5年前の3月11日、私はまだアメリカに住んでいました。
当時、テレビを見ない生活を送っていた私は、東日本大震災のことも知りませんでした。(ちなみになぜテレビを見なかったかというと、当時、悲惨なドラマやニュースさながらの壮絶な話を聴くのが日常だったため、オフの時までメディアに触れてそういう話にさらされたいと思わなかったからです。)
その頃、私の車での通勤ルートに、何十年もホームレスだった、あるクライアントさんの住むアパートがありました。彼は筋金入りのアルコール依存症で、初めて会った頃は砂漠の真ん中に寝て暮らしていました。その時は彼はまったく希望がない状態で、鬱がひどく、差し迫った希死念慮もあり、実行するためのピストルも砂漠に隠し持っていたので、とても危ない状態でした。でも私たちのカウセリングエージェンシーに来るようになって、精神療法やデイプログラムに加え、ケースワーカーもついて、ハウジングプログラム(無料で家をあてがうプログラム)に加入させることができ、なんとか人並みの生活ができるようになっていた人でした。(確か精神科医の薬物療法は拒否し、受けていなかったように記憶しています。)
彼は私が通勤する時間になると、いつもアパートの前に立ち、私が通る車に合図をするのが日課でした。2011年3月11日、いつものように朝、通りすがりながら彼を見たのですが、この日はいつもと違って、頭の上で大きく手を振って、今思えば、私に一生懸命合図を送っていたのです。
それから15分後、出勤して朝の準備をしていた私のオフィスに、このクライアントさんから電話が入りました。
「チカ、大変だ。日本で大地震が起こった。それだけ知らせようと思って。チカの家族や友達は大丈夫か?」
この人は電話を持っていなかったのですが、知り合いの電話を借りてかけてくれたのでした。その時、私は日本でどれほど大変なことが起こっているか知る由もなく、彼の知らせを受けても、
「日本の地震ならこっちでも時々報道されるけど、いつもたいしたことないから、今度も大丈夫だろう。」
と楽観的にとらえていました。想像をはるかに超えた規模の地震と津波が、私の母方の親戚たちの住む東北沿岸を襲ったことを知ったのは、その日、仕事が終わって帰宅してからでした。
岩手の沿岸に住むいとこに連絡を取ろうとしてもつながらず、その後、私は毎日、空いている時間はインターネットで親戚の安否確認をするのに費やしました。1週間ほどたって、津波の時刻仕事で陸前高田にいた、一番心配していたいとこの生存が確認できたときは、とても安堵したのを覚えています。
アメリカでも、東日本大震災は大ニュースでした。同僚も心配してくれましたが、それよりも、自分自身とても辛い思いをしているはずのクライアントさんたちのほうが、本当に親身になって心配してくれたのには、心を打たれました。
ある男性の重症のクライアントさんは、生活保護を受けており、お金の心配をいつもしているのにも関わらず、
「チカ、今日、赤十字に20ドル寄付しにいったよ。日本の人たちのことを考えたら、いてもたってもいられなかったよ。お気の毒になあ。」
と、涙を流してくれました。この人は不安が強く被害妄想的で、かつ、事故の後遺症で慢性的な痛みを抱えている人だったので、カウンセリングに来てもいつも怒った顔をしていて不機嫌な人だったのですが、本当はとても優しい心をもった人だったのです。
東日本大震災は、世界中の人の善意や祈りが国境を越えて、日本に集まった時でもあったと思います。そして、自分が傷ついて、辛い思いをしたことのある人のほうが、他人に対して優しくあり得るものです。思いやりは人と人をつなぎ、双方の心を満たします。憎しみや争いや競争が、人と人を切り離し、双方の心を荒ませるのとは真逆に。
震災で亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、生きておられる被災者の方のお気持ちも癒されるようにお祈りいたします。