本年もよろしくお願いいたします。
みなさまに光が降り注ぐ1年でありますように。
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本年もよろしくお願いいたします。
みなさまに光が降り注ぐ1年でありますように。
2016年ももうすぐ終わり。1年間、ありがとうございました。
今までお会いした方たちが、今どうしているかな、幸せかなと思いを馳せながら、年末を過ごしていました。
今、辛い思いをしている人も、幸せだと思える時が早く訪れるよう、お祈りしております。
年始は3日までお休みをただきます。
カウンセリングのお申し込みは4日以降になりますので、よろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。
よく、雑談が苦手で、人とどう接していいかわかならいという人がいます。
人が信用できないと心を閉ざす人も少なからずいて、そういう人はたいてい雑談も苦手です。
ここでは、人といい関係を築くことができるようなコミュニケーションの取り方について、ご紹介します。
また、どうやって人を信頼すればいいかのヒントにもなるかと思います。ご参考になれば幸いです。
相関的な信頼関係を築く
どんな関係も、即座に相手を信頼して始まることはありません。信頼は、1回1回の交流を通して、少しずつ獲得していくものです。それは、共通の趣味や、互いを思いやるやりとり、協力、敬意、相手の話を聴いたり理解しようとする姿勢を通じて、相関的に、レンガを一つ一つ積み上げるように築いていくものです。相関とは、相手が与えるものに、心からの興味を抱くことを意味します。そうすれば、たとえあなたの人生に難しい人が出現したとしても、架け橋を築くことが可能です。もし、あなたの相関的な関わりに相手の反応が返ってこなかったら?―たとえそのときでも、あなたは、理解という親切な贈り物を相手に送ることができます。
どうやって
いつ
コミュニケーションスキルを高めたいとき、誰かと親しくなりたいとき、対人関係でもっと楽天的になりたいときに使いましょう。
参考文献: Altman, D. (2016). 101 Mindful Ways to Build Resilience: Cultivate Calm, Clarity, Optimism & Happiness Each Day. Eau Claire, WI. PESI Publishing and Media.
10月、アメリカにセミナーに参加した際、会場で購入したマインドフルネスの本から抜粋し、訳したものです。マインドフルネスに基づいた不安コントロール法です。参考にしてみてください。
「不安列車」を降りる
思考は、「一連の思考(a train of thoughts)」というように、連なる列車にとてもよく似ています。もしも、「不安な思考の列車」に飛び乗ってしまったら、どうなるでしょう?その列車は、あなたをどこに連れて行くでしょう。終点はどこでしょうか。あまり楽しい場所とはいえない、「心配の国」や、「悶々の村」や、パニックの町」に行きついてしまう人もいるでしょう。このエクササイズは、あなたがいつでも列車を降りて、プラットホームに戻るための手引きになります。切符を買ってしまったとしても、あなたには好きな時に、たとえ隣の駅ででも、列車を降りる力があるのです。
どうやって
いつ
気が動転した時、不安がとまらなくなりそうなとき、パニックになりそうなとき、いつでもこれを使ってください。早い段階で使えば、それだけ列車を降りるのも簡単になります。
参考文献: Altman, D. (2016). 101 Mindful Ways to Build Resilience: Cultivate Calm, Clarity, Optimism & Happiness Each Day. Eau Claire, WI. PESI Publishing and Media.
失敗がなく、なんでもできて、スタイルもよく、見目麗しく、頭も抜群dね、お金持ちになれば、自分に満足して自分を好きになれるのでしょうか。決してそうではありません。
もし一時的にそうなったとしても、自己価値感が低い人は、また別の欠点を探して自分が嫌になるでしょう。
自分を好きになる秘訣は、完全無欠になるのではなく、不完全な自分を受け入れることです。
母親が子供を愛するのは、子供が完璧だからではなく、汚したり、物を壊したり、散らかしたり、駄々をこねたりする子供を、その不完全性を含めて、ありのまま愛するからです。それが無条件の愛というものです。
無条件の愛を、自分に対して向けること。
そうすれば、他者に対しても優しくなれるので、愛が広がり、結果としてこの世界はよりよい場所になっていくでしょう。
よく、自分のことを批判し続ける人がいます。
自分はダメ人間だ、なにもできない、魅力がない、役に立たない、うんぬん。
ひどいときには、何か月も、何年も、そう言い続ける人がいます。
そういう人を見るとき思うのは、
「自分でそういうなら、そうでしょう。」
ということ。
自分にレッテルを貼り、そうだと強く信じると、それはその人の生きる現実において、真実になります。
例えば、同じ条件の2人がいるとします。2人とも同じ年齢でアルバイトをしているとします。
一人は、自分はこの歳になって正社員にもなれず、アルバイトの身で、ダメな人間だと思う。
もう一人は、今のアルバイトをずっとやりたくはない、いつかはもっと安定した仕事につきたいと思ってはいるが、それが理由で自分をダメだとはみなしてはいない。
前者の人は、自分自身が、自分をダメ人間にしてしまっているのです。
現実というのは、結局、その人の意識が作り出すものなので、自分がそう思い続ける限り、誰が何と言おうと、その人はダメ人間です。(そういう人は、そんなことないでしょう、あなたはこれもできるし、これもできる、だからダメではない、と言っても、たいてい、頑なに耳に入れようとはしません。その反面、自分で自分を認めることができない分、穴埋めしようとして、人の承認を強く欲する傾向があります。)
後者の人は、同じ立場であっても、自分をダメだと思っていないので、自己卑下していない分、現実はそれほど苦しくないでしょう。現状に満足していなければ、自己批判することなく、ただ変わればいいわけですし、今すぐに変化を起こせないのなら、とりあえず、今の現状を受け入れればいい。そうすればそこに不必要な苦悩が生じるスペースはありません。
自分がダメ人間になりたいとか、役立たずになりたいとか、魅力のない人間になりたいとかでなければ、自分にそういったレッテルを貼るのをやめることです。
良くも悪くも、人は自分が定義したものになる。
自分の現実を自分で創造しているということを、忘れないでほしいと思います。
すべての中毒的な依存は、根本的には、愛を似て非なるもので埋めようとする、代替行為なのではないかと思います。
お酒、ギャンブル、麻薬、ホストやキャバクラ、電話占い、恋愛などの人間関係。いろいろありますが、そこに執着する心理には共通点があるなあと、色々な人を見ていて思います。
ただ、そこに執着していればいるほど、確実に本当の愛から遠ざかってしまいます。
執着しているものを手放すと、空虚さと向き合わなければならないから怖いのだと思いますが、実際のところは、手放すことで、新しいものが入ってくるスペースが生まれるんです。逆に言うと、手放さないと、本当に欲しているものは入ってくることができない。
一時的な快楽しか与えてくれず、長い目で見ると自分を毒するものを手放すのは難しいかと思いますが、もう何年も電話占いにはまってしまって、とか、ホストやパチンコでお金を使ってしまって、という人を見ていると、それを続けている限り、幸せな状態ではないし、幸せな状態になりえないことがわかります。
自分の本当の気持ちと向き合うのは、辛いでしょうが、それも一時的なもの。ちゃんと見て感じてあげると、その辛さは長続きはせず、やがては必ず消えていきます。辛い気持ちを、見ないように目をそらしたほうが、その気持ちは水面下で継続するものです。そうなると、やがて鬱や不安、コントロール不能の怒りなどになって、心を病む人が多いです。
自分の心から逃げないで寄り添い、自分を惨めにするものを手放す勇気を持つことは、幸せになるために、とても大切なことだと思います。
毒親という言葉が、最近はやっているみたいですね。
アダルトチルドレンという言葉も、日本ではもうすっかり定着していますね。アダルトチルドレンは、アルコール依存の親がいる機能不全の家庭というのがもともとの意味ですが、その発祥の地のアメリカでも、近年はもう聞かれない言葉です。ちなみに、毒親と同じく、精神医療の専門用語ではありません。
毒親という言葉を聞いて思うのは、その言葉を好んで使っている人は、自分の心の問題をなかなか乗り越えられないのではないかなということです。
なぜなら、そこには、
「親のせいで自分がこうなった」
という、他責的なニュアンスがとても強く含まれているから。それは、被害者意識を植え付けてしまう言葉だからです。
そういう意識状態にある人が、過去を乗り越え、自分の傷を癒して、元気になったという例を、私は今だ見たことがありません。逆に、被害者意識が強い人が前に進めず、幸せになれない例なら、いつも見ています。
なぜか。
直接的な原因が親にあったとしても、自分の傷を癒して、幸せになるのは、絶対的に自分の責任だから。親はそうしてはくれません。親以外の他人もそうはしてくれません。最終的、究極的には、自分でそれをするしかないのです。
これは、一見、不公平で残酷なように聞こえるかもしれないけれど、見方を変えるととても素晴らしいことです。まわりの人や環境がどうあろうと、自分の心は自分の思い通りにできるし、自分の人生も自由に創造できる可能性を、人は持っているということだからです。
誰かのせいにすると、その時は楽かもしれないけど、長い目で見ると、自分の可能性を制限し、心を縛ってしまうという、とても辛いことが起きてきます。
アダルトチルドレンという言葉にも、毒親と同じ意味で、あまりこだわらないほうがが心は自由になれるのかなと思います。
私がアメリカでカウンセリングしていた頃、職場にセラピーに来ていた、常時300人くらいいるクライアントさんは、9割以上がいわゆるアダルトチルドレンでした。理想的な親を持った人など、ほとんどいませんでした。(アダルトチルドレンが大多数で、そんなのは当たり前だから、アメリカでは使われなくなったのかもしれないと思います。)ドラッグや犯罪が蔓延する社会なので、当然家庭が崩壊している人が大多数、近親相姦などのひどい虐待は日常茶飯事、家族が自殺したり殺されたりすうのを目撃するといった壮絶なトラウマを抱えている人も珍しくはありませんでした。それでも、自分で自分を癒し、人を許し、過去は過去として、前に進んでいける人は、たくさんいました。それが簡単な作業だとは決して言いません。けれども、人にはそれができる力が備わっていることを、私は多くのクライアントさんに教えられました。
心の問題を乗り越えて幸せを築いていける人の共通点は、自分の不幸を人のせいにしないこと。犠牲者意識を抜け出していること。そして、おまけにもう一つつけ加えるとすると、愛があることですね。心に愛がある人は、人も自分も癒すパワーが大きいです。人には誰にでも自然に愛は備わっており、ブロック(心を阻害するもの)が多いとそれが表にはでてこれない。それだけの違いなです。愛を表現して癒しを実現し、幸せになれるなれるポテンシャルは、どんな人にもあるというのが、私の信念です。
言葉は意識の表れですが、言葉を選ぶことによって意識を変えることもできるので、自分を進化させ、成長させるような言葉を選択するよう、気をつけてみてはいかがでしょうか。
アメリカのセミナー旅行から戻りました。
ニューメキシコ州のアルバカーキという町で開かれた3日連続セミナーに参加してきました。
セミナー会場の様子。
朝8時から午後4時まで、休憩をはさんで1日7時間のセミナーです。
内容は、認知行動療法の集中講座なのですが、サイコセラピスト(臨床心理・精神療法士)向けで、精神疾患の治療に役立つような実践的な内容でした。1日目は既に知っている基本的な内容で、正直退屈でしたが、2日目、3日目になると、うつ、不安障害、PTSD、薬物依存、強迫観念症から、各人格障害まで、色々な精神疾患にどう応用するかという具体的な内容に発展していて、なかなかおもしろかったです。
日本では認知行動療法の基本計が数年前からやっと少しずつ広まってきているようですが、アメリカでは認知行動療法はすでに使い古された療法(と私は思っている)で、現在はすでに第三波として、その発展形であるACT(Acceptance and Commitment Therapy)、マインドフルネス、DBT(Dialectical Behavioral Therapy=弁証法的行動療法)が確立しています。
私はどちらかというと、認知行動療法はPTSDや双極性障害のような深いレベルの心の治療には向かない、限界のある療法だと思っていて、今回も3日間連続で、まとめて免許更新に必要な単位が手っ取り早く取れるという理由だけで、このセミナーに参加したのですが、それなりに役に立つ知識も得られたので、まあ参加してよかったなと思いました。
認知行動療法の強みは、なんといっても、とても実践的で、具体的なスキルが数多く存在し、使いやすいという点だと思いますが、カウセリングのツールとして使える資料がたくさん手に入ったのはよかったです。(ただし、全部英語なので、日本語に訳さないと使えないけど。ああ、面倒くさい(-_-;)。)
セミナーを終えた後、2日ほど自由行動の時間を取っていたので、以前働いていた町に足を延ばしました。
人呼んで、覚せい剤の町。(覚せい剤以外の麻薬も蔓延していましたけど。)
ギャングがたくさんいて、心を病んでいる人がとても多い街でした。仕事的にはとてもやりがいがありました。
当時のクライアントさんたちは、みんな元気かな~、どうしているかなあ、と思いを馳せました。
元同僚と会って、一緒にご飯を食べ、積もる話もしました。アメリカの料理は量が半端ないです。ギャル曽根じゃあるまいし、こんなものを全部食べたら、一晩じゅう胃もたれに苦しむ羽目になります。私はレストランで食べたら、半分残してお持ち帰りし、次の日のお昼に食べていました。ニューメキシコは、メキシコ料理がたくさんあるので、ここにいる間しか食べられないと思い、毎日のようにメキシコ料理を食べていました。
ニューメキシコ北部にも足を延ばしました。ちなみにニューメキシコはUFOがよく飛んでくるとか、NASAの秘密基地があるとか言われているところです。UFOが墜落して宇宙人が生け捕りにされた、Rosewellという町もニューメキシコにあります。
広島に落とされた原爆が作られたLos Alamosという町もあって、そのそばも通りました。
そういえば、ニューメキシコに住んでいた頃、Los Alamosの核爆弾の研究所で働いている科学者と、あるパーティーで一緒になったことがありますが、実験で使った燃料を川にそのまま流していると小耳にはさんで、びっくりしたことがあります。聞き違いかと思いましたが、初めて会う人だし、たくさん他に人もいて、聞き返して確認することができませんでした。もしかすると、核開発とか、原子量発電は、当事者の間では杜撰な管理が当たり前なのかもしれないと思います。本当は、安全というものはあり得ないのではないでしょうか。
ニューメキシコ北部の典型的な景色は、ジュニパーやピニョン(松の一種)が生えた砂漠です。
砂漠の気候は、日中と夜の気温差が大きくて、夜や明け方はかなり冷え込むので、紅葉も日本より進んでいました。
イーグルネスト州立公園というところに行ってみました。たぶん、日本人は誰もいかないところです。(こんなところまでわざわざ行く人はいない。)アメリカ人もあんまりおらず、静かでよかったです。
公園内には、プレーリードッグという野生の小さい動物の巣穴がいたるところにあって、モグラたたきのごとく、あちこちから顔を出していました。
リスっぽい顔だけど、日本語だと山ネズミっていうのかな。かわいらしい姿でキーキー鳥みたいな声で鳴きます。私が行くと、「人が来たぞ~!」「わかった!」と呼び合って、あたりの仲間に知らせあっているのがわかりました(←動物語が少しならわかる私)。
その他、タオスとサンタフェという町に行きました。両方とも観光地で、ニューメキシコに典型的なアドビー(土で作った家)がたくさんある感じのいい街です。
サンタフェのプラザ(町の中心の広場)では、インディアンの人たちが、トルコ石のジュエリーをたくさん売っていました。
キャメルロック(らくだ岩)。
フリーウェイ沿いのインディアカジノの近くにあります。自然にできた岩です。
本当にラクダの形をしています。
締めくくりは虹の写真で。
空が広いから、雨が降ると空のどこかにたいてい虹が見つかります。ダブルレインボーもしょっちゅう見ることができます。
実際のところ、今回の旅は、色々ハプニング満載で、思い通りにならないことばかりの旅でした(しょっぱなから飛行機が5時間近く飛ばず、乗り継ぎ便を逃すとか)。
でも、予定外のできごとって、anxiety mnagement(不安のマネージメント)や、decision making(意思決定)のスキルを磨く格好の経験なんですよね。最初から最後まで、想定外の出来事ばかりなので、途中から
「そらきた。次はなにかな。」
と、想定外を想定するようになりました。
大変だったけど、ハプニング満載だった分、かえって面白くて、とても楽しい旅行になりました。(^^♪
アメリカで精神医学セミナー受講の為、9月下旬、しばらくカウセリングをお休みさせていただきます。メールやお電話でのお問い合わせやご予約のお返事は、9月28日以降になります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。