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昨年開催した感情の扱い方のセミナーに参加していただいた方にはおさらいになりますが、ネガティブな感情の扱い方を、ごく簡単に書いてみたいと思います。
ネガティブな感情は、その感情を抱いたとき、通常取りたくなる行動の反対のことをして対処する。
たとえば、何かを恐れているときは、そのものから逃げたり避けたりしたくなるのが人情ですが、避けないであえて直面する。そしてそれを何度も繰り返し行えば、しまいに怖くなくなります。
例えば、人前でスピーチするのが怖いとき、何度も場数を踏めば、慣れて怖くなくなる、など。
悲しいときは引きこもりたくなるかもしれませんが、あえて外に出るようにするとどっぷり落ち込むのを避けられるかもしれません。
誰かに腹を立てた時は、その誰かに向かっていき、攻撃したくなるのが自然ですが、そういうときは、あえてその人から離れて距離を置くほうがよいでしょう。
怒りの感情のままにぶつかっていくと、たいてい、言わなくてもいいことをいったり、最悪、手を上げたりしてしまい、人間関係がこじれて、もっと問題を増やしてしまいます。自分の苦痛を増やさないためにも、感情のコントロールができるくらい落ち着くまでは、いったんその場を離れたほうが賢明でしょう。
あるいは、怒っている相手にいじわるをしたり、苦しめたりしたい気分になるのを、あえて優しくするのも効果的な場合があります(これをするのは、「言うは易し、行うは難し」なんですが)。自分に好意を向けてくる相手を攻撃したり、傷つけたりするのは、通常の人間関係においては、結構難しいもの。こちらがあえて優しくすることにより、相手の敵意が和らぎ、その場の空気が変わり、結果として、こちらの怒りも和らぐということが起こりえます。
以上、基本的な「ネガティブ」感情の対処法を書きましたが、本当は感情にはポジティブもネガティブもないんですよね。快い感情とか、痛い感情とかはありますが、いい、悪いというのは実際にはありません。どんな感情も必要だから起こる、ただそれだけです。
一番大事なのは、どんな感情であっても、自分の感情をちゃんと認識して、体験する、ということ。それが自分の感情を大事にするということでもあると思います。
そうすると、感情は滞らずに流れていきますから。
多くの心の問題は、感情の滞りから発生するのだと思います。
どうか、自分の感情(気持ち)は、大切に扱ってください。
最近、ゆっくり記事を書く暇がないので、写真だけで失礼します。
ネコや犬って、みんな天使だと思います。
動物大好きな私は、日ごろから、クマに遭遇しても、怖いというよりは、きっと話せばわかる、と思っているたちです。ちなみに、今までに2回野生のクマに出会ったことがありますが、いずれも車の中からなので、話す機会はありませんでした。
「話せばわかる」で思い出しましたが、ハチって、こちらが助けようと思ってさわると、例えつかんだとしても、刺さないんですよね。助けてくれているってわかるみたいです。(「話せばわかる」関係ないか。)
私はよく、プールやバケツの水で溺れかけているハチを手でつかんで助けるのですが、刺されたことがありません。 (Chika)
感情はどれもエネルギー源ですが、怒りの感情は特にそう。行動へと駆り立てるエネルギーを与えてくれますね。
でも、「見返してやりたい」という、復讐の気持ちで何かをすると、それを成し遂げたところで、幸せな結果はもたらさないと思います。
行動の動機がねじまがっていると、ねじまがった結果が自分に返ってくるものですから。
怒りが恨みに変わると、執着が生まれ、過去を手放せなくなり、苦しみが生じます。
場合によっては非常に難しいことかもしれませんが、できればさっさと相手を許して、自分の怒りを解消し、過去の嫌なことと手を切って、前へ進んだほうが、自分のためにいいと思います。
結局のところ、誰かを許すことって、本当は相手のためにするのではなく、自分のためにするものです。 (Chika)
前回、「こういう風にすると、だいたいこうなる」、という、心の原因と結果の法則について書きました。その流れで、今回は、自分の人生に何が結果として現れるか、それを決定する因子について、ちょっと書いてみたいと思います。
「決定する因子」とは、要するに原因のことですが、それは実は、何をするか、ではなく、何を意図するか、なんですね。
言動そのものよりも、どういう気持ちでそれを言うか、あるいはするかのほうが大事。
よこしまな心で、善行を行っても、いい結果はもたらされない、ということ。
逆に、純粋に利他的な気持ちで行うなら、それがたとえ成就しなかったとしても、やがて自分にいい結果として返ってくるものです。
それが目に見えない法則だからです。
もし神様仏様、その他なんでもいいですが、人間より賢くて、なんでもお見通しの存在がいるとしたら、その存在は表面的な行いよりも、それをどういう気持ちで行ったかを見通して、そっちのほうを評価すると思いませんか?
たとえば、誰かに気に入られようとして、心にもないお世辞を言っても、結局のところ、その相手に本当に貴ばれたり、一目置かれたりすることはないでしょう。相手が鋭い人であれば、かえって不快がられるのが関の山でしょう。
一方で、本当にこの人はすごい、と思って、心からそれを伝えると、相手の心に響くもの。喜んだ相手は、あなたのことを好ましく思ってくれるでしょう。
別の例でいうと、経済的に豊かでなくて、不自由させることになったとしても、子供のために汗水たらして一生懸命働く親を見て育った子供は、だいたい親を大切にするようになります。対して、裕福な家庭で、物質的には何不自由ない生活をさせたとしても、子供に愛情を注がなければ、その子供はしばしば満たされない思いから怒りを抱いて成長し、親子関係はこじれたり冷めたりしがちです。
要するに、その行動のベースに愛があるかどうか。
それが結果として自分に返ってくる。これこそ、シンプルにして、絶対的な原因と結果の法則です。 (Chika)
①憎しみから行動すると、苦しい結果を招きよせる。
誰かを見返したい、というのも憎しみの一種だと思います。行動の源が喜びや愛情から来ている場合は、自分にとっても周囲にとっても、よい結果が得られるものです。
②心にバリアを張りすぎると、孤独になる。
ひどく傷ついた経験がある人は、心にバリアを張り巡らせる傾向があります。それをすると人と接しない分傷つかなくて済む反面、孤独感が深まり、満たされない思いが強まります。誰に対して心を開き、誰に対しては用心して閉じておくか、識別する目を養うと、傷つくことなく、人と交流できるようになります。
③怖いことから逃げると、そのことはもっと怖くなる。
目を背ければ背けるほど、そのものの心に対するネガティブな影響力は増すものです。逃げきれないものならば、腹をくくって対面したほうが、余計な恐怖心を増加しないですむ分、効果的です。
④人からよく思われようとすればするほど、人からよく思われない。
そんなこと考えないで自然体でいるほうが、人が寄ってきます。自分がどう思われるかより、どうやったら相手が心地よくいられるか、というのも考えながら接すると、緊張や不安なく話すことがより容易になるでしょう。そうすることにより、自分に向けられたフォーカスが、他者に向けられるため、自意識過剰になるのを防ぐことができるから。
ほかにもあるけれど、今日はこんなところで。 (Chika)
私がアメリカから帰国して、日本の精神医療事情を初めて知ったとき、ショックを受けたことは多々あるのですが、その一つに、処方薬の多さがあります。
あまりにも多種類の、重複した薬を出しすぎているように思います。「不安」というひとつの症状に、5種類も6種類も薬が処方される。
私は精神療法士なので、精神科医や心療内科医と違って、薬の処方はできませんし、薬物療法は専門外なので、意見する筋合いはないのかもしれません。それでもアメリカでは私たちは精神科医とチームを組んで共通の患者を治療するので、どういう症状の人にどういう薬がどのくらい処方されているかは、割合よく把握していました。
アメリカでは日本以上に向精神薬の処方薬の依存が問題になっており、何年も何十年も向不安薬や麻酔的な作用のある痛み止めを飲み続けた人が、それなしでは生きていけなくなる姿を、実際に私も見てきました。そういう薬に依存してしまうと、麻薬と同じで、薬が切れると強い不安に耐えられず、半狂乱になったりします。そして、薬を手に入れるためならなんでもするようになる。慢性的な痛みがあって痛みどめを処方されている自分の母親のかばんから、薬を全部盗み出すことを繰り返す。母親は娘に盗まれないよう枕の下に薬を隠して寝ている、というケースも割合よくありました。こういう場合、娘の薬への依存のために、親子関係もひどく傷ついてしまっていました。
特にベンゾ系の向不安薬は、即効性がある代わりに依存性が高いので知られています。その結果、やめられなくなり処方した医者が訴えられるということが多くなり、ベンゾ系の薬はもうアメリカでは処方されなくなってきました。日本では、おそらくまだ一番多く処方されている薬の一つですが、アメリカに持ち込めば、麻薬扱いで処罰されます。
向精神薬を飲みすぎて薬漬けになっている人の顔は、見ただけでわかります。表情に生気がありません。向精神薬は、丹田に蓄積されている生命エネルギーを大幅に奪うので、人を無気力にします。活力を奪うだけでなく、集中力、記憶力も鈍らせ、意志の力も奪ってしまう。だから、自分の心を自分の意志でコントロールする力は低下します。自分の心をコントロールできなくて、どうやって心を健康な状態に戻せるでしょう。
もちろん、このようなデメリットがあっても、向精神薬を飲むメリットの方が大きい場合も、中にはあるでしょう。飲まなければ自傷他害しかねないほど心が不安定な場合などは、薬を飲んだほうがいいと私も思います。
でも、薬を飲むことにより、余計症状をひどくしている場合や、もともとの症状以外に、体調を悪化させる等、別の症状を引き起こしている場合も、多々見受けられるのも事実です。
こういうことを踏まえて、精神科医や心療内科医にどうしてもかからなければならないというなら、副作用を訴えたとき、ちゃんと耳を傾けてくれる先生を選ぶよう、お勧めします。それと、薬を処方するとき、それが何の薬で、どういう作用があり、どういう副作用があるかまで、ちゃんと教えてくれる人。向精神薬に副作用はつきものです。そこまでちゃんと説明してくれるお医者さんは、少なくとも誠意があると思います。
これは、身体のお医者さんにも言えることですが、心のお医者さんものいうことも、権威のある人だからといって鵜呑みにしないこと。誤診というのは残念ながら実際あるので。(それも残念ながらよくあることです。)
心の問題には必ず原因があります。原因を見ないで、表面に出ている症状だけを薬で抑えるというのは、根本的解決にはならないです。たぶん、今の日本の精神医療システムでは、ちゃんと原因まで探って根本的治療をするというのが時間的にもその他の事情的にも難しいのでしょうが、「この人、そんなにたくさん薬を飲み続けなくても、治るのに。(っていうか、薬を飲み続けても、ここを改善しなきゃ治らないのに。)」と思う人が巷にあまりにもたくさんいて、本当に歯がゆいです。
そこまで薬に頼らなくても、心の治療ができるようなシステムが、早く日本にできたらいいのに、と切に願う今日この頃です。
先日、川辺の土の上を歩いていて、土の上とコンクリートで舗装された道を歩くのとでは、自分の内面に伝わってくるシグナルが違うことに気づきました。
土の上の方が、やっぱりホッとするのです。
それで改めて思ったこと。現代の日本に住んでいる人は、よほど山の中に住んでいるとか、農業や牧畜をやっているのでない限り、土の上を歩くことが日常的にあまりないのではない気がする。
これでは、心身のバランスを崩す人が多いのは、当たり前だと思います。
現代の生活様式では、人が自然から切り離されてしまっているんですよね。
自然というのは、心身のバランスをとる手助けをしてくれるもの。心身が健康であるために、欠かせないものです。
自然のリズムに沿って生活していると、心も体も調子がよくっていきます。これはどういうことかというと、例えば、太陽が昇ると同時に起きて、暗くなったら早めに寝る。新月に物事を初めて、満月に完了させる(新月に撒いた種を、満月に収穫する)など、月のサイクルを意識する。その季節に、その土地で取れたものを食べる、など。
もっと簡単なところでいえば、木がたくさん生えているところにいく、雲や星や月を見上げ、今日の月がどんな形をしているか、気づく、太陽の光を吸い込む、足の下の土の感触を感じる、鳥や虫や水のせせらぎに耳を傾ける、加工食品をやめて、できるだけ新鮮な野菜や果物を食べる、等するだけでも、自然とつながることになり、自律神経が整ってきます。心身の毒が浄化されるので、ストレスも軽減されます。
この人工的になりすぎた無機質な世界で、意識して自然とつながる時間を持つことは、あたかも狂いかけた時計の時間を合わせるように、心や体の調子を整えるための、大きな助けになると思います。
(Chika)
今度のセラピーグループでは、マインドフルネスをテーマとして取り上げる予定。
なので、マインドフルネスに関する知識をおさらいし、さらに磨きをかけるため、本を読んでいます。
カウンセリングの勉強は、ここまでやったからいい、というものではなく、スキルアップのために常に続けていかねばならないと思うし、また、やるのがとても楽しいです。精神医療の最先端であるアメリカの臨床心理では、新しい療法がどんどん生み出されており、少し前まで一般的だった療法はもう古い、ということがよくあります。効果のほどについても、よく研究されている。遅れないように普段から勉強は怠らないようにしないと。
マインドフルネスは、一言でいうなら、「自分の中や外で起こっていることに、ちゃんと気づきながら、今、ここに生きるということ」です。
ほとんどの人は、過去や未来に囚われて悩み苦しみながら、自分の内面や自分の周囲で何が起こっているかほとんど気づきもせず、半分眠ったように日々を送っています。マインドフルネスを実践すれば、意識が覚醒し、今、この瞬間において、苦悩や悩みから解き放たれることが可能です。即効性が高い技法でもあります。
ただ、それを日常的に実践するのはなかなか難しく、概念として理解するのも、最初は難しい。それもそのはず、もともとは禅の修行の一環として行われているものなのです。
アメリカでは、近年、マインドフルネスは心理療法のスキルの一環としてかなり体系化され、さかんに研究もされています。うつや不安などの症状にも効果が高いのですが、特に、治療が難しいとされていた境界線パーソナリティー障害の治療に組み込まれて、成果を上げていることは注目に値します。
そのマインドフルネスの勉強を邪魔し、マインドフルな状態を妨げる存在がひざに…(-“-)。しょうがないから、ネコの上に本を広げる。「意識の対象としてフォーカスしなければ、物体は存在しないのと同然」と自らに言い聞かせることにより、この難局(=太ったネコがひざに乗って勉強の邪魔をする)を切り抜けようと思います。
(Chika)
私事で恐縮ですが、私は、普段から意識して心がけていることがいくつかあります。 振り返ってみると、それが結構、自分のメンタルヘルス(心の健康)の維持に役立っているなと思ったので、ご参考になるかわかりませんが、ちょっと書いてみます。
①人の悪口を言わない
人の悪口をいうと、自分の心が穢れて品格が下がるので、イヤなんですよね。また、悪口というのは悪意を抱いて発する言葉であり、悪意を抱くと必ずどこかしら表情も醜くなるので、それもなんかイヤです。絶世の美女に生まれたわけではないので、あんまりブサイクにならないためにも、悪口は言わないほうがよいと思っています。
②問題が起きたとき、人のせいにしない
人のせいにしたって何の解決にはならないと知っているので。 一見、人が悪いように見えても、自分にもなにかしら原因がある場合はよくあります。例えば、友達にだまされたという例でいうと、だますような人を信用してしまった自分の識別能力にも問題があると考える。パートナーの暴言がひどいという例でいうと、そういう人と一緒にいるという選択は自分でしているはず。自分に起きた物事の結果を人の責任にするのではなく、自分で責任を持つようにすると、生きるのはとても楽になります。ただし、自分をくよくよ責め続けることもしない。自分の問題に責任を持つのと、自責の念に駆られるのとでは、違います。前者だと前に進むことができますが、後者は後ろ向きで、進歩をストップさせかねない行為です。 ちなみに、人のせいにするのをやめると、人の悪口をいう必要性も感じなくなるので、自然に①も満たされます。
③ウソをつかない
自分にも人にも誠実でいるということは、自分の中に混乱や混沌を招かないため、とても効果的な方法だと感じます。ただし、ウソも方便といい、人を傷つけないためのウソはつく必要があるので、その辺のバランスを取るのが難しいですね。私はどっちかというと、バカ正直で失敗している方なので、そのへんはいまだ勉強中です。
④言い訳をしない
言い訳もウソのうちだと気づいたもので。 言い訳って、つじつまを合わせるためにでっちあげるものだから、やっぱり本来の気持ちとは少しズレるものです。それって自分や相手に対して誠実なことではないのです。言い訳をしないと、自分を必要以上によく見せようすることもなくなるので、等身大の自分でいられて、気分がいいです。
⑤以上のことができなくても、自分を許す
こうやって書き出してみると、あたかも立派な人間みたいに聞こえるかもしれませんが、私は全然ストイックな人間ではなく、むしろ自分に甘いたちです。そんなもん、聖者じゃあるまいし、いつも完璧にできるわけがない。できないときがあってもよし、とし、今度から気を付けるよう肝に銘じたら、自分を許すようにしています。そうしないと、自責の念に陥り、気持ちが後ろ向きになって、いいことはないですから。 ただ、いつも「そうでありたい」と意識していると、だんだん、さして苦労もなくできるようになってくるものだと感じます。 これらのことを実践していると、あんまりくよくよせず、ネガティブなことも引きずらずに生きられるようになるので、メリットが多いと感じています。
(Chika)