盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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08月

リラックス効果の高い呼吸法

呼吸法にはたくさん種類がありますが、私が自分で実践してみて、短時間ででき、かつ、リラックス効果が高いと思うものを1つご紹介します。チベットに伝わる呼吸法です。

 

①お腹から、できるだけたくさん、息を吸い込む。このとき、風船が膨らむように、下腹部が膨らむとよい。

②いっぱい息を吸ったら、さらにもう1度息を吸い込む。(つまり、息を吐くことなく、2回吸い込む。)そのまま、しばらく息を止める。その時、圧がかかるにつれて、胃のあたりがだんだん暖かく(熱く)なってくるのを感じる。

③一気に息を吐き出す。このとき、全身がリラックスするので、その余韻を楽しむ。

 

必要に応じて、①~③を何回か繰り返してください。

ちなみに、呼吸をするときは、息を吸うときに交感神経、吐くときに副交感神経が優位になります。交感神経は、覚醒させて活動的にさせ、副交感神経はリラックスさせる働きがあります。

この方法で呼吸を繰り返すと、最大限に息を吸ってから一気に吐き出すことで、よりリラックス効果が高まります。

よかったら、試してみてください。 

                                                                                                                         (Chika)

 

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自然と人間の関わりについて

人間の行いや思いと自然は、つながっているのだなあと思います。

アメリカにいたころ、日本みたいに神社がないので、人里離れた自然が豊かな場所を選んで、お参り代わりに、お酒とお花を土地にささげてきたことがありました。

すると、翌日、家の庭の上に、こんなものが現れました。

心霊写真ならぬ、精霊写真。(なんの形だか、わかりますか?)

自然の力によって生かされている私たちは、自然に敬意を表することは、とても大切だと思います。

普段は目に見えないけれど、自然を司る存在に人間の思いはちゃんと伝わり、とても喜んでくれるからです。

実は、普段は多くの人が意識すらしないけれど、人間と、自然界の目に見えない存在たちは、お互いに影響しあって生きています。

自然と切り離されて生きている現代だからこそ、そういうことを忘れないで、頭の片隅に置いておくことは、世界をよりよい場所にしていくために、必要なんじゃないかと思います。                       

                                                                                                                                      (Chika)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 

 

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「周囲の状況に気づく力」の育て方

「周囲の状況を気づく力」と言いましても、漠然としていますね。
「周囲」には、いろいろなことが含まれますね。
場所や物、人、音や色、匂い、温度など、色々ありますが、ここで取り上げたいのは、「人」です。

子どもの日々の成長は、常に人との関わりの中で育まれています。

具体的に考えてみましょう。

子どもが初めて経験する集団生活は、おそらく、幼稚園や保育所。
そこで、重要になってくるのが、如何に一斉指示に気づけるかです。
幼稚園や保育所の先生が発する一斉指示は、集団生活を円滑に行なうためであったり、ルールの説明であったりします。その指示に気づけることは、子どもの混乱を防ぎ、集団生活を楽しくし、ひいては、子どもの成長につながっていきます。
もちろん、指示に気づくだけでなく、内容を理解することも求められますが、まずは、段階的に「人」に気づかなければなりません。

「物」には気づきやすく、「人 」には気づきにくいという場合があります。

「物」は、子どもが興味を示すものだったりしますので、すぐに、目に飛び込んできて、側に「人」がいることに気づかないことなど、結構あります。時に、「物」に夢中になり、声を掛けても、そのことに気づかない場合もありますね。

そのようなことをできるだけ防げるよう、小さい時から、「人に気づく力」を意識して育てましょう。

実は、その力は、お母さんのお腹の中にいる時から育てられています。

以前にもお話ししましたが、お母さんのお腹の中にいる時に赤ちゃんに聞こえているのは、ややくぐもったお母さんの声(残念ながら、お父さんの声は赤ちゃんに届いていないそうです)。出生直後に聞くお母さんの声は、赤ちゃんにとって馴染みのある声。その声に耳を澄ますような動きをします。目が開くようになると、その声の先にあるお母さんの顔を必死に見ようとします。これが、赤ちゃんにとって、初めての周囲の状況に気づく経験という訳です。

赤ちゃんが生まれると、多くの人が声をかけてくれます。それは、とても良い刺激です。その中で、赤ちゃんは、自分にとって安心で安全な声を聞き分けていきます。

そう、それがお母さんの声です。
安心安全な声を見つけると、赤ちゃんは安心して、沢山の声に興味を示していきます。

しかし、赤ちゃんは、目の前で声をかけられないと気づきにくいです。
ですから、赤ちゃんの視線の先に、声を掛ける人の表情が見えるようにしなければなりません。
それは、ちゃんと、自分に働きかけられているという感覚を養うという意味もあります。
それでも気づかない時は、赤い色など目立つおもちゃや赤ちゃんが視線を向けてくれる物を介して、人の顔が見えるように工夫する必要があります。また、人の声よりもテレビの音や画面の方に気をとられる赤ちゃんもいます。そのような場合でも、赤ちゃんの視線を意識して声を掛けたり、お気に入りのおもちゃなどを介して働きかけてあげると良いでしょう。

このようにして、「周囲の状況に気づく力」は、日々積み重ねられていきます。

色々と難しくお話してきましたが、おそらく、大抵は、無意識にやられていると思います。
ただ、時に、このことについて無意識に手薄になる場合があり、「人」よりも「物」への気づきが優位になり、成長するチャンスを逃す場合があります。

ほんの少しだけ、この当たり前のような対応を振り返っていただければ嬉しいです。

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

おじゃま虫

机に向かってなにかしていると、だいたい机に飛び上がって、スペースを占領してしまう、ニャンさん。

いつものことですが、たいへんに邪魔です。(-_-;)

押しのけても押しのけても、戻ってこようするニャンさんと、せめぎあいになり、毎日のように人間とネコ間で、バトルが繰り広げられています。

ちょっとやそっと怒っても、本人は怒られているとは思わないらしく、のどを鳴らして甘えています。(左の写真)

バトルに疲れてこっちがあきらめ、放っておくと、そのうち、机の上で寝てしまいます。(右の写真)

 

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ちなみに、このときやっていたのは、9月6日に盛岡で開催予定のセミナーの、資料の手直し。

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今回は、2時間半時間を取っているのですが、盛りだくさんの内容になってしまい、これも話したいし、実践的なエクササイズも盛り込みたいし、時間内にどこまでやれるかな・・・(-“-)と、時間配分を検討中。

内容のごく一部だけご紹介すると、写真の左側のページでは、感情の2つのレベルについてや、感情が体や感覚とどう関係しているか、右側のページでは、「マイナスの感情」と呼ばれる(本当は感情にマイナスもプラスもないのですが)、怒りや恐れ、恥等の感情をひとつひとつを取り上げて説明し、それぞれどのように対処したらいいか、記載しています。他にも、心の傷を悪化させる要因や、傷ついた心をどうやって自分で癒したらいいか等、かなり濃い内容になっていると思います。

まだ空きがあるので、盛岡近辺で参加ご希望の方がいらっしゃいましたら、こちらのご予約・お問い合わせフォームよりお申込みください。(お電話でのお申込みも受け付けております。)

           (Chika)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

*セミナーの詳細はこちらになります。

内容:「感情の扱い方・心の癒やし方」

日時: 9月6日(土)AM: 9:30-12:00
場所: サンライフ盛岡 (仙北2丁目4-12)
内容: 心理学講座「感情の扱い方・心の癒やし方」
参加費用: 800円 (資料代込)

                              )

 

 

 

受信と発信

「どうしよう。どうしたらいいんだろう。」

と、あれこれ考えつづけていても、答えが見いだせない時。

「ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。」

と、不安にとらわれているとき。

そんなときは、いつまでもぐるぐる考えつづけるよりも、いったん、問題を棚上げして、頭を空っぽにし、リラックスした方がいいと思います。

そうすれば、いい解決方法や、必要なアイデアが降ってくることがあるからです。

頭がぐるぐる働いて、誰かに対し、または自分の心の中で、おしゃべりを続けているときは、いわば、発信モードになっているとき。思考を生み出すためにマインド(頭)が働いている状態、例えるなら、発電機が動いて、自分から電波が発信されている、といった感じでしょうか。

でも、あまり四六時中うるさくおしゃべりしすぎると、「聴く」ということができなくなります。何を「聴く」かというと、インスピレーションの声、直感の声です。

直感は、潜在意識の奥にある、自分の中の叡智(神性)に通じているのですが、こことつながるためには、受信モードにならなければなりません。受信モードは、頭を休めて、体をリラックスし、心を落ち着かせ、感覚がオープンになっているとき、一番、感度がよくなります。だから、そういう状態のとき、自分に必要ないい考えが、ふと頭に浮かんだりするのです。

想像上の例えで言うなら、神様と電話をしているとして、発信モード全開で、こちらから一方的に

「神様、大変なんです。どうしたらいいでしょう。私、もう、だめかもしれません。・・・」

と延々と話し続けていると、 神様が

「それをなんとかするにはだな、まずこうして、それからああして・・」

と、せっかく教えてくれていても、自分の声がうるさくて神様の声が聞こえないという状況になってしまう、ということです。

発信モードでひとしきり訴えた後は、おしゃべりをやめて受信モードに切り替え、耳を澄ませて相手の声を聴きとることが大切です。

潜在意識から降りてくる声というのは、通常、とても繊細で微妙、か細い声なので、気持ちを落ち着かせ、集中して、よく聴きとらなければなりません。

そのためにも、不安にとらわれて、出口が見えなくなっているときは、いったん心のおしゃべりをやめて頭を空っぽにし、心静かにリラックスすること。

ちなみに、不安なときは、おしゃべり(相手がいるなら相手に対して、一人なら心の中のおしゃべり)がインスピレーションとのつながりを邪魔するのに対し、うつ状態でふさぎ込み、何も考えられなくなっているときは、いわば、自分で電話線を抜いて、直感の声をシャトアウトしまっている状態です。自分からつながろうとしておらず、聴く耳を持たないでいるという点では同じですね。

どんなに苦しいときにでも、そこを通り抜けて、光差す場所に出るための導きというのは、必ずあるはずです。それを得るためには、心の耳を澄ませて、受信モードになり、受け入れるだけのスペースを、自分の中に作ってあげること大切なのだと思います。

                                           (Chika)

 

 

 

 

 

形あるものを超えて

私たちの世界では、形あるもの、目に見えるものは、いつか滅びてなくなるようにできています。

人も、動物も、植物も、建物も、本も、みんなそうです。

目に見えるものだけにフォーカスするなら、このしくみは虚しく思われるかもしれません。何かを作り上げても、どうせいつか消えてなくなるのですから。

でも、よく観察してみるならば、形なきもの、目に見えないものは、もっと持続的であることのがわかると思います。

存在するものは、目には見えないレベルでは、もはや失われることなく、個が全体に影響し合い、常に変化を続けながら、持続する。それがこの宇宙全体で繰り広げられている、永遠の創造の過程だと思います。

例えば、私が尊敬し、思想的に影響を及ぼしている人の一人に、マルクス・アウレリウス・アントニヌスという人がいます。

この人は、ローマ五賢帝の最後の賢帝と言われ、常に公的な幸福を考えて、非常に賢明かつ献身的に国政を摂ったために、彼の統治下のローマは平和と繁栄を享受しました。

マルクス・アウレリウスは、忙しい日々の中で、自分を振り返り戒めるために、「自省録」という日記を残していたため、彼の思想は後世に知れ渡ることになりました。日本では、精神科医の神谷恵美子さんが独学で学んだギリシャ語から訳した本が出ています。(ちなみに、神谷美恵子さんも、私がとても尊敬している人の一人です。)

マルクス・アウレリウス自身は、1800年以上も前に亡くなっていますし、「自省録」の原本は、現在、どこかに保管されているのかどうか知りませんが、あったとしてももう、あまり原型をとどめてはいないと思います。

けれども、マルクス・アウレリウスが苦悩の多い人生を生き抜き、その体験の中から生み出した思想や気高い生き様は、彼の身体が滅びた後でも、目に見えない形で、たくさんの人に多大な影響を与えています。

1800年以上後になって、ローマからは遠く離れた日本に一個人として生まれ、生きている私もその一人で、何度も繰り返し読んだ「自省録」を通じて、マルクス・アウレリウスには、慰めや励ましや勇気をたくさんもらいました。

実際のところ、本そのものよりも、本の中に根づいているマルクス・アウレリウスのもつ魂に触れたことにより、感銘を受けて、自分の中にポジティブな変化が起こったというほうが、正確だと思います。

そして、マルクス・アウレリウスの思想を取り入れ、(願わくば)アイデンティティの一部に取り入れた私自身も、いつか誰かに、その部分から何らかのメッセージを伝え、いくばくかの影響を及ぼすことがあるかもしれません。

このようにして、私たちは、形あるものよりも、むしろ形の向こう側にある見えないものを通して、お互いに影響を与え合い、変化を起こしあっているのだと思います。それは、常に止むことなく起こっていて、永遠に続く、目に見えない化学反応のようなものです。そして、これこそが創造のプロセスなのだと思います。

この世に存在するすべものは、この創造のプロセスに関わっており、だから、私たちの取る行動や発する言葉(目に見えるもの)、頭で考えることやよぎった感情(目に見えないもの)、すべてが、意識する・しないに関わらず、世界を変えうる要素になるということです。

単純にいうと、傷ついた人が多ければ、世の中は悲しい場所になるでしょうし、悪だくみをする人が多ければ多いほど、世界はすさんだ場所になるでしょう。優しく正直な考え方をする人が多ければ多いほど、世の中は安心して安らげる場所になるでしょう。

ここをどんな世界にするかは、その構成要因であり、クリエーター(創造する者)である私たち一人ひとりにかかっているということ。私たち一人一人に、創造のパワーが宿っているということなのです。

そう考えると、私たちの1人1人がこの世界において大切な役割を担っている、意味のあるかけがえのない存在なのだと思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光の変化

いつ頃からだったか、はっきりとは覚えていませんが、太陽の光の輝きが、以前よりも質や量において、変化していると感じるようになりました。

私がまだアメリカのミネソタ州に住んでいた頃なので、多分、10年近く前かもしれません。

ミネソタ州はカナダに接する州で、北国なので、太陽の光も冬はとても弱いのです。

それでも、太陽の光の輝きがはっきりと増して、以前よりも強く美しくなっているように感じ、よく見とれていたのを思いだします。

詳しいことは知りませんが、実際、太陽の爆発現象(太陽フレア)が活発化しているようなので、光に異変が起こっていることは事実だと思います。

弱い光の下では、影もあいまいですが、強い光の下では、影もくっきり浮かび上がります。

社会や個人が抱えている問題に光が当たって、隠しようもなく表面化し、直面せざるを得ない時代になっているのだと思います。

 

 

 台風が去って空が現れた後の光を反射するカテドラルクォーツ。

雨と風で清められ、塵やほこりなど余分なものを一掃した後の大気は、より純粋な太陽の光を通すので、反射する光もきれいなのだと思います。                                                                                                                                                    (Chika)

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変な噂を広められたら。

自分に関する悪い噂が広まったとき。

噂をする周囲の人の目を気にすると、何よりも自分が不自由になります。

人の口に戸は建てられませんが、人の影響を受けてるか受けないかは、自分次第です。

噂をする人たちは、あなたが気にしない限り、あなたを傷つけることはできません。

影響されて不自由に生きるか、影響されずに受け流して、自由でいるかは、自分次第なのです。

その際、プライドが高い人は、影響を受けやすいと思います。

プライドと自信って、似ているようで違うと思います。プライドは見栄につながるもので、ないほうが生きやすいけど、自信は、自分を受け入れるという自己肯定につながるので、ないと大変生きづらい。

人にどう思われても自分は自分、という風に思える人は、自分をしっかり持っているので、人に振り回されたり、影響されたりしにくいでしょう。

自分をちゃんともっていて、いい意味で自信がある人は、オーラが尊厳を帯びるので、周りの人もなんとなく犯しがたく感じ、一目置くようになります。

なので、人と違っていても、いじめられたり、へんな噂もたてられにくくなると思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

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望ましい判断と行動の育み方

自分のとった行動が、良いのか悪いのか曖昧であると、自信を持って行動できません。
望ましい行動をとったら、必ず、「その行動で良いこと」を本人にわかるように伝えてあげましょう。
言葉が拙い子どもさんの場合は、ジェスチャーで、言葉がわかる子どもさんには、端的な言葉で伝えましょう。

望ましくない行動をとった時は、「何故、そのような行動をとったのか」を尋ね、本人の気持ちや考えを一度受け止めましょう。
その上で、小さい子どもさんの場合は、望ましい判断と行動を教えてあげましょう。
自分で考える力がある子どもさんの場合は、「他者の気持ちはどうだったのか」を考えられるよう問いかけをすると良いでしょう。

このような対応の積み重ねが、望ましい判断と行動を育て、社会のルールの大切さを身に付けていきます。

子どもには、「これくらいわかるだろう」という考えは通じません。また、どんなに簡単なことでも一度でわかることはないと心得た方が良いと思います。大人には当たり前のことでも、子どもにとっては、全てが初体験。常識も通じません。感情的にならずに、お手本を示して教えてあげましょう。

「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝える親の姿勢は、子どもにとって、頼れる姿であり、信頼と尊敬を育んでいきます。

逆に、良いことをしても、悪いことをしても、親や周りの大人たちが無反応だと、子どもはとても不安になります。
どのように振舞ったらいいかわからなくなります。
2〜3歳くらいの知能になりますと、やってはいけないことがわかるようになってきます。
その時に親や周りの大人たちが注意しなければ、子どもは「何故、注意されないのか?」と混乱します。
「おそらく、良くないことをしていると思うのに、何も言われない。じゃあ、良くない行動をし続けていいのか?」
ここまでくると、混乱だけでなく不安も芽生えてきます。
このようなことが続くと、苛立ちを感じ、粗暴という形で表現してきます。
そして、親や周りの大人たちの言うことを聞かなくなったり、試すような行動をとったりします。

よく、「褒めて育てましょう」と言われますが、私は、「褒めて」というよりは、上記で述べたように、「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝え、丁寧に教えていくことが大切だと思います。そして、当たり前のことですが、子どもがお手伝いをしてくれたら、「ありがとう、助かったよ。」と感謝の気持ちを伝え、嬉しかったら、「嬉しい」と表現すれば良いのだと思います。

「褒める」ことは、大切だと思いますが、これは、使い方が難しいものだと感じます。褒めすぎるとプレッシャーになったり、バカにしていると勘違いされたり、子どもの方が親に合わせてしまい、本来の自分を出せなくなったりと、様々な副作用があり、私個人としては、あまりお勧めしません。

「良いことは良い、悪いことは悪い」と伝え、出来たら笑顔でOKサイン。そんな子育てができたらいいなと思います。

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

セラピストのコントロールの問題について

心理セラピーでは、他の多くの治療行為の場と同様、クライアントとセラピストの間に、一種の力関係が生じます。

もちろん、人としての立場は平等で、どちらが偉いということは決してありません。

けれども、心理セラピーは、クライアントが自分の悩みを赤裸々に打ち明け、いわば弱いところを見せる場なので、どうしても、セラピストの方が立場的に強くなり、パワーを得やすい状況になります。弱みを見せて、頼っているほうが、頼られているほうに頭が上がらなくなる傾向になりやすいということです。

セラピストが無意識のうちに権力を行使してクライアントを利用したり、クライアントから搾取することを防ぐために、アメリカの心理カウンセラーの倫理経典には、セラピストがクライアントから物を買ったり、取引したりしてはならない(セラピストがクライアントのビジネスの顧客になってはいけない)、私的な関係(友人、恋人など)を築いてはいけない、という厳しいルールが設けられています。

セラピストがクライアントとの間に明確な境界線を引くことは必須です。そうしなければ、客観的にクライアントの問題を見ることができず、結果として、クライアントを助けることもできなくなります。境界線があいまいだと、クライアントの問題に心理的に影響されてしまったり、クライアントの感情を自分の感情と混同してしまったりして、効果的なセラピーができなくなります。ちなみに、この理由から、心理セラピストが知人、友人、家族にセラピーを行うことは禁じられています。

まだアメリカにいたころ、私は、第一線で長く活躍してきた心理セラピストの、こんな言葉に接する機会がありました。

「セラピストの中には、パワーがほしくて、クライアントをコントロールする人が、山ほどいる。」

残念ながら、私もそれはよく見聞きすることであり、事実だと思います。

例えば、

「あなたは、ここが悪い。だから、こうしなければならない/これをやってはいけない/こうすべきだ」等、クライアント本人の話を聞かないで決めつけたり、一方的に指示してきたり、自分の意見や価値観を押し付けてくる人。クライアントの自由意思を尊重しない人。

あるいは、

「私が治してあげる。」

「私のいうことを聞けば間違いがない」

「ほかの人に診てもらったらだめだ。」

「私を信じなさい。」

等を口にするセラピストも、コントロールの問題を抱えている可能性が高いと思います。

私が治してあげる、という医者やセラピストは、個人的には勘違いをしていると思うので、避けたほうが無難だと思います。治癒力を持っているのは患者やクライアント本人であり、医者やセラピストの役目は、それを引き出すこと。実際、クライアント本人が治りたくないと言えば、私たちは何もすることができません。それなのに、自分に治す力があると言うのは、ちょっと違うと私は思います。

そもそも、本当にすごい人というのは、決して自分のことをすごいと言ったりはしません。優れた人であればあるほど、必ず謙虚なものです。そういう人は、自分で自分を満たす方法を知っているので、他からパワーを獲得する必要がなく、したがって、名声や地位にとらわれる必要がありません。なので、クライアントをコントロールしてパワーを獲得しようとしたりもしません。

ただ、パワーの問題を抱えているセラピストのほとんどは、クライアントを故意にコントロールしようとしているのではないと思います。人をコントロールすることにより、パワーを得て、強くなったように感じて、自分を満たそうとする人の多くは、無意識でそれを行いますから。

いずれにせよ、人間、誰でもエネルギーを吸い取られるのは嫌だし、コントロールされるのは嫌なものです。心の奥底では、誰もがみんな、自分の自由意思を尊重してほしいと思っています。だから、権力を利用して、自由意思に反した押しつけをしようとする人に合うと、私たちは通常、反発を感じます。(共依存の人は、最初は気づくのが遅れるかもしれませんが、やっぱり最終的には嫌になるはずです。)

なので、最終的には、クライアントはコントロール欲求の強いセラピストからは、離れて行ってしまうものですが、その前に、クライアントが傷つく体験を余儀なくされるということは、とても遺憾に思います。すでに心に傷を負っていて、無防備な状態で助けを求めに来ている人たちであるから、なおさら・・・。

セラピストも医者も完璧な人間ではないので、間違うことはありますし、力が足りないということもあり得ます。治療家や施術者の言うことが絶対ということはありません。

専門的知識がある人だから、「立場が上の人」だから(初めに書いたように、本当は、人間として立場が上とか下ということはありません)といって、その人の言葉を鵜呑みにする必要はないのです。クライアントは、自分自身の感性を信じて識別し、自らを尊重して、最善の道を選択してほしいと思います。

 

                                               (Chika)