盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

心と体を壊すものと癒すもの

この仕事で多くの人を見てきて思うことがあります。

憎しみや妬みや恨みが、いかに人を害するか。

悲しみは、否定的な思いが人に向けられていない分、まだましなのですが、人に向けられた否定的な思いは、それが強烈であればあるほど、場合によっては相手も幾分か害するでしょうが、何よりもその人自身の心身をむしばんでいきます。その思いを発する人は、苦しく殺伐とした気分になるだけでなく、容貌が衰え、病気にもなりやすくなります。おそらく、それらの感情を作り出すために、自分の中にある非常に多くのエネルギーを燃やさなければならないため、エネルギーが枯渇してとても疲れるし、免疫も落ちるのだと思います。否定的な感情のエネルギーというのは不調和で不自然なため、大量に長い間持続させると、有害な影響を自分の心身にもたらします。

自分の苦しみを人や環境のせいにして、人や社会を害するような言葉や行動を強烈に生み出している、負のエネルギーが非常に強い人は、顔つきが近寄りがたい凶悪さを帯びるだけでなく、体の方もだんだん衰弱していくようです。こういう人の奥に垣間見えるのは、たいていとても強い恐れなので、本当はそれに直面して対処しなければならないのですが、本人が自分の内面にある恐れを自覚できるレベルまで覚醒するには、長い道のりを要することが多いようです。なぜなら、こういう人たちは、自分の中ではなく、外の世界ばかり見ようとするからです。

逆に、人を瞬時にして癒しパワーアップするものは、愛の感情です。愛のエネルギーは宇宙と調和的なのです。誰かに対して、思いやりや慈しみ、優しさといった、純粋な愛の感情を抱くと、相手の癒すでしょうが、何より自分自身を癒し、パワーで満たすことができます。自分の中に内在する愛につながると、そのポジティブなエネルギーは身体や脳を駆け巡り、一瞬で波動があがります。波動が上がるというのは、具体的には、「軽い、明るい、柔らかい」という感覚として感じられます。目の前がパッと明るくなり、筋肉がリラックスしてゆるみ、体が軽く感じられるようになります。恨みや妬みを抱いている人が生きている「暗く、重く、固い」世界とは対極の状態です。

今まで苦しみの世界に生きてきた人が、自分の中の愛にアクセスしたことにより、短時間で意識状態が切り替わり、悩みから解放される例を、私はたびたび見てきました。そういう人たちは、別人のように顔が穏やかになり、表情も柔らかくなります。愛の調和的なエネルギーで満たされると、当然、心も体も元気になります。こういう状態にある人は、おのずといい現象を引き付けるので、人生もよりよく変わっていきます。

人生って、結局のところ、自分の心(意識)の持ちようなんだと思います。

 

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原因不明のうつが繰り返される時

あるクライアントさんのケースです。(プライバシー保護のため、詳細は変えてあります。)

彼女はとても前向きで明るい性格です。大学にもバイト先にも友達がたくさんいて、リーダー的存在でした。

ところが、数年前から年に何度か、わけもなくうつ状態に陥るようになりました。いつも些細なきっかけで立ち直るのですが、うつの程度は年々ひどくなり、最近では、無気力になって授業をさぼり単位を落としたり、バイトを無断欠勤したり、発作的に死にたくなったりするようになりました。あるいは、一晩中、ほとんど寝ないでスナック菓子を大量に食べ続けることもあり、ちょっと聞くと躁鬱を疑うような症状が見受けられます。

反復性のうつの場合、もし冬だけに起こるようなら、季節性感情障害(日照時間が短いため、うつになる病気)も考えられるのですが、彼女の場合、発症に決まった時期はないといいます。

そこで、私はふと思いついて、聞いてみました。

「子供時代は幸せでしたか。」

彼女はその質問に、最初は明るい表情のまま、次のような話をしました。

彼女の両親は、幼児期に離婚しており、彼女は実の父親が誰か知りません。母親は小学校の頃に再婚し、義父は母親の目を盗んでは、彼女に暴力をふるい続けました。暴力のエスカレートを恐れ、また、母親に言ったら家庭が壊れると考えた彼女は、体のあざを隠し、何年も誰にも何も言わず、平気なふりをしてきました。

彼女には幼い腹違いの幼い弟がおり、自分は長女だからしっかりしなければならない、弟を守らねばならないという思いで、共働きの親にかわって家事をこなし、表面上は明るく元気に振る舞っていました。親戚や周囲の人は彼女をしっかりしたいい子、頼りになる子だと褒め、彼女はその役割を演じ続けました。

義父の暴力は、顔にあざができたとき問い詰められ、隠し通せずついに発覚し、以来なくなったそうです。

気持ちが落ち込んだ時も、こんな気持ちになる自分は嫌だから明るく振る舞おうと、無理に気分を変え、一人になると悲しみが襲ってくるので、あえて友達と騒ぐように努めていました。

このクライアントさんの場合、原因不明のうつが繰り返される理由は明らかに感情の抑圧です。本当は辛くて仕方がなかったのに、その気持ちを無視して、元気なふりをして生きてきた。これでは、潜在に押し込まれた自分の本当の気持ちが、

「ここにいることにどうか気づいて。ちゃんと見てください。」

とばかりに、認めてもらえるまで強く訴え続けるでしょう。それでも無理やり気を紛らわせ続けると、感情はコントロール不能なレベルまで暴走し、最終的には極度のうつや躁うつになったり、強迫観念症になったり、怒りを抑えられなくなったり、といった心の症状に悩まされるようになります。ひどい場合には幻聴を発症する人もいます。

「本当はとても怖かったし、寂しかったでしょう。」

と私がいうと、それまで元気そうに振舞っていた彼女は号泣し、

「そうだったんだ。私は寂しかったんだ。」

と、そこで初めて見ないようにしていた自分の気持ちに気づいたのでした。

どんな感情でも、ちゃんとそれを認識し、感じてあげると、やがては消滅します。反対に、見ないようにすると、自分の中に閉じ込められたまま、感情は持続し、その感情が強ければ強いほど、また、抑圧期間が長ければ長いほど、痛みは増していき、解消するのが困難になります。

自分の内面と、外側でどう振る舞うかという外面に、ギャップがあればあるほど、心というものは苦しくなります。ギャップがない人は、いわゆる自然体の人なのですが、矛盾がないので生きるのがより容易になり、自然な気持ちを素直に表現する為に感情に滞りができにくく、なにかあって落ち込んだとしても、切り替えも早いでしょう。

このクライアントさんは、たくさん泣いた後、すっきりして軽くなった、今まで他のことで紛らわせていたのが、本当は心の癒しにはなってはいなかったとわかったと言い、笑顔で帰っていきました。一度のセッションで彼女の未解消の感情がすべて解消されたとは思いませんが、少なくとも今後は心の声を無視するようなことはせず、もっと上手に自分の感情を扱うことができるようになるでしょう。

身体の傷が、ちゃんとそこにあることを認識し手当してあげないと癒えないように、心の傷も、痛くてもちゃんと直面して見ないことには、癒すことができません。このクライアントさんはそれが今回身に染みてわかったので、もう逃げないはずです。原因と正しい対処法を知ったことで、彼女の反復性のうつは、今後よくなっていくだろうと思います。

 

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関心と意識

人は、良くも悪くも、関心のあるものに意識を吸い寄せられます。 

恐れも、嫌いも、一種の関心です。 

不安が強い、とあるクライアントさんが言っていたことですが、ネットで、自分に当てはまるであろうネガティブな記述を見ると、ついつい見てしまう。そして落ち込んでしまうそうです。 

見なければいいのに、なぜ見てしまうかというと、それがこの人がイヤだ、怖いと強く意識しているものだからです。 

「何を意識しているか」が、その人の住む世界を作り上げます。 

ちなみに、波長が違うというのは、普段、意識している領域が違うということです。 

普段から、平和で、楽しく穏やかなものが好きな人で、本やテレビでもそういうものを好んで見て、普段の会話でもそういう内容の話をし、頭の中でもそういうことを考えている人は、詐欺師とか、殺し屋とか、麻薬密売人とは、違う世界に住んでいます。波長が違うから、まず日常生活では接点がないし、出会わない。仮にであったとしても、話が合わないので、お互いにひかれあわず、深い関わり合いを持つことはないでしょう。 

話が少しそれましたが、つまり、不安とか恐怖の世界に住んでいる人は、不安なもの、怖いものに強い否定的な関心を持ち、それゆえ、不安や恐怖の対象に頻繁に焦点を合わせて暮らしているということです。 

その現実を変えたければ、少しずつでもいいから、きれいなもの、楽しいもの、ありがたいもの、優しい気持ちにさせてくれるものを、日々の生活の中で探すこと。そして、始めは短時間でもいいから、それに意識を向けることです。 

そうすると、慣習的になっていた意識のフォーカスが、少しずつ是正されていき、徐々に普段の気分も変わってくるはずです。癖を直すのは反復が必要です。一昼一夜では変化はないでしょうが、地道に訓練していけば、気づいたら不安が少なくなって、明るい気持ちでいることが増えていた、という結果になると思います。

 

 

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心のエネルギー

心とか、精神というのは、目に見えないけれど、エネルギーを持っています。

抑うつ状態は、心のエネルギーが停滞した状態。本来、流れて変化しつづけるべきものの動きが鈍って、淀んでしまった状態です。感情を長い間抑圧したり、ストップ(麻痺)させたりすると、この状態になります。

怒りは、エネルギーの噴出。噴火山の爆発みたいなものです。マグマと同様、怒りを熱く体感し、色で表すと「赤黒い」と感じる人が多いです。マグマと同じで、すでに生まれてしまったエネルギーは、外に出さないよう抑えてしまうと、それだけ圧が強くなり、噴火するとき、爆発になってしまいます。爆発はたいてい破壊をもたらします。そうならないよう、ためないで小出しにする、その場合も、怒りの対象者ではなく、第三者に話を聞いてもらうなどして、安全な出し方をする、というのがいいかと思います。また、量は同じでも、エネルギーの質を変えて表現すると、上手に処理することができる場合もあります。例えば、被害者やその家族が、怒りや憎しみを変換して、社会活動にエネルギーを費やしたり、作家や芸術家が、作品を生み出すエネルギーにしたりするのは、フロイトのいうところの「昇華」であり、破壊的ではなく建設的なエネルギーの使い方ですね。

悲しみも同様です。悲しみの感情は、泣いたりして表現し、外に出せば、エネルギーの表出になり、流れと変化が生まれて、やがて消えていくのですが、我慢して抑えてしまうと、心の停滞を生み、うつに転じることが多いようです。

最後に、不安は心のエネルギーをとても浪費する感情です。不安症の人を見ていると、必要なことにエネルギーを使わないで、無駄なことに多くのエネルギーを費やしていることに気づきます。だから、とても疲れるわりに、現実に変化が起こりにくい。ああなったらどうしよう、とあれこれ考えて、動けなくなり、必要な一歩が踏み出せないのは、その典型です。ひどい場合は、明日、用事があるから早く寝たほうがいいのに、すでにきれいな部屋の掃除を、寝ないで一晩中する人もいます。こういった強迫神経症的な行動の裏にも、強い不安が隠れていたりします。不安は、意識が現在ではなく、未来に行き過ぎるために起きることが多いので、先のことを考えすぎないで、マインドフルに生きる、つまり、「今、ここ」に意識を集中して生きることで、浪費を防いでエネルギー効率をよくすることが可能になります。ただし、寝ないできれいな部屋を夜中に掃除するような人は、目かくして見ないようにしている心の傷から逃れようとしている場合がよくあるので、マインドフルネスのような心のコントロール法と並行して、その傷の手当てをちゃんとしてあげる必要があるかもしれません。

今回は、思いつくままにいろいろ書いてみましたが、今後、心のエネルギーに関しては、量子力学の観点からも、質と量のある実態として、色々なことが明らかになってくるのではないかなあ、などと思っています。

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抑圧された感情が引き起こす症状

 ずいぶん前にも同じテーマで書きましたが、前回開催したグループセラピーの資料用にもう少し詳しく書き直したので、ブログでもシェアしたいと思います。

感情の扱い方は「感じて表現すること」が基本です。

そうすれば感情は解消されるので、また新しい感情が入ってくるスペースができます。こうして常に移り変わるのが感情の性質です。

ところが、もし感情を感じないよう抑えたり、感情を無視して感じないようにすると、本来出ていけるはずものもが閉じ込められて出ていけなくなります。そうすると感情は停滞します。これは「流れる水の性質」である感情にとってとても不自然な状態で、いわば流れが止まって淀んだ沼のような状態になるので、様々な心身の症状を引き起こすわけです。

では、感情を抑圧すると具体的にどんな症状が起こりうるか、下記に挙げてみます。

 

意味のない不安感 

感情はエネルギーを伴います。それを外に出さないで閉じ込めたら、緊張や漠然とした不安感を覚えることがあります。次に誰かに対する怒りを抑えた時、その後不安を感じるかどうか、確認してみてください。情熱や興奮の抑制も、不安をもたらすことがあります。

何かを失って悲しい時、悲嘆を表現しないでいると、しばしば鬱になります。泣いて涙を流すと、気分が改善し、効果的に喪失を悼むことができます。また、鬱は怒りを閉じ込めることよっても起こります。鬱は自分自身へ向けられた怒りが仮面をかぶった姿である場合もあります。近い過去に明らかな喪失体験がないのに気分の落ち込みを感じた時は、何に怒っているか自問してみるといいかもしれません。特に、自分を攻撃したり批判したりしている時には、この問いかけが役に立つでしょう。

身体疾患

頭痛、胃潰瘍、高血圧、ぜんそくなどの身体症状は、慢性的な感情の抑圧の現れかもしれません。自分の中の強い感情を特定し、表現することにより、多くの心因性の症状を軽減できる可能性があります。

筋肉のコリ

筋肉の張りやコリは、抑圧された感情がもたらす、ありふれた症状です。人は、気持ちを抑えるとき、特定の筋肉群をこわばらせる傾向があります。怒りや欲求不満を抑圧するときは、しばしば首の後ろや肩が固くなります。悲嘆や悲しみの抑制は、胸や目の周り、恐れは、胃やみぞおちを固くすることが多いでしょう。ただし、感情と筋肉群の相関関係は、絶対的なものではなく、上記以外の場所でも体に緊張を覚えることはあります。

(参考資料:Bourne, E. J. (2000) The Anxiety and Phobia Workbook. CA: New Harbinger)

 

感情とは一種のエネルギーなので、放出することが必要なんですね。その際、普段からちゃんと感じて出すということをしていれば溜まらないのですが、長年抑圧すればするほど、心身に有害なものになってしまいます。地震とか火山の爆発も、エネルギーの蓄積が大きければ大きいほど、大規模で有害なものになってしまうのと似ています。

自分の感情に無頓着でいる癖がある人は、自分が何を感じ、どんな気持ちになっているか、ジャッジすることなくありのままを観察するようにしてみたらいかがでしょうか。そうやって意識を向けるだけで、沸き起こった感情が自然に消えていく場合は多々あります。また、自分がどんな感情を抱いているか把握することは、実は自分の感情をコントロールできるようになるための第一歩でもありますから。

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REM睡眠の効果

今日は、REM睡眠について書いてみたいと思います。REMとはRapid Eye Movement Sleep(=眼球が素早く動く睡眠)の略で、この睡眠状態の時、私たちは夢を見ます。

近年の研究で、REM睡眠が気分の安定に大きな役割を果たすことが明らかになってきました。REM睡眠の時間が長くなると、抑うつ気分は改善され、REM睡眠の時間が少ないと気分はより落ち込みやすくなります。また、REM睡眠を多くとった後は頭がより冴えるという研究報告があります。

ちなみに、薬やアルコールを使用して寝ると、REM睡眠は阻害されます。寝つきをよくするために、睡眠薬お酒を飲んで寝ると、確かに睡眠時間は確保されるかもしれませんが、睡眠の質は悪くなり、通常自然に寝た時よりも頭や体は疲れやすくなります。これもREM睡眠と関係している部分があるのではないでしょうか。

夢は私たちの潜在的な意識状態を映し出します。夢は、現実世界の出来事に対する私たちの感情的な反応をきちんと消化するために、絶妙なやり方で調整してくれるように思います。

トラウマに苦しむPTSDの患者さんは、悪夢にさいなまれることが多いため、夢を見ることを拒み、REM睡眠が訪れると覚醒してしまう傾向があります。これは無理もないことではありますが、REM睡眠の欠如が、結果としてトラウマの解消を阻んでしまう可能性もあると思います。繰り返される悪夢にも意味があり、心を癒すために必要だと判断した潜在意識が、いわば故意にトラウマの場面を見せているのだという説を聞いたことがあります。潜在意識に抑圧されたものが浮上するのには必ず意味があると私も思っているので、これにはうなずけるところがあります。

EMDRというPTSDの治療法のオーソドックスな手法では、患者が指の動きに合わせて眼球を左右に動かします。これにより、患者の脳はREM睡眠時と同じ状況になり、恐怖で凍り付いてしまっていた記憶が意識の上で適切に調整され、未完了だった場面が意味づけられ終結を迎えることができるため、症状の解消に功を奏すると解釈する専門家もいます。

いずれにせよ言えることは、夜、夢を見ることは、心の健康を保つために必要であるということではないでしょうか。潜在意識の働きは、人智を超えて私たちを導いてくれるものだと思います。

 

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意識と心と体

私は占い師ではありませんが、カウンセリングで数多くの人と接していると、この人は将来幸せになるだろうな、とか、反対に、この人はこのままではまず幸せになれないだろうな、と確信することがあります。

その根拠は、その人の意識状態にあります。

古代インドのウパニシャッド哲学によると、「意識が心を作り、心が体を作る」のだそうですが、カウンセリングをして、いろいろな人の意識状態、心の状態、体の状態をみてきた私は、つくづくそれは真理であると実感せざるをえません。

心に問題があると、やがて体に出ます。 問題がまだ心にあるうちになんとかすればいいのですが、それをしないで先延ばしにしていると、猶予期間を経たあと、目に見える形で肉体に現れます。

何年、何十年と、恨みや悲しみ、恐れ、自責の念、恥などの感情を持ち続けている人は、若いうちはまだいいのですが、特にある程度の年齢を経ると、体の痛みや病気といった形で、否が応でも心の問題に直面せずにはいられなくなります。ただし、若い人でも様々な身体症状に悩まされる人は結構います。例えば、虐待が多いアメリカでのカウンセリング経験では、線維筋痛症はたいてい虐待、特に性的虐待を経験し、それを長年抑圧していた人に非常に多く見られました。PMSや更年期障害といった症状も、心の症状と何らかの相関関係がある場合が多い気がします。

そして、心の問題は意識の在り方によって形成されます。

誰かに何かをされて嫌な思いをしたとき、いつまでも人を恨み続ける人、必要以上に自分を責めて落ち込む人とでは、心の状態がおのずと変わってきます。この場合の意識というのは、思考よりももっと奥深い部分を指します。思考(認知)は意識の表れではありますが、そのごく表層の一部が現れにすぎません。(なので、最近日本でもやっと知られるようになってきた認知行動療法だけでは、意識まで変えることはなかなか難しいと私は考えています。)

個人的には、心理カウンセリングは、結局のところ、本来、意識を変えるサポートとなるのが望ましいと思います。なぜなら、意識が変われば、すべてが変わりますから。何十年も鬱や不安、PTSDの症状にさいなまれていた人が、それを克服して別人のように明るく幸せになった例を時々見かけますが、これは意識がシフトした(切り替わった)結果に他ならないと感じます。そういう人たちは、口をそろえて、

「こんな気持ちになる日がくるなんて思わなかった」

「トンネルを抜け出して、明るいところに出たようだ」

と言います。意識、心、体のエネルギーが低い状態では、固く重く暗いと感じられますが、高い状態にシフトすると、軽い、明るい、柔らかいと感じられるのです。

ただ、意識を変えることは、大元を変えるということなので、そう簡単にはいかないことも多々あります。例えば、いつも原因は人にあると思っていて、自分の在り方に気づかない人に、傍から見るとそれでは決してうまくいかないとわかっていても、それに気づいてもらうのは一筋縄ではいかないことが多いものです。

どんな人も、奥底には純粋で光に満ちた意識を持っているものだと思いますが、それが何層にもおおわれていて、そこに到達するまでに取り除かなければならないものがある場合は珍しくありません。たいてい、そういった障害物を作り出しているのは、「痛み」、端的にいうと「愛の欠如」だと思います。

人の意識をより明るく光あふれる状態に導く方法を、これからもいろいろ学んで、カウンセリングに生かしたいていきたいなと思います。

 

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メンタルヘルスの法則集

最近、ゆっくり記事を書く暇がなくて、ご無沙汰しています。

今日はカウンセリングの現場でよく目の当たりにする、一種の法則のようなものを、手短に書いてみます。

1)頭で考えすぎると行動力が衰える。

思考過多であれこれ考える人は、不安を生み出し、自分にストップをかけて動けなくなりがちです。

2)過去のことを考えすぎると鬱になり、未来のことを考えすぎると不安になる。

過去はすでに過ぎ去っていてもう変えられないので、無力感にとらわれやすい。無力感は抑うつ状態を生み出しやすい。まだ来ていない未来のことも、今は変えられない。変えられないことを何とかしようともがくと、焦燥感にとらわれ、不安になりやすい。唯一変えられる時制である現在にフォーカスするのが、最も効率的で健全な意識の持ち方です

3)依存すると支配される。

依存すると、依存の対象に自分をコントロールする力を与えてしまいます。たとえば、パチンコやお酒に依存すると、パチンコやお酒が自分を支配するようになる。それが自分の意識の中で大きな存在になり、やがてそれ中心の生活を送らなければならなくなってしまいます。対象が人でも同じ。誰かに依存すればするほど、その人は自分の中で力を持つようになり、その人の言動によって一喜一憂するようになる。そして、その人がいなければ幸せではなくなる。これでは自分で自分を幸せにすることができなくなってしまいます。

4)境界線がない人は依存したりされたりしやすく、人に影響されやすい。

境界線(=人と自分の境目が甘い人)は、自分の感情と人の感情を混同たり、人の問題に責任を負おうとしたり、逆に自分の問題を人に背負わせようとします。境界線がない人には「自分がない人」が多いです。自分は自分、人は人、という風に割り切り、自分の人生には自分で責任を持つ、人の人生は最終的にはその人がなんとかするしかない、と意識するように心がけると、境界線が引けるようになり、人の影響を受けにくくなります。そして、周囲の目を恐れず、適切に自己主張もできるようになっていくので、生きるのが楽になります。

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引きこもり生活が脳に及ぼす影響

最近、いわゆる「ひきこもりの若者」と話をする機会がよくあります。

それで気づいたことがあるので、少しシェアしたいと思います。

人にもよりますが、2~3年ならともかく、10年、15年と引きこもっていると、人は他者と普通に会話のややりとりをすること自体、できなくなってしまうようです。

会話というのは、こちらが投げかけた言葉に反応を返す、あるいはその逆をする、という言葉のキャッチボールによって成り立つものですが、それがまずできなくなるのです。

例えば、 「最近、雨が多いですね。」 と言われたら、 「本当ですね。」 とか、 「そうですね。でも暑さが和らぐのはいいですね。」 とか、自然に相手にフィードバックするのが、普通の会話のやりとりです。

ところが、長い間人と話すことをしないで来た人は、それができなくなってしまう。

まず、何かを聞いたとき、答えるのに人の何倍も時間がかかる。あるいは返事を返せない。逆に、向こうからこちらに言葉を投げかけることもできない。

先日、ある人と、ロールプレイで会話のやり取りの練習をしたのですが、終わった後、彼はこういいました。

「使っていない筋肉を急に使ったみたいだ。長い間ひきこもっていたから、普段使っていない脳を使って疲れた。」

それを聞いて、私ははっとしました。前頭葉が退化している。

前頭葉というのは、社会脳ともいわれていて、人と関わるときに使う脳です。人間が他の動物と大きく違うのは、この前頭葉が大きく発達している点で、ここは、人に対する共感、理性、論理思考などをつかさどります。ちなみに、爬虫類などの生物はこの部分が発達しておらず、生物的な本能をつかさどる後ろの方の脳(爬虫類脳ともいわれる)だけが活発です。

筋肉でも感覚器官でも脳でも、使わないと退化するもの。だから、生身の人間と関わることを何年も避けていると、関わること自体、できなくなっていくのでしょう。

引きこもっている間、よく家でゲームやインターネットなどをしている人がいますが、二次元レベルでの他者との関わりは、相手を目の前にして、全体の雰囲気を感覚で感じ取ってコミュニケーションするという関わりとは、まったく違います。よくゲーム脳といいますが、これは脳のごく限られた一部だけを過剰に使うことによって、脳のアンバランスをもたらすのだと思います。人と直接、接することは、前頭葉を活性化し発達させるのに必須なのだと思います。

 引きこもりの人たちと接していて感じる共通事項は、「回避」です。外に出られなくなった理由は人それぞれでしょうが、根底には「嫌なこと、辛いことを避けたい」という回避があるようです。

嫌なことを避けると、嫌なことに直面する機会は減るでしょうが、その代り、体験を避けることにより、脳も感覚器官も使わなくなって衰えるので、喜びを感じにくくなり、結果、いいことも起こりにくくなります。これは必然です。また、困難を避けることにより、困難に対する対処能力、苦悩耐性もなくなるので、普通の人が平気なことでも異常に辛く感じるようになります。最後に、嫌なことというのは生きていれば必ず起こるもので、避けきれるものではありません。心理的にいうと、物事は避ければ避けるほど怖くなものなので、免疫のない脆弱な精神の持ち主になりたくなければ、避けないほうが得策だと思います。

退化した筋肉は、リハビリをすることでもとに戻っていきます。脳も同じです。長年使わないで衰えた社会脳は、少しずつ人と関わり、コミュニケーションをとる訓練することにより、またスムーズに使えるようになります。

長年引きこもって人と話をしていない人は、まず、傷つく危険性が少ない、一時的な人との関わり(お店で買い物をする、電話で問い合わせをする、案内所で道を聞く等)からリハビリを始めてみてはいかがでしょうか。

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精神疾患の診断のあいまいさについて

精神疾患の診断名というのは、絶対的なものではありえません。つける側の見方によって変わりうるもの、患者の状態が変われば、必要に応じて変えるべきものです。

 

先日お会いした方は、20年以上統合失調症で服薬治療を続けていらっしゃいました。けれども、実際に症状があったのは、20年前の、とあるショックな出来事の直後のほんのしばらくの間だけ。その時は抑うつ状態で、言動がおかしかったり、悪口を言われているような幻聴があったりしたらしいのですが、以来ずっとお仕事をして、社会生活を送ってこられています。

 

日本の精神科医は、本当に簡単に統合失調症という深刻な病名をつけて、長期にわたり服薬治療を続けたがりますが、私ならこのケースには統合失調症という診断は下さないと思います。その当時の症状について、私はくわしいことは知りえないので、はっきりとは言えませんが、Major Depressive Disorder with Psychotic features(精神病性の特性をもつ大うつ病)のほうが、この方の場合、発症時の診断にふさわしい気がします。そして、私なら、ショックな出来事が及ぼしている心理的な影響を取り除くサポートをし、その後症状がなくなったら、診断名を変える、もしくは診断名自体、外すだろうと思います。(もちろん、私は精神科医ではないので、薬物治療自体できないというのもありますが。)

 

精神科医は、この方の症状は服薬によって抑えられているから、薬を飲み続けなければならないというでしょうが、実際のところ、回復したのち、薬をやめても症状は良好なまま変わらない人を、私はたくさん知っています。(また、悪い症状が、薬を飲んでも飲まなくても変わらない人も、たくさん知っています。こういう場合、個人的には、体が疲れたり、頭が働かなくなったりといった副作用がないだけ、薬を飲まないほうがいい気がします。)

 

もしかすると不必要、または誤った診断かもしれないのに、長い間、重い精神病のレッテルとともに生きてこなければならなかったこの方を、私は気の毒に思いました。

 

診断名というものがどうやってつけられるか、なぜつける側によって診断名が変わりうるか、診断名が患者にどういう影響を及ぼすかについて、私が常々から思っていることを、代弁してくれているかのような記述を、アメリカの精神科医であるBessel Van Der Kolk博士の著書、the Body Keeps the Scoreに見つけたので、下記に引用したいと思います。

 

我々がどのように患者の問題を定義し、診断を下すかによって、どのようなやり方で患者をケアするかが決まります。患者が精神治療を受ける過程で、5つ、6つのまったく異なる診断を下されることは、よくあることなのです。

 

もし医師が感情の起伏の激しさに注目するなら、患者は双極性障害(躁うつ病)と診断され、リチウムやバルプロエート(抗けいれん剤)を処方されるでしょう。もし専門家が患者の絶望感にもっとも強い印象を受けるなら、患者はうつ病に苦しんでいると言い渡され、抗鬱剤を与えられるでしょう。医師が患者の落ち着きのなさや注意力の欠如に注目するならば、ADHD(注意欠陥・多動性障害)とみなされて、リタリンその他の刺激剤で治療されるかもしれません。そして、もしたまたまクリニックのスタッフが過去のトラウマについて質問していたら、そして患者がその情報を打ち明ける気になっていたとしたら、その患者はPTSDの診断を受けるかもしれません。

 

これらの診断名は、いずれも完全に的外れというわけではなく、かといって、いずれの診断も、患者が誰なのか、何に苦しんでいるかを、意味のある言い方で表してはいません。

 

(中略)精神病の診断には深刻な因果関係があります。診断は治療を決定づけ、誤った治療は破滅的な結果を招く可能性があるということです。さらに、診断名のレッテルは残る生涯つきまとい、患者が自分自身をどう定義するかに深く影響を与えかねません。

 

(中略)これらの診断はいずれも、患者の多くに発現する並外れた才能や、困難な状況の中でなお持ち続ける創造的なエネルギーを、考慮に入れてはいません。

 

診断名がついている方は、便宜上つけられたその病気の名前に、必要以上に振り回されないでほしいと思います。私は、心の症状を「病気」ということに抵抗を覚えるのですが、仮に本当に 病気だったとしても、人=病気ではなく、Van Der Kolk博士がいうように、病気はその人という存在のごく一部でしかなく、人の可能性は病気を大きく上回るということを、忘れないでいてほしいと思います。