盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。多忙につき、お電話に出られないことが多くご迷惑をおかけします。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)☆営業時間:9時~18時(不定休)

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サイコセラピスト(心理療法士)として、のべ5,000人以上のクライアントさんの心の治療に携わる過程で、私は、痛みのあまり見ないふりをしたり、抑圧し続けた心の傷が、長い間に重度の精神疾患や精神病を作り出し、最終的には、細胞レベルに蓄えられた感情的な痛みが、身体的な痛みや疾患となって表面化するケースを、数多く見てきました。

また、感情的な痛みが癒されないまま、意識に潜在しているがために、知らず知らずのうちに自らを傷つけるような行動パターンを形成して、自分にとって幸せではない環境や人間関係を引き寄せてしまう、といった状況も、カウンセリングの現場ではよく見かけます。このような幸せではない現実は、その源となっている心の傷に自ら気づき、その痛みを癒して解放するまで、続きます。

幸い、体と同様、心にも、自己治癒力、本来のバランスのとれた状態に戻す、自己回復機能があります。今、置かれている境遇がどんなに辛かったとしても、人は誰でも、それを乗り越えて、光の差す方へと伸びていく力を、必ず内に秘めています。どんな深い心の傷を負ったとしても、過去の痛みを癒して幸せになる力は、私たち一人一人の中に潜在的に備わっています。過去の傷が癒されれば、私たちは、現在において、よりよい選択をすることができ、結果として、幸せな未来を創造することができるのです。

セラピールーム・ハミングバードは、さまざまな精神療法を用いた心理カウンセリングを通して、クライアント様ご自身がもつ癒しの力にアクセスし、よりよい現実を築くためのためのサポートをいたします。



   
このようなお悩みで生きづらさを感じていませんか

うつ気味である、虐待やいじめによるトラウマを克服したい、自分はアダルトチルドレンだと思う(※「アダルトチルドレン」は、正式な精神医学用語ではありません)、不安感が強く、いろいろなことが気になって仕方がない、人前に出たり外出するのが怖い、いつも緊張気味でリラックスできない、自分が好きになれない、自分にもっと自信を持ちたい、パニック症状、強迫観念、虚無感や無意味感がある、喪失感や罪悪感に苦しんでいる、依存症を克服したい、解離性人格(多重人格)の傾向がある、対人関係がうまくいかない、子育ての悩み・子供の発達の問題

その他、様々な心に関するご相談を、プロの心理療法士が承ります。まずはお気軽にお問合せください。


  

          

  

ブログ

「どうしよう」をやめる

そういえば、近年、「どうしよう」と思い悩むことがなくなったなと思います。

クライアントさんにも必要に応じて伝えていることですが、問題は実際に起こって、目の前にあるときに対処する、まだ起きていない厄介ごとは、直前まで考えない、というのを、日ごろから自分でも実践しているからだろうと思います。

未来の厄介ごとで、まだなすすべのないことは、どうしようもないわけで、どうしようと思うだけ、無駄。もっと建設的なことに使えるはずのエネルギー消耗してしまい、役に立たないどころか、有害です。

実際に問題が目の前にあるとき、元気(自分の氣のエネルギー)が温存されていたほうが、消耗されて少なくなったエネルギーでことに当たるより、当然、よりよく対処できます。わかりやすいところでいうと、例えば、疲れて集中力や判断力が鈍っている状態で問題に対処するより、疲れていない頭で考えたほうがいいということ。

実際に問題が形をとって目の前に現れるまえに、つまり、実態がない状態で、頭を働かせてあれこれ考えても、その解決策は、問題にフィットしないことが多いものです。それが実際に目の前に具現化したとき、その場で感覚的、直観的に思いつく解決策のほうがずっとフィットするもので、それはその時にならないと湧いてこないものです。

その時になったら自分がうまく問題を対処できる力を持っているという自己信頼は、とても大切です。

こうなったらどうしよう、を手放すと、氣の無駄な流出を防ぐことができるので、元気を保ちやすくなり、何よりもとても楽になりますよ。

 

お客様へのご連絡

先日、留守電にメッセージをいただき、昨日、お問い合わせフォームよりメールをいただいたM様。

メールでauの携帯にご返信しようと試みましたが、エラーで返ってきてしまいました。

お手数で申し訳ありませんが、ご予約の際は、お電話でいただけますよう、お願いいたします<(_ _)>。

 

「自分」を基準にする

日本人は、アメリカなどの個人主義と違い、集団主義の文化を持つ国民性があります。これは、周囲との調和を重んじ、自己主張せず、他者を慮るといういい面がある一方で、他者の目を非常に気にして自分の気持ちや考えを抑制するという傾向にもつながります。

アメリカから帰ってきて、日本でカウンセリングするようになって思うのが、非常に多くの人が、人目を気にし、自分を持たないで生きているがゆえに、色々な心の問題を作り出してしまっているということです。

そのことに関して、とても明快で深遠な説明がなされている本があるので、一部、ご紹介したいと思います。

ディーパック・チョプラ著、渡邊愛子訳の「富と成功をもたらす7つの法則」(大和出版)という本ですが、インドの古典であるウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの奥義を説いた哲学書が元になっているようです。

チョプラ氏によると、自己志向と対象志向があって、自己志向は純粋な自己を経験している状態、つまり、自分が指針になっている状態、対象志向は、意識のフォーカスが自分の中のエゴであり、自分の外側にある状況や環境に大きく影響される状態になります。チョプラ氏いわく、「エゴは本当の自分ではなく、社会的仮面であり、あなたが演じている役割、あなたのセルフイメージ」です。

対象志向であると、自分の姿が周囲の目にどう映るかを非常に気にし、常に人の承認を求めたり、人を自分の思い通りにコントロールする欲求を持つことになります。不安がとても強い状態です。この状態では、深いところにある行動のモチベーションが恐れなので、安心を得るために外部のパワーを強く欲することになります。人に認められたり、いい成績や業績をあげたり、地位や名声、お金や物がたくさんあったりすると、一時的に安心する。けれども、これらはすべて自分の外にあるパワーの元なので、変わりうるものであり、いつか消えてしまうもの。それらがあるときはいいけど、なくなるととても不安定になる。だからいくらあっても不安で満たされず、強迫観念的にもっと欲しくなる。自分を保つために、物や人に依存しなければなくなるわけです。

これに反して、自己志向であると、人に認めてもらったり、人を支配してパワーを得たりする必要性を感じなくなります。外部のものと比較して自分を計ることをしなくなるので、自分が人より劣っていると感じず、勝っているとも感じない。謙虚で相手を敬うが、人の批判を恐れず、何を言われても動じない。恐れから解放されているので、自分が思う通りに動き、自分自身の魂が喜ぶことをする。自分で自分を満たすことができて、とても楽だし、幸せなんですよね。この状態でいると、人の承認とかお金など、色々な豊かさは勝手にやってきます。必死に求めているわけではないのに、向こうからやってきます。

チョプラ氏の言葉で、なるほど、その通りだな~と思ったのは、「エゴは疲れる」ということです。エゴに焦点が当たっていると、非常に疲れるんですよね。常に人にどう思わるか、自分が嫌われていないか、認めもらえるかどうかを強烈に意識するので、精神エネルギーの消耗がハンパないわけです。例えば、学校とか職場に行って、1日過ごすにしても、エゴに焦点が当たっている意識状態の人と、自分自身の本質から動いている人だと、同じ量の勉強や仕事をこなして帰ってきても、疲れが全然違うということになります。

時々勘違いされている方がいるのですが、「自分が喜ぶことをする=自己中心的」ではないんですよね。もし、自分の時間や労力をさいて人を助けることが、自分の喜びになるのであれば、それをすればいいわけです。でも、「やらないとほかの人になんて思われるか。自分勝手だと思われるんじゃないか。だから嫌だけどしなきゃ。」というのは、自分の外にあるもの、周囲の目が基準になっており、深いところではエゴに基づいた行動選択だと思います。なので、その行為が終わった後、人助けをしたはずなのに、虚しかったり、いら立ったり、悲しくなったりして、否定的な気持ちになるわけです。もし、疲れることや煩わしいことであっても、それが本質的に自分の喜びになる行為であれば、その行為が終わった後、疲労とともに心地よい満足感や純粋な喜びを感じられるはずです。

今の日本では、多くの人が、対象志向になっているために、幸せになれないでいると感じます。自己志向の行動選択をしていくと、流れに乗って、いろいろなことがうまく行き、自分のみならず、周囲の人も幸せにすることができるようになります。

では、どうやって自己志向になったらいいかというと、やはり、心を静かにして、周囲に向いていた意識を自分に向けなおし、自分を感じることは必須だと思います。チョプラ氏は、朝晩最低30分の瞑想を勧めています。もしそれができれば、多くの心の問題は改善していくと思いますが、したことがない人にいきなり30分の瞑想は難しいかもしれません。そういう場合は、今、やっていることをやめ、ただ座って、自分の中を静寂に保つ時間を数分でもいいので持つこと、「何かをする」のではなく、何もせず、ただ「ある」「存在する」、静かな時間を持つことから初めてみたらいいと思います。

 

 

 

新年のごあいさつ

2019年、あけましておめでとうございます。

自分のライフワークであるカウンセリングを行うにあたり、大事なことは、目の前にいらっしゃるクライアントさんの幸せを祈る気持ち、それから、自分自身の心を普段からできるだけ透明で良い状態に保つこと。この2つだと思います。

これからも自分なりに精進していきたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

松島で撮った、今年元旦の初日の出です。

 

年末年始のご案内

今年ももうすぐ終わりですね。

おかげさまで、忙しくも充実した一年でした。ありがとうございます。

12月30日から1月3日まで、お休みをいただきます。

カウンセリングのご予約やお問い合わせは、4日以降にお返事させていただきますので、よろしくお願いたします。

それでは、みなさん、よいお年をお過ごしください。

 

 

 

思考や感情にとらわれない方法

どんな思考や感情も、一時的に訪れているものにすぎません。

自分の考えや感情にとらわれているときは、それにどっぷりとつかっているので、自分がその考えや気持ちと一体化しているような感覚を覚えるでしょう。

でも、あなたという存在は、あなたが持っている思いや気持ちよりも、もっとずっと大きな、ゆるぎない存在です。思いや気持ちには実態がなく、現れては消えていくものです。自分に一時的に訪れて、体験されるものにすぎない。それを忘れないようにしましょう。

その為に役に立つこととして、自分が今持っている思いや気持ちを、一歩引いて眺めるという方法があります。

「今、自分は、あの人の悪口を延々頭の中で繰り返しているな。」

「さっきから、なんとかあれを避けようとして、頭の中で言い訳を考えているな。」

「今、自分は怒っているんだな。」

「すごく恥ずかしくて、プライドが傷ついたから、重苦しい気持ちでいるんだな。」

など、自分の考えていることや、抱いている気持ちを、一歩引いて眺めると、その時点ですでに、思考や感情に取り込まれて一体化している状態から抜け出すことができます。

客観的に距離をもって、対象として眺めてると、思考や感情と、自分が分離します。取り込まれている状態だと、思考や感情に支配(コントロール)されて身動きができないのですが、分離していると、自分がそれをコントロールする余地ができるわけです。

そういう難しことを考えなくても、自分の思いや気持ちをありのまま眺めると、思いや気持ちの自分に対する効力が、例え少しであっても確実に弱まるので、ちょっと楽になるはずです。

感情コントロールのコツのひとつなので、感情に翻弄されやすいと感じる人は、やってみてはいかがでしょうか。

 

悲嘆のセミナーに参加して

9月の後半、アメリカのオレゴン州ポートランドで行われたセミナーに参加してきました。

2日連続のトラウマ解消のセミナーと、1日だけの悲嘆のセミナー、計2つ受講しました。

トラウマ解消のほうは、主にニューロフィードバックというコンピューター機器を使って脳の状態を変えるという手法についてで、いかにニューロフィードバックが素晴らしいかという話はたくさんあったのですが、肝心の、どうやってニューロフィードバックを使うかというのはなかったし(それについてはまた別にセミナーを受講しなければならないらしい)、ソフトを購入して機器を用意するだけでかなり莫大な費用がかかるようで、実際的ではないなと思いました。でも、経験豊富な心理療法セラピストがプレゼンターだったので、内容はそれなりに興味深かったです。このプレゼンターは、DBT(弁証法的行動療法)を編み出したマーシャ・リナハンと古くからの友人で、「昨夜もマーシャと電話して話したんだけど」などと言っていたのが、個人的には面白かったです。DBTは、境界線パーソナリティ障害の画期的な治療法として今でも盛んに使われており、私のセラピーにも取り入れて、とても役に立っていたので、マーシャの個人的な話が聞けたことはよかったです。

一方、悲嘆のセミナーのほうは、文句なしに興味深く、一流のセミナーで、とても感銘を受けました。プレゼンターは悲嘆の第一人者であるデビッド・カッセラー(David Kesseler)という人で、アメリカでは悲嘆の専門家としてテレビにもよく出演している人のようです。悲嘆の5段階のプロセスを提唱した、故エリザベス・キューブラー・ロスとも友達で、キューブラー・ロスが亡くなるのを看取ったそうです。

この人の何に感銘したかというと、まず、初めの印象から、とてもいい人だという感じを受けました。明るくて穏やかで優しく、ユーモアのセンスもあって話も面白い人というのが、最初の10分くらいでもう伝わってきました。最初、私を含め50人前後の受講者一人一人にマイクをまわして、自己紹介や、このセミナーを受講する理由を話させたのですが、その中で、自分自身が誰か大切な存在を亡くして、喪失を経験しているので、という人が何人かいました。それを聞くと、デビッドは必ず、「その人の名前は?」と聞きます。中には、犬やネコなどペットを亡くしたという人もあったのですが、そういう場合でも、「その子はなんていう名前ですか?」と聞きました。そして、皆の自己紹介が終わると、デビッドは言いました。「亡くなった人やペットの名前を言葉にしただけで、部屋の雰囲気が変わったのに気づきましたか?」亡くなった人を、ただ、名無しの状態で話すよりも、固有名詞を言葉にしたほうが、ずっと故人のイメージが形をとって具体的なものになり、その人に尊厳を与え、大切なものとして敬う雰囲気になる。だから自分は必ず亡くなった人の名前を聞くのだと言うのです。なるほど、素晴らしいなと思いました。

デビッド・カッセラーは、自分自身、強烈な喪失を体験した人です。彼は13歳の時、腎臓系の重病で緊急病棟に入れられた母親を見舞うために、父親と一緒に病院を訪ねた経験があります。その時、緊急病棟に入れるのは14歳以上と決められており、会えたとしても2時間に一度、一回5分という時間制限が設けられていました。看護師によっては子供のデビッドの心情を考えて面会を許可してくれる人もいたそうですが、中には規則は規則だといって、今日明日の命かもしれない母親に一目会うことも許さない看護師もいたそうです。父親は病院の前のホテルに宿泊するお金を持っておらず、デビッドと父親は、何日も病院のロビー寝泊りしていました。そんなある晩、その病院で火事が起こりました。その火事は普通の火事ではなく、銃を持った犯人の無差別大量殺人による火事だったそうで、結果として母親は亡くなり、デビッドは、専門用語でいうところの複雑性悲嘆に苦しむことになりました。自分の体験を意味のあるものにしようと、悲しみや苦しみを乗り越えて、デビッドは喪失や悲嘆の専門家になり、たくさんの本を書き、多くの人を救うに至ったのでした。

デビッドの講義でポイントなることの1つは、「喪失による痛みは避けられるものではなく、取り除くべきものでもない。しかし、喪失による苦しみは避けられる」というのものです。大切な人に先立たれて悲しむというのは、古今東西、あらゆるところで起こってきたこと。私たちの祖先から脈々と受け継がれてきた力が私たちには内在しており、私たちの心や体はそれに耐えられるように作られている。でも、喪失による苦しみは、私たちが頭(マインド)の中で作り出すものである。その喪失に関してマインドが何を話すかによる。「死んだのは自分のせいだ」「こんな死に方をさせるべきじゃなかった」などとマインドが私たちに話しかけると、苦しみが生じる。そのマインドのおしゃべりは変えることができるというのが、デビッドの主張です。

デビッド自身、悲嘆の苦しみに役に立ったのが、手紙を書くことだったそうです。亡くなったお母さんに対してのみならず、母親自身の立場から、また、父親、瀕死の母親に会わせてくれなかった看護師など、関りになる人たちの一人一人の心情になって手紙を書くことで、その人たちの立場を理解することができ、デビッドの苦しみはだいぶ救われたと話していました。おそらく、デビッドは、かつて看護師に対する恨みや怒りに長く苛まれ、苦しみを強めたのだと思いますが、「許し」に対する重要性も抗議のなかで説いていました。許すことは、過去の呪縛から解放され、嫌な人とのつながりを断ち切り、苦しみから逃れることであり、自分の中に平和を取り戻すこと。相手を罰するために自分の心の平和を犠牲にするのは、割に合わないことだと話していました。

デビッドは、マザーテレサが亡くなる1年前、会って話をしたそうです。その時、デビッドは、インドで多くの死に瀕した人を看取ってきたマザーテレサに、こんな質問をしたそうです。「悲嘆している人を助けるために、一番大事なことはなんですか。」マザーテレサは、(デビッド曰く)この人バカじゃないの、というような目つきをして、「その人に対する心からの愛をもってそばにいること。それだけです。」と答えたそうです。

デビッド自身、思いやりが深く、そばにいると慰められるタイプの人だと思いますが、彼のその存在から放つ癒しは、他者の苦しみに対する理解からくるものであり、それは、彼自身の苦しみによって心の深いところに培われたものだと感じました。

アメリカ旅行はハードスケジュールで肉体的には大変でしたが、素晴らしいセミナーに参加できて、オレゴンに住んでいる大学院時代の親友とも旧交を温められ、とても有意義なものになりました。行ってよかったなと思います。

 

オレゴンの森。

 

 

9月の休業および9月中のご予約について

9月15日から23日まで、アメリカでの研修参加のため、お休みをさせていただきます。

また、9月中のご予約は現時点でいっぱいで、新規のカウンセリングのご予約は10月以降になりますので、ご了承ください。

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。

 

嘘をつかないこと

人にも自分にも嘘はつかないほうがいいです。

自分の内面にあるものを外に向かって表現するとき、そこに矛盾があると、自分の中に曇りが生じます。

例えば、本当は怒っているときに、怒っていないという。そうすると、微妙に胸がつかえるような、モヤモヤするような感じがするはずです。本当はうれしいときにうれしくないふりをするのも、心に微妙なストレスを与えます。一回一回は小さなストレスかもしれませんが、これが蓄積されると、自分の内面に停滞が生じます。つらい時にはつらいといったほうがよく、辛くないふりをして笑うと、心の痛みが逃げ場を失ってふさがれたような重苦しさを感じるはずです。

自分の中に生まれた思いや感情は、ありのまま、外に向かって表現すると、矛盾がなく、自分のエネルギーがスムーズに流れます。ところが、それを抑えたり、あるのに認めなかったり、無理に別のものに変えたりすると、自分のエネルギーに滞りが生じるんですね。

エネルギーの滞りというと、抽象的でわかりにくいかもしれませんが、気持ちの上では、つまったような、スッキリしない感じがしますし、気の流れが悪くなり、身体的にも血流が悪くなって、肩が凝ったり頭や腰が痛くなったりして、体の不調にも現れやすくなるでしょう。

自分の思いや感情をありのまま認めて、素直に表現してあげないということは、結局のところ、自分自身を尊重しないということになります。そうすると、知らず知らずのうちに自尊心が損なわれていくんですよね。自尊心が損なわれると、人間関係を含め、色々なことがうまくいかなくなっていくものです。

そういうわけで、思ったこと、感じたことは、そのまま外に向かって表現する=嘘をつかず、自分の中の真実をコミュニケートするということは大切です。それをしていれば、曇りがなく、自分の中がすっきりしてクリアになっていきます。そうなると、晴れの日の空のように、気分がよくいられることが多くなり、例え嫌なことがあっても、引きずらないで、比較的すぐに手放すこともしやすくなります。

とはいえ、人に対しては嘘をつかなければならないことが、生きているとままありますね。本当のことを言ったら相手やほかの人が傷つくとき、自分やほかの人がとても困った羽目に陥るとき。嘘も方便という言葉があるから、そういう時は嘘をいうのも仕方がないこともあるでしょう。そんな時大事なのは、少なくとも、自分が嘘をついているということを認識すること。嘘をついていることを知りながら、嘘をつくこと。無意識には嘘をつかないことです。自分が何をしているか知って行うということは、少なくとも、自分には嘘をつかないことになるからです。

誰に嘘をついても、自分にだけは嘘をつかず、正直でいることは、非常に大切です。これは、自分を尊ぶことを意味し、自分自身とよい関係でいるということにつながります。自分を欺いてばかりいると、自分というアイデンティティが混乱して、自分が一体どうしたいのかわからなくなり、そうなると、混乱した、うまくいかない、不幸せな人生になってしまうでしょう。

可能な限り、真実を語ることを選択していくと、人生は好転していきます。試してみてください。

 

 

 

 

生命エネルギーを取り入れる

近年の社会では、生命エネルギーを取り入れる機会が少なくなっています。寿命が延びても心身を病む人が多く、本当の意味で元気な人が少ないのは、おそらく昔と比べて、生命エネルギーに乏しいのも一因ではないかと思います。

例えば、ビルの建物の部屋に入ると、窓がほとんど開けられないようになっており、年中閉め切られていることがあります。空調だけでは、外の自然な空気に含まれる、プラーナという生命エネルギーを多く取り入れることはできないので、そういう部屋では、息苦しく感じます。

近年の文明社会では、冷暖房設備が整っている分、概して、室内に生命エネルギーが不足しています。少しくらい暑くても、窓を開けていたほうが、新鮮な空気が入ってきて、気のよどみはなくなります。なので、可能ならば、寒くても暑くても、時々窓を開けて、空気を入れ替えたほうが、心身は活性化されるでしょう。

空気中にあるプラーナというのは、肉眼でも見える人は見えると思いますが、私には、自然が豊かだったり、空気が澄んでいるような場所では、半透明の小さな粒子が、オタマジャクシのように活発に動き回っているように見えます。都会の汚れた空気では、あまり見えないようです。私たちは、このプラーナを、呼吸を通じて、体内に取り入れています。プラーナが少ないと、肉体も精神も不活性になり、元気がなくなります。

感情的に傷ついた体験が多い人、恐れや不安が多い人は、深呼吸ができないことが多いです。そういう人は、ふだんから呼吸が浅く、胸式呼吸しかできないために、丹田(おへその下あたりにある、エネルギーの貯蔵庫)のほうまでプラーナを取り入れることができません。そうなると、慢性的にエネルギー不足になり、生命エネルギーの低い状態になってしまいます。具体的にいうと、疲れやすく、生き生きと物事をとらえることができず、困難な状況に立ち向かう気概や体力も乏しい状態です。

感情な傷つきが大きいと、人は、体験することを避けようとします。生命エネルギーをたくさん取り入れるということは、フルに生きるということでもあり、たくさんの感覚を鮮明に感じるということにもなります。そうすると、楽しい、うれしい、感動するといった肯定的な体験もビビッドに感じますが、悲しみや恥などの否定的な感情も生々しく感じることになります。恐れの強い人は、無意識にそれを避けようとするために、呼吸が浅くなります。感覚や感情といったシグナルにあまりアクセスしないように自己防衛してしまうのです。

ここで問題になるのが、傷ついた体験というのは、フルに感じることによってのみ、そこから学び、そこで生まれた感情を開放して、前に進むことができるということです。なので、呼吸を控えて、中途半端にしか生きないでいると、いつまでたっても、肉体や心に刻まれたマイナス体験を消化することができません。古い空気がおなかの底にとどまったまま、出ていけない図を想像すれば、わかりやすいと思います。おなかから深く呼吸をして、古い空気を体の外に吐き出し、新しい空気を取り入れるという作業を、常日頃からやっていると、古い感情を心の奥底に沈めたまま、手放さず、しがみつくといったことも少なくなります。エネルギーが循環しやすいので、嫌なことがあっても早く切り替えができるようになっていくはずです。

近年の生命エネルギー不足は、空気のみならず、水や食べ物によるところも大きいと思います。

自然のままの汚れていない水には、ミネラルなどの身体や心を元気にしてくれる物質がたくさん含まれています。けれども、最近では、ほとんどの場所で水は汚染されていて、それを人工的に殺菌洗浄しているために、かえって体によくないものになっています。

農薬を使わず、自然の微生物やミミズやモグラたちが肥やしてくれた土地で育った、収穫したばかりの農作物には、たくさんの生命エネルギーが含まれていますが、最近はそういう食べ物を手に入れるのは困難です。冷凍食品や缶詰などの加工食品は生命エネルギーがほとんど失われています。添加物を多量に含むコンビニのお弁当は、ほとんど生命エネルギーが死んでいているばかりか、化学的は人工物のために、かえって体によくない食物になってしまっています。

気を付けてよく見れば、見ただけで、それが生命力を放っているかどうか、体にいいものか悪いものか、わかってくると思います。生き生きと自然な色を放っているかどうか、食べ物が元気そうかどうかで見分けがつきます。普段から汚染されたものを食べず、清浄なエネルギーを含む食物を多く食べていると、食べただけで、体が欲しているものか、それとも毒素を処理しなければならないゆえに体に負担をかけるものか、体が教えてくれるようになります。

生命力を高めて、心と体を元気に保つために、新鮮な空気を体に多く取り入れること、新鮮な水や食べ物を摂取することは、大切だと思います。今まで、心身をけがしてしまう生活パターンを築いてしまっていたなら、ちょっと見直してみて、できることから変えてみてはいかがでしょうか。

 

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