毒親という言葉が、最近はやっているみたいですね。
アダルトチルドレンという言葉も、日本ではもうすっかり定着していますね。アダルトチルドレンは、アルコール依存の親がいる機能不全の家庭というのがもともとの意味ですが、その発祥の地のアメリカでも、近年はもう聞かれない言葉です。ちなみに、毒親と同じく、精神医療の専門用語ではありません。
毒親という言葉を聞いて思うのは、その言葉を好んで使っている人は、自分の心の問題をなかなか乗り越えられないのではないかなということです。
なぜなら、そこには、
「親のせいで自分がこうなった」
という、他責的なニュアンスがとても強く含まれているから。それは、被害者意識を植え付けてしまう言葉だからです。
そういう意識状態にある人が、過去を乗り越え、自分の傷を癒して、元気になったという例を、私は今だ見たことがありません。逆に、被害者意識が強い人が前に進めず、幸せになれない例なら、いつも見ています。
なぜか。
直接的な原因が親にあったとしても、自分の傷を癒して、幸せになるのは、絶対的に自分の責任だから。親はそうしてはくれません。親以外の他人もそうはしてくれません。最終的、究極的には、自分でそれをするしかないのです。
これは、一見、不公平で残酷なように聞こえるかもしれないけれど、見方を変えるととても素晴らしいことです。まわりの人や環境がどうあろうと、自分の心は自分の思い通りにできるし、自分の人生も自由に創造できる可能性を、人は持っているということだからです。
誰かのせいにすると、その時は楽かもしれないけど、長い目で見ると、自分の可能性を制限し、心を縛ってしまうという、とても辛いことが起きてきます。
アダルトチルドレンという言葉にも、毒親と同じ意味で、あまりこだわらないほうがが心は自由になれるのかなと思います。
私がアメリカでカウンセリングしていた頃、職場にセラピーに来ていた、常時300人くらいいるクライアントさんは、9割以上がいわゆるアダルトチルドレンでした。理想的な親を持った人など、ほとんどいませんでした。(アダルトチルドレンが大多数で、そんなのは当たり前だから、アメリカでは使われなくなったのかもしれないと思います。)ドラッグや犯罪が蔓延する社会なので、当然家庭が崩壊している人が大多数、近親相姦などのひどい虐待は日常茶飯事、家族が自殺したり殺されたりすうのを目撃するといった壮絶なトラウマを抱えている人も珍しくはありませんでした。それでも、自分で自分を癒し、人を許し、過去は過去として、前に進んでいける人は、たくさんいました。それが簡単な作業だとは決して言いません。けれども、人にはそれができる力が備わっていることを、私は多くのクライアントさんに教えられました。
心の問題を乗り越えて幸せを築いていける人の共通点は、自分の不幸を人のせいにしないこと。犠牲者意識を抜け出していること。そして、おまけにもう一つつけ加えるとすると、愛があることですね。心に愛がある人は、人も自分も癒すパワーが大きいです。人には誰にでも自然に愛は備わっており、ブロック(心を阻害するもの)が多いとそれが表にはでてこれない。それだけの違いなです。愛を表現して癒しを実現し、幸せになれるなれるポテンシャルは、どんな人にもあるというのが、私の信念です。
言葉は意識の表れですが、言葉を選ぶことによって意識を変えることもできるので、自分を進化させ、成長させるような言葉を選択するよう、気をつけてみてはいかがでしょうか。