盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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子育て

反抗期の迎え方

生きることが苦しくなる時ってどんな時でしょう。それは、自分が自分らしくなれない時ではないでしょうか。

中学1年生のA子さんは、学校が怖いと言いました。お母様方がおっしゃるには、いじめがトラウマとなり学校に通えなくなったとのことです。

A子さんは、ご両親に愛され、とても大事に育てられました。教育上好ましくないものは周囲の大人が排除し、極力、好ましいものだけに触れる事が出来るよう整えられた環境の中で育ちました。御父母様も立派な方々できちんとされています。御両親も穏やかで、家庭的なお家です。A子さんはどちらかと言うと内弁慶でしたが、反抗期と言えるような時期は無く、育てやすい子どもだったようです。

そんなA子さんにとって、学校生活は驚きの連続だったかもしれません。経験のない怒鳴るような大きな声や同級生の汚い言葉遣い、相手が嫌がるようなことも気にかけないような態度など、A子さんには怖いものに映ったのでしょう。そのような態度がA子さんに向けられた時、A子さんは言葉を失い、言われるがまま、なされるがままだったのでしょう。おそらく「明日は何が起きるのであろう」と予測できない日々に怯える毎日だったでしょう。

本来、A子さんは、とても優しい子。友だちとのおしゃべりが大好き、習い事が大好き、勉強が大好き、学校にも本当は通いたいのです。そんな気持ちをお母様はよく知っていましたので、物静かな方でしたが、学校に掛け合うために一生懸命学校に足を運びました。担任の先生との手紙の交換から始まり、教科担任にA子さん用の宿題を出してもらうなどの支援がなされました。A子さんは学校に行けそうな気分とやはりまだ怖いという気分を繰り返しつつ、改善の方向に進んでいきました。そのうちに友だちから手紙がきたり、電話で話しをする場面が見られるようになり、ある日、A子さんは、「私は、◯◯の日から学校に行くから。」と言い始めました。親御さんは半信半疑でしたが、本人が言うとおり、確かに◯◯の日から時々ではありますが、学校に行き始めたのです。

A子さんを例にお話しましたが、A子さんのような環境に育てられた子ども全てがこのようになるわけではありません。元々持って生まれた子どもの気質もありますし、ご両親やその周りの大人との関係性など様々な要因があります。A子さんの場合は、たまたまその様々な要因が重なり合った結果、学校に通えないということが起きたまでです。しかしながら、自分らしい自分を信じて表現できる力は、いかなる時も強く逞しく生きていける力になります。

人は、自我が芽生える2~3歳の頃から反抗的な態度をとり、自分の気持ちを主張してきます。いわゆる「イヤイヤ」が始まります。それは、大人の言うことばかりを聞くのではなく、自分の意志で行動したい表れなのです。だから本当に嫌でなくても「イヤ」と言ったりしますし、親が「イヤなのね。」と言ってあげると、すんなりと言う事を聞いてくれたりもするのです。つまり、親とは違う存在であることを「イヤ」という言葉で表現し、そんな自分をまるごと認めて欲しいと言っている訳です。そして、小学校3年生くらいになると自分は何者かを問い始め、「僕はどこから生まれたの?」や「お母さんは私がいなくなっても平気なんでしょう!」などと言ったりもします。

それは、正に、自分の居場所がここであること確認し、安心したい気持ちの表れであったり、愛されているのか、認められているのか、必要とされているのか、生きる価値はあるのか‥‥そんな気持ちを表現している言葉です。

このようにして、親とは違う自分の気持ちを表現し、認められることで自分に自信を持ち、自分はこれでいいんだという気持ちを育んでいきます。そして、悶々とした思春期を抜け出し、自分らしい自分を築き上げていくのです。

この過程が不十分ですと、自分を表現する力が弱いので本来の意に反し、言われるがまま、なされるがままの流れになり易くなります。それは、とても苦しいことです。このような生活が続くと、本来表現したい自分がわからなくなるので人と接するのが怖くなります。

相談の中で反抗期に関する内容は多く、親御さんの悩みもとても大きいですが、子どもさんが自分らしい自分を見つけて、強く逞しく生きていく礎作りだと思って、しっかりと子どもさんと向き合っていただければと思います。

 

                                                                                                                            (佐々木 智恵)

 

 

幼少期の親子関係の重要性について

人間の発達において、先天的なものと生後の養育、気質と環境のどちらがより大きな影響を及ぼすかを調べるため、アメリカのミネソタ州で長期的な研究が行われたことがありました。この研究は、Minnesota Longitudinal Study of Risk and Adaptationといって、1975年よりおよそ30年かけて、180人の子供とその家族を詳細に調査するという大規模なものでしたが、その結果、次のようなことが明らかになりました。

子供が思春期に深刻な問題行動を起こすようになるかどうかは、母親の性格、子供の先天異常、IQ、子供自身の気質とは、あまり関係ない。カギになるのは親子関係であり、親がどう子供のことを思い、どのように接したかである。

幼児期、継続的によく世話をされた子供は、心身の統制が取れた子供へと成長し、不安定な子育てを受けた子供は、常に高ぶった生理状態になる。結果として、不安定な親の元に育った子供は、しばしば、承認を求めてうるさく騒いだり、ちょっとうまくいかないと強い苛立ちを覚えたりするようになる。継続的な高ぶりは慢性的な不安を生み出し、子供は大きくなると、神経質で冒険心に乏しい人になる。

幼児期にネグレクトされたり、過酷な環境で育った子供は、学校で問題行動を起こすようになり、他の子とトラブルを起こしたり、他の人の悩みに対する思いやりを持てないようになる。

私自身は、環境がすべてを決定するとは思っていないので、上記の研究結果はあくまでも一般的傾向であり、子供がどういう成長の仕方をするかには、生まれつきの気質も大きな役割を果たすことがあると思うのですが、確かに子供時代の親子関係が人の人生に多大な影響を与えるということは否めない事実だと思います。

私が見た中でいうと、不安定で一貫性のない子育てを受けた子供は、成長する過程で、強い不安、または怒りを持ち続けることが多いようです。

不安と怒り、どちらが強いかというのは、その子供の生まれつきの気質によります。特に男の子は、怒りが攻撃性を帯びる場合が多いように思いましたが、これはアメリカの臨床経験の観察によるもので、日本では違うかもしれません。(日本では子供のクライアントをまだほとんど扱ったことがないので、よくわかりません。)

例えば、ある10歳の男の子は、学校で「今度、銃を持ってきて、お前らみんな皆殺しにしてやる」と暴言を吐き、手におえないといわれてカウンセリングを受けていましたが、この子は、お母さんがアルコール依存で子育てができず、父親も不在で、お祖父さんに育てられていたのでした。強がってはいるけれど、本当は心の底で、母親のことをとても心配し、傷ついているのが、見ていてわかりました。

女の子にも似たような例がありました。小学校で問題行動を起こし、クラスメートとうまくいかずに、カウンセリングに連れてこられた子だったのですが、この子はとにかく怒りが強く、心を閉ざしていて、口をきかない。その時は私ではない別のセラピストが担当していたのですが、アートセラピーで絵を描くときだけ、夢中になって描くのだそうです。しばらくたって来なくなったこの子は、数年後、また問題を起こして、カウンセリングに連れてこられ、今度は私の担当になりました。10代半ばに成長した彼女は、以前よりも素直で穏やかになっており、私にこう打ち明けました。

「小学校のころは、私、いつも怒っていて、誰にでも攻撃的だった。とても悲しかったから、誰とも口をききたくなかったの。」

この子にも、アルコール依存で子育てはおろか、自分の世話もできない母親がいたのですが、彼女もやっぱり、母親のことをとても心配しており、だけど自分の手では母親を助けようがなく、無力感と深い哀しみに苛まれていたのでした。彼女の怒りも、前述の男の子と同様、抑うつ状態が転じたものだったと思います。

もしも、親が一貫した愛情をもって安定した子育てをするならば、例え物質的には多少の不自由があったとしても、適切な問題解決能力を備え、安定した心を持った大人が育ちます。そうなれば、結果として社会問題の多くが改善されるのではないだろうかと思います。

この研究結果を見て、社会における子育ての大切さを再認識させられた気がしました。              (Chika)

 

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子どもを叱らない親

最近、とても気になることは、子どもを叱れない?叱らない?親御さんが目に付くようになってきたことです。

子どもが道徳的に良くないことをしても、見て見ぬ振りをする、あるいは、それが良くないことと認識していないかのように、黙って見ている、一応、叱っているようだが、子どもの耳に入っているのかいないのか、無視されてしまうなど、色々なパターンがあるようです。

いずれにしても、親御さんは、道徳を教える役割を捨ててはいけません。

赤ちゃんは、首がすわる前は、天井ばかり見えていましたが、腹ばいができるようになると床周辺が見えてきます。子どもが集まる場所に連れて行けば、自分と同じような小さな人間(=子ども)が視野に入ってきます。
お座りをする頃には、その小さな人間に(=子ども)気づき始めます。

子どもが、自分以外の子どもに気づき始める頃から、おそらく、親御さん方は、無意識に躾をし始めているでしょう。向かい合ってお座りしている子ども同士で、相手の目や口など動くものに興味を持ち、触ろうとすると、おそらく、親御さん方は、「イタイイタイだからダメよ。」などと言うでしょう。
このようなことを繰り返して、小さい時から、良いは良い、悪いは悪いと伝えていくことは、親の役割です。

大きくなると、自我が芽生えますから、自分の感情や感覚、思考により、わかっていながらも道徳に反した行動をとる時があります。それを親に注意された時に、反発、無視し続ける場合があります。

このような場合、親子の関係性を改めて振り返った方が良いでしょう。
様々な原因がありますが、その一つに、小さい時に、きちんと良いは良い、悪いは悪いと教えてこなかったということがあります。自我が芽生えてから急に教えても、道徳を教えるという関係が親子間に元々のないので、子どもにしてみれば、「今まで叱らなかったのに、急に何言ってるの?」という感じでしょう。

「褒めて育てよ」「子どもと同じ目線で」「ちゃんと認めましょう」などなど子育てのキーワードが世に溢れていますが、意味を履き違えないように気を付けましょう。

 

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                                         (佐々木 智恵)

学校に通えない子どもに出会ったら

学校に通えない子どもたちに出会った時、決して、その子の生きる力を見落としてはならないと思っています。

傷つき、それでも頑張ってきた結果、エネルギーが枯渇し、自信も失っているであろう子どもたち。
自信を失うと、もう、自分は駄目だと思いがち。
でも、人にとって、大切なのはお勉強することでも学校に通えることでもない。
生きる力とは何なのかを知っており、それを持っていることであると、私は思います。

どんな子どもも、ちゃんと、生きる力を持っています。だって、今、苦しいのに生きてくれているのですから。

そのことに、感謝しましょう。

そして、その子の素晴らしさを言葉にして伝えてあげましょう。
どんな子どもも、キラキラとした素晴らしい力を持っています。

周りの人間に必要なことは、その素晴らしさに気づく力であると思います。
そして、少しずつ、自信を取り戻し、自分を取り戻せるよう、見守っていきましょう。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

学校に通えない子どもたち

学校に通えなくなる子どもは、今となっては珍しい話ではありません。

お勉強の他にも、色んな経験をさせてくれる楽しいはずの学校。
それがいつしか、トラウマになるほどに苦しく、恐怖心を抱く場所になってしまう。
いつの間にか笑顔を忘れ、言葉を失い、ひきこもるようになってしまう。

不安、恐怖、焦り、劣等感、恥、嫌悪‥‥
心の中は、色んな感情が交錯しているのでしょうけれど、本人すらもよくわからない。
学校に行こうとすると、具合が悪くなる。行けない。
周りは、「心配してどうしたの?」「何があったの?」って聞いてくる。
何があったか?
色々あったかもしれないけど、言葉にできない。

もう、傷つきたくないから言えない。
どうせわかってくれないから、言えない。
更に、事態が悪化するから、言えない。
本当にわからなくて、言えない。

十人十色

不登校と一口で言いますが、一人一人、違います。
だから、皆さん、どうしたらよいか悩みます。
本人はもちろん、親御さんの苦しみは、他人には、想像もつかないほどでしょう。

しかしながら、子どもの支援に最も必要なのは、お父様、お母様のお力です。
お父様お母様方が、心身ともにお元気でいらっしやること
子どもさんの反応に一喜一憂せずに、大きな器で見守ること
それが、一番、大切です。

でも、親も人の子。その一番大切なことが、一番難しい。
一人では、不安になって、どれが正しいかわからなくなる。

だからこそ、一人で抱えない。必ず、相談しましょう。                     

学校に通えなくなった子どもが、自分を取り戻すことが必要なのと同様に                                                                     親御さんも、自分に正直になることが必要なのですから。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

 

 

 

子どもの泣き声=子どもの学び=成長

あー、今日も子どもを感情的に怒ってしまった‥‥
子どもは悪くないのに‥‥
ただ、わからないだけなのに‥‥
ただ、外で遊びたいだけだったのに‥‥

一日の終わりに子どもの寝顔を見ながら、そう反省する。
そして、
「よし、明日は、早起きして、子どもが起きてくる前に、粗方、家事を終わらせておこう‥‥」
そう心の中で誓う。

でも、やっぱり、次の日も同じ繰り返し。

こんなこと、無いですか?

これがエスカレートすると、
どんどん自分を責めていき、終いには、自分は虐待しているのではないかと、不安になってきたり、
逆に、子どもが自分を試しているのではないか、馬鹿にしているのではないかと、猜疑心が湧いてきたりする。

それは、裏をかえすと、
「良き母でありたい」「子どもの無垢な望みを叶えてあげたい」
という「自身の母としての理想」と「包み込む母性」故のことであると私は思います。

でも、母親とて人間。
家事もこなし、子育てもちゃんとこなす事は、とてもとても難しい。

この体験は、子どもにとっては、
この世は何でも自分の思う通りにはならない
ということを身をもって知るというチャンスだと、私は思います。

子どもの泣き声に少しイライラするけれど、
例えば、
「あなたの希望は、お母さん、よくわかっていますよ。だから、これが終わるまで待っててね。」
「これが終われば外に出れるよ」
などという見通しを本人に伝え、待たせてみてはどうでしょう。
そして、約束通り、実行し、待てたことを良いことだと本人に伝える。

このようなことを続ければ、
子どもは、「今は望みは叶わないけど、待てば、必ず、叶う」
ことを学習し、待てるようになるでしょう。

子どもの泣き声=子どもの学び=成長

このような考え方でいられると、少しは子どもへのイライラ感、罪悪感が減るのではないでしょうか。

 

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

 

 

 

 

発達障がい • 告知すべきか否か

「子どもへの告知は、すべきでしょうか?」

教育現場では、時折、このような悩みが聞かれます。

担任の先生方にしてみると、本当に悩ましいことだと思います。

でも、一派一絡げに、「告知すべき、すべきでない」などと言えることではないような気がします。

また、「告知」についても、何について告知するのか、告知する目的は何なのか、きちんと考えなければなりません。

私、個人的には、診断名を告知することが重要な時もありますが、それよりも大切なのは、その子どもが「何ができて、何が苦手なのか」「今の苦しさが、何からきているのか」を知ることだと考えます。

自分の苦手なことが要因で生まれる苦しさであれば、その苦手なこととどう付き合っていけば良いかを本人、家族、支援者と共に模索する。

そうすることで、本人は自分を知り、家族も我が子を知ることができるでしょう。

このような支援の流れの中で、診断名を必要とする時が訪れたなら受診すべきであろう。あるいは、すでに、診断を受けている子どもならば、本人に伝えてあげるべきであろうと、思います。

理想論かもしれませんが、何よりも大切なことは、診断名を知ることではなく「自分を知ること」であり、「我が子を知ること」であると、私は思います。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

私の一番の師

今から30年程も前のことですが、子どもの発達を心配している親御さんとその子どもたちを対象にした育児教室の仕事をしていた時のことです。

当時、4歳くらいだったと思いますが、生まれながら脳に何らかの障がいを抱えた女の子が、その教室に入学してきました。
色白で、華奢な感じの女の子でした。少し恥ずかしがり屋でしたが、遊びに誘うと、とても嬉しそうに近づいてきました。その佇まいは、静かで、時折、恥ずかしそうに口に指をくわえ、私の後ろをついて来ました。
初めは、お友だちに近づくこともできずに、遠目に、教室の様子を見ているだけでしたが、私の誘いについて来るようになってからは、少しずつ、友だちの輪にも入るようになりました。
運動機能と知能に少しのおくれがある子どもさんでしたが、素直で、自分の要求を表現できる子どもさんでした。
その様子は、他のお友だちにも好感を持たれ、楽しく過ごし、卒業していきました。

それから、7~8年くらいたった頃でしょうか。偶然、その子どもさんのお母様にお会いしました。でも、お互い用事がありましたので、近況をお話する程度で別れました。

その後、ある方を通して、そのお母様の当時の気持ちを聞く機会がありました。
「当時、実は、我が娘をどうしても可愛いと思うことができずに、子どもに辛くあたっていました。でも、育児教室に通って、教室の先生方が我が娘を可愛がってくれる様子を見ていたら、嬉しくなり、我が娘を可愛いと感じるようになりました。そして、ようやく、我が娘を愛せない苦しさから逃れることができたのです。」と。

お母様がそのように感じてくださっていたことを嬉しく思うと同時に、そのようなお母様の気持ちに気付けなかった自分を恥ずかしく思いました。

おそらく、我が娘の姿を見ることは、五体満足な身体に産むことができなかった自分の罪とも感じる後ろめたさをまざまざと見せつけられているようで苦しかったでしょう。
そして、育児教室の先生方が子どもさんを可愛がる姿は、お母様自身を受け止め、肯定する意味を持っていたのでしょう。

その日以後、お母様にお会いすることはありませんでしたが、私が、この仕事を続けていきたいと思えた出来事であり、忘れ難い思い出です。

この仕事をしていくために、様々な研修を受けますが、一番の師は、子どもたちやそのお母様、お父様であることを痛感する毎日です。
本当に本当に沢山の教えをありがとうございます。

 

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵) 

「周囲の状況に気づく力」の育て方

「周囲の状況を気づく力」と言いましても、漠然としていますね。
「周囲」には、いろいろなことが含まれますね。
場所や物、人、音や色、匂い、温度など、色々ありますが、ここで取り上げたいのは、「人」です。

子どもの日々の成長は、常に人との関わりの中で育まれています。

具体的に考えてみましょう。

子どもが初めて経験する集団生活は、おそらく、幼稚園や保育所。
そこで、重要になってくるのが、如何に一斉指示に気づけるかです。
幼稚園や保育所の先生が発する一斉指示は、集団生活を円滑に行なうためであったり、ルールの説明であったりします。その指示に気づけることは、子どもの混乱を防ぎ、集団生活を楽しくし、ひいては、子どもの成長につながっていきます。
もちろん、指示に気づくだけでなく、内容を理解することも求められますが、まずは、段階的に「人」に気づかなければなりません。

「物」には気づきやすく、「人 」には気づきにくいという場合があります。

「物」は、子どもが興味を示すものだったりしますので、すぐに、目に飛び込んできて、側に「人」がいることに気づかないことなど、結構あります。時に、「物」に夢中になり、声を掛けても、そのことに気づかない場合もありますね。

そのようなことをできるだけ防げるよう、小さい時から、「人に気づく力」を意識して育てましょう。

実は、その力は、お母さんのお腹の中にいる時から育てられています。

以前にもお話ししましたが、お母さんのお腹の中にいる時に赤ちゃんに聞こえているのは、ややくぐもったお母さんの声(残念ながら、お父さんの声は赤ちゃんに届いていないそうです)。出生直後に聞くお母さんの声は、赤ちゃんにとって馴染みのある声。その声に耳を澄ますような動きをします。目が開くようになると、その声の先にあるお母さんの顔を必死に見ようとします。これが、赤ちゃんにとって、初めての周囲の状況に気づく経験という訳です。

赤ちゃんが生まれると、多くの人が声をかけてくれます。それは、とても良い刺激です。その中で、赤ちゃんは、自分にとって安心で安全な声を聞き分けていきます。

そう、それがお母さんの声です。
安心安全な声を見つけると、赤ちゃんは安心して、沢山の声に興味を示していきます。

しかし、赤ちゃんは、目の前で声をかけられないと気づきにくいです。
ですから、赤ちゃんの視線の先に、声を掛ける人の表情が見えるようにしなければなりません。
それは、ちゃんと、自分に働きかけられているという感覚を養うという意味もあります。
それでも気づかない時は、赤い色など目立つおもちゃや赤ちゃんが視線を向けてくれる物を介して、人の顔が見えるように工夫する必要があります。また、人の声よりもテレビの音や画面の方に気をとられる赤ちゃんもいます。そのような場合でも、赤ちゃんの視線を意識して声を掛けたり、お気に入りのおもちゃなどを介して働きかけてあげると良いでしょう。

このようにして、「周囲の状況に気づく力」は、日々積み重ねられていきます。

色々と難しくお話してきましたが、おそらく、大抵は、無意識にやられていると思います。
ただ、時に、このことについて無意識に手薄になる場合があり、「人」よりも「物」への気づきが優位になり、成長するチャンスを逃す場合があります。

ほんの少しだけ、この当たり前のような対応を振り返っていただければ嬉しいです。

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

望ましい判断と行動の育み方

自分のとった行動が、良いのか悪いのか曖昧であると、自信を持って行動できません。
望ましい行動をとったら、必ず、「その行動で良いこと」を本人にわかるように伝えてあげましょう。
言葉が拙い子どもさんの場合は、ジェスチャーで、言葉がわかる子どもさんには、端的な言葉で伝えましょう。

望ましくない行動をとった時は、「何故、そのような行動をとったのか」を尋ね、本人の気持ちや考えを一度受け止めましょう。
その上で、小さい子どもさんの場合は、望ましい判断と行動を教えてあげましょう。
自分で考える力がある子どもさんの場合は、「他者の気持ちはどうだったのか」を考えられるよう問いかけをすると良いでしょう。

このような対応の積み重ねが、望ましい判断と行動を育て、社会のルールの大切さを身に付けていきます。

子どもには、「これくらいわかるだろう」という考えは通じません。また、どんなに簡単なことでも一度でわかることはないと心得た方が良いと思います。大人には当たり前のことでも、子どもにとっては、全てが初体験。常識も通じません。感情的にならずに、お手本を示して教えてあげましょう。

「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝える親の姿勢は、子どもにとって、頼れる姿であり、信頼と尊敬を育んでいきます。

逆に、良いことをしても、悪いことをしても、親や周りの大人たちが無反応だと、子どもはとても不安になります。
どのように振舞ったらいいかわからなくなります。
2〜3歳くらいの知能になりますと、やってはいけないことがわかるようになってきます。
その時に親や周りの大人たちが注意しなければ、子どもは「何故、注意されないのか?」と混乱します。
「おそらく、良くないことをしていると思うのに、何も言われない。じゃあ、良くない行動をし続けていいのか?」
ここまでくると、混乱だけでなく不安も芽生えてきます。
このようなことが続くと、苛立ちを感じ、粗暴という形で表現してきます。
そして、親や周りの大人たちの言うことを聞かなくなったり、試すような行動をとったりします。

よく、「褒めて育てましょう」と言われますが、私は、「褒めて」というよりは、上記で述べたように、「良いことは良い、悪いことは悪い」ときちんと伝え、丁寧に教えていくことが大切だと思います。そして、当たり前のことですが、子どもがお手伝いをしてくれたら、「ありがとう、助かったよ。」と感謝の気持ちを伝え、嬉しかったら、「嬉しい」と表現すれば良いのだと思います。

「褒める」ことは、大切だと思いますが、これは、使い方が難しいものだと感じます。褒めすぎるとプレッシャーになったり、バカにしていると勘違いされたり、子どもの方が親に合わせてしまい、本来の自分を出せなくなったりと、様々な副作用があり、私個人としては、あまりお勧めしません。

「良いことは良い、悪いことは悪い」と伝え、出来たら笑顔でOKサイン。そんな子育てができたらいいなと思います。

                                                                                                                                    (佐々木智恵)