盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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2014年

太陽の光の変化

いつ頃からだったか、はっきりとは覚えていませんが、太陽の光の輝きが、以前よりも質や量において、変化していると感じるようになりました。

私がまだアメリカのミネソタ州に住んでいた頃なので、多分、10年近く前かもしれません。

ミネソタ州はカナダに接する州で、北国なので、太陽の光も冬はとても弱いのです。

それでも、太陽の光の輝きがはっきりと増して、以前よりも強く美しくなっているように感じ、よく見とれていたのを思いだします。

詳しいことは知りませんが、実際、太陽の爆発現象(太陽フレア)が活発化しているようなので、光に異変が起こっていることは事実だと思います。

弱い光の下では、影もあいまいですが、強い光の下では、影もくっきり浮かび上がります。

社会や個人が抱えている問題に光が当たって、隠しようもなく表面化し、直面せざるを得ない時代になっているのだと思います。

 

 

 台風が去って空が現れた後の光を反射するカテドラルクォーツ。

雨と風で清められ、塵やほこりなど余分なものを一掃した後の大気は、より純粋な太陽の光を通すので、反射する光もきれいなのだと思います。                                                                                                                                                    (Chika)

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変な噂を広められたら。

自分に関する悪い噂が広まったとき。

噂をする周囲の人の目を気にすると、何よりも自分が不自由になります。

人の口に戸は建てられませんが、人の影響を受けてるか受けないかは、自分次第です。

噂をする人たちは、あなたが気にしない限り、あなたを傷つけることはできません。

影響されて不自由に生きるか、影響されずに受け流して、自由でいるかは、自分次第なのです。

その際、プライドが高い人は、影響を受けやすいと思います。

プライドと自信って、似ているようで違うと思います。プライドは見栄につながるもので、ないほうが生きやすいけど、自信は、自分を受け入れるという自己肯定につながるので、ないと大変生きづらい。

人にどう思われても自分は自分、という風に思える人は、自分をしっかり持っているので、人に振り回されたり、影響されたりしにくいでしょう。

自分をちゃんともっていて、いい意味で自信がある人は、オーラが尊厳を帯びるので、周りの人もなんとなく犯しがたく感じ、一目置くようになります。

なので、人と違っていても、いじめられたり、へんな噂もたてられにくくなると思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

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望ましい判断と行動の育み方

自分のとった行動が、良いのか悪いのか曖昧であると、自信を持って行動できません。
望ましい行動をとったら、必ず、「その行動で良いこと」を本人にわかるように伝えてあげましょう。
言葉が拙い子どもさんの場合は、ジェスチャーで、言葉がわかる子どもさんには、端的な言葉で伝えましょう。

望ましくない行動をとった時は、「何故、そのような行動をとったのか」を尋ね、本人の気持ちや考えを一度受け止めましょう。
その上で、小さい子どもさんの場合は、望ましい判断と行動を教えてあげましょう。
自分で考える力がある子どもさんの場合は、「他者の気持ちはどうだったのか」を考えられるよう問いかけをすると良いでしょう。

このような対応の積み重ねが、望ましい判断と行動を育て、社会のルールの大切さを身に付けていきます。

子どもには、「これくらいわかるだろう」という考えは通じません。また、どんなに簡単なことでも一度でわかることはないと心得た方が良いと思います。大人には当たり前のことでも、子どもにとっては、全てが初体験。常識も通じません。感情的にならずに、お手本を示して教えてあげましょう。

「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝える親の姿勢は、子どもにとって、頼れる姿であり、信頼と尊敬を育んでいきます。

逆に、良いことをしても、悪いことをしても、親や周りの大人たちが無反応だと、子どもはとても不安になります。
どのように振舞ったらいいかわからなくなります。
2〜3歳くらいの知能になりますと、やってはいけないことがわかるようになってきます。
その時に親や周りの大人たちが注意しなければ、子どもは「何故、注意されないのか?」と混乱します。
「おそらく、良くないことをしていると思うのに、何も言われない。じゃあ、良くない行動をし続けていいのか?」
ここまでくると、混乱だけでなく不安も芽生えてきます。
このようなことが続くと、苛立ちを感じ、粗暴という形で表現してきます。
そして、親や周りの大人たちの言うことを聞かなくなったり、試すような行動をとったりします。

よく、「褒めて育てましょう」と言われますが、私は、「褒めて」というよりは、上記で述べたように、「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝え、丁寧に教えていくことが大切だと思います。そして、当たり前のことですが、子どもがお手伝いをしてくれたら、「ありがとう、助かったよ。」と感謝の気持ちを伝え、嬉しかったら、「嬉しい」と表現すれば良いのだと思います。

「褒める」ことは、大切だと思いますが、これは、使い方が難しいものだと感じます。褒めすぎるとプレッシャーになったり、バカにしていると勘違いされたり、子どもの方が親に合わせてしまい、本来の自分を出せなくなったりと、様々な副作用があり、私個人としては、あまりお勧めしません。

「良いことは良い、悪いことは悪い」と伝え、出来たら笑顔でOKサイン。そんな子育てができたらいいなと思います。

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

セラピストのコントロールの問題について

心理セラピーでは、他の多くの治療行為の場と同様、クライアントとセラピストの間に、一種の力関係が生じます。

もちろん、人としての立場は平等で、どちらが偉いということは決してありません。

けれども、心理セラピーは、クライアントが自分の悩みを赤裸々に打ち明け、いわば弱いところを見せる場なので、どうしても、セラピストの方が立場的に強くなり、パワーを得やすい状況になります。弱みを見せて、頼っているほうが、頼られているほうに頭が上がらなくなる傾向になりやすいということです。

セラピストが無意識のうちに権力を行使してクライアントを利用したり、クライアントから搾取することを防ぐために、アメリカの心理カウンセラーの倫理経典には、セラピストがクライアントから物を買ったり、取引したりしてはならない(セラピストがクライアントのビジネスの顧客になってはいけない)、私的な関係(友人、恋人など)を築いてはいけない、という厳しいルールが設けられています。

セラピストがクライアントとの間に明確な境界線を引くことは必須です。そうしなければ、客観的にクライアントの問題を見ることができず、結果として、クライアントを助けることもできなくなります。境界線があいまいだと、クライアントの問題に心理的に影響されてしまったり、クライアントの感情を自分の感情と混同してしまったりして、効果的なセラピーができなくなります。ちなみに、この理由から、心理セラピストが知人、友人、家族にセラピーを行うことは禁じられています。

まだアメリカにいたころ、私は、第一線で長く活躍してきた心理セラピストの、こんな言葉に接する機会がありました。

「セラピストの中には、パワーがほしくて、クライアントをコントロールする人が、山ほどいる。」

残念ながら、私もそれはよく見聞きすることであり、事実だと思います。

例えば、

「あなたは、ここが悪い。だから、こうしなければならない/これをやってはいけない/こうすべきだ」等、クライアント本人の話を聞かないで決めつけたり、一方的に指示してきたり、自分の意見や価値観を押し付けてくる人。クライアントの自由意思を尊重しない人。

あるいは、

「私が治してあげる。」

「私のいうことを聞けば間違いがない」

「ほかの人に診てもらったらだめだ。」

「私を信じなさい。」

等を口にするセラピストも、コントロールの問題を抱えている可能性が高いと思います。

私が治してあげる、という医者やセラピストは、個人的には勘違いをしていると思うので、避けたほうが無難だと思います。治癒力を持っているのは患者やクライアント本人であり、医者やセラピストの役目は、それを引き出すこと。実際、クライアント本人が治りたくないと言えば、私たちは何もすることができません。それなのに、自分に治す力があると言うのは、ちょっと違うと私は思います。

そもそも、本当にすごい人というのは、決して自分のことをすごいと言ったりはしません。優れた人であればあるほど、必ず謙虚なものです。そういう人は、自分で自分を満たす方法を知っているので、他からパワーを獲得する必要がなく、したがって、名声や地位にとらわれる必要がありません。なので、クライアントをコントロールしてパワーを獲得しようとしたりもしません。

ただ、パワーの問題を抱えているセラピストのほとんどは、クライアントを故意にコントロールしようとしているのではないと思います。人をコントロールすることにより、パワーを得て、強くなったように感じて、自分を満たそうとする人の多くは、無意識でそれを行いますから。

いずれにせよ、人間、誰でもエネルギーを吸い取られるのは嫌だし、コントロールされるのは嫌なものです。心の奥底では、誰もがみんな、自分の自由意思を尊重してほしいと思っています。だから、権力を利用して、自由意思に反した押しつけをしようとする人に合うと、私たちは通常、反発を感じます。(共依存の人は、最初は気づくのが遅れるかもしれませんが、やっぱり最終的には嫌になるはずです。)

なので、最終的には、クライアントはコントロール欲求の強いセラピストからは、離れて行ってしまうものですが、その前に、クライアントが傷つく体験を余儀なくされるということは、とても遺憾に思います。すでに心に傷を負っていて、無防備な状態で助けを求めに来ている人たちであるから、なおさら・・・。

セラピストも医者も完璧な人間ではないので、間違うことはありますし、力が足りないということもあり得ます。治療家や施術者の言うことが絶対ということはありません。

専門的知識がある人だから、「立場が上の人」だから(初めに書いたように、本当は、人間として立場が上とか下ということはありません)といって、その人の言葉を鵜呑みにする必要はないのです。クライアントは、自分自身の感性を信じて識別し、自らを尊重して、最善の道を選択してほしいと思います。

 

                                               (Chika)

 

 

 

 

 

社会に適応する力の育て方

社会に適応する力を育てるポイントについてお話しします。
もちろん、障がいがあってもなくても、やることは同じです。

社会に適応する力と言いましても、色々あると思いますが、今回は、集団生活に適応するために必要なルールを守る力についてお話しします。

この力を育てるには、三つの段階を踏まなければなりません。
一つ目は、周囲の状況を理解する力を育てる
二つ目は、望ましい行動を判断する力を育てる
三つ目は、とるべく行動を実践できる力を育てる

段階という言葉を使いましたが、これらの力は、段階を踏んで身に付いていくものなのです。
つまり、一つ目の力が育たなければ、二つ目の力は育たず、二つ目の力が育たなければ、三つ目の力は育たない、ということです。

一つ目の力について

周囲の状況を理解していないと、自らどのような行動をとったらいいかは判断できません。

この力を促すためには
例えば、
「◯◯ちゃんは、何しているのかな?」
「そうだね。ブランコ乗ってるね。」
「あれー、お友だちがいっぱい並んでるね。」
「何で並んでいるかな?」
などと、周囲の状況を会話を通して確認してあげると、漠然としていた理解がより明確になったり、気付かない点に気付いたりします。
興味があるものだけが目に入り、目標物に一目散に駆け付ける子どもさんの場合は、ストップをかけて、周囲に気付くよう促さなければなりません。但し、この場合、それ以前に、「ストップ」という言葉に従う力を育てる必要があります。

「うちの子どもは、何度言い聞かせても言うことをきかないのです。」という相談を受けることがあります。自分の欲求が優先されて言うことをきかないということもありますが、実は、周囲の状況を理解していない場合が多いのです。

二つ目の力について

最初から適切に判断することは難しいです。前述のような会話の流れの中で、「どのような判断をすれば良いのか」「何故、そうするのか」について教えると良いでしょう。

三つ目の力について

自分の欲求と闘いつつも、望ましい行動をとれることが求められます。

子どもが自分の欲求を抑え、望ましい行動をとる時はどういう時でしょう。先生に叱られるとわかっている時でしょうか?

違いますね。
前述のブランコの例で考えますと
他のお友だちも自分と同じように、早くブランコに乗りたいと思っていることを知っていることと、待てば必ずブランコに乗れるという保証があるからです。
この点を「並ばないと先生に叱られるよ。」などと誤った判断を擦り込むと、先生に叱られるか否かが順番待ちをするかしないかの判断になってしまうので気を付けましょう。

望ましい行動をとったら、必ず、拍手をしたり、OKサインを出したり、「よくできました。」と言葉で伝えるなど、その行動が望ましいことを本人にわかるように伝えてあげましょう。ルールを守る力が確実に身に付く大切なポイントなので、心にとめていただければと思います。

適切に判断し、望ましい行動をとる力は、集団生活の中でお友だちや先生に注意されたり、友だち同士で喧嘩しながら身に付いていくものだと思います。
しかし、時に、判断が曖昧なまま、お友だちの見様見真似で行動している場合があります。そのようなことが続くと、自分に自信が持てなくなったり、様々な選択を自分の意思ではなく、他者の意思に依存するくせがついたりします。

これらの力が曖昧に身に付いているかどうかは、「いつもならできるのに、今日はできない」あるいは「できる時とできない時のムラがある」などの症状で気づいたりします。

集団生活のルールは、集団生活の中で身に付くことが多いものですが、ご家庭でも、三つの段階を意識し、それらの定着状況に注意を向けていただけたらと思います。

 

                                                                                                                         (佐々木智恵)

日常の苦痛を減らす方法

今日は、日常生活のちょっとした苦痛を減らし、より快適に生きるためのコツについて、書いてみたいと思います。

それは、「何かをするとき、イヤイヤしない。」ということ。

どっちにしてもやらなければならないことだったら、抵抗して「嫌だなあ」と思ったりせず、ただ、淡々とやる、ということ。

そのためには、「思い切って受け入れる」というちょっとした覚悟が必要になります。これは、マインドフルネスという、もともとは仏教の禅の思想から来ており、今ではアメリカで鬱や不安障害、境界性人格障害等の治療に、心理療法として幅広く用いられているスキルの1つです。

例えば、私はネコを飼っていて、キャットフードの缶とか、それを入れたお皿を、毎日洗わなければならないのですが、魚の生臭いにおいがするから、その仕事は正直好きではありません。でも、それはやる必要のある仕事です。

どっちにしてもネコ缶やお皿を洗うのなら、私には2つの選択肢があります。

1.「嫌だなあ。生臭いなあ。」と思いながら、イヤイヤ、洗う。
2. 四の五のいわずに、ただ、洗う。

嫌だと思いながらなにかをやるというのは、実は本人の選択なんですよね。選択肢があるということは、コントロール権が自分にあるということ。自分で、苦しみを増やす状況を作るか、そうでないかを、選ぶことができるということ。

「ネコ缶とお皿を洗う」という作業に、「嫌だなあと思う」を付け加えると

「嫌だと思う」+「ネコ缶とお皿を洗う」=「嫌な仕事をする」となり、付加価値がついて、苦痛が増すんです。

ここで、嫌だと思わずに、この仕事を潔く受け入れよう、と思うと、ただ、「ネコ缶をお皿を洗う」という労力だけですみ、精神的苦痛は前者よりもずっと減るわけです。

この裏には、実は、「抵抗すれば苦痛が増す」という真理が隠されています。

なにかに抵抗して暴れると、その分、身も心も疲れますよね。それで嫌なことが起こらなくて済むなら、抵抗して暴れる価値もあります。でも、どのみち防ぎようがないこと、やらなくてはならないことであれば、無駄な抵抗をやめ、すすんで行ったほうが、いらない苦痛を感じなくてすむのです。

イヤイヤ物事を行うと苦痛が増す。そしてそれは自分次第でやめられる。避けられないことは、思い切って受け入れて、嫌がらずにすすんでする。このへんを認識して実行すると、日常の苦痛がかなり減って、楽になると思うので、よかったら試してみてください。

                                           Chika

 

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精神集中のコツ

首を上げて、視線を上に向けている時、意識は自由にさまよいだします。

視線を上に向けると、視覚イメージしやすくなるので、過去の情景を思い出したり、イマジネーションを使って何かをヴィジョンとして描き出したりしているとき、人は自然にこのポジションを取ります。

逆に、神経を集中させたかったら、首の後ろが伸びるように、うつむき加減になり、視線をやや下向きにします。

こうすると、意識は自分の内側に向かいやすくなり、ふわふわ漂うのをやめて、一点に集中しやすくなります。なので、瞑想をするときなどは、このポジションを取るといいと思います。

気持ちが浮ついている時や、落ち着かない時は、左右の鎖骨が落ち合う中心部分にあるくぼみに、中指を触れる程度に軽く当てて、そのかすかな圧を感じてみてください。

不思議と気持ちがリラックスするのが感じられるかと思います。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      (Chika)

 

 

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本当の自分に還る

ゲシュタルト療法を編み出したドイツの精神科医、フリッツ・パールズは、精神疾患に対してホリスティックな見解を示した人です。

パールズは、人は本来、全き存在であり、心の不調とは、本来、統合されて1つにまとまっているべきものが、部分的に分離したため、機能不全に陥った状態であると考えました。

自然には恒常性(ホメオスタシス)があり、変化が起こってバランスが崩れたときに、調和を回復して、再び元あるべき状態に戻ろうとする働きが起こります。人間の精神にも、同様に、分離して離れてしまった部分を再統合して、本来あるべき完全で調和のとれた状態に戻ろうとする働きがあると、パールズは考えました。

私は、大学院でゲシュタルト療法を習ったときは、これがどういうことか、今一つ、ピンときませんでした。

けれども、実際に現場に出て、臨床経験を積めば積むほど、パールズの深い洞察が、心という目に見えないものを説明するにあたり、非常に的を得ていることを実感するようになりました。

人は、ごく幼いころは、本来あるべき、全き存在に近い状態なのだと思います。

小さい子供は、割合、心のままに生きています。感じたことを素直にありのまま表現して、悲しかったら泣き、うれしかったら笑い、思ったことを口に出します。過去をいつまでも思い煩うことはなく、未来のことを不安に感じることもなく、現在に生きているので、今、目の前にあることに純粋な興味を抱き、没頭し、楽しむことができます。

子供は、起こった変化に自然に反応するがゆえ、すぐにバランスを回復して、本来あるべき状態に戻ることができます。なので、感情的な淀みというのものを持ちにくく、例えば、怒りは感じても、恨みを抱くことはあまりありません。

けれども、人は、成長するにつれ、社会や周囲の環境に適応するため、自分を偽ったり、否定したりすることをおぼえてしまいます。本来の純粋な欲求ではなく、人や社会の期待に応えるため、あるいは周りから攻撃されて傷つかないように、行動や思考や感情を制限するようになっていきます。

自分の身を守るため、周りに迎合するために、本当は言いたくないこと、したくないことを、言ったりしたりしてしまう。そして、自分の本当の思いはなかったことにして、自分から切り離してしまう。本当は辛いのに、辛くないふりをする。辛いと叫んでいる心の一部は、切り離してしまう。

それを繰り返すうちに、全き存在だった自分は、分断化され、機能不全に陥っていきます。

完全な自分としてではなく、自分の一部分を切り離して生きていると、100%で生きていない分、パワーダウンして気力が減少してしまいます。また、エネルギーがうまく全体に回っていないので、アンバランスになり、どこかにひずみが生まれます。

結果として、うつになったり、感情の起伏が激しくなって怒りを抑えられなくなったりする。本来自分に属している部分を分離しつづけるのは、実はとてもエネルギーを消耗する作業なので、心が疲れてくる。潜在的にはその状態はよくない、なんかしなければならないと知っているので、慢性的な不安にさいなまれる。こういったことが、起こってきます。

フリッツ・パールズは、本来の全き存在に戻ることを阻害している、自分の中の切り離された部分、表現されずに自分の中に取り残された感情のことを「unfinished business(未完成の仕事)」と呼びました。

そして、この部分にちゃんと気つき、満たしてあげれば、分離された自己の一部は再統合され、自分に還ってくる、それにより、本来あるべき完全な状態に近づくことができる、と考えました。

実際、私は、セッションの中で、ゲシュタルト療法を使うことが少なくないのですが、それによって分断されていたものが再統合された場合、その人は、やはり、おしなべて、力が戻ったと感じるようです。この場合の力とは、具体的には、気力とか活力、自信などの、自分の中のパワーのことです。

また、感情的な停滞がなくなり、感情エネルギーが循環するようになるという目に見えない変化は、マイナスの感情にとらわれなくなり、短期間で切り替えられるようになる、という感覚として、実感されるようです。

ゲシュタルト療法は、自分の本質をそのまま表現すること、自分自身とちゃんとつながって生きることの大切さを教えてくれています。そのためには、自分の中に、否定してしまっている部分、滞っている部分があれば、その存在をまず認め、それから、受け入れてあげること。そして、その部分が本当は何を欲しているか、耳を傾けてあげ、満たしてあげること。

これがちゃんとできれば、unfinished business(未完成の仕事)はfinished(完成)となり、奪われていたパワーを取り戻し、本来の完全な自分に還ることができる。そうなるほどに、人は、持っている潜在能力をより多く発揮して、より、生き生きと生きることができるのだと思います。

                                       (Chika)

 

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「気にする」ということ

今日、ジョギング中に横断歩道を渡っていた時、ふと、頭をよぎったことがありました。

それは、

「あの車はいつ左折できるだろう。」

という、どうでもいいことでした。

それは車通りの激しい大きな道だったので、その車が左折するには、しばらく待たなければならず、それが気になって、チラッとそちらを見てしまいました。

すると、その途端に、走りながらどっと疲れたので、

「そうか。気にするって、そういうことか。」

と、ひらめいたのでした。

「気にする」というのは、自分のエネルギーフィールドの中に、その対象物を取り込むこと。文字通り、自分の氣の一部にしてしまうということ、なんですね。

信号待ちをしている車に意識を向けてしまったことで、本来、そのドライバーが感じるはずである、微妙な欲求不満とか焦りという、どちらかというと不快な感情を、不必要に自分の中に取り入れてしまった。だから、ストレスを感じて、急に疲れたというわけです。

人は、よくも悪くも、意識したものに影響を受けます。意識したものというのは、すなわち、気にしたもの、自分のエネルギーフィールドの一部として取り入れたものです。

なので、人目を気にしている人というのは、人の影響を受けやすい人でもある、ということになります。

自分自身より、周囲の人たちにネガティブな意識がいっているために、その人たちの影響を受けて振り回されやすくなります。自分に意識がいっていない分、自分のエネルギーが希薄になっているので、軸がブレて不安定にもなりやすいです。また、自分のエネルギーフィールドの中に、たくさん人がいる状態なので、精神エネルギーを消耗して、疲れやすくもなります。

生きている以上、嫌なことや不快なことを避けて通すことはできません。ネガティブなものを一切取り入れないということは、現実逃避にもなってしまうし、第一、不可能だと思います。でも、私が信号待ちの車を気にしたように、不必要なものを気にして、自分の中に取り入れることは、エネルギーの無駄なので、避けられるものなら避けたほうがいいと思います。(^_^;)

どうせ、自分の中に取り入れるなら、できる限り、自分を元気にしてくれるものを選んでつながりたいものですね。

ちなみに、私は道を歩いているとき、咲いている花を気にして歩いています。いろいろな色に咲いている花は、私には光を放っているように思えて、とても魅きつけられます。花の色を意識して楽しみながら歩くと、花の持っている癒しのエネルギーを自分に取り入れることになるので、気分がよくなります。色によって、元気にしてくれるものや、静かに癒してくれるものがあり、花って、ほんとうに光のエネルギーなんだなあと思います。

今は、色々な花が咲いている季節なので、よかったら、花を気にしながら歩く散歩を、試してみてください。

                                                                                                                                                 (Chika)

 

 

 

 

 

障がいがあろうとなかろうと、子育ての基本は、皆、同じ

今まで、何度も繰り返し、お話ししてきましたが、自分の感情を受け止めてもらうと、人は安心します。
自分を理解してくれる人がいると感じます。それは、安全な居場所を作り、人への信頼感を育みます。

このことは、障がいがあろうと、なかろうと関係ありません。
全てに通じるものです。

ややもすると、障がいを持っている子どもさんには、特別な対応方法があるかのように語られる場合がありますが、私は、基本的に子育ては、皆、同じだと考えております。
「子どもが何を感じ、何を考えているか」を尊重しつつ、その子どもの理解力に合わせて教えていく、ただ、それだけだと思います。

「この子は、障がいを持っているから、これが出来なくても仕方が無い」という考えもありません。
何故なら、どんな子どもでも、世の中のルールは守り、人と関わり、社会で生きていかなければならないからです。

どの子どももやる気満々です。そして、できるととても嬉しいのです。その気持ちを大切にしていきたいと思います。

私がこのような考えを持つようになったのには、きっかけがあります。自閉症と診断がついた子どもたちの療育に悩みを抱えていた頃、ある先生と出会ったのです。様々な研修会を受けて、私なりに勉強をしていたものの、どこか府に落ちず、悶々としていた時でした。

「障がいがあると特別に扱わないとならないのか?」

特別なら特別でもいいが、どこか、子どもが尊重されないような、子どもの気持ちが二の次に扱われているような、そんな違和感に悩まされていました。
そんな時です。
仕事を通じて、当時、千葉県総合教育センター特別支援教育部、現在は、千葉県立八千代特別支援学校の田中克人先生の講演会を紹介していただきました。その講演会の内容は、今まで聞いた内容とは全く別物でした。

田中先生の考えは、以下のことを前提とし、「一人一人の子どもと対等にかかわる姿勢」を大切にしています。

 

どんな子どもでもそれぞれの事情に合わせ、その社会を生きていくことになる。
その社会をよりよく生きていくためには、「他者とかかわっていく」必要性が生じてくる。
「他者とどうかかわっていくか」は、その子どもの「幸せな人生」にかかわってくる問題であろう。

「障がいがあっても、なくても」一人一人の子どもは全く異なる個性を持っている。
目の前の子どもを一人のかけがえのない存在として認め、しっかりと向かい合う(対等にかかわる)ことから見えてくるものがある。

「目の前の子どもへの理解が深まり、同様に子どもも、大人への理解が深まる」ことで芽生えてくる「信頼関係」が、子どもを育てていくうえで何より大切である。

参考文献: 「自閉症と呼ばれる子どもたちー相談室が考えるかかわり方のちょっとしたヒントー《応用編》」  田中克人著(2007)

 

田中先生の考えに基づいて、子どもと接すると、今まで理解できなかった子どもの行動も不思議と理解できるようになったのです。パニックを起こしているその気持ち、その原因。本当に不思議と伝わってくるものがありました。

そして、今まで見えなかったその子どものできる能力。長所。次から次へと、「目から鱗」のように、「自分自身の悩み」というもやが消えていくのがわかりました。

また、田中先生の対応には、常に「何故そうするか」という根拠と目的、目標がありました。
それを学ぶことで、子どもと接する時に、「子どもの反応を見ながら適宜対応に変化をつけていく」という見通しをつけることができました。

まだまだ、不勉強な点は、たくさんありますが、子どもさんの発達に悩まれている親御さんがいらっしゃっいましたら、どうぞ、今一度、子どもさんと向き合ってみてください。
診断名に振り回されず、問題行動といわれるその行動に捉われず、我が子が何を感じ、何を考えているのか、その点に意識を向けていただければと思います。

                                                                                                                               (佐々木智恵)