日常の苦痛を減らす方法

今日は、日常生活のちょっとした苦痛を減らし、より快適に生きるためのコツについて、書いてみたいと思います。

それは、「何かをするとき、イヤイヤしない。」ということ。

どっちにしてもやらなければならないことだったら、抵抗して「嫌だなあ」と思ったりせず、ただ、淡々とやる、ということ。

そのためには、「思い切って受け入れる」というちょっとした覚悟が必要になります。これは、マインドフルネスという、もともとは仏教の禅の思想から来ており、今ではアメリカで鬱や不安障害、境界性人格障害等の治療に、心理療法として幅広く用いられているスキルの1つです。

例えば、私はネコを飼っていて、キャットフードの缶とか、それを入れたお皿を、毎日洗わなければならないのですが、魚の生臭いにおいがするから、その仕事は正直好きではありません。でも、それはやる必要のある仕事です。

どっちにしてもネコ缶やお皿を洗うのなら、私には2つの選択肢があります。

1.「嫌だなあ。生臭いなあ。」と思いながら、イヤイヤ、洗う。
2. 四の五のいわずに、ただ、洗う。

嫌だと思いながらなにかをやるというのは、実は本人の選択なんですよね。選択肢があるということは、コントロール権が自分にあるということ。自分で、苦しみを増やす状況を作るか、そうでないかを、選ぶことができるということ。

「ネコ缶とお皿を洗う」という作業に、「嫌だなあと思う」を付け加えると

「嫌だと思う」+「ネコ缶とお皿を洗う」=「嫌な仕事をする」となり、付加価値がついて、苦痛が増すんです。

ここで、嫌だと思わずに、この仕事を潔く受け入れよう、と思うと、ただ、「ネコ缶をお皿を洗う」という労力だけですみ、精神的苦痛は前者よりもずっと減るわけです。

この裏には、実は、「抵抗すれば苦痛が増す」という真理が隠されています。

なにかに抵抗して暴れると、その分、身も心も疲れますよね。それで嫌なことが起こらなくて済むなら、抵抗して暴れる価値もあります。でも、どのみち防ぎようがないこと、やらなくてはならないことであれば、無駄な抵抗をやめ、すすんで行ったほうが、いらない苦痛を感じなくてすむのです。

イヤイヤ物事を行うと苦痛が増す。そしてそれは自分次第でやめられる。避けられないことは、思い切って受け入れて、嫌がらずにすすんでする。このへんを認識して実行すると、日常の苦痛がかなり減って、楽になると思うので、よかったら試してみてください。

                                           Chika

 

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ポジティブとネガティブ

人間は、生来、誰でもポジティブな存在だと思います。

赤ちゃんは、自動的に親を信頼し、愛するようにできています。幼い子供は疑うことを知らないし、羞恥心もありません。

子供は、今に生きているので、あまり先のことを心配したり、過去のことを思い煩ったりしません。

小さい子供の鬱とか不安障害というのは、ないとはいわないけれど(特に不安障害)、大人に比べるとずっと少ないです。

人を信じられなくなったり、羞恥心を抱いたり、鬱や不安症になるのは、その後の経験によるものが大きく、後天的に学習されたものです。いわば、もともと肯定的な性質をもつ心の外側を、タマネギの皮のように、否定的な見方や感じ方が覆ってしまっている状態です。

それゆえ、ネガティブな精神状態になっている大人が、ポジティブに転じて、自由で幸せな心を取り戻すためには、身についてしまったネガティブなものを認識し、それを手放す必要があるのだと思います。

そのプロセスを踏まないで、自分の心の闇から目をそむけたまま、無理やり気持ちを切り替えたり、盛り上げたりして、ポジティブ思考に転ずると、心はやがて悲鳴をあげます。そういう人は、明るく強く見えても、無理をしているのが伝わってくるので、見ていてどこか痛々しいものです。

心というものは、無視されるのを、とても嫌がりますから、認めてもらえないと、ますます大声をあげて訴えかけてきます。

心にあるものは、すべて理由があって必然的にあるのだから、まず、ちゃんとその存在を認めてあげる必要があるのです。その上で、自分を益していないもの、役に立たないものは、選び取って捨ててもいいのです。そして、この「選んで捨てる」という作業は、ちゃんと見て認識して、つながりを持つことにより、初めて可能になります。

だから、ネガティブな感情にも、ちゃんとつながって感じてあげる必要があるということです。

便宜上、ポジティブとかネガティブという言葉を使いましたが、本当は、心にあるものに、いいも悪いもありません。だから、「ポジティブ」な感情、「ネガティブ」な感情というのも、本来、ありません。すべての感情は、必要があってそこにある、ただそれだけです。だから、こういう感情を持ってしまった、と自分を責める必要も、一切ありません。

ただし、自分の本当の幸せを実現するにあたり、役立つものか、そうでないか、というのはあります。例えば、怒りを持ち続けたり、人を恨んだり、嫉妬したりすると、それがいい悪いというのではなく、その感情にとらわれている間は、幸せを感じにくくなりますよね。 

でも、怒りを感じたり、恨みを抱いたり、嫉妬心を感じるということは、そう感じる理由があるはず。それが自分にとって幸福な状況ではない、とうメッセージを送っている感情たちは、裏をかえせば、何が自分にとって幸せか、何がそれを阻害しているのか、というメッセージもはらんでいるはずです。

それにちゃんと気づいてあげることは、大切だと思います。

光を感じるためには、闇も必要。結局、闇から目をそらさず、ちゃんと見てあげることによって、はじめて、本来もつ光が輝き出る、ということです。

 

 

                                             (Chika)

 

 

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思考と直感

私の高校時代、古典の先生が、

「テストで、最初に書いた答えと、書きなおした答えと、どっちが合っているか迷ったら、たいてい、最初の答えが合っているもんや。」

と言ったことがありました。

そのときは、

「そういうものかな。でも、どうしてだろう。」

と、不思議に思ったものでしたが、今なら、それがどうしてか、わかる気がします。

その先生は、お寺のお坊さんと高校教師の仕事を兼任していて、お経を読みなれているせいか、一本調子の声で、眠くなるような、恐ろしく退屈な授業をする人でしたが、なかなか鋭いことをいう人だったなあと、今は思います。

どうしてか。

なぜなら、最初に書いた答えは、直感によるもので、書きなおした答えは、思考によるものだから。

そして、いつでも、思考より、直感に従うほうが、誤りのないものだから。

正しい答えを知っているのは、頭ではなく、感覚なのです。

英語で直感のことをgut feelingというのですが、gutというのは内臓とか、はらわたという意味があります。肚の位置には太陽神経叢という神経のかたまりがあり、ここは、ヨガでいうところの、第三チャクラ(ソーラープレクサス)というエネルギーセンターに当たります。

自分を益するものか否かのYes、 Noを、私たちの直感は、このエネルギーセンターを通じて教えてくれることが多いんですね。

直感というのは、潜在意識につながっており、潜在意識というのは、顕在するものしかとらえられない私たちの思考よりも、もっとずっと包括的な視野を持ち、比較にならないくらい賢明なものなのです。

なので、頭でせっせと分析して考えるよりも、直感に従ったほうが、正しい方角に導かれるわけです。

ただし、現代人は、たいてい思考過多で、頭を使いすぎる傾向にあり、感じるということをあまりしていないので、感覚が鈍っている場合が多い。なので、直感の声を聞き分けることが、なかなかできない人が多いのだと思います。

直感の声というのは、ある程度リラックスしているとき、頭のおしゃべりが静まっているときに、聞こえてきやすいものです。あわただしく時間に追われ、緊張したり不安に駆られたりすることの多い生活を送り、いつもあれこれ考えて頭を働かせて、外からの情報で頭をいっぱいにしていると、自分を導いてくれるgut feeling、肚のあたりの感覚に気づくことができなくなってしまいます。

直感のサインを無視していると、結果、流れに乗ることができず、自分の人生を複雑で面倒なものにしてしまいます。ちゃんと道しるべを見て、正しい道を行っておけば、もっと楽にスムーズに行けたのに、違う道を行ってしまったがために。行き止まりや工事中がたくさんある面倒な道を迷いながら行き、さんざん遠回りして消耗してしまう、という感じでしょうか。

そうならないためにも、1日1回、わずかな時間でもいいので、思考を鎮めて頭を空っぽにし、心を落ち着かせる時間を持つようにすること、普段から、自分の体の感覚や、周りの景色や音などに意識を向け、「感じる」訓練をしておくことは、有益で大切なことなんじゃないかと思います。                                                                                                                                                (Chika)

 

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後悔や自責の念の処理法

みなさんは、自分が過去に犯した失敗や間違いを、自分にとって権威のある誰かに、延々と責められたらどんな気持ちになりますか。

もし、ことあるごとにそのことを掘り起こされて、くどくどと何年も責められたら、自分の精神状態は、どうなってしまうと思いますか。

恐らく、抑うつ状態になり、精神エネルギーは低下して、新しい行動を起こす気力もなくなってしまうのではないでしょうか。

後悔や自責の念にさいなまれるというのは、これを、自分で自分にしてしまっている状態です。自分自身に対して発する言葉というのは、場合によっては、ほかの誰の言葉よりも権威を持っていますから。

過去に犯した過ちについて、いつまでも自分を責め続けると、心を落ち込ませてエネルギーを奪い、自分を害してしまいます。

それならば、どうしたらいいのでしょう。

もう終わったことを延々と思い煩うかわりに、数分間だけ、思い切って自分のしたこととじっくり向き合う濃い時間を持ちます。そして、よくよく反省し、もう二度とこんなことはしないと、肝に銘じます。そして、十分反省したなら、潔く自分を許してあげ、後はもう手放して、気持ちを切り替えます。

もちろん、修正できる状況であれば、修正する。相手がいて、謝罪できる状況であれば、謝罪するのがいいと思いますが、この場合、相手の立場も考えて、自分勝手な気持ちの押し付けにならないように気を付ける必要があると思います。

もし、直接謝罪するのが適切でない場合、あるいは、もうそれができない場合は、心の中でいいので、心の底から謝ります。

後悔や自責の念からくる苦い思いは、それらをする原動力として利用したほうが、建設的だと思います。あなたがいつまでも自分を責め続けて、自分のエネルギーを低下させることは、自分自身のみならず、この世界にとっても、望ましいことではありませんから。

あなたが元気でいれば、周りの人にもよりよいものを与えることが可能でしょうし、その分、この世界を元気にすることができます。この世に生きているものは、皆、つながって、影響し合っているので。

結局のところ、もう同じようなことで後悔しないように、方向転換し、これからの自分の言動を変える契機になるのであれば、犯したその過ちは、決して無駄ではなかったと思います。

                                                                                                        (Chika)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

                                                                                                                                                                                                               

 

                                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                            

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の癒しを取り入れる

春は、自然の癒やしのエネルギーが増す季節だと思います。

春には、新芽が吹いて、花が咲き、草木がどんどん伸びます。つまり、生命力が活性化され、力強く躍動しているということ。

目には見えなかもしれないけれど、活性化された生命エネルギーを感じることは、誰でもできるのではないでしょうか。

私たちが、花が咲き乱れて草木が芽吹いている場所にいると、気分がリフレッシュするとか、元気をもらえるとか感じるのは、この自然界の生命エネルギーを取り入れて、エネルギー補給をしているからなのだと思います。

気持ちが落ち込んでいたり、なんとなく元気が出ない時、この春の自然界のきれいで力強い生命エネルギーを意識的に取りこむことは、心身のエネルギーを活性化させる、とても効果的な方法だと思います。

具体的には、天気がいい時に、自然がたくさんあるところにいって、息を吸うとき、吸気とともに、植物のパワーが体の中に入って、体の隅々まで行きわたるのを、イメージすること。イメージをしながら意識して取りいれることにより、自分のエネルギーを高める効果が格段にアップします。

美しいものを見るとき、私たちの生命エネルギーは強化されます。

なので、きれいな花とか、光り輝く空など、美しいと思えるものを見たときも、同様に、その美しさを自分の中に吸い込むイメージをすることをお勧めします。

ただし、落ち込みや不安感、怒りなどがあまりに強いときは、自分のエネルギー回路がまわりから遮断されていしまう状態になりがちで、周りのいいエネルギーが入ってきにくくなります。

なので、美しいものを見ても、美しいと感じにくくなったりするんですね。

こういう時は、やはり、原因となっている感情をまず自分の中から出してきれいにするという作業が、先に必要になってくると思います。すでに何かがたまっていっぱいになっている入れ物に、新しくものを入れようとしても、先にスペースを作らないと入っていかないのと同じです。

体や心が元気になるために、いいもの、必要なものを取り入れて、悪いもの、いらなくなったものは、出すというのが、心身のエネルギーのバランスを取り、いい状態に保つための、基本です。

落ち込みや不安や怒りなどが、深いところに根差している場合は、解消するためにそれなりのワークを必要としますが、もし軽くて浅い場合は、吐き出す息とともに、それが自分の中から出て行ってしまうところを想像するだけでも、効果がある場合があります。

その際、その感情に色をつけて、それが煙になって出ていくのをイメージしてもいいと思います。

色々工夫をして、ぜひ、春にしか得られない、この特別の癒やしのパワーを活用してみてください。

 

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原因は自分の中にある

自分に起きた不幸を、他人や環境のせいにして、被害者意識をもってしまうと、そこから前に進むことはできず、癒しのプロセスも起きません。

アメリカで働いていた時、7年も8年も足しげくカウンセリングに通ってくる割に、症状は全く変わらず、回復の兆しはないというクライアントさんがかなりいらっしゃいました。

そういう人たちの担当になってみて実感したのは、セッションが周りに対する非難や愚痴に終始する人の心の問題は、何年通っても100%よくならないということ。

自分の問題を人のせいにすることを、専門用語でexternalization of blame(非難の外化)といいますが、これは、自分の問題の本質を見ず、別の方向を見てしまっているということなんですよね。なので、どうしても問題の解決には至らない。

問題の原因も解決へのカギも、外側ではなく、いつも自分の内側にあります。

自分の心の問題というのは、たとえ状況的には他者によって引き起こされたように見えても、やはり自分の中に原因があります。

人は自分の持つ感情に責任を持たなければなりません。どんな感情を持つかというのは、人に強制されるものではなく、実をいうと、自分自身の選択だからです。

例えば、「お金を盗まれた」という単純な例でみてみましょう。

もちろん、盗んだ人が悪いのは当たり前ですが、それで怒りや恨み、人間不信を抱き、人生が不幸に感じられるようになったとすると、そういう精神状況を作り出したのは、盗んだ泥棒ではなく、自分自身なのです。

「お金を盗まれた」という状況に対して、どういうリアクションをとるか。怒りや恨みや失望を抱き続けて心を害してしまうか、それともそうならないかは、自分の選択であり、自分次第なのです。

自分に原因がある、というと、厳しく聞こえるかもしれませんが、だからといって、今こうなったのは自分が悪いと、自分を責める必要はありません。これは、いいとか悪いとかいう問題ではなく、あくまでも原因がどこにあるか、ただ、それだけのことです。原因を知ることは、問題の解決に役立つので、大切なのです。

自分の中に原因があると知ることは、実はとても素晴らしいことです。

なぜならそれは、

「自分の人生は、他人や周りの状況に制限されたり左右されるものではなく、自分次第である」

「もし今の人生の状態が気に入らなければ、それを自由に創り変えることができる、そしてそれを実現するパワーは自分の中にある」

ということに他ならないからです。

よく言われるように、他人は変えられませんが、自分は自分の意思で変えられるということです。

ただし、自由には必ず責任が伴いますから、原因を自分の中に見つけ、対処していくというこは、自分の人生に責任を持たなければならない、ということでもあります。でも、本当に意義のある人生を送りたいならば、この責任は避けて通ることはできません。

自分に起きた問題を誰かのせいにして、自分のもつパワーを他人に明け渡してしまうと、結局のところ、無力感(文字通り、自分にはパワーがないという感覚)を引き起こすことになります。無力感は、鬱につながります。

また、被害者という不毛な役割を演じると、今抱えている問題の中にはまり込んで動けなくなり、人生を停滞させてしまいます。

それよりも、自分の人生に責任を持って、自分で自由にコントロールできる唯一の存在である、自分自身をコントロールし、変えていったほうが、確実に、建設的で幸せな結果を引き寄せることができる、ということです。

 

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人の評価が気になるとき

人にどう思われるか気になって萎縮してしまう人が、よくいます。

周りの人がみんな、自分のことを批判の目で見ているんじゃないかと、気になってしまう。

ひどい場合だと、スーパーに買い物にも行けなくなり、引きこもりになる人もいます。

こういう人たちを見ていると、問題なのは、人の評価ではなくて、実は自己評価であることが多いようです。

自分に対する評価がとても低い。だからそれを周りに投影し、周囲の人の評価を恐れるのです。

実際、本当に雄弁で、影響力があるのは、人が自分をどう評価するかではなく、自分が自分をどう評価するか、だと思います。

仮に、100人の人に口々に賞賛されたとしても、もし自分自身が自分を認めておらず、自己否定しているのであれば、その賞賛は耳に入らず、その人の自己評価は低いままでしょう。

反対に、100人の人にけなされて、否定されたとしても、もし自分に恥じるところがなく、自分で自分を認めてあげることができるなら、自信を失わずにいられます。

本来、人の評価というのは、無責任なものです。ごく限られた一部だけを見て、勝手にあれこれいう。でも、自分のことを一番よく知っているのは、自分自身です。

人の評価に振り回されて一喜一憂するよりも、自分自身に恥じることのないように生きて、それさえクリアしていれば、後は堂々としているほうが、よほどエネルギーの無駄がないと、私は思います。

 

 

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心の安らぎを得るための祈り

神よ 

変えられないものを受け入れるために必要な心の静かさを

変えられるものを変えるために必要な勇気を

変えられるものと変えられないものとを識別するために必要な叡智を

我に与えたまえ

 

God, grant me the serenity 

To accept the things I cannot change; 

The courage to change the things that I can; 

And the wisdom to know the difference.

 

これはSerenity Prayerという、有名な祈りです。

作者は諸説ありますが、ニーバーというアメリカの神学者が作ったという説が有力です。

AA(Alcoholics Anonymous=アルコール依存の人たちの自助グループ)の12段階のプログラムという依存症克服プログラムの中でよく使われている詩です。

今、現在、状況を変える手立てがあるのなら、勇気をもってそれをやってみること。

今、現在、なすすべがなく、状況を変えることができないなら、その状況を思い切って受け入れること。

これさえできれば、人の心は波立つことがなく、安らかな状態を保つことができます。

不安というのはたいてい、今、この瞬間どうしようもない、未来のことを思い煩うことによって生じます。

今、この瞬間だけに目を向けて、現在できることに最善を尽くし、後のことはその時が来るまであまり考えずに生きる。この技術をマインドフルネス(mindfulness)といって、禅の思想の基本にもなっています。(アメリカでは、マインドフルネスは、心理療法の一環として、不安障害やうつの治療にも使われています。)

マインドフルな生き方をすれば、生きることはずっと悩み少ない、シンプルなものになり、かつ、無駄なエネルギーの消費を抑えられるので、楽で効率のよい生き方ができるようになると思います。

 

 

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マイ・メンタルヘルス管理法

今日は、私が個人的に実践している心の健康維持法について、お話します。

というと大げさで、実は別に意識してやっているわけではなくて、そういえば自分ってこれやってるな、と先日気づいたことなのですが・・・。

私は、割とよく、自分の精神状態を観察しています。そして、今、自分の心身の状態はこうだから、これが必要だ、と気づいたら、それを自分に与えるようにしています。

例えば、呼吸が浅くなっていると気づいたときは、ストレスがたまってきている証拠なので、腹式呼吸に切り替えたり。

室内であまり動かず、座ってばかりいることが多くて、気持ちがどんよりし、体も重くなってきたと感じたときは、あえて外出して楽しめる場所にいったり、ジムにいって体を動かしたり。

人に会う用事が続いて疲れたときは、ひとりでいる時間を多く作って、アロマや静かな音楽を楽しんだり。

なんとなく心が浮ついていたり、思考が過多になってゆとりがなくなっていると感じたときは、目を閉じてしばらく瞑想したり。

怒りを感じて、それが負担になったときは、その人やできごとの何に反応して、自分の怒りが引き出されたのか、内観してみたりもしますね。・・・というと、私がお坊さんか何かみたいに偉く聞こえますが、そんなことはなくて、私もこれをやるのは、余裕があるときだけです。

感情についていうと、どんな感情がわきおこっても、「こんなこと感じたらダメだ」などと自分に禁止することなく、ありのままを感じるようにしています。「ああ、そんなこと感じていたんだなあ、自分。」と受け入れてあげます。そして、時間や状況が許すなら、できるだけそれを感じきってあげます。そうすると、どんな感情でも、自然と収まっていくものだと知っているので。

話が少しそれましたが、私が実践している心の健康維持法を一言にまとめるなら、「心身のバランスを取る」ということだと思います。

人って、外出ばかりしていても疲れるし、家の中に引きこもってばかりいても疲れる、頭を使いすぎても疲れるし、体を使いすぎても疲れる。極端に傾くと、バランスが崩れるものです。

バランスが崩れたら、それを元に戻してあげればいい。そのためには、何が足りなくて(何が過剰で)バランスが崩れたか、知る必要があります。

普段から、自分の心身の状態に意識を向け、感じてあげる習慣をつけておくと、今の自分に何が必要かがわかるようになってきます。

結果として、比較的安定した気分を保つことが、容易になってくると思います。

 

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いい情報を取り入れる

もうずいぶん前のことですが、アメリカで大学に通っていた時、寮で日本人の留学生が自殺未遂を図る事件がありました。

彼は大学の寮に住んでいて、アルコールを飲んだ後、薬をOD(過剰摂取)して、死のうとしたのでした。

私は彼とは顔見知り程度で、話をするほど仲が良かったわけではないのですが、その事件を起こす数日前に図書館で見かけたとき、彼が大きなため息を何度も何度もついていたのを思い出して、ああ、あのとき、あの子はすごく落ち込んでいたんだなあ、気の毒なことをしたなあと思いました。

彼は病院に運ばれて、しばらく入院をすることになり、誰とも会いたくないと言っていたそうです。私やアメリカ人の寮生の友達たちは、寮に集まって情報交換をし、何かできることはないかと思って、寮の彼の部屋に入らせてもらいました。

そのとき彼の部屋を見て、印象的だったのは、本棚に置いてある日本語の本の数々が、暗い、落ち込むようなものばかりだったことでした。ほかにどんな本があったかは覚えていないのですが、メルヴィルの「白鯨」があったことは覚えています。彼の心の中を映し出しているような部屋だなあ、こんな本ばかり読んでいるのでは、鬱っぽくなるのも無理はないなあ、と思ったものです。

「白鯨」のように心の闇を描いた本も、もちろん必要だし、価値あるものだと思います。でも、暗い本や残酷なニュースばかり選んで読んだり見たりしていると、人間の闇に偏った情報が入ってきてしまい、それに気分が影響されてしまうのは確かだと思います。

読む本でもそうですが、見るもの、聞くものをはじめとして、五感で感じるものはすべて、私たちの中に入ってくる情報です。気分が沈みがちなとき、不安が高まっているときは、意識的に、気分が明るく前向きになるような情報を取り入れるよう、心がけたほうがいいと思います。

また、逆にいうと、気分が落ち込んでいて、不安感がつよいときは、ややもすると、暗い情報に意識がいってしまいがちになります。それでさらに気分が暗くなり、不安感が高まるろいう、悪循環が起こりやすくなるんですね。

情報が入ってくると、私たちの体や心には反応が起こります。

ネガティブな情報が入ると、気分が重くなったり、体が硬直して固くなったり、胃がギュッと締まる感じになったりして、ストレス反応が起こりやすいでしょう。反対に、心地いい情報が入ってくると、体が軽くなったり、気分がリフレッシュしたり、目の前がぱっと明るくなったりすると思います。

この反応の積み重ねが、日常のベースになる気分を生み出していきます。なので、当たり前のようですが、どの情報を取り入れるかは、私たちの心の状態を左右する、大切な要素になります。

今、この瞬間において、自分の中に取り入れることのできる情報というのは、実は私たちの周りにあたくさんあふれています。そのうちのごく限定された一部を、私たちは取り入れており、それは私たちの自由意思で選べるものなのです。

例えば、会社で上司にイヤミを言われたとします。そのことを週末に思い返して、その情報で頭をいっぱいにしてしまうとします。すると、晴れた日の日曜日、散歩をしていても、道端につぼみ始めたチューリップや、青い空の色や、降り注ぐ光のまぶしさや、暖かくなり始めた空気の温度、近くを流れる川のせせらぎ、公園で焼いているクレープの甘いにおいなどの、もっと自分を心地よくしてくれる情報が、入ってこられなくなります。

これは、今現在、確かに周囲に存在している、自分を癒やしてくれる色や形、音、香り、触感、音という情報を、もっと不快な情報に自ら意識を集中させているために、シャットダウンしてしまっている状態なのです。とてももったいないことですよね。

たいてい、私たちは無意識に情報を取り入れているものですが、気分が落ち込んだり、不安になっている時には、意識的に、できるだけ気分がよくなるような情報を選ぶようにした方がいいと思います。

そういう情報は、どんなときにも必ず周りに存在しているはずですので、見つけてみてくださいね。

 

 

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