盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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過去と未来が同時によくなる方法

過去と未来を同時によくする方法があります。

それは、自分の現在をよくすることです。

現在の自分を、幸せで、満ち足りた気分にしてあげれば、過去も未来も、自然に、悲観的な目でみることができなくなります。

心が満ち足りた状態で未来を見たら、前途が明るく見え、不安な未来は描きにくくなりますよね。

また、過去にたくさん苦しい体験をしたとしても、今が幸せなら、過去の苦しみと同調しなくなり、「あの体験があったから、今の自分がある」等、前向きな視点を持つことが容易になります。

今の自分がよく変われば、過去と未来を見る目がよく変わる。見る目が変わる=過去と未来が変わるということ。

結局、過去も未来も、私たちの頭の中でしか存在しない概念であり、実際に私たちが体験するのは、いつでも、「今、ここ」。現在の連続体があるだけです。現在を支点として、過去、未来を眺めている状態なので、支点である現在の意識状態を変えれば、過去も未来も、いっぺんに変わるというわけです。

そもそも、出来事自体はニュートラルで、それを体験する人が、それぞれの視点によって、いい、悪いを決定しています。例えば、「過去にとても嫌な思いをした」、「未来に嫌な用事がある」、どちらも、今の自分の心境がよりよくなり、視点が高くなれば、より肯定的にとらえられるようになります。

だから、今、ここが大切なんですね。過去に何があろうが、未来に何が待っていようが、現在の心の状態を上げてあげることが肝心。そうすれば、過去も未来も、今までとは違って、よりよく認識することができるということです。

カウンセリングの手法について

最近、日本でも、認知行動療法が定着してきていて、認知行動療法を使ったカウンセリングの提供をする医療機関やカウンセリング会社が増えてきているように思います。

私が日本に帰ってきたばかりの頃は、まだ、認知行動療法さえもさほどよく知られておらず、大学院を出た臨床心理士の同僚に、特段、心理療法は習っていない、日本のカウンセリングは傾聴がメインだよ、と聞かされて、びっくりした記憶があります。

認知行動療法が編み出されたのは1950~1960代で、心理療法としては、アメリカの大学院では必ず習う、基本中の基本であり、個人的には、古典的な手法だと思っています。認知行動療法が効果的だというエビデンスは多くありますが、その後、フォローアップで継続的な効果を調べたら、効果は一時的で、後になって、だんだん薄れていき、元に戻っていくという研究データがあって、なるほどな、と思ったことがあります。

現在は、認知行動療法を基盤として、より発展した、第3ウェーブといわれている療法が数多く編み出されています。DBT(弁証法的行動療法)や、ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)、マインドフルネスは、私が比較的よくカウンセリングに取り入れている療法ですが、これらも第3ウェーブに入ります。

どの療法にも、長所と短所があって、これですべての症状が必ずよくなる、という万能の療法はありません。どの療法を使ったら効果がでやすいかは、その人の症状によって、また、気質や認知の度合いによっても変わってきます。

例えば、認知行動療法は、比較的浅い、日常的なストレスを解消するにはとても効果的だと思いますが、深く刻まれた感情的なトラウマを解消するには届きにいです。思考や行動を変えることで感情を変えるという理念が認知行動療法の基盤になっているのですが、視点を変えて考え方を変えるというのは、強い感情に圧倒されているときは、できにくいものです。そういう時は、その感情にのまれないで観察しつつ味わうという、マインドフルネスとか、自分の感情と向き合って対話することに長けている、ゲシュタルト療法の方が、効果がでやすいと思います。

そもそも、心理療法という、人が頭で考えて体系づけたものに合わせて、人の心を当てはめるというのは、無理があると思います。その人の心に合わせて、やり方を調節する方が、自然なのではないでしょうか。

こういうわけで、カウンセリングの手法を限定することに抵抗を覚えるため、私は、直観に従って、その人の状態や資質を見極めて、合うと思われるやり方をひっぱってくることをしています。

マザーテレサの言葉 :思考が現実を作る

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

パターン化された思考が、いかに自分を取り巻く現実を作っていくかを、よく示している言葉です。

思考って、自分の目の前に起きる出来事=体験を、どう捉えるか、で生まれるものだと思います。

捉え方の癖って人によってあるんですよね。いいようにとらえれば、ポジティブな思考になりやすいし、悪くとらえてばかりいると、ネガティブ思考の人になります。

自分の捉え方の癖に気づくことが、まず第一歩。気づいたら、変えることはできますから。

ちなみに、性格は、思考や行動が集積して作られていくものです。だから、思考や行動を変えて行けば、性格も変わっていきます。

習慣とというのは、反復された行動に他なりません。今までとは違う、新しい行動を意識的にとるようにしたり、自他ともに傷つけるような言葉をやめて、よりよい言葉を使うように心がけたりし、それを繰り返せば、運命も変わっていくということですね。

自分が放ったものが自分を取り巻く現実を形作るというのは、量子物理学で証明される事実です。それが思考であれ、言葉であれ、行動であれ、自分が瞬間瞬間に放つものは、自分が住み、体験する世界を形成する材料になってしまうんですよね。

だからといって、無理にポジティブ思考にしようとするのは、逆効果。こう考えなきゃいけない、と思うと、言葉づらがポジティブだったとしても、苦しみの念が放たれてしまいます。言葉よりは、言葉に伴う念の方が真実であり、物事を左右する力を持つものです。

~すべき、~してはいけない、というべき思考は、苦しみの現実を作る元なのです。「こうなったらいいな」、「こうなったら幸せだな」という思いを放つようにした方がいいと思います。

氣の流れをよくする

先日、某温泉に行って、日帰り入浴してきました。

でも、申し訳ないのですが、正直いって、その入浴施設、なんだか、癒されないのですよね。有名な温泉郷にある施設の一つで、泉質はいいのですが、居心地が悪いのです。すごく混んでいるわけでもないのに、なぜでしょうか。

そのわけは、建物の材質と構造にあると思いました。

綺麗な色で塗ってあるとはいえ、コンクリートでできていて、窓が一つもなく、天井が高いのです。天井の方に大きく空気孔が空いているから、息苦しさはないし、コンクリートだから外が暑くても中は涼しいし、その辺はいいのですが、四方をコンクリートで囲まれていると、氣の流れが遮られることを、改めて実感しました。

もし、窓でもあって、外に木の生えた庭でもあったら、視覚を通して氣の交流が起こるから、全然違っていたでしょう。

昔、ある映画でみた、刑務所の中のシーンを思い出しました。その刑務所は、重い罪を犯した受刑者が長年入っているところで、建物にはほとんど窓がなく、唯一、空が見える小さい窓があります。そこから青空を見るのには、順番待ちがあって、何週間に一回か回ってくるだけです。そこで、外を見ることに飢えている受刑者たちの間で、順番を奪い合うための殴り合いが始まるという、本筋とはあまり関係のないワンシーンが、今でも印象に残っています(何の映画だったか、タイトルも本筋は忘れてしまいましたが)。

この時、受刑者たちが欲していたのは、窓から見える青空ですが、それはとりもなおさず、清らかな氣のことだったのだと思います。

実際、アメリカにいたとき、州で一番大きな刑務所でカウンセラーの求人募集があったので、ちょっと興味があって応募したことがあったのですが、面接に行って刑務所を見学し、やっぱりやめよう、と辞退しました。その一番大きな理由が、コンクリートでできた大きな刑務所の建物に窓が一つもなく、太陽光が入って来なくて、1日中、昼か夜かわからないような場所だったから、でした。ここに毎日いたら、(受刑者と接することより、建物の構造的に)心身に悪そうだと思ったのです。

刑務所にあまり窓がないのは、逃亡できないようにするためだと思いますが、これでは、ただでさえ、心の闇を抱えている受刑者は、一層心が荒んで、更生から遠ざかってしまうかも、と思います。

コンクリートで囲まれた建物や場所は、氣の流れを遮ります。駅の地下道なんかもそうですね。物理的な穢れ(地下道の排水路のちょっとした汚水とか、カビとか)や、目に見えない穢れ(人の念とか)もたまりやすくなります。大きな窓があって、絶えず新鮮な空気が流れ込んで循環したり、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出してくれる植物(やはりエネルギーの循環を促してくれる)が十分あったなら、穢れはたまりにくいでしょう。コンクリートでなく、木でできた建物も、やはり、氣の流れが遮られにくいように感じます。

個人的には、色々な人が泊まる割に、冷暖房完備で窓を開けることが少ないホテルなんかも、氣がよどんでいて、居心地の悪さを感じます。なので、開けていいなら、まず窓を少しでも開けて、空気を入れ替えるようにしています。

もし、鬱状態の方がいらっしゃったら、何かをする気持ちになりにくくなると思いますが(鬱はそもそも気持ちが淀んで流れが悪くなっている状態ですから、そうなってしまう)、毎朝、窓を開けて、空気を入れ替えたり、太陽の光(特に朝日)を入れたりするだけでも、少し気持ちが晴れると思います。

または、氣がいい場所に行って、しばらくそこにいるのも、お勧めです。自然の多い場所とか、神社を参拝するのもいいですね。

意識的に、自分の氣をよくすることを、心がけたいものですね。

罪悪感と恥の違い

罪悪感は、自分が違った行為をしてしまった、または、正しいことをしそこなったと思うときに感じるものです。罪悪感を覚える人は、通常、その行為を修正しようとするか、殻に閉じこもるか、どちらかをしたくなります。

通常、罪悪感は、「本来、自分がありたいという姿と違っているよ。自分の理想の道からそれちゃっているよ」と教えてくれる感情であり、本来の道に戻るよう、行為の修正を促す働きがあります。罪悪感を覚えるのは、健全な証拠であり、罪悪感は役立つ感情でもあり得るということです。

(ただし、生い立ちの過程で認知に何らかの歪みができた場合、不当な罪悪感を覚えることがあります。幸せになってはいけないと思い、いいものを受け取ることに罪悪感を覚えるなどがこれに当てはまります。その場合、罪悪感は役に立たないばかりか、足を引っ張るものなので、手放した方がいいです。この場合の処方箋は、罪悪感を覚えても、それをし続けて、慣れるということです。罪悪感を覚えながらも、与えられるものを受け取り、幸せを許す、それを何度も繰り返す、ということをすれば、罪悪感はだんだん薄れて消えていきます。)

これに対して、恥は、自分という存在自体を、悪い、間違っていると認識するとき、感じる感情です。自分のしたことではなく、自分そのものを悪いとみなしているわけです。なので、恥を覚えている人は、通常、殻に閉じこもり、人から自分を切り離し、孤立しようとします。

大事なのは、どんな感情も、その人自身ではないということ。「その人=恥」ではないのです。いかなる思考も、感覚も、その人自身ではなく、その人が一時的に持って、体験しているものに過ぎません。自分というのは、自分がもつどんな感情、思考、感覚よりも、大きな存在なのです。

なので、「自分は何をやってもダメだ」「人に受け入れない、恥ずかしい存在だ」と思ったり、感じたりしたとしても、そしてそれがどんなにリアルに感じられたとしても、それは、自分がその時に握っている、一時的に訪れてはいても、やがて移り行く思考や感情のひとつにすぎないということを理解してください。どんな体験も、自分の存在そのものではないということを理解し、それと自分を同一化してしまわないことが大切です。