失敗を恐れると成功しない

時々、失敗を極度に恐れる人に会います。

こういう人は、たいてい完璧主義になりやすく、必然的に不安感や緊張感も強い人が多いようです。

いつでも完璧に物事を成し遂げることは不可能だし、人生において一度も失敗しないこともありえないのですが、その不可能を可能にしようし、奮闘してもがくために、いたずらに不安感や緊張感にさいなまれてしまうというわけです。おまけに、完璧主義の人は失敗した時に必要以上に落ち込んだり、起こったり、不安に取りつかれたりするので、人一倍ストレスを受けやすくなります。

失敗や間違いを恐れる人は、失敗や間違いを悪いことだととらえている節があります。

起こってはいけない悪いことだから、避けようとする。

失敗を避けようとする人は、恐れから自分の行動を制限しようとするので、窮屈で不自由な世界に住まなければならないでしょう。

本当に成功して、偉業を成し遂げている人たちは、失敗を恐れません。

リスクを恐れないで冒険し、いろいろなことにチャレンジするので、多くを成し遂げ、発展することができる。加えて、偉人たちは、失敗してもタダでは起きないで、その過程で失敗から学び、転んで立ち上がる力を自信に変えて、より強く成長します。失敗も成長の糧にするなら、悪いことではなく、プラスの体験になります。

ちなみに、失敗を完全回避することは不可能かもしれませんが、失敗しにくくするためのコツはあると思います。それは、絶対失敗したらダメ、と思わないこと。絶対失敗してはいけないと思うと、かえって余計な力が入り、過度に緊張して、失敗しやすくなります。それより、失敗してもかまわないからやってみよう、と心を自由にしたほうが、本来の力が発揮しやすくなるでしょう。

たいていの失敗は半年後、1年後、5年後にはどうでもよいことになっているものです。つまり、たいていの失敗は取るに足りないこと。

失敗を恐れすぎないように、また、失敗しすぎても気にしすぎないようにしましょう。

 

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理屈が阻むもの

論理的思考、分析的傾向が強すぎる人は、学術的な意味では知性的なのかもしれませんが、かえって叡智からかけ離れてしまうように見受けられます。

平たく言うと、頭で考えることが得意で理屈っぽくて、勉強ができていい大学に行けるのかもしれないけれど、心の健康を司るための知恵にアクセスすることができにくい。

なぜなら、思考に偏りすぎる人は、身体的・内的な感覚に耳を傾けることが上手ではない人が多いから。直観というのは潜在意識の奥にある叡智につながっています。直観は思考ではなく、感覚的に得られるものなので、せっせと頭を働かせている人は、直観を受け取りにくいのです。直観は思考を静めて、リラックスしているときに、微妙な感覚として感じられるものです。ブルー・スリーの「考るな、感じろ」というのは名言だと思います。

ちなみに、頭で考えすぎると、たいてい、不安感が強まります。人は思考過多になると体の上の方のエネルギーが過剰になり、体の下の方のエネルギーが不足して、心身の状態は不安定になります。この状態では、肩や首がこったり、頭が痛くなったりしやすくなり、頭に血がのぼって緊張しやすくなるので、冷静に物事を判断することもできにくくなります。

さらに、思考を働かせている間は、内的感覚とつながらず、自分の内側にあるものを感じなくてもいいので、自分と対面することを恐れている人は、ノンストップで頭を働かせて逃避することがあります。その結果、疲れ果ててエネルギーを枯渇するだけではなく、自分の内側にある必要なメッセージを受け取れないので、道がそれて間違った方向に行ってしまったりします。

感情にアクセスすることを避けて、自分や相手の目を感覚的なものからそらし、傷つかないよう防御するため、論理思考、分析思考を多用することを、intellectualizationといいますが、それをしている人、つまり理屈っぽい人は、かえって心の問題を解決し、自分が幸せになるのを阻んでしまっているなあ、と思います。

論理的に考えられず、感情的になりすぎる人もまた問題ですが、何事もバランスが大切。知性と感性はバランスが取れている状態が一番いいのだと思います。

 

 

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逆説の法則

人に気に入られようとして、無理に振る舞って疲れてしまい、心を病む人が、日本人には多いように感じます。

人に気に入られようとして振る舞うと、かえって、心から人に愛されることは少なくなります。

人にどう思われるか気にせず、自分らしく振る舞ったほうが、ありのままの自分を愛してくれる人を引き付けるでしょう。

人に尊敬されようとして振る舞うと、かえって尊敬されなくなるものです。

そんなことを微塵も考えずに、自分が正しいと思うことを誠意をもって行う人のほうが、気づけば周りに自分を尊敬してくれる人ができていた、という結果になるでしょう。

ノーベル文学賞を受賞したインドの詩人、タゴールは こう言っています。

私は眠り、夢を見る 生きることが喜びだったらと

私は目覚め、気づく 生きることは義務だと

私は働く

すると、ごらん、 義務は喜びだった

つまり、幸せを追い求めて生きると、幸せになれないということ。幸せとは、一生懸命生きた人が、人生を振り返って初めて感じることができるもの。目標ではなく、結果なのです。

これが人生における逆説の法則です。

ちなみに、なぜ人に好かれようとする人が好かれないか、尊敬されようとする人が尊敬されないかというと、その人は愛ではなくエゴに基づいて行為を選択しているからでしょう。

愛を発する人は人から愛を受け取る。人は自分が与えたものを受け取るというのは普遍的にして例外のない法則です。

 

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人と比較すると…

人と比較すると、だいたい、優劣感を抱くか、劣等感を抱くかのどちらかになります・

ある特定の事柄において、自分よりも劣っている人を選んで比較すると、優劣感を抱きますし、優れている人を選んで比較すると、劣等感を抱くことになります。

どちらにしても、そういうことをよくする人は、もともと自分に自信がない人だと思います。自信のなさを埋めあわせるために優越感を抱きたがったり、自分よりできそうな人ばかりに目が行って、劣等感を強めたり、ということが起きるわけです。

これはあんまり意味がないどころか、たいてい心にとっては有害な結果をもたらします。

人の多様な面の中の、ごく小さな一面である、ある特定の事柄について、優れているとか劣っているとかいったところで、その人の全体を評価することは不可能です。なのに、それによってその人の価値の良しあしを判断したかのような気になってしまうというのは、当たってもいなければ、有益でもない。

真の自己信頼とは、いいとか悪いとか、二元的な思考にとらわれていないで、いいところも悪いところも含めて、自分の絶対的な価値を肯定することによって得られるものだと思います。

 

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好きなもの、嫌いなもの

なんらかの事情で心が歪んでしまっている人は、まわりに「嫌いな人」が多いように思います。まわりに嫌いな人が多いと、当然ながら幸福感は低くなります。不幸せな状態にありがちということ。ちなみに、そういう人は、自分のことも嫌いであることが多い。

好きなものがたくさんある人は、幸福感を感じやすく、落ち込んでも切り替えが早いです。 

好きなものや人があると、自分の気持ちを癒したり、よい状態にもっていくことができやすいですから。 

好きって、ポジティブなパワーを与えてくれるんですね。 

嫌なこと、しなければならないことばかり、心に無理をしてやりすぎると、創造性が窒息します。つまり、何かをしたいという、「好き」からくる自発的なパワーが枯渇してしまうということです。 

義務ではなく、心からしたい、好き、とと思えるものに日ごろからよくフォーカスすることは、自分の創造性の芽に水をやるようなもの。創造性が伸びれば、人生が思う方向に展開しやすくなります。

 

 

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ネガティブな感情の対処法

昨年開催した感情の扱い方のセミナーに参加していただいた方にはおさらいになりますが、ネガティブな感情の扱い方を、ごく簡単に書いてみたいと思います。

ネガティブな感情は、その感情を抱いたとき、通常取りたくなる行動の反対のことをして対処する。

たとえば、何かを恐れているときは、そのものから逃げたり避けたりしたくなるのが人情ですが、避けないであえて直面する。そしてそれを何度も繰り返し行えば、しまいに怖くなくなります。

例えば、人前でスピーチするのが怖いとき、何度も場数を踏めば、慣れて怖くなくなる、など。

悲しいときは引きこもりたくなるかもしれませんが、あえて外に出るようにするとどっぷり落ち込むのを避けられるかもしれません。

誰かに腹を立てた時は、その誰かに向かっていき、攻撃したくなるのが自然ですが、そういうときは、あえてその人から離れて距離を置くほうがよいでしょう。

怒りの感情のままにぶつかっていくと、たいてい、言わなくてもいいことをいったり、最悪、手を上げたりしてしまい、人間関係がこじれて、もっと問題を増やしてしまいます。自分の苦痛を増やさないためにも、感情のコントロールができるくらい落ち着くまでは、いったんその場を離れたほうが賢明でしょう。

あるいは、怒っている相手にいじわるをしたり、苦しめたりしたい気分になるのを、あえて優しくするのも効果的な場合があります(これをするのは、「言うは易し、行うは難し」なんですが)。自分に好意を向けてくる相手を攻撃したり、傷つけたりするのは、通常の人間関係においては、結構難しいもの。こちらがあえて優しくすることにより、相手の敵意が和らぎ、その場の空気が変わり、結果として、こちらの怒りも和らぐということが起こりえます。

以上、基本的な「ネガティブ」感情の対処法を書きましたが、本当は感情にはポジティブもネガティブもないんですよね。快い感情とか、痛い感情とかはありますが、いい、悪いというのは実際にはありません。どんな感情も必要だから起こる、ただそれだけです。

一番大事なのは、どんな感情であっても、自分の感情をちゃんと認識して、体験する、ということ。それが自分の感情を大事にするということでもあると思います。

そうすると、感情は滞らずに流れていきますから。

多くの心の問題は、感情の滞りから発生するのだと思います。

どうか、自分の感情(気持ち)は、大切に扱ってください。

 

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復讐心から行動しない

感情はどれもエネルギー源ですが、怒りの感情は特にそう。行動へと駆り立てるエネルギーを与えてくれますね。 

でも、「見返してやりたい」という、復讐の気持ちで何かをすると、それを成し遂げたところで、幸せな結果はもたらさないと思います。 

行動の動機がねじまがっていると、ねじまがった結果が自分に返ってくるものですから。 

怒りが恨みに変わると、執着が生まれ、過去を手放せなくなり、苦しみが生じます。 

場合によっては非常に難しいことかもしれませんが、できればさっさと相手を許して、自分の怒りを解消し、過去の嫌なことと手を切って、前へ進んだほうが、自分のためにいいと思います。          

結局のところ、誰かを許すことって、本当は相手のためにするのではなく、自分のためにするものです。                                                                                                                   (Chika)

 

 

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原因と結果の法則:ベースにあるもの

前回、「こういう風にすると、だいたいこうなる」、という、心の原因と結果の法則について書きました。その流れで、今回は、自分の人生に何が結果として現れるか、それを決定する因子について、ちょっと書いてみたいと思います。

「決定する因子」とは、要するに原因のことですが、それは実は、何をするか、ではなく、何を意図するか、なんですね。

言動そのものよりも、どういう気持ちでそれを言うか、あるいはするかのほうが大事。

よこしまな心で、善行を行っても、いい結果はもたらされない、ということ。

逆に、純粋に利他的な気持ちで行うなら、それがたとえ成就しなかったとしても、やがて自分にいい結果として返ってくるものです。

それが目に見えない法則だからです。

もし神様仏様、その他なんでもいいですが、人間より賢くて、なんでもお見通しの存在がいるとしたら、その存在は表面的な行いよりも、それをどういう気持ちで行ったかを見通して、そっちのほうを評価すると思いませんか?

たとえば、誰かに気に入られようとして、心にもないお世辞を言っても、結局のところ、その相手に本当に貴ばれたり、一目置かれたりすることはないでしょう。相手が鋭い人であれば、かえって不快がられるのが関の山でしょう。

一方で、本当にこの人はすごい、と思って、心からそれを伝えると相手の心に響くもの。喜んだ相手は、あなたのことを好ましく思ってくれるでしょう。

別の例でいうと、経済的に豊かでなくて、不自由させることになったとしても、子供のために汗水たらして一生懸命働く親を見て育った子供は、だいたい親を大切にするようになります。対して、裕福な家庭で、物質的には何不自由ない生活をさせたとしても、子供に愛情を注がなければ、その子供はしばしば満たされない思いから怒りを抱いて成長し、親子関係はこじれたり冷めたりしがちです。

要するに、その行動のベースに愛があるかどうか。

それが結果として自分に返ってくる。これこそ、シンプルにして、絶対的な原因と結果の法則です。    (Chika)

 

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原因と結果の法則:こころ編

①憎しみから行動すると、苦しい結果を招きよせる。

誰かを見返したい、というのも憎しみの一種だと思います。行動の源が喜びや愛情から来ている場合は、自分にとっても周囲にとっても、よい結果が得られるものです。

 

②心にバリアを張りすぎると、孤独になる。

ひどく傷ついた経験がある人は、心にバリアを張り巡らせる傾向があります。それをすると人と接しない分傷つかなくて済む反面、孤独感が深まり、満たされない思いが強まります。誰に対して心を開き、誰に対しては用心して閉じておくか、識別する目を養うと、傷つくことなく、人と交流できるようになります。

 

③怖いことから逃げると、そのことはもっと怖くなる。

目を背ければ背けるほど、そのものの心に対するネガティブな影響力は増すものです。逃げきれないものならば、腹をくくって対面したほうが、余計な恐怖心を増加しないですむ分、効果的です。

 

④人からよく思われようとすればするほど、人からよく思われない。

そんなこと考えないで自然体でいるほうが、人が寄ってきます。自分がどう思われるかより、どうやったら相手が心地よくいられるか、というのも考えながら接すると、緊張や不安なく話すことがより容易になるでしょう。そうすることにより、自分に向けられたフォーカスが、他者に向けられるため、自意識過剰になるのを防ぐことができるから。

 

ほかにもあるけれど、今日はこんなところで。                         (Chika)

 

 

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自然とつながる


先日、川辺の土の上を歩いていて、土の上とコンクリートで舗装された道を歩くのとでは、自分の内面に伝わってくるシグナルが違うことに気づきました。

土の上の方が、やっぱりホッとするのです。

それで改めて思ったこと。現代の日本に住んでいる人は、よほど山の中に住んでいるとか、農業や牧畜をやっているのでない限り、土の上を歩くことが日常的にあまりないのではない気がする。

これでは、心身のバランスを崩す人が多いのは、当たり前だと思います。

現代の生活様式では、人が自然から切り離されてしまっているんですよね。

自然というのは、心身のバランスをとる手助けをしてくれるもの。心身が健康であるために、欠かせないものです。

自然のリズムに沿って生活していると、心も体も調子がよくっていきます。これはどういうことかというと、例えば、太陽が昇ると同時に起きて、暗くなったら早めに寝る。新月に物事を初めて、満月に完了させる(新月に撒いた種を、満月に収穫する)など、月のサイクルを意識する。その季節に、その土地で取れたものを食べる、など。

もっと簡単なところでいえば、木がたくさん生えているところにいく、雲や星や月を見上げ、今日の月がどんな形をしているか、気づく、太陽の光を吸い込む、足の下の土の感触を感じる、鳥や虫や水のせせらぎに耳を傾ける、加工食品をやめて、できるだけ新鮮な野菜や果物を食べる、等するだけでも、自然とつながることになり、自律神経が整ってきます。心身の毒が浄化されるので、ストレスも軽減されます。

この人工的になりすぎた無機質な世界で、意識して自然とつながる時間を持つことは、あたかも狂いかけた時計の時間を合わせるように、心や体の調子を整えるための、大きな助けになると思います。

  (Chika)

 

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