力には、二種類あります。
パワー(power)とフォース(force)。この二種類の、どちらの力に意識がつながっているかによって、人は、強くもなり、弱くもなります。
このことを、キネシオロジー(筋肉反射テスト)を用いた膨大な量の実験に基づき、体系的に説いたのが、デヴィッド・ホーキング博士です。
キネシオロジーでテストすると、有害な物質にさらされた体は、筋肉が瞬時に弱まるという反応が起きます。
例えば、低血糖症の患者が砂糖を口に含むと、三角筋が弱まる反応を示すそうです。
ホーキング博士は、自らの講演中、1000人の聴衆を相手に、こんな実験をしました。1000人中、500人に人工甘味料を入れた封筒を配り、残りの500人には有機ビタミンCが入った封筒を配りました。2人一組でキネシオロジーテストをしてみたところ、全員が、人工甘味料には弱い反応、ビタミンCには強い反応を示しました。
特筆すべきは、被験者が、封筒に何が入っているか知らなかったとしても、有害なものには弱い反応、いいものには強い反応を示すということ。体はそれ自体、叡智を持っているからです。
ホーキング博士は、被験者に特定の思考や感情をもたらす記憶や状況を思い浮かべてもらい、キネシオロジーを使って、膨大な数と頻度のテストを行いました。その結果、怒りや失望、嫉妬、落ち込み、罪悪感や恐怖に対しては、例外なく筋肉が弱くなり、愛する人や楽しいことを思い浮かべると、誰もが強い反応を起こすことがわかりました。
また、物質をイメージするだけで、実際にその物質に触れていなくても、実物に触れているかのような反応が起こることも判明しました。例えば、殺虫剤を使って育てられたリンゴと、有機栽培されたリンゴを掲げて、それぞれに焦点を合わせて見るというテストする実験をしたところ、殺虫剤のリンゴでは弱い反応、有機栽培では強い反応が起こりました。見る人は、どちらがどっちのリンゴか知らされていなかったにも関わらず、即座に、全員にこの反応が起こったのでした。
この手法を用いて実験を重ね、ホーキング博士は、下記の表を作りました。
「意識のマップ 」と名付けられたこの表で、200の勇気から上がパワー、175のプライドから下がフォースになります。
神の視点 | 人生の視点 | レベル | ログ | 感情 | プロセス |
Self(大なる自己Self) | is(存在そのもの) | 悟り | 700-1000 | 表現不可能 | 純粋な意識 |
存在する全て | 完全 | 平和 | 600 | 至福 | 啓蒙 |
ワンネス | 完成 | 喜び | 540 | 静穏 | (神)変身 |
愛のある | 恩恵 | 愛 | 500 | 崇敬 | 啓示 |
英知 | 有意義 | 理性 | 400 | 理解 | 抽象 |
慈悲深い | 調和 | 受容 | 350 | 許し | 超越 |
奮い立たせる | 希望 | 意欲 | 310 | 楽天的 | 意図 |
権能を与える | 満足 | 中立 | 250 | 信頼 | 開放 |
許認 | 実行可能 | 勇気 | 200 | 肯定 | 強化 |
無関心 | 要求 | プライド | 175 | 嘲笑 | 慢心 |
執念深い | 敵対 | 怒り | 150 | 憎しみ | 攻撃 |
否定 | 失望 | 欲望 | 125 | 切望 | 奴隷化 |
刑罰 | 怯える | 恐怖 | 100 | 不安 | 内気 |
軽蔑 | 悲劇 | 深い悲しみ | 75 | 後悔 | 落胆 |
避難 | 絶望 | 無気力 | 50 | 絶望 | 放棄 |
復讐心 | 悪 | 罪悪感 | 30 | 批判 | 破壊 |
嫌悪 | 悲惨 | 恥 | 20 | 屈辱 | 排除 |
引用元:「パワーかフォースか」デヴィッド・R・ホーキンズ著 ヘハン・デラヴィ&愛知ソニア訳 ナチュラルスピリット社 p.372
端的に言うと、人の意識状態が、200以上(パワー)につながっていると、その人の生命力は強まり、健康になりますし、200より下の低い状態(フォース)につながっていると、その人は弱体化し、免疫も弱まるので健康を害しやすくなるということです。
フォース(force)は「強いる」という意味合いを含みますが、他者を支配して自分が上に立つことで得たり、誰かと競争して勝つことで得たりする力は、フォースです。自分が弱いふりをして、他者から憐れみをひきつけて獲得する力も、誰かを操作して得るという意味合いで、フォースになります。お金や社会的地位、依存するものから得られる一時的な快楽、他者からの賞賛や承認で得られる一時的な高揚感も、すべてフォースの類です。
フォースは持続せず、すぐに消えてしまうはかないものなので、常に外から供給しつづけなければなりません。どんなに外から補っても決して満たされることがなく、すぐに空虚な気持ちになり、「もっと欲しい、もっと、もっと」と、尽きぬ欲望をかきたてます。本当に自分を強化する力ではないので、力を得ているはずなのに、疲労感を得やすいのも特徴です。
パワーは、人から奪い取ることで得られる力、フォースと違って、すでに自分に内在する力です。パワーは人間の気高さや慈愛とつながっています。例えば見返りを期待せずに行う利他的な行為や、悪口を言われても動じず、報復することなく許す寛大さなどは、その人にパワーをもたらします。これらは、その行為をした人自身にも肯定的な気分や強化された身体感覚をもたらしますが、周囲の人も、その人のパワーから漂う威厳や高貴な雰囲気を感じ取るため、心から賞賛したくなったり、感化されて自分もより高い状態に引き上げられやすくなります。
パワーは、自分の中に内在する力とつながった状態であり、他者を必要としません。いつでも得られるし、永続性があります。例えば、100年前に書かれた書物であっても、パワーがあふれる人が書いた本は、読む人に感銘を与え、心を強くさせる作用がありますね。
同じ行為をするにしても、その人の意図が、パワーとフォース、どちらかにつながっているかによって、結果が違ってきます。
褒められたい、認めたいと思ってする善行は、フォースに動機づけられるので、人の尊敬を得ることがなく、かえって褒められたり認められたりしないものです。自分にポジティブな力を与えることもできません。
フォースの状態を抜け出せない人は、残念ながら、環境を変えたとてしても、同じ辛い状況を繰り返しつくりだしてしまいます。
私は予言者ではなく、透視能力があるわけでもありませんが、多くの人を見てきて、パワーにつながっている人は、この人はどこに行っても成功するし、幸せになっていけるな、と確信がもてますし、実際そうなっています。カウンセリングで劇的に変化し、症状がなくなり、人生が好転する人を何人も見てきましたが、思えば、その人たちはパワーにつながることができた人です。
多くの人が、常にパワーの意識状態を保っているわけではなく、フォースの領域に行ったり、パワーの領域に上がったりを繰り返していると思います。人生には日々色々なことが起こり、人との関わりの中で、色々な感情を抱くものですから、それは当たり前ですよね。そんな日々の暮らしの中で、パワーの意識を増やしていくことを心がけることは、自分を成長させることであり、人によい影響を与えて世界をよくしていくことにもつながり、生きている意味があることだなと思います。