盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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スピリチュアル

原因と結果の法則:ベースにあるもの

前回、「こういう風にすると、だいたいこうなる」、という、心の原因と結果の法則について書きました。その流れで、今回は、自分の人生に何が結果として現れるか、それを決定する因子について、ちょっと書いてみたいと思います。

「決定する因子」とは、要するに原因のことですが、それは実は、何をするか、ではなく、何を意図するか、なんですね。

言動そのものよりも、どういう気持ちでそれを言うか、あるいはするかのほうが大事。

よこしまな心で、善行を行っても、いい結果はもたらされない、ということ。

逆に、純粋に利他的な気持ちで行うなら、それがたとえ成就しなかったとしても、やがて自分にいい結果として返ってくるものです。

それが目に見えない法則だからです。

もし神様仏様、その他なんでもいいですが、人間より賢くて、なんでもお見通しの存在がいるとしたら、その存在は表面的な行いよりも、それをどういう気持ちで行ったかを見通して、そっちのほうを評価すると思いませんか?

たとえば、誰かに気に入られようとして、心にもないお世辞を言っても、結局のところ、その相手に本当に貴ばれたり、一目置かれたりすることはないでしょう。相手が鋭い人であれば、かえって不快がられるのが関の山でしょう。

一方で、本当にこの人はすごい、と思って、心からそれを伝えると相手の心に響くもの。喜んだ相手は、あなたのことを好ましく思ってくれるでしょう。

別の例でいうと、経済的に豊かでなくて、不自由させることになったとしても、子供のために汗水たらして一生懸命働く親を見て育った子供は、だいたい親を大切にするようになります。対して、裕福な家庭で、物質的には何不自由ない生活をさせたとしても、子供に愛情を注がなければ、その子供はしばしば満たされない思いから怒りを抱いて成長し、親子関係はこじれたり冷めたりしがちです。

要するに、その行動のベースに愛があるかどうか。

それが結果として自分に返ってくる。これこそ、シンプルにして、絶対的な原因と結果の法則です。    (Chika)

 

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いじめについて:支配と自尊心

いじめはあってはならず、どんな場合でも、いじめる方が絶対に悪いと思います。

ただ、いじめられる方に原因があるかどうかというと、いじめっ子を引き付ける要素というのはあると思います。

ということは、その要素を認識し、変えてあげると、いじめに合わなくなってくる、ということでもあります。

いじめというのは、つきつめていうと、コントロール(支配)の問題です。いじめる方もいじめられる方も、コントロールの問題を抱えており、自尊心が低く、自信が欠如している場合が多いようです。

いじめる方は、自分の奥深くに潜む自信のなさや、自尊心の欠如を補うために、自分よりも弱く、支配できそうな人をいじめる。そうすることで、人より強く、優位に立っている自分という幻想を、一時、味わえるからです。

いじめられる方は、同様に自分に自信がなく、自尊心が欠如しているがために、境界線(自分と他者との境目)が脆弱で、人に付け込まれやすい人が多いように思います。(ただし、勇気をもって一人で大勢に立ち向かった人が、たたかれていじめらる場合もなきにしもあらずなので、必ずしもではない。)

境界線があいまいな人は、「自分」よりも「他者」に意識のフォーカスがいっている人が多く、「自分」というアイデンティティがしっかりしていないので、他者に支配を受けやすい傾向があります。

自分よりも人がどうしたいか、人にどう思われるかばかりに意識がいっていると、自分がなくなってきます。自分がなくなってしまうと、極端な場合、自分が好きなものとか、何がしたいとか、そんなこともわからなくなってしまいます。自分の意志がなくなってしまうということです。

自分がなく、自分の意志に乏しい人というのは、境界線を犯して土足で侵入され、いいように操られやすくなってしまいます。そして、人の中に侵入し、いいように操ろうとするのが、いじめっ子タイプの人。自分の中にパワーが不足しているがために、自分にはパワーがあると錯覚させてくれる対象に目をつける、というわけです。

本当の意味で自分に自信があり、自尊心があるがゆえに、内なるパワーで満たされている人は、人のパワーを奪って自分を満たそうとする必要がありません。なのでそういう人は、人をいじめたり見下したりしません。また、自分と人を比べて、劣等感を持ったり、優越感を持つようなこともしません。

自分に自信がなくて境界線が弱く、人に影響されやすい人は、典型的な共依存タイプの人です。こういう人は、支配欲の強いいじめっ子タイプと結びついて、共依存関係に陥りやすいです。ドメスティックバイオレンス(DV)の夫と離れられない妻も、このタイプの人が多いです。(ただし、男女が逆で、妻がDVである場合もあり。)

ちなみに、「共依存、支配と依存、自尊心、境界線」というキーワードは、いずれも、第3チャクラ(太陽神経叢のチャクラ)という、みぞおちのあたりにあるチャクラに関係しています。チャクラというのは、経絡が集まっている体のエネルギーセンターで、主なチャクラは基底の第1チャクラから頭頂の第7チャクラまで7つあります。

第3チャクラは、自分自身との関係にまつわるチャクラなのですが、このチャクラに関して、共依存を「召使の精神」と表現して説明している記述があって、とてもわかりやすいと思ったので、一部引用します。

 

召使は、第1のチャクラの犠牲者や第2のチャクラの殉教者ほど機能に障害があるわけではありませんが、認知されず、報いがないという点は同じです。召使は他人に服従し、依存することで、自分の幸福に対する責任を譲り渡してしまいます。召使はよく愛すべき人だと呼ばれます。それは人となりではなく、行為を評価されてのことなのですが、召使はもっと他人からそう呼ばれる関係を無意識に求めます。その結果、召使は、威張り散らす支配的なパートナー(ときに暴力的になり虐待を行う)や、控えめで扱いやすい「召使」を使って自己評価を上げようとする同僚などと関わることになります。召使は外から認められることをしゃにむに求めますが、不運にもかなうことがありません。それがかなうのは、自己を尊び、自分に価値があると思えるようになった時です。召使はまず「私には価値がない」と唱えるのをやめ、真の自尊心を声に出してみる必要があります。

(リズ・シンプソン著 産調出版「チャクラヒーリング」)

 

まとめると、いじめにあいにくくなるためのコツとしては、次のことがあげられます。

他者の承認にすがって自己価値を埋めようとするのをやめ、自分で自分の価値を認めること。境界線をしっかり持ち、自分の内面にフォーカスして、自分にとってなにがよく、何が嫌なのか、しっかりと把握すること。そして、嫌なことには堂々とノーということ。人がどう思うか、人がどうやったら満足するかばかりに意識を向けることなく、自分がどう思い、どうやったら満足するかも大切にし、主体性を持つこと。

これらのことができるようになると、人は、犯しがたい尊厳を帯びるようになるので、支配して自分を満たそうとしても、近づいて思い通りにしずらくなります。そうなると、いじめっ子はもっと支配しやすい別のターゲットを探さねばならなくなり、離れていくはずです。

いじめは、いじめる方が絶対に悪いのですが、そうはいっても、いじめが存在するのは現実です。ならば、対策を考えたほうが得だと思います。

どこへ行ってもいじめにあう人は、いじめっ子をひきつけてしまう要因、いじめを増長させていまう要因が自分の中にないかどうかをチェックし、もしあれば改善することで、支配から自由になる道を選ぶことができると思います。                                                                                                               

                                                                                                                                          (Chika)   

                                                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

 

 

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セドナ

アメリカでも大好きな場所の1つ、セドナ。

私は、アメリカの中でも、サウスウェストと呼ばれる、アリゾナ・ニューメキシコあたりが、一番すきです。

セドナは、アリゾナ州にある町で、サウスウェスト特有の砂漠や岩山に加え、不思議に水や緑にも恵まれている場所。日本でも、パワースポットとして、近年とても有名になりましたね。

セドナは、私的には、バーン!とエネルギーが通って、本当に体が元気になるところです。大地のエネルギーが強いので、浄化力とグラウンディング力がとても強力。私はセドナに行くと、いつも、長時間のドライブからくる頭痛や肩こりが、不思議に治ってしまいます。

また行きたいけれど、今年のアメリカ行きは、ノースウェストが目的地になりそうなので、再訪はまだしばらく先かな。

今年は、秋、またカウンセリングのセミナーを受けに、渡米予定です。シアトルで、PTSDの治療法に関するセミナーを受講して、スキルアップしてこようと思っています。

                                           (Chika)

 

 

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自然と人間の関わりについて

人間の行いや思いと自然は、つながっているのだなあと思います。

アメリカにいたころ、日本みたいに神社がないので、人里離れた自然が豊かな場所を選んで、お参り代わりに、お酒とお花を土地にささげてきたことがありました。

すると、翌日、家の庭の上に、こんなものが現れました。

心霊写真ならぬ、精霊写真。(なんの形だか、わかりますか?)

自然の力によって生かされている私たちは、自然に敬意を表することは、とても大切だと思います。

普段は目に見えないけれど、自然を司る存在に人間の思いはちゃんと伝わり、とても喜んでくれるからです。

実は、普段は多くの人が意識すらしないけれど、人間と、自然界の目に見えない存在たちは、お互いに影響しあって生きています。

自然と切り離されて生きている現代だからこそ、そういうことを忘れないで、頭の片隅に置いておくことは、世界をよりよい場所にしていくために、必要なんじゃないかと思います。                       

                                                                                                                                      (Chika)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 

 

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受信と発信

「どうしよう。どうしたらいいんだろう。」

と、あれこれ考えつづけていても、答えが見いだせない時。

「ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。」

と、不安にとらわれているとき。

そんなときは、いつまでもぐるぐる考えつづけるよりも、いったん、問題を棚上げして、頭を空っぽにし、リラックスした方がいいと思います。

そうすれば、いい解決方法や、必要なアイデアが降ってくることがあるからです。

頭がぐるぐる働いて、誰かに対し、または自分の心の中で、おしゃべりを続けているときは、いわば、発信モードになっているとき。思考を生み出すためにマインド(頭)が働いている状態、例えるなら、発電機が動いて、自分から電波が発信されている、といった感じでしょうか。

でも、あまり四六時中うるさくおしゃべりしすぎると、「聴く」ということができなくなります。何を「聴く」かというと、インスピレーションの声、直感の声です。

直感は、潜在意識の奥にある、自分の中の叡智(神性)に通じているのですが、こことつながるためには、受信モードにならなければなりません。受信モードは、頭を休めて、体をリラックスし、心を落ち着かせ、感覚がオープンになっているとき、一番、感度がよくなります。だから、そういう状態のとき、自分に必要ないい考えが、ふと頭に浮かんだりするのです。

想像上の例えで言うなら、神様と電話をしているとして、発信モード全開で、こちらから一方的に

「神様、大変なんです。どうしたらいいでしょう。私、もう、だめかもしれません。・・・」

と延々と話し続けていると、 神様が

「それをなんとかするにはだな、まずこうして、それからああして・・」

と、せっかく教えてくれていても、自分の声がうるさくて神様の声が聞こえないという状況になってしまう、ということです。

発信モードでひとしきり訴えた後は、おしゃべりをやめて受信モードに切り替え、耳を澄ませて相手の声を聴きとることが大切です。

潜在意識から降りてくる声というのは、通常、とても繊細で微妙、か細い声なので、気持ちを落ち着かせ、集中して、よく聴きとらなければなりません。

そのためにも、不安にとらわれて、出口が見えなくなっているときは、いったん心のおしゃべりをやめて頭を空っぽにし、心静かにリラックスすること。

ちなみに、不安なときは、おしゃべり(相手がいるなら相手に対して、一人なら心の中のおしゃべり)がインスピレーションとのつながりを邪魔するのに対し、うつ状態でふさぎ込み、何も考えられなくなっているときは、いわば、自分で電話線を抜いて、直感の声をシャトアウトしまっている状態です。自分からつながろうとしておらず、聴く耳を持たないでいるという点では同じですね。

どんなに苦しいときにでも、そこを通り抜けて、光差す場所に出るための導きというのは、必ずあるはずです。それを得るためには、心の耳を澄ませて、受信モードになり、受け入れるだけのスペースを、自分の中に作ってあげること大切なのだと思います。

                                           (Chika)

 

 

 

 

 

形あるものを超えて

私たちの世界では、形あるもの、目に見えるものは、いつか滅びてなくなるようにできています。

人も、動物も、植物も、建物も、本も、みんなそうです。

目に見えるものだけにフォーカスするなら、このしくみは虚しく思われるかもしれません。何かを作り上げても、どうせいつか消えてなくなるのですから。

でも、よく観察してみるならば、形なきもの、目に見えないものは、もっと持続的であることのがわかると思います。

存在するものは、目には見えないレベルでは、もはや失われることなく、個が全体に影響し合い、常に変化を続けながら、持続する。それがこの宇宙全体で繰り広げられている、永遠の創造の過程だと思います。

例えば、私が尊敬し、思想的に影響を及ぼしている人の一人に、マルクス・アウレリウス・アントニヌスという人がいます。

この人は、ローマ五賢帝の最後の賢帝と言われ、常に公的な幸福を考えて、非常に賢明かつ献身的に国政を摂ったために、彼の統治下のローマは平和と繁栄を享受しました。

マルクス・アウレリウスは、忙しい日々の中で、自分を振り返り戒めるために、「自省録」という日記を残していたため、彼の思想は後世に知れ渡ることになりました。日本では、精神科医の神谷恵美子さんが独学で学んだギリシャ語から訳した本が出ています。(ちなみに、神谷美恵子さんも、私がとても尊敬している人の一人です。)

マルクス・アウレリウス自身は、1800年以上も前に亡くなっていますし、「自省録」の原本は、現在、どこかに保管されているのかどうか知りませんが、あったとしてももう、あまり原型をとどめてはいないと思います。

けれども、マルクス・アウレリウスが苦悩の多い人生を生き抜き、その体験の中から生み出した思想や気高い生き様は、彼の身体が滅びた後でも、目に見えない形で、たくさんの人に多大な影響を与えています。

1800年以上後になって、ローマからは遠く離れた日本に一個人として生まれ、生きている私もその一人で、何度も繰り返し読んだ「自省録」を通じて、マルクス・アウレリウスには、慰めや励ましや勇気をたくさんもらいました。

実際のところ、本そのものよりも、本の中に根づいているマルクス・アウレリウスのもつ魂に触れたことにより、感銘を受けて、自分の中にポジティブな変化が起こったというほうが、正確だと思います。

そして、マルクス・アウレリウスの思想を取り入れ、(願わくば)アイデンティティの一部に取り入れた私自身も、いつか誰かに、その部分から何らかのメッセージを伝え、いくばくかの影響を及ぼすことがあるかもしれません。

このようにして、私たちは、形あるものよりも、むしろ形の向こう側にある見えないものを通して、お互いに影響を与え合い、変化を起こしあっているのだと思います。それは、常に止むことなく起こっていて、永遠に続く、目に見えない化学反応のようなものです。そして、これこそが創造のプロセスなのだと思います。

この世に存在するすべものは、この創造のプロセスに関わっており、だから、私たちの取る行動や発する言葉(目に見えるもの)、頭で考えることやよぎった感情(目に見えないもの)、すべてが、意識する・しないに関わらず、世界を変えうる要素になるということです。

単純にいうと、傷ついた人が多ければ、世の中は悲しい場所になるでしょうし、悪だくみをする人が多ければ多いほど、世界はすさんだ場所になるでしょう。優しく正直な考え方をする人が多ければ多いほど、世の中は安心して安らげる場所になるでしょう。

ここをどんな世界にするかは、その構成要因であり、クリエーター(創造する者)である私たち一人ひとりにかかっているということ。私たち一人一人に、創造のパワーが宿っているということなのです。

そう考えると、私たちの1人1人がこの世界において大切な役割を担っている、意味のあるかけがえのない存在なのだと思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気にする」ということ

今日、ジョギング中に横断歩道を渡っていた時、ふと、頭をよぎったことがありました。

それは、

「あの車はいつ左折できるだろう。」

という、どうでもいいことでした。

それは車通りの激しい大きな道だったので、その車が左折するには、しばらく待たなければならず、それが気になって、チラッとそちらを見てしまいました。

すると、その途端に、走りながらどっと疲れたので、

「そうか。気にするって、そういうことか。」

と、ひらめいたのでした。

「気にする」というのは、自分のエネルギーフィールドの中に、その対象物を取り込むこと。文字通り、自分の氣の一部にしてしまうということ、なんですね。

信号待ちをしている車に意識を向けてしまったことで、本来、そのドライバーが感じるはずである、微妙な欲求不満とか焦りという、どちらかというと不快な感情を、不必要に自分の中に取り入れてしまった。だから、ストレスを感じて、急に疲れたというわけです。

人は、よくも悪くも、意識したものに影響を受けます。意識したものというのは、すなわち、気にしたもの、自分のエネルギーフィールドの一部として取り入れたものです。

なので、人目を気にしている人というのは、人の影響を受けやすい人でもある、ということになります。

自分自身より、周囲の人たちにネガティブな意識がいっているために、その人たちの影響を受けて振り回されやすくなります。自分に意識がいっていない分、自分のエネルギーが希薄になっているので、軸がブレて不安定にもなりやすいです。また、自分のエネルギーフィールドの中に、たくさん人がいる状態なので、精神エネルギーを消耗して、疲れやすくもなります。

生きている以上、嫌なことや不快なことを避けて通すことはできません。ネガティブなものを一切取り入れないということは、現実逃避にもなってしまうし、第一、不可能だと思います。でも、私が信号待ちの車を気にしたように、不必要なものを気にして、自分の中に取り入れることは、エネルギーの無駄なので、避けられるものなら避けたほうがいいと思います。(^_^;)

どうせ、自分の中に取り入れるなら、できる限り、自分を元気にしてくれるものを選んでつながりたいものですね。

ちなみに、私は道を歩いているとき、咲いている花を気にして歩いています。いろいろな色に咲いている花は、私には光を放っているように思えて、とても魅きつけられます。花の色を意識して楽しみながら歩くと、花の持っている癒しのエネルギーを自分に取り入れることになるので、気分がよくなります。色によって、元気にしてくれるものや、静かに癒してくれるものがあり、花って、ほんとうに光のエネルギーなんだなあと思います。

今は、色々な花が咲いている季節なので、よかったら、花を気にしながら歩く散歩を、試してみてください。

                                                                                                                                                 (Chika)