盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。多忙につき、お電話に出られないことが多くご迷惑をおかけします。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)☆営業時間:9時~18時(不定休)

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ5,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

ブログ

あやうさを生きよ

老子の言葉で、いいなと思うものを引用します。

 

生きるためには、

ものごとの根源に立ち返り、

自らを、そのあやうさにゆだねればよい。

確かなものにしがみつこうとするから、

確かなものに頼ろうとするから、

あなた不安になってしまう。

あなたには、そのあやうさを生きる力が、与えられるというのに。

「Tao 老子の教え」 安富歩  ディスカバートゥェンティワン社 より

 

 

不安症の人は、予測不可能のものを嫌い、確かなものを求め、必死になる傾向があります。

でも、すべてが変化して形を変えていくこの世界では、確かなもの、ずっと続くものなんて何もないわけです。

例外のないルールなんてない。

すべては固定ではなく、あいまいで、一時的なもの。

それなのに、確かなものにしがみついて、安心しようとすると、それが形を変えたり、それを失ったりしたとき、よりどころがなくなって、心のバランスを欠くわけです。

あいまいなもの、今すぐははっきりしないこと、予期したのと違うものに、私たちは耐えうるし、それを受け入れたほうがが、ストレスなく生きられる。

水のように柔軟であれば強いという、老子の教えは、とても的を得ていると思います。

心の安定を保つコツ

心が容易に動揺しやすく、自己コントロールが難しい人は、朝、1日を始める前と、夜、1日を終える前に、数分間でよいので、心の静かさを感じる時を持つとよいでしょう。

そうすることで、日中、より、心の安定を保つのが容易になってくるはずです。

その場合、頭であれこれ考えるのをやめ、何かするのもやめて、ただ、静かに在ることが大切で、それができるなら、座っていても、あおむけに寝ていてもかまいません。

座るなら、背筋をまっすぐにし、肩の力を抜いてください。そうすることで、背骨を通っているエネルギーの流れが良くなります。寝るなら、あおむけで、両足、両手を少開く、ヨガでいうところの死体のポーズがよいと思います。

心を落ち着かせる簡単な方法の1つとして、キャンドルに火をつけ、ゆらぐ炎を、ただじっと眺めるのもいいと思います。部屋を暗くすると、炎が際立って、集中しやすいでしょう。

火には、余分なものを焼いて消滅させる力があります。雑多な思考が多すぎて混乱しているようなときは、すっきりするかもしれません。しばらく炎を眺めているうちに、気持ちが静かに落ち着いてくるのを感じるでしょう。

よかったらやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臨時休業のお知らせ

勝手ながら、明日3月20日(火)より24日(土)まで、お休みさせていただきます。

その間いただいたお電話やお問い合わせメールのお返事は、25日(日)以降にさせていただきますので、ご了承くださいませ。

ご不便をおかけして申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。<(_ _)>

人とよい関りを持つ秘訣(2)

前回、自分自身との関係が、周囲と自分との関係にリンクするという話を書きましたが、その補足です。

自分を嫌って辛く当たっていると、虐待的な関係を招きやすくなります。

例えば、アメリカで会った、ある若い女性のクライアントさんの話ですが、彼女は、幼少期にお兄さんから、「お前はブスだ。醜い」とからかわれ続けて育ちました。それがとても心の傷になっていて、大きくなっても自分のことを醜いと固く信じていました。実際その人は、顔だちも美しく気品もあって、ブスどころか正反対だったのですが、醜形恐怖症になってしまっていて、人に見られたくないあまし外出もあまりできないくらい、自分に自信を失っていました。

この人は、以前つきあっていた彼がとても虐待的な人で、過激な暴力や破壊行為があり、カウンセリングをしていた当時は刑務所に入っていたのですが、出たら彼女を殺すと脅しており、実際にやりかねなかったので、彼女はとてもおびえていました。

この例は極端かもしれませんが、自分のことを愛さず、辛辣に扱っていると、同じように扱われる人間関係を引き寄せてしまいがちにはなるでしょう。典型的な共依存タイブであれば、ひどい相手であっても見捨てられず、例え自分がズタズタに傷ついても、自分を愛せない代わりに相手を愛して癒そうとするので、不健全な関係から抜け出せなくなってしまうことも多々あります。「大事な私を粗末に扱うような人とはつきあわない」と宣言できるくらい、自分を愛せるようになると、共依存関係に陥ったり、攻撃的な相手と引き合ったりはしなくなります。

結果的に、この人は、出所した元彼となんとか完全に切れて、本当に自分を愛してくれる人と巡り会い、幸せになっていました。心の優しい人だったので、幸せになってくれてよかったなと思います。

 

 

 

 

人とよい関りをもつ秘訣(1)

人とよい関りを持つためには、自分自身との関りをよいものにすることが大切です。

自分の周りに形成される人間関係は自分自身のあり方を見せてくれる鏡なので、自分の心の深いところに葛藤が多いと、周りにも、葛藤の多いうまくいかない人間関係ができていくことになります。

例えば、自分自身に対して批判的で不寛容な人は、周りに、許せない、嫌だ、と思う人が多く現れることでしょう。自分の持っている想念が言動に現れることで、周囲の人のほうでもその人に対し、批判的で不寛容な態度を、反響として返してくることでしょう。そうなると、ピンポンのラリーのような悪循環が発生し、人を受け入れず、人にも受け入れられない、偏狭で不愉快な人間関係が続きます。これは、自分の意識状態と、それによって繰り返されるパターンに気づいて、自分のしていることを変えるまで続きます。

反対に、ありのままの自分を受け入れ、許し、優しく接することができる人は、周囲に、優しくて、寛大な人が多く集まってくるでしょう。

もし、しんどい人間関係がいつも周りにできてしまうなら、他人に不満を抱く前に、自分自身の心の中に不協和音がないかどうか、確かめてみるといいかもしれません。

 

 

 

 

 

自意識と偉業

カウンセリングをしていて、人にどう思われるかを気にする人がとても多いなあと思います。

古代から、日本の集合意識にある傾向なんでしょうね。

農耕民族は、互いに助け合って作業をしなければ生きていけなかったので、人とうまくやること、調和することがサバイバルスキルだったからでしょう。

自意識が過剰になり、人にどう思われるかを気にしすぎると、自分のやりたいことを思うようにできず、多くを成し遂げることができなくなる、というデメリットがあると思います。

行動、ひいては、創造性が制限されてしまう。

自意識がありすぎると、人や社会の役に立つことができなくなると思います。

そもそも、真に利他的な人は、自我が少なく、自意識が少ないものです。

マザーテレサとか、シュバイツァーとか、ナイチンゲールとか、宮澤賢治などは、自分が周りにどう思われるか、さして気にしなかったと思います。自分がしたいことを人目を気にせずにしていたから、真に人に貢献できたのだと思います。周囲の目を気にしないと、穏やかな気持ちを保つことがより容易になるというおまけもついてきますね。

究極、観音様とか菩薩とか、仏様の類は、自分がどう思われるか、まったく気にしない境地に達している存在でしょう。自我を超越しているでしょうから。

そのほうが、余計なエネルギーを消費せず、偉業を成し遂げられるのだろうと思います。

 

 

 

 

鬱の時は服薬と休息?

鬱になったときの対処法として、ちまたでよく耳にするのが、「服薬と休息」です。

数年前、日本に帰ってきて、精神医療や精神保健関係のパンフレットに、そう書いてあるのを見て驚き、「ひどいなあ、遅れているなあ。」と思ったものです。

アメリカでは、セラピーと、必要に応じて服薬というのが治療の基本です。

服薬だけでは鬱はよくなりにくい、一番回復が早いのが、セラピーと服薬を同時に与えた場合である、という統計もあります。

実際、アメリカでカウンセリングをしていた時の職場では、精神科医による薬物療法と私たちセラピストによる精神療法と、両方受けられるサービスシステムになっており、薬が欲しいクライアントさんは、必ずセラピーも受けなければならないことになっていました。ちなみに、セラピーのみで、薬はいらない場合は、それでもOKでした。中には、薬しか信じない、セラピーなんて受けたくないといって、形だけセラピストに会いにはくるけど、セラピーは拒否という方もごく少数いましたが、そういう方に共通しているのは、長年薬を飲んでいる割に、症状はそのまま現状維持ということでした。

つい先日も、精神的に参ってしまったので、仕事をやめ、心療内科に通院しながら家で数か月休んでいたけれど、よくなるどころか、だんだん人に会うのが怖くなり、今までになく鬱がひどくなってしまった、という方にお会いしました。よくあることです。

鬱や不安の症状がでたとき、薬を飲んで休んでいて、ひとりでによくなるのは、ごく限られたケースです。

鬱や不安の原因が、一時的な環境的要因によるもので、ご本人にもともと備わっている復元力が強い場合は、その環境から離れて休んでいたら自然に回復すると思います。ただ、臨床の現場では、そういうケースはどちらかというと例外です。たいていの場合、鬱や不安になりやすい原因がすでにご本人に存在していたり、例え環境に原因があったとしても、それが心の中に何らかのブロック(ひっかかり)をすでに作り出してしまっている。そういう場合は、阻害要因をちゃんと突き止めて、修正しない限り、ただ休んでいてもよくはならないです。それどころか、だんだん悪くなっていくということになります。

苦しみというのは、本来、人がある状態ではありません。なので、状態が悪くて苦しいというのは、「あなたの中に、本来の幸せを阻んでいるものがありますよ。」と教えてくれているサインに他ならないのです。それを正せば、より楽で、幸せになれますよという、大事なメッセージでもあるのです。それを薬でごまかしてしまうと、一時的に苦しい感覚が和らいだとしても、いつまでたっても、本当の幸せに近づくためのカギに気づけないままになります。それどころか、薬の副作用で、苦しみも感じない代わりに喜びも感じることができず、疲れやすく無気力な状態になっていってしまう可能性があります。

そもそも、人は、本来、身体的、精神的に活動したり、なんらかの役割に従事することで、生命エネルギーをまわしていく一面があります。活力というものは、全然使わないと、だんだん低下するので、人は無気力になって動けなくなっていくものです。例えば、車は毎日使っているとスムーズにエンジンがかかりますが、車庫にいれっぱなしにして何か月も放っておくと、エンジンがなかなかかからなくて、動きにくくなってしまいますよね。人間も同じです。毎日、何らかの変化を経験し、体や頭や心を使って動かすことで、人の心身は活性化するので、生きていく活力が維持できるのです。それを、鬱や不安になった原因をそのままにして、長い間何もしないでただ休んでいると、鬱や不安が悪化して、動けなくなるのも当然でしょう。

残念なのは、日本ではまだセラピーが一般的ではなく、質のいいセラピーを受けられる場所が少ないことです。精神医療専門のセラピストを育てる教育システム自体が、まだ整っていない印象があり、はがゆいところです。

ただ、必ずしもセラピーを受けなくてもよくなる場合もあり、また、セラピーを受けたところでよくならない場合もあるでしょう。セラピーではよくならないが、何か他のことでよくなる場合だってあると思います。例えば、禅寺で写経や座禅をすることで気分が落ち着いたとか、自然の中で陶芸をしたりしたら鬱がよくなったというのも聞いたことがありますし、ある人は、モンゴルに行って、おおらかな遊牧騎馬民族の人たちの間でホームステイをしたら鬱が治ったといっていました。

鬱は服薬と休息でよくなるか?という問われたら、私個人的には「ならない場合が多々ある」と答えたいでいです。ただ休んで、薬を飲みながら、家にこもっているよりは、建設的なやり方で自分を振り返って、今までの在り方を少し変えてみたり、何か心や体を活性化するようなことをしたほうが、早く元気を回復すると思います。

 

 

 

 

 

怒りについて

怒りは自然な感情なので、それを感じること自体は、悪いことではありません。

怒りのエネルギーは、自分や自分の大切な存在を守るために自らを奮い立たせたり、必要な変化を起こす力の源になったりします。

ただし、怒りが慢性化すると、心身に深刻なダメージが生じます。

継続する怒りは、高血圧、心臓病、消化器系疾患、免疫低下による感染しやすさ、頭痛等を引き起こし、肉体を損ないます。心理的には、怒りの抑制は鬱に転じる可能性があります。環境的には、怒りは人を遠ざけるので、親切な人、穏やかな人を遠ざけて孤立しやすくなり、似た波長の攻撃的な人をひきつけやすくなります。

慢性的な怒りが恨みつらみに転じて、ひどく自分の心身をむしばんでいる人は、しばしば、「相手が悪い」「相手はこうあるべきではない」「相手のせいで自分は被害を被った」という意識にとらわれてしまっています。フォーカスが相手にいってしまっているわけです。

確かに相手がよくない行為をしたのかもしれませんが、そこに執着していると、いわば、黒くて粘着質で重苦しい、怒りの地下牢の囚人のまま、そこから出られない状態に自分をしてしまいます。

「自分の不幸を人のせいにしない」

というのは、幸せであるために、非常に大切な真理です。

人が何をしようが、どんなことが起ころうが、怒りにとらわれるか、とらわれないでいるかは、自由なのですから。実際、同じことが起こっても、怒る人と怒らない人がいます。このことからも、出来事が怒りを必然的に誘発するのではなく、その人独自の感情的な反応として、怒りが生ずるということがわかります。

「相手が悪い」と、相手を正そうとしたり、罪を償おうとさせるのは、法律上は必要な場合もあるかもしれません。でも、心の健康のためには、それよりも、怒りの裏にある苦しみを見て「自分をこの苦しみからどうやって解放するか」「どうやってこの黒い気持ちをクリアにするか」という風に、自分にフォーカスしたほうが、自分の心身の健康のためには、より効果的だと思います。

 

 

 

 

ばらばらの石とぴかぴかの石

以前、愛読書だった本を、もう一度買って、読み直しています。

その中で、本当にそうだなと思う一文があったので、シェアします。

「人生に偶然というものはありません。いつ、どこで、どんなふうに生まれてくるかということすら、偶然ではありません。私たちが悲劇だと思っているものも、私たちがそれを悲劇にするから悲劇なのであって、私たちはそれをチャンスとか成長のための好機と見なすことだってできるのです。そうすると、悲劇だと思っていたものが、実は私たちに対する挑戦、つまり人生を変えるために必要なヒントであったことがわかってきます。」

(エリザベス・キューブラー・ロス著 鈴木 晶訳 「死ぬ瞬間」と死後の生 中公文庫)

カウンセリングで多くのクライアントさんにお会いして、大変な境遇とか出来事、心身の状態というのは、よりよい自分、よいよい人生へと変わるためのチャンスであると実感しています。

同じ本の中で、キューブラー・ロスは、「つらい経験をするというのは、ちょうど大きな石を洗濯機で洗うようなものだ。ばらばらに壊れて出てくるか、ぴかぴかになって出てくるか、そのどちらかだ」と述べています。

私は、非常に困難な人生を歩んできた人が、暗い長いトンネルを抜けた後に、生まれ変わったように強くて優しい人になり、輝くような魅力を放って、人生を謳歌されている姿を何度も見てきましたので、この比喩の意味がとてもよくわかる気がします。

「なんで自分の人生はこんなに不幸でみじめなんだ」と思ってしまうと、「犠牲者意識」に陥り、トンネルの暗闇の中にとらわれてしまって、先に進めなくなってしまうものです。「ばらばらの石」への道ですね。

出来事や状況は変えられなくとも、その出来事や状況をどう捉えるか、その出来事や状況に対してどういう態度で臨むかは変えられます。その点において、人は完全に自由ですから。それが理解できれば、受け身で無力な「犠牲者」ではなく、人生を積極的に変えていく力を持てるようになります。

どうせ辛いできごとなら、ぴかぴかの石になるために必要な試練、しんどいけれど、より幸せになるためのヒントが隠されているととらえて、それを自分の人生に生かす道を考えてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気にする」ということ

日本でカウンセリングをしてみて、人がどう思っているかを気にする人が非常に多いというのが特徴的だと感じています。

最近、改めて思うのですが、「気にする」って、文字通り、自分の「氣」の一部にしてしまうということなんですね。

つまり、自分のオーラの中に取り入れてしまうということ。

オーラというのは、その人が持つ、エネルギー領域のようなもので、その人の周りを覆っているものと考えていいと思います。オーラは、ごくおおざっぱに言えば、その人の意識状態、平たく言えば、常日頃からどういうことを思い、感じているか、その結果、どういう行為をしたかの積み重ねで作られていくものです。つまり、その人の意識状態の反映ですね。

人がどう思うかを、自分のエネルギー領域に取り入れてしまうと、それを自分の中に保持してしまう、ということになり、それに影響されてしまいます。言い換えれば、相手に、自分に対する影響力を与えてしまうという結果になります。

嫌いな人に恨みつらみを抱いて、そのことをいつも考えてしまう場合などは、その一例ですね。その嫌いな人を、自分のエネルギーの一部として、いつも自分と一緒に持ち歩いてしまうことになります。その結果、自分のオーラは赤黒く濁ってしまいます。

誰かを恐れる場合でも同じ。自分の持つエネルギーを暗い色に濁らせ、低下させてしまいます。

そして、長く恨みつらみや恐れを保持していると、無意識にその部分から普段の行動を選択しやすくなり、自分にとって最善ではない選択をしていきがちになります。

嫌なら関わりになりたくないでしょうに、かえって関わりを深め、その人に自分を左右させる力を与えるということになってしまう。そして、それは、相手ではなく、自分がやっているということです。

気にしないというのは、自分のエネルギーに取り入れない、ということで、その人がどんな嫌な人であれ、関わればマイナスになる人であれ、少なくとも、精神的には影響されないということにもなります。つまり、その人がどうあれ、自分は自由でいられるということです。

その辺を意識するだけで、単なる被害者ではなく、人生を自分の力でコントロールしていくことが容易になってくると思います。

 

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