盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。多忙につき、お電話に出られないことが多くご迷惑をおかけします。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)☆営業時間:9時~18時(不定休)

ブログ

摂食障害について

摂食障害に悩む人は多いと思います。

摂食障害は、完治するのに比較的長くかかる精神疾患で、通常のカウンセリングではなかなか回復しにくいのではないかと思います。摂食障害の専門家の治療を受けるのが望ましいでしょうが、なかなかそういう専門家は日本では見つけにくいと思います。アメリカでは、摂食障害の人専門の入院施設があって、食べるところから指導して治療していました。

私は摂食障害の専門家ではないのですが、摂食障害で悩んでいる方が時々いらっしゃるので、何かの役に立つかと思い、アメリカのオンラインセミナーを先日受けてみました。このセミナーは、摂食障害の中でも、特に、過食症にフォーカスしたものでしたが、いい内容だったので、参考までに、少しシェアしたいと思います。

まず、過食症になりやすい人。気質的に、完ぺき主義、衝動的、白黒思考が強い人(こうあるべき、いい・悪い、正しい・間違っているの判断が強い人)、離人症的(ぼーっとしていて、意識が飛びやすい人)がなりやすい。その他、不安や鬱、ダイエットや食事制限、外見や体重のことでいじめを受けたり、恥の気持ちが強い人がなりやすいです。

過食症の人は、食べた後吐いたり、下剤を使ったり、絶食したりして、無理なダイエットをしがちですが、これは全くの逆効果です。ダイエットという行為自体が、過食を引き起す原因になってしまうからです。過食をやめるためにダイエットすると、脳や体が食べることを渇望するようになり、感情はイライラして乱れるということが、自然の摂理として起こってきます。過食をやめたければ、体重を減らすことを目標にするのではなく、健康やボディイメージに対する概念をよりよいものにすること、よりよいセルフケアを目指すことが必要不可欠です。

過食症を直すためには、調和的な食べ方(attuned eating)をする必要があります。ダイエット=厳格、過食=混沌、調和的な食べ方=統合。つまり、欲求を極度に制限するのではなく、かといって、欲望のままに無秩序な食べ方をするわけでもない。その二極を統合するということ。要するに、自分の心と体の声を聴いて、それと調和した食べ方をするということが大切というわけです。

調和的な食べ方をするために、知っておくべきことは、

「いつ」「何を」「どのくらい」の3つです。

◎あなたはいつ自分がおなかがすいているか、知っていますか。

◎たくさんの種類の食べ物のなかから、自分がいま、何を食べたいか、知っていますか。

◎おなかがいっぱいになって満足したとき、食べるのをやめますか。

この3つの質問がカギになります。

「いつ」に関しては、

1.飢えている

2.とてもおなかが空いている

3.おなかが空いている

4.ちょっとおなかが空いている

5.おなかが空いているわけでも、満腹なわけでもない

6.ちょっとおなかがいっぱい

7.おなかがいっぱい

8.すごくおなかがいっぱい

9.満腹で苦しい

の中から、その都度選びます。

「何を」に関しては

暑い、冷たい、歯ごたえがいい、やわらかい、なめらかな、しょっぱい、辛い、甘い、味がたんぱくな、たんぱく質、炭水化物、脂っぽいもの、の中から選びます。

「どのくらい」に関しては、

◎調和(おなかがすいているかどうか、何を食べたいか、どのくらい食べる必要があるかを考え、それに適合した食べ方をする)

◎意図(食べ終わった後、どう感じたいか。上記の1~9のうち、体が心地いいと思うのはどれか、を意識する)

◎マインドフル(味、香り、見た目、触感に注意を向け、食べていることを意識しながら食べる、体がどう感じるかを意識しつつ食べ、体が満たされたらやめる)

の3つを心がけるといいでしょう。

例えば、ファストフードのハンバーガー=悪い、オーガニックのサラダ=いい、と頭で決めつけないことが大事です。白黒思考は、過食を引き起こしやすいメンタリティーでしたね。それよりも、体が何をどのくらい欲しているかに注意を向けます。ファストフードのハンバーガーを体が欲しているなら、それを、体が必要な分だけ食べるほうが、満足を覚えて、過食しにくくなる場合もあるというわけです。

過食してしまうとき、感情をコントロールするために食べてしまうことがあります。気持ちを「なだめる」「気をそらす」「心地よくせる」「麻痺させる」「落ち着かせる」ために、食べ物を使うのです。そういうときには、感情的になって過食してしまった自分に腹を立てるのではなく、「おなかがすいていないのに、食べ物に手を伸ばしてしまったな。何かで気持ちが乱れているんだね。」自分に対して優しい慈悲の気持ちを向けることが大切です。そして、自分が本当は何に満たされないのか、どんな感情があって、どうしたらそれが満たされるのかに、ちゃんと気づいて、ケアしてあげること。

もし、自分の見た目を恥じてダイエットと過食を繰り返している人がいたら、自分のボディイメージを改善するために、こんな方法を試してみてください。

1.最後に言ってしまった(考えてしまった)自分の身体に関する悪口を、パソコンやスマホに打つ。

2.消去する

3.自分の身体をいつくしむ言葉を打ち直す

あるいは、体重計に、「この目盛りは、自分の価値がどのくらいか、家族や友達がどのくらい好きになってくれるかとは無関係だ。私は今のままでも価値があり、自分次第で、今、この瞬間、幸せでいることができる。」と書くなどしてもいいでしょう。

基本的に必要なのは、気持ちを落ち着かせて、心に静けさを持ち、自分自身とつながる時間を持つこと。それを練習すること。そうすれば、心身の声を聴くことが上手になってくるので、体が喜ぶものを、必要なだけ食べられるようになってくるでしょうし、心が幸せでない理由もわかって、それを自分で修正することもできるようになってくるでしょう。

(参考資料:Matz, J. (2018) Emotional Eating, Chronic Dieting, Bingeing and Body Image: What Every Clinician Needs to Know. Pesi Degital Seminar.)

 

 

 

 

 

等身大の自我でいる

自我って、本来の自分より大きすぎても小さすぎてもよくないんですよね。

虚勢を張って、自分を、強く、大きく見せようとするのも疲れてうまくいかないし、身を縮めて、もともとの背丈より小さくなって歩いていても、窮屈でもたないでしょう。

例えば、誰かに力で支配された過去があり、それが嫌でしかたないから、虚勢をはって身を守ろうとしたり、逆に、いじめられないように、従順ないい人を演じて身を守ろうとしたりする人があります。それはそれで、支配されている間は、生き延びるために身を助けてくれる、有効な手段になります。でも、もう誰も攻撃してこないのに、虚勢をはったり縮こまったりするのは、疲れるだけで、かつ、人間関係にも支障をきたす、機能不全な在り方になってしまいます。

一番疲れないのが、背伸びするでもなく、背を縮こませて歩くでもない、等身大の自分でいること。

自分を無理強いせず自由にさせてあげると、楽だし、不思議と人間関係もそのほうが好転するんですよね。

無理をしている人って、接するほうでも居心地が悪いものなんですが、自由でのびのびしている人は、心地いいオーラを放つので、無意識に人が魅かれるものです。

無理しているのに気づいたら、等身大の自分であるよう、ちょっと力を抜いてみたらいいかもしれません。

 

 

 

龍の出現

たまには息抜きを兼ねて、違う話題を。

アメリカで働いていたころ、家の真上に出てきてた、龍の形の雲です。

顔が笑っています(*^-^*)。

(アメリカにも龍がいるという証拠写真ですね。(^_-)-☆)

 

 

自分も人も同じ

自分を蔑むときも、人を蔑むときも、同じエネルギーを自分の中に作り出し、周囲に放ちます。

誰かに蔑まれ、口汚くけなされたとしたら、とても不快な気分になりますよね。腹が立ち、蔑む相手を憎んだり、攻撃したりしたくなるかもしれません。でなければ、そういう人とは関わりたくないので、逃げたり避けたりしたくなるでしょう。

自分を嫌って蔑んでいる人に対しても、相手は同様のことをしたくなります。蔑みの持つ不快な波長を受け取って反応するからだと思います。

だから、自分を見下している人は、人に攻撃されたり、いじめられたりしやすいのです。相手がそこまで攻撃的ではなく、比較的穏やかな人だったとしたら、距離を置かれるだけかもしれません。いずれにしても、人に肯定的な関わりをされにくくなります。

自分も他人も、集合意識ではつながっており、一つなので、本当は区別はないんですよね。なので、自分に対する行為も、人に対する行為も、ある意味同じなのです。自分を傷つけることは、人を傷つけることであり、人を傷つけることは、自分を傷つけること。自分を本当の意味で愛し、大切に扱っていると、その心地よい波動は、人にも心地よさを放ち、恩恵を与えます。そういう人が、人にも尊ばれ、大切に扱われるのは、想像に難くないですよね。

レニー・クラビッツのbelieveという歌の歌詞に、I am you and you are me, why’s that  such a mistery (私はあなたで、あなたは私。それがなぜこんなにも神秘なのか)という フレーズが出てきますが、まさにこれが宇宙的な真実だと思います。

 

 

 

ゲームに没頭するとき起こること

テレビで、ゲーム中毒の子供の姿が映像で流れていました。

食べることもトイレも忘れて、ひたすらコンピューターの画面を見つめている子供。

その異常な姿を見て、ああ、この状態は脳や精神にすごい有害だなあ、と思いました。

脳が絶え間なく動いて情報処理している状態がまずよくない。

このゆとりのない、ものすごいスピードと量の思考の状態は、不安衝動に翻弄され、衝動的に突き進み、心に平穏が入り込むすきのない、多くの現代人の状態を、究極の形で表しているように思います。

この脳の状態には想像力が働く余地がない。

子供時代、ごっこ遊びやお話を聞いたり創ったり、絵をかいたりすることで養われる想像力の訓練は、成長してからも、自他とも人をサポートしてくれる貴重な機会になります。想像力があるから、ほかの人の気持ちがわかるし、原因からどういう結果が生まれるかがわかる。イメージ力があれば、今の否定的状態を変え、よりよい未来を創っていくこともできます。想像する力は創造する力の源だからです。

寸分のすき間もなく、すごい勢いで与えられ続ける、受け身の情報を処理する脳に、内側からの自発的な想像力を生じさせ、はぐくむ余地は全くありません。意識を完全にコントロールされている状態。これでは、現実に自分に起こっていることも認識できず、自分にとって大切なことを感じ取ったり考えるたりすることは不可能でしょう。

もし、地球征服をもくろむ悪の組織があって、地球を破滅に向かわせたかったら、子供にゲームを与えて虜にする方法もあるな、などと思いました。

身体的にも、ゲームに夢中になっている子供の体は緊張し、呼吸は浅くなり、非常に負担がかかっている状態。否定的な感情を感じてストレスがかかっているときと同じ状態です。寝食を忘れて、休息なしで、この状態を心身に与え続けると、心身はやがて崩壊するでしょう。

私自身は、ゲームは全くやりません。数分やっているだけで、脳とか心身のエネルギーの状態がおかしくなるのがわかるので、不快になるからやめてしまいます。

同じゲームをするのでも、サイコロを振ってやるボードゲームなんかは、まだ想像力のはいりこむ余地があり、人と人との直接的な交流も起きるから、いいんじゃないかなと思います。

子供が、ギラギラ目を光らすのではなく、キラキラ目を光らせるようなゲームが、世の中にもっと溢れたらいいなと思います。

 

「どうしよう」をやめる

そういえば、近年、「どうしよう」と思い悩むことがなくなったなと思います。

クライアントさんにも必要に応じて伝えていることですが、問題は実際に起こって、目の前にあるときに対処する、まだ起きていない厄介ごとは、直前まで考えない、というのを、日ごろから自分でも実践しているからだろうと思います。

未来の厄介ごとで、まだなすすべのないことは、どうしようもないわけで、どうしようと思うだけ、無駄。もっと建設的なことに使えるはずのエネルギー消耗してしまい、役に立たないどころか、有害です。

実際に問題が目の前にあるとき、元気(自分の氣のエネルギー)が温存されていたほうが、消耗されて少なくなったエネルギーでことに当たるより、当然、よりよく対処できます。わかりやすいところでいうと、例えば、疲れて集中力や判断力が鈍っている状態で問題に対処するより、疲れていない頭で考えたほうがいいということ。

実際に問題が形をとって目の前に現れるまえに、つまり、実態がない状態で、頭を働かせてあれこれ考えても、その解決策は、問題にフィットしないことが多いものです。それが実際に目の前に具現化したとき、その場で感覚的、直観的に思いつく解決策のほうがずっとフィットするもので、それはその時にならないと湧いてこないものです。

その時になったら自分がうまく問題を対処できる力を持っているという自己信頼は、とても大切です。

こうなったらどうしよう、を手放すと、氣の無駄な流出を防ぐことができるので、元気を保ちやすくなり、何よりもとても楽になりますよ。

 

お客様へのご連絡

先日、留守電にメッセージをいただき、昨日、お問い合わせフォームよりメールをいただいたM様。

メールでauの携帯にご返信しようと試みましたが、エラーで返ってきてしまいました。

お手数で申し訳ありませんが、ご予約の際は、お電話でいただけますよう、お願いいたします<(_ _)>。

 

「自分」を基準にする

日本人は、アメリカなどの個人主義と違い、集団主義の文化を持つ国民性があります。これは、周囲との調和を重んじ、自己主張せず、他者を慮るといういい面がある一方で、他者の目を非常に気にして自分の気持ちや考えを抑制するという傾向にもつながります。

アメリカから帰ってきて、日本でカウンセリングするようになって思うのが、非常に多くの人が、人目を気にし、自分を持たないで生きているがゆえに、色々な心の問題を作り出してしまっているということです。

そのことに関して、とても明快で深遠な説明がなされている本があるので、一部、ご紹介したいと思います。

ディーパック・チョプラ著、渡邊愛子訳の「富と成功をもたらす7つの法則」(大和出版)という本ですが、インドの古典であるウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの奥義を説いた哲学書が元になっているようです。

チョプラ氏によると、自己志向と対象志向があって、自己志向は純粋な自己を経験している状態、つまり、自分が指針になっている状態、対象志向は、意識のフォーカスが自分の中のエゴであり、自分の外側にある状況や環境に大きく影響される状態になります。チョプラ氏いわく、「エゴは本当の自分ではなく、社会的仮面であり、あなたが演じている役割、あなたのセルフイメージ」です。

対象志向であると、自分の姿が周囲の目にどう映るかを非常に気にし、常に人の承認を求めたり、人を自分の思い通りにコントロールする欲求を持つことになります。不安がとても強い状態です。この状態では、深いところにある行動のモチベーションが恐れなので、安心を得るために外部のパワーを強く欲することになります。人に認められたり、いい成績や業績をあげたり、地位や名声、お金や物がたくさんあったりすると、一時的に安心する。けれども、これらはすべて自分の外にあるパワーの元なので、変わりうるものであり、いつか消えてしまうもの。それらがあるときはいいけど、なくなるととても不安定になる。だからいくらあっても不安で満たされず、強迫観念的にもっと欲しくなる。自分を保つために、物や人に依存しなければなくなるわけです。

これに反して、自己志向であると、人に認めてもらったり、人を支配してパワーを得たりする必要性を感じなくなります。外部のものと比較して自分を計ることをしなくなるので、自分が人より劣っていると感じず、勝っているとも感じない。謙虚で相手を敬うが、人の批判を恐れず、何を言われても動じない。恐れから解放されているので、自分が思う通りに動き、自分自身の魂が喜ぶことをする。自分で自分を満たすことができて、とても楽だし、幸せなんですよね。この状態でいると、人の承認とかお金など、色々な豊かさは勝手にやってきます。必死に求めているわけではないのに、向こうからやってきます。

チョプラ氏の言葉で、なるほど、その通りだな~と思ったのは、「エゴは疲れる」ということです。エゴに焦点が当たっていると、非常に疲れるんですよね。常に人にどう思わるか、自分が嫌われていないか、認めもらえるかどうかを強烈に意識するので、精神エネルギーの消耗がハンパないわけです。例えば、学校とか職場に行って、1日過ごすにしても、エゴに焦点が当たっている意識状態の人と、自分自身の本質から動いている人だと、同じ量の勉強や仕事をこなして帰ってきても、疲れが全然違うということになります。

時々勘違いされている方がいるのですが、「自分が喜ぶことをする=自己中心的」ではないんですよね。もし、自分の時間や労力をさいて人を助けることが、自分の喜びになるのであれば、それをすればいいわけです。でも、「やらないとほかの人になんて思われるか。自分勝手だと思われるんじゃないか。だから嫌だけどしなきゃ。」というのは、自分の外にあるもの、周囲の目が基準になっており、深いところではエゴに基づいた行動選択だと思います。なので、その行為が終わった後、人助けをしたはずなのに、虚しかったり、いら立ったり、悲しくなったりして、否定的な気持ちになるわけです。もし、疲れることや煩わしいことであっても、それが本質的に自分の喜びになる行為であれば、その行為が終わった後、疲労とともに心地よい満足感や純粋な喜びを感じられるはずです。

今の日本では、多くの人が、対象志向になっているために、幸せになれないでいると感じます。自己志向の行動選択をしていくと、流れに乗って、いろいろなことがうまく行き、自分のみならず、周囲の人も幸せにすることができるようになります。

では、どうやって自己志向になったらいいかというと、やはり、心を静かにして、周囲に向いていた意識を自分に向けなおし、自分を感じることは必須だと思います。チョプラ氏は、朝晩最低30分の瞑想を勧めています。もしそれができれば、多くの心の問題は改善していくと思いますが、したことがない人にいきなり30分の瞑想は難しいかもしれません。そういう場合は、今、やっていることをやめ、ただ座って、自分の中を静寂に保つ時間を数分でもいいので持つこと、「何かをする」のではなく、何もせず、ただ「ある」「存在する」、静かな時間を持つことから初めてみたらいいと思います。

 

 

 

新年のごあいさつ

2019年、あけましておめでとうございます。

自分のライフワークであるカウンセリングを行うにあたり、大事なことは、目の前にいらっしゃるクライアントさんの幸せを祈る気持ち、それから、自分自身の心を普段からできるだけ透明で良い状態に保つこと。この2つだと思います。

これからも自分なりに精進していきたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

松島で撮った、今年元旦の初日の出です。

 

年末年始のご案内

今年ももうすぐ終わりですね。

おかげさまで、忙しくも充実した一年でした。ありがとうございます。

12月30日から1月3日まで、お休みをいただきます。

カウンセリングのご予約やお問い合わせは、4日以降にお返事させていただきますので、よろしくお願いたします。

それでは、みなさん、よいお年をお過ごしください。