盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

本当の自分に還る

ゲシュタルト療法を編み出したドイツの精神科医、フリッツ・パールズは、精神疾患に対してホリスティックな見解を示した人です。

パールズは、人は本来、全き存在であり、心の不調とは、本来、統合されて1つにまとまっているべきものが、部分的に分離したため、機能不全に陥った状態であると考えました。

自然には恒常性(ホメオスタシス)があり、変化が起こってバランスが崩れたときに、調和を回復して、再び元あるべき状態に戻ろうとする働きが起こります。人間の精神にも、同様に、分離して離れてしまった部分を再統合して、本来あるべき完全で調和のとれた状態に戻ろうとする働きがあると、パールズは考えました。

私は、大学院でゲシュタルト療法を習ったときは、これがどういうことか、今一つ、ピンときませんでした。

けれども、実際に現場に出て、臨床経験を積めば積むほど、パールズの深い洞察が、心という目に見えないものを説明するにあたり、非常に的を得ていることを実感するようになりました。

人は、ごく幼いころは、本来あるべき、全き存在に近い状態なのだと思います。

小さい子供は、割合、心のままに生きています。感じたことを素直にありのまま表現して、悲しかったら泣き、うれしかったら笑い、思ったことを口に出します。過去をいつまでも思い煩うことはなく、未来のことを不安に感じることもなく、現在に生きているので、今、目の前にあることに純粋な興味を抱き、没頭し、楽しむことができます。

子供は、起こった変化に自然に反応するがゆえ、すぐにバランスを回復して、本来あるべき状態に戻ることができます。なので、感情的な淀みというのものを持ちにくく、例えば、怒りは感じても、恨みを抱くことはあまりありません。

けれども、人は、成長するにつれ、社会や周囲の環境に適応するため、自分を偽ったり、否定したりすることをおぼえてしまいます。本来の純粋な欲求ではなく、人や社会の期待に応えるため、あるいは周りから攻撃されて傷つかないように、行動や思考や感情を制限するようになっていきます。

自分の身を守るため、周りに迎合するために、本当は言いたくないこと、したくないことを、言ったりしたりしてしまう。そして、自分の本当の思いはなかったことにして、自分から切り離してしまう。本当は辛いのに、辛くないふりをする。辛いと叫んでいる心の一部は、切り離してしまう。

それを繰り返すうちに、全き存在だった自分は、分断化され、機能不全に陥っていきます。

完全な自分としてではなく、自分の一部分を切り離して生きていると、100%で生きていない分、パワーダウンして気力が減少してしまいます。また、エネルギーがうまく全体に回っていないので、アンバランスになり、どこかにひずみが生まれます。

結果として、うつになったり、感情の起伏が激しくなって怒りを抑えられなくなったりする。本来自分に属している部分を分離しつづけるのは、実はとてもエネルギーを消耗する作業なので、心が疲れてくる。潜在的にはその状態はよくない、なんかしなければならないと知っているので、慢性的な不安にさいなまれる。こういったことが、起こってきます。

フリッツ・パールズは、本来の全き存在に戻ることを阻害している、自分の中の切り離された部分、表現されずに自分の中に取り残された感情のことを「unfinished business(未完成の仕事)」と呼びました。

そして、この部分にちゃんと気つき、満たしてあげれば、分離された自己の一部は再統合され、自分に還ってくる、それにより、本来あるべき完全な状態に近づくことができる、と考えました。

実際、私は、セッションの中で、ゲシュタルト療法を使うことが少なくないのですが、それによって分断されていたものが再統合された場合、その人は、やはり、おしなべて、力が戻ったと感じるようです。この場合の力とは、具体的には、気力とか活力、自信などの、自分の中のパワーのことです。

また、感情的な停滞がなくなり、感情エネルギーが循環するようになるという目に見えない変化は、マイナスの感情にとらわれなくなり、短期間で切り替えられるようになる、という感覚として、実感されるようです。

ゲシュタルト療法は、自分の本質をそのまま表現すること、自分自身とちゃんとつながって生きることの大切さを教えてくれています。そのためには、自分の中に、否定してしまっている部分、滞っている部分があれば、その存在をまず認め、それから、受け入れてあげること。そして、その部分が本当は何を欲しているか、耳を傾けてあげ、満たしてあげること。

これがちゃんとできれば、unfinished business(未完成の仕事)はfinished(完成)となり、奪われていたパワーを取り戻し、本来の完全な自分に還ることができる。そうなるほどに、人は、持っている潜在能力をより多く発揮して、より、生き生きと生きることができるのだと思います。

                                       (Chika)

 

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パニック発作を軽減するライフスタイル

パニック発作に悩まされている方は、大勢いらっしゃると思います。

発作が実際に起きたとき、起きそうなときの対処法というのはありますが、それとは別に、発作を起こりにくくするために、普段のライフスタイルを変えていく、というのは、有効な手段だと思います。

どのように変えていけばいいか、ポイントを5つ挙げて、簡単に説明していきたいと思います。

 

1.普段から、深くリラックスする時間を、習慣的に持つ

深くリラックスするというのは、ひっきりない頭のおしゃべりをやめて、空っぽの状態にし、ただ、そこに在る状態、存在している状態を感じる時間です。呼吸法や瞑想、静かな音楽を聴く、自然の音に耳を傾ける、アロマを使う、キャンドルの炎を見つめる等、その状態を作り出すためのサポートツールは、色々あると思います。例えば呼吸法だと、実際に脳が信号を伝えて、体全体がリラックス状態に至るまで、呼吸法を始めてから4分かかるという研究結果があります。少なくとも5分以上、できれば15分くらいは時間を取って続ける方がいいと思います。リラクゼーションは、蓄積効果があるので、たまに長時間するよりは、少しの時間でも、毎日続けることにより、普段から落ち着きを得やすく、パニックが起こりにくい体質になっていくはずです。

 

2.規則正しく運動する

運動は、体にたまったストレスを発散させるために、有効な手段です。心身を興奮状態に導くストレスホルモンであるアドレナリンは、体を動かすことによって、減少させることができます。体を動かすことで、余分なエネルギーを消費しリラックスすると、体と連動している心もリラックスします。

 

3.刺激物をさける(特に、カフェイン、ニコチン、砂糖)

カフェインとニコチンは、体を興奮状態に導く刺激物で、不安症状を悪化させます。カフェインは、コーヒーだけではなく、多くの種類のお茶、コーラ製品、チョコレート、薬局の薬等に含まれています。カフェインとニコチンを控えると、不安症状が軽減するということは、よくあります。また、砂糖については、大量に摂取した後、急激に血糖値が下がり、低血糖になったとき、パニック発作と同様の状態になります。パニック症状の悪化を避けるために、砂糖を摂りすぎないように気をつけましょう。

 

4.自分の気持ちを認め、表現することを学ぶ(特に、怒りと悲しみの感情)

怒りや悲しみなどの、いわゆる否定的な感情を表現せず、抑圧する傾向にあると、気づかないうちに、漠然とした慢性的不安感を持ちやすくなります。風船が膨らむと、最後には空気圧で爆発しそうになるように、感情も、無視したり押さえつけたりしてて外に出さないでいると、だんだん内側からのプレッシャーが強まり、外にでようと暴れ出します。原因不明のパニック障害に苦しむ方を見ていると、長年にわたって無理に押さえつけた感情エネルギーがどこかに蓄積している場合が少なくないように思います。普段から、自分の気持ちにちゃんと気づいてあげ、それを感じて表現してあげる(悲しいときは泣くなど)ことは、慢性的な不安を抱えないために、大切なポイントだと思います。

 

5.より穏やかで、人生を受け入れるようなセルフ・トークとコア・ビリーフを採りいれる

セルフ・トークというのは、心のつぶやきとか、頭の中のおしゃべりのことです。これは無意識のうちに、ほぼ自動的に湧き起こってくるので、意識してキャッチしないと、通常、気づかないものです。不安症状があったり、うつ状態の人は、セルフ・トークが「~したらどうしよう」「どうせ~だ」などと、否定的な言葉づかいをしている場合が多いです。コア・ビリーフ(核となる信念)は、セルフ・トークの出所となっているものです。いわば、自分の意識の奥深くにある、「人生とは~である」「人とは~である」「自分とは~である」といった信念で、これが歪んでいたり、否定的だったりすると、落ち込みや不安、怒りといった、いわゆる否定的な感情を持ちやすくなります。セルフ・トークやコア・ビリーフを、もっと自分が生きやすくなるようなものに変えていくと、不安にとらわれにくくなり、パニック発作も起きにくくなっていくと思います。

 

以上、パニック発作になりにくいライフスタイルを、5項目ご紹介しました。人によって、どの項目を重点的に改善すればいいかは、異なると思いますが、これは、パニック発作のある人だけではなく、より不安になりにくい健康な心をもつために、すべての人に役立つポイントだと思います。よかったら、できるものだけでも、実践してみてください。

 

(参考文献:Bourne, E. J. (2000) The Anxiety and Phobia Workbook.  CA:  New Harbinger.)

 

 

 

                                                                                                                                    (Chika)

 

 


 

 

 

 

 

 

うつの正体を突き止める

うつは、「閉じ込められた感情」であるといわれます。

なんらかの感情が、外に出られずに、水面下で滞っている状態。

特に、悲しみや怒りを抑圧すると、気分が落ち込んで、うつに転じるといわれます。

涙を流して悲しむという行為は、心の痛みを解放するために、とても有効な手段です。

何か大切なものを失ったときに悲しむのは、自然なことだし、自分を癒やすための行為なので、必要なことでもあります。

もし、思い当たる喪失がないのであれば、なにに怒っているだろう、と自問してみるといいかもしれません。

怒りは、批判や攻撃が、自分の外に向けられている状態、うつは、批判や攻撃が、自分自身に向けられている状態なので。

大切なのは、まわりや自分を批判したり攻撃したりすることではなく、原因となっている自分の気持ちをちゃんと突き止め、感じてあげ、癒してあげることだと思います。                                                                                                                                                                                                    (Chika)

 

 

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新しいセミナー企画

現在、新しいセミナーを企画中です。(今のところ、予定は盛岡のみですが。)

今度のテーマは、感情について。

特にマイナス感情とか、ネガティブな感情といわれるものについて、その上手な扱い方、癒し方を詳しくみていこうと思っています。

一つだけいうと、感情を癒やすためには、それを否定したり、無理に変えたり、見ないふりをしたりしないで、ちゃんと受け入れて、認めて、つながってあげるということ。

切り離したり、押しやったり、抑制してしまった感情は、よけいに大きくなり、手が付けられなくなって、いずれまた戻ってきます。そして、戻ってきたときには、もっと厄介な扱いにくいしろものになっています。

感情を分離したり否定するとういことは、自分の一部を分離させたり否定するということ。

感情は、自分の中に取り入れ、統合してあげてはじめて、消化(昇華)され、消えていくものです。

ネガティブな感情とちゃんと向きあい、つながってあげることができた人は、その感情を敵ではなく味方につけることができるので、自分を癒すだけでなく、さらにパワーアップして、前に進むことができるのだと思います。

 

                                                                                  (Chika)

 

 

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劣等感と羞恥心、罪悪感について

アドラー心理学を生み出したオーストリアの精神科医、アルフレッド・アドラーによると、劣等感というのは、幼年期の体験に根差しているのだそうです。子供というのは、本来、弱く、無力で、大人に依存しなければ生きていけないものであり、それゆえに、自然に劣等感を覚えるようになる、というのです。

この劣等感は、大人に批判的な言葉を投げかけられたり、兄弟姉妹と比較されたり、友達から拒絶されたり、といった体験があると、さらに強化されてしまいます。

劣等感から抜け出すにあたって障害になるものとしては、

  • 精神的、身体的、性的を含めた、あらゆる種類の虐待
  • 帰属意識の欠如(自分はまわりとは違うという感覚)
  • 喪失や損傷の体験(自分は不十分であるという感覚)
  • 自分は理解されないという思い
  • ありのままの自分を受け入れてもらえないこと

などが、あげられます。

劣等感は、羞恥心をもたらします。

では、羞恥心とはなんでしょうか。それを理解するにあたって、罪悪感と比較してみましょう。

罪悪感とは、自分の価値観に照らし合わせて、「過ちを犯してしまった」という意識。自分のなした行為に起因します。

羞恥心とは、「自分は過ちである」という意識。自分の存在自体を後悔しているというニュアンスが、そこには含まれています。

罪悪感は、自分の行いを自身の持つ道徳観や価値観に沿うよう正し、方向性を修正するように促してくれる、有益な感覚でもあります。ただし、いつまでも抱き続ける罪悪感は心の毒にしかならないので、罪悪感が役に立つのは、許し(=自分を許すこと)とペアになっている場合に限られます。

これに対して、自分を恥じるという気持ちである羞恥心が、私たちをいい方向に向かわせてくれることは、決してありません。

なので、自己への羞恥は取り除く必要があるのですが、そのためにはまず、自分を許して、罪悪感を消し去る必要があります。

「自分を許す」という恩赦に必要な前提条件としては、①その過ちが現在進行形ではなく、過去のものであること。②その過ちを繰り返さないという、強い覚悟があること。

この2つがクリアできているのなら、いつまでも自分を責め続けることは誰のためにもならないということを理解し、自分を許してあげましょう。

罪悪感の解毒剤が「許し」ならば、羞恥心の解毒剤は、「自己受容」です。いいとか、悪いとか、判断するのをやめて、ありのままの自分を受け入れること。

そもそも、自分の存在がいいとか悪いとか、正しいとか間違っているなどと自分を裁くことは、それ自体、無意味なのです。その判断は絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎない。主観的で、偏見に満ち、かつ、その時によって異なる、不安定であてにならないものなのです。 

同じ理由で、自分と人と比べるのも、まったくの時間と労力の無駄です。そんなものは比べようがなく、比べたところで、それは根拠のない思い込みであり、いわば幻想に過ぎないのですから。

なので、誰かと自分を比べて劣等感を持つということ自体、本当は無意味なことだと思います。

自分は自分、ただそれだけ。それ以上でも以下でもない。良くも悪くもない。人の存在価値は、いいとか悪いとか、そういう二元的な判断を超えたところにあると思います。自分の長所だと思うところも短所だと思うところもすべてひっくるめて、どうぞまるごと受け入れてあげてください。

あなたがこの世に生きているということ自体、生かされているということ。生きることを許されていて、すでにこの世界に受け入れられているからこそ、この世に存在している、ということなのですから。

 

(参考資料:Worden, T. (2014).  The Neuroscience of Self & Self-Acceptance: Brain-Based Strategies for Adressing Entrenched Guilt & Shame, PESI Webcast Seminar)

 

 

 

                                                     (Chika)

 

 

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認知行動療法について

「ネガティブな思考は、意識の奥深くに潜んでいる、機能不全の信念(思い込み)や前提からくる。これらの信念が、人生の様々な状況やできごとに触発されると、うつが発症する。この機能不全の思考を変える努力をすれば、多くの心理的な症状から解放される。」

これは、認知行動療法の発案者の一人、アーロン・ベックの唱えた説です。


認知行動療法は、いちばんよく研究され、効果が実証されている心理療法です。

人は、何かできごとを体験すると、思考、感情、行動、この3つにおいて、反応します。

例えば、「先生に怒られた」というできごとを体験した場合。人や状況によって異なりますが、

思考においては、「自分はダメな人間だ。」

感情においては、恥、落ち込み、悲しみ。

行動においては、無口になり、引きこもりがちになる、等が起こると考えられます。

思考、感情、行動の3つは、お互いに影響しあっています。なので、この3つのうちの1つを変えると、他の2つも必然的に影響を受けて変わります。

3つのうち、直接変えることが一番難しいのは、感情です。

思考と行動は、自分の意志で変えることが、可能であり、思考か行動を変えると、感情もおのずと変化します。

ごく簡単に言うと、「思考(認知)を変えることによって、感情を変える」のが認知療法、「行動を変えることによって、感情を変える」のが行動療法、「思考と行動を変えることによって、感情を変える」のが、認知行動療法です。

例えば、「自分はダメな人間だ」という思考を、「先生は今日は機嫌が悪かっただけだ」「怒られたのは自分だけではない」「先生は、自分のとった行動の一部を否定しただけで、人格が全否定されたわけではない」等に変えてあげると、恥や落ち込み、悲しみといった感情が和らいだりします。

また、無口になって引きこもりがちになる、という行動を、あえて、信頼する友達に打ち明ける、外に遊びにいって気分転換する、というふうに変えてあげると、やっぱり、感情の部分に変化が起こるはずです。

認知行動療法は、うつや不安の症状によく使われる、一般的な療法です。

利点としては、比較的単純明快であり、自分で実践することができること、短期間の間に効果が得られる可能性があるということ。

弱点としては、抽象的な理念や、論理的思考が苦手な人には使いづらいこと、また、深い感情的なトラウマには効果が薄いということがあげられると思います。

アメリカでは、やたらと、認知行動療法を使え、と奨励する風潮があります。

アメリカでは心理療法にも保険が適用されるのですが、保険会社によってはその期間が限られていることがよくあって、短期間で行える療法が使い勝手がいいため、という事情が、この風潮の裏にあります。また、論理思考、左脳的思考が好きな欧米人に向いているから、というのもいえると思います。

私の考えでは、認知行動療法は、確かに、比較的浅い、日常的な悩みには、効果的で便利な方法だと思います。
また、「視点(ものごとをどう捉えるか)が、その人の生きる世界を作っている」という認知行動療法の前提となる考え方は、まぎれもない真実であり、そこに気づくことは、幸せな人生を築くにために、とても有用だと思います。

ただ、心理療法としては、限界があり、特に根が深いトラウマや、長期的に抑圧された感情が元になっている症状の場合、認知行動療法では役不足だと感じることが多いです。なぜなら、思考が司る範囲は、顕在意識で認知された部分であり、実際、心の問題というのは、思考よりももっとずっと奥深いところに根差していることが多いからです。

例えば、家もお金もすべてを失って、

「 ポジティブシンキングでいこう。物がすべてではない。やり直しはいくらでもできる。」

と、自分にいいきかせて、頭(思考)を切り替えて、新しいスタートを切ろうとしても、心が納得しないので、気持ちがついていかないでしょう。

この場合、心に自然に湧き起こってくる喪失感、虚しさ、悲しさ、怒りなどの気持ちを認め、ちゃんと悲嘆してからでないと、再出発することはできないだろうし、無理に切り替えようとすると、おそらく後で心にもっと負担を抱えることになります。

つまるところ、心という実体のないものを治療するにあたり、万能の療法というのはありません。人によっても合う方法、合わない方法があるし、同じ人でも、プロセスによって異なる方法が必要になる場合はあると思います。

私個人としては、複数の療法を、その人の性質や状況によって、使い分けるのが、効果的な心の治療を施すにあたり、必要だと思っています。
                                              (Chika)
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人工的に悩みを取り除くということ

戦後、ロイコトミー(頭前野白質切断術)という手術が一時的に流行ったことがありました。

これは、外科手術で脳の一部に傷をつけることにより、不安や落ち込みを覚えなくさせるという、当時は画期的な方法で、不安や抑うつが強い患者に用いられたようです。

しかしながら、この手術には、不安や落ち込みをなくすという効果と引き換えに、別の大きな問題を生じさせるということが、実際に手術を重ねるうちにわかってきました。

この手術を受けた患者は、社会的に機能できなくなるほど、人格が変わってしまうのです。

所構わず失禁し、ヘラヘラ笑っている。失業して、経済的に困窮しても気にせず、奥さんと小さい子供が路頭に迷っても意に介さない。

結局、悩む能力を奪うということは、人としての尊厳を奪い、人格を破壊するということに他ならないのでしょう。

これは、とりもなおさず、悩む力は、人間に自然に備わったものであり、社会的に機能していくため、ひいては問題に直面してそれを解決し、自分を向上させていくためにも、必要なものであるということを物語っています。

ロイコトミーは、その効能の疑問点と副作用のために、行われなくなりました。おそらくその後、向精神薬の開発が進み、脳手術で治療しなくても、不安や抑うつには薬で対処できるようになったということもあると思います。

概して向精神薬には、神経伝達物質の分泌を操作して、感情シグナルを人工的にコントロールするという作用があります。

それを考えると、向精神薬を使いすぎることは、やはり、人の精神を益するよりは害を及ぼす結果にならないかと、個人的には危惧をしてしまいます。

私は精神科医ではなく、薬は処方しないので、向精神薬については専門外ですが、アメリカの大学院のカウンセリング教育課程では、大まかな薬についての知識を学ぶ機会はあるし、実践的にも、薬物治療を受けているクライアントさんを大勢診てきたので、一般の人よりは、その作用に触れる機会があったかと思います。

例えば、現在、鬱や不安症状緩和のために、一般的に使われているSSRI(Selective serotonin reuptake inhibitors=選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という薬は、セロトニンが伝達する経路を邪魔して、再吸収されないようにすることで、セロトニンの活動を活性化する作用があります。セロトニンを司る神経物質は、脳内に広く分布して、情報を伝えます。例えば、俗に快楽物質といわれるドーパミンや、興奮作用のあるノルアドレナリンなどの感情的な情報を操作し、精神を安定させる作用があります。

SSRIは、10年ほど前には、副作用のない画期的な抗鬱剤で、依存性も少なく安全であると言われていましたが、使用が広まるにつれ、場合によっては深刻な副作用を及ぼしうることがわかってきました。具体的には、SSRIを使うことにより、恐怖感がなくなり、攻撃性や衝動性が高まる可能性があるといわれています。実際に、SSRIを使用したことで、自殺願望が高まり、実行するに至ったケースがあり、アメリカでは裁判沙汰になりました。

専門家ではない私が、素人目で思うのは、薬を使って、特定の神経物質を、長期にわたって無理に増やし続けたら、脳や神経、ホルモンを含め、肉体に多大な負担がかかるのではないか、ということです。また、自然にドーパミンやノルアドレナリンなどの物質を作り出す力が奪われてしまい、薬なしでは正常に精神を機能させることができなくなってしまうのも、怖いことだと思います。一時的には気分が改善されるかもしれませんが、薬で感情をコントロールすると、代償が大きいのではないかと思います。

以前、アメリカで私のクライアントさんだった方は、家族が何人も自死しておられ、特に弟さんが自死する前、かけてきた電話にちゃんと応対しなかったことで、大きなトラウマを抱えておられました。彼女は、長年にわたって、麻薬を常用して、押しつぶされそうな罪悪感から気を紛らわせ、麻薬をやめてからは、痛み止めや向精神薬を多量に常用していました。初めて会ったとき、彼女の表情は固まってしまったように無表情で、声に抑揚もなく、薬によって長年、自然な感情を麻痺してきた人特有の様相を呈していました。

その後、カウンセリングで少しずつ話をするにつれ、彼女の表情は活気を取り戻し、今まで触れることさえできなかった、弟さんの自死についても、ほんの少しなら話ができるようになりました。とても楽になった、ありがとう、とその時は感謝してくれた彼女でしたが、やはり、心の傷の深いところを見ることを、とても怖がっており、それ以上のプロセスを進めることはあまりできませんでした。亡くなったほかの家族の方や、生い立ちに関しては、一切話をすることができず、少し何かあれば、異常におびえてパニックになってしまうのです。

彼女は、感情を長年抑圧してきた人によくあるように、体のあちこちに痛みがでており、一般の開業医から麻酔薬を処方してもらっていたのですが、ある時、処方量以上を摂取していることが医師にばれて、処方をストップされました。(アメリカでは向精神薬の依存が社会的な問題になっていて、患者に何かあった場合、医師の責任になるので、医師は近年、あまり依存性の高い処方したがらなくなっています。)明らかに彼女は、体の痛みだけではなく、心の痛みを麻痺させるために、薬を常用していたのです。それが切れると、正常に機能できなくなるため、半狂乱になって、私のオフィスにやってきました。

最後の方には、彼女は、薬がないとやっていけない、なんとか私からも医者を説得してくれないかと懇願するばかりで、セッションに来ても、カウンセリングどころではありませんでした。実際、彼女が処方薬を過剰摂取してしているのは明らかで、オフィスに来て、書面にサインしてもらおうとしても、ペンが持てない、署名も満足にできない、というありさまでした。彼女の状態を危惧した私は、守秘義務を破って、彼女の夫に電話し、彼女から目を離さないよう、伝えました。

その後しばらくして、彼女は、薬の過剰摂取により、亡くなりました。自死ではなく、ショック死だったようです。長年にわたる大量の薬が、彼女の体に耐えきれないほどの負担をかけていたのだと思います。

心の痛みは、薬で麻痺させることはできても、癒すことはできないと思います。

感情を感じることは、時には辛いものですが、必要だから起こっていることなのです。感情という情報のサインを遮断してしまうと、一時的に苦しみは減るように思われるかもしれませんが、結局、自分の人生を豊かにする術を失うことにもなるのだと思います。

悩んだり落ち込んだりするということは、自分の内面へ目を向けて、必要な癒しを与え、人間として成長し、人生にもっと大きな喜びをもたらすための機会にもなりうるということ。その機会を奪うということは、人間らしさを奪うということにもなりうるのだということ。

薬を飲まなければ、生きていけないほど辛いことも、人生には起こりうると思うし、向精神薬が絶対にダメだとは私は言えませんが、そのことは念頭に置いておいてほしいなと思います。

 

                                                 (Chika)

 

 

 

 

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機が熟せば浮上する

まだこの道に進むとは思ってもいなかった20代前半のころ、当時アメリカのアイダホ州に住んでいた私は、ある女性と知り合いになりました。

彼女は中国やネイティブアメリカンなどの他民族の血が混じったアメリカ人だったのですが、年齢不詳でした。話の端々からは恐らく40代くらいと推測されるのですが、とてもかわいらしくて若々しく、キラキラした魅力を放っている人でした。

前向きで明るく、いつも生き生きしていた彼女は、一見するとそんな風には全く見えないのですが、どうも話を聞くと、壮絶な過去を経てきた人のようでした。子供のころは山の中の掘っ立て小屋に住んでいて、とても貧しく、食べるものがないので、狩りをしてリスなんかを食べていた、などと、現代の先進国とは思えないエピソードを、ニコニコしながら屈託なく話すのです。

そんな彼女の話の中で、いまだによく覚えていることがあります。

その当時より遡ること数年前、台所で料理をしていたとき、彼女は包丁で指を切ってしまったのだそうです。「痛い!」と思って流れる血を見たとき、今まで忘れていた何十年も前の性的虐待の記憶が、まざまざとよみがえったといいます。それは、その瞬間まで、完全に記憶から抹消されていた出来事でした。

「不思議なことなのだれど、私が大人になって、自分で対処できるようになったから、抑圧されていた子供時代の記憶がよみがえったんだと思うわ。」

真顔でそう話したときの彼女の顔を、私は今でもよく覚えています。

今思えば、この人は、色々な意味で心のバランスが取れ、オープンなハートを持った人だったと思います。そしてそれは、おそらく最初からそうだったわけではなく、生まれつきの聡明さはあったものの、やはりいろいろな苦しみを1つ1つ乗り越えてクリアしていく過程で、彼女自身が獲得し、身に着けていったものだと思います。そういう人だけが放つことのできる、本物の、輝くような人としての魅力を、まだ若かった私でも感じることができましたから。

彼女が語ったことは、臨床の現場でもよく目にする、心のメカニズムの真実です。

私たちの潜在意識はとても賢明なので、心が耐えられないくらい深い傷を負った場合、一時的にその記憶を顕在意識から消して、生きる上で支障がないように配慮してくれることがあります。

ただし、潜在意識に抑圧された記憶は、一時的に目につかないよう隠されただけであって、完全に消滅したわけではありません。否定的な感情はいつかは表に出て解消されなければならず、あくまでも猶予期間を与えられただけです。

猶予期限が終わり、本人がその傷にちゃんと直面して対処できるくらい成長したら、潜在意識はそれを顕在化しようとします。機が熟したからこそ、浮上してきたというわけです。

もちろん、表出した痛みと向き合うことは、大人になったからといって、決して楽な作業ではなく、抑圧していた期間が長ければ長いほど、対処するのは難しくなります。けれども、あまり長い間、無理に抑圧しておくと、心や体を蝕み、病んでしまうことになるので、やっぱり向き合うしかないのです。

なぜずっと忘れていられないかというと、究極的には、その傷と意識的につながらなければ、解消することができないからです。

これは、必ずしも過去にあった辛い出来事の詳細をすべて思い出して追体験しなければならないというわけではなく、むしろ、過去の体験から感じたこととか、それが受けた心の影響、その出来事が自分に与えた感情的なインパクトの方をちゃんと認識するということだと、私は考えています。

それによって初めて、心の傷は癒やされ、その出来事が現在に及ぼす影響が消滅し、過去が過去になります。そしてその過程で、その人の精神レベルが強化され、心はより一層、輝きを放つのだと思います。

                                                                                                                                     (Chika)

 

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恐怖を克服する方法

恐怖症や、PTSD、強迫観念症などの、不安障害の症状を克服する方法の1つとして、露出療法(exposure therapy)があります。

これは、簡単にいうと、恐れを抱いている対象に、少しずつ接することで、慣れていくというものです。

イメージの中で接する場合もあれば、実際にそのものを見たり、その場所に行ったりするやり方もあります。その際、怖いものにただ接するだけではなく、恐怖心を和らげ、心を強くするようなスキルを学んで用いながら行うほうが、効果が高まります。

暴露療法の詳細は専門的な話になるのでこれ以上はここでは書きませんが、この療法の論理の要になっているのは、要するに、「慣れれば、怖くなくなる。」ということ。裏を返せば、これは、怖いものは、逃げたり避けたりすれば、ますます怖くなる、という人の心理があります。

例えば、もしあなたが、クモが嫌いだとします。そして、部屋の中にいる1匹のクモと、いやでも同居しなければならないとします。

もしクモを怖がって、何があってもみないようにして、避けて暮らしたとすると、あなたはそのために常にびくびくして、膨大な精神エネルギーを使い、大変なストレスにさらされることになります。

さらに、見ないようにすればするほど、避ければ避けるほど、あなたの心の中で、クモは実物以上に大きくなり、強大な恐ろしい化け物と化すでしょう。

避ければ、恐怖は自分の中で増大する。言い方を変えれば、逃げることにより、恐怖の対象に、自分を力を与え、より強力にしてしまうということです。これは、PTSDの症状に苦しむ人によく見られることです。

反対に、あなたが逃げることをやめて腹をくくり、毎日少しずつ、クモを眺める訓練をするとしましょう。

最初は怖くて仕方なかったクモでも、毎日30秒ずつ見るようにすれば、おそらく一週間もすれば、耐えがたかった30秒が少し忍びやすくなるでしょう。次の一週間は、毎日、1分ずつ。こうやって、少しずつ時間を延ばしていけば、恐怖は少しずつ和らぎ、だんだん平気になっていく。

少なくとも、避けないで直視することによって、クモは実物大のままであり、頭の中で膨れ上がって化け物になることはないでしょう。

以前、私がアメリカで担当していたクライアントさんに、大変過酷な少女時代を送った人がいました。

彼女は当時50代でしたが、子供のころ、叔母夫婦のもとに里親に出され、そこで数年間にわたり、精神的・性的・身体的虐待を受けて育ちました。毎日、メイド代わりにこき使われ、叔父には日常的にレイプされ、言うことを聞かなければ激しい暴力を受ける、という救いのない日々を送りました。彼女の額には、今でも、テーブルに頭を叩きつけられたときの傷が残っています。

そのうちに叔父が亡くなり、彼女はその家を出て、まだ10代半ばにならないうちに、一人で生活するようになりました。

その後しばらくして未婚の母となり、何人かの子供をもうけた彼女は、PTSDと重度の鬱に苦しむようになり、アルコールに溺れるようになりました。長年、薬物療法と心理療法の治療を受け続けましたがよくならず、私が会ったときは5回目の自殺未遂の直後でした。

彼女は、毎日のように性的虐待を加えた叔父を、いまだに憎み、もうとっくに亡くなっているのにも関わらず、今なお彼を恐れていました。

彼女はその時、フラッシュバックや悪夢というPTSD特有の症状に悩まされていたので、私はPTSDが起こる原因を説明して、加害者の男から逃げるのをやめるように言いました。彼はもうこの世にはおらず、何の危害も及ぼすことはできないのだから、怖がる必要はないいことを伝え、彼のイメージが頭に浮かんだら、今まで言えなかった言いたいことをなんでも、思い切って、面と向かって言ってやるよう、提案してみました。

そうして数回のセッションを重ねた後、彼女は夢を見ました。

夢の中で、彼女は加害者の叔父に追いかけられ、必死で逃げていました。叔父が追いついて、足をつかもうとしたその時、彼女は夢の中で、ピストルを手にして、彼を撃ち殺したのだそうです。

「あいつをこの手でやっつけた!」

と私に報告する彼女の顔は、自信にあふれて輝いていました。

以来、不思議なことに、彼女はフラッシュバックにも悪夢にも悩まされなくなり、PTSDの症状はぱったりと消えてなくなりました。うつもすっかり回復して、自殺願望は全くなくなり、子供たちを守り育てる、とても強い女性になりました。

もちろん、ケース・バイ・ケースで、すべてのケースがこのように劇的に変化するとは限りません。

それでも、彼女の例は、逃げるのをやめて対峙すれば、恐怖を克服することが可能であるということ、そして、どんなに壮絶な過去を経験したとしても、それを乗り越える強さを人は持っているということ、この2つを、私たちに確かに教えてくれていると思います。

 

 

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祈りと心配の源泉

アメリカにいたころのあるクライアントさんの話です。

彼女はまだ20歳そこそこでしたが、お母さんのことをひどく心配して、不安にさいなまれていました。

心配になるのも無理はなく、彼女のお母さんは、重度の麻薬依存症で、もう心身ともにボロボロ、最後に見かけたときには、見る影もなくやつれ果てていたのだそうです。

最後に見かけたとき、と書いたのは、彼女はお母さんにもう何年も会っていなかったからです。虐待とネグレクトを繰り返した母親から引き離され、里親に出されたこのクライアントさんは、その後の母親の消息すら知りませんでした。

彼女は、自分を辛い目に合わせた母親に対して、複雑な感情を抱いてはいましたが、恨んではおらず、やはり心の奥では愛しており、とても心配していました。

彼女の心配は、心に重くのしかかり、彼女の鬱の症状を悪化させていたので、なんとかする必要がありました。なんとかするといっても、実際、不安を取り除くために、今、どこにいるかもわからない母親に対して、彼女が直接できることは何もありません。

なので私は、不安という負の感情エネルギーを、祈りというポジティブなエネルギーに変えてみたらどうか、と彼女に提案しました。

不安というのは、「こうなったらどうしよう」という想念。「お母さんが麻薬で身を滅ぼしていたらどうしよう」という思いは、気持ちをかき乱して重くするだけで、建設的な働きはしません。でも、彼女の不安な思いは、もとはといえば母親への愛情から発生しているものなので、前向きなエネルギーに転換することが可能なのです。そのためには、これをこうなってほしいという願い・祈り・アファメーションの形に変えてあげること。

「お母さんが大変なことになっていたらどうしよう」と思うより、「お母さんが大丈夫でありますように」「お母さんが麻薬依存を乗り越えて、強く生きられますように」と思ったほうがずっと建設的です。そうすることにおり、心を蝕んで侵食するような想念が、希望とか守護の想念に、質が変わるので。

実際、彼女はこの提案をすぐに受け入れ、さっそく数分間、どこにいるかもわからない母親のために、集中して祈りました。目を開けたとき、彼女の顔は数分前よりずっと明るくなっていました。

「今の、お母さんに伝わったと思う。」

という彼女の表情から、不安の影はもう消えていました。

私自身は、何の宗教にも属していませんが、自分のため、誰かのために、強く願ったり祈ったことは、見えないレベルでそれなりの影響を及ぼすと考えています。

でも、それが実際そうかどうかは置いておいて、心理的にみても、同じ愛情という源泉から出たものであるなら、心配よりは祈りの形にして表現したほうが、心にとっていいということは、確かだと思います。

 

 

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