」です。

トラウマの言語は、言葉ではなく、感覚です。身体に染みついた感覚をいかに削除し、「それはもう終わった。今はもう安全だ」という情報を、身体に新たに覚えさせることができれば、トラウマは克服できる、ということなのです。

トラウマについては、機会を見て、続きをまた書きたいと思います。                                          (Chika)

 

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何をしゃべっていいかわからない時

新しい職場で、みんなと何をしゃべっていいかわからない、緊張して身構えてしまう。周りに溶け込めなくてつらい、という方が時々いらっしゃいます。

そんなとき、私なら、何もしゃべりません(笑)。

話したいことが自分の中に自然にわいてこないのに、無理に話そうとしても、その心地悪い思いが相手に伝わって、相手も居心地が悪くなるだけだから。

私は、自分の中に、本当に発したい思いが浮かんだときだけ、相手に話かけます。(まあ、歳を経るごとに、無理に人に合わせようと思わなくなってきたし、人にどう思われてもあまり気にしなくなってきたので、それができるというのもありますが。もっと若いときは、無理に話そうとして失敗したことも、結構あったような(-“-)。)

新しい場所で、新しい人たちと接するとき、なぜ緊張して言葉が出てこなくなるかというと、人に好かれなきゃ、嫌われないようにしなきゃ、という思いが裏にあるから、ということが多いように思います。

みなさんは、「この人に好かれなきゃ、嫌われないようにしなきゃ」という意図をもって話しかけられるのと、純粋に自分に興味を抱いているから話しかけられるのと、どっちがうれしいですか。

前者は、結局、意図が自分中心なので、相手の心にまっすぐ響きにくいんですね。

本当にこの人と仲良くなりたい、と思うなら、その人に対して、興味がある、ということですね。

興味があるなら、その人のことをいろいろ知りたいと思うでしょう。

初対面の人と話すとき、何をしゃべっていいかわからないときは、その人にいろいろ質問をすると、うまくいくことが多いです。

例えばですが、

「どちらのご出身ですか」

「へ~。〇〇県ですか。行ったことないなあ。どんなところですか。」

「この町と、生まれた町と、どっちが好きですか。どんなところがですか?」

等、イエス・ノーで答えられるクローズド・クエスチョンではなく、話が広がるオープンクエスチョンで質問し、相手の答えには関心を示しながら聞いてみる。

関心を持って話を聞いてもらえるのって、ふつう、誰でもうれしいものなんですよね。(よほど何かトラウマがあって、対人恐怖が強い人とか、被害妄想がある人、特に不安が強い人などは別ですが。)

うれしいときって、心が開くんですね。だから、こういう会話の仕方をすると、相手の心は開きやすくなる。

かつ、人って、自分に好意を持ってくれる人のことを嫌いになるのは、とても難しいんですよね。だから、純粋な好意と関心を示しながらこういうふうに話しかけてくる人に対しては、相手も心を許しやすくなるというわけです

私自身は、内向的な性格で、誰にでもそつなくペラペラ話かけられる話術は持ち合わせていないのですが、好奇心だけは強い方なので、初対面の人にでも、なにかしら興味を持って、話を聞くことができる方だと思います。

なので、何を話していいかわからない、ということは、あんまりないかな、と思います。(とか、偉そうに言っていますが、考えてみると最初からそうだったわけではなく、人の話を聞くのが仕事なので、経験で培ったって部分も多々あります(^_^;)。)

後、コツとしては、やっぱり、先に書いたように、何を話していいかわからない、言い換えるなら、自分の中に純粋に表現したい何かがまだ生まれていないのに、何か話さなきゃ、と、無理に頭をひねって話そうとしない。つまり、作為的に人に接することはしないで、自然体でいるということ。「~しなきゃ」という義務から会話するのではなく、「~したい」という自然な欲求に、できるだけ忠実でいるということかな。

そのほうが、変に力が入らないで、リラックスして自然なコミュニケーションができるので、結局、自分も相手も居心地良くいられる空間を作ることができるのだと思います。

                                              (Chika)

                                                                                           

 

 

 

 

 

 

 

子どもを叱らない親

最近、とても気になることは、子どもを叱れない?叱らない?親御さんが目に付くようになってきたことです。

子どもが道徳的に良くないことをしても、見て見ぬ振りをする、あるいは、それが良くないことと認識していないかのように、黙って見ている、一応、叱っているようだが、子どもの耳に入っているのかいないのか、無視されてしまうなど、色々なパターンがあるようです。

いずれにしても、親御さんは、道徳を教える役割を捨ててはいけません。

赤ちゃんは、首がすわる前は、天井ばかり見えていましたが、腹ばいができるようになると床周辺が見えてきます。子どもが集まる場所に連れて行けば、自分と同じような小さな人間(=子ども)が視野に入ってきます。
お座りをする頃には、その小さな人間に(=子ども)気づき始めます。

子どもが、自分以外の子どもに気づき始める頃から、おそらく、親御さん方は、無意識に躾をし始めているでしょう。向かい合ってお座りしている子ども同士で、相手の目や口など動くものに興味を持ち、触ろうとすると、おそらく、親御さん方は、「イタイイタイだからダメよ。」などと言うでしょう。
このようなことを繰り返して、小さい時から、良いは良い、悪いは悪いと伝えていくことは、親の役割です。

大きくなると、自我が芽生えますから、自分の感情や感覚、思考により、わかっていながらも道徳に反した行動をとる時があります。それを親に注意された時に、反発、無視し続ける場合があります。

このような場合、親子の関係性を改めて振り返った方が良いでしょう。
様々な原因がありますが、その一つに、小さい時に、きちんと良いは良い、悪いは悪いと教えてこなかったということがあります。自我が芽生えてから急に教えても、道徳を教えるという関係が親子間に元々のないので、子どもにしてみれば、「今まで叱らなかったのに、急に何言ってるの?」という感じでしょう。

「褒めて育てよ」「子どもと同じ目線で」「ちゃんと認めましょう」などなど子育てのキーワードが世に溢れていますが、意味を履き違えないように気を付けましょう。

 

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                                         (佐々木 智恵)

惨めになるための15の方法

1.   誰かが幸せにしてくれるのを待っている。

2.   不幸を自分以外の誰かのせいにする。

3.   時間やお金や交友関係について、「もし~さえあれば」という言葉を、ことあるごとに使う。

4.   自分が持っているものと人が持っているものを比べる。

5.   いつも深刻である。

6.  常に全責任を背負い込む。

7. いつも、あらゆる人を喜ばせようと努める。(決してノーといわない。)

8.    人を助けるが、人に助けてもらおうとしない。

9. 自分の欲求を重要視しない。

10.人にほめられても信じないで疑う。

11.人の言葉を大げさにとる。

12.いつも冷静で恰好よくいようとする。

13.変化に徹底的に抵抗する。

14.完全無欠でいようと頑張る。

15.  いつも過去か未来に生きている。

                               (Chika)

 

 

 

 

苦しみの最大の原因

「私たちの苦しみの最大の原因は、私たちが自分自身につくウソだ。(The greatest source of our suffering are the lies we tell ourselves.)」

今読んでいる、トラウマ治療に関する本、The BODY KEEPS the SCORE(Bessel Van Der Kolk, M.D.著)に出てきた言葉です。

 

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Van Der Kolk博士は、アメリカの精神科医であり、PTSD治療の先駆者であり、第一人者ですが、先日、彼のセミナーをWebcastで受けて、とても興味深かったので、今回渡米した時、本屋さんに立ち寄り、この本を買ってきました。

冒頭の言葉は、Van Der Kolk博士の先生だったElvin Semradという人が言った言葉だそうで、この先生は、私たちは、経験するあらゆる側面において、自分自身に正直でなければならない、といっていたそうです。

この言葉は、とても腑に落ちました。

心の病気は、私たちがあらゆる体験において、自分に正直であり続けることを許せば、起こらないのだと思います。

自分の心を偽って、思ってもいないことを口にしたり、思っていることを言わなかったり、感じていることを感じていないふりをしたり、見えているものを見ないふりをしたりしなければ、ストレスが細胞に刻み込まれることはなく、したがって心は病気には(ひいては体の病気にも)ならないのだと思います。

このElvin Semradという先生に関して、Van Der Kolk博士は、もう一つ、印象的なエピソードを挙げています。

博士がまだ学生の頃、

「先生、この患者は、統合失調症(Schizophrenia)だと思いますか、それとも統合失調感情障害(Schizoaffective Disorder)でしょうか。」と聞きに行くと、

この先生は、考え込んだふりをして、

「私なら、この人をMichael McIntyre(患者の本名)と呼ぶよ。」

と答えたそうです。

診断名に囚われず、その人自身を見よ、ということ。

これは、私も本当にそう思います。

診断名はある意味貼られたレッテルに過ぎず、このレッテルは、診断する側によって、患者のその時の状況によって、常に変わりうる。精神疾患の診断名自体、人間が考え出したものに過ぎない。精神疾患の名前も、精神医学界の偉い人の一言で、変わったり、新しくできたり、なくなったりするものです。

そんなものに迷わされず、患者自身を見なさい、という教えは、素晴らしいと思います

こういう人は(そして、その言葉の価値がわかるVan Der Kolk博士も、もちろん)、患者を深い部分から理解して、その真のニーズを把握しながら、優れた治療を施すことができる、本物のセラピストなのだと思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                             (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカでセミナー受けてきました。

先週、オレゴン州ポートランドで開催された、PTSDの、とある治療法に関するセミナーを、3日間にわたって受講してきました。

ハードスケジュールだったので疲れましたが、とても充実した日々でした。

アメリカの精神医療のセミナーは、とても質が高く、いかにして精神疾患を治療するか、という具体的で実践的な内容のものが多いので、私は大好きです。

もう少し落ち着いたら、またこのブログ上でも、今回学んだことをシェアしていきたいと思います。

                                              (Chika) 

 

 

 

セミナー会場となった、ポートランドのダウンタウンにあるホテル。

 

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ホテル付近の街並み。紅葉がきれいでした。

 

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臨時休業のお知らせ

セラピールームハミングバードは、11月9日から11月15日まで、お休みさせていただきます。

その間、メールによるお問い合わせ、お申し込みは受付しておりますが、返信は16日以降になりますので、ご了承ください。

ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

 

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視野を広く保つ

呼吸が浅くなっている時、肩に力が入っている時は、視野が狭くなります。

肩から上に氣が集まりすぎて、頭に血が上ってしまうので、冷静に考えることができなくなり、視野がせまくなるのです。

こういうときは、深い息をついて、大きくゆったりした呼吸を意識的に何度か繰り返し、同時に肩の力も抜きましょう。

そうすると、視野が開けて意識が拡大するので、今まで気づかなかったことに気づけるようになったり、より客観的に状況を捉えることができやすくなるでしょう。

 

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外の世界で目に入るもの

なにかが自分の心の中を大きく占めていると、外の世界でも、それをいたるところで見てしまうようになります。

例えば、心の奥深くに、見ないようにしている未解決の恐れがあれば、恐れを感じるような対象に引き付けられ、出会ってしまいます。

古い怒りを押し込めたまま生きていると、それが引き出されるような人や状況に、いたるところで遭遇するでしょう。

誰かに力で支配された経験があり、権力を嫌悪している人は、コントロール欲求の強い人がいたるところにいるように思われ、また、現実に、職場などでそういう人と出くわし、さらに不自由で窮屈な体験を重ねる傾向があります。

このおうに、意識の奥に潜んでいる恐れや怒りなどの不快な感情は、繰り返しそれを誘発する外の世界のできごとにより、さらに強化され、自分の中に定着するようになっています。あなたが、それに気づくまでは。

もし、自分のパターンに気づいて、心の奥深くにある傷を癒やすことができれば、もう、それを呼び起こすような人や状況には出会わなくなっていくものです。なぜなら、波長が合わなくなるからです。

ここまで、ネガティブな要素にばかり触れてきましたが、同じことは、自分の潜在意識を占めるいいものに関しても当てはまります。

美しい意識をたくさん抱いている人は、外の世界に多くの美しいものを見出しますし、優しさがあふれている人は、優しい人や状況に出会うでしょう。

愛が深い人は、外の世界に、愛をたくさん見出すでしょう。

つまり、人は、概して、自分の中に存在するものを、外の世界に投影して見るということです。

これは、今、自分の周りに見えるものが好きではないのなら、自分の内面を変えればいいということにもなります。

自分の人生を好きなように作りかえる秘訣が、ここにあると思います。                                                                                                                                            (Chika)

 

 

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トラウマの真実(2)

トラウマの真実(1)のつづきです。

Bessel A. Van der Kolk博士によると、複雑なトラウマ体験をした人は、愛着面において問題を抱えるようになります。結果として、社会で人と関わっていくことが困難をきたすことが多いです。

人間の脳は、おおざっぱに分けて、前面が新しい脳で、後ろ側が古い原始的な脳になります。前面の新しい脳は、主に体の外で何が起こっているかにフォーカスし、人との関わりに関心を向け、属する社会や文化に適応するような行動をとるよう促す役割を果たしています。これに対し、後ろ側の古い脳は、動物的な本能を司り、体の中で何が起こっているかを監視する役割があります。

前面の社会脳は、平常時には活発に動いているのですが、非常にショッキングな体験をして、「戦うか逃げるか」南濃を起こすと、動きが鈍ってゆっくりになります。代わりに、後ろの原始脳が活性化し、サバイバルモードになります。この状態になると、周りで何が起こっているか注意を向けて、人とつながったり、交流を図ったり、ということができなくなります。

自分が生き残るため、身を守ることにすべての関心が行くので、自分の中だけで精いっぱいになり、外の世界の出来事を捉えて、味わい、体験するという余裕がなくなる、というわけですね。

そもそも、社会性を持ち、人との交流を図る、という行為は、「安全である」という前提がなければ、本当の意味できないことです。(うわべだけならできるかもしれませんが。)

脳の扁桃体は、危険を知らせてくれる煙探知機のような役割を持っているのですが、トラウマ体験をした人は、ここが「異常に敏感な煙探知機」のようになってしまい、あらゆるところに危険を察知してしまうようになります。こうなると、生存のために自分の中で起こっていることにばかり意識が行くので、人や社会とうまくつながることも、当然できなくなります。

かつ、人との関わりでひどく傷ついて、トラウマになった人は、「他人=安全ではない。害を及ぼす敵である。」という意識が根底にあるので、身を守ろうと見えない敵と常に戦おうとして、非常に消耗します。

過剰反応を起こしている脳を鎮めて、無駄な戦いをやめて、恒常的な生き残りモードから抜け出すためには、「安全だ」という認識を脳に持たせることが必須なわけです。

「危険は去った。あれは過去のことだ。今は安全だ。もう戦わなくてもいい。」という意識を、改めて植え付けるためには、Bessel A. Van der Kolk博士は、ヒプノセラピーなどが効果的であること、また、想像力を呼び起こし、実際に起きたのとは違う結末を思い描き、様々な可能性があることを認識させることにより、前頭葉を活発化させることの重要性なども説いていました。

私としては、現実に起こったのとは違うストーリーを描き、信じ込むことは、なかなか難しいと思うのですが、何が起こったかよりも、それをどうとらえるか、自分にとってどういう意味があるかの方が、実際 には重要だと思います。そして、その部分は、変換することが可能です。

過去のショッキングな出来事に、建設的な意味を持たせることができれば、過去の記憶は大きく書き換わるし、それによって、人や世界は安全ではない、という思考の上での刷り込みや体に染みついた感覚もなくすことができます。そうすれば、人とつながって、意味深い交流を図り、幸せな人生の構築を再開することは全く可能だし(なぜならそういうケースを臨床上見てきているから)、それがトラウマを乗り越えるということだと私は思います。    (Chika)