盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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心を平穏に保つ秘訣

心を波立てないで、平穏に保つ秘訣は、「判断しないこと」「無判断=ノンジャッジメントの実践」です。

私たちは、通常、絶え間なく思考を働かせて、外界の事象をいい・悪い、正しい・間違っている、これはこうあるべきだ、これはこうあるべきではないと判断し、レッテルを貼って分類したり、分析したりしています。心は、その過程で必然的に乱され、波立ち、平和を失います。

思考を用いることは必要な場合もありますが、たいていの場合、私たちは不必要に思考を働かせすぎています。そしてその結果、不安や苛立ち、落ち込みや嫉妬や怒りなどを生じさせています。

無判断とは、いい・悪い、正しい・間違っている、こうあるべきだ(こうあるべきだった)、という判断を控え、思考を介さないで、自分の外で起こることや自分の中に沸き起こるものを、ただありのまま眺めて体験することです。そうすると、心はやがて静まり、今まで隠れて見えなかったセレニティー(平穏・平和)が姿を現します。ちなみに、この状態は、叡智の宝庫であり、インスピレーションの源である「潜在意識」とつながることのできる、最適の状態でもあります。

1日中絶え間なく判断することに慣れている人は、最初のうちは、判断しないで時間を過ごすということが不可能だと感じたり、難しく思えたりするかもしれません。でもそれは、可能であるばかりか、ゆるぎのない心の安定のためには必須なのです。無判断を実践していると、最初のうちは頭の中で思考がうるさくおしゃべりするかもしれませんが、構わず優しく流してください。抵抗しないで放っておくと、そのうちに思考の方であきらめて、静かになるでしょう。

最初のうちは5分でかまいません。できれば朝と晩、無判断を実践してみてください。慣れてくれば、無判断の時を長く持つように訓練していけばいいでしょう。

無判断の日常的な実践は、心の安定をもたらすだけでなく、自己コントロール力や活力、識別力をアップさせます。結果として、いろいろな物事が流れにのって、うまくいくというご褒美も得られるはずです。

 

 

 

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意識と心と体

私は占い師ではありませんが、カウンセリングで数多くの人と接していると、この人は将来幸せになるだろうな、とか、反対に、この人はこのままではまず幸せになれないだろうな、と確信することがあります。

その根拠は、その人の意識状態にあります。

古代インドのウパニシャッド哲学によると、「意識が心を作り、心が体を作る」のだそうですが、カウンセリングをして、いろいろな人の意識状態、心の状態、体の状態をみてきた私は、つくづくそれは真理であると実感せざるをえません。

心に問題があると、やがて体に出ます。 問題がまだ心にあるうちになんとかすればいいのですが、それをしないで先延ばしにしていると、猶予期間を経たあと、目に見える形で肉体に現れます。

何年、何十年と、恨みや悲しみ、恐れ、自責の念、恥などの感情を持ち続けている人は、若いうちはまだいいのですが、特にある程度の年齢を経ると、体の痛みや病気といった形で、否が応でも心の問題に直面せずにはいられなくなります。ただし、若い人でも様々な身体症状に悩まされる人は結構います。例えば、虐待が多いアメリカでのカウンセリング経験では、線維筋痛症はたいてい虐待、特に性的虐待を経験し、それを長年抑圧していた人に非常に多く見られました。PMSや更年期障害といった症状も、心の症状と何らかの相関関係がある場合が多い気がします。

そして、心の問題は意識の在り方によって形成されます。

誰かに何かをされて嫌な思いをしたとき、いつまでも人を恨み続ける人、必要以上に自分を責めて落ち込む人とでは、心の状態がおのずと変わってきます。この場合の意識というのは、思考よりももっと奥深い部分を指します。思考(認知)は意識の表れではありますが、そのごく表層の一部が現れにすぎません。(なので、最近日本でもやっと知られるようになってきた認知行動療法だけでは、意識まで変えることはなかなか難しいと私は考えています。)

個人的には、心理カウンセリングは、結局のところ、本来、意識を変えるサポートとなるのが望ましいと思います。なぜなら、意識が変われば、すべてが変わりますから。何十年も鬱や不安、PTSDの症状にさいなまれていた人が、それを克服して別人のように明るく幸せになった例を時々見かけますが、これは意識がシフトした(切り替わった)結果に他ならないと感じます。そういう人たちは、口をそろえて、

「こんな気持ちになる日がくるなんて思わなかった」

「トンネルを抜け出して、明るいところに出たようだ」

と言います。意識、心、体のエネルギーが低い状態では、固く重く暗いと感じられますが、高い状態にシフトすると、軽い、明るい、柔らかいと感じられるのです。

ただ、意識を変えることは、大元を変えるということなので、そう簡単にはいかないことも多々あります。例えば、いつも原因は人にあると思っていて、自分の在り方に気づかない人に、傍から見るとそれでは決してうまくいかないとわかっていても、それに気づいてもらうのは一筋縄ではいかないことが多いものです。

どんな人も、奥底には純粋で光に満ちた意識を持っているものだと思いますが、それが何層にもおおわれていて、そこに到達するまでに取り除かなければならないものがある場合は珍しくありません。たいてい、そういった障害物を作り出しているのは、「痛み」、端的にいうと「愛の欠如」だと思います。

人の意識をより明るく光あふれる状態に導く方法を、これからもいろいろ学んで、カウンセリングに生かしたいていきたいなと思います。

 

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徹底的受容: radical acceptance

すでに起こったことに抵抗すると、苦しみが生まれます。

「こうなるべきではなかったのに」

「なぜ、こうなってしまったんだ」

等の言葉は、起こってしまったこと、すでにあることへの抵抗を表しています。

苦悩というものは、実をいうと、出来事そのものではなく、それに抵抗することによって起こります。

辛い状況や痛い気持ちに抗せず、あるがままに認め、思い切って受け入れると、不思議と心の苦しみはなくなるものです。

今、その状況を変えることができないなら、思い切って全面的に受け入れる。これを「radical acceptance=徹底的な受容」といいます。徹底的受容は、その状況がいい、悪いというのではなく、良し悪しを超えたところにあります。

今あるものを徹底的に受け入れると、意識状態が変わり、今まで執着していたネガティブなものに執着しなくなります。

これは、苦しみをなくすための叡智に他ならず、実践できさえすると、大変効果的なストレス対処法です。

よかったら、試してみてください。

 

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人からほめられたかったら

「人からほめられたかったら、ほめられようと思うな。」 

これって、逆説的なんだけど、真実だと思います。 

ほめられようと思って何かをすると、結局、本当の称賛は得られないものです。 

なぜなら、目的が「ほめられたい」というエゴからくる欲求に定まっているから。 

結果うんぬんではなく、ただそれがしたいから、それをすることが自分にとって正しいと思えるから、という純粋な思いで何かをすると、そのほうが結果的に人の心を動かすものです。

予想もしていなかったところから来る称賛こそが、その人の行為に対する真の評価であることが多いのではないかと思います。

 

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メンタルヘルスの法則集

最近、ゆっくり記事を書く暇がなくて、ご無沙汰しています。

今日はカウンセリングの現場でよく目の当たりにする、一種の法則のようなものを、手短に書いてみます。

1)頭で考えすぎると行動力が衰える。

思考過多であれこれ考える人は、不安を生み出し、自分にストップをかけて動けなくなりがちです。

2)過去のことを考えすぎると鬱になり、未来のことを考えすぎると不安になる。

過去はすでに過ぎ去っていてもう変えられないので、無力感にとらわれやすい。無力感は抑うつ状態を生み出しやすい。まだ来ていない未来のことも、今は変えられない。変えられないことを何とかしようともがくと、焦燥感にとらわれ、不安になりやすい。唯一変えられる時制である現在にフォーカスするのが、最も効率的で健全な意識の持ち方です

3)依存すると支配される。

依存すると、依存の対象に自分をコントロールする力を与えてしまいます。たとえば、パチンコやお酒に依存すると、パチンコやお酒が自分を支配するようになる。それが自分の意識の中で大きな存在になり、やがてそれ中心の生活を送らなければならなくなってしまいます。対象が人でも同じ。誰かに依存すればするほど、その人は自分の中で力を持つようになり、その人の言動によって一喜一憂するようになる。そして、その人がいなければ幸せではなくなる。これでは自分で自分を幸せにすることができなくなってしまいます。

4)境界線がない人は依存したりされたりしやすく、人に影響されやすい。

境界線(=人と自分の境目が甘い人)は、自分の感情と人の感情を混同たり、人の問題に責任を負おうとしたり、逆に自分の問題を人に背負わせようとします。境界線がない人には「自分がない人」が多いです。自分は自分、人は人、という風に割り切り、自分の人生には自分で責任を持つ、人の人生は最終的にはその人がなんとかするしかない、と意識するように心がけると、境界線が引けるようになり、人の影響を受けにくくなります。そして、周囲の目を恐れず、適切に自己主張もできるようになっていくので、生きるのが楽になります。

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失敗を恐れると成功しない

時々、失敗を極度に恐れる人に会います。

こういう人は、たいてい完璧主義になりやすく、必然的に不安感や緊張感も強い人が多いようです。

いつでも完璧に物事を成し遂げることは不可能だし、人生において一度も失敗しないこともありえないのですが、その不可能を可能にしようし、奮闘してもがくために、いたずらに不安感や緊張感にさいなまれてしまうというわけです。おまけに、完璧主義の人は失敗した時に必要以上に落ち込んだり、起こったり、不安に取りつかれたりするので、人一倍ストレスを受けやすくなります。

失敗や間違いを恐れる人は、失敗や間違いを悪いことだととらえている節があります。

起こってはいけない悪いことだから、避けようとする。

失敗を避けようとする人は、恐れから自分の行動を制限しようとするので、窮屈で不自由な世界に住まなければならないでしょう。

本当に成功して、偉業を成し遂げている人たちは、失敗を恐れません。

リスクを恐れないで冒険し、いろいろなことにチャレンジするので、多くを成し遂げ、発展することができる。加えて、偉人たちは、失敗してもタダでは起きないで、その過程で失敗から学び、転んで立ち上がる力を自信に変えて、より強く成長します。失敗も成長の糧にするなら、悪いことではなく、プラスの体験になります。

ちなみに、失敗を完全回避することは不可能かもしれませんが、失敗しにくくするためのコツはあると思います。それは、絶対失敗したらダメ、と思わないこと。絶対失敗してはいけないと思うと、かえって余計な力が入り、過度に緊張して、失敗しやすくなります。それより、失敗してもかまわないからやってみよう、と心を自由にしたほうが、本来の力が発揮しやすくなるでしょう。

たいていの失敗は半年後、1年後、5年後にはどうでもよいことになっているものです。つまり、たいていの失敗は取るに足りないこと。

失敗を恐れすぎないように、また、失敗しすぎても気にしすぎないようにしましょう。

 

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理屈が阻むもの

論理的思考、分析的傾向が強すぎる人は、学術的な意味では知性的なのかもしれませんが、かえって叡智からかけ離れてしまうように見受けられます。

平たく言うと、頭で考えることが得意で理屈っぽくて、勉強ができていい大学に行けるのかもしれないけれど、心の健康を司るための知恵にアクセスすることができにくい。

なぜなら、思考に偏りすぎる人は、身体的・内的な感覚に耳を傾けることが上手ではない人が多いから。直観というのは潜在意識の奥にある叡智につながっています。直観は思考ではなく、感覚的に得られるものなので、せっせと頭を働かせている人は、直観を受け取りにくいのです。直観は思考を静めて、リラックスしているときに、微妙な感覚として感じられるものです。ブルー・スリーの「考るな、感じろ」というのは名言だと思います。

ちなみに、頭で考えすぎると、たいてい、不安感が強まります。人は思考過多になると体の上の方のエネルギーが過剰になり、体の下の方のエネルギーが不足して、心身の状態は不安定になります。この状態では、肩や首がこったり、頭が痛くなったりしやすくなり、頭に血がのぼって緊張しやすくなるので、冷静に物事を判断することもできにくくなります。

さらに、思考を働かせている間は、内的感覚とつながらず、自分の内側にあるものを感じなくてもいいので、自分と対面することを恐れている人は、ノンストップで頭を働かせて逃避することがあります。その結果、疲れ果ててエネルギーを枯渇するだけではなく、自分の内側にある必要なメッセージを受け取れないので、道がそれて間違った方向に行ってしまったりします。

感情にアクセスすることを避けて、自分や相手の目を感覚的なものからそらし、傷つかないよう防御するため、論理思考、分析思考を多用することを、intellectualizationといいますが、それをしている人、つまり理屈っぽい人は、かえって心の問題を解決し、自分が幸せになるのを阻んでしまっているなあ、と思います。

論理的に考えられず、感情的になりすぎる人もまた問題ですが、何事もバランスが大切。知性と感性はバランスが取れている状態が一番いいのだと思います。

 

 

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ネコ・ブレイク

Have a neko-break.  たまにはネコの写真でもみて、ホッとしてください。(ただし、効果はネコ好きの人に限られます。)

 

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逆説の法則

人に気に入られようとして、無理に振る舞って疲れてしまい、心を病む人が、日本人には多いように感じます。

人に気に入られようとして振る舞うと、かえって、心から人に愛されることは少なくなります。

人にどう思われるか気にせず、自分らしく振る舞ったほうが、ありのままの自分を愛してくれる人を引き付けるでしょう。

人に尊敬されようとして振る舞うと、かえって尊敬されなくなるものです。

そんなことを微塵も考えずに、自分が正しいと思うことを誠意をもって行う人のほうが、気づけば周りに自分を尊敬してくれる人ができていた、という結果になるでしょう。

ノーベル文学賞を受賞したインドの詩人、タゴールは こう言っています。

私は眠り、夢を見る 生きることが喜びだったらと

私は目覚め、気づく 生きることは義務だと

私は働く

すると、ごらん、 義務は喜びだった

つまり、幸せを追い求めて生きると、幸せになれないということ。幸せとは、一生懸命生きた人が、人生を振り返って初めて感じることができるもの。目標ではなく、結果なのです。

これが人生における逆説の法則です。

ちなみに、なぜ人に好かれようとする人が好かれないか、尊敬されようとする人が尊敬されないかというと、その人は愛ではなくエゴに基づいて行為を選択しているからでしょう。

愛を発する人は人から愛を受け取る。人は自分が与えたものを受け取るというのは普遍的にして例外のない法則です。

 

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引きこもり生活が脳に及ぼす影響

最近、いわゆる「ひきこもりの若者」と話をする機会がよくあります。

それで気づいたことがあるので、少しシェアしたいと思います。

人にもよりますが、2~3年ならともかく、10年、15年と引きこもっていると、人は他者と普通に会話のややりとりをすること自体、できなくなってしまうようです。

会話というのは、こちらが投げかけた言葉に反応を返す、あるいはその逆をする、という言葉のキャッチボールによって成り立つものですが、それがまずできなくなるのです。

例えば、 「最近、雨が多いですね。」 と言われたら、 「本当ですね。」 とか、 「そうですね。でも暑さが和らぐのはいいですね。」 とか、自然に相手にフィードバックするのが、普通の会話のやりとりです。

ところが、長い間人と話すことをしないで来た人は、それができなくなってしまう。

まず、何かを聞いたとき、答えるのに人の何倍も時間がかかる。あるいは返事を返せない。逆に、向こうからこちらに言葉を投げかけることもできない。

先日、ある人と、ロールプレイで会話のやり取りの練習をしたのですが、終わった後、彼はこういいました。

「使っていない筋肉を急に使ったみたいだ。長い間ひきこもっていたから、普段使っていない脳を使って疲れた。」

それを聞いて、私ははっとしました。前頭葉が退化している。

前頭葉というのは、社会脳ともいわれていて、人と関わるときに使う脳です。人間が他の動物と大きく違うのは、この前頭葉が大きく発達している点で、ここは、人に対する共感、理性、論理思考などをつかさどります。ちなみに、爬虫類などの生物はこの部分が発達しておらず、生物的な本能をつかさどる後ろの方の脳(爬虫類脳ともいわれる)だけが活発です。

筋肉でも感覚器官でも脳でも、使わないと退化するもの。だから、生身の人間と関わることを何年も避けていると、関わること自体、できなくなっていくのでしょう。

引きこもっている間、よく家でゲームやインターネットなどをしている人がいますが、二次元レベルでの他者との関わりは、相手を目の前にして、全体の雰囲気を感覚で感じ取ってコミュニケーションするという関わりとは、まったく違います。よくゲーム脳といいますが、これは脳のごく限られた一部だけを過剰に使うことによって、脳のアンバランスをもたらすのだと思います。人と直接、接することは、前頭葉を活性化し発達させるのに必須なのだと思います。

 引きこもりの人たちと接していて感じる共通事項は、「回避」です。外に出られなくなった理由は人それぞれでしょうが、根底には「嫌なこと、辛いことを避けたい」という回避があるようです。

嫌なことを避けると、嫌なことに直面する機会は減るでしょうが、その代り、体験を避けることにより、脳も感覚器官も使わなくなって衰えるので、喜びを感じにくくなり、結果、いいことも起こりにくくなります。これは必然です。また、困難を避けることにより、困難に対する対処能力、苦悩耐性もなくなるので、普通の人が平気なことでも異常に辛く感じるようになります。最後に、嫌なことというのは生きていれば必ず起こるもので、避けきれるものではありません。心理的にいうと、物事は避ければ避けるほど怖くなものなので、免疫のない脆弱な精神の持ち主になりたくなければ、避けないほうが得策だと思います。

退化した筋肉は、リハビリをすることでもとに戻っていきます。脳も同じです。長年使わないで衰えた社会脳は、少しずつ人と関わり、コミュニケーションをとる訓練することにより、またスムーズに使えるようになります。

長年引きこもって人と話をしていない人は、まず、傷つく危険性が少ない、一時的な人との関わり(お店で買い物をする、電話で問い合わせをする、案内所で道を聞く等)からリハビリを始めてみてはいかがでしょうか。

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