盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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幸せの作り方

虚ろな人が増えたわけ

近年、虚ろな人が増えた気がします。

虚ろというのは、体に意識がちゃんと入っていないというか、肚が座っていないというか、グラウンディングができていなくてフワフワしているというか、100%現実を生きていない感じの人です。

多分、もっと昔は、そういう人は少なかったと思います。

洗濯を洗濯板でやって、薪をたいてお風呂をわかしたり、ご飯を炊いたりしていた時代は、肉体をフルに使って、現実的な生き方をしなければやっていけなかっただろうから、意識の薄い虚ろな人は必然的に少なくなります。

でも、機械が人の代わりに働いてくれて、ネットやゲームなどの、バーチャルな世界が蔓延する世の中では、肉体は現実にあっても、ただそこにあるだけ、五感で地に足をつけて現実を感じることなく、意識だけがどこかに行ってしまう機会が、圧倒的に多いわけですね。

添加物が多く、冷凍や缶詰などで、生気が抜けたような食べ物、自然に沿っていない(季節を無視したような)、生命力が大幅に減った食べ物も、氣が抜けたような状態の人が増える一因だと思います。

虚ろな人は、生活力が少ないので(生活力旺盛の反対ですね)、仕事やお金もうまくまわりにくいし、望みが現実化しにくいです。見た目も、薄いというか、表情に乏しくて(生き生きしているの反対です)空っぽな印象を受けます。

中には、幼少期からとてもつらい人生を送ってきたゆえに、虚ろになった人もいます。意識が現実から逃げていなければ、とてもじゃないけど生きていけなかったために、無意識に現実から意識の焦点をずらすことが習慣になってしまっているんですね。それは自分が壊れないように守ってくれる手段(サバイバルスキル)でもあるのですが、長期的に使い続けると、利益より不利益のほうが大きくなります。現実を生きていないので、生き生きとした楽しみや喜びが感じらない、欝々とした人になりますし、集中力や記憶力も減るので、ひどい場合は仕事や生活に差し支えるようになります。

虚ろな意識状態を改善し、生命力をアップさせるやり方はいろいろあると思います。

例えば、食べ物だと、添加物が少ない、新鮮な季節のものを食べること。一つ一つのことを、ゆっくり、丁寧に、意識しながら行うこと。例えば、よく味わって食べたり飲んだりする。人とおしゃべりするときは、頭でほかのことを考えながらではなく、目の前の人にちゃんと意識を合わせ、耳を傾ける。ネコをなでるときは、柔らかい温かい感触を感じながら、心をこめてなでる。外を歩くときは、風の感触や空気の香り、鳥のさえずりや川の流れの音、空の雲や咲いている花の色、太陽の光から受ける感触を感じながら歩く。

丹田に力を入れたり、下半身を意識するだけでも、氣が下がってグラウンディングするので、意識ははっきりします。(氣が上がっていると、不安になりやすく、また、心が不安定になりやすいです。)古来からある武道はそういう心身のエネルギーの使い方をよく研究しているので、興味があれば、なにか習ってみるのもいいかもしれません。

どれも一度や二度試すだけでは焼け石に水で、日々、地道に変えていくことで効果が得られると思います。

「無」は強い

大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

みなさんにとって、素晴らしい一年になりますように。

ところで、先日、空手の先生に、素晴らしいことを教わりました。

先生は、私たち生徒を二人一組にさせ、ある実験をさせました。それは、一人が、手のひらが下向きになるように出し、その下に、もう一人が、手のひらを上向きに出して、互いに両手を合わせて、上の人が力を込め、下の人が相手の力に負けないよう、押し上げるという試みでした。

その後で、先生は、今度は、同じことを、下の人が、頭を空っぽにし、何も考えずに上の人の手をはねのけるように言いました。

その結果、どちらが強い力が出たかというと、頭を空っぽにしたほうでした。そのほうが、労せず、軽々と相手の手を押しのけることができたのです。(なので、空手でも、頭を無にしたほうが、素早く動け、強い力が出るということです。)

この原理は、私も以前から気づいてはいましたが、改めて目の当たりにし、確認できて、なるほどと感銘を受けました。

同じようなことで、ずっと前、探偵ナイトスクープという番組で、「アホは強いということを証明してください」(私は大阪出身ですが、関西では、親しみを込めてよくアホという言葉を使います。)という依頼がありました。アホになる=つまり、何も考えない、頭が空っぽの状態を作ったほうが、頑張って相手に勝とうと力むよりも、力が発揮されるということを証明するという内容です。例えば、ボクシングの試合中、一瞬、「アホになる」と、強いパンチが繰り出される、短距離走でも、走る直前に力を抜いてアホ状態になったほうが、タイムが上がるというものでした。

これは、普段の生活でも言えることです。

いい結果を出そうと「頑張る」というのは、「我を張る」ということにもなり、そうなると体に力が入って、かえって、潜在能力が表に出るのをブロックしてしまうんですよね。絶対勝ってやるとか、相手を打ち負かそうという思いも同じで、そうなると力みが邪魔をして、本来の最高のパワーの発現を阻んでしまいます。

こうなったらいいなと、なりたい方向性を意図することは必要でしょうが、いったん意図したら、それを手放して無の状態を作るほうがうまくいくものです。

フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングの選手が、勝ち負けを考えずに、音楽と一体化して、ただ気持ちよく演技しましたというときに、最高の力が発揮されることがよくあります。それと同じ原理です。

状況をコントロールしようとしすぎると、思考が強まって顕在意識に制限され、力づくで成し遂げるという感じになって、非常に消耗します。かつ、焦りや不安の感情も湧き上がり、苦しみが増えます。その上、自然なエネルギーの流れが阻害されるので、かえって望んだ状況が起こりにくくなったります。

それより、「是が非でもこうでなければいけない」というエゴの観念を手放して、頭を無にして流れに任せたほうが、無意識の領域であり、いわば神の領域でもあるハイヤーセルフ(自分自身に内在する叡智)とつながりやすくなるので、楽に、よりよい形で、目的を達成できます。

日ごろからそういう風に意識していると、余計な力が抜け、物事がうまくいきやすくなっていきますので、よかったら試してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

周りにイヤな人がいるときの処方箋

周囲にイヤな人がいて、四六時中その人が気になってしようがない。

その人と会っていないときでも、その人のことを考えてしまう。

同じ場所にいるとき、その人と関わっていないときでも、その人のことを目で追ってしまう。

こういう時、自分に害をおぼしているのは、実はその人自身ではなく、「この人がイヤだ」という自分の思いです。

私たちの思考が自分に悪さをしているわけです。強い否定的な関心は執着を生みだし、自分の中に苦しみを作り出します。

もし、「この人はイヤな人だ」「こうあってはならない」「許せない」という思いがなかったら、その人がそばにいて、何かしていても気にならないはずです。

もちろん、実際にその人が自分に向かって危害を加えてくるときには気になるでしょうし、気にしたほうがいいでしょうが、そうでないときのほうが圧倒的に多いでしょう。

「この人、嫌だ」「こうあってはならない」「許せない」という思考にとらわれて、その人に意識を向けつづけると、それをしている間、私たちの苦しみは続きます。なぜなら、その間、意識が他者に向いていて、自分がお留守になりますから。自分の内側に意識が向かないと、自分が何をしているかに気づかないので、自分の苦しみを取り去ることはできなくなるのです。

自分の気分をけがしているのは、自分の思考だということに、気づいてあげると、その瞬間、私たちは幻想から覚めて我に返り、苦しみから解き放されます。

すべての思考は、実体のない、いずれ消えゆくものであり、幻にすぎないものです。幻は、その存在に気づいて見つめてあげると消滅しまいます。

ただ、その際、「こんなことを考えた。自分はなんてダメなんだ」などと、その思考を持った自分を責めたりしないこと。

ジャッジ(いい・悪いで判断)しないで、ただ、自分が自分で苦しみを作り出しているという状態を眺めるだけにしてください。

ジャッジは思考の産物なので、それをすると、また思考の中にとらわれてしまい、自分の中に苦しみを作り出してしまいます。

ただし、自分の思考に気づくだけでは、その瞬間は解放されても、またもとに戻ってしまいかもしれません。その場合は、そのたびに気づくように心がけれは、反復によって少しずつその思い癖は薄れていき、考えなくなっていくものです。

もし可能なら、もう一歩進んで、もっとパワフルな、苦しみから逃れる方法を試してみてもいいでしょう。

それは、相手を受け入れること。

「相手はそうあってもいい」

と、相手に抵抗するのをやめ、力を抜いて、相手のありのままでさせてあげること。

その際、できることならば、「この人も苦しいんだろうな。だからこんな風にふるまっちゃうんだろうな。この人も幸せになればいいな」という風に、相手に対して少し優しい気持ちを向けてあげると、さらに強力に自分が解き放たれます。

相手に嫌悪を向けると自分が苦しくなり、愛を向けると自分が苦しみから解放され、楽になるというのは、普遍の法則です。実践するのはなかなか難しいかもしれませんが、思い切って実践してみると、一瞬で魔法のような効果があるパワフルな処方箋なので、よかったら試してみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見返す」という動機

「見返してやりたい」を動機にすると、一時的にパワーがでて頑張ることができ、成果を上げることができるでしょうが、恐らく、長続きはしない結果に終わると思います。

なぜ長続きしないかというと、自分が疲れ果ててバランスを崩してしまう、一見、勝利をあげたかのように思えても、周囲の人とうまくいかなくなり、辛くなるなどの現象が起こってくるでしょうから。

「見返してやりたい」という動機には、他の人に見下されたくない、他の人に負けたくない、他の人よりも上に行きたい、という気持が含まれています。

つまり、相手と自分を分けて、相手を敵とみなす考え方。

そうなると、相手と戦って勝つという行為をしなければならず、どうしても相手との間に隔たりや不調和が生まれるのですよね。

不調和というのは、摩擦や抵抗を生み、エネルギーを消耗します。疲れるのです。

一方で、相手と調和すると、摩擦や抵抗がないので、疲れることなく、スムーズに物事が展開します。

なので、見返してやりたいと頑張ると、例えば、仕事では業績をあげ、出世するかもしれないけど、心身ともに疲れ果てて、満たされない、人との関りも、しんどいものになるという結果が起こりやすいでしょう。

Win-Loseではなく、Win-Winを目指す。競って相手より秀でるのではなく、競わず、相手と調和して、相手も自分もどちらも大切に扱い、双方に利益が及び、双方が発展するような結果を目指すのが、一番、精神エネルギー的にエコ(エゴじゃなくて、エコですね(^_-)-☆)なやり方なのだと思います。

 

 

 

自分が幸せになるのを許可する

ほかの人が苦労しているのに、自分だけ幸せになってはいけない、と思っている人がいます。

宮澤賢治とかもそうだったのかな。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」っていってますから。

確かに、この言葉は真理を含んでいると思います。

でも、「その逆もまた真なり」だと思います。

個人の幸せがたくさん広がっていくと、結果として、世界全体の幸福が実現する。

自分が幸せで、きれいなエネルギーに満ちていると、ほかの人によい影響を与えることができるのです。ほかの人が苦しんでいるとき、支えてあげるだけの余力を持てるのです。

その為にも、自分を満たして元気であるように計らうことは、必要なことなのです。

自分を満たして元気でいさせるということは、自分の心が喜ぶことを自分にしてあげること。自分の心が嫌がることをしないこと。

これをわがままと勘違いしている人がいますが、わがままとはむしろ正反対。わがままなことをすると、本当は心が嫌がりますから。

心が嫌がるというのは、濁った感じになる、もやもやする、重苦しい感じになる、鈍くて空虚な感じになるという感覚でわかります。

心が喜ぶことは、スッと通るような感じがする、軽い、明るい、開けた感じがするのでわかります。

心が喜ぶことを選択すると、エネルギーはアップします。自分も幸せになっていきます。

そうすると、周囲の人を幸せにする力も増していくので、一石二鳥なのです。

自分が幸せになることを自分に許可してあげましょう。

 

人の評価より自分の喜び

世の中、うまくできたからといって褒められるとは限らず、正しいことを言ったりしたりしたからといって、理解されたり、受け入れられるとは限りません。

優秀な業績も、相手に見る目がなかったり、そもそも自分が妬み深くて人を褒める気がなかったり、そのとき自分がいっぱいいっぱいで人の業績なんてちゃんと見るゆとりがなかったり興味なかったりすると、正当に評価されることはないでしょう。正しいことをしても、相手がゆがんだ考えの持ち主だったり、その行為の正しさを理解するだけの器がなかったりすれば、認められたり、理解されたりすることはありません。つまり、誰かに褒められたり、認められたり、理解されたりしなくても、だからといって、自分がダメだとは限らないので、自動的にがっかりすることはないということ。

逆にいえば、おべっかを使って取り入る人々は、相手に権力があれば、相手の作り出したものがへたくそであっても褒めるでしょうし、よくない行為にも理解を示し、受け入れるでしょう。それは褒める側が自分の利益だけを考えた、口先だけの賛辞や偽りの理解なので、本当は喜びに値しないものです。

かくして、人の評価や理解、承認は、とかくあてにならないものであり、そんなものに期待して自分の幸福をゆだねると、心は非常に不安定になります。人に認められたら舞い上がるけど、認められなかったり、けなされたりしたら、どん底になる、そんな上がり下がりの激しい人生になってしまいます。

それなので、誰かに評価されたり、承認されたりすることを期待するのはやめたほうがいいと思います。代わりに、その行為をして心地いいかどうか、うれしいかどうか、幸せだと思うかどうかを基準にすればいい。自分をよりどころにするということです。そうすると、心はゆるぎなくなり、安定します。そして、人に頼ることなく、幸福を自家発電で創造できるようになると、求めなくても人を引き付け、勝手に人の評価や承認が得られるようになります。(ただし、本人はそれがあってもなくても気にしない境地にいるので、あまり気に留めないので、これはおまけのご褒美です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

等身大の自我でいる

自我って、本来の自分より大きすぎても小さすぎてもよくないんですよね。

虚勢を張って、自分を、強く、大きく見せようとするのも疲れてうまくいかないし、身を縮めて、もともとの背丈より小さくなって歩いていても、窮屈でもたないでしょう。

例えば、誰かに力で支配された過去があり、それが嫌でしかたないから、虚勢をはって身を守ろうとしたり、逆に、いじめられないように、従順ないい人を演じて身を守ろうとしたりする人があります。それはそれで、支配されている間は、生き延びるために身を助けてくれる、有効な手段になります。でも、もう誰も攻撃してこないのに、虚勢をはったり縮こまったりするのは、疲れるだけで、かつ、人間関係にも支障をきたす、機能不全な在り方になってしまいます。

一番疲れないのが、背伸びするでもなく、背を縮こませて歩くでもない、等身大の自分でいること。

自分を無理強いせず自由にさせてあげると、楽だし、不思議と人間関係もそのほうが好転するんですよね。

無理をしている人って、接するほうでも居心地が悪いものなんですが、自由でのびのびしている人は、心地いいオーラを放つので、無意識に人が魅かれるものです。

無理しているのに気づいたら、等身大の自分であるよう、ちょっと力を抜いてみたらいいかもしれません。

 

 

 

自分も人も同じ

自分を蔑むときも、人を蔑むときも、同じエネルギーを自分の中に作り出し、周囲に放ちます。

誰かに蔑まれ、口汚くけなされたとしたら、とても不快な気分になりますよね。腹が立ち、蔑む相手を憎んだり、攻撃したりしたくなるかもしれません。でなければ、そういう人とは関わりたくないので、逃げたり避けたりしたくなるでしょう。

自分を嫌って蔑んでいる人に対しても、相手は同様のことをしたくなります。蔑みの持つ不快な波長を受け取って反応するからだと思います。

だから、自分を見下している人は、人に攻撃されたり、いじめられたりしやすいのです。相手がそこまで攻撃的ではなく、比較的穏やかな人だったとしたら、距離を置かれるだけかもしれません。いずれにしても、人に肯定的な関わりをされにくくなります。

自分も他人も、集合意識ではつながっており、一つなので、本当は区別はないんですよね。なので、自分に対する行為も、人に対する行為も、ある意味同じなのです。自分を傷つけることは、人を傷つけることであり、人を傷つけることは、自分を傷つけること。自分を本当の意味で愛し、大切に扱っていると、その心地よい波動は、人にも心地よさを放ち、恩恵を与えます。そういう人が、人にも尊ばれ、大切に扱われるのは、想像に難くないですよね。

レニー・クラビッツのbelieveという歌の歌詞に、I am you and you are me, why’s that  such a mistery (私はあなたで、あなたは私。それがなぜこんなにも神秘なのか)という フレーズが出てきますが、まさにこれが宇宙的な真実だと思います。

 

 

 

「どうしよう」をやめる

そういえば、近年、「どうしよう」と思い悩むことがなくなったなと思います。

クライアントさんにも必要に応じて伝えていることですが、問題は実際に起こって、目の前にあるときに対処する、まだ起きていない厄介ごとは、直前まで考えない、というのを、日ごろから自分でも実践しているからだろうと思います。

未来の厄介ごとで、まだなすすべのないことは、どうしようもないわけで、どうしようと思うだけ、無駄。もっと建設的なことに使えるはずのエネルギー消耗してしまい、役に立たないどころか、有害です。

実際に問題が目の前にあるとき、元気(自分の氣のエネルギー)が温存されていたほうが、消耗されて少なくなったエネルギーでことに当たるより、当然、よりよく対処できます。わかりやすいところでいうと、例えば、疲れて集中力や判断力が鈍っている状態で問題に対処するより、疲れていない頭で考えたほうがいいということ。

実際に問題が形をとって目の前に現れるまえに、つまり、実態がない状態で、頭を働かせてあれこれ考えても、その解決策は、問題にフィットしないことが多いものです。それが実際に目の前に具現化したとき、その場で感覚的、直観的に思いつく解決策のほうがずっとフィットするもので、それはその時にならないと湧いてこないものです。

その時になったら自分がうまく問題を対処できる力を持っているという自己信頼は、とても大切です。

こうなったらどうしよう、を手放すと、氣の無駄な流出を防ぐことができるので、元気を保ちやすくなり、何よりもとても楽になりますよ。

 

「自分」を基準にする

日本人は、アメリカなどの個人主義と違い、集団主義の文化を持つ国民性があります。これは、周囲との調和を重んじ、自己主張せず、他者を慮るといういい面がある一方で、他者の目を非常に気にして自分の気持ちや考えを抑制するという傾向にもつながります。

アメリカから帰ってきて、日本でカウンセリングするようになって思うのが、非常に多くの人が、人目を気にし、自分を持たないで生きているがゆえに、色々な心の問題を作り出してしまっているということです。

そのことに関して、とても明快で深遠な説明がなされている本があるので、一部、ご紹介したいと思います。

ディーパック・チョプラ著、渡邊愛子訳の「富と成功をもたらす7つの法則」(大和出版)という本ですが、インドの古典であるウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの奥義を説いた哲学書が元になっているようです。

チョプラ氏によると、自己志向と対象志向があって、自己志向は純粋な自己を経験している状態、つまり、自分が指針になっている状態、対象志向は、意識のフォーカスが自分の中のエゴであり、自分の外側にある状況や環境に大きく影響される状態になります。チョプラ氏いわく、「エゴは本当の自分ではなく、社会的仮面であり、あなたが演じている役割、あなたのセルフイメージ」です。

対象志向であると、自分の姿が周囲の目にどう映るかを非常に気にし、常に人の承認を求めたり、人を自分の思い通りにコントロールする欲求を持つことになります。不安がとても強い状態です。この状態では、深いところにある行動のモチベーションが恐れなので、安心を得るために外部のパワーを強く欲することになります。人に認められたり、いい成績や業績をあげたり、地位や名声、お金や物がたくさんあったりすると、一時的に安心する。けれども、これらはすべて自分の外にあるパワーの元なので、変わりうるものであり、いつか消えてしまうもの。それらがあるときはいいけど、なくなるととても不安定になる。だからいくらあっても不安で満たされず、強迫観念的にもっと欲しくなる。自分を保つために、物や人に依存しなければなくなるわけです。

これに反して、自己志向であると、人に認めてもらったり、人を支配してパワーを得たりする必要性を感じなくなります。外部のものと比較して自分を計ることをしなくなるので、自分が人より劣っていると感じず、勝っているとも感じない。謙虚で相手を敬うが、人の批判を恐れず、何を言われても動じない。恐れから解放されているので、自分が思う通りに動き、自分自身の魂が喜ぶことをする。自分で自分を満たすことができて、とても楽だし、幸せなんですよね。この状態でいると、人の承認とかお金など、色々な豊かさは勝手にやってきます。必死に求めているわけではないのに、向こうからやってきます。

チョプラ氏の言葉で、なるほど、その通りだな~と思ったのは、「エゴは疲れる」ということです。エゴに焦点が当たっていると、非常に疲れるんですよね。常に人にどう思わるか、自分が嫌われていないか、認めもらえるかどうかを強烈に意識するので、精神エネルギーの消耗がハンパないわけです。例えば、学校とか職場に行って、1日過ごすにしても、エゴに焦点が当たっている意識状態の人と、自分自身の本質から動いている人だと、同じ量の勉強や仕事をこなして帰ってきても、疲れが全然違うということになります。

時々勘違いされている方がいるのですが、「自分が喜ぶことをする=自己中心的」ではないんですよね。もし、自分の時間や労力をさいて人を助けることが、自分の喜びになるのであれば、それをすればいいわけです。でも、「やらないとほかの人になんて思われるか。自分勝手だと思われるんじゃないか。だから嫌だけどしなきゃ。」というのは、自分の外にあるもの、周囲の目が基準になっており、深いところではエゴに基づいた行動選択だと思います。なので、その行為が終わった後、人助けをしたはずなのに、虚しかったり、いら立ったり、悲しくなったりして、否定的な気持ちになるわけです。もし、疲れることや煩わしいことであっても、それが本質的に自分の喜びになる行為であれば、その行為が終わった後、疲労とともに心地よい満足感や純粋な喜びを感じられるはずです。

今の日本では、多くの人が、対象志向になっているために、幸せになれないでいると感じます。自己志向の行動選択をしていくと、流れに乗って、いろいろなことがうまく行き、自分のみならず、周囲の人も幸せにすることができるようになります。

では、どうやって自己志向になったらいいかというと、やはり、心を静かにして、周囲に向いていた意識を自分に向けなおし、自分を感じることは必須だと思います。チョプラ氏は、朝晩最低30分の瞑想を勧めています。もしそれができれば、多くの心の問題は改善していくと思いますが、したことがない人にいきなり30分の瞑想は難しいかもしれません。そういう場合は、今、やっていることをやめ、ただ座って、自分の中を静寂に保つ時間を数分でもいいので持つこと、「何かをする」のではなく、何もせず、ただ「ある」「存在する」、静かな時間を持つことから初めてみたらいいと思います。