おじゃま虫

机に向かってなにかしていると、だいたい机に飛び上がって、スペースを占領してしまう、ニャンさん。

いつものことですが、たいへんに邪魔です。(-_-;)

押しのけても押しのけても、戻ってこようするニャンさんと、せめぎあいになり、毎日のように人間とネコ間で、バトルが繰り広げられています。

ちょっとやそっと怒っても、本人は怒られているとは思わないらしく、のどを鳴らして甘えています。(左の写真)

バトルに疲れてこっちがあきらめ、放っておくと、そのうち、机の上で寝てしまいます。(右の写真)

 

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ちなみに、このときやっていたのは、9月6日に盛岡で開催予定のセミナーの、資料の手直し。

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今回は、2時間半時間を取っているのですが、盛りだくさんの内容になってしまい、これも話したいし、実践的なエクササイズも盛り込みたいし、時間内にどこまでやれるかな・・・(-“-)と、時間配分を検討中。

内容のごく一部だけご紹介すると、写真の左側のページでは、感情の2つのレベルについてや、感情が体や感覚とどう関係しているか、右側のページでは、「マイナスの感情」と呼ばれる(本当は感情にマイナスもプラスもないのですが)、怒りや恐れ、恥等の感情をひとつひとつを取り上げて説明し、それぞれどのように対処したらいいか、記載しています。他にも、心の傷を悪化させる要因や、傷ついた心をどうやって自分で癒したらいいか等、かなり濃い内容になっていると思います。

まだ空きがあるので、盛岡近辺で参加ご希望の方がいらっしゃいましたら、こちらのご予約・お問い合わせフォームよりお申込みください。(お電話でのお申込みも受け付けております。)

           (Chika)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

*セミナーの詳細はこちらになります。

内容:「感情の扱い方・心の癒やし方」

日時: 9月6日(土)AM: 9:30-12:00
場所: サンライフ盛岡 (仙北2丁目4-12)
内容: 心理学講座「感情の扱い方・心の癒やし方」
参加費用: 800円 (資料代込)

                              )

 

 

 

受信と発信

「どうしよう。どうしたらいいんだろう。」

と、あれこれ考えつづけていても、答えが見いだせない時。

「ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう。」

と、不安にとらわれているとき。

そんなときは、いつまでもぐるぐる考えつづけるよりも、いったん、問題を棚上げして、頭を空っぽにし、リラックスした方がいいと思います。

そうすれば、いい解決方法や、必要なアイデアが降ってくることがあるからです。

頭がぐるぐる働いて、誰かに対し、または自分の心の中で、おしゃべりを続けているときは、いわば、発信モードになっているとき。思考を生み出すためにマインド(頭)が働いている状態、例えるなら、発電機が動いて、自分から電波が発信されている、といった感じでしょうか。

でも、あまり四六時中うるさくおしゃべりしすぎると、「聴く」ということができなくなります。何を「聴く」かというと、インスピレーションの声、直感の声です。

直感は、潜在意識の奥にある、自分の中の叡智(神性)に通じているのですが、こことつながるためには、受信モードにならなければなりません。受信モードは、頭を休めて、体をリラックスし、心を落ち着かせ、感覚がオープンになっているとき、一番、感度がよくなります。だから、そういう状態のとき、自分に必要ないい考えが、ふと頭に浮かんだりするのです。

想像上の例えで言うなら、神様と電話をしているとして、発信モード全開で、こちらから一方的に

「神様、大変なんです。どうしたらいいでしょう。私、もう、だめかもしれません。・・・」

と延々と話し続けていると、 神様が

「それをなんとかするにはだな、まずこうして、それからああして・・」

と、せっかく教えてくれていても、自分の声がうるさくて神様の声が聞こえないという状況になってしまう、ということです。

発信モードでひとしきり訴えた後は、おしゃべりをやめて受信モードに切り替え、耳を澄ませて相手の声を聴きとることが大切です。

潜在意識から降りてくる声というのは、通常、とても繊細で微妙、か細い声なので、気持ちを落ち着かせ、集中して、よく聴きとらなければなりません。

そのためにも、不安にとらわれて、出口が見えなくなっているときは、いったん心のおしゃべりをやめて頭を空っぽにし、心静かにリラックスすること。

ちなみに、不安なときは、おしゃべり(相手がいるなら相手に対して、一人なら心の中のおしゃべり)がインスピレーションとのつながりを邪魔するのに対し、うつ状態でふさぎ込み、何も考えられなくなっているときは、いわば、自分で電話線を抜いて、直感の声をシャトアウトしまっている状態です。自分からつながろうとしておらず、聴く耳を持たないでいるという点では同じですね。

どんなに苦しいときにでも、そこを通り抜けて、光差す場所に出るための導きというのは、必ずあるはずです。それを得るためには、心の耳を澄ませて、受信モードになり、受け入れるだけのスペースを、自分の中に作ってあげること大切なのだと思います。

                                           (Chika)

 

 

 

 

 

形あるものを超えて

私たちの世界では、形あるもの、目に見えるものは、いつか滅びてなくなるようにできています。

人も、動物も、植物も、建物も、本も、みんなそうです。

目に見えるものだけにフォーカスするなら、このしくみは虚しく思われるかもしれません。何かを作り上げても、どうせいつか消えてなくなるのですから。

でも、よく観察してみるならば、形なきもの、目に見えないものは、もっと持続的であることのがわかると思います。

存在するものは、目には見えないレベルでは、もはや失われることなく、個が全体に影響し合い、常に変化を続けながら、持続する。それがこの宇宙全体で繰り広げられている、永遠の創造の過程だと思います。

例えば、私が尊敬し、思想的に影響を及ぼしている人の一人に、マルクス・アウレリウス・アントニヌスという人がいます。

この人は、ローマ五賢帝の最後の賢帝と言われ、常に公的な幸福を考えて、非常に賢明かつ献身的に国政を摂ったために、彼の統治下のローマは平和と繁栄を享受しました。

マルクス・アウレリウスは、忙しい日々の中で、自分を振り返り戒めるために、「自省録」という日記を残していたため、彼の思想は後世に知れ渡ることになりました。日本では、精神科医の神谷恵美子さんが独学で学んだギリシャ語から訳した本が出ています。(ちなみに、神谷美恵子さんも、私がとても尊敬している人の一人です。)

マルクス・アウレリウス自身は、1800年以上も前に亡くなっていますし、「自省録」の原本は、現在、どこかに保管されているのかどうか知りませんが、あったとしてももう、あまり原型をとどめてはいないと思います。

けれども、マルクス・アウレリウスが苦悩の多い人生を生き抜き、その体験の中から生み出した思想や気高い生き様は、彼の身体が滅びた後でも、目に見えない形で、たくさんの人に多大な影響を与えています。

1800年以上後になって、ローマからは遠く離れた日本に一個人として生まれ、生きている私もその一人で、何度も繰り返し読んだ「自省録」を通じて、マルクス・アウレリウスには、慰めや励ましや勇気をたくさんもらいました。

実際のところ、本そのものよりも、本の中に根づいているマルクス・アウレリウスのもつ魂に触れたことにより、感銘を受けて、自分の中にポジティブな変化が起こったというほうが、正確だと思います。

そして、マルクス・アウレリウスの思想を取り入れ、(願わくば)アイデンティティの一部に取り入れた私自身も、いつか誰かに、その部分から何らかのメッセージを伝え、いくばくかの影響を及ぼすことがあるかもしれません。

このようにして、私たちは、形あるものよりも、むしろ形の向こう側にある見えないものを通して、お互いに影響を与え合い、変化を起こしあっているのだと思います。それは、常に止むことなく起こっていて、永遠に続く、目に見えない化学反応のようなものです。そして、これこそが創造のプロセスなのだと思います。

この世に存在するすべものは、この創造のプロセスに関わっており、だから、私たちの取る行動や発する言葉(目に見えるもの)、頭で考えることやよぎった感情(目に見えないもの)、すべてが、意識する・しないに関わらず、世界を変えうる要素になるということです。

単純にいうと、傷ついた人が多ければ、世の中は悲しい場所になるでしょうし、悪だくみをする人が多ければ多いほど、世界はすさんだ場所になるでしょう。優しく正直な考え方をする人が多ければ多いほど、世の中は安心して安らげる場所になるでしょう。

ここをどんな世界にするかは、その構成要因であり、クリエーター(創造する者)である私たち一人ひとりにかかっているということ。私たち一人一人に、創造のパワーが宿っているということなのです。

そう考えると、私たちの1人1人がこの世界において大切な役割を担っている、意味のあるかけがえのない存在なのだと思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光の変化

いつ頃からだったか、はっきりとは覚えていませんが、太陽の光の輝きが、以前よりも質や量において、変化していると感じるようになりました。

私がまだアメリカのミネソタ州に住んでいた頃なので、多分、10年近く前かもしれません。

ミネソタ州はカナダに接する州で、北国なので、太陽の光も冬はとても弱いのです。

それでも、太陽の光の輝きがはっきりと増して、以前よりも強く美しくなっているように感じ、よく見とれていたのを思いだします。

詳しいことは知りませんが、実際、太陽の爆発現象(太陽フレア)が活発化しているようなので、光に異変が起こっていることは事実だと思います。

弱い光の下では、影もあいまいですが、強い光の下では、影もくっきり浮かび上がります。

社会や個人が抱えている問題に光が当たって、隠しようもなく表面化し、直面せざるを得ない時代になっているのだと思います。

 

 

 台風が去って空が現れた後の光を反射するカテドラルクォーツ。

雨と風で清められ、塵やほこりなど余分なものを一掃した後の大気は、より純粋な太陽の光を通すので、反射する光もきれいなのだと思います。                                                                                                                                                    (Chika)

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変な噂を広められたら。

自分に関する悪い噂が広まったとき。

噂をする周囲の人の目を気にすると、何よりも自分が不自由になります。

人の口に戸は建てられませんが、人の影響を受けてるか受けないかは、自分次第です。

噂をする人たちは、あなたが気にしない限り、あなたを傷つけることはできません。

影響されて不自由に生きるか、影響されずに受け流して、自由でいるかは、自分次第なのです。

その際、プライドが高い人は、影響を受けやすいと思います。

プライドと自信って、似ているようで違うと思います。プライドは見栄につながるもので、ないほうが生きやすいけど、自信は、自分を受け入れるという自己肯定につながるので、ないと大変生きづらい。

人にどう思われても自分は自分、という風に思える人は、自分をしっかり持っているので、人に振り回されたり、影響されたりしにくいでしょう。

自分をちゃんともっていて、いい意味で自信がある人は、オーラが尊厳を帯びるので、周りの人もなんとなく犯しがたく感じ、一目置くようになります。

なので、人と違っていても、いじめられたり、へんな噂もたてられにくくなると思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

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セラピストのコントロールの問題について

心理セラピーでは、他の多くの治療行為の場と同様、クライアントとセラピストの間に、一種の力関係が生じます。

もちろん、人としての立場は平等で、どちらが偉いということは決してありません。

けれども、心理セラピーは、クライアントが自分の悩みを赤裸々に打ち明け、いわば弱いところを見せる場なので、どうしても、セラピストの方が立場的に強くなり、パワーを得やすい状況になります。弱みを見せて、頼っているほうが、頼られているほうに頭が上がらなくなる傾向になりやすいということです。

セラピストが無意識のうちに権力を行使してクライアントを利用したり、クライアントから搾取することを防ぐために、アメリカの心理カウンセラーの倫理経典には、セラピストがクライアントから物を買ったり、取引したりしてはならない(セラピストがクライアントのビジネスの顧客になってはいけない)、私的な関係(友人、恋人など)を築いてはいけない、という厳しいルールが設けられています。

セラピストがクライアントとの間に明確な境界線を引くことは必須です。そうしなければ、客観的にクライアントの問題を見ることができず、結果として、クライアントを助けることもできなくなります。境界線があいまいだと、クライアントの問題に心理的に影響されてしまったり、クライアントの感情を自分の感情と混同してしまったりして、効果的なセラピーができなくなります。ちなみに、この理由から、心理セラピストが知人、友人、家族にセラピーを行うことは禁じられています。

まだアメリカにいたころ、私は、第一線で長く活躍してきた心理セラピストの、こんな言葉に接する機会がありました。

「セラピストの中には、パワーがほしくて、クライアントをコントロールする人が、山ほどいる。」

残念ながら、私もそれはよく見聞きすることであり、事実だと思います。

例えば、

「あなたは、ここが悪い。だから、こうしなければならない/これをやってはいけない/こうすべきだ」等、クライアント本人の話を聞かないで決めつけたり、一方的に指示してきたり、自分の意見や価値観を押し付けてくる人。クライアントの自由意思を尊重しない人。

あるいは、

「私が治してあげる。」

「私のいうことを聞けば間違いがない」

「ほかの人に診てもらったらだめだ。」

「私を信じなさい。」

等を口にするセラピストも、コントロールの問題を抱えている可能性が高いと思います。

私が治してあげる、という医者やセラピストは、個人的には勘違いをしていると思うので、避けたほうが無難だと思います。治癒力を持っているのは患者やクライアント本人であり、医者やセラピストの役目は、それを引き出すこと。実際、クライアント本人が治りたくないと言えば、私たちは何もすることができません。それなのに、自分に治す力があると言うのは、ちょっと違うと私は思います。

そもそも、本当にすごい人というのは、決して自分のことをすごいと言ったりはしません。優れた人であればあるほど、必ず謙虚なものです。そういう人は、自分で自分を満たす方法を知っているので、他からパワーを獲得する必要がなく、したがって、名声や地位にとらわれる必要がありません。なので、クライアントをコントロールしてパワーを獲得しようとしたりもしません。

ただ、パワーの問題を抱えているセラピストのほとんどは、クライアントを故意にコントロールしようとしているのではないと思います。人をコントロールすることにより、パワーを得て、強くなったように感じて、自分を満たそうとする人の多くは、無意識でそれを行いますから。

いずれにせよ、人間、誰でもエネルギーを吸い取られるのは嫌だし、コントロールされるのは嫌なものです。心の奥底では、誰もがみんな、自分の自由意思を尊重してほしいと思っています。だから、権力を利用して、自由意思に反した押しつけをしようとする人に合うと、私たちは通常、反発を感じます。(共依存の人は、最初は気づくのが遅れるかもしれませんが、やっぱり最終的には嫌になるはずです。)

なので、最終的には、クライアントはコントロール欲求の強いセラピストからは、離れて行ってしまうものですが、その前に、クライアントが傷つく体験を余儀なくされるということは、とても遺憾に思います。すでに心に傷を負っていて、無防備な状態で助けを求めに来ている人たちであるから、なおさら・・・。

セラピストも医者も完璧な人間ではないので、間違うことはありますし、力が足りないということもあり得ます。治療家や施術者の言うことが絶対ということはありません。

専門的知識がある人だから、「立場が上の人」だから(初めに書いたように、本当は、人間として立場が上とか下ということはありません)といって、その人の言葉を鵜呑みにする必要はないのです。クライアントは、自分自身の感性を信じて識別し、自らを尊重して、最善の道を選択してほしいと思います。

 

                                               (Chika)

 

 

 

 

 

日常の苦痛を減らす方法

今日は、日常生活のちょっとした苦痛を減らし、より快適に生きるためのコツについて、書いてみたいと思います。

それは、「何かをするとき、イヤイヤしない。」ということ。

どっちにしてもやらなければならないことだったら、抵抗して「嫌だなあ」と思ったりせず、ただ、淡々とやる、ということ。

そのためには、「思い切って受け入れる」というちょっとした覚悟が必要になります。これは、マインドフルネスという、もともとは仏教の禅の思想から来ており、今ではアメリカで鬱や不安障害、境界性人格障害等の治療に、心理療法として幅広く用いられているスキルの1つです。

例えば、私はネコを飼っていて、キャットフードの缶とか、それを入れたお皿を、毎日洗わなければならないのですが、魚の生臭いにおいがするから、その仕事は正直好きではありません。でも、それはやる必要のある仕事です。

どっちにしてもネコ缶やお皿を洗うのなら、私には2つの選択肢があります。

1.「嫌だなあ。生臭いなあ。」と思いながら、イヤイヤ、洗う。
2. 四の五のいわずに、ただ、洗う。

嫌だと思いながらなにかをやるというのは、実は本人の選択なんですよね。選択肢があるということは、コントロール権が自分にあるということ。自分で、苦しみを増やす状況を作るか、そうでないかを、選ぶことができるということ。

「ネコ缶とお皿を洗う」という作業に、「嫌だなあと思う」を付け加えると

「嫌だと思う」+「ネコ缶とお皿を洗う」=「嫌な仕事をする」となり、付加価値がついて、苦痛が増すんです。

ここで、嫌だと思わずに、この仕事を潔く受け入れよう、と思うと、ただ、「ネコ缶をお皿を洗う」という労力だけですみ、精神的苦痛は前者よりもずっと減るわけです。

この裏には、実は、「抵抗すれば苦痛が増す」という真理が隠されています。

なにかに抵抗して暴れると、その分、身も心も疲れますよね。それで嫌なことが起こらなくて済むなら、抵抗して暴れる価値もあります。でも、どのみち防ぎようがないこと、やらなくてはならないことであれば、無駄な抵抗をやめ、すすんで行ったほうが、いらない苦痛を感じなくてすむのです。

イヤイヤ物事を行うと苦痛が増す。そしてそれは自分次第でやめられる。避けられないことは、思い切って受け入れて、嫌がらずにすすんでする。このへんを認識して実行すると、日常の苦痛がかなり減って、楽になると思うので、よかったら試してみてください。

                                           Chika

 

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精神集中のコツ

首を上げて、視線を上に向けている時、意識は自由にさまよいだします。

視線を上に向けると、視覚イメージしやすくなるので、過去の情景を思い出したり、イマジネーションを使って何かをヴィジョンとして描き出したりしているとき、人は自然にこのポジションを取ります。

逆に、神経を集中させたかったら、首の後ろが伸びるように、うつむき加減になり、視線をやや下向きにします。

こうすると、意識は自分の内側に向かいやすくなり、ふわふわ漂うのをやめて、一点に集中しやすくなります。なので、瞑想をするときなどは、このポジションを取るといいと思います。

気持ちが浮ついている時や、落ち着かない時は、左右の鎖骨が落ち合う中心部分にあるくぼみに、中指を触れる程度に軽く当てて、そのかすかな圧を感じてみてください。

不思議と気持ちがリラックスするのが感じられるかと思います。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      (Chika)

 

 

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本当の自分に還る

ゲシュタルト療法を編み出したドイツの精神科医、フリッツ・パールズは、精神疾患に対してホリスティックな見解を示した人です。

パールズは、人は本来、全き存在であり、心の不調とは、本来、統合されて1つにまとまっているべきものが、部分的に分離したため、機能不全に陥った状態であると考えました。

自然には恒常性(ホメオスタシス)があり、変化が起こってバランスが崩れたときに、調和を回復して、再び元あるべき状態に戻ろうとする働きが起こります。人間の精神にも、同様に、分離して離れてしまった部分を再統合して、本来あるべき完全で調和のとれた状態に戻ろうとする働きがあると、パールズは考えました。

私は、大学院でゲシュタルト療法を習ったときは、これがどういうことか、今一つ、ピンときませんでした。

けれども、実際に現場に出て、臨床経験を積めば積むほど、パールズの深い洞察が、心という目に見えないものを説明するにあたり、非常に的を得ていることを実感するようになりました。

人は、ごく幼いころは、本来あるべき、全き存在に近い状態なのだと思います。

小さい子供は、割合、心のままに生きています。感じたことを素直にありのまま表現して、悲しかったら泣き、うれしかったら笑い、思ったことを口に出します。過去をいつまでも思い煩うことはなく、未来のことを不安に感じることもなく、現在に生きているので、今、目の前にあることに純粋な興味を抱き、没頭し、楽しむことができます。

子供は、起こった変化に自然に反応するがゆえ、すぐにバランスを回復して、本来あるべき状態に戻ることができます。なので、感情的な淀みというのものを持ちにくく、例えば、怒りは感じても、恨みを抱くことはあまりありません。

けれども、人は、成長するにつれ、社会や周囲の環境に適応するため、自分を偽ったり、否定したりすることをおぼえてしまいます。本来の純粋な欲求ではなく、人や社会の期待に応えるため、あるいは周りから攻撃されて傷つかないように、行動や思考や感情を制限するようになっていきます。

自分の身を守るため、周りに迎合するために、本当は言いたくないこと、したくないことを、言ったりしたりしてしまう。そして、自分の本当の思いはなかったことにして、自分から切り離してしまう。本当は辛いのに、辛くないふりをする。辛いと叫んでいる心の一部は、切り離してしまう。

それを繰り返すうちに、全き存在だった自分は、分断化され、機能不全に陥っていきます。

完全な自分としてではなく、自分の一部分を切り離して生きていると、100%で生きていない分、パワーダウンして気力が減少してしまいます。また、エネルギーがうまく全体に回っていないので、アンバランスになり、どこかにひずみが生まれます。

結果として、うつになったり、感情の起伏が激しくなって怒りを抑えられなくなったりする。本来自分に属している部分を分離しつづけるのは、実はとてもエネルギーを消耗する作業なので、心が疲れてくる。潜在的にはその状態はよくない、なんかしなければならないと知っているので、慢性的な不安にさいなまれる。こういったことが、起こってきます。

フリッツ・パールズは、本来の全き存在に戻ることを阻害している、自分の中の切り離された部分、表現されずに自分の中に取り残された感情のことを「unfinished business(未完成の仕事)」と呼びました。

そして、この部分にちゃんと気つき、満たしてあげれば、分離された自己の一部は再統合され、自分に還ってくる、それにより、本来あるべき完全な状態に近づくことができる、と考えました。

実際、私は、セッションの中で、ゲシュタルト療法を使うことが少なくないのですが、それによって分断されていたものが再統合された場合、その人は、やはり、おしなべて、力が戻ったと感じるようです。この場合の力とは、具体的には、気力とか活力、自信などの、自分の中のパワーのことです。

また、感情的な停滞がなくなり、感情エネルギーが循環するようになるという目に見えない変化は、マイナスの感情にとらわれなくなり、短期間で切り替えられるようになる、という感覚として、実感されるようです。

ゲシュタルト療法は、自分の本質をそのまま表現すること、自分自身とちゃんとつながって生きることの大切さを教えてくれています。そのためには、自分の中に、否定してしまっている部分、滞っている部分があれば、その存在をまず認め、それから、受け入れてあげること。そして、その部分が本当は何を欲しているか、耳を傾けてあげ、満たしてあげること。

これがちゃんとできれば、unfinished business(未完成の仕事)はfinished(完成)となり、奪われていたパワーを取り戻し、本来の完全な自分に還ることができる。そうなるほどに、人は、持っている潜在能力をより多く発揮して、より、生き生きと生きることができるのだと思います。

                                       (Chika)

 

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「気にする」ということ

今日、ジョギング中に横断歩道を渡っていた時、ふと、頭をよぎったことがありました。

それは、

「あの車はいつ左折できるだろう。」

という、どうでもいいことでした。

それは車通りの激しい大きな道だったので、その車が左折するには、しばらく待たなければならず、それが気になって、チラッとそちらを見てしまいました。

すると、その途端に、走りながらどっと疲れたので、

「そうか。気にするって、そういうことか。」

と、ひらめいたのでした。

「気にする」というのは、自分のエネルギーフィールドの中に、その対象物を取り込むこと。文字通り、自分の氣の一部にしてしまうということ、なんですね。

信号待ちをしている車に意識を向けてしまったことで、本来、そのドライバーが感じるはずである、微妙な欲求不満とか焦りという、どちらかというと不快な感情を、不必要に自分の中に取り入れてしまった。だから、ストレスを感じて、急に疲れたというわけです。

人は、よくも悪くも、意識したものに影響を受けます。意識したものというのは、すなわち、気にしたもの、自分のエネルギーフィールドの一部として取り入れたものです。

なので、人目を気にしている人というのは、人の影響を受けやすい人でもある、ということになります。

自分自身より、周囲の人たちにネガティブな意識がいっているために、その人たちの影響を受けて振り回されやすくなります。自分に意識がいっていない分、自分のエネルギーが希薄になっているので、軸がブレて不安定にもなりやすいです。また、自分のエネルギーフィールドの中に、たくさん人がいる状態なので、精神エネルギーを消耗して、疲れやすくもなります。

生きている以上、嫌なことや不快なことを避けて通すことはできません。ネガティブなものを一切取り入れないということは、現実逃避にもなってしまうし、第一、不可能だと思います。でも、私が信号待ちの車を気にしたように、不必要なものを気にして、自分の中に取り入れることは、エネルギーの無駄なので、避けられるものなら避けたほうがいいと思います。(^_^;)

どうせ、自分の中に取り入れるなら、できる限り、自分を元気にしてくれるものを選んでつながりたいものですね。

ちなみに、私は道を歩いているとき、咲いている花を気にして歩いています。いろいろな色に咲いている花は、私には光を放っているように思えて、とても魅きつけられます。花の色を意識して楽しみながら歩くと、花の持っている癒しのエネルギーを自分に取り入れることになるので、気分がよくなります。色によって、元気にしてくれるものや、静かに癒してくれるものがあり、花って、ほんとうに光のエネルギーなんだなあと思います。

今は、色々な花が咲いている季節なので、よかったら、花を気にしながら歩く散歩を、試してみてください。

                                                                                                                                                 (Chika)