盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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依存を手放す

すべての中毒的な依存は、根本的には、愛を似て非なるもので埋めようとする、代替行為なのではないかと思います。

お酒、ギャンブル、麻薬、ホストやキャバクラ、電話占い、恋愛などの人間関係。いろいろありますが、そこに執着する心理には共通点があるなあと、色々な人を見ていて思います。

ただ、そこに執着していればいるほど、確実に本当の愛から遠ざかってしまいます。

執着しているものを手放すと、空虚さと向き合わなければならないから怖いのだと思いますが、実際のところは、手放すことで、新しいものが入ってくるスペースが生まれるんです。逆に言うと、手放さないと、本当に欲しているものは入ってくることができない。

一時的な快楽しか与えてくれず、長い目で見ると自分を毒するものを手放すのは難しいかと思いますが、もう何年も電話占いにはまってしまって、とか、ホストやパチンコでお金を使ってしまって、という人を見ていると、それを続けている限り、幸せな状態ではないし、幸せな状態になりえないことがわかります。

自分の本当の気持ちと向き合うのは、辛いでしょうが、それも一時的なもの。ちゃんと見て感じてあげると、その辛さは長続きはせず、やがては必ず消えていきます。辛い気持ちを、見ないように目をそらしたほうが、その気持ちは水面下で継続するものです。そうなると、やがて鬱や不安、コントロール不能の怒りなどになって、心を病む人が多いです。

自分の心から逃げないで寄り添い、自分を惨めにするものを手放す勇気を持つことは、幸せになるために、とても大切なことだと思います。

 

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毒親という言葉

毒親という言葉が、最近はやっているみたいですね。

アダルトチルドレンという言葉も、日本ではもうすっかり定着していますね。アダルトチルドレンは、アルコール依存の親がいる機能不全の家庭というのがもともとの意味ですが、その発祥の地のアメリカでも、近年はもう聞かれない言葉です。ちなみに、毒親と同じく、精神医療の専門用語ではありません。

毒親という言葉を聞いて思うのは、その言葉を好んで使っている人は、自分の心の問題をなかなか乗り越えられないのではないかなということです。

なぜなら、そこには、

「親のせいで自分がこうなった」

という、他責的なニュアンスがとても強く含まれているから。それは、被害者意識を植え付けてしまう言葉だからです。

そういう意識状態にある人が、過去を乗り越え、自分の傷を癒して、元気になったという例を、私は今だ見たことがありません。逆に、被害者意識が強い人が前に進めず、幸せになれない例なら、いつも見ています。

なぜか。

直接的な原因が親にあったとしても、自分の傷を癒して、幸せになるのは、絶対的に自分の責任だから。親はそうしてはくれません。親以外の他人もそうはしてくれません。最終的、究極的には、自分でそれをするしかないのです。

これは、一見、不公平で残酷なように聞こえるかもしれないけれど、見方を変えるととても素晴らしいことです。まわりの人や環境がどうあろうと、自分の心は自分の思い通りにできるし、自分の人生も自由に創造できる可能性を、人は持っているということだからです。

誰かのせいにすると、その時は楽かもしれないけど、長い目で見ると、自分の可能性を制限し、心を縛ってしまうという、とても辛いことが起きてきます。

アダルトチルドレンという言葉にも、毒親と同じ意味で、あまりこだわらないほうがが心は自由になれるのかなと思います。

私がアメリカでカウンセリングしていた頃、職場にセラピーに来ていた、常時300人くらいいるクライアントさんは、9割以上がいわゆるアダルトチルドレンでした。理想的な親を持った人など、ほとんどいませんでした。(アダルトチルドレンが大多数で、そんなのは当たり前だから、アメリカでは使われなくなったのかもしれないと思います。)ドラッグや犯罪が蔓延する社会なので、当然家庭が崩壊している人が大多数、近親相姦などのひどい虐待は日常茶飯事、家族が自殺したり殺されたりすうのを目撃するといった壮絶なトラウマを抱えている人も珍しくはありませんでした。それでも、自分で自分を癒し、人を許し、過去は過去として、前に進んでいける人は、たくさんいました。それが簡単な作業だとは決して言いません。けれども、人にはそれができる力が備わっていることを、私は多くのクライアントさんに教えられました。

心の問題を乗り越えて幸せを築いていける人の共通点は、自分の不幸を人のせいにしないこと。犠牲者意識を抜け出していること。そして、おまけにもう一つつけ加えるとすると、愛があることですね。心に愛がある人は、人も自分も癒すパワーが大きいです。人には誰にでも自然に愛は備わっており、ブロック(心を阻害するもの)が多いとそれが表にはでてこれない。それだけの違いなです。愛を表現して癒しを実現し、幸せになれるなれるポテンシャルは、どんな人にもあるというのが、私の信念です。

言葉は意識の表れですが、言葉を選ぶことによって意識を変えることもできるので、自分を進化させ、成長させるような言葉を選択するよう、気をつけてみてはいかがでしょうか。

 

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アメリカに行ってきました

アメリカのセミナー旅行から戻りました。

 

ニューメキシコ州のアルバカーキという町で開かれた3日連続セミナーに参加してきました。

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セミナー会場の様子。

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朝8時から午後4時まで、休憩をはさんで1日7時間のセミナーです。

内容は、認知行動療法の集中講座なのですが、サイコセラピスト(臨床心理・精神療法士)向けで、精神疾患の治療に役立つような実践的な内容でした。1日目は既に知っている基本的な内容で、正直退屈でしたが、2日目、3日目になると、うつ、不安障害、PTSD、薬物依存、強迫観念症から、各人格障害まで、色々な精神疾患にどう応用するかという具体的な内容に発展していて、なかなかおもしろかったです。

日本では認知行動療法の基本計が数年前からやっと少しずつ広まってきているようですが、アメリカでは認知行動療法はすでに使い古された療法(と私は思っている)で、現在はすでに第三波として、その発展形であるACT(Acceptance and Commitment Therapy)、マインドフルネス、DBT(Dialectical Behavioral Therapy=弁証法的行動療法)が確立しています。

私はどちらかというと、認知行動療法はPTSDや双極性障害のような深いレベルの心の治療には向かない、限界のある療法だと思っていて、今回も3日間連続で、まとめて免許更新に必要な単位が手っ取り早く取れるという理由だけで、このセミナーに参加したのですが、それなりに役に立つ知識も得られたので、まあ参加してよかったなと思いました。

認知行動療法の強みは、なんといっても、とても実践的で、具体的なスキルが数多く存在し、使いやすいという点だと思いますが、カウセリングのツールとして使える資料がたくさん手に入ったのはよかったです。(ただし、全部英語なので、日本語に訳さないと使えないけど。ああ、面倒くさい(-_-;)。)

 

セミナーを終えた後、2日ほど自由行動の時間を取っていたので、以前働いていた町に足を延ばしました。

 

人呼んで、覚せい剤の町。(覚せい剤以外の麻薬も蔓延していましたけど。)

 

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ギャングがたくさんいて、心を病んでいる人がとても多い街でした。仕事的にはとてもやりがいがありました。

当時のクライアントさんたちは、みんな元気かな~、どうしているかなあ、と思いを馳せました。

 

元同僚と会って、一緒にご飯を食べ、積もる話もしました。アメリカの料理は量が半端ないです。ギャル曽根じゃあるまいし、こんなものを全部食べたら、一晩じゅう胃もたれに苦しむ羽目になります。私はレストランで食べたら、半分残してお持ち帰りし、次の日のお昼に食べていました。ニューメキシコは、メキシコ料理がたくさんあるので、ここにいる間しか食べられないと思い、毎日のようにメキシコ料理を食べていました。

 

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ニューメキシコ北部にも足を延ばしました。ちなみにニューメキシコはUFOがよく飛んでくるとか、NASAの秘密基地があるとか言われているところです。UFOが墜落して宇宙人が生け捕りにされた、Rosewellという町もニューメキシコにあります。

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広島に落とされた原爆が作られたLos Alamosという町もあって、そのそばも通りました。

そういえば、ニューメキシコに住んでいた頃、Los Alamosの核爆弾の研究所で働いている科学者と、あるパーティーで一緒になったことがありますが、実験で使った燃料を川にそのまま流していると小耳にはさんで、びっくりしたことがあります。聞き違いかと思いましたが、初めて会う人だし、たくさん他に人もいて、聞き返して確認することができませんでした。もしかすると、核開発とか、原子量発電は、当事者の間では杜撰な管理が当たり前なのかもしれないと思います。本当は、安全というものはあり得ないのではないでしょうか。

 

ニューメキシコ北部の典型的な景色は、ジュニパーやピニョン(松の一種)が生えた砂漠です。

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砂漠の気候は、日中と夜の気温差が大きくて、夜や明け方はかなり冷え込むので、紅葉も日本より進んでいました。

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イーグルネスト州立公園というところに行ってみました。たぶん、日本人は誰もいかないところです。(こんなところまでわざわざ行く人はいない。)アメリカ人もあんまりおらず、静かでよかったです。

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公園内には、プレーリードッグという野生の小さい動物の巣穴がいたるところにあって、モグラたたきのごとく、あちこちから顔を出していました。

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リスっぽい顔だけど、日本語だと山ネズミっていうのかな。かわいらしい姿でキーキー鳥みたいな声で鳴きます。私が行くと、「人が来たぞ~!」「わかった!」と呼び合って、あたりの仲間に知らせあっているのがわかりました(←動物語が少しならわかる私)。

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その他、タオスとサンタフェという町に行きました。両方とも観光地で、ニューメキシコに典型的なアドビー(土で作った家)がたくさんある感じのいい街です。

 

サンタフェのプラザ(町の中心の広場)では、インディアンの人たちが、トルコ石のジュエリーをたくさん売っていました。

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キャメルロック(らくだ岩)。

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フリーウェイ沿いのインディアカジノの近くにあります。自然にできた岩です。

本当にラクダの形をしています。

 

締めくくりは虹の写真で。

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空が広いから、雨が降ると空のどこかにたいてい虹が見つかります。ダブルレインボーもしょっちゅう見ることができます。

 

実際のところ、今回の旅は、色々ハプニング満載で、思い通りにならないことばかりの旅でした(しょっぱなから飛行機が5時間近く飛ばず、乗り継ぎ便を逃すとか)。

でも、予定外のできごとって、anxiety mnagement(不安のマネージメント)や、decision making(意思決定)のスキルを磨く格好の経験なんですよね。最初から最後まで、想定外の出来事ばかりなので、途中から

「そらきた。次はなにかな。」

と、想定外を想定するようになりました。

大変だったけど、ハプニング満載だった分、かえって面白くて、とても楽しい旅行になりました。(^^♪

 

お知らせ

アメリカで精神医学セミナー受講の為、9月下旬、しばらくカウセリングをお休みさせていただきます。メールやお電話でのお問い合わせやご予約のお返事は、9月28日以降になります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

 

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9月の予約状況について

9月1日現在、9月の予約スケジュールはもう空きがない状態です。

ご予約ご希望の方は、10月以降になりますことをご了承ください。

ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。

アサーティブネス

先日、セラピーグループでお話しした内容をシェアしたいと思います。

アサーティブネスは、コミュニケーションの方法の一種であり、対人関係を良好に保つための重要なスキルでもあります。

少し長くなりますが、ご参考ください。

 

<アサーティブネスと4つのコミュニケーションスタイル>

 

◎4つの基本のコミュニケーションスタイル

 

アサーティブネスとは、相手を尊重しながら、明快で、率直、かつ誠実に、自分の考えや要望を相手に伝えるコミュニケーションの方法です。健全な対人関係を築くためには、アサーティブなコミュニケーションを学ぶ必要があります。他の3つのコミュニケーションスタイルと共に、アサーティブなコミュニケーションの特徴を、詳しくみていきましょう。

 

1. 消極的コミュニケーション(passive communication)とは、自分の意見や気持ちを表現したり、自分の権利を守ったり、ニーズを満たしたりすることを避けるコミュニケーションスタイルです。消極的コミュニケーションは、通常、低い自己価値感に根差しており、そこには「私は大切にされる価値はない」という思い込みがあります。消極的な人は、傷つけられたり、普通なら腹を立てたりするような状況でも、表立っては反応しません。その代わり、気づかないうちに不平不満を募らせ、我慢の限界に達した時、些細なきっかけで、異常に爆発してしまう傾向があります。爆発の後は、通常、恥や罪悪感、混乱を感じて、消極的な状態に戻ります。

消極的コミュニケーターは、しばしば、

  • 自己主張ができません。
  • 他の人が、故意に、あるいは気づかずに、自分の権利を侵害するのを許します。
  • 自分の気持ちやニーズ、意見を表現できません。
  • 小さな声で、申し訳なさそうに話します。
  • 視線をあまり合わせず、うなだれた姿勢を取ります。

消極的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 人生がコントロール不能に思えて、不安になる
  • 行きづまり、希望を見出せず、落ち込む
  • 自分の必要が満たされないので(自分でも気づかないうちに)憤慨する
  • 自分の本当の気持ちを無視しているので、混乱する
  • 本当の問題に言及することがないので、成長できない

消極的コミュニケーターは、こう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は自分の権利を守ることができない。」
  • 「私は自分の権利というものが何かわからない。」
  • 「私は、みんなに踏みつけにされる」
  • 「私は弱くて、自分を守ることができない」
  • 「人は決して私の気持ちを考えてくれない」

 

2. 攻撃的コミュニケーション(aggressive communication)とは、他の人の権利を侵害するようなやり方で自分の意見や気持ちを表現し自分のニーズを主張するコミュニケーションスタイルです。攻撃的コミュニケーターは、言葉や体の暴力を振るいます。攻撃的コミュニケーションは、低い自己価値感、癒されていない傷、無力感から生まれます。

攻撃的コミュニケーターは、しばしば、

  • 他の人を支配しようとします。
  • 相手に屈辱を与えることで支配しようとします。
  • 批判、非難、攻撃をします。
  • とても衝動的です。
  • すぐにイライラします。
  • 声が大きく、きつくて横柄な話し方をします。
  • 強迫的で、無礼な態度を示します。
  • 人の話をよく聞きません。
  • 頻繁に人の話を遮ります。
  • youステートメントを使います。
  • 射貫くような目で、威圧的な態度にでます。

攻撃的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 他の人たちから疎んじられる
  • 他の人たちを疎んじる
  • 他の人たちの心に、恐れと憎しみをもたらす
  • 自分の問題を認識することなく、いつも人のせいにするので、成長できない

攻撃的コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は正しく、あなたは間違っている。」
  • 「私は優れていて、あなたは劣っている。」
  • 「私はうるさくて、威張っていて、押しつけがましい。」
  • 「私はあなたを支配し、怖がらせることができる。」
  • 「私はあなたの権利を侵害できる。」
  • 「私は何がなんでも自分の思いを通す。」
  • 「あなたにはなんの価値もない。」
  • 「全部あなたが悪い。」
  • 「私は即、応じる。」
  • 「私は特別だ。」
  • 「あなたは私に借りがある。」
  • 「私はあなたを所有する。」

 

3. 消極的-攻撃的コミュニケーション(passive-aggressive communication)は、表面では消極的でも、実際は、わかりにくい微妙なやりかたで、こっそり怒りを表します。消極的-攻撃的コミュニケーターは、通常、無力感と行き詰りを覚え、憤っています。しかし、怒りを直接表現できないので、表向きは笑顔で従うふりをしながら、裏で抵抗し、相手に妨害工作を行います。

消極的-攻撃的コミュニケーターは、しばしば、

  • 相手や問題に直接立ち向かわず、ぶつぶつ口の中でつぶやきます。
  • 自分の怒りをなかなか認識できません。
  • 気持ちと顔の表情が一致していません。(例: 怒っているときに微笑む)
  • 皮肉をいいます。
  • 問題が存在することを否定します。
  • わざと嫌がらせや邪魔をしながら、協力的なふりをします。
  • 仕返しのために、微妙な妨害工作を行います。

消極的-攻撃的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 周囲の人たちから疎んじられる
  • 無力なままで身動きができない
  • 本当の問題に言及することなく怒りを吐き出しているので、成長できない

消極的-攻撃的コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は弱く、憤慨している。だから、妨害工作をし、苛立たせ、邪魔をする。」
  • 「私は真正面からあなたに向き合うには弱すぎる。だからゲリラ戦に持ち込む。」
  • 「私は協力的に見えるが、実際はそうではない。」

 

4. アサーティブ・コミュニケーション(assertive communication)とは、自分の意見や気持ちを明快に述べ、他の人の権利を侵害することなく、自分の権利やニーズをはっきり主張するコミュニケーションスタイルです。アサーティブ・コミュニケーションは、高い自己価値感から生まれます。アサーティブ・コミュニケーターは、他の人の権利をとても大切に扱う一方で、自分の時間や、感情的・精神的・身体的ニーズを尊び、自分の為に断固として主張します。

アサーティブ・コミュニケーターは、

  • 自分の必要や欲求を、はっきり、適切に、礼儀正しく伝えます。
  • 自分の気持ちをはっきり、適切に、礼儀正しく伝えます。
  • I ステートメントを使います。
  • 他の人に敬意を示します。
  • 遮らずに聞きます。
  • 自己コントロールができていると感じます。
  • しっかり目線を合わせます。
  • 穏やかではっきりした声で話します。
  • くつろいだ態度を示します。
  • 他の人とのつながりを感じています。
  • 自分が有能で、自己統御できていると感じています。
  • 他の人が自分をひどく扱ったり、操作したりするのを許しません。

アサーティブ・コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 他の人たちとつながっていると感じる
  • 自分の人生を統御していると感じる
  • 問題が起きたらそれにきちんと向き合うので、成長することができる

アサーティブ・コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私たちは皆、お互いを敬いながら自己表現する権利を有している。」
  • 「私は自分に自信がある。」
  • 「私は自分の人生を選択できることに気づいている。」
  • 「私ははっきり、率直に、わかりやすく話す。」
  • 「私は他人をコントロールできないが、自分はコントロールできる。」
  • 「人に自分の権利を尊重してもらうことは、自分にとって重要事項だ。」
  • 「相手を尊重しつつ自分のニーズを満たすのは、自分の責任だ。」
  • 「私は他の人の権利を大事にする。」
  • 「私は自分の幸福に100%責任がある。」

参考資料: serenity online therapy (http://serenityonlinetherapy.com/assertiveness.htm)

以上です。中に、Iステートメント、youステートメントという言葉が出てきましたが、これもコミュニケーションスキルの重要なポイントです。端的に言うと、あなたは、で始まる言葉は、相手に対する非難や攻撃のニュアンスを含みやすく、私はこういう気持ちになるという、「私」を主語にした話し方は、責任は私にあるというニュアンスを含むので、相手が防衛的になりやすいということです。機会があれば、このへんもまたシェアしたいと思いますが、長くなるので今日はこの辺で。

 

 

バリアを解除して現実を受け入れる方法

不安や恐れ、怒りなど、いわゆる否定的な感情が慢性的に支配している人は、呼吸が浅く、だいたいいつも気が張って、体がこわばっています。これは変化に抵抗して、防衛のためのバリアを張っている状態です。

バリアを張っていると、外から新しいものが入ってくることができず、古いものを手放すこともできないので、変化が起こりません。こうして心を守っていると、これ以上刺激を受けて怖い思いをすることはないかもしれませんが、自分が作った閉鎖された空間の中で、エネルギーの動きがとまって停滞してだんだん淀んでいきます。

そもそも、バリアを張り巡らすということ自体、自然な状態ではなく、不自然な状態を保つために無意識に大きなエネルギーを使っているので、とても疲弊する行為です。それに加えて、新しい新鮮なエネルギーが入ってくることができないので、どんどん今あるエネルギーが枯渇して、最終的には無気力(エネルギー不足)になり、うつ状態に陥ります。

では、どうやってバリアを解除したらいいのでしょうか。

自分を守るために築いた壁を、そう簡単に壊すことはできないのでしょうが、少なくとも一時的に痛みにしがみつくのをやめ、バリアを解除して、ありのままの現実を受け入れる方法があります。

やり方は一つだけではありませんが、1分あればすぐにできる簡単な方法なので、私がよくカウンセリングで使うのが、聴覚をつかう方法です。これは、少しの間、ただ、耳を澄まして、周囲の音だけに集中するというものです。これはできれば人工的な音があふれている町中よりも自然の多い場所で行う方が効果的です。耳を澄ませば、通常、複数の音が入ってくるでしょうが、その中でも、鳥や虫の声など、自然の音を聞き分けて、それに意識をフォーカスします。そばに川があれば水の流れる音でもいいでしょうし、風が吹いていれば風の音、雨が降っていれば雨の音に耳を傾けるといいでしょう。そうすると、音を聴いているわずかな時間、音に集中すればするほど、防衛のために固くなっている心や体が外に向かって開き、穏やかにリラックスします。これは、苦しみにしがみつくのをやめて、今ある現実(周囲の音)をありのまま受け入れたために起こる状態です。

聴覚以外に、ぼんやり景色を見る、呼吸に意識を向ける、瞑想する、温泉やアロマでリラックスする等でもいいでしょう。

リラックスして力が抜けている時は、私たちはありのままの現実を受け入れやすい状態になります。特に、考えるのをやめて感覚に身をゆだねているときは、外のものが自分の中に入ってくるのを自分に許している状態になります。なので、防衛が緩むのです。この時、自分の中に入ってくる感覚が心地よいものであればあるほど、楽になって心が落ち着き、心と体に変化が起こります。

結局、変化というものは、起こっている現実をいったん受け入れることによってはじめて起こるものなんですね。現実を拒んで抵抗していたら、どうやってその現実を変えることができるでしょう。けれども、私たちは、痛みを抱えているときは特に変化に抵抗しがちです。そういうとき、上記の方法で、少しの間でも抵抗をやめると、縮こまった心がほどけ、エネルギーに動きが出てきやすくなります。

「ありのまま受け入れる」ことでバリアを解除し、止まっている心身のエネルギーを動かす簡単な方法、みなさんもよかったら試してみてください。

 

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8月のグループセラピー・新メンバー募集のお知らせ

月に1度、日曜日に開催しているグループセラピーの新メンバーを、若干名募集します。次回は8月21日(日)午後、盛岡市内で開催します。次回のテーマは「対人関係保持スキル」です。いかに良好な対人関係を維持しながら、自分の望む変化を起こし、かつ、自尊心も保つか、その具体的な方法を学んでいきます。

興味がある方は、casai.hummingbird575☆gmail.com(☆を@に変えてください)より、事前にご連絡ください。詳細をご連絡いたします。

 

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「統合失調症薬で85人死亡」の記事に思う

先日、新聞で見かけた記事に、ゼプリピオンという統合失調症薬で85人が死亡し、問題になっているとありました。

これは2013年から使われている新薬で、注射して効かせるタイプの薬のようです。

これを見て、改めて精神疾患に使う薬(向精神薬)の危険性について思いを馳せました。

私は精神科医ではないので、薬物療法は専門外なので、あくまでも個人的意見なのですが、薬は身体にとって異物であり、人工的に作られた薬の場合、副作用はほぼ必ずあると考えています。

アメリカでの臨床経験を含め、様々な薬を長期にわたって服薬され、中には中毒になり、それがなくては生きていけなくなった挙句、過剰摂取してショック死されたクライアントさんも見てきた私としては、薬だけに頼る精神の治療には非常に疑問を抱いています。

特に日本の精神医療の在り方には、以下の理由から、とても危惧しています。

1)アメリカではすでに危険なので使われなくなっている薬が、いまだによく使われている。

2)同じ症状に重複した作用のある幾種類もの薬が、大量に処方されている。

3)正確な診断ができると思われる精神科や心療内科が少なく、誤診が非常に多い。特に統合失調症、双極性障害、発達障害の過剰診断は目に余るものがある。

3)に関していえば、例えば、「自分が嫌で仕方がない。無気力で、何をする気も起こらない。もう死ぬしかない。」と言っている人が、心療内科に行って、時間をとって話を聞いてもらうこともなく、発達障害の心理検査だけ与えられる。その結果、発達障害の傾向はあるが、機能的には問題がないレベルでしょうと言われる。こういうことが実際にあります。この人の場合、明らかに希死念慮を伴った抑うつがターゲットになるべき症状であり、緊急に治療的介入が必要なのですが、主治医はそれを見逃してしまっています。また、「自分が嫌い」という状態は、薬で治すことはできません。なぜ自分が嫌いなのか、いつから?そのきっかけは?というところから聞いていって、どうしたら自分を受け入れ、生きる辛さを軽減できるか、という方法を探る必要があると思いますが、話も聞いてもらえず、薬を処方されるだけでは、それはできないでしょう。例え薬で仮に一時的に気分が軽減したとしても、根っこにある鬱を引き起こす原因がそのままであれば、またいずれ症状が優勢になってくる可能性が高いです。

加えて、統合失調症や双極性障害をあまりにもイージーに診断してしまう傾向は、とても危険だと思います。なぜなら、これらの診断が出れば、強い薬(抗精神薬)が処方される可能性が高く、それがもし誤診で必要のない薬であれば、益になるどころか害になります。

脳内神経物質に作用する向精神薬は、摂取し始めた時は異物であっても、体がそれに慣れるに従い、それがあって初めて正常に脳が作用するようになってきます。言い換えれば、それがなければ正常に作用しなくなる。身体が依存してしまい、薬を切れると不安で仕方がなくなり、いてもたってもいられないので、盗んででも薬を手に入れようとするクライアントさんが、アメリカに何人もいました。

また、大量の処方薬を長年飲んでいる人には、共通した表情があり、それは大麻や覚せい剤、ヘロインなどの麻薬を長年常用している人と酷似していることもつけ加えておきます。ひとことでいうなら、薬に支配されて、生命力を抜かれてしまった、ソンビのような生気のない表情です。恐らく、人工薬には本来備わっているプラーナ(氣)を弱める作用があるのだと思います。

日本では、ネガティブな症状(抑うつ感、無気力、表情のなさなど)だけで統合失調症と診断されるケースが多いようで、びっくりしていますが、妄想や幻覚、特異な言動などのポジティブな症状がなければ、本来は統合失調症の診断基準に値しません。また、双極性障害の躁の症状にしても、正常範囲内と考えられるのに病気にされているケースが多いように思います。ストレスが高まったときに怒鳴ったり、買い物で発散させるという行動は、誰でもしうることで、それがそう頻繁でなく、ストレスレベルからして無理もない状態だったり、使った金額が収入や貯蓄の額からして、そうダメージを与えるものでない場合は、正常範囲内と判断できるかもしれません。そのあたりも詳細に聴取してなければ、正確な診断はできません。

色々書いてきましたが、最終的に、自分を守るために、適切な診断を下し、適切な治療をする力のある医師や病院を選ぶというのは、自己責任になってしまいます。専門家のいうことだからと、盲目的に鵜呑みにしないで、少なくとも処方された薬の作用、副作用を自分で調べて知っておく、おかしいと思ったらセカンドオピニオンを得るなどして、自分がよくなり、幸せになるために、自身の判断を用いてほしいと思います。

 

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