盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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2016年

アサーティブネス

先日、セラピーグループでお話しした内容をシェアしたいと思います。

アサーティブネスは、コミュニケーションの方法の一種であり、対人関係を良好に保つための重要なスキルでもあります。

少し長くなりますが、ご参考ください。

 

<アサーティブネスと4つのコミュニケーションスタイル>

 

◎4つの基本のコミュニケーションスタイル

 

アサーティブネスとは、相手を尊重しながら、明快で、率直、かつ誠実に、自分の考えや要望を相手に伝えるコミュニケーションの方法です。健全な対人関係を築くためには、アサーティブなコミュニケーションを学ぶ必要があります。他の3つのコミュニケーションスタイルと共に、アサーティブなコミュニケーションの特徴を、詳しくみていきましょう。

 

1. 消極的コミュニケーション(passive communication)とは、自分の意見や気持ちを表現したり、自分の権利を守ったり、ニーズを満たしたりすることを避けるコミュニケーションスタイルです。消極的コミュニケーションは、通常、低い自己価値感に根差しており、そこには「私は大切にされる価値はない」という思い込みがあります。消極的な人は、傷つけられたり、普通なら腹を立てたりするような状況でも、表立っては反応しません。その代わり、気づかないうちに不平不満を募らせ、我慢の限界に達した時、些細なきっかけで、異常に爆発してしまう傾向があります。爆発の後は、通常、恥や罪悪感、混乱を感じて、消極的な状態に戻ります。

消極的コミュニケーターは、しばしば、

  • 自己主張ができません。
  • 他の人が、故意に、あるいは気づかずに、自分の権利を侵害するのを許します。
  • 自分の気持ちやニーズ、意見を表現できません。
  • 小さな声で、申し訳なさそうに話します。
  • 視線をあまり合わせず、うなだれた姿勢を取ります。

消極的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 人生がコントロール不能に思えて、不安になる
  • 行きづまり、希望を見出せず、落ち込む
  • 自分の必要が満たされないので(自分でも気づかないうちに)憤慨する
  • 自分の本当の気持ちを無視しているので、混乱する
  • 本当の問題に言及することがないので、成長できない

消極的コミュニケーターは、こう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は自分の権利を守ることができない。」
  • 「私は自分の権利というものが何かわからない。」
  • 「私は、みんなに踏みつけにされる」
  • 「私は弱くて、自分を守ることができない」
  • 「人は決して私の気持ちを考えてくれない」

 

2. 攻撃的コミュニケーション(aggressive communication)とは、他の人の権利を侵害するようなやり方で自分の意見や気持ちを表現し自分のニーズを主張するコミュニケーションスタイルです。攻撃的コミュニケーターは、言葉や体の暴力を振るいます。攻撃的コミュニケーションは、低い自己価値感、癒されていない傷、無力感から生まれます。

攻撃的コミュニケーターは、しばしば、

  • 他の人を支配しようとします。
  • 相手に屈辱を与えることで支配しようとします。
  • 批判、非難、攻撃をします。
  • とても衝動的です。
  • すぐにイライラします。
  • 声が大きく、きつくて横柄な話し方をします。
  • 強迫的で、無礼な態度を示します。
  • 人の話をよく聞きません。
  • 頻繁に人の話を遮ります。
  • youステートメントを使います。
  • 射貫くような目で、威圧的な態度にでます。

攻撃的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 他の人たちから疎んじられる
  • 他の人たちを疎んじる
  • 他の人たちの心に、恐れと憎しみをもたらす
  • 自分の問題を認識することなく、いつも人のせいにするので、成長できない

攻撃的コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は正しく、あなたは間違っている。」
  • 「私は優れていて、あなたは劣っている。」
  • 「私はうるさくて、威張っていて、押しつけがましい。」
  • 「私はあなたを支配し、怖がらせることができる。」
  • 「私はあなたの権利を侵害できる。」
  • 「私は何がなんでも自分の思いを通す。」
  • 「あなたにはなんの価値もない。」
  • 「全部あなたが悪い。」
  • 「私は即、応じる。」
  • 「私は特別だ。」
  • 「あなたは私に借りがある。」
  • 「私はあなたを所有する。」

 

3. 消極的-攻撃的コミュニケーション(passive-aggressive communication)は、表面では消極的でも、実際は、わかりにくい微妙なやりかたで、こっそり怒りを表します。消極的-攻撃的コミュニケーターは、通常、無力感と行き詰りを覚え、憤っています。しかし、怒りを直接表現できないので、表向きは笑顔で従うふりをしながら、裏で抵抗し、相手に妨害工作を行います。

消極的-攻撃的コミュニケーターは、しばしば、

  • 相手や問題に直接立ち向かわず、ぶつぶつ口の中でつぶやきます。
  • 自分の怒りをなかなか認識できません。
  • 気持ちと顔の表情が一致していません。(例: 怒っているときに微笑む)
  • 皮肉をいいます。
  • 問題が存在することを否定します。
  • わざと嫌がらせや邪魔をしながら、協力的なふりをします。
  • 仕返しのために、微妙な妨害工作を行います。

消極的-攻撃的コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 周囲の人たちから疎んじられる
  • 無力なままで身動きができない
  • 本当の問題に言及することなく怒りを吐き出しているので、成長できない

消極的-攻撃的コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私は弱く、憤慨している。だから、妨害工作をし、苛立たせ、邪魔をする。」
  • 「私は真正面からあなたに向き合うには弱すぎる。だからゲリラ戦に持ち込む。」
  • 「私は協力的に見えるが、実際はそうではない。」

 

4. アサーティブ・コミュニケーション(assertive communication)とは、自分の意見や気持ちを明快に述べ、他の人の権利を侵害することなく、自分の権利やニーズをはっきり主張するコミュニケーションスタイルです。アサーティブ・コミュニケーションは、高い自己価値感から生まれます。アサーティブ・コミュニケーターは、他の人の権利をとても大切に扱う一方で、自分の時間や、感情的・精神的・身体的ニーズを尊び、自分の為に断固として主張します。

アサーティブ・コミュニケーターは、

  • 自分の必要や欲求を、はっきり、適切に、礼儀正しく伝えます。
  • 自分の気持ちをはっきり、適切に、礼儀正しく伝えます。
  • I ステートメントを使います。
  • 他の人に敬意を示します。
  • 遮らずに聞きます。
  • 自己コントロールができていると感じます。
  • しっかり目線を合わせます。
  • 穏やかではっきりした声で話します。
  • くつろいだ態度を示します。
  • 他の人とのつながりを感じています。
  • 自分が有能で、自己統御できていると感じています。
  • 他の人が自分をひどく扱ったり、操作したりするのを許しません。

アサーティブ・コミュニケーションは、それを使う人たちに、しばしばこんな影響をもたらします。

  • 他の人たちとつながっていると感じる
  • 自分の人生を統御していると感じる
  • 問題が起きたらそれにきちんと向き合うので、成長することができる

アサーティブ・コミュニケーターこう言い、思い、振る舞います。

  • 「私たちは皆、お互いを敬いながら自己表現する権利を有している。」
  • 「私は自分に自信がある。」
  • 「私は自分の人生を選択できることに気づいている。」
  • 「私ははっきり、率直に、わかりやすく話す。」
  • 「私は他人をコントロールできないが、自分はコントロールできる。」
  • 「人に自分の権利を尊重してもらうことは、自分にとって重要事項だ。」
  • 「相手を尊重しつつ自分のニーズを満たすのは、自分の責任だ。」
  • 「私は他の人の権利を大事にする。」
  • 「私は自分の幸福に100%責任がある。」

参考資料: serenity online therapy (http://serenityonlinetherapy.com/assertiveness.htm)

以上です。中に、Iステートメント、youステートメントという言葉が出てきましたが、これもコミュニケーションスキルの重要なポイントです。端的に言うと、あなたは、で始まる言葉は、相手に対する非難や攻撃のニュアンスを含みやすく、私はこういう気持ちになるという、「私」を主語にした話し方は、責任は私にあるというニュアンスを含むので、相手が防衛的になりやすいということです。機会があれば、このへんもまたシェアしたいと思いますが、長くなるので今日はこの辺で。

 

 

バリアを解除して現実を受け入れる方法

不安や恐れ、怒りなど、いわゆる否定的な感情が慢性的に支配している人は、呼吸が浅く、だいたいいつも気が張って、体がこわばっています。これは変化に抵抗して、防衛のためのバリアを張っている状態です。

バリアを張っていると、外から新しいものが入ってくることができず、古いものを手放すこともできないので、変化が起こりません。こうして心を守っていると、これ以上刺激を受けて怖い思いをすることはないかもしれませんが、自分が作った閉鎖された空間の中で、エネルギーの動きがとまって停滞してだんだん淀んでいきます。

そもそも、バリアを張り巡らすということ自体、自然な状態ではなく、不自然な状態を保つために無意識に大きなエネルギーを使っているので、とても疲弊する行為です。それに加えて、新しい新鮮なエネルギーが入ってくることができないので、どんどん今あるエネルギーが枯渇して、最終的には無気力(エネルギー不足)になり、うつ状態に陥ります。

では、どうやってバリアを解除したらいいのでしょうか。

自分を守るために築いた壁を、そう簡単に壊すことはできないのでしょうが、少なくとも一時的に痛みにしがみつくのをやめ、バリアを解除して、ありのままの現実を受け入れる方法があります。

やり方は一つだけではありませんが、1分あればすぐにできる簡単な方法なので、私がよくカウンセリングで使うのが、聴覚をつかう方法です。これは、少しの間、ただ、耳を澄まして、周囲の音だけに集中するというものです。これはできれば人工的な音があふれている町中よりも自然の多い場所で行う方が効果的です。耳を澄ませば、通常、複数の音が入ってくるでしょうが、その中でも、鳥や虫の声など、自然の音を聞き分けて、それに意識をフォーカスします。そばに川があれば水の流れる音でもいいでしょうし、風が吹いていれば風の音、雨が降っていれば雨の音に耳を傾けるといいでしょう。そうすると、音を聴いているわずかな時間、音に集中すればするほど、防衛のために固くなっている心や体が外に向かって開き、穏やかにリラックスします。これは、苦しみにしがみつくのをやめて、今ある現実(周囲の音)をありのまま受け入れたために起こる状態です。

聴覚以外に、ぼんやり景色を見る、呼吸に意識を向ける、瞑想する、温泉やアロマでリラックスする等でもいいでしょう。

リラックスして力が抜けている時は、私たちはありのままの現実を受け入れやすい状態になります。特に、考えるのをやめて感覚に身をゆだねているときは、外のものが自分の中に入ってくるのを自分に許している状態になります。なので、防衛が緩むのです。この時、自分の中に入ってくる感覚が心地よいものであればあるほど、楽になって心が落ち着き、心と体に変化が起こります。

結局、変化というものは、起こっている現実をいったん受け入れることによってはじめて起こるものなんですね。現実を拒んで抵抗していたら、どうやってその現実を変えることができるでしょう。けれども、私たちは、痛みを抱えているときは特に変化に抵抗しがちです。そういうとき、上記の方法で、少しの間でも抵抗をやめると、縮こまった心がほどけ、エネルギーに動きが出てきやすくなります。

「ありのまま受け入れる」ことでバリアを解除し、止まっている心身のエネルギーを動かす簡単な方法、みなさんもよかったら試してみてください。

 

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8月のグループセラピー・新メンバー募集のお知らせ

月に1度、日曜日に開催しているグループセラピーの新メンバーを、若干名募集します。次回は8月21日(日)午後、盛岡市内で開催します。次回のテーマは「対人関係保持スキル」です。いかに良好な対人関係を維持しながら、自分の望む変化を起こし、かつ、自尊心も保つか、その具体的な方法を学んでいきます。

興味がある方は、casai.hummingbird575☆gmail.com(☆を@に変えてください)より、事前にご連絡ください。詳細をご連絡いたします。

 

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「統合失調症薬で85人死亡」の記事に思う

先日、新聞で見かけた記事に、ゼプリピオンという統合失調症薬で85人が死亡し、問題になっているとありました。

これは2013年から使われている新薬で、注射して効かせるタイプの薬のようです。

これを見て、改めて精神疾患に使う薬(向精神薬)の危険性について思いを馳せました。

私は精神科医ではないので、薬物療法は専門外なので、あくまでも個人的意見なのですが、薬は身体にとって異物であり、人工的に作られた薬の場合、副作用はほぼ必ずあると考えています。

アメリカでの臨床経験を含め、様々な薬を長期にわたって服薬され、中には中毒になり、それがなくては生きていけなくなった挙句、過剰摂取してショック死されたクライアントさんも見てきた私としては、薬だけに頼る精神の治療には非常に疑問を抱いています。

特に日本の精神医療の在り方には、以下の理由から、とても危惧しています。

1)アメリカではすでに危険なので使われなくなっている薬が、いまだによく使われている。

2)同じ症状に重複した作用のある幾種類もの薬が、大量に処方されている。

3)正確な診断ができると思われる精神科や心療内科が少なく、誤診が非常に多い。特に統合失調症、双極性障害、発達障害の過剰診断は目に余るものがある。

3)に関していえば、例えば、「自分が嫌で仕方がない。無気力で、何をする気も起こらない。もう死ぬしかない。」と言っている人が、心療内科に行って、時間をとって話を聞いてもらうこともなく、発達障害の心理検査だけ与えられる。その結果、発達障害の傾向はあるが、機能的には問題がないレベルでしょうと言われる。こういうことが実際にあります。この人の場合、明らかに希死念慮を伴った抑うつがターゲットになるべき症状であり、緊急に治療的介入が必要なのですが、主治医はそれを見逃してしまっています。また、「自分が嫌い」という状態は、薬で治すことはできません。なぜ自分が嫌いなのか、いつから?そのきっかけは?というところから聞いていって、どうしたら自分を受け入れ、生きる辛さを軽減できるか、という方法を探る必要があると思いますが、話も聞いてもらえず、薬を処方されるだけでは、それはできないでしょう。例え薬で仮に一時的に気分が軽減したとしても、根っこにある鬱を引き起こす原因がそのままであれば、またいずれ症状が優勢になってくる可能性が高いです。

加えて、統合失調症や双極性障害をあまりにもイージーに診断してしまう傾向は、とても危険だと思います。なぜなら、これらの診断が出れば、強い薬(抗精神薬)が処方される可能性が高く、それがもし誤診で必要のない薬であれば、益になるどころか害になります。

脳内神経物質に作用する向精神薬は、摂取し始めた時は異物であっても、体がそれに慣れるに従い、それがあって初めて正常に脳が作用するようになってきます。言い換えれば、それがなければ正常に作用しなくなる。身体が依存してしまい、薬を切れると不安で仕方がなくなり、いてもたってもいられないので、盗んででも薬を手に入れようとするクライアントさんが、アメリカに何人もいました。

また、大量の処方薬を長年飲んでいる人には、共通した表情があり、それは大麻や覚せい剤、ヘロインなどの麻薬を長年常用している人と酷似していることもつけ加えておきます。ひとことでいうなら、薬に支配されて、生命力を抜かれてしまった、ソンビのような生気のない表情です。恐らく、人工薬には本来備わっているプラーナ(氣)を弱める作用があるのだと思います。

日本では、ネガティブな症状(抑うつ感、無気力、表情のなさなど)だけで統合失調症と診断されるケースが多いようで、びっくりしていますが、妄想や幻覚、特異な言動などのポジティブな症状がなければ、本来は統合失調症の診断基準に値しません。また、双極性障害の躁の症状にしても、正常範囲内と考えられるのに病気にされているケースが多いように思います。ストレスが高まったときに怒鳴ったり、買い物で発散させるという行動は、誰でもしうることで、それがそう頻繁でなく、ストレスレベルからして無理もない状態だったり、使った金額が収入や貯蓄の額からして、そうダメージを与えるものでない場合は、正常範囲内と判断できるかもしれません。そのあたりも詳細に聴取してなければ、正確な診断はできません。

色々書いてきましたが、最終的に、自分を守るために、適切な診断を下し、適切な治療をする力のある医師や病院を選ぶというのは、自己責任になってしまいます。専門家のいうことだからと、盲目的に鵜呑みにしないで、少なくとも処方された薬の作用、副作用を自分で調べて知っておく、おかしいと思ったらセカンドオピニオンを得るなどして、自分がよくなり、幸せになるために、自身の判断を用いてほしいと思います。

 

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正直に生きる

自分を偽って生きると、最終的に精神を病みます。

それで表向きは社会的に成功したとしても、結局のところ、幸せではないでしょう。

なぜなら、自分の心に不誠実であるという葛藤のために、怒りや恥などの負の感情が、知らないうちにたまってしまい、何かが違うという思いにつきまとわれ、満たされることがないからです。

自分の心に正直に生きるということは、外的な成功を凌駕する、内面的な成功をもたらすでしょう。

 

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自尊心とガソリン

今日、読んだ何かの文で(英語だったけど)、

「才能に恵まれているけど自尊心がない人は、ガソリンのない高級車みたいなものだ。体が不自由だけど自尊心が高い人のほうが、多くを成し遂げることができる。」

と書いてあり、なるほど、その通りだな、と思いました。

高学歴でも、自尊心が低いために、社会に出て仕事に就けず、不安やうつにさいなまれて引きこもっている人を知っています。

一方で、障がいがあっても、生き生き働いたり、人生を楽しんだりしている人は、世の中にたくさんいます。

自尊心っがあるって、自分を大切な存在と認識している、自分に対する愛がちゃんとあるってことですよね。内在する愛のパワーは、車のガソリン、つまり、エネルギー源になります。

自分に自信がない人は、例え体格がよくても、なんとなくエネルギー不足に感じられ、自己に尊厳が備わっている人は、体が小さくても、冒しがたい力づよさを感じるわけも、ここにあるのだと思います。

 

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静かな時間を持つ

思考が静まり無になるための、静かな時間を持つことは、どんな人にとってもとても重要です。

なぜなら、今の自分に必要なものは、心が静かな時にのみ、わかるものだからです。

そして、自分にとって必要なものがわからなければ、人生の道に迷って、間違った方向に行くことは必然だからです。

自分の本当のニーズというのは、頭でせっせと考えてわかるものではありません。

心で感じられるものです。

頭で考えだすことは、知性のレベルであり、は顕在意識の領域です。

心で感じることは、直観のレベルであり、潜在意識の領域です。潜在意識は神域につながっています。人智を超えた領域ですね。なので、間違いがないのです。

ただ、人間レベルの頭脳でせっせと忙しく思考していると、心で感じて神域につながることができないんですね。なので、思考をやめて、頭を空っぽにし、ハートで感じるという時間を持つことは、正しい導きを得るために、絶対必要なわけです。

絶え間ない思考は不安を生み出します。

不安は心を曇らせ、判断力を鈍らせ、精神力を消耗します。

どんな悩みも、いったん横に置いて、なにも考えない時間、心を自由にする時間を1日のうち何度か持つようにする。これだけで、ずいぶん楽になり、かつ、人生が好転していく可能性は高くなると思います。

 

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存在価値について

よく、「自分なんか役に立たない、何もできない、だから存在してはいけないんじゃないか」という人がいます。

こういう人は、自己肯定感が低く、他者に肯定してもらうことで自己価値を埋めようとするため、承認欲求がとても強いことが多いようです。

承認欲求が強い人は、「どうか、ください」と、すがりつくような雰囲気を発するので、かえって人に距離を置かれてしまうことが多いです。だって、「くれ、くれ」とせがまれたら、かえってあげたくなくなることはないですか?「ほしい」と追い回されたら、逃げたくならないですか?

なにをほしいかというと、「人の承認=肯定的な念=愛」なわけです。結局、自己愛がない人は、人からもらおうとして、人に依存してしまうんですね。でも、自分から喜んで与えるのではなく、せがまれて与えるという行為は、エネルギーを消耗して疲れてしまうので、人はこれを無意識に嫌がるわけです。自発的に与える愛は、与えるほうもエネルギーで満たしてくれるので、消耗にはならないんですね。

話を戻しますが、「自分なんか役に立たない。」という人にいいたいのは、役に立たなくてもいい、ということ。役に立つ、立たないという視点を、まず外してください。役に立つ人が価値があって、役に立たない人は価値がないというのはまず真実ではありませんから。そもそも、誰でも時と場合によって、役に立ったり立たなかったりするものです。常にどんな状況でも役に立つ人なんていません。役に立とうが立たなかろうが、生まれてきた以上、誰でも存在していいし、存在価値はあるのです。

「役に立つ」というのを目標に見据えてなにかすると、結局、先に述べた、「人に認めてもらいたい」という承認欲求から物事を行うことになります。それより、ただ、自分がしたいからする、という、自然な喜びの為にするほうが、無理がないと思います。それは、見返りを期待しないで、ただ為すということにつながります。

そして、「何もできないから存在してはいけない」という考えですが、これもシンプルに真実ではありえません。何もできない人なんてそもそもいませんから。誰でも、何かはできるし、できないものもある。究極、例え寝たきりでも、存在している以上、この世界に何らかの意味をもたらすことはできるものです。何かができるから存在価値がある、できなければ存在価値はない、という考えも、やはり手放したほうがいいと思います。それだと、存在価値を証明するために、せっせと業績を上げないといけないことになります。そういう人は常に不安に駆られて何かをし続けるが、決して満足しない人になりがちです。

存在価値は、何をしようがしまいが、何かの役に立とうが立たなかろうが、存在するすべてのものに最初から備わっているものです。存在価値を信じている人は、そもそも、自分に存在価値があるとかないとか、問題にしません。そんなことにとらわれずに、自分の心に従って、自由に生きるのがいいと私は思います。

 

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問題から逃げないこと

環境を変えれば、問題は解決する。今度はうまくいく。

そう思って、違う職場や学校に移ったり、家がいやだからさっさと結婚したりしても、間もなくまた問題が起こってしまう。

そういうことは、多々あります。

結局、問題は環境ではなく、環境に反応する自分自身にある場合、まだそこに残って、気づいたり、学んだりすることがある場合は、違う場所に行ったとしても、自分の中に残っている本質的な問題を浮き彫りにする事柄が起こるものです。

例えば、どの職場に行ってもパワハラや、同僚のいじめにあってしまう人。

これは、自分の中の恐れや、自尊心の欠如が引き寄せている場合が多いものです。

それに気づいて、自分の考え方や感じ方、行動様式を変えない限り、どこへ行っても同じことが起こります。

どうしても辛い、これ以上はもう無理、という場合は、自分が壊れてしまうくらいなら、一時的に逃げたほうがいいと思います。でも、本当はもう少し頑張ったほうがいいとどこかでわかっているけど、楽な方へ行きたいから逃げよう、と思うなら、もう少しとどまってチャレンジしたほうがいいかもしれませんね。

結局、お金を借りたら後で利息がついてもっと支払いが大変になる、みたいに、一時的に楽をしても、後でさらに困難なレッスンになって返ってくると、しんどいのは自分ですから。

必ずしも楽ではなくても、本当に自分が幸せになる道を選んで歩きたいものですね。