今から30年程も前のことですが、子どもの発達を心配している親御さんとその子どもたちを対象にした育児教室の仕事をしていた時のことです。
当時、4歳くらいだったと思いますが、生まれながら脳に何らかの障がいを抱えた女の子が、その教室に入学してきました。
色白で、華奢な感じの女の子でした。少し恥ずかしがり屋でしたが、遊びに誘うと、とても嬉しそうに近づいてきました。その佇まいは、静かで、時折、恥ずかしそうに口に指をくわえ、私の後ろをついて来ました。
初めは、お友だちに近づくこともできずに、遠目に、教室の様子を見ているだけでしたが、私の誘いについて来るようになってからは、少しずつ、友だちの輪にも入るようになりました。
運動機能と知能に少しのおくれがある子どもさんでしたが、素直で、自分の要求を表現できる子どもさんでした。
その様子は、他のお友だちにも好感を持たれ、楽しく過ごし、卒業していきました。
それから、7~8年くらいたった頃でしょうか。偶然、その子どもさんのお母様にお会いしました。でも、お互い用事がありましたので、近況をお話する程度で別れました。
その後、ある方を通して、そのお母様の当時の気持ちを聞く機会がありました。
「当時、実は、我が娘をどうしても可愛いと思うことができずに、子どもに辛くあたっていました。でも、育児教室に通って、教室の先生方が我が娘を可愛がってくれる様子を見ていたら、嬉しくなり、我が娘を可愛いと感じるようになりました。そして、ようやく、我が娘を愛せない苦しさから逃れることができたのです。」と。
お母様がそのように感じてくださっていたことを嬉しく思うと同時に、そのようなお母様の気持ちに気付けなかった自分を恥ずかしく思いました。
おそらく、我が娘の姿を見ることは、五体満足な身体に産むことができなかった自分の罪とも感じる後ろめたさをまざまざと見せつけられているようで苦しかったでしょう。
そして、育児教室の先生方が子どもさんを可愛がる姿は、お母様自身を受け止め、肯定する意味を持っていたのでしょう。
その日以後、お母様にお会いすることはありませんでしたが、私が、この仕事を続けていきたいと思えた出来事であり、忘れ難い思い出です。
この仕事をしていくために、様々な研修を受けますが、一番の師は、子どもたちやそのお母様、お父様であることを痛感する毎日です。
本当に本当に沢山の教えをありがとうございます。
(佐々木智恵)