盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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メンタルヘルス

のどのつまりについて

のどがつまったような、苦しい感じがずっと続いているという方は、自己表現に問題がある場合があります。

例えば、言いたいことが言えずに、黙ってしまう。嫌なことが嫌といえず、したいことをしたいといえない。心の中ではノーと思っているのに、イエスと言ってしまうなど。

よくみせようとして、違う自分を演じてきた、というのも、本当の自分を表現しないという意味で、のどのつまりを生じさせることがあります。

長年、感情を抑圧してきた人も、出られない思いが、のどのあたりに緊張を生むことがあるでしょう。

のどは、声を出すところです。声は、自分の中にある思いを、外に表現するツールです。

それを正しく使わないと、のどのあたりのエネルギーに滞りが生じてしまうわけです。

人は誰でも、ユニークな存在であり、その自分という独自の存在を、この世界にありのまま表現することは、生き生きと生きるために必須です。

のどのあたりに苦しさを感じている人は、少しずつでいいので、ありのままの思いを、素直に外に出すという、自己表現の練習をしていったらいいのではないかと思います。

 

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過去を振り返らず、前に進む?

反復性のうつを患っている人から聞いた話です。この人は精神科で数年前から薬物治療を受けているのですが、あるとき、自分の原因不明の繰り返されるうつは、幼少期の生い立ちに関係があるのではないかと思い当たりました。それで、主治医の先生に、カウンセリングを受けたいとお願いしてみたそうです。すると、その先生は、過去を振り返らずに前に進まなければならない、せっかく今安定しているのに、過去を思い出して不安定になってはいけないからと、反対したそうです。

この先生の考えが間違っているとはいいませんが、例え今は安定していても、原因になっている心の傷を何とかしない限り、この人はこの先もまた、繰り返しうつに襲われることになるでしょう。確固たるトリガー(引き金になるできごと)がないのに、原因不明のうつや不安症状が繰り返し起こる場合、過去から現在に至るまで抑制している感情的痛みが関連していることがよくあります。その痛みは、放っておいたら消えていくたぐいのものではなく、それを抗不安薬や抗うつ剤で抑制しても、根本的なところが取り除かれていないので、対症療法的な、いわば痛み止めのような一時的効果しか得られません。むしろ、痛みを感じないように紛らわせれば紛らさせるほど、その痛みを発している根本的なものの処置が遅れるので、痛みはだんだん悪化して、手をつけるのが難しくなるばかりです。

この感情的な傷は、いわば、過去ではなく、今、現在、自分に内在するものです。起った出来事は過去にあるかもしれませんが、今も強い感情を伴って思い出されるならば、現在に強い影響を及ぼしているという意味で、過去になっていません。その傷をちゃんと見て処置するという作業は、その傷を治して本当に過去のものにしてしまうために、実は必要なプロセスなのです。「前に進むためにこそ、過去を振り返らなければならない」こともあるということです。

潜在意識に閉じ込めていた否定的感情(本当は感情に否定的も肯定的もないのですが、ここでは便宜上否定的という言葉を使っています)は、顕在意識に浮上する時、通常、痛みを伴います。それは、その感情が強ければ強いほど、また、閉じ込めている期間が長ければ長いほど、強い痛みとなって感じられるはずです。でも、おう吐や下痢、発熱などの浄化プロセスがたいていそうであるように、毒が外に出るときは、苦しさや痛みを感じるもの。苦しみの原因を中に閉じ込めておくよりは、一時的に痛くても外に出して解消してしまう方が、後でずっと楽になるものです。

痛いのが嫌だから、気を紛らわせ続けるか、思い切って痛みを向き合って、根本的に取り除くか、どちらを選ぶかはその人次第です。でも、今は辛くても、痛みを引き伸ばさないほうが、長い目で見たらいいのではないかと私は思っています。

 

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セミナー受講中

現在、ポリヴェーガル・セロリー(多重迷走神経理論)についてのセミナーを受講中です。これは、インディアナ大学のキンジー・インスティテュートの著名な科学者であり、ノースカロライナ大学の精神医学の教授でもある、Stephen W. Porgesが提唱したセオリーで、人間の神経と脳のシステムから、感情や愛着、トラウマの起こるしくみを解き明かす理論です。

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このセミナーは、ずっと前に購入しておいたビデオセミナーなのですが、なかなかゆっくり勉強する機会がなくて、今に至ったものです。でも、見始めるととても面白いです。

私のカウンセラーの免許はアメリカの免許なのですが、こういうセミナーを現地やウェブのライブセミナー、録画したセミナーなどで、2年間に40単位取ることが更新の条件になっています。だから、高いお金を払って、せっせと受講しなければならないのですが、実際、アメリカの心理学や精神医学のセミナーは最先端だし、実践的で、興味深いものが多く、損はないです。

勉強したことで、みなさんのお役に立てることがあれば、またシェアしたいと思います。

不安列車を降りる

10月、アメリカにセミナーに参加した際、会場で購入したマインドフルネスの本から抜粋し、訳したものです。マインドフルネスに基づいた不安コントロール法です。参考にしてみてください。

 

「不安列車」を降りる

 

思考は、「一連の思考(a train of thoughts)」というように、連なる列車にとてもよく似ています。もしも、「不安な思考の列車」に飛び乗ってしまったら、どうなるでしょう?その列車は、あなたをどこに連れて行くでしょう。終点はどこでしょうか。あまり楽しい場所とはいえない、「心配の国」や、「悶々の村」や、パニックの町」に行きついてしまう人もいるでしょう。このエクササイズは、あなたがいつでも列車を降りて、プラットホームに戻るための手引きになります。切符を買ってしまったとしても、あなたには好きな時に、たとえ隣の駅ででも、列車を降りる力があるのです。

 

どうやって

 

  1. 自分の思考に対して、中立で、無判断でいてください。あなたの不安思考を、単に「頭がさまよっている状態」だと気づいてください。
  2. 不安列車に対し、オープンで受容的な態度をとってください。自分の思考と戦うかわりに、不安列車の車掌さんに、こうあいさつしましょう。「こんにちは、古いお友達。また会いましたね。」
  3. 証拠を探して、自分の思考の信ぴょう性を吟味しましょう。この考えが本当に正しいという証拠は何ですか?過去にこういう考えがあたっていなかったという事実はありませんか?恐れは現実のように感じられるかもしれませんが、本当はそれは真実に基づいていないかもしれず、そういう感じがするというだけでは、それが実現する根拠にはなりません。
  4. さあ、もう、あなたはプラットホームにいて、列車を降りています。楽に深呼吸しましょう。
  5. 微笑んで列車を降りた自分をたたえてください。

 

いつ

 

気が動転した時、不安がとまらなくなりそうなとき、パニックになりそうなとき、いつでもこれを使ってください。早い段階で使えば、それだけ列車を降りるのも簡単になります。

 

参考文献: Altman, D. (2016). 101 Mindful Ways to Build Resilience: Cultivate Calm, Clarity, Optimism & Happiness Each Day. Eau Claire, WI. PESI Publishing and Media.

 

 

自分を好きになる秘訣

失敗がなく、なんでもできて、スタイルもよく、見目麗しく、頭も抜群dね、お金持ちになれば、自分に満足して自分を好きになれるのでしょうか。決してそうではありません。

もし一時的にそうなったとしても、自己価値感が低い人は、また別の欠点を探して自分が嫌になるでしょう。

自分を好きになる秘訣は、完全無欠になるのではなく、不完全な自分を受け入れることです。

母親が子供を愛するのは、子供が完璧だからではなく、汚したり、物を壊したり、散らかしたり、駄々をこねたりする子供を、その不完全性を含めて、ありのまま愛するからです。それが無条件の愛というものです。

無条件の愛を、自分に対して向けること。

そうすれば、他者に対しても優しくなれるので、愛が広がり、結果としてこの世界はよりよい場所になっていくでしょう。

 

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依存を手放す

すべての中毒的な依存は、根本的には、愛を似て非なるもので埋めようとする、代替行為なのではないかと思います。

お酒、ギャンブル、麻薬、ホストやキャバクラ、電話占い、恋愛などの人間関係。いろいろありますが、そこに執着する心理には共通点があるなあと、色々な人を見ていて思います。

ただ、そこに執着していればいるほど、確実に本当の愛から遠ざかってしまいます。

執着しているものを手放すと、空虚さと向き合わなければならないから怖いのだと思いますが、実際のところは、手放すことで、新しいものが入ってくるスペースが生まれるんです。逆に言うと、手放さないと、本当に欲しているものは入ってくることができない。

一時的な快楽しか与えてくれず、長い目で見ると自分を毒するものを手放すのは難しいかと思いますが、もう何年も電話占いにはまってしまって、とか、ホストやパチンコでお金を使ってしまって、という人を見ていると、それを続けている限り、幸せな状態ではないし、幸せな状態になりえないことがわかります。

自分の本当の気持ちと向き合うのは、辛いでしょうが、それも一時的なもの。ちゃんと見て感じてあげると、その辛さは長続きはせず、やがては必ず消えていきます。辛い気持ちを、見ないように目をそらしたほうが、その気持ちは水面下で継続するものです。そうなると、やがて鬱や不安、コントロール不能の怒りなどになって、心を病む人が多いです。

自分の心から逃げないで寄り添い、自分を惨めにするものを手放す勇気を持つことは、幸せになるために、とても大切なことだと思います。

 

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毒親という言葉

毒親という言葉が、最近はやっているみたいですね。

アダルトチルドレンという言葉も、日本ではもうすっかり定着していますね。アダルトチルドレンは、アルコール依存の親がいる機能不全の家庭というのがもともとの意味ですが、その発祥の地のアメリカでも、近年はもう聞かれない言葉です。ちなみに、毒親と同じく、精神医療の専門用語ではありません。

毒親という言葉を聞いて思うのは、その言葉を好んで使っている人は、自分の心の問題をなかなか乗り越えられないのではないかなということです。

なぜなら、そこには、

「親のせいで自分がこうなった」

という、他責的なニュアンスがとても強く含まれているから。それは、被害者意識を植え付けてしまう言葉だからです。

そういう意識状態にある人が、過去を乗り越え、自分の傷を癒して、元気になったという例を、私は今だ見たことがありません。逆に、被害者意識が強い人が前に進めず、幸せになれない例なら、いつも見ています。

なぜか。

直接的な原因が親にあったとしても、自分の傷を癒して、幸せになるのは、絶対的に自分の責任だから。親はそうしてはくれません。親以外の他人もそうはしてくれません。最終的、究極的には、自分でそれをするしかないのです。

これは、一見、不公平で残酷なように聞こえるかもしれないけれど、見方を変えるととても素晴らしいことです。まわりの人や環境がどうあろうと、自分の心は自分の思い通りにできるし、自分の人生も自由に創造できる可能性を、人は持っているということだからです。

誰かのせいにすると、その時は楽かもしれないけど、長い目で見ると、自分の可能性を制限し、心を縛ってしまうという、とても辛いことが起きてきます。

アダルトチルドレンという言葉にも、毒親と同じ意味で、あまりこだわらないほうがが心は自由になれるのかなと思います。

私がアメリカでカウンセリングしていた頃、職場にセラピーに来ていた、常時300人くらいいるクライアントさんは、9割以上がいわゆるアダルトチルドレンでした。理想的な親を持った人など、ほとんどいませんでした。(アダルトチルドレンが大多数で、そんなのは当たり前だから、アメリカでは使われなくなったのかもしれないと思います。)ドラッグや犯罪が蔓延する社会なので、当然家庭が崩壊している人が大多数、近親相姦などのひどい虐待は日常茶飯事、家族が自殺したり殺されたりすうのを目撃するといった壮絶なトラウマを抱えている人も珍しくはありませんでした。それでも、自分で自分を癒し、人を許し、過去は過去として、前に進んでいける人は、たくさんいました。それが簡単な作業だとは決して言いません。けれども、人にはそれができる力が備わっていることを、私は多くのクライアントさんに教えられました。

心の問題を乗り越えて幸せを築いていける人の共通点は、自分の不幸を人のせいにしないこと。犠牲者意識を抜け出していること。そして、おまけにもう一つつけ加えるとすると、愛があることですね。心に愛がある人は、人も自分も癒すパワーが大きいです。人には誰にでも自然に愛は備わっており、ブロック(心を阻害するもの)が多いとそれが表にはでてこれない。それだけの違いなです。愛を表現して癒しを実現し、幸せになれるなれるポテンシャルは、どんな人にもあるというのが、私の信念です。

言葉は意識の表れですが、言葉を選ぶことによって意識を変えることもできるので、自分を進化させ、成長させるような言葉を選択するよう、気をつけてみてはいかがでしょうか。

 

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「統合失調症薬で85人死亡」の記事に思う

先日、新聞で見かけた記事に、ゼプリピオンという統合失調症薬で85人が死亡し、問題になっているとありました。

これは2013年から使われている新薬で、注射して効かせるタイプの薬のようです。

これを見て、改めて精神疾患に使う薬(向精神薬)の危険性について思いを馳せました。

私は精神科医ではないので、薬物療法は専門外なので、あくまでも個人的意見なのですが、薬は身体にとって異物であり、人工的に作られた薬の場合、副作用はほぼ必ずあると考えています。

アメリカでの臨床経験を含め、様々な薬を長期にわたって服薬され、中には中毒になり、それがなくては生きていけなくなった挙句、過剰摂取してショック死されたクライアントさんも見てきた私としては、薬だけに頼る精神の治療には非常に疑問を抱いています。

特に日本の精神医療の在り方には、以下の理由から、とても危惧しています。

1)アメリカではすでに危険なので使われなくなっている薬が、いまだによく使われている。

2)同じ症状に重複した作用のある幾種類もの薬が、大量に処方されている。

3)正確な診断ができると思われる精神科や心療内科が少なく、誤診が非常に多い。特に統合失調症、双極性障害、発達障害の過剰診断は目に余るものがある。

3)に関していえば、例えば、「自分が嫌で仕方がない。無気力で、何をする気も起こらない。もう死ぬしかない。」と言っている人が、心療内科に行って、時間をとって話を聞いてもらうこともなく、発達障害の心理検査だけ与えられる。その結果、発達障害の傾向はあるが、機能的には問題がないレベルでしょうと言われる。こういうことが実際にあります。この人の場合、明らかに希死念慮を伴った抑うつがターゲットになるべき症状であり、緊急に治療的介入が必要なのですが、主治医はそれを見逃してしまっています。また、「自分が嫌い」という状態は、薬で治すことはできません。なぜ自分が嫌いなのか、いつから?そのきっかけは?というところから聞いていって、どうしたら自分を受け入れ、生きる辛さを軽減できるか、という方法を探る必要があると思いますが、話も聞いてもらえず、薬を処方されるだけでは、それはできないでしょう。例え薬で仮に一時的に気分が軽減したとしても、根っこにある鬱を引き起こす原因がそのままであれば、またいずれ症状が優勢になってくる可能性が高いです。

加えて、統合失調症や双極性障害をあまりにもイージーに診断してしまう傾向は、とても危険だと思います。なぜなら、これらの診断が出れば、強い薬(抗精神薬)が処方される可能性が高く、それがもし誤診で必要のない薬であれば、益になるどころか害になります。

脳内神経物質に作用する向精神薬は、摂取し始めた時は異物であっても、体がそれに慣れるに従い、それがあって初めて正常に脳が作用するようになってきます。言い換えれば、それがなければ正常に作用しなくなる。身体が依存してしまい、薬を切れると不安で仕方がなくなり、いてもたってもいられないので、盗んででも薬を手に入れようとするクライアントさんが、アメリカに何人もいました。

また、大量の処方薬を長年飲んでいる人には、共通した表情があり、それは大麻や覚せい剤、ヘロインなどの麻薬を長年常用している人と酷似していることもつけ加えておきます。ひとことでいうなら、薬に支配されて、生命力を抜かれてしまった、ソンビのような生気のない表情です。恐らく、人工薬には本来備わっているプラーナ(氣)を弱める作用があるのだと思います。

日本では、ネガティブな症状(抑うつ感、無気力、表情のなさなど)だけで統合失調症と診断されるケースが多いようで、びっくりしていますが、妄想や幻覚、特異な言動などのポジティブな症状がなければ、本来は統合失調症の診断基準に値しません。また、双極性障害の躁の症状にしても、正常範囲内と考えられるのに病気にされているケースが多いように思います。ストレスが高まったときに怒鳴ったり、買い物で発散させるという行動は、誰でもしうることで、それがそう頻繁でなく、ストレスレベルからして無理もない状態だったり、使った金額が収入や貯蓄の額からして、そうダメージを与えるものでない場合は、正常範囲内と判断できるかもしれません。そのあたりも詳細に聴取してなければ、正確な診断はできません。

色々書いてきましたが、最終的に、自分を守るために、適切な診断を下し、適切な治療をする力のある医師や病院を選ぶというのは、自己責任になってしまいます。専門家のいうことだからと、盲目的に鵜呑みにしないで、少なくとも処方された薬の作用、副作用を自分で調べて知っておく、おかしいと思ったらセカンドオピニオンを得るなどして、自分がよくなり、幸せになるために、自身の判断を用いてほしいと思います。

 

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自尊心とガソリン

今日、読んだ何かの文で(英語だったけど)、

「才能に恵まれているけど自尊心がない人は、ガソリンのない高級車みたいなものだ。体が不自由だけど自尊心が高い人のほうが、多くを成し遂げることができる。」

と書いてあり、なるほど、その通りだな、と思いました。

高学歴でも、自尊心が低いために、社会に出て仕事に就けず、不安やうつにさいなまれて引きこもっている人を知っています。

一方で、障がいがあっても、生き生き働いたり、人生を楽しんだりしている人は、世の中にたくさんいます。

自尊心っがあるって、自分を大切な存在と認識している、自分に対する愛がちゃんとあるってことですよね。内在する愛のパワーは、車のガソリン、つまり、エネルギー源になります。

自分に自信がない人は、例え体格がよくても、なんとなくエネルギー不足に感じられ、自己に尊厳が備わっている人は、体が小さくても、冒しがたい力づよさを感じるわけも、ここにあるのだと思います。

 

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