盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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12日

反抗期の迎え方

生きることが苦しくなる時ってどんな時でしょう。それは、自分が自分らしくなれない時ではないでしょうか。

中学1年生のA子さんは、学校が怖いと言いました。お母様方がおっしゃるには、いじめがトラウマとなり学校に通えなくなったとのことです。

A子さんは、ご両親に愛され、とても大事に育てられました。教育上好ましくないものは周囲の大人が排除し、極力、好ましいものだけに触れる事が出来るよう整えられた環境の中で育ちました。御父母様も立派な方々できちんとされています。御両親も穏やかで、家庭的なお家です。A子さんはどちらかと言うと内弁慶でしたが、反抗期と言えるような時期は無く、育てやすい子どもだったようです。

そんなA子さんにとって、学校生活は驚きの連続だったかもしれません。経験のない怒鳴るような大きな声や同級生の汚い言葉遣い、相手が嫌がるようなことも気にかけないような態度など、A子さんには怖いものに映ったのでしょう。そのような態度がA子さんに向けられた時、A子さんは言葉を失い、言われるがまま、なされるがままだったのでしょう。おそらく「明日は何が起きるのであろう」と予測できない日々に怯える毎日だったでしょう。

本来、A子さんは、とても優しい子。友だちとのおしゃべりが大好き、習い事が大好き、勉強が大好き、学校にも本当は通いたいのです。そんな気持ちをお母様はよく知っていましたので、物静かな方でしたが、学校に掛け合うために一生懸命学校に足を運びました。担任の先生との手紙の交換から始まり、教科担任にA子さん用の宿題を出してもらうなどの支援がなされました。A子さんは学校に行けそうな気分とやはりまだ怖いという気分を繰り返しつつ、改善の方向に進んでいきました。そのうちに友だちから手紙がきたり、電話で話しをする場面が見られるようになり、ある日、A子さんは、「私は、◯◯の日から学校に行くから。」と言い始めました。親御さんは半信半疑でしたが、本人が言うとおり、確かに◯◯の日から時々ではありますが、学校に行き始めたのです。

A子さんを例にお話しましたが、A子さんのような環境に育てられた子ども全てがこのようになるわけではありません。元々持って生まれた子どもの気質もありますし、ご両親やその周りの大人との関係性など様々な要因があります。A子さんの場合は、たまたまその様々な要因が重なり合った結果、学校に通えないということが起きたまでです。しかしながら、自分らしい自分を信じて表現できる力は、いかなる時も強く逞しく生きていける力になります。

人は、自我が芽生える2~3歳の頃から反抗的な態度をとり、自分の気持ちを主張してきます。いわゆる「イヤイヤ」が始まります。それは、大人の言うことばかりを聞くのではなく、自分の意志で行動したい表れなのです。だから本当に嫌でなくても「イヤ」と言ったりしますし、親が「イヤなのね。」と言ってあげると、すんなりと言う事を聞いてくれたりもするのです。つまり、親とは違う存在であることを「イヤ」という言葉で表現し、そんな自分をまるごと認めて欲しいと言っている訳です。そして、小学校3年生くらいになると自分は何者かを問い始め、「僕はどこから生まれたの?」や「お母さんは私がいなくなっても平気なんでしょう!」などと言ったりもします。

それは、正に、自分の居場所がここであること確認し、安心したい気持ちの表れであったり、愛されているのか、認められているのか、必要とされているのか、生きる価値はあるのか‥‥そんな気持ちを表現している言葉です。

このようにして、親とは違う自分の気持ちを表現し、認められることで自分に自信を持ち、自分はこれでいいんだという気持ちを育んでいきます。そして、悶々とした思春期を抜け出し、自分らしい自分を築き上げていくのです。

この過程が不十分ですと、自分を表現する力が弱いので本来の意に反し、言われるがまま、なされるがままの流れになり易くなります。それは、とても苦しいことです。このような生活が続くと、本来表現したい自分がわからなくなるので人と接するのが怖くなります。

相談の中で反抗期に関する内容は多く、親御さんの悩みもとても大きいですが、子どもさんが自分らしい自分を見つけて、強く逞しく生きていく礎作りだと思って、しっかりと子どもさんと向き合っていただければと思います。

 

                                                                                                                            (佐々木 智恵)

 

 

記憶のしくみ

私たちは、日々、新しい体験を積み重ねて生きています。でも、その体験のすべてを記憶しているかというと、そうではありません。ある体験は記憶の彼方に葬り去られ、ある体験は、時がたっても昨日のことのように思い出してしまいます。その違いはなんなのでしょうか?

カギになるのは、その体験をしたときどれだけ心身が興奮状態にあったか、なんですね。

実は、人が最も覚えているのは、傷ついた体験、侮辱された体験です。身を脅かすものに直面し、ストレスホルモンであるアドレナリンが分泌されると、今後の防衛のために、その体験は私たちの意識にしっかりと刻み付けられます。そのため、アドレナリンがたくさん放出されたできごとほど、後々まで忘れずに覚えているというわけです。

人は、概して、いい体験よりも悪い体験の方を、よりよく覚えているものなのですが、これも生存のために古くからある原始的な脳がそのようなしくみに作られているからだと言われています。

いい体験を覚えていなくても命には別条がありませんが、身の危険を感じさせられた悪い体験を覚えていないとなると、その後、同じような体験が起きたときに危険を認識して避けることができず、命に関わります。脳の最優先事項は、命を守ること、体を生かしておくことです。感情的な快・不快は、脳にとって二の次。だから、つらい経験であっても、生存のために必要ならば、忘れることなく記憶に保存されるということです。

ただ、私たちの判断は、しばしば誤ることがあります。その結果、危険ではないものを危険だと誤認識し、不必要な警戒をして、無駄にストレスホルモンを放出し、心身を疲れさせてしまうことがよくあります。「ヘビを見たら3年縄が怖い」といいますが、ヘビを見るという恐怖体験がトラウマになり、縄のように安全なものであっても、いちいち過剰に反応してしまうというということなのです。この場合、もうこの体験は終わった、「ヘビ」はいない、あれは過去のことで現在ではない、今はもう安全だから大丈夫、ということを、身体レベルで納得させることが、過剰反応をやめるために必要になってきます。

また、その体験があまりにも恐怖や苦痛に満ちていて、心が耐え切れない場合は、安全装置が働いて、記憶は意識に刻まれる代わりに、一時的に顕在意識から消去されるということが起こります。幼児期に虐待を受けた多くの人が、子供時代何があったかよく思い出せないという、臨床現場ではよくみられる現象が起こるわけも、ここにあります。けれどもそれはあくまでも一時的な対処法であり、潜在意識に抑制された痛みの体験は、長く放っておけば置くほど、心を蝕むという代償を払わなければならないので、いつかは取り出して、直面しなければならなりません。

記憶に刻みつけられた体験であれ、一時的に消去された体験であれ、それを本当に忘れるためには、その体験がもたらした痛みの感情を昇華させることが必要です。昇華とは、消化することでもあります。痛みの感情には必ず意味があるので、それをちゃんと見つめて、受け入れ、理解するということ。自分の人生から除外するのではなく、その体験がもたらした意味を見つけ、自分の人生に必要なパーツとして組み込んみ、自分自身に統合するということ。その作業ができたとき、その体験は、痛みしかもたらさない厄介な体験ではなく、自分に力を与えてくれるリソース(資源)へと変わります。それと同時に、記憶や潜在意識にとどまっている必要性もなくなるので、自然に消えていき、私たちはその体験から自由になることができるのだと思います。                                (Chika)