盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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2015年

パニック症状の対処法(前半)

パニック発作の対処法を、The Anxiety and Phobia Workbook 3rd edition (Edmund J. Bourne, Ph.D. 著)より、抜粋したものです。症状に苦しんでいるかたのご参考になればと思います。

 

1.避難する

 

もし、恐怖の対象の近く、あるいは、その状況下にある場合は、不安が治まるまでの間、その場から離れましょう。例えば、スーパーで買い物中の場合は、買い物カゴを置いて、外にでる。車を運転中なら、路肩に車を止める、など、たいていの状況には、逃げ場があるはずです。

 

この際、「避難」と「逃避」を区別することは、重要。「避難」は、気分がよくなったら、また戻るという意図のもとに、一時的にその場を離れることを意味します。「逃避」は、対象に対する恐怖感を増長させる行為に過ぎません。気分が改善したら、必ずまた、その状況に戻るようにしてください。

 

2.人に話しかける

 

近くの人に話しかることにより、パニックの症状や不安な考えから、意識をそらすことができます。スーパーでレジに並んでいるときや、飛行機の中などで、とても効果的な方法です。公の場でスピーチする場合は、緊張していることを聴衆にあらかじめ打ち明けた方が、緊張は和らぎます。

 

3.動き回る、体を動かす

 

動き回ったり、体を動かしたりすることによって、アドレナリンの増加による過剰のエネルギーを消費することができます。職場なら、トイレまで、廊下をひとしきり歩く、家ならば、身体活動を要する家事に勤しむなど。或いは、ジョギングや水泳などの運動、ガーデニングなどに従事するのもよいでしょう。

 

4.「現在」にとどまる

 

まわりにある、具体的な物体に意識を集中させましょう。電車の吊り広告とか、外に見える雲とか、スーパーの雑誌コーナーの本など。「現在」にとどまって、外界の対象物に意識を向けることにより、不快な体の症状や、悲観的な思考から、気をそらすことができます。

 

5.単純な反復作業を行う

 

パニックの症状や不安感から気をそらす、単純な反復作業が色々あります。

 

・ガムを包み紙から取り出して噛む

・100から3まで、数字を逆に数える

・財布を取り出して、小銭を数える

・カギのギザギザな部分や、ブラシの歯に触って、感触を確かめる

・手首に巻いた輪ゴムを、パチンをはじく

・ぬれたおしぼりを顔に当てる

・パニック時用のセルフ・トークを書いた紙を取り出して読む(「大丈夫、これはすぐに終わる。」等)

 

6.集中力を要する活動に従事する

 

これは、不安が高まっているときや、パニックの時は、開始すること自体が難しい行為ですが、一度従事してしまえば、より継続して、かつ、効果的に、不安から注意をそらすことができます。

 

・面白い本や雑誌を読む

・パズルを解く

・縫い物や編み物をする

・トランプやボードゲームをする

・計算する

・楽器を弾く

・今日の計画を立てる

・絵を描いたり、粘土で遊ぶ

 

7.怒りを表現する

 

不安と怒りは、相容れない反応です。この2つを同時に経験することはできません。パニックが、心の深いところにある怒りや欲求不満の代役を果たしている場合が、よくみられます。怒りを、単に言葉で表現するだけでなく、(怒りを表しても害のない対象物に向けて)身体的に表現すれば、パニックの発生を防げる場合があります。

 

・枕をたたく

・安全な場所で叫ぶ

・卵を1ケース、バスタブの中に割りいれる(あとですぐに洗い流せます。)

・サンドバッグを殴る

 

パニックの初期症状自体に怒りをぶつけることが、効果をあげることもあります。パニックと闘うという意味ではなく(それでは逆効果です)、恐怖の背後にある感情を、別の感情に変換させるのです。

 

「また、これか!もう、人がどう思おうと、知るか!」

「パニックなんて、ほんとにバカバカしい反応だ!」等。

 

※ただし、「パニックに怒りをぶつける」のは、一番先に試すべき方法としては、お勧めできません。他の方法を先に試してみてからにしてください。

 

(後半へ続く)


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人と比較すると…

人と比較すると、だいたい、優劣感を抱くか、劣等感を抱くかのどちらかになります・

ある特定の事柄において、自分よりも劣っている人を選んで比較すると、優劣感を抱きますし、優れている人を選んで比較すると、劣等感を抱くことになります。

どちらにしても、そういうことをよくする人は、もともと自分に自信がない人だと思います。自信のなさを埋めあわせるために優越感を抱きたがったり、自分よりできそうな人ばかりに目が行って、劣等感を強めたり、ということが起きるわけです。

これはあんまり意味がないどころか、たいてい心にとっては有害な結果をもたらします。

人の多様な面の中の、ごく小さな一面である、ある特定の事柄について、優れているとか劣っているとかいったところで、その人の全体を評価することは不可能です。なのに、それによってその人の価値の良しあしを判断したかのような気になってしまうというのは、当たってもいなければ、有益でもない。

真の自己信頼とは、いいとか悪いとか、二元的な思考にとらわれていないで、いいところも悪いところも含めて、自分の絶対的な価値を肯定することによって得られるものだと思います。

 

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好きなもの、嫌いなもの

なんらかの事情で心が歪んでしまっている人は、まわりに「嫌いな人」が多いように思います。まわりに嫌いな人が多いと、当然ながら幸福感は低くなります。不幸せな状態にありがちということ。ちなみに、そういう人は、自分のことも嫌いであることが多い。

好きなものがたくさんある人は、幸福感を感じやすく、落ち込んでも切り替えが早いです。 

好きなものや人があると、自分の気持ちを癒したり、よい状態にもっていくことができやすいですから。 

好きって、ポジティブなパワーを与えてくれるんですね。 

嫌なこと、しなければならないことばかり、心に無理をしてやりすぎると、創造性が窒息します。つまり、何かをしたいという、「好き」からくる自発的なパワーが枯渇してしまうということです。 

義務ではなく、心からしたい、好き、とと思えるものに日ごろからよくフォーカスすることは、自分の創造性の芽に水をやるようなもの。創造性が伸びれば、人生が思う方向に展開しやすくなります。

 

 

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ネガティブな感情の対処法

昨年開催した感情の扱い方のセミナーに参加していただいた方にはおさらいになりますが、ネガティブな感情の扱い方を、ごく簡単に書いてみたいと思います。

ネガティブな感情は、その感情を抱いたとき、通常取りたくなる行動の反対のことをして対処する。

たとえば、何かを恐れているときは、そのものから逃げたり避けたりしたくなるのが人情ですが、避けないであえて直面する。そしてそれを何度も繰り返し行えば、しまいに怖くなくなります。

例えば、人前でスピーチするのが怖いとき、何度も場数を踏めば、慣れて怖くなくなる、など。

悲しいときは引きこもりたくなるかもしれませんが、あえて外に出るようにするとどっぷり落ち込むのを避けられるかもしれません。

誰かに腹を立てた時は、その誰かに向かっていき、攻撃したくなるのが自然ですが、そういうときは、あえてその人から離れて距離を置くほうがよいでしょう。

怒りの感情のままにぶつかっていくと、たいてい、言わなくてもいいことをいったり、最悪、手を上げたりしてしまい、人間関係がこじれて、もっと問題を増やしてしまいます。自分の苦痛を増やさないためにも、感情のコントロールができるくらい落ち着くまでは、いったんその場を離れたほうが賢明でしょう。

あるいは、怒っている相手にいじわるをしたり、苦しめたりしたい気分になるのを、あえて優しくするのも効果的な場合があります(これをするのは、「言うは易し、行うは難し」なんですが)。自分に好意を向けてくる相手を攻撃したり、傷つけたりするのは、通常の人間関係においては、結構難しいもの。こちらがあえて優しくすることにより、相手の敵意が和らぎ、その場の空気が変わり、結果として、こちらの怒りも和らぐということが起こりえます。

以上、基本的な「ネガティブ」感情の対処法を書きましたが、本当は感情にはポジティブもネガティブもないんですよね。快い感情とか、痛い感情とかはありますが、いい、悪いというのは実際にはありません。どんな感情も必要だから起こる、ただそれだけです。

一番大事なのは、どんな感情であっても、自分の感情をちゃんと認識して、体験する、ということ。それが自分の感情を大事にするということでもあると思います。

そうすると、感情は滞らずに流れていきますから。

多くの心の問題は、感情の滞りから発生するのだと思います。

どうか、自分の感情(気持ち)は、大切に扱ってください。

 

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ネコと光

 

 

 

 

最近、ゆっくり記事を書く暇がないので、写真だけで失礼します。

ネコや犬って、みんな天使だと思います。

動物大好きな私は、日ごろから、クマに遭遇しても、怖いというよりは、きっと話せばわかる、と思っているたちです。ちなみに、今までに2回野生のクマに出会ったことがありますが、いずれも車の中からなので、話す機会はありませんでした。

「話せばわかる」で思い出しましたが、ハチって、こちらが助けようと思ってさわると、例えつかんだとしても、刺さないんですよね。助けてくれているってわかるみたいです。(「話せばわかる」関係ないか。)

私はよく、プールやバケツの水で溺れかけているハチを手でつかんで助けるのですが、刺されたことがありません。                                                                                                                                                                                                                                                                                         (Chika)

 

 

 

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復讐心から行動しない

感情はどれもエネルギー源ですが、怒りの感情は特にそう。行動へと駆り立てるエネルギーを与えてくれますね。 

でも、「見返してやりたい」という、復讐の気持ちで何かをすると、それを成し遂げたところで、幸せな結果はもたらさないと思います。 

行動の動機がねじまがっていると、ねじまがった結果が自分に返ってくるものですから。 

怒りが恨みに変わると、執着が生まれ、過去を手放せなくなり、苦しみが生じます。 

場合によっては非常に難しいことかもしれませんが、できればさっさと相手を許して、自分の怒りを解消し、過去の嫌なことと手を切って、前へ進んだほうが、自分のためにいいと思います。          

結局のところ、誰かを許すことって、本当は相手のためにするのではなく、自分のためにするものです。                                                                                                                   (Chika)

 

 

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原因と結果の法則:ベースにあるもの

前回、「こういう風にすると、だいたいこうなる」、という、心の原因と結果の法則について書きました。その流れで、今回は、自分の人生に何が結果として現れるか、それを決定する因子について、ちょっと書いてみたいと思います。

「決定する因子」とは、要するに原因のことですが、それは実は、何をするか、ではなく、何を意図するか、なんですね。

言動そのものよりも、どういう気持ちでそれを言うか、あるいはするかのほうが大事。

よこしまな心で、善行を行っても、いい結果はもたらされない、ということ。

逆に、純粋に利他的な気持ちで行うなら、それがたとえ成就しなかったとしても、やがて自分にいい結果として返ってくるものです。

それが目に見えない法則だからです。

もし神様仏様、その他なんでもいいですが、人間より賢くて、なんでもお見通しの存在がいるとしたら、その存在は表面的な行いよりも、それをどういう気持ちで行ったかを見通して、そっちのほうを評価すると思いませんか?

たとえば、誰かに気に入られようとして、心にもないお世辞を言っても、結局のところ、その相手に本当に貴ばれたり、一目置かれたりすることはないでしょう。相手が鋭い人であれば、かえって不快がられるのが関の山でしょう。

一方で、本当にこの人はすごい、と思って、心からそれを伝えると相手の心に響くもの。喜んだ相手は、あなたのことを好ましく思ってくれるでしょう。

別の例でいうと、経済的に豊かでなくて、不自由させることになったとしても、子供のために汗水たらして一生懸命働く親を見て育った子供は、だいたい親を大切にするようになります。対して、裕福な家庭で、物質的には何不自由ない生活をさせたとしても、子供に愛情を注がなければ、その子供はしばしば満たされない思いから怒りを抱いて成長し、親子関係はこじれたり冷めたりしがちです。

要するに、その行動のベースに愛があるかどうか。

それが結果として自分に返ってくる。これこそ、シンプルにして、絶対的な原因と結果の法則です。    (Chika)

 

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原因と結果の法則:こころ編

①憎しみから行動すると、苦しい結果を招きよせる。

誰かを見返したい、というのも憎しみの一種だと思います。行動の源が喜びや愛情から来ている場合は、自分にとっても周囲にとっても、よい結果が得られるものです。

 

②心にバリアを張りすぎると、孤独になる。

ひどく傷ついた経験がある人は、心にバリアを張り巡らせる傾向があります。それをすると人と接しない分傷つかなくて済む反面、孤独感が深まり、満たされない思いが強まります。誰に対して心を開き、誰に対しては用心して閉じておくか、識別する目を養うと、傷つくことなく、人と交流できるようになります。

 

③怖いことから逃げると、そのことはもっと怖くなる。

目を背ければ背けるほど、そのものの心に対するネガティブな影響力は増すものです。逃げきれないものならば、腹をくくって対面したほうが、余計な恐怖心を増加しないですむ分、効果的です。

 

④人からよく思われようとすればするほど、人からよく思われない。

そんなこと考えないで自然体でいるほうが、人が寄ってきます。自分がどう思われるかより、どうやったら相手が心地よくいられるか、というのも考えながら接すると、緊張や不安なく話すことがより容易になるでしょう。そうすることにより、自分に向けられたフォーカスが、他者に向けられるため、自意識過剰になるのを防ぐことができるから。

 

ほかにもあるけれど、今日はこんなところで。                         (Chika)

 

 

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心のお医者さんの選び方

 

私がアメリカから帰国して、日本の精神医療事情を初めて知ったとき、ショックを受けたことは多々あるのですが、その一つに、処方薬の多さがあります。

あまりにも多種類の、重複した薬を出しすぎているように思います。「不安」というひとつの症状に、5種類も6種類も薬が処方される。

私は精神療法士なので、精神科医や心療内科医と違って、薬の処方はできませんし、薬物療法は専門外なので、意見する筋合いはないのかもしれません。それでもアメリカでは私たちは精神科医とチームを組んで共通の患者を治療するので、どういう症状の人にどういう薬がどのくらい処方されているかは、割合よく把握していました。

アメリカでは日本以上に向精神薬の処方薬の依存が問題になっており、何年も何十年も向不安薬や麻酔的な作用のある痛み止めを飲み続けた人が、それなしでは生きていけなくなる姿を、実際に私も見てきました。そういう薬に依存してしまうと、麻薬と同じで、薬が切れると強い不安に耐えられず、半狂乱になったりします。そして、薬を手に入れるためならなんでもするようになる。慢性的な痛みがあって痛みどめを処方されている自分の母親のかばんから、薬を全部盗み出すことを繰り返す。母親は娘に盗まれないよう枕の下に薬を隠して寝ている、というケースも割合よくありました。こういう場合、娘の薬への依存のために、親子関係もひどく傷ついてしまっていました。

特にベンゾ系の向不安薬は、即効性がある代わりに依存性が高いので知られています。その結果、やめられなくなり処方した医者が訴えられるということが多くなり、ベンゾ系の薬はもうアメリカでは処方されなくなってきました。日本では、おそらくまだ一番多く処方されている薬の一つですが、アメリカに持ち込めば、麻薬扱いで処罰されます。

向精神薬を飲みすぎて薬漬けになっている人の顔は、見ただけでわかります。表情に生気がありません。向精神薬は、丹田に蓄積されている生命エネルギーを大幅に奪うので、人を無気力にします。活力を奪うだけでなく、集中力、記憶力も鈍らせ、意志の力も奪ってしまう。だから、自分の心を自分の意志でコントロールする力は低下します。自分の心をコントロールできなくて、どうやって心を健康な状態に戻せるでしょう。

もちろん、このようなデメリットがあっても、向精神薬を飲むメリットの方が大きい場合も、中にはあるでしょう。飲まなければ自傷他害しかねないほど心が不安定な場合などは、薬を飲んだほうがいいと私も思います。

でも、薬を飲むことにより、余計症状をひどくしている場合や、もともとの症状以外に、体調を悪化させる等、別の症状を引き起こしている場合も、多々見受けられるのも事実です。

こういうことを踏まえて、精神科医や心療内科医にどうしてもかからなければならないというなら、副作用を訴えたとき、ちゃんと耳を傾けてくれる先生を選ぶよう、お勧めします。それと、薬を処方するとき、それが何の薬で、どういう作用があり、どういう副作用があるかまで、ちゃんと教えてくれる人。向精神薬に副作用はつきものです。そこまでちゃんと説明してくれるお医者さんは、少なくとも誠意があると思います。

これは、身体のお医者さんにも言えることですが、心のお医者さんものいうことも、権威のある人だからといって鵜呑みにしないこと。誤診というのは残念ながら実際あるので。(それも残念ながらよくあることです。)

心の問題には必ず原因があります。原因を見ないで、表面に出ている症状だけを薬で抑えるというのは、根本的解決にはならないです。たぶん、今の日本の精神医療システムでは、ちゃんと原因まで探って根本的治療をするというのが時間的にもその他の事情的にも難しいのでしょうが、「この人、そんなにたくさん薬を飲み続けなくても、治るのに。(っていうか、薬を飲み続けても、ここを改善しなきゃ治らないのに。)」と思う人が巷にあまりにもたくさんいて、本当に歯がゆいです。

そこまで薬に頼らなくても、心の治療ができるようなシステムが、早く日本にできたらいいのに、と切に願う今日この頃です。                                                                                                                                                      

 

 

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