盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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アメリカの日々

悲嘆のセミナーに参加して

9月の後半、アメリカのオレゴン州ポートランドで行われたセミナーに参加してきました。

2日連続のトラウマ解消のセミナーと、1日だけの悲嘆のセミナー、計2つ受講しました。

トラウマ解消のほうは、主にニューロフィードバックというコンピューター機器を使って脳の状態を変えるという手法についてで、いかにニューロフィードバックが素晴らしいかという話はたくさんあったのですが、肝心の、どうやってニューロフィードバックを使うかというのはなかったし(それについてはまた別にセミナーを受講しなければならないらしい)、ソフトを購入して機器を用意するだけでかなり莫大な費用がかかるようで、実際的ではないなと思いました。でも、経験豊富な心理療法セラピストがプレゼンターだったので、内容はそれなりに興味深かったです。このプレゼンターは、DBT(弁証法的行動療法)を編み出したマーシャ・リナハンと古くからの友人で、「昨夜もマーシャと電話して話したんだけど」などと言っていたのが、個人的には面白かったです。DBTは、境界線パーソナリティ障害の画期的な治療法として今でも盛んに使われており、私のセラピーにも取り入れて、とても役に立っていたので、マーシャの個人的な話が聞けたことはよかったです。

一方、悲嘆のセミナーのほうは、文句なしに興味深く、一流のセミナーで、とても感銘を受けました。プレゼンターは悲嘆の第一人者であるデビッド・カッセラー(David Kesseler)という人で、アメリカでは悲嘆の専門家としてテレビにもよく出演している人のようです。悲嘆の5段階のプロセスを提唱した、故エリザベス・キューブラー・ロスとも友達で、キューブラー・ロスが亡くなるのを看取ったそうです。

この人の何に感銘したかというと、まず、初めの印象から、とてもいい人だという感じを受けました。明るくて穏やかで優しく、ユーモアのセンスもあって話も面白い人というのが、最初の10分くらいでもう伝わってきました。最初、私を含め50人前後の受講者一人一人にマイクをまわして、自己紹介や、このセミナーを受講する理由を話させたのですが、その中で、自分自身が誰か大切な存在を亡くして、喪失を経験しているので、という人が何人かいました。それを聞くと、デビッドは必ず、「その人の名前は?」と聞きます。中には、犬やネコなどペットを亡くしたという人もあったのですが、そういう場合でも、「その子はなんていう名前ですか?」と聞きました。そして、皆の自己紹介が終わると、デビッドは言いました。「亡くなった人やペットの名前を言葉にしただけで、部屋の雰囲気が変わったのに気づきましたか?」亡くなった人を、ただ、名無しの状態で話すよりも、固有名詞を言葉にしたほうが、ずっと故人のイメージが形をとって具体的なものになり、その人に尊厳を与え、大切なものとして敬う雰囲気になる。だから自分は必ず亡くなった人の名前を聞くのだと言うのです。なるほど、素晴らしいなと思いました。

デビッド・カッセラーは、自分自身、強烈な喪失を体験した人です。彼は13歳の時、腎臓系の重病で緊急病棟に入れられた母親を見舞うために、父親と一緒に病院を訪ねた経験があります。その時、緊急病棟に入れるのは14歳以上と決められており、会えたとしても2時間に一度、一回5分という時間制限が設けられていました。看護師によっては子供のデビッドの心情を考えて面会を許可してくれる人もいたそうですが、中には規則は規則だといって、今日明日の命かもしれない母親に一目会うことも許さない看護師もいたそうです。父親は病院の前のホテルに宿泊するお金を持っておらず、デビッドと父親は、何日も病院のロビー寝泊りしていました。そんなある晩、その病院で火事が起こりました。その火事は普通の火事ではなく、銃を持った犯人の無差別大量殺人による火事だったそうで、結果として母親は亡くなり、デビッドは、専門用語でいうところの複雑性悲嘆に苦しむことになりました。自分の体験を意味のあるものにしようと、悲しみや苦しみを乗り越えて、デビッドは喪失や悲嘆の専門家になり、たくさんの本を書き、多くの人を救うに至ったのでした。

デビッドの講義でポイントなることの1つは、「喪失による痛みは避けられるものではなく、取り除くべきものでもない。しかし、喪失による苦しみは避けられる」というのものです。大切な人に先立たれて悲しむというのは、古今東西、あらゆるところで起こってきたこと。私たちの祖先から脈々と受け継がれてきた力が私たちには内在しており、私たちの心や体はそれに耐えられるように作られている。でも、喪失による苦しみは、私たちが頭(マインド)の中で作り出すものである。その喪失に関してマインドが何を話すかによる。「死んだのは自分のせいだ」「こんな死に方をさせるべきじゃなかった」などとマインドが私たちに話しかけると、苦しみが生じる。そのマインドのおしゃべりは変えることができるというのが、デビッドの主張です。

デビッド自身、悲嘆の苦しみに役に立ったのが、手紙を書くことだったそうです。亡くなったお母さんに対してのみならず、母親自身の立場から、また、父親、瀕死の母親に会わせてくれなかった看護師など、関りになる人たちの一人一人の心情になって手紙を書くことで、その人たちの立場を理解することができ、デビッドの苦しみはだいぶ救われたと話していました。おそらく、デビッドは、かつて看護師に対する恨みや怒りに長く苛まれ、苦しみを強めたのだと思いますが、「許し」に対する重要性も抗議のなかで説いていました。許すことは、過去の呪縛から解放され、嫌な人とのつながりを断ち切り、苦しみから逃れることであり、自分の中に平和を取り戻すこと。相手を罰するために自分の心の平和を犠牲にするのは、割に合わないことだと話していました。

デビッドは、マザーテレサが亡くなる1年前、会って話をしたそうです。その時、デビッドは、インドで多くの死に瀕した人を看取ってきたマザーテレサに、こんな質問をしたそうです。「悲嘆している人を助けるために、一番大事なことはなんですか。」マザーテレサは、(デビッド曰く)この人バカじゃないの、というような目つきをして、「その人に対する心からの愛をもってそばにいること。それだけです。」と答えたそうです。

デビッド自身、思いやりが深く、そばにいると慰められるタイプの人だと思いますが、彼のその存在から放つ癒しは、他者の苦しみに対する理解からくるものであり、それは、彼自身の苦しみによって心の深いところに培われたものだと感じました。

アメリカ旅行はハードスケジュールで肉体的には大変でしたが、素晴らしいセミナーに参加できて、オレゴンに住んでいる大学院時代の親友とも旧交を温められ、とても有意義なものになりました。行ってよかったなと思います。

 

オレゴンの森。

 

 

アメリカに行ってきました

アメリカのセミナー旅行から戻りました。

 

ニューメキシコ州のアルバカーキという町で開かれた3日連続セミナーに参加してきました。

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セミナー会場の様子。

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朝8時から午後4時まで、休憩をはさんで1日7時間のセミナーです。

内容は、認知行動療法の集中講座なのですが、サイコセラピスト(臨床心理・精神療法士)向けで、精神疾患の治療に役立つような実践的な内容でした。1日目は既に知っている基本的な内容で、正直退屈でしたが、2日目、3日目になると、うつ、不安障害、PTSD、薬物依存、強迫観念症から、各人格障害まで、色々な精神疾患にどう応用するかという具体的な内容に発展していて、なかなかおもしろかったです。

日本では認知行動療法の基本計が数年前からやっと少しずつ広まってきているようですが、アメリカでは認知行動療法はすでに使い古された療法(と私は思っている)で、現在はすでに第三波として、その発展形であるACT(Acceptance and Commitment Therapy)、マインドフルネス、DBT(Dialectical Behavioral Therapy=弁証法的行動療法)が確立しています。

私はどちらかというと、認知行動療法はPTSDや双極性障害のような深いレベルの心の治療には向かない、限界のある療法だと思っていて、今回も3日間連続で、まとめて免許更新に必要な単位が手っ取り早く取れるという理由だけで、このセミナーに参加したのですが、それなりに役に立つ知識も得られたので、まあ参加してよかったなと思いました。

認知行動療法の強みは、なんといっても、とても実践的で、具体的なスキルが数多く存在し、使いやすいという点だと思いますが、カウセリングのツールとして使える資料がたくさん手に入ったのはよかったです。(ただし、全部英語なので、日本語に訳さないと使えないけど。ああ、面倒くさい(-_-;)。)

 

セミナーを終えた後、2日ほど自由行動の時間を取っていたので、以前働いていた町に足を延ばしました。

 

人呼んで、覚せい剤の町。(覚せい剤以外の麻薬も蔓延していましたけど。)

 

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ギャングがたくさんいて、心を病んでいる人がとても多い街でした。仕事的にはとてもやりがいがありました。

当時のクライアントさんたちは、みんな元気かな~、どうしているかなあ、と思いを馳せました。

 

元同僚と会って、一緒にご飯を食べ、積もる話もしました。アメリカの料理は量が半端ないです。ギャル曽根じゃあるまいし、こんなものを全部食べたら、一晩じゅう胃もたれに苦しむ羽目になります。私はレストランで食べたら、半分残してお持ち帰りし、次の日のお昼に食べていました。ニューメキシコは、メキシコ料理がたくさんあるので、ここにいる間しか食べられないと思い、毎日のようにメキシコ料理を食べていました。

 

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ニューメキシコ北部にも足を延ばしました。ちなみにニューメキシコはUFOがよく飛んでくるとか、NASAの秘密基地があるとか言われているところです。UFOが墜落して宇宙人が生け捕りにされた、Rosewellという町もニューメキシコにあります。

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広島に落とされた原爆が作られたLos Alamosという町もあって、そのそばも通りました。

そういえば、ニューメキシコに住んでいた頃、Los Alamosの核爆弾の研究所で働いている科学者と、あるパーティーで一緒になったことがありますが、実験で使った燃料を川にそのまま流していると小耳にはさんで、びっくりしたことがあります。聞き違いかと思いましたが、初めて会う人だし、たくさん他に人もいて、聞き返して確認することができませんでした。もしかすると、核開発とか、原子量発電は、当事者の間では杜撰な管理が当たり前なのかもしれないと思います。本当は、安全というものはあり得ないのではないでしょうか。

 

ニューメキシコ北部の典型的な景色は、ジュニパーやピニョン(松の一種)が生えた砂漠です。

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砂漠の気候は、日中と夜の気温差が大きくて、夜や明け方はかなり冷え込むので、紅葉も日本より進んでいました。

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イーグルネスト州立公園というところに行ってみました。たぶん、日本人は誰もいかないところです。(こんなところまでわざわざ行く人はいない。)アメリカ人もあんまりおらず、静かでよかったです。

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公園内には、プレーリードッグという野生の小さい動物の巣穴がいたるところにあって、モグラたたきのごとく、あちこちから顔を出していました。

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リスっぽい顔だけど、日本語だと山ネズミっていうのかな。かわいらしい姿でキーキー鳥みたいな声で鳴きます。私が行くと、「人が来たぞ~!」「わかった!」と呼び合って、あたりの仲間に知らせあっているのがわかりました(←動物語が少しならわかる私)。

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その他、タオスとサンタフェという町に行きました。両方とも観光地で、ニューメキシコに典型的なアドビー(土で作った家)がたくさんある感じのいい街です。

 

サンタフェのプラザ(町の中心の広場)では、インディアンの人たちが、トルコ石のジュエリーをたくさん売っていました。

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キャメルロック(らくだ岩)。

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フリーウェイ沿いのインディアカジノの近くにあります。自然にできた岩です。

本当にラクダの形をしています。

 

締めくくりは虹の写真で。

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空が広いから、雨が降ると空のどこかにたいてい虹が見つかります。ダブルレインボーもしょっちゅう見ることができます。

 

実際のところ、今回の旅は、色々ハプニング満載で、思い通りにならないことばかりの旅でした(しょっぱなから飛行機が5時間近く飛ばず、乗り継ぎ便を逃すとか)。

でも、予定外のできごとって、anxiety mnagement(不安のマネージメント)や、decision making(意思決定)のスキルを磨く格好の経験なんですよね。最初から最後まで、想定外の出来事ばかりなので、途中から

「そらきた。次はなにかな。」

と、想定外を想定するようになりました。

大変だったけど、ハプニング満載だった分、かえって面白くて、とても楽しい旅行になりました。(^^♪

 

アメリカの3・11

5年前の3月11日、私はまだアメリカに住んでいました。

当時、テレビを見ない生活を送っていた私は、東日本大震災のことも知りませんでした。(ちなみになぜテレビを見なかったかというと、当時、悲惨なドラマやニュースさながらの壮絶な話を聴くのが日常だったため、オフの時までメディアに触れてそういう話にさらされたいと思わなかったからです。)

その頃、私の車での通勤ルートに、何十年もホームレスだった、あるクライアントさんの住むアパートがありました。彼は筋金入りのアルコール依存症で、初めて会った頃は砂漠の真ん中に寝て暮らしていました。その時は彼はまったく希望がない状態で、鬱がひどく、差し迫った希死念慮もあり、実行するためのピストルも砂漠に隠し持っていたので、とても危ない状態でした。でも私たちのカウセリングエージェンシーに来るようになって、精神療法やデイプログラムに加え、ケースワーカーもついて、ハウジングプログラム(無料で家をあてがうプログラム)に加入させることができ、なんとか人並みの生活ができるようになっていた人でした。(確か精神科医の薬物療法は拒否し、受けていなかったように記憶しています。)

彼は私が通勤する時間になると、いつもアパートの前に立ち、私が通る車に合図をするのが日課でした。2011年3月11日、いつものように朝、通りすがりながら彼を見たのですが、この日はいつもと違って、頭の上で大きく手を振って、今思えば、私に一生懸命合図を送っていたのです。

それから15分後、出勤して朝の準備をしていた私のオフィスに、このクライアントさんから電話が入りました。

「チカ、大変だ。日本で大地震が起こった。それだけ知らせようと思って。チカの家族や友達は大丈夫か?」

この人は電話を持っていなかったのですが、知り合いの電話を借りてかけてくれたのでした。その時、私は日本でどれほど大変なことが起こっているか知る由もなく、彼の知らせを受けても、

「日本の地震ならこっちでも時々報道されるけど、いつもたいしたことないから、今度も大丈夫だろう。」

と楽観的にとらえていました。想像をはるかに超えた規模の地震と津波が、私の母方の親戚たちの住む東北沿岸を襲ったことを知ったのは、その日、仕事が終わって帰宅してからでした。

岩手の沿岸に住むいとこに連絡を取ろうとしてもつながらず、その後、私は毎日、空いている時間はインターネットで親戚の安否確認をするのに費やしました。1週間ほどたって、津波の時刻仕事で陸前高田にいた、一番心配していたいとこの生存が確認できたときは、とても安堵したのを覚えています。

アメリカでも、東日本大震災は大ニュースでした。同僚も心配してくれましたが、それよりも、自分自身とても辛い思いをしているはずのクライアントさんたちのほうが、本当に親身になって心配してくれたのには、心を打たれました。

ある男性の重症のクライアントさんは、生活保護を受けており、お金の心配をいつもしているのにも関わらず、

「チカ、今日、赤十字に20ドル寄付しにいったよ。日本の人たちのことを考えたら、いてもたってもいられなかったよ。お気の毒になあ。」

と、涙を流してくれました。この人は不安が強く被害妄想的で、かつ、事故の後遺症で慢性的な痛みを抱えている人だったので、カウンセリングに来てもいつも怒った顔をしていて不機嫌な人だったのですが、本当はとても優しい心をもった人だったのです。

東日本大震災は、世界中の人の善意や祈りが国境を越えて、日本に集まった時でもあったと思います。そして、自分が傷ついて、辛い思いをしたことのある人のほうが、他人に対して優しくあり得るものです。思いやりは人と人をつなぎ、双方の心を満たします。憎しみや争いや競争が、人と人を切り離し、双方の心を荒ませるのとは真逆に。

震災で亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、生きておられる被災者の方のお気持ちも癒されるようにお祈りいたします。

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昔のオフィス

過去の写真のデータを見ていたら、なんだか懐かしい写真が出てきました。

 

アメリカにいたときのカウンセリング・オフィスの一画。

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壁に貼ってあるのは、自分で描いたパステルアート。絵はへたくそですが、パステルの淡い色は癒しになるかなと思って貼っていました。

太陽の光の写真を何枚か飾っていたら、ある日、いつも週末にオフィスを掃除してくれるおじさんが、手作りのフォトフレームに、雑誌から切り抜いた光の写真を、プレゼントしてくれました。(一番左のがそれ。)月曜日に来たら机の上に置いてあり、びっくりしました。

ぬいぐるみは、リサイクルショップから買ったものか、クライアントさんにもらったものばかり。真ん中へんの服を着たクマのぬいぐるみは、野球狂の双極性障害のクライアントさんからもらったもの。彼の好きな野球チームのロゴ入りの服を着ています。その隣の小さいぬいぐるみ2つは、ホームレスのクライアントさんが、多分ゴミ箱から拾ってきたもの。ぬいぐるみが座っている椅子は、器用な彼が、拾った材料から手作りしたものです。

 

 

こっちは、共有のキッチン兼休憩室の一画。

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おなかがすいたときは、缶の中に小銭を入れて、スナック菓子を買って食べていました。壁に貼セミナーのパンフレットが貼ってあります。時々セミナーに通ってスキルを磨くことは、カウンセリングの免許の維持のためにも必須。アメリカのセミナーは高いけれど、経験豊富な専門家から、最先端の技術や知識が学べて、とても興味深いので、私は大好きでした。今でもオンラインセミナーやDVDセミナー、1~2年に一度は渡米して現地でセミナーを受けています。

                                                                                                                                (Chika)

 

アメリカでセミナー受けてきました。

先週、オレゴン州ポートランドで開催された、PTSDの、とある治療法に関するセミナーを、3日間にわたって受講してきました。

ハードスケジュールだったので疲れましたが、とても充実した日々でした。

アメリカの精神医療のセミナーは、とても質が高く、いかにして精神疾患を治療するか、という具体的で実践的な内容のものが多いので、私は大好きです。

もう少し落ち着いたら、またこのブログ上でも、今回学んだことをシェアしていきたいと思います。

                                              (Chika) 

 

 

 

セミナー会場となった、ポートランドのダウンタウンにあるホテル。

 

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ホテル付近の街並み。紅葉がきれいでした。

 

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セドナ

アメリカでも大好きな場所の1つ、セドナ。

私は、アメリカの中でも、サウスウェストと呼ばれる、アリゾナ・ニューメキシコあたりが、一番すきです。

セドナは、アリゾナ州にある町で、サウスウェスト特有の砂漠や岩山に加え、不思議に水や緑にも恵まれている場所。日本でも、パワースポットとして、近年とても有名になりましたね。

セドナは、私的には、バーン!とエネルギーが通って、本当に体が元気になるところです。大地のエネルギーが強いので、浄化力とグラウンディング力がとても強力。私はセドナに行くと、いつも、長時間のドライブからくる頭痛や肩こりが、不思議に治ってしまいます。

また行きたいけれど、今年のアメリカ行きは、ノースウェストが目的地になりそうなので、再訪はまだしばらく先かな。

今年は、秋、またカウンセリングのセミナーを受けに、渡米予定です。シアトルで、PTSDの治療法に関するセミナーを受講して、スキルアップしてこようと思っています。

                                           (Chika)

 

 

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シャスタの風景

2011年、まだアメリカにいたころ訪れた、マウント・シャスタ。オレゴン州とカルフォルニア州の境目にあります。

 

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クリスタル・ガイザーという水がありますが、あれはこの山の源泉の水なんですよね。山の上からみた景色。

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頂上付近の、水の輝き。

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シャスタ山の近くには森がたくさんあって、とても生命力にあふれています。

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空気が全然違います。このあたりの森には、天然のアロマである、植物のかぐわしい香りが漂っています。市販のどんな精油にもかなわない、いい香りでした。

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秋に訪れたのですが、紅葉も色鮮やかでした。

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森の中には滝がいくつもあり、マイナスイオンいっぱいです。

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訪れた日の初日は、ずっと太陽の周りに輪がみられました。

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2日めは、太陽の両端に、虹がみられました。

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sun dogという現象です。(日本語ではなんていうのかな。)

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インディアンの聖地なる湖。森の奥深くにあるので、訪れる人もほとんどなく、とても静かです。

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シャスタは、私が大好きなパワースポットの1つです。今までに2回行っていますが、とても清らかで精妙な氣であふれていて、まさに次元が違う、という感じをいつも受けます。

また、いつか訪れたい場所です。  

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似顔絵

アメリカで働いていた頃、クライアントさんが書いてくれた似顔絵。

 

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ちなみに彼は、元麻薬密売人でした。なぜ「元」かというと、捕まってしまったので、もうその仕事はもうできなくなったから。

捕まったから、セラピーに連れられてきた、というわけです。執行猶予中か仮釈放か忘れたけど、そんな身分のお方でした。

麻薬の密売はてっとり早く大金が手に入るので、いい商売らしいです。(お勧めはしませんが(^_^.)。)

私が住んでいた町は、小さく貧しいコミュニティで、めぼしい産業もなかったので、住民の就職率は低く、失業率もとても高かったです。生活保護を受けている人も大変多くて、日本の比ではありませんでした。アメリカって、貧富の差が激しい国だなと、つくづく思います。経済的その他の事情で、大学進学率はもちろん、高校を無事卒業する人も、その町では少なかったです。中卒も多かったし、小学校しか出ていない人もちらほらいたような。

何もない砂漠の町で、他にすることがないからとか、ひどい家庭環境の苦境を紛らわすためにとか、親代わりにギャングに養われ、そこで自然と麻薬を覚えてとか、色々な手段で早くから麻薬に手を染め、食べていくために麻薬密売をする人も、あまり珍しくなかったです。

…ていうか、どうでもいいけど、この似顔絵…。どうよ、と悲しいツッコミを入れたくなります。

自称絵が得意という彼に描いてもっている間は、期待で胸を膨らませていたのですが、出来上がりを見て、

「そうか、こんなにブサイクやったんや、自分。」

と、現実を見た気がしたひとときでした。(-_-;)

 

これは、当時の仕事風景。

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アメリカは心理療法がとても進んでいるので、アメリカでカウンセラーをしていると、とても勉強になります。質の高いセミナーを受ける機会もたくさんあるし、職場でも本格的な心理カウンセリングをどんどん使って薬を使わない治療行為ができるし。

そういう意味では、多忙を極めて身を削るような、大変な職場でしたが、戻りたいなあ、と懐かしく思うことがたまにあります。

ちょっと休憩

ハードな解離障害の話ばかりだと疲れちゃうので、ここらへんでちょっと休憩はさみます。

 

典型的なアメリカンブレックファースト(バターパンケーキ、玉子、ベーコンかソーセージ、ハッシュドポテト、リンゴの甘煮、カッテージチーズ、コーヒー。)

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これ一食たべたら、夕方までお腹がいっぱいという、すごいボリュームなのですが、食べ物が激マズのアメリカで、このアメリカン・ブレックファーストだけはおいしいのでお勧めです。

 

ニューメキシコ州に住んでいた頃、週末によく遊びに行っていたサンタフェの町。

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アーティストの町でもあるので、街並みに面白いオブジェがいっぱい飾ってあります。

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この辺の家は、アドビーという干し煉瓦でできています。

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クイーンサイズのベッドを独占するネコたち。

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私が住んでいた町は、田舎の、小さくて何もない、貧しい町でした。

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失業率も高く、やることがないので、ギャングやドラッグをやっている人が多かったです。特に覚せい剤の使用率が多いので有名な町でした(そんなことで有名になってもしかたないですが・・・(^_^;)。)薬物依存が蔓延していたので、メンタルヘルスのカウンセリングの仕事は、大変忙しかったです。

 

砂漠の町で、湿気がなく空が澄んでいるので、夕日や夜空がとてもきれいでした。天の川もよく見えました☆ミ

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近くに大きなラジオ天文台もありました。

またいつか、休暇を取って遊びに帰りたいなと思います。

キャニオンの休日

たまには、肩の凝らない記事をと思いまして、アメリカに住んでいた頃の話を書きます。

 

ある日曜日、同僚のおじいさんセラピスト、トムと一緒に、近くにあるキャニオンにハイキングに行きました。

その頃、私は、仕事のストレス解消に、時々休みの日に、同じ趣味を持つトムと落ち合って、自然の中に出かけてはハイキングをするのが、マイブームになっていました。

「この近くに、なんとかキャニオンていう(すみません、何キャニオンか忘れました)ところあって、わしも行ったことがないが、とてもきれいだと、知り合いのご婦人が、昔、教えてくれたんだ。だいたいの場所ならわかるよ。」

というので、行ってみることにしました。

「こっちかな。うん、この道であっているはずだ。いや、ここで曲がるのかな。」

と、なんだかおぼつかないので、

「そのご婦人にもう一度電話して聞いてみたら?」

と聞くと、

「いや、その人は10年前くらいに死んでしまったから、もう聞けないよ。」

という回答。

うん、そら、もう聞けないわ。(;一_一)

しかしながら、舗装されていない道をガタゴトしばらく行ったのちに、我々は無事に目的地に着いたのでした。

 

知る人ぞ知る(そして、日本人で知っている人は多分ほとんどいないであろう)なんとかキャニオン。

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崖の上にあさっての方を向いているラクダみたいな岩があります。

 

 

当たりには、切り立った崖がいっぱいあります。

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私たちは、崖の一つを選んで、ロッククライミングを試みることにしました。

若い頃、ボーイ・スカウトに入っていたというトムは、車に、ジャックナイフ、毛布を何枚か、帽子2つ、水のボトル何本か、その他いろいろ、万全の装備を車いっぱいに積んでいました。

が、家から車で15分くらいのところにあるこのキャニオンに行くのに、そんな装備がはたして必要だったのか、いまだにわかりません。しかも、いざ崖に上るときは、ペットボトルの水以外なにも持たず、私もトムも丸腰でした。

 

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崖は結構険しく、登りは両手を使ってよじ登らなければならない場面、そして下りはかなり高いところから飛び降りなければならない場面が多々あったので、ペットボトルの水がたいそうじゃまでした。私はスーパーのレジ袋にペットボトルの水を入れて持っていたので、まだ持ちやすかったのですが、崖のあちこちにぶつけて、レジ袋は最終的には穴だらけのボロボロになってしまいました。

っていうか、二人とも、せめてもっと、リュックサックを背負うとかせんかい、ロッククライミングするのに、スーパーの袋ってあんた(-“-)、と、今思えば、自分で自分を突っ込みたくなります。

 

でも、苦労して上った甲斐あって、崖の上からの景色は、絶景でした。

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はるか地平線の彼方の山々まで見渡せて、空気も澄んでいて、風の音以外とても静かで、気持ちがよかったです。

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これが、トム。

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以前、トムに「ブログとかに写真出してもいい?」と聞くと、「わしゃ、かまわん。この年になったら、もうどうでもいい。」という答えだったので、遠慮なく掲載させていただきます。

 

このキャニオンには、一度行ったきりでしたが、たまに地元の家族づれや友人同士がバイクや車で来るくらいで、訪れる人もほとんどなく、なかなかの秘境です。ぜひ、藤岡弘さんに行ってもらいたいくらいです。

 

私自身はもう二度といく機会はない気がしますが、今となっては、いい思い出になっています。