盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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12月

なつかしい日々

 

以前、アメリカでサイコセラピストとして働いていた時のオフィスです。

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とても忙しい職場でした。(だからというわけではないが)机の上はいつもかなり乱雑。

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オフィスには、クライアントさんの癒やしの空間であってほしいと思い、観葉植物や天使の置物、水晶などを置いていました。(植物を置きすぎて、ちょっとジャングルっぽくなっていました。)

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クマさんが座っている椅子と、その横にある井戸の置物は、クライアントさんが作ってプレゼントしてくれたもの。彼はアルコール依存で元ホームレスだったのですが、とても手先が器用でセンスがよく、よくゴミ置き場から廃材を拾ってきては、色々なものを作っていました。

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町の郊外には、こんな風に雄大な砂漠の景色が広がっていました。

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近くにリオ・グランデ川という大きな川が流れていたので、自然に触れてリフレッシュしたいときは、時々訪れていました。

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このあたりでは、太陽の両横に光の反射光が作り出す、サン・ドッグという現象が、時々見られました。

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その頃から一緒だったネコたち。

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当時は、自傷他害などの緊急事態の処置診断のため、夜中に起こされて、病院のER(緊急病棟)に呼び出されることがしょっちゅうだったのですが、そういうときはネコたちも必ず起きて、私が仕事を終えて帰るまで寝ないで待っていてくれました。

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ハードだったけれど、とてもやりがいのあるアメリカでの日々を、今でも時々懐かしく思い出します。

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もうすぐ今年も終わり。これからも、皆様のお役に立てるよう、頑張ろうと思っています。ブログにも、読んでくれている方のお役に立てるような記事を書いていくつもりです。

来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

罪悪感について

罪悪感というのは、一時的に持つ分には、自省して今後の行動を改正するのに役立つ感情だと思います。でも、長い間持ち続けると、心をむしばみ、自尊心を喪失させ、気持ちを萎縮させて、前に進むことを足止めしてしまう、有害な感情になってしまうものだと思います。

罪悪感を長年持ち続けた人というと、すぐに頭に思い浮かぶクライアントさんが2人ほどいるのですが、2人とも、とても自尊心が低く、恐怖心が強く、極度の鬱状態にある人たちでした。

一人は、若いころの性的虐待を期に、ゲイになってしまい、そのことを周囲に隠しつづけてきた50代の男性。彼は厳格なクリスチャンだったため、同性愛が罪だと信じ込んでいて、そのことが彼の罪悪感と羞恥心に拍車をかけていました。

同性愛であるとか異性愛であるという性的指向は、自分のアイデンティティの一部なので、それを恥じたり、隠したりするということは、非常にストレスになります。例えば、自分が日本人であるということに罪悪感を感じ、隠して生きなければならないと想像してみてください。自分を作り上げている個性の一部を否定するということが、いかに不自然で苦痛を生じるものであるか、わかると思います。

彼は、30年以上も自分のアイデンティティに罪悪感を抱き続けた結果、深刻なうつとアルコール依存、パニック障害を発症して、家から一歩も出られないところまで精神状態が悪化してしまいました。外に出て誰かに行き会うと、その人が自分を見ている気がします。周囲の人たちに心の中を見透かされているのではないか、みんなが自分のことを話しているのではないかと、常に恐怖におびえ、仕事に行くこともできなくなり、ささいな物音にも、文字通り飛び上がって、ガタガタ震えるようになってしまいました。

この人は、30年間にわたって心の中に押さえつけてきた罪悪感が、根強い恐怖感に変わってしまっていたため、症状がひどく悪化していたのでした。自分の性的指向をそのまま受け入れて、罪悪感を手放すことが、症状の改善のためには必須だったのですが、彼の宗教観がそれを容易には許さず、さらに、日々の大量飲酒で自分と向き合うことを避けていたため、進展はないとはいわないけれど、遅々してなかなか思うようには進みませんでした。

もう一人は、幼いころに、夫と別れた母親に恋人代わりにされ、性的虐待を受けていた40代の男性です。彼は、まだ子供のときに、母親の倒錯した愛情にひどく混乱させられ、心に深い傷を負ったため、その記憶を抑圧して、顕在意識から抹殺するという選択を取っていました。なので、私がカウンセリングを始めて1年くらいは、5歳くらいのときに、なにかひどいことがあったという以外は、思い出すことができず、子供のころはとても不幸だったけれど、具体的なことは覚えていないというばかりでした。

この男性の症状は、アルコール依存(以前は種々のドラッグ依存)、解離性人格障害、うつ病、パニック障害でした。非常に自尊心が低く、自己破壊的で、破滅的な行動を起こしては、自分の人生に不幸の種を作り出していました。特に女性関係において、彼は自分の破壊的衝動を抑えることができず、自分を傷つけるような危険な相手を選んでは、みじめな結末を迎えるということを繰り返していました。

彼は、子供のころの自分と向き合うことを非常に恐れていたのですが、1年以上セッションを重ねてから、ようやく性的虐待の記憶の断片を思い出して、少し語れるようになりました。それを聞いてはじめて、彼の自嘲的で自己破壊的な傾向の幾分かが、母親の性的虐待による近親相姦という、強い自責の念から来ていたことがわかりました。

彼の中には、傷ついた5歳の男の子のまま成長を止めてしまった部分がどこかにあって、辛い記憶を打ち明けて号泣したときの彼は、40歳の大人ではなく、幼い子供そのものでした。とてもシニカルで、人に対しても辛辣なところがある人でしたが、根は優しい人だったので、この人のインナーチャイルドが癒され、罪悪感を手放すことができたら、生まれ変わることができるだろうと思います。

このように、長い間心に抱え込んだ罪悪感は、心をむしばみ、凍結してしまうものです。

罪悪感にさいなまれているなら、はやめに対処して、心から解放してあげることが大切だと思います。

 

 

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「今、ここ」と過去、どっちが大切か

よく言われるように、現在、すなわち、「今、ここ」に生きることは、いちばん効率がよく、かつ、心の健康のためにも、最善な生き方です。

未来はまだ来ていないので、どうにかすることはできず、どうにもできないことをどうにかしようと思うと、気を病むばかりです。それよりも、実際に動いて変えられる唯一の時制である現在に意識を集中し、今できることをやったり、楽しめることを楽しんだほうが、無駄がない。

それに、現在において、最善を尽くし、最良の選択をすれば、おのずと未来もいい方向に変わっていきます。

同様に、もう過ぎてしまった過去のできごとも、変えようがありません。変えようがないことで腹を立てたり悔んだりしても、精神エネルギーを無駄に消耗するだけで、建設的ではありません。一番いいのは、過去の失敗を学びに変えて、現在をよりよくする糧として生かし、あとは忘れることでしょう。

実際、心理療法の中には、過去のことは一切取り合わず、現在だけを重視するやりかたもあります。

確かに、過去は過去と割り切って、忘れてしまえるのならいいのでしょうが、ただ、人間、なかなか、そううまくはいきません。

私は、過去に経験した強い思いがいまだに現在に影響しているのなら、過去に戻ってまだ癒えていない傷を癒やすことは大切だし、また、必要であると考えています。

実のところ、過去とか未来というのは存在せず、人間が生きている、すなわち、経験することが可能な時制というのは、常に現在しかないともいえます。

人生のある時点で、人が強い感情的な経験をした際、それが極度に不快だった場合、意識の中で薄れることができずに、常に今に影響しつづけてしまいます。そういった意味で、起こったことは過去であっても、その経験のもつエネルギーを感じているのは、現在であるということになります。いわば、過去と現在がつながってしまっている状態になるわけです。

特に、痛すぎて感じたくないと思い、無意識の中に閉じ込めてしまった場合、その痛みは一時的にはなくなったように感じれるかもしれませんが、実のところ、閉じ込めている分、より強烈になってしまいます。閉じ込められた感情というのは、必ず解放を求めて外に出ようとするものであり、長く閉じ込めておけばおくほど、もがいて暴れるものだからです。

閉じ込めたまま、「今、ここ」に生きようとしても、繰り返し、潜在意識の下にある未浄化の感情は、

「ここにいるよ。こっちを見てよ。ここから出してよ。」

とサインを送ってくるものなので、そのたび、過去に引き戻されてしまいます。

原因のわからないパニックアタックとか、全般性不安障害、強迫観念症、繰り返し起こるうつ症状などは、無理やり押し込めて忘れようとした痛みの無言の訴えであることが多いように思います。

こういう理由で、現在に直結した過去の感情が残っている場合は、過去にさかのぼって対面し、閉じ込められたものを解放してあげることが、心の回復への早道だと、私は思います。

 

 

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犯罪者のカウンセリング

先日、何かの記事で、被害者を守るため、ストーカー加害者には、カウンセリングで矯正を施すべきだとあったので、アメリカにおける犯罪者のカウンセリングについて、少し書いてみたいと思います。

アメリカでは、犯罪を犯した人に、強制的にサイコセラピーを受けさせるのは、もはや常識です。私が勤めていたコミュニティのカウンセリング施設にも、他のクライアントさんにまじって、判決待ちの人や執行猶予中の人がたくさん、半強制的にカウンセリングを受けに来ていました。

判決待ちの人は、強制ではないのですが、カウンセリングに通っているといえば判決に有利になると、弁護士に勧められて、やってくる人が多い。執行猶予中の人は、必要な心の治療を受けることが、実刑を免れ、無事に釈放されるための条件になるので、イヤイヤながらでも、真面目にやってくる人が多かったです。

あとは、服役中の人が刑務所(その町に刑務所はなかあったので、正確には拘置所)から、自発的にカウンセリングを受けたくて、看守に連れられて、手錠をかけられたままやってくることも、よくありました。

言うまでもないことですが、心から受けたいと思って受けるのではなく、刑を免れるために、いやいや受けるカウンセリングは、やる方もやりにくく、また、効果が出にくいものです。基本的に、サイコセラピーを使っても、本人が変わりたいと思わなければ、なかなか変わらないものです。本人に問題の自覚がなく、自分や今の生活を変えたいと思わないのであれば、それを無理やり外から変えることはできません。

そういえば、依存症の人など、自分を変えたいという意思のない人をやる気にさせて、変化を促す方法として、唯一、Motivational Interviewing(動機づけ面接)という療法が考案されていますね。これは、使いこなすのがどちらかというと難しい療法ですが、うまく使えばとても効果的な方法だと思います。

私もアメリカでは多くの犯罪者の方をカウンセリングしてきましたが、今回の話に関連して、印象に残っているのが、ある若い男の子のケースでした。

私が最初に彼に会ったのは、彼が18歳のころ。スーパーからラジオを万引きして執行猶予になり、カウンセリングに連れられてきました。

その時の印象は、「とても礼儀の正しい、ロボットのような子」でした。そつがなく、クールな印象なのですが、人間らしい感情がまったく感じられない。カウンセリングに来たのも、実刑を逃れるために仕方なく来た、でも、心の中を見せる気はまったくない、ただ、そつなくこなして終わらせよう、と思っているのが、ありありと伝わってきました。こういう風に、自分から「変わらない」と決めている子は、こちらとしてもどうしようもなく、また、初犯で、犯した罪が大したものではなかったので、カウンセリングも数回のセッションで終わり、彼は無事、釈放されたのでした。

その後、数年たって、私はもう一度、彼に会う機会がありました。その時、私はたまたま、オンコール・セラピストとして、通常勤務に加え、緊急対応も受け持っていたので、

「予約はないけれど、どうしても今すぐ、誰かと話したい」

といって、ロビーで待っている彼を、再び自分のセッションルームに招き入れたのでした。

たったの数年で、彼は見違えるように変わっていました。表情は気落ちして悲しそうなのですが、以前のロボット的なところが消えて、普通の人間になっていました。

彼はその時20歳そこそこだったのですが、彼女との間に子供が生まれたのだそうです。そして、子供のためにいい父親になりたい願っているのですが、最近、気持ちが落ち込んで、仕方がないのだと、涙を浮かべていました。

彼は、父親がおらず、母親に育てられたのだそうです。彼は自分が父親に捨てられたと信じていて、父親の愛情を求める気持ちと、拒絶され捨てられた痛みとの間で、苦しんでいるようでした。

以前は心に壁があったので近づけなかったのですが、今回は彼の心が開いているので、心の中に入っていき、彼の痛みを理解して、その癒やしのためにサポートしていくことが可能な状態なのでした。

「君、前、私が会ったときと、ずいぶん、変わったね。ずっと人間らしく、よくなったね。」

と、ありのままをいうと、彼は

「あのころは、感情を抑圧していたんだ。あのころは、もう何もかもどうでもいいと思っていたから。」

と答えました。

愛情のゆえに傷ついて苦しんでいる今のほうが、以前の、感情を捨てたロボットのような彼より、ずっと魅力的だと思いました。

人は誰でも、痛みを感じたとき、それを癒やしてよくなりたいと思うものです。痛いのは誰でもいやですが、だからといって必ずしも悪いものではなく、よりよい変化を促すための、大切なきっかけになってくれるものだと、つくづく思います。

 

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自己憐憫はためにならない

何かつらことがあったとき、悲しんだり、怒ったりして、自分の中に起こった感情をちゃんと認めてあげたり、ありのまま感じてあげるということは、心の回復のために、とても大切なことです。

けれども、

「自分はなんて不幸なんだろう。」

「なんで自分ばかりこんな目に合うんだろう。なんてみじめな人生なんだろう。」

「自分は哀れな人間だ。」

と思ってしまう、いわゆる自己憐憫に陥るのは、心の回復を遅らせ、人生を停滞させてしまうので、やめたほうが賢明だと思います。

私が診てきたクライアントさんたちも、自己憐憫に陥っている間は、まず確実にに症状がよくなりませんでした。

自己憐憫というのは、結局、自分はかわいそうな人だ、被害者だとみなすことです。

自己憐憫には、一時的に周囲の関心を引くというメリットはあるかもしれません。でも、長い目でみると、こういうやり方で注意を引きつけられる側は、エネルギーを奪われるような気になるので、最終的には疲れてうんざりしてしまい、その人のもとを離れていってしまうでしょう。

そうしたデメリットに加えて、自分をかわいそうな人であり、被害者であるとみなすということは、その時点で、意識が自分は無力なものだと捉えてしまうことになってしまいます。なので、現状をよりよい方向に変えていく自分の力を、否定してしている状態になります。だから現状打破が難しくなり、人生も停滞してしまうのです。

自分の不幸な人間だという思考は、とりもなおさず、自分を不幸だと定義づけてしまうということです。そうすると、本当にその人は不幸になります。

自分の人生はみじめだ、と考えると、その時点で、それは現実になります。

体験そのものは、ニュートラル(中立的)なのですが、人には、自分の体験を自由に意味づけして解釈する、いわば特権が与えられています。

その結果、同じような経験をしても、それを不幸だと思う人と、そうでない人がでてくるわけです。

例えば、未婚であるということ自体は、ニュートラルな状態なのですが、それを「負け犬」だ、とか、この年齢で結婚していないのは不幸だ、と定義すると、その時点でその人は本当に不幸な状態になるわけです。

過去に虐待などのつらい経験をしたとき、そこから生まれた自然の感情を無視することは、ためにならないので、ちゃんとそこにある気持ちを認識し、体験したほうが、望ましいと思います。けれども、その際に「虐待されたから、自分は不幸だ」と自ら解釈を下してしまうと、やはり、その時点で、意識が、自分は無力だから現状を変える力がない、と定義してしまうことになります。その結果、自分で心の回復力を封じて、癒しのプロセスをストップさせてしまうことになります。

虐待された過去を持つ場合、victim(犠牲者)ではなくsurvivor(苦難を生き延びた人)と自分自身をみなせるようになることを目標にしましょう、というのはよくいわれますが、これは、体験をどう意味づけるかによって、自分の人生が大きく変わっていくからにほかなりません。体験に任意の意味を与えるという、私たちに与えられた特権は、上手に使うことが大切だと思います。

 

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自信と安定感を得るためのエクササイズ

まだ起こっていない未来のことをあれこれ心配して、「どうしよう」「大丈夫かな」と不安にさいなまれている時、試してみてほしいエクササイズがあります。

このエクササイズをすれば、自己信頼を増加させ、気持ちを落ち着かせ、安定感をもたらす効果が期待できます。別名、マインドフル・ウォーキングとも言われています。

やり方は簡単です。

外に出て、散歩をします。ただその時、一歩一歩、足の下に地面を感じるよう、意識を集中します。

左足、右足、と、交互に動かすたび、足が大地に触れるときの感覚を、よく感じて味わいながら歩きます。

できれば、舗装されていない自然の道の方が、効果がアップするのですが、難しければ、舗装された道路でも大丈夫です。

これを最低でも、10分から15分、続けてください。

エネルギーというのは、意識した方向に流れます。なので、足元に意識を向けるだけで、頭に上がりすぎていて不安な思考を起こしていた過剰なエネルギーが下に降りていき、結果として不安感が消えているのに気づかれるかと思います。

「今、ここ」に意識を向け、しっかりと現実を生きることを、グラウンディングといいますが、地に足をつけるという例えのとおり、文字通り大地に足をつけること、それを意識することで、フワフワした不安定な思考がなくなり、気持ちに安定感が生まれます。安定感は自信にもつながります。

自信と安定感を保ちつつ、「今、ここ」に集中して生きていると、一瞬一瞬、正しい選択を行えるようになるので、人生もよりよい方向に変わっていくのだと思います。

 

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DSM-5を読むネコ

DSM-5(The Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition= 精神障害の診断の手引き書の最新版)を読んでいると、ネコのミミがやってきて、上に寝転びました。

 

「なにか文句ある?」といわんばかりの目で見られると、ついつい、「い、いえ、ないです。(^_^;)」となってしまい、勉強中断になってしまいます。

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東北の冬は寒いけれど、ホットカーペットとストーブ、ダブルのぬくぬくで、ご満悦のようすです。

 

 

意識化を助けるツール

潜在意識はとても賢くて、どうしたらその人が心の健康を取り戻して、幸せになっていけるか、よく知っています。

特に意識してやっていたわけではありませんが、考えてみると、私にとって、カウンセリングとは、どうやってその人を導いたらいいか私自身が考えて決めるものではなく(そういうセッションをすると、まずうまくいくことはありません)、クライアントさんの潜在意識の部分に聞くというか、クライアントさんの潜在意識の部分はどう言っているかを感じ取り、それを引き出していくという作業だという気がします。

前回の記事に書いた、レベッカさん(仮名)が、何十年も口にできなかった母親の問題について、彼女の潜在意識を意識化させるのに役立ったツールは、「絵」でした。

レベッカさんは、母親のことがトラウマになっていて、心の傷がとて深かったので、間接的にして、安全な距離を取れるよう、

「これは、レベッカさんじゃなくて、ロレッタさんという、架空の女性の話だと思ってください。」

と、仮の人物を設定しました。

ロレッタさんは、レベッカさんと偶然にも似たような状況で母親との関係に悩んでいることにして、

「ロレッタさんとお母さんの間に、壁があります。どのくらいの厚さで、どのくらいの高さの壁か、描いてみてください。」

と、マジックを渡し、ホワイトボードに、お母さんとロレッタさん、そして、その間にある壁を自由に描いてもらいました。

レベッカさんは、とても高くて分厚い壁を、「ロレッタさん」と母親の間に描きました。

「この絵のロレッタさんは、どんな気持ちでいると思いますか。」

「壁を越えて、向こう側に行きたい気もするけど、怖くて近づけない。」

「どうやったら壁を越えられるでしょう。想像力を働かせて、どんな方法でもいいから、考えてみてください。」

「壁は乗り越えられない。」

「今は乗り越えられないんですね。では、この絵に続きがあるとしたら、どうなると思いますか。」

「ロレッタは、あきらめて、回れ右して、壁から離れていってしまう。」

レベッカさんは、交通事故の後遺症で、認知プロセスが人よりも遅く、言葉でやりとりするよりも、こうやって絵で表現するほうが効果的だったのですが、彼女自身、このやり方は気に入ったようで、特に、自分ではなく、ロレッタさんという架空の人物の話にしたことを面白がり、積極的にワークに取り組みました。

この絵を描いてから、数回、お母さんとの問題に関してセッションを重ねていううち、彼女は、だんだん、拒絶されることを恐れずに、お母さんに率直な気持ちを表現し、自由に行動できるようになってきました。

そこでまた、あるセッションで、同じように、ロレッタさんとお母さんと壁の絵を描いてもらいました。

そのとき彼女が描いたのは、ずっと低くて小さくなった壁と、壁に以前よりずっと接近しているロレッタさんの絵でした。

「この間とずいぶん変わりましたね。では、ロレッタさんはこの壁を、どうやって乗り越えられるでしょう。」

「乗り越えなくていい。このままでいい。これがちょうどいい距離だから。」

こう言ったときのレベッカさんは、ほぼ、何十年もつづいた鬱その他の症状から回復しており、彼女の心の中にあった、目にみえない母親からの支配から、自由になってたのでした。

人によって、どんなツールが合うかは違いますが、適切に使えば、絵というのは、心の中の目に見えないものを本人にわかるように指し示す、とてもパワフルなツールになると思います。

 

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痛みと向き合って鬱を治す

アメリカでサイコセラピストをしていた頃のクライアントさんに、かれこれ20年ほど、重度のうつ病を患っている50代の女性がいました。仮にレベッカさんとします。

レベッカさんは、とてもユーモラスで、ちょっと男っぽい女性でしたが、幼いころに家族の知人の男性に繰り返し性的虐待を受けており、それがトラウマの一つになっていました。

レベッカさんの症状には、うつに加え、社会不安障害、マリファナ依存、2度の交通事故の後遺症からくる頭痛と、高次機能障害による記憶力の低下や、認知機能の低下がありました。

レベッカさんは、私が担当する以前から、もう何年もセラピーに通っており、精神科医から処方された向精神薬も飲み続けていましたが、症状に目立った変化はなく、現状維持がせいぜいのようでした。

彼女は、以前担当したセラピストと相性が悪くて、セラピストというものに不信感を抱いており、私が担当した当初、すぐには心を開いてくれませんでしたが、だんだんに気を許してくれるようになりました。とてもユーモラスな人だったので、よくセッション中も、冗談を言っては、笑いあうようになりました。

そうしてレベッカさんは、性的虐待のトラウマについては、ずいぶん話をしてくれるようになり、少しずつですが、症状も軽減してきたようでした。彼女の頭痛は、交通事故の後遺症からくる可能性もありましたが、おそらく、40年近く抱き続けてきた加害者への強い怒りがそれを誘発していたようで、もうとっくに亡くなってしまっていた加害者の男に対する怒りが解放されて和らぐにつれるにつれ、ひどい頭の痛みに悩まされることも少なくなってきました。

けれども、その時点では根本的な精神症状の回復には至らず、社会不安障害は相変わらずで、うつの症状も、まだよくなったり悪くなったりを繰り返していました。

そうして、1~2年ほどセラピーを続けた頃、レベッカさんは、

「まだ、あんたに話していないことがある。このことは今まで誰にも言っていない。」

と、初めて打ち明けてくれました。

「でも、まだ言えない。」

ああ、そうか、たぶん、これがうつが治らない原因だろうなと、その時思ったのですが、私はレベッカさんに無理に聞き出すことは一切せず、彼女が言いたくなった時、言ってもらえたらいいから、自分のペースを尊重するように、といいました。

「言いたいんだけど、口ではいえない。すごく悲しい話だから。でも、あんたに効いてもらいたい。だから、手紙に書いてくる。」

そうはいっても、レベッカさんは

「書こうと思ったけど、思い出すのも辛くて、やっぱり書けなかった。」

と、何週間も、手紙を書くのを伸ばし延ばしにしていました。

けれども、ある日、レベッカさんは、ついに自分で書いた手紙を持って、セッションにやってきました。

「文章を書くのは苦手で、綴りも間違いだらけだけど。」

と渡された手紙には、子供のころ、交通事故にあった自分を心配して看病する父親に嫉妬した母親が、レベッカさんにつめたく当たったこと、母親に愛されようと痛む体を引きずって頑張っても、無視され拒絶されたこと、ヒッチハイクをして、家出をしたことが、たどたどしい字でつづられていました。

私が手紙を読んでいる間、レベッカさんは、室内なのにサングラスをかけていました。彼女はセッションでは一度も泣いたことがなかったのですが、この手紙を書いてから、はじめて涙を流したのでした。

レベッカさんと母親との関係は、その当時から今まで、こじれたままで、それが彼女にとって、レイプされたことよりも辛い出来事でした。母親に対する愛情と憎しみの狭間で、レベッカさんは長い間葛藤に苦しんでいたのですが、その痛みが表出したことにより、劇的な変化が現れ、その後、彼女がすべての症状において急速な回復をみせるまでに、そう時間はかかりませんでした。

もちろん、ただ痛みが表出しただけでは、不十分なのですが、その後のセッションで、母親との関係についてフォーカスし、レベッカさんの気持ちを整理することができたので、彼女の母親に対する態度も変化し、結果として、母親との関係も無理のない形に変わっていきました。

そうするうちに、気づいたら、社会不安障害もよくなっていて、今まで人目を恐れて買い物に行くことがほとんどできなかったのが、自然にできるようになり、うつの症状もなくなっていました。

「うつがなくなった。こんな日がくるとは思わなかった。」 

と喜ぶレベッカさんでしたが、彼女が勇気を振り絞って、何十年も閉じ込めていた強烈な心の痛みと向き合わなかったら、彼女の精神症状の回復もありえなかったと思います。

私が仕事をやめて帰国するとき、レベッカさんは

「これ、私が大事にしていたCD。あんたにあげるよ。」

と、大好きなホイットニー・ヒューストンのCDをプレゼントしてくれました。それは、レベッカさんが若いころ、アルコール依存症に苦しんでいた時、助けになった曲が入っているCDでした。

今でも私のCDラックの中に、レベッカさんの思い出と一緒にしまってあります。

 

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不安になりやすい人

前回、うつになりやすい人について書いたので、今回は、不安になりやすい人について、考えてみたいと思います。

過去とのネガティブなつながりが強い人がうつになりやすいとすると、不安障害は、未来とのネガティブなつながりを構築しやすい人がなりやすいといえます。

つまり、まだ起こっていない事柄に対し、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と、あれこれ心配して、否定的な形で未来志向型になりやすい人。

それから、完璧主義で、こうならなければならない、ああならなければならない、そうでなければ耐えがたいという人も、不安や葛藤を抱えやすいでしょう。うつと同様、融通が利かない人は、ストレスを受けやすい。なぜならば、思い通りにならないことは、生きているといくらでもあるのですが、融通が利かない人は、自分のやり方で物事がすすまないとき、いちいち、欲求不満を感じることになりますから。逆に、「まあいいか、思ってたのとちょっと違うけど」と、アバウトに捉えて、執着心がない人は、不安になりにくいでしょう。

また、思考過多な人は、不安になりやすい傾向にあります。つまり、なんでも頭で考えすぎる人、全体的なエネルギーが、頭に偏りすぎていて、感覚にあまり行かない人ですね。強い不安を内面に抱えている人で、よく、早口でひっきりなしにしゃべる人がいますが、あれは、頭の方もひっきりなしに動いている、思考が活性化しすぎている状態だと思います。

思考というのは、時々休止して、間があるほうが、気持ちも穏やかに保てるものです。時々考えるのをやめて、空の雲を眺めたり(視覚)、何も考えずに音楽を聴いて没頭したり(聴覚)、ゆっくりとお茶を味わったり(味覚)、その他、嗅覚や触覚など、五感を通じて感覚に意識を向けることは、過剰なエネルギーを頭から体にエネルギーを下ろすことになるので、不安を鎮めるのに役立つと思います。

基本的なことですが、呼吸に意識を向けて、深くゆっくり呼吸をすることも、不安を軽減するのにとても効果があります。不安なときは、呼吸が浅くなり、古いいらなくなった「氣」が出ていけなくなり、新しい「氣」があまり入ってこれない状態になります。息を吐ききって、体の中にたまった不安の感情エネルギーを、古い酸素とともに吐き出し、大きく息を吸って新鮮な酸素をできるだけ体内に取り入れるだけでも、不安がだんだんと収まって、気持ちが落ち着いてくるはずです。よかったら試してみてください。