盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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07月

健全なパートナーシップとは

1.  個性を認める

2.  パートナーとの一体性と分離性の双方を体験する

3.  パートナーから最高の資質を引き出す

4.  終わりを受け入れる

5.  変化と探究にオープンである

6.  相手の成長を引き出す

7.  真の親密性を経験する

8.  欲するものを正直に伝えられる自由がある

9.  与えて受け取ることができる

10.  相手を変えようとしたりコントロールしようとしたりしない

11.  パートナーが自分の足で立てるよう、勇気づける

12. 自分とパートナーの欠点を受け入れる

13. 受け入れられる約束を見いだす

14. 高い自尊心を持つ

15. 信頼し、信頼される

16. 自発的に気持ちを表現する

17. 親密さを歓迎し、無防備であるリスクを負う

18. 自分とパートナーが平等であると認める

(Burkhamer, Jessica., Couple Counseling:  Effective Techniques to Create Harmony and Strengthen Relationships, live seminar from Cross Country Education, Inc.)

 

016

「アメリカン・スナイパー」を観て

先日、「アメリカン・スナイパー」のDVDを観ました。

イラク戦争で、160人の敵を打ち殺し、伝説の男と言われたアメリカ人兵士を主人公とした実話で、その人の心理に興味があったので、以前から観てみたいと思っていました。

実際に観てみて、戦場のシーンが多く、彼の心理描写は思ったより少なくて、ちょっと物足りない気がしましたが、いろいろ思うところがありました。

彼が殺した160人の中には、自爆テロを実行しようとした子供や女性もいた。イラクでは、こんな残酷なことが、毎日行われていたのか、と改めて思いました。

この兵士は、愛国心が強いあまりに、自分のやっていることに疑問を持たず、人を打ち続けたようですが、そんなに多くの人を殺し続けて、人間の心がおかしくならないほうが不自然だと思います。なぜなら、人間の潜在意識に原初から備わっている良心に反する行為を続けると、必ず反動で心が悲鳴を上げるものだから。

彼には国や仲間を守るためという正当な理由があり、彼自身にとっては正しいことだったのでしょうし、何が正しくて何が間違っている、と二元論的な議論するのは無益でしょう。一方から見たら正しいことは、他方から見たら間違っており、その逆も真なり、というのが、この世に蔓延する二元論的な世界観なので。

でも、宇宙的な大きな観点から見ると、人を傷つけることは、自分を傷つけることに他ならない、というのは紛れもない真実であり、誰も逃れられない法則なので、殺しだ分だけ、彼の心には深い傷が刻まれたのではないかと思います。

かつ、生きるか死ぬかの戦火の中で、常に緊張を強いられ、感覚を研ぎ澄ませ、ぎりぎりの判断を求められる任務に長くついた後遺症として、この人は無意識のうちに、母国の安全な場所においても、闘うか逃げるか反応を起こし、常に過剰なストレスがかかった状態で生きなければならなくなります。妻と訪れた病院で、血圧を測ったら異常に高かった、というのがそれを物語っています。そして、少しの刺激でも過剰に攻撃的で暴力的な反応を起こすようになっていく。

加えて、de-personalization、de-realization、つまり離人症、非現実感に悩まされ、体は安全なアメリカにいても、脳内の音や映像は、戦場のそれを再現し続け、心は戦場にいるままになってしまう。

これは、PTSD特有の症状で、感覚をつかさどる右脳が過剰に活発になり、論理的思考や現在という時間観念をつかさどる左脳が不活発になっているためだと思われます。また、危機的な状況に長くさらされた結果、危機をとらえる動物脳が働きすぎ、社会脳である前頭葉が鈍化してしまっているので、社会的な関わりを持つことができなくなってしまう。奥さんや子供とも、人間的な温かい関わりを持つことができなくなってしまった。

これが、「伝説の男」と呼ばれる偉業の代償でした。

ネタバレになりますが、彼は、同じくイラク戦争の帰還兵で心が病んだ男と関わったがために、不本意に悲劇的な死を遂げます。

戦争がもたらす代償は、いつでも、とてつもなく大きく、悲劇的です。この映画を見ながら、そんな代償を払ってまでする意味のあった戦争だろうか、と疑問に思いました。

そして、「誰のものでもない地球を、境界線で分けて互いに殺しあうなんて、人類はなんて愚かで幼稚なんだろう」、といつも思っていることを、改めて思った次第です。

 

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精神疾患の診断のあいまいさについて

精神疾患の診断名というのは、絶対的なものではありえません。つける側の見方によって変わりうるもの、患者の状態が変われば、必要に応じて変えるべきものです。

 

先日お会いした方は、20年以上統合失調症で服薬治療を続けていらっしゃいました。けれども、実際に症状があったのは、20年前の、とあるショックな出来事の直後のほんのしばらくの間だけ。その時は抑うつ状態で、言動がおかしかったり、悪口を言われているような幻聴があったりしたらしいのですが、以来ずっとお仕事をして、社会生活を送ってこられています。

 

日本の精神科医は、本当に簡単に統合失調症という深刻な病名をつけて、長期にわたり服薬治療を続けたがりますが、私ならこのケースには統合失調症という診断は下さないと思います。その当時の症状について、私はくわしいことは知りえないので、はっきりとは言えませんが、Major Depressive Disorder with Psychotic features(精神病性の特性をもつ大うつ病)のほうが、この方の場合、発症時の診断にふさわしい気がします。そして、私なら、ショックな出来事が及ぼしている心理的な影響を取り除くサポートをし、その後症状がなくなったら、診断名を変える、もしくは診断名自体、外すだろうと思います。(もちろん、私は精神科医ではないので、薬物治療自体できないというのもありますが。)

 

精神科医は、この方の症状は服薬によって抑えられているから、薬を飲み続けなければならないというでしょうが、実際のところ、回復したのち、薬をやめても症状は良好なまま変わらない人を、私はたくさん知っています。(また、悪い症状が、薬を飲んでも飲まなくても変わらない人も、たくさん知っています。こういう場合、個人的には、体が疲れたり、頭が働かなくなったりといった副作用がないだけ、薬を飲まないほうがいい気がします。)

 

もしかすると不必要、または誤った診断かもしれないのに、長い間、重い精神病のレッテルとともに生きてこなければならなかったこの方を、私は気の毒に思いました。

 

診断名というものがどうやってつけられるか、なぜつける側によって診断名が変わりうるか、診断名が患者にどういう影響を及ぼすかについて、私が常々から思っていることを、代弁してくれているかのような記述を、アメリカの精神科医であるBessel Van Der Kolk博士の著書、the Body Keeps the Scoreに見つけたので、下記に引用したいと思います。

 

我々がどのように患者の問題を定義し、診断を下すかによって、どのようなやり方で患者をケアするかが決まります。患者が精神治療を受ける過程で、5つ、6つのまったく異なる診断を下されることは、よくあることなのです。

 

もし医師が感情の起伏の激しさに注目するなら、患者は双極性障害(躁うつ病)と診断され、リチウムやバルプロエート(抗けいれん剤)を処方されるでしょう。もし専門家が患者の絶望感にもっとも強い印象を受けるなら、患者はうつ病に苦しんでいると言い渡され、抗鬱剤を与えられるでしょう。医師が患者の落ち着きのなさや注意力の欠如に注目するならば、ADHD(注意欠陥・多動性障害)とみなされて、リタリンその他の刺激剤で治療されるかもしれません。そして、もしたまたまクリニックのスタッフが過去のトラウマについて質問していたら、そして患者がその情報を打ち明ける気になっていたとしたら、その患者はPTSDの診断を受けるかもしれません。

 

これらの診断名は、いずれも完全に的外れというわけではなく、かといって、いずれの診断も、患者が誰なのか、何に苦しんでいるかを、意味のある言い方で表してはいません。

 

(中略)精神病の診断には深刻な因果関係があります。診断は治療を決定づけ、誤った治療は破滅的な結果を招く可能性があるということです。さらに、診断名のレッテルは残る生涯つきまとい、患者が自分自身をどう定義するかに深く影響を与えかねません。

 

(中略)これらの診断はいずれも、患者の多くに発現する並外れた才能や、困難な状況の中でなお持ち続ける創造的なエネルギーを、考慮に入れてはいません。

 

診断名がついている方は、便宜上つけられたその病気の名前に、必要以上に振り回されないでほしいと思います。私は、心の症状を「病気」ということに抵抗を覚えるのですが、仮に本当に 病気だったとしても、人=病気ではなく、Van Der Kolk博士がいうように、病気はその人という存在のごく一部でしかなく、人の可能性は病気を大きく上回るということを、忘れないでいてほしいと思います。