盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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自己憐憫はためにならない

自己憐憫はためにならない

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何かつらことがあったとき、悲しんだり、怒ったりして、自分の中に起こった感情をちゃんと認めてあげたり、ありのまま感じてあげるということは、心の回復のために、とても大切なことです。

けれども、

「自分はなんて不幸なんだろう。」

「なんで自分ばかりこんな目に合うんだろう。なんてみじめな人生なんだろう。」

「自分は哀れな人間だ。」

と思ってしまう、いわゆる自己憐憫に陥るのは、心の回復を遅らせ、人生を停滞させてしまうので、やめたほうが賢明だと思います。

私が診てきたクライアントさんたちも、自己憐憫に陥っている間は、まず確実にに症状がよくなりませんでした。

自己憐憫というのは、結局、自分はかわいそうな人だ、被害者だとみなすことです。

自己憐憫には、一時的に周囲の関心を引くというメリットはあるかもしれません。でも、長い目でみると、こういうやり方で注意を引きつけられる側は、エネルギーを奪われるような気になるので、最終的には疲れてうんざりしてしまい、その人のもとを離れていってしまうでしょう。

そうしたデメリットに加えて、自分をかわいそうな人であり、被害者であるとみなすということは、その時点で、意識が自分は無力なものだと捉えてしまうことになってしまいます。なので、現状をよりよい方向に変えていく自分の力を、否定してしている状態になります。だから現状打破が難しくなり、人生も停滞してしまうのです。

自分の不幸な人間だという思考は、とりもなおさず、自分を不幸だと定義づけてしまうということです。そうすると、本当にその人は不幸になります。

自分の人生はみじめだ、と考えると、その時点で、それは現実になります。

体験そのものは、ニュートラル(中立的)なのですが、人には、自分の体験を自由に意味づけして解釈する、いわば特権が与えられています。

その結果、同じような経験をしても、それを不幸だと思う人と、そうでない人がでてくるわけです。

例えば、未婚であるということ自体は、ニュートラルな状態なのですが、それを「負け犬」だ、とか、この年齢で結婚していないのは不幸だ、と定義すると、その時点でその人は本当に不幸な状態になるわけです。

過去に虐待などのつらい経験をしたとき、そこから生まれた自然の感情を無視することは、ためにならないので、ちゃんとそこにある気持ちを認識し、体験したほうが、望ましいと思います。けれども、その際に「虐待されたから、自分は不幸だ」と自ら解釈を下してしまうと、やはり、その時点で、意識が、自分は無力だから現状を変える力がない、と定義してしまうことになります。その結果、自分で心の回復力を封じて、癒しのプロセスをストップさせてしまうことになります。

虐待された過去を持つ場合、victim(犠牲者)ではなくsurvivor(苦難を生き延びた人)と自分自身をみなせるようになることを目標にしましょう、というのはよくいわれますが、これは、体験をどう意味づけるかによって、自分の人生が大きく変わっていくからにほかなりません。体験に任意の意味を与えるという、私たちに与えられた特権は、上手に使うことが大切だと思います。

 

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