盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幸せの作り方

「どうしよう」をやめる

そういえば、近年、「どうしよう」と思い悩むことがなくなったなと思います。

クライアントさんにも必要に応じて伝えていることですが、問題は実際に起こって、目の前にあるときに対処する、まだ起きていない厄介ごとは、直前まで考えない、というのを、日ごろから自分でも実践しているからだろうと思います。

未来の厄介ごとで、まだなすすべのないことは、どうしようもないわけで、どうしようと思うだけ、無駄。もっと建設的なことに使えるはずのエネルギー消耗してしまい、役に立たないどころか、有害です。

実際に問題が目の前にあるとき、元気(自分の氣のエネルギー)が温存されていたほうが、消耗されて少なくなったエネルギーでことに当たるより、当然、よりよく対処できます。わかりやすいところでいうと、例えば、疲れて集中力や判断力が鈍っている状態で問題に対処するより、疲れていない頭で考えたほうがいいということ。

実際に問題が形をとって目の前に現れるまえに、つまり、実態がない状態で、頭を働かせてあれこれ考えても、その解決策は、問題にフィットしないことが多いものです。それが実際に目の前に具現化したとき、その場で感覚的、直観的に思いつく解決策のほうがずっとフィットするもので、それはその時にならないと湧いてこないものです。

その時になったら自分がうまく問題を対処できる力を持っているという自己信頼は、とても大切です。

こうなったらどうしよう、を手放すと、氣の無駄な流出を防ぐことができるので、元気を保ちやすくなり、何よりもとても楽になりますよ。

 

「自分」を基準にする

日本人は、アメリカなどの個人主義と違い、集団主義の文化を持つ国民性があります。これは、周囲との調和を重んじ、自己主張せず、他者を慮るといういい面がある一方で、他者の目を非常に気にして自分の気持ちや考えを抑制するという傾向にもつながります。

アメリカから帰ってきて、日本でカウンセリングするようになって思うのが、非常に多くの人が、人目を気にし、自分を持たないで生きているがゆえに、色々な心の問題を作り出してしまっているということです。

そのことに関して、とても明快で深遠な説明がなされている本があるので、一部、ご紹介したいと思います。

ディーパック・チョプラ著、渡邊愛子訳の「富と成功をもたらす7つの法則」(大和出版)という本ですが、インドの古典であるウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの奥義を説いた哲学書が元になっているようです。

チョプラ氏によると、自己志向と対象志向があって、自己志向は純粋な自己を経験している状態、つまり、自分が指針になっている状態、対象志向は、意識のフォーカスが自分の中のエゴであり、自分の外側にある状況や環境に大きく影響される状態になります。チョプラ氏いわく、「エゴは本当の自分ではなく、社会的仮面であり、あなたが演じている役割、あなたのセルフイメージ」です。

対象志向であると、自分の姿が周囲の目にどう映るかを非常に気にし、常に人の承認を求めたり、人を自分の思い通りにコントロールする欲求を持つことになります。不安がとても強い状態です。この状態では、深いところにある行動のモチベーションが恐れなので、安心を得るために外部のパワーを強く欲することになります。人に認められたり、いい成績や業績をあげたり、地位や名声、お金や物がたくさんあったりすると、一時的に安心する。けれども、これらはすべて自分の外にあるパワーの元なので、変わりうるものであり、いつか消えてしまうもの。それらがあるときはいいけど、なくなるととても不安定になる。だからいくらあっても不安で満たされず、強迫観念的にもっと欲しくなる。自分を保つために、物や人に依存しなければなくなるわけです。

これに反して、自己志向であると、人に認めてもらったり、人を支配してパワーを得たりする必要性を感じなくなります。外部のものと比較して自分を計ることをしなくなるので、自分が人より劣っていると感じず、勝っているとも感じない。謙虚で相手を敬うが、人の批判を恐れず、何を言われても動じない。恐れから解放されているので、自分が思う通りに動き、自分自身の魂が喜ぶことをする。自分で自分を満たすことができて、とても楽だし、幸せなんですよね。この状態でいると、人の承認とかお金など、色々な豊かさは勝手にやってきます。必死に求めているわけではないのに、向こうからやってきます。

チョプラ氏の言葉で、なるほど、その通りだな~と思ったのは、「エゴは疲れる」ということです。エゴに焦点が当たっていると、非常に疲れるんですよね。常に人にどう思わるか、自分が嫌われていないか、認めもらえるかどうかを強烈に意識するので、精神エネルギーの消耗がハンパないわけです。例えば、学校とか職場に行って、1日過ごすにしても、エゴに焦点が当たっている意識状態の人と、自分自身の本質から動いている人だと、同じ量の勉強や仕事をこなして帰ってきても、疲れが全然違うということになります。

時々勘違いされている方がいるのですが、「自分が喜ぶことをする=自己中心的」ではないんですよね。もし、自分の時間や労力をさいて人を助けることが、自分の喜びになるのであれば、それをすればいいわけです。でも、「やらないとほかの人になんて思われるか。自分勝手だと思われるんじゃないか。だから嫌だけどしなきゃ。」というのは、自分の外にあるもの、周囲の目が基準になっており、深いところではエゴに基づいた行動選択だと思います。なので、その行為が終わった後、人助けをしたはずなのに、虚しかったり、いら立ったり、悲しくなったりして、否定的な気持ちになるわけです。もし、疲れることや煩わしいことであっても、それが本質的に自分の喜びになる行為であれば、その行為が終わった後、疲労とともに心地よい満足感や純粋な喜びを感じられるはずです。

今の日本では、多くの人が、対象志向になっているために、幸せになれないでいると感じます。自己志向の行動選択をしていくと、流れに乗って、いろいろなことがうまく行き、自分のみならず、周囲の人も幸せにすることができるようになります。

では、どうやって自己志向になったらいいかというと、やはり、心を静かにして、周囲に向いていた意識を自分に向けなおし、自分を感じることは必須だと思います。チョプラ氏は、朝晩最低30分の瞑想を勧めています。もしそれができれば、多くの心の問題は改善していくと思いますが、したことがない人にいきなり30分の瞑想は難しいかもしれません。そういう場合は、今、やっていることをやめ、ただ座って、自分の中を静寂に保つ時間を数分でもいいので持つこと、「何かをする」のではなく、何もせず、ただ「ある」「存在する」、静かな時間を持つことから初めてみたらいいと思います。

 

 

 

新年のごあいさつ

2019年、あけましておめでとうございます。

自分のライフワークであるカウンセリングを行うにあたり、大事なことは、目の前にいらっしゃるクライアントさんの幸せを祈る気持ち、それから、自分自身の心を普段からできるだけ透明で良い状態に保つこと。この2つだと思います。

これからも自分なりに精進していきたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

松島で撮った、今年元旦の初日の出です。

 

嘘をつかないこと

人にも自分にも嘘はつかないほうがいいです。

自分の内面にあるものを外に向かって表現するとき、そこに矛盾があると、自分の中に曇りが生じます。

例えば、本当は怒っているときに、怒っていないという。そうすると、微妙に胸がつかえるような、モヤモヤするような感じがするはずです。本当はうれしいときにうれしくないふりをするのも、心に微妙なストレスを与えます。一回一回は小さなストレスかもしれませんが、これが蓄積されると、自分の内面に停滞が生じます。つらい時にはつらいといったほうがよく、辛くないふりをして笑うと、心の痛みが逃げ場を失ってふさがれたような重苦しさを感じるはずです。

自分の中に生まれた思いや感情は、ありのまま、外に向かって表現すると、矛盾がなく、自分のエネルギーがスムーズに流れます。ところが、それを抑えたり、あるのに認めなかったり、無理に別のものに変えたりすると、自分のエネルギーに滞りが生じるんですね。

エネルギーの滞りというと、抽象的でわかりにくいかもしれませんが、気持ちの上では、つまったような、スッキリしない感じがしますし、気の流れが悪くなり、身体的にも血流が悪くなって、肩が凝ったり頭や腰が痛くなったりして、体の不調にも現れやすくなるでしょう。

自分の思いや感情をありのまま認めて、素直に表現してあげないということは、結局のところ、自分自身を尊重しないということになります。そうすると、知らず知らずのうちに自尊心が損なわれていくんですよね。自尊心が損なわれると、人間関係を含め、色々なことがうまくいかなくなっていくものです。

そういうわけで、思ったこと、感じたことは、そのまま外に向かって表現する=嘘をつかず、自分の中の真実をコミュニケートするということは大切です。それをしていれば、曇りがなく、自分の中がすっきりしてクリアになっていきます。そうなると、晴れの日の空のように、気分がよくいられることが多くなり、例え嫌なことがあっても、引きずらないで、比較的すぐに手放すこともしやすくなります。

とはいえ、人に対しては嘘をつかなければならないことが、生きているとままありますね。本当のことを言ったら相手やほかの人が傷つくとき、自分やほかの人がとても困った羽目に陥るとき。嘘も方便という言葉があるから、そういう時は嘘をいうのも仕方がないこともあるでしょう。そんな時大事なのは、少なくとも、自分が嘘をついているということを認識すること。嘘をついていることを知りながら、嘘をつくこと。無意識には嘘をつかないことです。自分が何をしているか知って行うということは、少なくとも、自分には嘘をつかないことになるからです。

誰に嘘をついても、自分にだけは嘘をつかず、正直でいることは、非常に大切です。これは、自分を尊ぶことを意味し、自分自身とよい関係でいるということにつながります。自分を欺いてばかりいると、自分というアイデンティティが混乱して、自分が一体どうしたいのかわからなくなり、そうなると、混乱した、うまくいかない、不幸せな人生になってしまうでしょう。

可能な限り、真実を語ることを選択していくと、人生は好転していきます。試してみてください。

 

 

 

 

生命エネルギーを取り入れる

近年の社会では、生命エネルギーを取り入れる機会が少なくなっています。寿命が延びても心身を病む人が多く、本当の意味で元気な人が少ないのは、おそらく昔と比べて、生命エネルギーに乏しいのも一因ではないかと思います。

例えば、ビルの建物の部屋に入ると、窓がほとんど開けられないようになっており、年中閉め切られていることがあります。空調だけでは、外の自然な空気に含まれる、プラーナという生命エネルギーを多く取り入れることはできないので、そういう部屋では、息苦しく感じます。

近年の文明社会では、冷暖房設備が整っている分、概して、室内に生命エネルギーが不足しています。少しくらい暑くても、窓を開けていたほうが、新鮮な空気が入ってきて、気のよどみはなくなります。なので、可能ならば、寒くても暑くても、時々窓を開けて、空気を入れ替えたほうが、心身は活性化されるでしょう。

空気中にあるプラーナというのは、肉眼でも見える人は見えると思いますが、私には、自然が豊かだったり、空気が澄んでいるような場所では、半透明の小さな粒子が、オタマジャクシのように活発に動き回っているように見えます。都会の汚れた空気では、あまり見えないようです。私たちは、このプラーナを、呼吸を通じて、体内に取り入れています。プラーナが少ないと、肉体も精神も不活性になり、元気がなくなります。

感情的に傷ついた体験が多い人、恐れや不安が多い人は、深呼吸ができないことが多いです。そういう人は、ふだんから呼吸が浅く、胸式呼吸しかできないために、丹田(おへその下あたりにある、エネルギーの貯蔵庫)のほうまでプラーナを取り入れることができません。そうなると、慢性的にエネルギー不足になり、生命エネルギーの低い状態になってしまいます。具体的にいうと、疲れやすく、生き生きと物事をとらえることができず、困難な状況に立ち向かう気概や体力も乏しい状態です。

感情な傷つきが大きいと、人は、体験することを避けようとします。生命エネルギーをたくさん取り入れるということは、フルに生きるということでもあり、たくさんの感覚を鮮明に感じるということにもなります。そうすると、楽しい、うれしい、感動するといった肯定的な体験もビビッドに感じますが、悲しみや恥などの否定的な感情も生々しく感じることになります。恐れの強い人は、無意識にそれを避けようとするために、呼吸が浅くなります。感覚や感情といったシグナルにあまりアクセスしないように自己防衛してしまうのです。

ここで問題になるのが、傷ついた体験というのは、フルに感じることによってのみ、そこから学び、そこで生まれた感情を開放して、前に進むことができるということです。なので、呼吸を控えて、中途半端にしか生きないでいると、いつまでたっても、肉体や心に刻まれたマイナス体験を消化することができません。古い空気がおなかの底にとどまったまま、出ていけない図を想像すれば、わかりやすいと思います。おなかから深く呼吸をして、古い空気を体の外に吐き出し、新しい空気を取り入れるという作業を、常日頃からやっていると、古い感情を心の奥底に沈めたまま、手放さず、しがみつくといったことも少なくなります。エネルギーが循環しやすいので、嫌なことがあっても早く切り替えができるようになっていくはずです。

近年の生命エネルギー不足は、空気のみならず、水や食べ物によるところも大きいと思います。

自然のままの汚れていない水には、ミネラルなどの身体や心を元気にしてくれる物質がたくさん含まれています。けれども、最近では、ほとんどの場所で水は汚染されていて、それを人工的に殺菌洗浄しているために、かえって体によくないものになっています。

農薬を使わず、自然の微生物やミミズやモグラたちが肥やしてくれた土地で育った、収穫したばかりの農作物には、たくさんの生命エネルギーが含まれていますが、最近はそういう食べ物を手に入れるのは困難です。冷凍食品や缶詰などの加工食品は生命エネルギーがほとんど失われています。添加物を多量に含むコンビニのお弁当は、ほとんど生命エネルギーが死んでいているばかりか、化学的は人工物のために、かえって体によくない食物になってしまっています。

気を付けてよく見れば、見ただけで、それが生命力を放っているかどうか、体にいいものか悪いものか、わかってくると思います。生き生きと自然な色を放っているかどうか、食べ物が元気そうかどうかで見分けがつきます。普段から汚染されたものを食べず、清浄なエネルギーを含む食物を多く食べていると、食べただけで、体が欲しているものか、それとも毒素を処理しなければならないゆえに体に負担をかけるものか、体が教えてくれるようになります。

生命力を高めて、心と体を元気に保つために、新鮮な空気を体に多く取り入れること、新鮮な水や食べ物を摂取することは、大切だと思います。今まで、心身をけがしてしまう生活パターンを築いてしまっていたなら、ちょっと見直してみて、できることから変えてみてはいかがでしょうか。

 

エネルギーの使い道

自分の限りあるエネルギーの使い道って大事だと思います。

何に使うか、ってこと。

未来のことをせっせと思い煩って消耗させるか。不安とか恐れって、すごくエネルギー消耗しますからね。

周りにアンテナを張り巡らせて、人が自分をどう思うかに気を遣うか。それって、本当に必要な警戒網ですか。

それとも、周囲に怒りの矢を放って、威嚇することにエネルギーを使うか。そうしないと、安全な気がしない?攻撃されると思う?傷つけられると思う?それは、今、現在の脅威ですか?それとも、過去に傷ついた体験からくる恐れがもとになっている?なら、無駄に疲れるってことになるのでは?

それから、毎日消耗するエネルギーは、ちゃんと補給できていますか?

どうやって補給するか?

うれしい、楽しい、癒される、ありがたい、きれい、感動する、リラックスする、愛しい・・・。こういう感情体験は、エネルギーをアップします。

怒りや悲しみ、後悔、罪悪感、恐れ、心配、不安がエネルギーを奪うのと反対に。

自分のエネルギーを、必要なところに与える、世の中のために何かいいものを生み出す、自分を高め、成長させる等、建設的な使い方をすること。そして、使った分はちゃんと補給して、自分を満たしてあげること。

それができれば、バランスが維持され、生き生きと生きていくことが可能になるのだと思います。

 

 

競争なき時代

いろいろな人の相談を受けていて思うのですが、いかに競争に勝つか、人より秀でて人より多くを持つか、いかに成績や業績を上げ、周囲に評価されるか、といったことに価値観を置いている人が、壁にぶつかる時代になってきています。

今まで、社会がそういう価値観を奨励するシステムになっていたために、多くの人が、いつのまにか頭に刷り込まれた「社会一般でいいとされるもの」を、盲目的に追い求めて励んできました。

しかしながら、争って、人を蹴落とし、自分が獲得するという、競争に基づいた価値観というのは、劣等感や優劣感を生み出し、人と人とを分離させ、孤独にさせるという結果をもたらすのが必至です。

また、物質的な豊かさだけを目安にしているため、すべての物質がそうであるように、手に入れたものが与えてくれる喜びは、一時的な満足感にすぎません。はかなく消えていき、あくなき欲求をかきたてるようになっており、決して満たされることはありません。

そんな古い(と私には思われる)社会的価値観に翻弄され、疲弊して、気持ちが休まることがなく不安にさいなまれ、心を病む人が大勢います。必然の結果だと思います。

勝ち負けではなく、自分も人も生かすやり方とか、人と人との愛情あるつながりとか、精神的な喜びに焦点をあてる人のほうが、幸せになっていくでしょうし、これからの時代を生き延びて生けるように思います。

臨床の現場でも、そんな価値観を持っている人のほうが、人生を楽しみ、うまく社会で成功して生きていっているなという印象を受けます。

古い見方、やり方では立ち行かない場合、体験の結果として、余儀なく自己改革をせまられる前に、方向転換してみてはいかがでしょうか。

 

 

自分と一緒にいる時間をもつ

「ひとりでいる時に、自分自身と一緒にいて心地よくない人は、自分の不安をおおいかくすために、人とのつながりを求めるようになります。そうすると、交流するうちに、不安がなんらかのかたちで表面化してくるようになります。しかも、たいていはそれを相手のせいにするものです。」

これは、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(飯田史彦監修 エックハルト・トール著 あさりみちこ訳 徳間書店)の中の一文ですが、とても真理をついていると思い、引用しました。

こういう人は、自分の本当の気持ちを見ることが怖いので、静かな時間をもつことを恐れ、いつも何かで意識を埋めようとします。誰かと一緒にいることで、意識をそらそうとすると、対人依存になります。

一人静かな時をもつと、自分の本心が浮上してきやすくなります。本当は、例えそれが痛みを伴う感情や思いであったとしても、それは心を正しい方向に保つために必要不可欠なので、一人になり、自分自身と一緒にいる時間をもつことはとても大切なのです。それをしないということは、結果として、心は乱れ、意識の混乱を招くことになります。正しい方向を示してくれる道しるべを見ようとしなければ、道に迷うのと同じです。

そうすると、自分の中にある不安を見ないために、対人関係において、関わった相手に自分の中の未消化の気持ちを投影するようになってしまいます。その結果、不満を抱きやすくなり、悪いことは相手のせい、というスタンスにもなりやすくなるでしょう。

意識の焦点が概して他者にあり、ずっと相手に対する不平不満を言っていて、かたくなに自分の深いところにある気持ちに目を向けたがらない人は、残念ながら、カウンセリングを受けても、なかなか効果が現れません。カウンセリングというのは、今、幸せでない原因を、自分自身の中に見つけて、自分が変わることを目的とするものですが、他人の悪いところだけを見て、他人のありかたを変えようとしている限りは、うまくいきません。当然、それをしている限りは、人との関りで、うまくいかない、苦痛な関係が続いてしまいます。

自分自身と一緒にいるための静かな時間は、本来は怖いものなどではなく、とても心地いいものです。それが怖いという人は、試しにやってみればいいと思います。ずっと自分から気持ちをそらしてきた人は、初めのうち、たくさんの思いや感情が出てきて、圧倒されるように思うかもしれませんが、それはずっとは続きません。でてきた思いや気持ちをただ眺めて、認めてあげると、それはいずれ、必ず消えて行ってしまうからです。それらが出ていくと、穏やかで、静かで、満たされた感覚が訪れます。

自分自身とよい関係ができていると、人との関係もうまくいくものです。逆に言うと、自分との関係がよくない人は、人を回避して孤独に陥ったり、共依存になったりして、うまく人と関わることができないでしょう。心のバランスが乱れがちな人は、一日2~3分でいいので、携帯を見たり、人と話したり、ネットを見たり、忙しく頭を働かせて過去や未来のことを考えるのをやめて、静かにただ今の自分を感じる時間を持ってみるといいかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あやうさを生きよ

老子の言葉で、いいなと思うものを引用します。

 

生きるためには、

ものごとの根源に立ち返り、

自らを、そのあやうさにゆだねればよい。

確かなものにしがみつこうとするから、

確かなものに頼ろうとするから、

あなた不安になってしまう。

あなたには、そのあやうさを生きる力が、与えられるというのに。

「Tao 老子の教え」 安富歩  ディスカバートゥェンティワン社 より

 

 

不安症の人は、予測不可能のものを嫌い、確かなものを求め、必死になる傾向があります。

でも、すべてが変化して形を変えていくこの世界では、確かなもの、ずっと続くものなんて何もないわけです。

例外のないルールなんてない。

すべては固定ではなく、あいまいで、一時的なもの。

それなのに、確かなものにしがみついて、安心しようとすると、それが形を変えたり、それを失ったりしたとき、よりどころがなくなって、心のバランスを欠くわけです。

あいまいなもの、今すぐははっきりしないこと、予期したのと違うものに、私たちは耐えうるし、それを受け入れたほうがが、ストレスなく生きられる。

水のように柔軟であれば強いという、老子の教えは、とても的を得ていると思います。

臨時休業のお知らせ

勝手ながら、明日3月20日(火)より24日(土)まで、お休みさせていただきます。

その間いただいたお電話やお問い合わせメールのお返事は、25日(日)以降にさせていただきますので、ご了承くださいませ。

ご不便をおかけして申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。<(_ _)>