盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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情報を減らす

現代社会では、色々な情報があふれかえっています。知らず知らずのうちに、頭に情報が渦巻いて、処理が追い付かないまま渋滞しており、心もその分揺れ動いて、不安定になっている人が多いように思います。

物がたくさんあふれている家では、「印鑑どこだっけ」と、いざ、大事なものを探そうと思っても、雑多なものに紛れて、見つけづらくなります。それと同じで、情報があふれかえっていると、自分の中に、本当に必要なものを見つけようと思っても、目に入らなくなります。

本当は自分のここに気づいて、今までの在り方を変えたら幸せになれる、というポイントがあって、そのお知らせサインを自分の心や体の叡智が発していても、いつも雑音でうるさい場所では、か細い繊細な声が聞こえないがごとく、聞きとれなくなります。

静かに自分と向き合って、自分が発している本当の声を聞き取るのが恐ろしくて仕方がないがために、一人にならなくてすむよう、いつも誰かと一緒にいて、ずっとしゃべり続けていなければならない、依存症の人が時々いらっしゃいます。

こういう人は、おのずと共依存関係を形成してしまうがために、パートナーとの関係も、いずれうまくいかなくなるのですが、そうなると、即座に次のパートナーを見つけて、同じことをしてしまいがちです。結果として、問題が未解決のまま、問題から目をそらすために、対象を変えて依存し続ける繰り返しになってしまいます。未解決の問題が、平行線のままだとまだいいのですが、こうして負のループを繰り返すと、目を背けているうちに問題は蓄積し、どんどん大きくなるものです。そうなると、もっと強力に自分の声を遮断しなければならず、ますます依存傾向が深まってしまうということになります。

不安が強い人は、情報を求めて安心しようとする傾向が強くなりますが、心の中にある恐れが吸引力となって、同じ性質のものに引かれてしまうため、不安な情報ばかり探してしまい、内面の不安を強めてしまうという結果を作り出します。世の中には、もっと気持ちが明るくなったり、元気をもらえたりする情報もたくさんあるのですが、不安が強い人は、そういう情報とは自分の心との親和性がないので目に入らず、調べれば調べるほど、不安になっていくのです。

生きていくのに必要な情報は、実はそんなに多くなく、探しにいかなくても不思議と自然に入ってくるものです。

私が昔、メキシコにいた頃は、まだメキシコではインターネットがさほど普及しておらず、インターネットカフェに行って、お金を払わなければ、アクセスできませんでした。当時は、スマホどころかガラケーを持っているメキシコ人も少なく、テレビがない家もさほど珍しくなかったと思います。私は途中から中古のテレビを買いましたが、新聞を読むわけでもなく、情報はそんなに入って来ない環境に住んでいました。一人で暮らしていましたが、今、思えば、情報がない生活は、静かで、快適でした。時々、真夜中に「コケコッコー」と盛大に時を作る近所のニワトリには辟易しましたが、朝は庭の木をつつくキツツキの音で目が覚め、気持ちがよかったです。

そんな生活でも、必要(?)なニュースは、階下に住む大家さんが、階段の下から叫んで、教えてくれていて、なんとかなっていました。ダイアナ妃が亡くなったときには、「イギリスの王女さまが死んだよ!」と叫ぶので、たぶん、エリザベス女王が亡くなったんだろう、ダイアナ妃はまだなくなる年じゃないものな、と聞き流していました。小渕総理が亡くなった時も、数か月知らないままでしたが、メキシコに住む生活では、知らなくても全く差支えありませんでした。ある時は、日本から来た観光客の人に、「日本のニュース、何かありませんか。こっちに住んでいると、何もわからなくて」と聞いてみたところ、「アンディ・フグが死にました」といわれ、アンディ・フグが誰か知らなかった私は、たぶん、珍しい種類のフグが水族館かどこかで死んだんだろうと思っていました。

いずれにしても、メキシコにいた頃は、情報が少ないのに、むしろ、少ないがゆえに、色々なことを感じ、たくさんの人と交流しながら、生き生きと暮らせていたように思います。

一つの情報を処理するために、脳の神経細胞は、シナプス(神経細胞同士をつなぐ接合物)を介して、超高速で何百万もの電気信号をやり取りします。近年は、ただでさえ、情報を多く取り入れている上に、大人も子供も長時間、スマホゲームをするので、脳は過剰な刺激で疲弊し、休まることがあまりありません。交感神経が活性化しすぎるので、不眠症の人も増えるでしょう。当然、心にもいい影響があるわけがなく、自然とつながることによって活性化されるはずの感覚は劣化し、情緒に乏しい人が多くなってきているように思います。とても懸念される風潮だと思います。

かつて、不安がとても強く、鬱症状もひどい、20代前半のクライアントさんがいらっしゃいました。この人は、同じ年代の人たちがするように、SNSをしたりネットを見たりしていましたが、ある時、情報に触れることが自分の症状を悪化させていると気づき、自発的に情報断捨離を決行しました。その結果、ほんの1~2週間で、以前よりも不安が減り、心が安定したのでした。その上、自分への気づきがあって、精神的にも進化されていました。

放っておいたら情報が自分の中にあふれかえってしまう、情報が多すぎる今の社会では、情報断捨離することは、健全な心を維持するために、とても役立つことだと思います。

最近読んで、よかった本

最近読んで、とてもよかった本をご紹介します。

「おじいちゃんが教えてくれた人として大切なこと」アルン・ガンジー著 桜田直美訳 ダイヤモンド社。

愛と非暴力を説き、実践した、マハトマ・ガンジーの孫、アルン・ガンジーが書いた本です。

南アフリカで育ったアルン・ガンジーは、子供の頃、人種差別からくる理不尽な暴力を受けることが日常茶飯事でした。そのため、心が荒んで、怒りを持て余し、自分自身も暴力的な子供になっていました。そんな時、祖父のマハトマ・ガンジーのもとにしばらく預けられ、一緒に暮らすことになります。

マハトマ・ガンジー自身、差別や暴力を受けて育ったので、若い頃は粗暴なふるまいがある人でした。けれども、自分の心をコントロール術を身に着け、その結果、絶大なパワーを発揮して、インドを独立に導き、国境を越えて多くの人の心に影響を及ぼすに至りました。

子供だった孫から見たマハトマ・ガンジーは、決して怒ることがなく、どんなときにも穏やかな人だったそうです。けれども、孫がずるいこと、よくないことをしたときには、それを見抜き、怒るよりももっと深いやり方で、二度とそれをしないよう、教えました。

マハトマ・ガンジーの存在に触れ、直接、色々なことを教わった孫は、自身も心のコントロールを身につけるようになり、高い志をいだく大人に成長し、やはり、世のために役に立つ生き方をするようになったのだと思います。

暴力よりも、愛と非暴力の方が、多くを成し遂げ、周囲を変える力を持つか。暴力よりも愛の方が、パワフルなんですよね。暴力のパワーは、一時的に、表層の部分しか影響を及ぼせない、偽物のパワーです。愛は本物のパワーなので、根本的かつ持続的な変化を及ぼすことができるのです。

暴力による支配は、怖いからいうことを聞く、でも心の底では従わないという現象を起こします。愛による働きかけは、心の底から納得して、従いたくなる。どちらがよりパワフルか、ということです。

当時、インドを支配していたイギリス政府は、言うことを聞かないマハトマ・ガンジーに逮捕命令が出しますが、マハトマ・ガンジーは終始穏やかで、「はい、わかりました」と素直に応じるため、逮捕しにきた役人は戸惑い、困ったと言います。あなたがそういう態度だと、逮捕したくなくなる、いっそ、敵対的に抵抗してくれた方が、こっちも威圧的に逮捕しやすい、というわけです。

マハトマ・ガンジーは、怒りを持つことが悪いとは言っていません。怒りは必要な感情。でも、怒りを暴力で表すことは、よい結果をもたらさない。怒りを建設的に使えば、物事を変化する力になるということです。

読みやすい本なので、興味がある方は、読んでみてはいかがでしょうか。

エネルギーを強めるものと弱めるもの

私たちのエネルギーは、私たちが摂取する食べ物や飲み物、接する人や身を置く場所、私たちが抱く思考や感情によって、増えたり減ったりします。私たちのエネルギー、すなわち「氣」が損なわれずに十分あれば、人は「元気」でいられます。今回は、私たちの氣を増やして強化するもの、減らして弱体化するものについて、お話したいと思います。

まず、食べ物や飲み物でいうと、添加物がたくさん入った加工食品はエネルギーを低下させます。肉や脂っこいものも、消化に多くのエネルギーを要するので、体に負担がかかります。江戸時代の飛脚は、当時の日本に肉を食べる習慣がなかったため、豆製品からたんぱく質を摂っていました。ある時、飛脚に肉を食べてから走らせたら、体が重くて走れなかった、という話を聞いたことがあります。

カフェインを含む飲みものも、大量に摂取すると、不安になりやすくなったり、イライラしやすなったりして、精神の不安定さを引き起こします。アメリカでカウンセリングをしていたころ、不安が強く、小さなことが気になるクライアントさんがいて、聞けば毎日2リットルのコーラを飲んでいるというので、カフェインが少ない飲み物に置き換えるようにいったところ、それだけで不安感が減少しました。また、統合失調症で幻覚に煩わされているクライアントさんも、コーラの大量摂取を減らしただけで、幻覚の症状が落ち着いたことがありました。

電子レンジで調理したものも、食べ物のエネルギーを損なうと思います。同じ料理でも、火で調理したものと、レンチンしたものでは、数字の上での栄養素が同じであっても、エネルギーの質が変わってくるように感じます。冷凍食品や缶詰、冷蔵庫に長く入っていて古くなったものも、新鮮な食べ物に比べて、生命エネルギーが激減します。

エネルギーを増やすものは、新鮮な野菜や果物、豆類、全粒穀物など。とれたてで新鮮なものほど、生命エネルギーが豊富で、私たちを元気にします。個人的には、海の近くの町で、とれたての魚を使った海鮮丼を食べたときなど、ぱっと目の前が明るくなるように意識が澄み渡り、身体が元気になります。スーパーでパック詰めされたお刺身にはそこまでの効果は感じられません。メキシコに住んでいた時は、新鮮な果物をその場でジュースに絞ってくれる屋台があって、それを飲むととてもおいしく、エネルギーが高まりました。当時のメキシコは、まだ加工食品があまりなくて、あっても高価で手に入りづらかったので、新鮮な材料を使って、ちゃんと手間ひまかけて調理して食べることが多く、そのせいもあって、貧しい人が多くても、割合、心身ともに丈夫で健康な人が多かったように思います。

ただし、今までの食生活をいきなり大きく変えることは、ストレスを生み、かえって心身の負担になりますので、お勧めはしません。変えたいと思うなら、少しずつ変えること、また、悪いものをやめることより、まず、いいものを増やしていくことされる方がいいと思います。体にいいものを取り入れていくと、自然に悪いものを食べたくなくなるという変化が起きやすいからです。

日々、接する人によっても、私たちは力を得たり奪われたりします。エネルギーを吸い取るタイプの人は、例えば、依存的な人、支配的でコントロールしてくる人、自分ばかり話して、相手の話を聞かない自己中心的な人、承認欲求が強い人、ネガティブ思考で、不平不満や悪口が多い人などです。一緒に過ごした後、疲れたと感じるなら、エネルギーを奪われているということなので、やむを得ない場合を除いて、一緒にいないほうがいいでしょう。どうしても関わねばならない場合は、心の中で一線を引くことが大切です。

逆に、その人と話したら、楽しい、癒される、勇気づけられる、と感じる場合は、その人の高いエネルギーをもらって、元気になっているということです。人は、目には見えなくても、お互いにエネルギー交換をしているのです。もし、元気をもらっているなと感じたら、こちらもお返しをしたいですね。一方的にもらう依存的な関係だと、いい人が離れていき、長続きしにくいものです。ギブアンドテイクのバランスが取れている方が、安定し、関りは永続します。

人と同様、私たちは、場所ともエネルギー交換を行っています。だから、癒されたり、元気になるような場所に時々行って、エネルギーを補充することは、大事ですよね。海や山など、自然が豊かな場所へいくと、誰でも気分がよくなると思います。水辺や植物が多いところは、いい「氣」があふれていて、浄化力があるので、人は皆、それを無意識に感じるのでしょう。海や山が近くになくても、緑の多い公園に行ったり、庭がある人は庭いじりをしたり、ない人でも観葉植物を置いたりすることが、幾分、代わりになります。神社やお寺は、清浄な氣があふれ、浄化力が強い場所なので、そういう場所に興味があり、敬虔な気持ちで訪れることができるなら、時々行かれるといいと思います(訪れる人の純粋な信仰心は、その場所を清めて、神様や仏様を喜ばせ、神様のパワーをアップさせます。これも一種のエネルギー交換ですね。)

私たちの思考や感情も、私たちのエネルギーを高めたり、低下させたりします。もののとらえ方が厳格だったり、偏狭で、歪んでいたりすると、ネガティブ思考をいだきやすくなり、必要以上にネガティブな感情(本来、感情にポジティブもネガティブもないと思いますが、今は便宜上、この言葉を使います)を感じやすくなります。怒り、自責(自分に対する怒りですね)、恥、無力感、哀しみ、絶望などの感情は、心を重く、硬く、暗くさせます。体も重く、硬くなり、免疫も下がります。とらえ方が柔軟で、視野が広いと、おのずとポジティブ思考になり、同じ出来事を経験しても、ダメージを受けにくくなります。喜び、愛しさ、勇気、達成感など、自分自身のエネルギーを高める感情をいだくことも多くなります。

いかがでしたか。今回は、自分のエネルギーを強めるものと弱めるものについて、書いてみました。自分の元氣(もともと持っている、いい氣)を、増やすも減らすも自分次第です。できることを意識して、強くて健康な心や体を手に入れたいものですね。

健全な遊び

最近、メキシコに住んでいた頃のことをふと思い出し、しみじみ、思ったことがあります。

メキシコには20代の終わりから30代の初めにかけて、4年ほど住んでいました。メキシコ人はとてもフレンドリーで温かい人種なので、現地に友達もたくさんできて、馴染んで暮らしていました。

そんな中、メキシコ人の友達と遊んでいたことを思い返してみると、メキシコ人の遊び方って、とても健全だったなあと思うのです。

例えば、友達夫婦やその親戚、友人たちと集まって遊んだときのこと。地面に丸や線を書いて、日本でいうところのケンケン・パーみたいなことをやりました。メキシコにもこういう遊びがあるんだと思いつつ、みんな、当時の私と同じ20代後半くらいなのに、いい大人が真剣にケンケン・パーをするとは、メキシコ人て純真だなあと思いました。その時、サンダルを履いていたので、サンダルが壊れないか、心配になりながら、ジャンプしていたのを覚えています。

それから、当時、私はジムに通っていたのですが、そこで知らない20代くらいの女の子たち2人に、おずおずと声を掛けられたことがありました。

「私たち、集まって、クイズを出し合って楽しむ会をやっているんだけど、あなたも来ないかと思って」

これまた、ピュアな遊びをやってるなあ、と思いましたが、あまりクイズに興味がなかったので、これはお断りして、行きませんでした。

また、あるとき、レストランのボーイをやっていた顔見知りの男の子(20代前半くらい?)に招待されて、彼の家に、お昼をごちそうになりに行ったことがありました。彼は、近くの村から通っていて、おばあちゃんやお姉さん、甥や姪など、大家族で住んでいました。お店もほとんどない、のんびりした村で、休みの日とか、仕事が終わった後、何をして過ごすの?と聞いたら、みんなでサッカーをしている、と答えました。

今、思えば、メキシコ人たちは、みんなで集まり、顔を合わせて、健全な関りを持つような遊びをしていました。昔の日本もそうだったのだと思います。メキシコ人には鬱の人が少ないといいますが、こういう素朴な社会の在り方は、とても心にいいと思います。

今の日本は、子供はもちろん、大人でも、スマホのゲームに夢中になっている人が多く、人とのコミュニケーションも、ネットの世界の中だけということも、ままあるようです。こういう遊び方や人との関わり方は、脳に過剰な刺激が行き、思考が乱れるし、心も栄養失調になって偏るような気がします。

直に人と会って話したり、一緒に何かしたり、体を動かしたりすることは、人が健全な心を保つために、とても大切だと思います。機械の中のバーチャルな世界に浸って自然から離れすぎるのは、心身のエネルギー不足やエネルギーの乱れを招く原因になります。

いわゆる「発展途上国」(むしろ「先進国」の方が遅れをとっていることも多々あると思うので、この呼び方もどうかと思いますが)の在り方から学べることは、たくさんあると思います。

過去と未来が同時によくなる方法

過去と未来を同時によくする方法があります。

それは、自分の現在をよくすることです。

現在の自分を、幸せで、満ち足りた気分にしてあげれば、過去も未来も、自然に、悲観的な目でみることができなくなります。

心が満ち足りた状態で未来を見たら、前途が明るく見え、不安な未来は描きにくくなりますよね。

また、過去にたくさん苦しい体験をしたとしても、今が幸せなら、過去の苦しみと同調しなくなり、「あの体験があったから、今の自分がある」等、前向きな視点を持つことが容易になります。

今の自分がよく変われば、過去と未来を見る目がよく変わる。見る目が変わる=過去と未来が変わるということ。

結局、過去も未来も、私たちの頭の中でしか存在しない概念であり、実際に私たちが体験するのは、いつでも、「今、ここ」。現在の連続体があるだけです。現在を支点として、過去、未来を眺めている状態なので、支点である現在の意識状態を変えれば、過去も未来も、いっぺんに変わるというわけです。

そもそも、出来事自体はニュートラルで、それを体験する人が、それぞれの視点によって、いい、悪いを決定しています。例えば、「過去にとても嫌な思いをした」、「未来に嫌な用事がある」、どちらも、今の自分の心境がよりよくなり、視点が高くなれば、より肯定的にとらえられるようになります。

だから、今、ここが大切なんですね。過去に何があろうが、未来に何が待っていようが、現在の心の状態を上げてあげることが肝心。そうすれば、過去も未来も、今までとは違って、よりよく認識することができるということです。