盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幼少期の親子関係の重要性について

人間の発達において、先天的なものと生後の養育、気質と環境のどちらがより大きな影響を及ぼすかを調べるため、アメリカのミネソタ州で長期的な研究が行われたことがありました。この研究は、Minnesota Longitudinal Study of Risk and Adaptationといって、1975年よりおよそ30年かけて、180人の子供とその家族を詳細に調査するという大規模なものでしたが、その結果、次のようなことが明らかになりました。

子供が思春期に深刻な問題行動を起こすようになるかどうかは、母親の性格、子供の先天異常、IQ、子供自身の気質とは、あまり関係ない。カギになるのは親子関係であり、親がどう子供のことを思い、どのように接したかである。

幼児期、継続的によく世話をされた子供は、心身の統制が取れた子供へと成長し、不安定な子育てを受けた子供は、常に高ぶった生理状態になる。結果として、不安定な親の元に育った子供は、しばしば、承認を求めてうるさく騒いだり、ちょっとうまくいかないと強い苛立ちを覚えたりするようになる。継続的な高ぶりは慢性的な不安を生み出し、子供は大きくなると、神経質で冒険心に乏しい人になる。

幼児期にネグレクトされたり、過酷な環境で育った子供は、学校で問題行動を起こすようになり、他の子とトラブルを起こしたり、他の人の悩みに対する思いやりを持てないようになる。

私自身は、環境がすべてを決定するとは思っていないので、上記の研究結果はあくまでも一般的傾向であり、子供がどういう成長の仕方をするかには、生まれつきの気質も大きな役割を果たすことがあると思うのですが、確かに子供時代の親子関係が人の人生に多大な影響を与えるということは否めない事実だと思います。

私が見た中でいうと、不安定で一貫性のない子育てを受けた子供は、成長する過程で、強い不安、または怒りを持ち続けることが多いようです。

不安と怒り、どちらが強いかというのは、その子供の生まれつきの気質によります。特に男の子は、怒りが攻撃性を帯びる場合が多いように思いましたが、これはアメリカの臨床経験の観察によるもので、日本では違うかもしれません。(日本では子供のクライアントをまだほとんど扱ったことがないので、よくわかりません。)

例えば、ある10歳の男の子は、学校で「今度、銃を持ってきて、お前らみんな皆殺しにしてやる」と暴言を吐き、手におえないといわれてカウンセリングを受けていましたが、この子は、お母さんがアルコール依存で子育てができず、父親も不在で、お祖父さんに育てられていたのでした。強がってはいるけれど、本当は心の底で、母親のことをとても心配し、傷ついているのが、見ていてわかりました。

女の子にも似たような例がありました。小学校で問題行動を起こし、クラスメートとうまくいかずに、カウンセリングに連れてこられた子だったのですが、この子はとにかく怒りが強く、心を閉ざしていて、口をきかない。その時は私ではない別のセラピストが担当していたのですが、アートセラピーで絵を描くときだけ、夢中になって描くのだそうです。しばらくたって来なくなったこの子は、数年後、また問題を起こして、カウンセリングに連れてこられ、今度は私の担当になりました。10代半ばに成長した彼女は、以前よりも素直で穏やかになっており、私にこう打ち明けました。

「小学校のころは、私、いつも怒っていて、誰にでも攻撃的だった。とても悲しかったから、誰とも口をききたくなかったの。」

この子にも、アルコール依存で子育てはおろか、自分の世話もできない母親がいたのですが、彼女もやっぱり、母親のことをとても心配しており、だけど自分の手では母親を助けようがなく、無力感と深い哀しみに苛まれていたのでした。彼女の怒りも、前述の男の子と同様、抑うつ状態が転じたものだったと思います。

もしも、親が一貫した愛情をもって安定した子育てをするならば、例え物質的には多少の不自由があったとしても、適切な問題解決能力を備え、安定した心を持った大人が育ちます。そうなれば、結果として社会問題の多くが改善されるのではないだろうかと思います。

この研究結果を見て、社会における子育ての大切さを再認識させられた気がしました。              (Chika)

 

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境界線パーソナリティとトラウマ

境界線パーソナリティ障害は、10種類ほどあるパーソナリティ障害の一つで、対人関係、自己像、情緒が非常に不安定であり、かつ、行動が衝動的であることが主な特徴です。

境界線パーソナリティの人は、見捨てられ不安がとても強く、誰かに捨てられると思うと非常に取り乱し、必死でそれを食い止めようとします。そして、捨てられる恐怖が強いあまり、しばしば、自分から衝動的に関係を断ち切ったり、自傷行為をほのめかして、相手をつなぎとめようとしたりします。

対人関係においては、相手を理想化したと思うと簡単に幻滅するといった具合で、極端に揺れ動き、長続きしない関係を転々とする傾向があります。

情緒においては、とても繊細で過敏であり、非常に傷つきやすいので、ささいなことに激しく反応します。感情のコントロールが困難で、容易にイライラしたり、不安になりやすかったり、強烈な怒りを抑えられなかったりします。そして、いつも虚しさを抱えています。

行動においては衝動的で、しばしば、浪費、見境ない性的関係、過食、アルコールや薬物の依存、危険運転など、自分に害を及ぼすような行動に身を投じます。

自殺をほのめかしたり、自殺未遂や自傷行為を繰り返すのも、境界線パーソナリティの特徴です。

1980年代、ケンブリッジ病院に勤務していた精神科医のJudith HermanとBessel Van Der Kolkは、境界線パーソナリティと診断された患者のうちあまりにも多くが、子供時代のひどい体験を語っている事実に衝撃を受け、詳細な調査に乗り出しました。その結果、この病院の境界線パーソナリティ患者のうち81%が、子供時代、深刻な虐待かネグレクトを経験しており、そのほとんどが7歳以下に始まっているということが明らかになりました。

一般に、虐待やネグレクトは、始まった年齢が幼いほど、深刻な影響をその後の人生に与えます。子供の頃、家庭で虐待やネグレクトを受けた子供には、逃げるという選択肢はありません。頼る人もなく、隠れる場所もない環境で、恐怖と絶望の毎日を、なんとかやり過ごさなければならない。多くの子供が、外では何事もなかったようにふるまい、深い哀しみや怒りを心の底に閉じ込めて、生きているのが現実です。

そんな風に子供時代を生きた人が、大きくなって、誰でも助けてくれそうな人、わかってくれそうな人に必死にしがみつくのは無理もなく、また、現実から解離してしまう傾向をもってしまうのももっともなことだと、Bessel Van Der Kolk博士は述べています。

実際、ケンブリッジ病院の研究結果を見なくても、私が境界線パーソナリティのクライアントさんたちと接した経験からいって、ほぼ例外なく全員が、虐待かネグレクトを受けており、ごく若い年齢で凄まじい体験をしていました。仲のいい両親のもとで、愛情を受けて育った人は皆無であり、親が薬物やアルコール依存等で親として機能しておらず、複数の加害者によるレイプ、近親相姦、日常的なひどい暴力、身内の自殺や殺人、といった、強烈なトラウマ体験が数多くみられました。

子供の頃に刻印されたトラウマは、大人になったからといって自然に消えてなくなるということはありません。概して、境界線パーソナリティやPTSD、そして双極性障害といった、過去のトラウマの影響で生じることが多い精神疾患は、回復するまでに、長い時間と努力を要します。そして、自分の心の傷と向き合うことは必須であり、それはとても痛みを伴うので、楽な作業ではありません。

けれども、もしそれが効果的にできた場合、その人たちは、まず例外なく、さなぎが蝶に生まれ変わるように、まず人格において、そして日々の生活においても、素晴らしい変革を成し遂げることを、私は自分の臨床経験から知っています。だから、今、苦しんでいる人たちも、自分の人生は変わりうるということを信じて、希望を捨てないでいてほしいと思います。                                                                                                                                                      (Chika)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

 

 

 

 

 

 

考え方と症状の関係性について

認知行動療法は、端的にいうと、思考(認知)を変えることにより感情を変える療法です。物事をどうとらえるか、状況をどう考えるかが、感情や気分を作り出す、という考え方が、その基盤にあります。

今回は、認知行動療法的な観点から、どういう考え方や思い込みが、どのような症状や気持ちを引き起こしやすいか、みてみましょう。

 

うつ

  • 私には価値がない
  • 価値ある人間になるためには、完璧でなければならない
  • 私は~だから、人に愛されない。
  • どうでもいい。どうせ失敗するだけだから。
  • 私は役立たずだから、何もかもダメにしてしまう。

 

不安

  • 心配しなければ、何か悪いことが起こる。
  • 価値ある人間であるためには、完璧でなければならない。
  • まわりの人や状況を思い通りコントロールしなければ、私は制御不能に陥ってしまう。
  • 退屈や不快な感情を避けるために、忙しくしておかなければならない。
  • すべてがきちんとして、正しい場所に収まっている限り、私は大丈夫だ。

 

怒り

  • 人は私が望むとおりに行動するべきだ。
  • 人は私を尊重して、もっとよく扱うべきだ。
  • 人はもっと賢くあるべきだ。

 

痛み

  • もう~できないから、私は役立たずだ。
  • このうんざりした気分は、永遠に続く。
  • この痛みは、自分がしたことの当然の報いだ。

 

いかがでしょうか。何か、ご自分に当てはまるものはありましたか? 

うつに関していうと、無力感を感じさせる言葉、生まれながらに備わっている自己価値を否定する言葉が、うつ気分を引き起こしやすいといえます。

不安で特筆したいのは、完璧主義者、コントロール欲求・承認欲求の強い人は、不安になりやすいということ。

怒りでいうと、相手は~すべきである、という思いが強いと、そうならなかったときに怒りを感じやすくなるということがいえます。例えば、あの人はカンニングをするべきではない、など。確かにそうなんですが、相手の行為は自分次第ではなく、あくまでも相手次第。生きていれば、自分の理想通り・思い通りにならない場合は、日常茶飯事です。それを、人は~すべき、~すべきではない、と、厳格に思い決めていると、腹が立った心身に害をこうむるのは、その相手ではなく、自分。だから損、というわけです。

ちなみに、相手ではなくて、自分は~すべき、~すべきではない、と、いわゆる「~べき思考」を自分に適用すると、自分自身への怒り、ひいては理想通りにできなかったときの罪悪感や不安感を招きやすくなります。

一般に、「かくあらねばならない」という厳正で融通の利かない思考形態よりも、柔軟で順応性がある考え方ができるほうが、心は健康でいられると思います。                                                                                                                                     (Chika)

 

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盛岡心理学セミナー及び東京セッションのお知らせ

●1月24日に開催予定の、盛岡での心理学講座のお知らせです。

☆「感情の扱い方・心の癒やし方」(2014年9月6日に行ったものと、同じ内容です。)

☆日時:9月6日(土)AM: 9:00-12:00

☆場所: サンライフ盛岡 (仙北2丁目4-12)

☆ 参加費用:1,000円 (資料代込)  

☆内容:感情をテーマに、感情の性質やその作用、上手な扱い方を、詳しくお伝えします。「ネガティブな感情」と呼ばれる辛  い感情を癒やして解放するにはどうしたらいいか、自分の本質とのつながりを邪魔するものはなにか等、実践的な自己ヒーリング法を含め、詳しくお話いたします。

 

●1月22日の、東京出張個人セッションのご案内です(満席となりました。お申込みありがとうございました。)

☆日時:2015年1月22日(木)

☆場所:目黒駅から徒歩1分(ご予約いただいた時点で、詳細をご案内いたします。)

☆料金:1時間半 15,000円(東京出張料金となっております。)

☆セッション枠
 ①11:30~13:00 (ご予約済み)
 ②13:00~14:30 (ご予約済み)
 ③14:30~16:00 (ご予約済み)

 

以上、参加ご希望の方は、ご予約フォームよりお申し込みください。                                                                                                                                               (Chika)

 

よいお年を

個人やグループのセラピーやセミナーにご参加ただいた方、ハミングバードに関わってくださった方みなさま、このホームページのブログを読んでくださっている方みなさま、今年も一年、ありがとうございました。

来年も、必要としてくださる方のお役に立てるよう、最善をつくしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>

それでは、どうぞ、よいお年をお迎えください。                                         (Chika)

 

 

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年末年始のご案内

セラピールーム・ハミングバードのセッションは、2014年12月30日から2015年1月3日までお休みとさせていただきます。

この間のセッションのお申し込み・お問い合わせは、メールのみの受け付けとさせていただきます。

よろしくお願いいたします。                                                                             (Chika)

 

 

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東京出張個人セッションのご案内

再案内です。(残り一枠になりました。)

下記の通り、東京で、心理カウンセリングの個人セッションを行います。

☆日時:2015年1月22日(木)
☆場所:目黒駅から徒歩1分(ご予約いただいた時点で、詳細をご案内いたします。)
☆料金:1時間半 15,000円(東京出張料金となっております。)
☆セッション枠
 ①11:30~13:00 (ご予約済み)
 ②13:00~14:30
 ③14:30~16:00 (ご予約済み)

ご希望の方は、ご予約フォームより、お名前、ご連絡先、ご希望のセッション枠をご記入の上、ご連絡ください。                                                                                                                                            (Chika)

 

 

 

 

虐待・ネグレクトが子供に及ぼす影響

虐待された子供にTAT(Thematic Appreciation Test=絵を見せて、自由に読み解いてもらい心理を探るテスト)を行うと、それがどんなに穏やかでなにげない場面の絵や写真であっても、残酷で悲劇的な結末のストーリーを描き出すのだそうです。

これは、虐待された子供にとって世の中は、どこに危険が隠れているかわからない恐ろしい場所であり、彼らには見るものすべてが災いの種に映る、ということを示唆します。

子供時代、愛と慰めに満ちた安全な家庭で育つことは、健全な心を持った大人になるために大変重要なのですが、残念ながら現実はそうはいかない場合が多いようです。

私がアメリカで受け持っていた何百人ものクライアントさんは、その大半が不幸な子供時代を経てきており、少なくとも半数はなんらかの虐待やネグレクトを受け、近親相姦やレイプ、親に銃を突きつけられる、親がドラッグ中毒で満足に食べ物も与えられない、里親を10軒以上転々とするといった、ひどいケースは日常茶飯事でした。

自分ではまだ何もできない幼児期に、基本的欲求を満たしてくれ、呼べば助けてくれ、心が傷ついたら愛を持って気持ちをなだめてくれる大人が、もし周りに一人でもいれば、その子供は大きくなって、

「困難な状況に遭遇してもなんとかなるものだ。人生を思うとおりに変えて、切り開いていく力を、自分は持っている。」

という、自己信頼を抱き、自己コントロール力を持てるようになるでしょう。

自分の意志や欲求に沿って反応してくれる大人が周りにいるということは、周囲の環境と共鳴して生きるということで、これを経験した子供は、たいてい、自己認識力や共感力を身につけ、人と調和し、社会に適応して生きていくことができるようになります。

けれども、虐待やネグレクトのある環境に育ち、自分の基本的欲求や感情的なニーズが満たされず、親または世話をしてくれる大人が自分に合わせてくれない場合、子供は周りの大人の「子供はこうあるべき」という概念に自分を合わせる以外なくなります。つまり、大人のニーズに自分を合わせることになり、これによって、「ありのままの自分ではいけないのだ、自分はどこか間違っているのだ」という観念を抱くようになるのです。

虐待された子供は、周りの人たちの声や表情にとても敏感ですが、それに共鳴するというより、そのサインを脅威とみなして反応する傾向があります。そのため、虐待された子供は、防衛的になったり怯えたりしやすいといえます。そういう子供は、やがて、強いふりをして内心の恐怖感を隠すようになったり、心を閉ざしてコンピューターゲームに一人で没頭するようになったりすることがあります。

回避型愛着(avoidant attachment)と呼ばれるタイプの幼児は、母親がいなくなっても泣かず、戻ってきても無視して、一見、何が起こっても知るもんか、というそぶりを見せます。けれども、実際のところ、子供の身体の方は過覚醒(神経過敏で緊張が高まっている)状態にあります。このタイプの子供の親は、子供を触ったり抱いたりするのを嫌がる傾向が強いようです。回避型愛着タイプの子供は、学校に行くようになると、しばしばいじめる側にまわり、大人になってからも、自分や相手の気持ちに無頓着である場合が見受けられます。

不安型愛着(anxious attachment)、またはアンビバレント愛着(ambivalent attachment)と呼ばれるタイプの幼児は、泣いたり、わめいたり、しがみついたりして、常に自分に注意を引こうとします。母親の姿が見えなくなると非常に取り乱しますが、かといって母親がそばに戻ってきてもあまり満足しません。不安型愛着タイプの幼児の不安傾向はしばしば大人になっても継続し、学校ではしばしばいじめられる側(=犠牲者)になります。

上記の二つの愛着型に加えて、世話をしてくれる大人自体が自分に苦しみや恐怖をもたらす原因である場合、子供は混乱型愛着(disorganized attachment)という第三タイプに分類されることがあります。

混乱型愛着の子供は、生きるために依存しなければならない相手が、同時に身を脅かす危険な人物であるというジレンマに置かれます。逃げることもできず、つながることもできない、という手立てのない状態にあるわけです。結果として、誰が安全で誰に愛着を示していいかわからないこのタイプの子供たちは、知らない人に過度に愛情深く接したり、または誰も信じなかったり、といった極端な愛着のしかたを見せるようになります。

混乱型愛着を引き起こす要因はなにも虐待ばかりではありません。親自身が、家庭内暴力やレイプ、深刻な喪失などのトラウマを抱えている場合、自分の感情が不安定なために、親は子供と向き合って安定した保護や慰めを与える場合ができないことがあります。親が感情的に引きこもってしまい、子供のニーズにこたえられない場合、しばしば役割の逆転が起こり、子供の方が親のニーズを満たそうと懸命になります。こうして親の世話をせざるを得なかった子供は、大きくなってからしばしば自分や他者に対して攻撃的になり、自分や人を傷つけるようになることがあります。

ここまで書いてきて、自分の子育てに不安を覚えた親御さんがおられるかもしれませんが、理想通り完璧な子育てができなくても、基本的部分で愛情がありさえすれば、子供は親と適切なつながりを維持し、ちゃんと育つものなので、大丈夫です。感情にまかせて怒ったり、思い通りに世話をできないことが時々あったとしても、本当は愛するわが子にそんなふうにしたくなかった、という思いがあれば、子供が親に対する信頼を失うことはありません。第一、「理想通りの完璧な子育て」というもの自体、存在しないものです。誰しも、時折迷ったり後悔したりしながら、子供を育てているのではないでしょうか。

また、仮に、虐待やネグレクトにあって、辛い子供時代を送ったとしても、その後社会に出て、愛のある経験をしたり、あるいは本人の生来の資質が優れている場合、心の傷を自ら癒やして、健全な心をもった大人へと成長することは十分可能です。私はそういう人たちをクライアントさんの中に少なかず見てきたので、苦境を乗り越える人間の力には、絶対的な信頼を抱いています。                            

 (参考文献:Van Der Kolk, B.  (2014) The Body Keeps the Score.  New York: Penguin Group) 

                                               (Chika)

 

ニューメキシコ州で撮った、ダブルレインボーです。ニューメキシコに住んでいた時は、空が広いから、雨上がりにはだいたいどこかに虹を見つけたものです。

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父親像

先日、久しぶりに旧友とお茶をしました。

私が長年勤めた職場を辞めて、子育てのカウンセラーとして働いていることを話したら、彼女は唐突に「やっぱり、父親って可哀想だよね。」と呟きました。

彼女は、父親が癌と宣告されてから、亡くなるまでのことを振り返っていました。
父親が癌であることを聞かされた時は、ショックで何とかしてあげたいと思い、思い出をたくさん作ろうと旅行に連れて歩いたり、ドライブに連れ出したり、癌に効くサプリメントを探してはプレゼントしたり、一生懸命だったと。でも、小さい時から感じていた身勝手な父親という感覚が拭い去れなかったので、身の廻りの世話をやいたり、父親の不安を聞いてあげようという気持ちにはなれなかったと。

彼女は小さい時から母親の愚痴の聞き役であり、愚痴の半分は、父親に対するものであった。だから、父親は身勝手な人という感覚が彼女の中に住みついたのだ。父親が癌になってからも、それは変わりなかった。

父親が亡くなってからは、彼女は母親を支えるために今まで以上に重要な立場を担っていった。毎日毎日、泣きながら夫との生活を振り返り語る母親の傍に居続けた。

それは、彼女にとっては、小さい時から習慣なので全く苦痛ではなかった。むしろ、話を聞いてあげることで、母親が元気になっていくのを実感でき、彼女の安心にもつながっていた。

ただ、一つだけ、母親を恨みたくなる時があるそうだ。それは、彼女の知らない家族思いの父親像が、母親の口から語られた時だ。思い出は美化されると言うけれど、実は、いい父親で、いい夫であったエピソードが語られると、彼女は、親身に介護してあげれなかった自分を責めるのだそうだ。

彼女にとって、父親はどこか遠い存在で、二人の関係はぎこちなかったそうだ。自分の弱みを見せることもなかったし、父親も同様だった。何処となく、心の距離を感じていたという。だから、彼女の父親像は自分が目で見て感じた父親像ではなく、母親から聞いた身勝手な父親像だったのだと亡くなってから気付いた。そのことがとても悔しいと。

彼女の話をひとしきり聞いた後、私もつい「なるほど、確かに、父親って可哀想だ。」と呟いた。

でも、ありがちな話だ。
まして、彼女の祖母は格式高い家の生まれなので、嫁である母親にはかなり厳しかったらしい。彼女の母親は、辛い気持ちを外で話すこともできずに、優しい気持ちを持った彼女に話すことで支えられてきたのであろう。

それにしても、亡くなった後で、覚える後悔の念は、かなり辛いものがあるだろう。

さらに、彼女は言った。
「だからね、私は、子どもにはお父さんのいいところをいっぱい話すようにしているんだ。絶対、愚痴は言わないの。そしてね、子どもに相談された悩みのうちね、肝心要な相談事はね、直接お父さんに相談するように言うの。そうすれば、お父さんと子どもの心の距離が近くなるでしょ。結果、いざ、夫が介護が必要になった時、子どもにちゃんと看取られるだろうし、子どもも後で後悔することないでしょ。」と。

私は、ずっと感心して聞き入っていました。そして思いました。

彼女は強い。そして、優しい。後悔の念を抱きつつも、母親の辛さを理解し、その経験を自分の子育てに生かしている。素敵なお母さんだ。その素敵なお母さんを育ててくれた彼女の両親もまた素晴らしいと。

                         

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                                                                                                                            (佐々木 智恵)