盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幸せの作り方

考え方と症状の関係性について

認知行動療法は、端的にいうと、思考(認知)を変えることにより感情を変える療法です。物事をどうとらえるか、状況をどう考えるかが、感情や気分を作り出す、という考え方が、その基盤にあります。

今回は、認知行動療法的な観点から、どういう考え方や思い込みが、どのような症状や気持ちを引き起こしやすいか、みてみましょう。

 

うつ

  • 私には価値がない
  • 価値ある人間になるためには、完璧でなければならない
  • 私は~だから、人に愛されない。
  • どうでもいい。どうせ失敗するだけだから。
  • 私は役立たずだから、何もかもダメにしてしまう。

 

不安

  • 心配しなければ、何か悪いことが起こる。
  • 価値ある人間であるためには、完璧でなければならない。
  • まわりの人や状況を思い通りコントロールしなければ、私は制御不能に陥ってしまう。
  • 退屈や不快な感情を避けるために、忙しくしておかなければならない。
  • すべてがきちんとして、正しい場所に収まっている限り、私は大丈夫だ。

 

怒り

  • 人は私が望むとおりに行動するべきだ。
  • 人は私を尊重して、もっとよく扱うべきだ。
  • 人はもっと賢くあるべきだ。

 

痛み

  • もう~できないから、私は役立たずだ。
  • このうんざりした気分は、永遠に続く。
  • この痛みは、自分がしたことの当然の報いだ。

 

いかがでしょうか。何か、ご自分に当てはまるものはありましたか? 

うつに関していうと、無力感を感じさせる言葉、生まれながらに備わっている自己価値を否定する言葉が、うつ気分を引き起こしやすいといえます。

不安で特筆したいのは、完璧主義者、コントロール欲求・承認欲求の強い人は、不安になりやすいということ。

怒りでいうと、相手は~すべきである、という思いが強いと、そうならなかったときに怒りを感じやすくなるということがいえます。例えば、あの人はカンニングをするべきではない、など。確かにそうなんですが、相手の行為は自分次第ではなく、あくまでも相手次第。生きていれば、自分の理想通り・思い通りにならない場合は、日常茶飯事です。それを、人は~すべき、~すべきではない、と、厳格に思い決めていると、腹が立った心身に害をこうむるのは、その相手ではなく、自分。だから損、というわけです。

ちなみに、相手ではなくて、自分は~すべき、~すべきではない、と、いわゆる「~べき思考」を自分に適用すると、自分自身への怒り、ひいては理想通りにできなかったときの罪悪感や不安感を招きやすくなります。

一般に、「かくあらねばならない」という厳正で融通の利かない思考形態よりも、柔軟で順応性がある考え方ができるほうが、心は健康でいられると思います。                                                                                                                                     (Chika)

 

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惨めになるための15の方法

1.   誰かが幸せにしてくれるのを待っている。

2.   不幸を自分以外の誰かのせいにする。

3.   時間やお金や交友関係について、「もし~さえあれば」という言葉を、ことあるごとに使う。

4.   自分が持っているものと人が持っているものを比べる。

5.   いつも深刻である。

6.  常に全責任を背負い込む。

7. いつも、あらゆる人を喜ばせようと努める。(決してノーといわない。)

8.    人を助けるが、人に助けてもらおうとしない。

9. 自分の欲求を重要視しない。

10.人にほめられても信じないで疑う。

11.人の言葉を大げさにとる。

12.いつも冷静で恰好よくいようとする。

13.変化に徹底的に抵抗する。

14.完全無欠でいようと頑張る。

15.  いつも過去か未来に生きている。

                               (Chika)

 

 

 

 

視野を広く保つ

呼吸が浅くなっている時、肩に力が入っている時は、視野が狭くなります。

肩から上に氣が集まりすぎて、頭に血が上ってしまうので、冷静に考えることができなくなり、視野がせまくなるのです。

こういうときは、深い息をついて、大きくゆったりした呼吸を意識的に何度か繰り返し、同時に肩の力も抜きましょう。

そうすると、視野が開けて意識が拡大するので、今まで気づかなかったことに気づけるようになったり、より客観的に状況を捉えることができやすくなるでしょう。

 

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問題解決の秘訣

難問に直面したとき、それを解決するにあたって、まず、心の準備をすることは、とても役に立つと思います。

頭が混乱し、心が乱れて、適切な判断力や洞察力が得られない状態にあっては、問題を適切に処理することは難しいものです。

 

問題解決の準備として、次のステップを参考にしてください。

①安全で心地よい場所を見つける。不安でいっぱいだったり、急いでいたり、心が押しつぶされそうな状態では、問題を解決しようとしないこと。

②何回か深呼吸をして、問題に意識の焦点を当てる。

③助けが必要だと感じたときは、友達に電話して、助言を受ける。

④できるだけ具体的に、紙の上に問題を書き出してみる。

⑤「この問題は今日解決する必要があるか?」自問する。

⑥答えが「イエス」ならば、あなたがその問題に対処する準備ができているということ。

 

問題を明らかにし、できるだけシンプルにすること。

恐れの気持ちにとらわれている時ではなく、心が落ち着いているときに、対処法を考えること。

 

この2つは、最適な解決策を導き出すためのコツだと思います。結局、心が穏やかである程度リラックスしているときが、一番潜在意識をつながりやすくなり、インスピレーション(直感も導き)も受けやすくなりますから。

 

問題解決について付け加えるならば、私たちは、長期的な問題を心配しすぎるあまり、今すぐ注意が必要な小さな問題を無視してしまうことがよくあります。

例えそれが大きな問題であっても、もし今日考えてもどうしようもないことならば、そのために、今するべきことや改善できることをおろそかにしてしまうのは、得策ではありません。

今すぐ解決できないことは、思い切って手放してしまいましょう。

実際、今現在、変えられることに手を伸ばして取り掛かり、最善を尽くせば、長期的な問題もやがて改善していくものです。

今を変えれば、未来は変わっていくものだし、それが、未来の不安に生きるのではなく、現実を生きていく、ということなのですから。                                                                                                                                     (Chika)

 

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自己への慈しみと自尊心

近年、アメリカの心理セラピストの間では、自尊心を高めるよりも、自己への慈しみをはぐくむほうが、心にとって健康的であるといわれるようになってきました。

そもそも、自己への慈しみと自尊心は、どう違うのでしょうか。

心理学博士であり、脳心理学者でもあるるウォーデン博士は、自尊心は下記の点で問題があるとしています。 

 

・他者からの承認に重点が置かれている

・自分以外の価値観に合わせて生きる結果、満足感を損なう可能性がある。

・高めることが難しい

・非常に不安定で、最新の成功や失敗に応じて上下する。

・ナルシシストで自己中心的になる危険性がある。

・しばしば、人はこれを、優越感を持つことによって作り出そうとする。

・自尊心が高い人は、しばしば怒りや攻撃性も強い。

・見た目や競争心、人を卑下することにより、生みだされることがある。

 

自己への思いやりと自尊心は、双方とも自分に対する肯定的な気持ちを含んでいます。この2つの違いは、

 

・自尊心は、自分を「価値があり、好ましく、有能である」と評価することから生まれる。

・自己への思いやりは、自己評価を含まないで、かつ、自分を気づかい、自分とのつながりを持つという、肯定的な感情を伴う。

 

なので、自己への思いやりには、自尊心にみられる欠点を持たないと、ウォーデン博士は言います。

 

自尊心に対し、自己への思いやりは、下記のように特徴づけられています。

 

・ナルシシズムと結びついていない。

・エゴの脅威から守ってくれるので、不安感が少なくてすむ。

・過去の失敗に対し、より大きな責任感を持つことができる上、それを苦悩する度合いも少なくなる。

・安定性が高い

・より強いつながりをもたらす(他者と比較したり、怒ったりすることが減り、よりよい関係を築くことができるため。)

 

自尊心というのは、自分の行為や存在自体を、いいとか悪いとか評価することに関係します。いい・悪いの評価というのは相対的なものなので、どうしても人と比較して、劣等感や優越感を抱いたりしがちな上、自分の価値を見定めるにあたり、人の評価を気にしてしまうということも起こってきます。

そもそも、人間の価値というのは、人が判断して決めること自体、不可能であり、無意味です。人の評価を自分の価値基準にするのは、とても不自由だし、ばかばかしいことだと私は思います。

これに対し、自己への思いやりとは、いい・悪いという評価をせず、自分のすべてをまるごと受け入れて、自分に対して理解と慈しみを抱くということ。確かに、自尊心よりも自己への思いやりを持つほうが、心が満たされて、ずっと建設的に生きていけるでしょう。

そして、自分に思いやりを持つことができる人は、人に対しても楽に思いやりを持つことができるので、幸せな人間関係を築いていけるものだと思います。

 

(参考資料:Worden, T. (2014).  The Neuroscience of Self & Self-Acceptance: Brain-Based Strategies for Adressing Entrenched Guilt & Shame, PESI Webcast Seminar)

                                                                                                                        (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

いじめについて:支配と自尊心

いじめはあってはならず、どんな場合でも、いじめる方が絶対に悪いと思います。

ただ、いじめられる方に原因があるかどうかというと、いじめっ子を引き付ける要素というのはあると思います。

ということは、その要素を認識し、変えてあげると、いじめに合わなくなってくる、ということでもあります。

いじめというのは、つきつめていうと、コントロール(支配)の問題です。いじめる方もいじめられる方も、コントロールの問題を抱えており、自尊心が低く、自信が欠如している場合が多いようです。

いじめる方は、自分の奥深くに潜む自信のなさや、自尊心の欠如を補うために、自分よりも弱く、支配できそうな人をいじめる。そうすることで、人より強く、優位に立っている自分という幻想を、一時、味わえるからです。

いじめられる方は、同様に自分に自信がなく、自尊心が欠如しているがために、境界線(自分と他者との境目)が脆弱で、人に付け込まれやすい人が多いように思います。(ただし、勇気をもって一人で大勢に立ち向かった人が、たたかれていじめらる場合もなきにしもあらずなので、必ずしもではない。)

境界線があいまいな人は、「自分」よりも「他者」に意識のフォーカスがいっている人が多く、「自分」というアイデンティティがしっかりしていないので、他者に支配を受けやすい傾向があります。

自分よりも人がどうしたいか、人にどう思われるかばかりに意識がいっていると、自分がなくなってきます。自分がなくなってしまうと、極端な場合、自分が好きなものとか、何がしたいとか、そんなこともわからなくなってしまいます。自分の意志がなくなってしまうということです。

自分がなく、自分の意志に乏しい人というのは、境界線を犯して土足で侵入され、いいように操られやすくなってしまいます。そして、人の中に侵入し、いいように操ろうとするのが、いじめっ子タイプの人。自分の中にパワーが不足しているがために、自分にはパワーがあると錯覚させてくれる対象に目をつける、というわけです。

本当の意味で自分に自信があり、自尊心があるがゆえに、内なるパワーで満たされている人は、人のパワーを奪って自分を満たそうとする必要がありません。なのでそういう人は、人をいじめたり見下したりしません。また、自分と人を比べて、劣等感を持ったり、優越感を持つようなこともしません。

自分に自信がなくて境界線が弱く、人に影響されやすい人は、典型的な共依存タイプの人です。こういう人は、支配欲の強いいじめっ子タイプと結びついて、共依存関係に陥りやすいです。ドメスティックバイオレンス(DV)の夫と離れられない妻も、このタイプの人が多いです。(ただし、男女が逆で、妻がDVである場合もあり。)

ちなみに、「共依存、支配と依存、自尊心、境界線」というキーワードは、いずれも、第3チャクラ(太陽神経叢のチャクラ)という、みぞおちのあたりにあるチャクラに関係しています。チャクラというのは、経絡が集まっている体のエネルギーセンターで、主なチャクラは基底の第1チャクラから頭頂の第7チャクラまで7つあります。

第3チャクラは、自分自身との関係にまつわるチャクラなのですが、このチャクラに関して、共依存を「召使の精神」と表現して説明している記述があって、とてもわかりやすいと思ったので、一部引用します。

 

召使は、第1のチャクラの犠牲者や第2のチャクラの殉教者ほど機能に障害があるわけではありませんが、認知されず、報いがないという点は同じです。召使は他人に服従し、依存することで、自分の幸福に対する責任を譲り渡してしまいます。召使はよく愛すべき人だと呼ばれます。それは人となりではなく、行為を評価されてのことなのですが、召使はもっと他人からそう呼ばれる関係を無意識に求めます。その結果、召使は、威張り散らす支配的なパートナー(ときに暴力的になり虐待を行う)や、控えめで扱いやすい「召使」を使って自己評価を上げようとする同僚などと関わることになります。召使は外から認められることをしゃにむに求めますが、不運にもかなうことがありません。それがかなうのは、自己を尊び、自分に価値があると思えるようになった時です。召使はまず「私には価値がない」と唱えるのをやめ、真の自尊心を声に出してみる必要があります。

(リズ・シンプソン著 産調出版「チャクラヒーリング」)

 

まとめると、いじめにあいにくくなるためのコツとしては、次のことがあげられます。

他者の承認にすがって自己価値を埋めようとするのをやめ、自分で自分の価値を認めること。境界線をしっかり持ち、自分の内面にフォーカスして、自分にとってなにがよく、何が嫌なのか、しっかりと把握すること。そして、嫌なことには堂々とノーということ。人がどう思うか、人がどうやったら満足するかばかりに意識を向けることなく、自分がどう思い、どうやったら満足するかも大切にし、主体性を持つこと。

これらのことができるようになると、人は、犯しがたい尊厳を帯びるようになるので、支配して自分を満たそうとしても、近づいて思い通りにしずらくなります。そうなると、いじめっ子はもっと支配しやすい別のターゲットを探さねばならなくなり、離れていくはずです。

いじめは、いじめる方が絶対に悪いのですが、そうはいっても、いじめが存在するのは現実です。ならば、対策を考えたほうが得だと思います。

どこへ行ってもいじめにあう人は、いじめっ子をひきつけてしまう要因、いじめを増長させていまう要因が自分の中にないかどうかをチェックし、もしあれば改善することで、支配から自由になる道を選ぶことができると思います。                                                                                                               

                                                                                                                                          (Chika)   

                                                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

 

 

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変な噂を広められたら。

自分に関する悪い噂が広まったとき。

噂をする周囲の人の目を気にすると、何よりも自分が不自由になります。

人の口に戸は建てられませんが、人の影響を受けてるか受けないかは、自分次第です。

噂をする人たちは、あなたが気にしない限り、あなたを傷つけることはできません。

影響されて不自由に生きるか、影響されずに受け流して、自由でいるかは、自分次第なのです。

その際、プライドが高い人は、影響を受けやすいと思います。

プライドと自信って、似ているようで違うと思います。プライドは見栄につながるもので、ないほうが生きやすいけど、自信は、自分を受け入れるという自己肯定につながるので、ないと大変生きづらい。

人にどう思われても自分は自分、という風に思える人は、自分をしっかり持っているので、人に振り回されたり、影響されたりしにくいでしょう。

自分をちゃんともっていて、いい意味で自信がある人は、オーラが尊厳を帯びるので、周りの人もなんとなく犯しがたく感じ、一目置くようになります。

なので、人と違っていても、いじめられたり、へんな噂もたてられにくくなると思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

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日常の苦痛を減らす方法

今日は、日常生活のちょっとした苦痛を減らし、より快適に生きるためのコツについて、書いてみたいと思います。

それは、「何かをするとき、イヤイヤしない。」ということ。

どっちにしてもやらなければならないことだったら、抵抗して「嫌だなあ」と思ったりせず、ただ、淡々とやる、ということ。

そのためには、「思い切って受け入れる」というちょっとした覚悟が必要になります。これは、マインドフルネスという、もともとは仏教の禅の思想から来ており、今ではアメリカで鬱や不安障害、境界性人格障害等の治療に、心理療法として幅広く用いられているスキルの1つです。

例えば、私はネコを飼っていて、キャットフードの缶とか、それを入れたお皿を、毎日洗わなければならないのですが、魚の生臭いにおいがするから、その仕事は正直好きではありません。でも、それはやる必要のある仕事です。

どっちにしてもネコ缶やお皿を洗うのなら、私には2つの選択肢があります。

1.「嫌だなあ。生臭いなあ。」と思いながら、イヤイヤ、洗う。
2. 四の五のいわずに、ただ、洗う。

嫌だと思いながらなにかをやるというのは、実は本人の選択なんですよね。選択肢があるということは、コントロール権が自分にあるということ。自分で、苦しみを増やす状況を作るか、そうでないかを、選ぶことができるということ。

「ネコ缶とお皿を洗う」という作業に、「嫌だなあと思う」を付け加えると

「嫌だと思う」+「ネコ缶とお皿を洗う」=「嫌な仕事をする」となり、付加価値がついて、苦痛が増すんです。

ここで、嫌だと思わずに、この仕事を潔く受け入れよう、と思うと、ただ、「ネコ缶をお皿を洗う」という労力だけですみ、精神的苦痛は前者よりもずっと減るわけです。

この裏には、実は、「抵抗すれば苦痛が増す」という真理が隠されています。

なにかに抵抗して暴れると、その分、身も心も疲れますよね。それで嫌なことが起こらなくて済むなら、抵抗して暴れる価値もあります。でも、どのみち防ぎようがないこと、やらなくてはならないことであれば、無駄な抵抗をやめ、すすんで行ったほうが、いらない苦痛を感じなくてすむのです。

イヤイヤ物事を行うと苦痛が増す。そしてそれは自分次第でやめられる。避けられないことは、思い切って受け入れて、嫌がらずにすすんでする。このへんを認識して実行すると、日常の苦痛がかなり減って、楽になると思うので、よかったら試してみてください。

                                           Chika

 

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ポジティブとネガティブ

人間は、生来、誰でもポジティブな存在だと思います。

赤ちゃんは、自動的に親を信頼し、愛するようにできています。幼い子供は疑うことを知らないし、羞恥心もありません。

子供は、今に生きているので、あまり先のことを心配したり、過去のことを思い煩ったりしません。

小さい子供の鬱とか不安障害というのは、ないとはいわないけれど(特に不安障害)、大人に比べるとずっと少ないです。

人を信じられなくなったり、羞恥心を抱いたり、鬱や不安症になるのは、その後の経験によるものが大きく、後天的に学習されたものです。いわば、もともと肯定的な性質をもつ心の外側を、タマネギの皮のように、否定的な見方や感じ方が覆ってしまっている状態です。

それゆえ、ネガティブな精神状態になっている大人が、ポジティブに転じて、自由で幸せな心を取り戻すためには、身についてしまったネガティブなものを認識し、それを手放す必要があるのだと思います。

そのプロセスを踏まないで、自分の心の闇から目をそむけたまま、無理やり気持ちを切り替えたり、盛り上げたりして、ポジティブ思考に転ずると、心はやがて悲鳴をあげます。そういう人は、明るく強く見えても、無理をしているのが伝わってくるので、見ていてどこか痛々しいものです。

心というものは、無視されるのを、とても嫌がりますから、認めてもらえないと、ますます大声をあげて訴えかけてきます。

心にあるものは、すべて理由があって必然的にあるのだから、まず、ちゃんとその存在を認めてあげる必要があるのです。その上で、自分を益していないもの、役に立たないものは、選び取って捨ててもいいのです。そして、この「選んで捨てる」という作業は、ちゃんと見て認識して、つながりを持つことにより、初めて可能になります。

だから、ネガティブな感情にも、ちゃんとつながって感じてあげる必要があるということです。

便宜上、ポジティブとかネガティブという言葉を使いましたが、本当は、心にあるものに、いいも悪いもありません。だから、「ポジティブ」な感情、「ネガティブ」な感情というのも、本来、ありません。すべての感情は、必要があってそこにある、ただそれだけです。だから、こういう感情を持ってしまった、と自分を責める必要も、一切ありません。

ただし、自分の本当の幸せを実現するにあたり、役立つものか、そうでないか、というのはあります。例えば、怒りを持ち続けたり、人を恨んだり、嫉妬したりすると、それがいい悪いというのではなく、その感情にとらわれている間は、幸せを感じにくくなりますよね。 

でも、怒りを感じたり、恨みを抱いたり、嫉妬心を感じるということは、そう感じる理由があるはず。それが自分にとって幸福な状況ではない、とうメッセージを送っている感情たちは、裏をかえせば、何が自分にとって幸せか、何がそれを阻害しているのか、というメッセージもはらんでいるはずです。

それにちゃんと気づいてあげることは、大切だと思います。

光を感じるためには、闇も必要。結局、闇から目をそらさず、ちゃんと見てあげることによって、はじめて、本来もつ光が輝き出る、ということです。

 

 

                                             (Chika)

 

 

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思考と直感

私の高校時代、古典の先生が、

「テストで、最初に書いた答えと、書きなおした答えと、どっちが合っているか迷ったら、たいてい、最初の答えが合っているもんや。」

と言ったことがありました。

そのときは、

「そういうものかな。でも、どうしてだろう。」

と、不思議に思ったものでしたが、今なら、それがどうしてか、わかる気がします。

その先生は、お寺のお坊さんと高校教師の仕事を兼任していて、お経を読みなれているせいか、一本調子の声で、眠くなるような、恐ろしく退屈な授業をする人でしたが、なかなか鋭いことをいう人だったなあと、今は思います。

どうしてか。

なぜなら、最初に書いた答えは、直感によるもので、書きなおした答えは、思考によるものだから。

そして、いつでも、思考より、直感に従うほうが、誤りのないものだから。

正しい答えを知っているのは、頭ではなく、感覚なのです。

英語で直感のことをgut feelingというのですが、gutというのは内臓とか、はらわたという意味があります。肚の位置には太陽神経叢という神経のかたまりがあり、ここは、ヨガでいうところの、第三チャクラ(ソーラープレクサス)というエネルギーセンターに当たります。

自分を益するものか否かのYes、 Noを、私たちの直感は、このエネルギーセンターを通じて教えてくれることが多いんですね。

直感というのは、潜在意識につながっており、潜在意識というのは、顕在するものしかとらえられない私たちの思考よりも、もっとずっと包括的な視野を持ち、比較にならないくらい賢明なものなのです。

なので、頭でせっせと分析して考えるよりも、直感に従ったほうが、正しい方角に導かれるわけです。

ただし、現代人は、たいてい思考過多で、頭を使いすぎる傾向にあり、感じるということをあまりしていないので、感覚が鈍っている場合が多い。なので、直感の声を聞き分けることが、なかなかできない人が多いのだと思います。

直感の声というのは、ある程度リラックスしているとき、頭のおしゃべりが静まっているときに、聞こえてきやすいものです。あわただしく時間に追われ、緊張したり不安に駆られたりすることの多い生活を送り、いつもあれこれ考えて頭を働かせて、外からの情報で頭をいっぱいにしていると、自分を導いてくれるgut feeling、肚のあたりの感覚に気づくことができなくなってしまいます。

直感のサインを無視していると、結果、流れに乗ることができず、自分の人生を複雑で面倒なものにしてしまいます。ちゃんと道しるべを見て、正しい道を行っておけば、もっと楽にスムーズに行けたのに、違う道を行ってしまったがために。行き止まりや工事中がたくさんある面倒な道を迷いながら行き、さんざん遠回りして消耗してしまう、という感じでしょうか。

そうならないためにも、1日1回、わずかな時間でもいいので、思考を鎮めて頭を空っぽにし、心を落ち着かせる時間を持つようにすること、普段から、自分の体の感覚や、周りの景色や音などに意識を向け、「感じる」訓練をしておくことは、有益で大切なことなんじゃないかと思います。                                                                                                                                                (Chika)

 

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