盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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ひらめきの言葉

ばらばらの石とぴかぴかの石

以前、愛読書だった本を、もう一度買って、読み直しています。

その中で、本当にそうだなと思う一文があったので、シェアします。

「人生に偶然というものはありません。いつ、どこで、どんなふうに生まれてくるかということすら、偶然ではありません。私たちが悲劇だと思っているものも、私たちがそれを悲劇にするから悲劇なのであって、私たちはそれをチャンスとか成長のための好機と見なすことだってできるのです。そうすると、悲劇だと思っていたものが、実は私たちに対する挑戦、つまり人生を変えるために必要なヒントであったことがわかってきます。」

(エリザベス・キューブラー・ロス著 鈴木 晶訳 「死ぬ瞬間」と死後の生 中公文庫)

カウンセリングで多くのクライアントさんにお会いして、大変な境遇とか出来事、心身の状態というのは、よりよい自分、よいよい人生へと変わるためのチャンスであると実感しています。

同じ本の中で、キューブラー・ロスは、「つらい経験をするというのは、ちょうど大きな石を洗濯機で洗うようなものだ。ばらばらに壊れて出てくるか、ぴかぴかになって出てくるか、そのどちらかだ」と述べています。

私は、非常に困難な人生を歩んできた人が、暗い長いトンネルを抜けた後に、生まれ変わったように強くて優しい人になり、輝くような魅力を放って、人生を謳歌されている姿を何度も見てきましたので、この比喩の意味がとてもよくわかる気がします。

「なんで自分の人生はこんなに不幸でみじめなんだ」と思ってしまうと、「犠牲者意識」に陥り、トンネルの暗闇の中にとらわれてしまって、先に進めなくなってしまうものです。「ばらばらの石」への道ですね。

出来事や状況は変えられなくとも、その出来事や状況をどう捉えるか、その出来事や状況に対してどういう態度で臨むかは変えられます。その点において、人は完全に自由ですから。それが理解できれば、受け身で無力な「犠牲者」ではなく、人生を積極的に変えていく力を持てるようになります。

どうせ辛いできごとなら、ぴかぴかの石になるために必要な試練、しんどいけれど、より幸せになるためのヒントが隠されているととらえて、それを自分の人生に生かす道を考えてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

精神の自由について

ところで君はどんな被害を蒙ったのか。君が憤慨している連中のうち誰一人君の精神を損なうようなことをした者はないのを君は発見するであろう。君にとって悪いこと、害になることは絶対に君の精神においてのみ存在するのだ。

                                         マルクス・アウレリウス

 

つまり、どんなに悪意に満ちた言動も、あなたの心がそれを受け取らない限り、誰もあなたを傷つけることはできない、ということ。

人に非難を受けても、もし自分はそうではないと心から信じるなら、それを自分の中に取り入れる必要はありません。

何を取り入れ、何を取り入れないかは個人の自由であり、本当は自分で選択しているという点において、非難した相手ではなく自分自身に責任があります。

人の良心に裁きをゆだねるようなことはせず、自分の良心だけを心の番人にしておくなら、他人の言動に振り回されることはなくなります。

ちなみに、人は精神においては絶対的に自由である、というメッセージを世に放った人として、私の頭に真っ先に頭に浮かぶのは、精神科医ヴィクトール・フランクルです。

彼はユダヤ人だったので、第二次世界大戦下、捕らわれて、アウシュビッツその他の収容所で3年間を過ごしましたが、家畜以下の扱いしか受けないような過酷で環境においても、心まで蝕まれることはありませんでした。絶望に身をゆだねることなく、最後まで周囲の人への思いやりを忘れず、収容所生活を耐え抜きました。「苦しみは、そこに意味を見出すことにより、耐えうるものになる」という、実体験に基づく気づきから、ロゴセラピーという実存主義に基づくセオリーを生み出した人でもあります。 

                                            (Chika)

 

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他人より自分を観る

周囲の人に対する悪口や不満を、言ってはいけないとはいいませんが(ため込むよりは吐け口を見つけたほうがいい場合もあるので)、ただ、残念ながら、それをしている間はその人は幸せになることはできません。

また、自分に害を及ぼした(と信じている)人が、心理学的にいかに病的であるかを熱心に分析する人がいますが、厳しい言い方をすると、それも時間の無駄です。なぜなら、いくら相手を分析しても相手は変わらないからです。相手が悪い、自分は被害者だと考えることにより、一時的に慰められて気分がよくなることはあるかもしれませんが、それでは状況は悪化することはあっても、よくなることはまずないでしょう。

自分ではなく、他人の問題にフォーカスしている間は、問題は解決しません。

 

「隣人の語ること、行なうこと
 考えることを気にかけない者は
 どれだけ多くの利益を受けることだろうか」

「他人の魂のなかに何が起こっているか
 気をつけていないからといって
 そのために不幸になる人は
 そうたやすく見られるものではない
 しかし
 自分自身の魂の動きを注意深く見守っていない人は
 必ず不幸になる」

 

マルクス・アウレリウス・アントニヌスの名言は、真理をついていると思います。

どんなに他人の中に過ちを探しても、自分の苦しい状況は改善しないということです。自分自身の内面に目を向けて、なにが今の不幸せな状態の原因であるかを見つけ、それを変えようという意志を持ち、正しい方向に努力することによってのみ、状況はよくなっていくものだと思います。

 

 

                                         (Chika)

 

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苦しみの最大の原因

「私たちの苦しみの最大の原因は、私たちが自分自身につくウソだ。(The greatest source of our suffering are the lies we tell ourselves.)」

今読んでいる、トラウマ治療に関する本、The BODY KEEPS the SCORE(Bessel Van Der Kolk, M.D.著)に出てきた言葉です。

 

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Van Der Kolk博士は、アメリカの精神科医であり、PTSD治療の先駆者であり、第一人者ですが、先日、彼のセミナーをWebcastで受けて、とても興味深かったので、今回渡米した時、本屋さんに立ち寄り、この本を買ってきました。

冒頭の言葉は、Van Der Kolk博士の先生だったElvin Semradという人が言った言葉だそうで、この先生は、私たちは、経験するあらゆる側面において、自分自身に正直でなければならない、といっていたそうです。

この言葉は、とても腑に落ちました。

心の病気は、私たちがあらゆる体験において、自分に正直であり続けることを許せば、起こらないのだと思います。

自分の心を偽って、思ってもいないことを口にしたり、思っていることを言わなかったり、感じていることを感じていないふりをしたり、見えているものを見ないふりをしたりしなければ、ストレスが細胞に刻み込まれることはなく、したがって心は病気には(ひいては体の病気にも)ならないのだと思います。

このElvin Semradという先生に関して、Van Der Kolk博士は、もう一つ、印象的なエピソードを挙げています。

博士がまだ学生の頃、

「先生、この患者は、統合失調症(Schizophrenia)だと思いますか、それとも統合失調感情障害(Schizoaffective Disorder)でしょうか。」と聞きに行くと、

この先生は、考え込んだふりをして、

「私なら、この人をMichael McIntyre(患者の本名)と呼ぶよ。」

と答えたそうです。

診断名に囚われず、その人自身を見よ、ということ。

これは、私も本当にそう思います。

診断名はある意味貼られたレッテルに過ぎず、このレッテルは、診断する側によって、患者のその時の状況によって、常に変わりうる。精神疾患の診断名自体、人間が考え出したものに過ぎない。精神疾患の名前も、精神医学界の偉い人の一言で、変わったり、新しくできたり、なくなったりするものです。

そんなものに迷わされず、患者自身を見なさい、という教えは、素晴らしいと思います

こういう人は(そして、その言葉の価値がわかるVan Der Kolk博士も、もちろん)、患者を深い部分から理解して、その真のニーズを把握しながら、優れた治療を施すことができる、本物のセラピストなのだと思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                             (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

 

絶望的な状況はない

今日は、最近買った、お勧めの本をご紹介します。

「人生はニャンとかなる!」 (水野敬也・長沼直樹著 文響社)

 

「明日に幸福をまねく68の方法」という副題がついていて、中には、猫の写真とともに、古今東西の偉人のエピソードや名言が、たくさん紹介されています。

この偉人たちの言葉が、結構よりすぐりなのです。センスがよく集められているなと感心しました。

私が一番印象に残った言葉は、ハインツ・グデーリアン(ドイツの軍人)の、

「絶望的な状況はない。絶望する人がいるだけだ。」

というもの。うん、確かにその通り(^-^)/。

そして、一番印象に残ったエピソードは、発明家エジソンの話。

エジソンの研究所だか工場だかは、ある晩、火事になって燃えてしまったのだそうです。

それを見たエジソンは、嘆き悲しむどころか、炎の美しさに恍惚となり、その場でお父さんに電話をして、きれいだから見に来るよう、言ったのだとか。

そのとき、煙で明かりがよく見えないのを見て、エジソンはサーチライトの発明を思いついたのだそうです。

エジソンて、本当に自由な心を持っていたのだなあと思います。

身に降りかかる出来事や置かれている状況に支配されず、軽やかで自由な精神を持っていたため、天とつながってインスピレーションを次々に受け取ることができたんですね。自分の心に、邪魔して阻む余計なものが無ければ、本来、人間は誰でもそうであるように。

先に紹介したハインツ・グデーリアンの言葉のように、

この状況が起きた=悲惨、絶望的

というのは、本当は、その人の捉え方に過ぎない。

災い転じて福のことわざ通り、一見不幸な出来事には、必ず幸福の種が潜んでいると私は思っていて、その種を見つけて、育てて、花を咲かせることができるのは、状況や物事にとらわれない、柔軟性のある、エジソンのような人なんだと思います。

ちなみに、エジソンは学校では落ちこぼれだったそうですが、そりゃそうだろう。型にはまった教育は、彼のような人にはつまらなくて退屈だっただろうと思います。                                                                                                                                               (Chika)

欲求や不安に執着しない

自分の欲求や不安に

すべてのエネルギーを投入し執着しても

ただストレスと消耗を生み出すだけだ

我執を緩めれば

内なる智慧の扉を開くことができる

(「心の治癒力-チベット仏教の叡智」トゥルクンドゥップ著 永沢哲訳 地湧社)

 

これは、チベット仏教のお坊さんの言葉ですが、とても大事な真実を含んでいると思います。個人的には、この言葉を心で感じると、気持ちが楽で自由に、かつ、穏やかになります。

何か一つのことに執着し続けるのは、それが例えポジティブなことであっても、心にとっては健全ではありません。

すべてのものは変化し続けるのが自然の姿であり、その流れに逆らって、1つのことに固執続けると、感情エネルギーも滞り、色々なことがうまくいかなくなってしまいます。

例えば、何かを成し遂げた喜びであっても、いつまでもこだわりつづけたら、過去の栄光にしがみつく人になってしまい、周囲から置き去りにされてしまいます。

また、不安なあまり、一つのことが気になって、それしか考えられなくなる状態も、一種の執着です。こうなると、視野が狭くなり、自分をよい方向に導いてくれる智恵がでてきにくくなります。

比ゆ的に言うならば、不安という黒い雲が心を覆い隠し、遮ってしまうので、外から入ってくる光が届かなくなっている状態。つまり、感とかインスピレーションが入ってきにくく、健全な判断力も鈍ってしまっている状態です。

そして、誰もが感じるように、不安や怒りの対象に執着すると、とてもエネルギーを消耗させられます。

体のエネルギーと心のエネルギーにバランスも乱れるので、体は疲れているのに、目がさえて眠れなくなったりもします。

肝心なのは、そういった状態を作り出して、自分自身を苦しめているのは、他でもない自分自身だということ。

自分からしがみつくことをやめて、手放せば、楽になれる。

わかっていても、実際には言うは易し、行うは難し、ですよね。お坊さんが修業の内容にするくらいのことだから、誰でもそれを実行するのが難しいと思う場合はあるのだと思います。

だけど、欲求や不安から、しばらくの間だけでも心を離すことができれば、そこに必要な空間(スペース)が入って、心が穏やかな時にのみアクセスできる自分の内側にある叡智の声が 、聞こえてくるものだと思います。

 

2011trip 149

 

 

一瞬が一日を変える

一瞬が一日を変える

一日が一生を変える

一つの人生が世界を変える

 

3,4年前、まだアメリカで働いていた頃、「これ、Chikaが好きそうだと思って取っておいた」と言って、同僚がくれたしおりに書いてあった言葉です。

うん、確かに好きかも。

一瞬一瞬、最善を選択して生きることの大切さを思い出させてくれる言葉です。

 

 

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心の安らぎを得るための祈り

神よ 

変えられないものを受け入れるために必要な心の静かさを

変えられるものを変えるために必要な勇気を

変えられるものと変えられないものとを識別するために必要な叡智を

我に与えたまえ

 

God, grant me the serenity 

To accept the things I cannot change; 

The courage to change the things that I can; 

And the wisdom to know the difference.

 

これはSerenity Prayerという、有名な祈りです。

作者は諸説ありますが、ニーバーというアメリカの神学者が作ったという説が有力です。

AA(Alcoholics Anonymous=アルコール依存の人たちの自助グループ)の12段階のプログラムという依存症克服プログラムの中でよく使われている詩です。

今、現在、状況を変える手立てがあるのなら、勇気をもってそれをやってみること。

今、現在、なすすべがなく、状況を変えることができないなら、その状況を思い切って受け入れること。

これさえできれば、人の心は波立つことがなく、安らかな状態を保つことができます。

不安というのはたいてい、今、この瞬間どうしようもない、未来のことを思い煩うことによって生じます。

今、この瞬間だけに目を向けて、現在できることに最善を尽くし、後のことはその時が来るまであまり考えずに生きる。この技術をマインドフルネス(mindfulness)といって、禅の思想の基本にもなっています。(アメリカでは、マインドフルネスは、心理療法の一環として、不安障害やうつの治療にも使われています。)

マインドフルな生き方をすれば、生きることはずっと悩み少ない、シンプルなものになり、かつ、無駄なエネルギーの消費を抑えられるので、楽で効率のよい生き方ができるようになると思います。

 

 

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