盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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無気力の原因

鬱状態の時によくあるような、 意欲がわかない、何もする気が起きないといった 慢性的な無気力には、必ず原因があるはずです。

そもそも、人は健全な状態であれば、あれがしたい、これがしたいという興味や意欲が自然にわくものです。子供がいろいろなことに生き生きと興味を示し、やってみたがるのと同じですね。

無気力に陥っているということは、だいたい、心身のエネルギーを使いすぎて枯渇しているか、使わな過ぎて停滞しているか。いずれかだと思います。

例えば、肉体を酷使し、疲れているのに体のサインを無視して頑張り続けたら、いつか必ず燃え尽きて、これ以上何もしたくなくなるでしょう。それは、このまま活力を消費したら病気になるため、強制的にストップがかかった状態であり、肉体の叡智の計らいです。

また、意思に反してやりたくないことないことばかりしたり、言いたいことを我慢し続けたり、自然な感情を無理やり押さえつけて閉じ込めたりしていると、心のエネルギーは低下します。人の悪口を聞かされていると気持ちが下がるように、無意識に自分の悪口を言い続け、 不当な自責感を抱きやすい人も、心のスタミナが足りない人になってしまいます。

自己犠牲的に人の為に尽くし、人のニーズは満たすけれど自分のニーズは顧みない人をよくお見かけしますが、これではやはりエネルギーのアンバランスが蓄積し、 いつか燃え尽きて鬱状態になるでしょう。

これもまた、よくあるケースですが、自分の心が望んでいるからではなく、人に嫌われないよう、社会ではみ出さないよう、自己防衛の為に周囲に合わせて生きていると、長い間にはエネルギーが枯渇し、意欲がわかなくなります。 このような自分の自然な心に対する無理強いは、恐れにフォーカスしているときに起こりがちですが、結局のところ自らの創造性を枯渇させてしまいます。そうなると、本来誰にでも備わっている何かを生み出す力が発揮われなくなるので、何かをしようという気にもなれなくなります。

これに対して、自分の心に沿った言葉や行動、感情を押さえつけずありのまま認めて受け入れること、心が喜ぶ選択など、自分を慈しみ、大切にする行為は、エネルギーを増やし、意欲をアップさせます。

心を縛るのではなく、自由に解き放って、心の方向に従っていると、創造性がのびやかに発揮されますので、結果として、環境が自分にフィットするように整い、自分にとって一番いい方向に人生が展開していきやすくなります。

一方で、十分なエネルギーがあるのにそれを使わないでいると、出口を失った未消化のエネルギーが自分の中でくすぶり、古くなってと滞るため、どんより重苦しく感じられるようになります。 体が元気なのに、恐れや不安ゆえにいつまでも引きこもって活動しなければ、心身の代謝が悪くなり、元気を失って無気力になります。 自分の中にあるエネルギーはちょうどよく使うことで巡り、新たに湧いてくるものです。1日働いてほどよく疲れれば、夜寝て朝回復し、また元気に1日を始められるというわけです。

自分の中に発生した思いや感情があるのに、表現したり、認めずに抑えてしまう行為もまた、未消化のエネルギーを生むので、心身の停滞を起こし、無気力な抑うつ状態を引き起こしやすくなるものです。相手に伝える、伝えないは別として、安全に表現し(それが相手を傷つけるような思いであれば、日記に書く、当事者ではなく第三者に話すなどが安全な方法の例ですね)、自分の気持ちを否定せずありのまま受け入れるなどすれば、内側でくすぶらず、自分の外に解放されていきます。そうすると新しい思いや感情が入ってくる余地が生まれます。

こうして代謝が起こると、エネルギーはスムーズに流れ、心身ともに病気になりにくくなります。

もし無気力でやる気がない状態が続いていたら、そこには自分の心や体からのメッセージが含まれているはずです。何かがうまくまわっておらず、修正を必要としているということ。自分自身と対話してみて、何が原因か、振り返ってみてはいかがでしょうか。

信じることの大切さ

最近、カウンセリングに、幼少期、壮絶な生い立ちだった方がよくいらっしゃいます。

そういう人たちを見ていて思うのは、その経験があっても、なお、人を信じる気持ちが少しでも持てるかどうかで、違いが出てくるということ。

人によってひどく傷つけられた人が、人を信じにくくなることは自然なことだと思います。

それが傷つかないよう身を守ることにもなるので。

だけど、人間不信が強く、人も世界も自分からすべて締め出してしまうと、そこに救いはありません。そういう人を助けるのは非常に困難です。人を信じられないという人は、結局のところ、自分も信じられない人が多い。

思いやりのある、誠実な人はきっといる、いつかそういう人に出会いたい、と思うだけでも、全然、救いようがあります。そのすき間から光が入っていって、広がっていけるから。違う言い方をすると、その人の奥に埋もれている光が、その隙間から出てこられるのです。

実際のところ、世界は真っ黒ではなく、真っ白でもない。黒も白も混在している(正確には、黒よりのグレーか白よりのグレー)。同じ人が、時と場合によって、白っぽくなったり黒っぽくなったりもする。みんな、いろいろな経験をしてもまれながら、だんだん白く純化してくのを目指しているのがこの世界です。

今日も、辛い目にあいつづけて、もう信じられない、でも信じたい、という人と、お話をしていたのですが、その人の顔に少しずつ光がさして、最初と最後とでは光の度合いが変ったのが印象的でした。この人は、これからの人生を、今までとは違う、明るいものにしていくことができるだろうと思えた次第です。

傾聴だけではよくならない

以前、傾聴のカウンセリングに500万円費やしたけど、よくならなかったという方にお会いしたことがあります。

時々、何十年も前のことを、少しも衰えない感情の熱で、昨日のことように話す方がいらっしゃいます。

吐き出して、受けとめてもらえ、共感してもらったら、その場ではすっきりするかもしれないけど、また、その感情が戻ってきて、吐き出さなければならなくなる。

その繰り返しを、何十年もしている。

こういう場合は、聞いてもらうことによって、一時的に慰めを得るかもしれないけど、作用はごく表面的なものであり、本当に癒しが起こっているわけではありません。

その人が、その感情を再現し、強化してしまっている、大元の意識を変えなければ、いつまでたっても同じ繰り返しになってしまいます。

大元の意識こそが、その人の感情の製造機なので、それを変えないとどうにもならない。

大元の意識は、思い癖という形で表に現れやすいです。

ちなみに、人のせいにしていると、永遠に続きますね。

大事なのは、本人が変わることなんだけど、人のせいにしていると、自分は変わろうとしないので。

あと、寂しいから話を聞いてもらいたい、とか、褒めたり、認めたりしてもらいたいとかいう理由だと、カウンセラーに限らず、他の人との関係であっても、一時の慰めだけで、問題は未解決のまま、繰り返されます。依存できる人がいると、やっぱり自分の問題を自分でどうにかするということをしなくてすむので。

ただ、未解決のまま、その場にとどまって足踏みをしている状態だと、レコードの溝をなぞるみたいにして、意識の中で溝を深めてしまうわけで、長く繰り返せば繰り返すほど、修復が困難になります。

不可能ではないですけど。

なので、傾聴だけでは人は変わらない場合が多々あります。(自分で気づけて変われる人はいますが、そういう人は、そもそも、傾聴もあまり必要ではない気がします。)

色々なやり方で(どんなやり方で、どう変えていくことが必要かは、その人によるので、一概にいえません)、その意識状態をいかに変えるか、がポイントになってくると思います。

聖なる山(2)

マウントシャスタにある木々は、うっとりするようないい香りがします。森林浴効果が抜群でした。同じ聖地でも、アリゾナにあるセドナは、行くと活力がわいてきて、一気に元気になるような場所でしたが、ここはそうではなく、とても繊細で精妙なエネルギーの場所でした。いつか、もう一度行ってみたいです。

シャスタ山の麓の森
最初に行ったときは、ハロー現象が起きていて、かなり長い間、日暈がかかっていました。

うっすら虹のようなものもありました。
湖もいくつかあります。とても静かで美しい場所でした。

聖なる山(1)

アメリカにある、マウントシャスタは、日本でよく飲まれている、クリスタルガイザーの水の源泉がある山です。知る人ぞ知る聖地で、何度か訪れたことがありますが、とても特別な場所です。木も水も、とても純粋なエネルギーにあふれていて、豊なのです。大昔の汚染されていない地球では、木や水は、こんな風だったのかな、という感じを受けます。

遠くからみたマウントシャスタ
頂上近くの水。これがクリスタルガイザーの源泉です。
水というより、光の道のようです。
マウントシャスタの近くには滝がたくさんあります。


幸せのキーワード

最近、カウンセリングをしていて、多くの人に共通するキーワードだと思うことがあります。

それは、「自分の本当の心に沿った生き方をする」ということです。

本心とずれているから、うまくいかないことが多いのです。長年、恐れの為に、或いは、恐れが強い親に刷り込まれたという場合もありますが、本心に合致しないことをやり続けてきた人が多いように思います。

そうすると、かえって、恐れていることが現実化するという、逆のことが起きてくるんですよね。

例えば、人に嫌われることを恐れるあまり、事なかれ主義で、人に合わせることを長年やってきたとします。そうすると、自分の思い通りになりやすい人=操作しやすい人となり、支配欲が強い人に目をつけられやすくなります。支配欲が強い人は、たいてい、攻撃的だったり、上から目線だったり、批判的だったりするので、しんどい人間関係が形成されるでしょう。当然、自分を受け入れられ、肯定る、心地よく好かれているという感覚は得難くなります。(しんどいのに好かれているという感覚を持つことはあるかもしれませんが、この場合、相手に敬意をもって好かれているというより、相手にとってメリットになるから一緒にいられてしまうという関係であることが多いです。)

もし、人に嫌われるのが怖いという恐れがなければ、人に合わせないで、もっと自分の心に沿った言動を選択するようになるでしょう。他者ではなく、自分の心に従って言動を起こす人=自分を持っている人は操作しにくいので、支配欲が強い人には興味を持たれにくくなります。

本心=自分が本当に望んでいることを知り、それを素直に表現することが、今、多くの人にとって、幸せになるための秘訣のように思います。

明けましておめでとうございます

2021年が明けました。

世界が大きな変化の時を迎えている今、個人レベルでも、大きな変化を経験し、節目を迎えている方が多いように思います。

多くの方が、より明るい高みへと進んでいかれますように、心よりお祈り申し上げます。

今年もよろしくお願いいたします。

年末年始のお休みについて

今年も1年、ありがとうございました。

12月30日から1月3日までの間は、完全休業させていただきます。

つきましては、カウンセリングのご予約等のお返事は、4日以降にさせていただきますので、ご了承のほど、お願いいたします。

また、1月の前半はスケジュールが込み合っておりまして、今日現在での最短のご予約可能日は14日(木)になります。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

皆さんにとって、来年が光り輝く1年になりますように。

よいお年をお迎えください。

頭じゃなくて心でしゃべる

コミュニケーションがうまくいかない人は、頭で考えてしゃべっていることが多いかもしれません。

例えば、「今日はいい天気だなあ」と、まず、心に感じて思ったとき、「今日はいい天気ですね」、と口にするのと、何か話をしないと気まずいし、天気の話でもしておこうか、と思って同じ言葉を口にするのとでは、違いがあります。前者は、心と言葉にギャップがないけれど、後者は、本当にそう感じたのではなく、頭で打算してしゃべっています。だから、心を伴っていない、形だけの言葉になってしまうわけです。

コミュニケーションは、意思伝達と訳せますが、本来、人がコミュニケーションをとるときは、言葉以前に、心で生まれた感覚的なものが先行して、それを言葉という形をつけて外に現わすという作業をするものです。

例えば、嫌です、という言葉を口にする前には、不快感が最初に心に生まれているはず。あれ、いいよね、という言葉を口にする前には、ぱっと明るい、高揚するような感覚がまず生まれているはずです。

心の感覚を純粋に言葉にして伝えると、言葉は一種のエネルギーを帯びるので、相手によく伝わり、相手にも影響を及ぼしやすいものです。

けれども、打算や下心があって、本当は思っていないのに言うと、それは中身のない形骸化された言葉に過ぎず、生き生きしたエネルギーを持ちません。

例えば、こういえば、相手によく思われるかな、嫌われないかな、とか、こういったらかっこよく聞こえるかな、とか。あるいは、なにも思いつかないけど、その場しのぎに何か言っておこうとか。そういうのが、打算や下心です。「うまく話そう」という思いもそうです。そうすると、かえってうまく話せないという逆説的な結果が生まれやすいです。

心を伴わない頭で考えた言葉は、生きたエネルギーを伴わないので、周囲にインパクトを与えず、与えたとしてもその場限りで、真の反響を生み出しません。(ロボットと会話するより、生の人間が会話するほうが、充実感を得られるのとも、同じような原理だと思います。)

だから、「よく思われるように、嫌われないように」という意図とは裏腹に、よく思われるという効果も持たないのです。効果があったとしても、一時的で、数秒後にはすぐに相手の意識から消えてしまいます。

加えて、自分の心に沿った言葉を表現しないということは、自分の心を尊ばないという行為になり、心にない言葉を言えばいうほど、自尊心は損なわれていくでしょう。自尊心が低いと、自分を好きだと思えなくなりますし、人にも好かれなくなっていきます。

では、心に思っていることを、なんでもかんでも口にするのがいいかというと、もちろんそうではありません。例えば、「あなたのこと、嫌い」と、本心をそのまま言葉にしたら誰かを傷つける場合、自分の心はそれを相手に伝えることを欲しているかというと、欲していないはずです。それをしたら、自分が嫌な気持ちになるはず。その気持ちを相手に伝達しないほうが、自分の心は安らぐはずです。それなら、言わないことが、自分の心を尊ぶことになりますね。

思考ではなく、心に従ったコミュニケーション、自分の心に嘘をつかないコミュニケーションを心がけていると、まず楽になるし、不思議と、人間関係も心地よいものになっていくので、心がけてみてください。

1日の意図を設定する

現代社会では、多くの人があわただしい日々を送っています。そんな中、1日をただ流されて過ごすと、つい、感情的にもコントロールがきかず、色々なできごとがあるたびに翻弄されて、心が上下しやすくなりますね。

感情にコントロールされるのではなく、感情をコントロールしたいものです。

その助けになる1つのやり方として、朝、起きたとき、その日をどう過ごすかを、意識的に決めることをお勧めします。

例えば、

「今日1日は、心穏やかに保とう」

「人に対して、優しく、忍耐強く接しよう」

「物事のいい面を見るようにしよう」

「勇気をもって、怖いものから逃げないようにしよう」

など。

ほんの一瞬でもいいので、1日の始まりに、こういう風に過ごそうと心に思うだけで、本当にそうなりやすくなります。この時、ただ、漠然と思うというより、それを心に刻みつけるのがポイントです。できれば、1分、いや、30秒でもいいので、静かに座って集中するといいでしょう。潜在意識に浸透しやすくなります。

もちろん、これをしたからといって、1日中、完全に心を穏やかに保てたり、人に優しくなれたりはしないかもしれません。ところどころ、心が乱れたり、苛立ったりすることがあるのは、当たり前です。それでもいいのです。完ぺきである必要はなく、完ぺきを目指さないことは、心が健全であるためのとても秘訣です。

ただ、完ぺきにできなかったとしても、なんとなく1日を始めるよりは、こうなりたいという意図を設定するだけで、自分自身が手綱を握って自分の心や態度の方向性をコントロールしやすくなります。

たとえ、突発的な出来事があったとしても、それに対して、自分がどう反応するか、能動的に自分を定めることで、よりよい1日にすることができるようになるでしょう。